僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
ヒットしたお礼を込めてファンに向け歌った「サンキュー・ガール」
ビートルズがデビューした当時は、歌手はあくまでも歌手であり、
プロの作詞家・作曲家が作った曲を、プロに演奏してもらうという、
いわば分業体制のようなものが当たり前だったが、ビートルズは、
自分で曲を作り、自分で歌って演奏までするというスタイルを貫く。

ただ、デビュー曲の「ラブ・ミー・ドゥ」を録音する段階で、どれくらい、
使える曲をストックしていたか、62年1月のデッカ・オーディション、
同年12月のハンブルグ・スタークラブのライブ音源で聴けるのは、
それぞれ3曲と2曲に過ぎず、その後、録音されたのは2曲のみ。

中山康樹「これがビートルズだ」で、「ラブ・ミー・ドゥ」を酷評していて、
「なぜこのような凡曲を望んで、デビュー・シングルに選んだのか」と、
疑問を呈し、さらに「すでにこの時点で、『プリーズ・プリーズ・ミー』や、
『アイ・ソウ・ハー・スタンディング・ゼア』といった傑作はできていた。」

逆に考えると、せいぜい、それらの曲と、前述の音源で聴ける曲くらい、
ものになる曲は、そうそう、なかったのではないか、かなり後になって、
録音される曲、「ワン・アフター・909」、「アイル・フォロー・ザ・サン」、
さらに「ミッシェル」も、さわり程度はできていたが、まだまだ未完成。

デビューシングル、さらに2枚目も、A・B面ともにオリジナル曲となり、
自作曲で勝負したいというメンバーの意向を、マーティンは尊重するが、
デビューアルバムとなると、LP全14曲のため、さすがに曲は不足し、
ライブで鍛えられ、すぐに録音できるカバー曲を、半分近い6曲にした。

そうした中、ツアーを一緒に回っている人気歌手のヘレン・シャピロに、
「ミズリー」を提供しようとして却下され、結局、自分たちでやることにし、
デビューLPに収録したのだが、かわい子ちゃん歌手が歌ってくれれば、
作曲活動に弾みがつく、自分たちの励み、自信にになると思ったらしい。

まだ、自分たちのレパートリーも少ないし、ようやくデビューした段階で、
他人への楽曲提供を考えていたとは驚きだが、これは、才能にあふれ、
いくらでも曲が作れ、余って困るということでなく、バンドとしてダメでも、
職業作家としてやっていけないか、模索していたと、意地悪い見方も。

藤本国彦「213曲全ガイド」に、ポールのコメントで、「B面でもいいから、
録音してもらえれば、僕らの作曲活動にプラスになると思って。」とあり、
この後も、ビートルズとしてはレコーディングされないまま、提供した曲は、
けっこうあって、必ずしも、出来が悪い没の曲を使いまわしただけでない。

デビューして力をつけたという言い方は安直だが、LPの発売前後から、
ジョンとポールの作曲能力は、飛躍的に伸びたというほどの爆発力で、
「プリーズ・プリーズ・ミー」に続いて、「フロム・ミー・トゥ・ユー」を出すと、
「シー・ラブズ・ユー」「抱きしめたい」と、怒涛のヒットシングルを連発する。

「フロム・ミー・トゥ・ユー」は、ファンへの感謝をこめて作ったとされるが、
まだデビューアルバムが発売される前の録音で、2枚のシングル盤を出し、
それらの曲を買ってくれたり、ラジオへリクエストしてくれるファン、さらに、
増えていくファンレターで、自分たちが売れる手応えを感じていたのだろう。

「フロム・ミー・トゥ・ユー」のB面、「サンキュー・ガール」も題名からして、
ファンへの感謝をこめた曲で、もともと、こちらの方が先に作られたそうで、
A面の候補にもなっていたが、さらなる傑作、「フロム~」ができてしまって、
B面に甘んじたようで、よい曲ではあるが、シングルヒットしたかは疑問。

ジョンのハーモニカから始まり、ジョンとポールのユニゾンからハモリへと、
自在に変化するメロディは、初期のビートルズの曲の代表的なパターンで、
こういうのが、リバプールサウンドであり、バブルガムミュージックなのかと、
後追い世代の自分としては、ちょっと分類したくなるが、そう簡単ではない。

今週もオケ作りが遅れがちで、得意のビートルズで、お茶を濁す手に出て、
初期の一発録音に近い曲、それでも、ジョンのハーモニカは翌日ダビング、
テイクの編集もしたそうだが、自分は単純に「サンキュー・ガール」演奏して、
ポールの高音がきつくて、お粗末な歌声で、お聴きいただく方へ感謝です。





お茶の間にも浸透したギターデュオ・ゴンチチ「放課後の音楽室」
毎週、演奏曲の苦労話、それも没になったいきさつを書くのが、
日課(週課?)になってしまったようで、何とも情けないのだが、
今週も、もともと取り組んでいた曲のオケ作りが、うまくいかず、
すぐに出来る曲へと見切りをつけつつ、それも変更となる始末。

夏っぽさを感じるフュージョンと、自分が勝手にイメージしている、
シャカタクから何かやろうと、「イージアー・セッド・ザン・ダーン」に、
目をつけて、ドラムを打ち込み、ベース、ギター、ピアノとやるが、
チョッパーベースのノリが今一歩で、リズム全体にしまりがない。

ベースだけ、何度もやり直すが、チョッパーを繰り返してばかりで、
右手の人差し指に、だんだん豆というか水泡ができて、つぶれ、
当然、チョッパーの引っかけは痛くてできないし、親指にしたって、
連続して叩くフレーズばかりで、付け根から手首が筋肉痛になる。

シャカタクのバンドスコアはしっかりしていて、きちんと取り組めば、
完コピに近づけるから、中途半端なベースではやめたほうがよい、
ピアノのアドリブも、ジャズの早いフレーズが多くて、多少なりとも、
練習しないと、ギターシンセでも弾けないから、次回以降へ延期。

それで、金・土の2日間だけで、何とかなる曲はと、ソロギターに、
ビートルズとかを物色するが、ドラムの入力とかも、面倒になって、
ここは弾き語りか、それに近いもの、サイモン&ガーファンクルに、
しようとなって、昔から弾いている「グレイテスト・ヒット」から物色。

「ブックエンド」なら短いし、痛い人差し指を使わなくて弾けるしと、
安直に考えるが、この曲だったら、オーケストラの部分は無理でも、
「旧友」とつなげないと様にならない、それで、金曜は、「旧友」を、
スタジオ版、ライブ版と聴き込んで、伴奏のギターも軽く練習する。

それで、土曜に録音しようとしたら、朝から、近所で工事が始まり、
これが、基礎工事で、騒音と振動がひどく、ボーカル入れどころか、
アコギのマイク録音もダメ、それで、練習だけは何度かやっておき、
さあ、夕方から録音開始だとはりきると、今度は、盆踊りが始まる。

家の路地を出た広場でやっているので、音楽も大音量で流れるし、
和太鼓も打ち鳴らしているから、これも、マイクが拾ってしまって、
これは、もう、ライン録音する曲にしよう、リズムボックスに合わせ、
適当にジャズでもやるか、ただ、聴かされるほうは、たまらないな。

エレガットか、アコギのラインで、ソロギターか、デュオにしようかと、
楽譜を見ていると、癒し系のソロギター2冊に、ゴンチチの曲があり、
片方は、原曲のキーでクラシックギター風、片方は、転調させて、
フォークギターでのヒーリング系アレンジで、どちらも微妙な感じ。

どうせなら、コードの伴奏とメロディを、ダビングで弾くほうがよいと、
それぞれの楽譜のコード進行やアルペジオを参考に、伴奏するが、
どうも自分のセンスの悪さで、メロディとぶつかってしまう音になる、
いっそ、ゴンチチのコピー譜はないのかと、ネットで検索をかける。

以前も、デパペペや山弦などのギターデュオの楽譜を探したとき、
ゴンチチの曲集は絶版になっていて、ヒーリングのギター曲集でも、
ソロギターにアレンジされて、もともとの二重奏版のはなかったが、
今回、ぷりんと楽譜に、かなり本物に近いギター2本の譜面がある。

しかも、編曲者が江部賢一と書いてあり、これは太鼓判、お墨付き、
30年来愛用しているソロギター曲集の編曲した、江部の編曲なら、
間違いないだろうと、すぐにネットで購入して、プリントしてみたら、
YouTubeにあるゴンチチのライブバージョンの、完コピに近かった。

かくして、二転三転した今週末の演奏は、ギターデュオ、ゴンチチの、
「放課後の音楽室」に決定し、まずは、エレアコのライン録音で伴奏、
続けて、エレガットのライン録音でメロディを弾くが、伴奏のほうだけ、
ラインの音が気に入らないので、盆踊りが終わってから、マイク録音。

10時過ぎにもなると、アコギのコードストロークや、ボーカル録音は、
雨戸を閉めても近所迷惑だが、アルペジオの伴奏だから許容範囲、
まあ、ボーカルは声がかすれるし、アコギのコードをかき鳴らしても、
出音が小さいから大丈夫とは思うが、家族には迷惑がられるだろう。

「放課後の音楽室」は、すごくシンプルなメロディで、ガットギターで、
淡々と弾くのだが、つい調子づいて、スライドやハンマリングにして、
スラーでフレーズを歌わせてみると、これが、雰囲気が全然違って、
自分のセンスのなさを実感、結局、装飾音はやめて、素直に弾いた。

エレガットは、ギター自体がオクターブ調整ができずに、音がずれて、
さらにナイロン弦もピッチが良くないので、開放弦で音を合わせたら、
ハイポジションでは音程がフラット気味になるので、メロディを奏でる、
7から12フレットで音程が合うように、ピッチを上げチューニングする。

さらに、1弦は、すごく音が硬くなってしまうので、2弦と3弦を使うよう、
江部の指定したTABのポジションは無視して、一定の音色にしたが、
ゴンチチの演奏を見ると、普通に1弦を使って、江部の運指どおりで、
自分のエレガットが、かなり安物だから、音色や音程に苦労することに。

クラシックギターでは、基本的に、指定された運指を守るのは絶対で、
タルレガは、ギターが美しく鳴るように弦の特性も考えて指定すると、
言われるほどだが、今回の場合、きれいに鳴るようにしたいがゆえに、
江部の運指を変えて弾くという何とも皮肉な話で、良いガットが欲しい。

ゴンチチは、ゴンザレス三上とチチ松村の2人によるアコギ・デュオで、
30年以上のキャリアで、アルバムをベストを含み、40枚ほどあるが、
自分は、アルバムは持っていないし、ヒーリング系のコンピアルバム、
「イマージュ」とかで、この「放課後の音楽室」を聴いたことがあるくらい。

それでも、山弦やデパペペより前から知っていたし、この手のデュオは、
元祖と入っても良いくらいのベテランで、CMで演奏している曲も多くて、
お茶の間にまで浸透したギターデュオとしては、「シャボン玉ホリデー」の、
ロス・インディオス・タバハラス以来と言ったら、話が少々大げさだろうか。

アコギに凝って楽譜を集めていた頃、そうした海外のミュージシャンを、
ゴンチチがホストになる形で、NHKのBSだったか紹介する番組があり、
当時のYouTubeで話題の、アコギをひざの上に横に置いて叩いて弾く、
エリック・モングレインとゴンチチが対談したのが、すごく印象に残った。

それにしても、ヒーリング系の曲を集めたコンピレ-ションアルバムが、
やたらと流行したのは2000年頃、ゴンチチや葉加瀬太郎を収録した、
「イマージュ」、アディエマス、アンドレ・ギャニオン、千住明の「フィール」、
他にも「ピュア」もあり、レーベルはどうなのか、だぶっている人も多い。

フュージョンが一段落して、聴きやすいジャズ、癒しのクラシックといった、
インストのアルバムが売れてきた中、ヒーリングミュージックのくくりで、
主にソロピアノやクラシック奏者、映画音楽系の曲を中心に発掘されて、
一大ブームになったが、今現在、この手の音楽は、どうなっているのか。

ヒーリングのブームで有名になったと言えるが、そうしたブームとは別に、
長年のキャリアと安定した活動のゴンチチで、間違いない代表曲である、
「放課後の音楽室」は、昔から知っていて、ソロギでも演奏してましたが、
週末アップに無理やり二重奏の楽譜を入手、各々3テイクであげました。













キャロル・キングのカバーでコーラスワークが見事な「チェインズ」
今年は日本のフュージョン40周年にあたるそうで、それを記念して、
廉価盤のCDが出ていたと気づき、LPで持ってなかったものから、
LPはあるがCDでも欲しいものを、Amazonの「あとで買う」に入れ、
毎日チェックしては、売り切れそうなると、慌ててカートに戻し購入。

そんなわけで、一人でフュージョンに盛り上がって、ブログの演奏も、
当分はフュージョン漬けだと、はりきって、オケを作り始めたのだが、
ピアノパートが、どうしてもギターシンセでは弾けず、没にしてみたり、
バンドスコアの不備を耳コピできないまま、途中で挫折する曲もある。

今週、松岡直也「サン・スポット・ダンス」のリードギターが弾きたくて、
バンドスコアはメロディ・コード譜程度なのだが、オケを作っていくと、
ピアノ伴奏もベースラインも違うし、パーカッションは基本リズムのみ、
ほぼ全部のパートの耳コピが必要で、金曜の夜になり、あきらめた。

こんな時、さっと仕上げる曲は、ソロギターか、いつのもデパペペか、
さすがに弾き語りをする気はないが、よく考えると、得意のビートルズ、
歌詞とメロディは覚えているし、初期の一発録音に近い曲であれば、
バンドスコアを元にした伴奏作りも、1日あれば十分と気を取り直す。

ビートルズの本国のデビューアルバム、「プリーズ・プリーズ・ミー」は、
中山康樹「これがビートルズだ」によると、1曲目がポールのボーカル、
2曲目がジョンとポール、続けてジョン、ジョージ、リンゴとなっていて、
マーティンが、メンバーを1人ずつ紹介する曲順にしたのではと指摘。

ビートルズのデビューに際し、これまでのポップスで当たり前だった、
リードボーカルとバックバンドという形をとらず、ジョンとポールという、
2人のメインボーカルを残したうえ、ジョージとリンゴのボーカル曲も、
アルバムに入れて、しかも冒頭に並べ、バンドとしての存在を示した。

リンゴはともかく、ジョージも、まだこの段階では自作の曲がないので、
LPでは、ジョンの曲「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」と、
キャロル・キングが作曲し、クッキーズという女性コーラスグループが、
歌った「チェインズ」をカバーして、2曲もリードボーカルを披露している。

70年代、シンガーソングライターとして、一時代を築いたと言ってよい、
キャロル・キングは、当時は、職業作家として、夫のジェリー・ゴフィンと、
ゴフィン&キングの名前で多くの曲を提供していて、ジョンとポールは、
それに倣い、レノン&マッカートニーを名乗ったという説も信憑性が高い。

それが禍したとまでは言えないが、元祖(?)であるキャロル・キングは、
ゴフィンが作詞、キングが作曲と、ほぼ役割分担した共同作業なので、
レノン&マッカートニーも、ジョンが作詞、ポールが作曲担当なのだと、
誤解して伝わったところもあり、年配者にはいまだに根強かったりする。

ゴフィン&キングの曲は、「ロコモーション」をヒットさせたリトル・エヴァの、
「キープ・ユア・ハンズ・オフ・マイ・ベイビー」も、BBCライブでやったが、
その「ロコモーション」のバックコーラスを担当していたのが、クッキーズ、
女性コーラスグループの曲に目をつけたのは、キャロル・キングがらみか。

この曲の発売は、62年11月だそうで、それを翌年2月のLP録音に際し、
「すぐに演奏できる曲」として、ライブのレパートリーから選び出したから、
ほとんど発売と同時に、自分たちの曲としてカバーしていたのか、かつて、
目ぼしいレコードを求め、エプスタインの店にたむろしていたのを思い出す。

アマチュア時代、オリジナル曲もさることながら、ライブで客受けするため、
ヒット曲のカバーも、他のバンドと争うように、我先にとレパートリーにして、
さらに他のバンドに先んじて、目ぼしい曲を探し、後にマネージャーとなる、
エプスタインのレコード屋の常連で、女性グループにまで目をつけていた。

「チェインズ」は、ビートルズにとっては、比較的新しい曲になるはずだが、
他のカバー曲と同様に、自分たちの曲にしてしまうところは、本当見事で、
イントロのハーモニカは、マーティンのアイデアなのか、全然原曲にないし、
ホーンのリフをギターで真似たり、いいとこ取りで、バンドの曲になっている。

YouTubeには、キャロル・キング本人がカバーした演奏がいくつか見られ、
もともと黒人の女性グループが歌った雰囲気で、ゴスペル調にしていたり、
バンド演奏ではモータウン風で、どことなく、シュープリームスのヒット曲、
「恋はあせらず」を、フィル・コリンズがカバーしたのと同じような感じもする。

自分がビートルズのファンで、原曲より先にビートルズ版を聴いているから、
「チェインズ」にしても、「ツイスト&シャウト」に、「ベイビー・イッツ・ユー」や、
「アンナ」など、モータウン系の曲をカバーしても、決してコピーではないうえ、
白人音楽に黒人音楽の要素を加えつつ、自分の音楽にしていると感じる。

「チェインズ」は、ライブでどの程度演奏したのか、シンコーから出たムック、
「ライブの時代」「全パフォーマンス徹底解剖」を見ると、63年のライブでは、
何箇所かでのレパートリーになっているが、ジョージのライブの定番の曲の、
「ロール・オーバ・ーベートーベン」が出てくる前で、模索していた頃といえる。

たった1日、10時間で10曲を録音した、ライブバンドで鍛えたビートルズと、
単に40年以上前の昔から、聴いて歌ったに過ぎない自分が、1日で1曲を、
仕上げるというのは、実力も演奏レベルも比べようもないが、手抜きせずに、
コーラスも何とか仕上げた「チェインズ」は、やはり1日でやった感の出来です。





今剛の代表曲でパラシュートや松原正樹のライブでも定番の「アガサ」
中学時代、ビートルズばかり聴いていた自分は、高校になり、
ディープ・パープルやレッド・ツェッペリンを弾く同級生たちに、
圧倒されて、ギターが上手くなりたいと、まずジェフ・ベックの、
レコードと楽譜を買って、さらに、あれこれとレコードを探す。

そのうえ、それまで歌謡曲やアイドルには興味なかったのに、
岩崎宏美のファンになり、テレビの歌番組にかじりついたり、
デパートの屋上のサイン会へ行ったり、少ない小遣いの中で、
ギタリストと別に、岩崎宏美のLPを買い集めることになる。

セカンドアルバム「ファンタジー」は、糸居五郎のDJに乗せ、
ノンストップで曲をかけていくような構成で、曲もそれらしくて、
16ビートの曲が多いうえ、ギターのカッティングも格好良くて、
矢島賢と水谷公生とが、左右で絡むバッキングは見事だった。

バリー・ホワイトの「愛のテーマ」で、デビッド・T・ウォーカー、
ワーワー・ワトソンがやったような感じだし、ジェフ・ベックが、
「ギター殺人者の凱旋」の中の「分かってくれるかい」などで、
決めているカッティングにも似て、歌謡曲もすごいと思った。

たまたまつけていたラジオ番組に、キャンディーズが出演して、
バンドのギターに16歳の子が入ったなんて、話をしていて、
何だ、自分と同学年じゃないか、それなら、自分もがんばれば、
岩崎宏美のバックバンドに入れるかもと、勝手に夢を描いた。

そのギタリストは、MMPの解散後にスペクトラムを結成する、
西慎嗣だったか、伯母の知り合いの踊りのお師匠さんの孫も、
自分と同い年だが、キャンディーズのバックバンドに入ったら、
ファンができて、大量にプレゼントをもらってくると、父が言う。

そんな話を聞くと、アイドルのバックバンドだと、アイドルとも、
知り合いになれるうえに、自分にもファンがついてくるんだと、
いいことばかりに思えて、岩崎宏美の曲集まで手に入れると、
伴奏の練習を始めるが、分数コードやテンションコードが多い。

フォークギターコード大全集には、載ってないようなコードで、
同級生に見せると、ジャズを覚えないとダメなんじゃないかと、
言われて、当時の明星や平凡の付録の歌本を見ても、そうした、
難しいコードが、かなり歌謡曲には使われているのだと知った。

その後、岩崎宏美からピンクレディ、さらには松田聖子へと、
高校から大学にかけ、自分の好きなアイドル歌手は変わるが、
ピンクレディのバックバンドは、稲垣次郎とソウル・メディアで、
ジャズ出身のうえに、チャック・レイニーと共演までしている。

高校を卒業した79年3月、渋谷河合楽器のジャズギター教室へ、
通い始めて、プロになりたいからと、スケール練習の基礎から、
テンションコードを含めた音楽理論、読譜の初見を鍛えられるが、
その頃は、もうアイドル歌手のバックバンドの夢から覚めていた。

ただ、アイドルから卒業したわけでなく、松田聖子が気に入って、
アルバムを買うと、松原正樹が大半の曲でリードギターを弾いて、
ヒットしたシングルに便乗して、急いでアルバムを作ったせいか、
歌よりも演奏が充実して、AORとかフュージョンのようだった。

松原正樹と一緒にギターで参加していたのは、今剛で、その前年、
2人はパラシュートを結成して、80年4月に最初のLPが出て、
すでにソロアルバムを2枚出していた松原と違って、今剛の場合、
自分にとって、やっと、その演奏がじっくりと聴けたという感じ。

その今剛のソロアルバムも発売となり、とびつくように買ったが、
LA録音というわりには、ベースはパラシュートのマイク・ダン、
ドラムはチャーのバックのロバート・ブリルに、パーカッションが、
林立夫という具合で、現地ミュージシャンは、キーボードくらい。

パラシュート・プレゼンツ・今剛とでもいう、全面バックアップで、
今剛の特徴である伸びやかなロングトーンと、フレットボードを、
上から下まで行き来するフレーズが、惜しげもなく演奏されるが、
自分的には、もっと早弾きとかしないのか、やや物足りなかった。

それでも、代表曲となる「アガサ」は、メロディも格好良いうえに、
聴くと弾くとでは大違いというくらい、伸びやかに歌うフレーズが、
けっこう運指やフレット移動が難しくて、挑戦しがいのある曲だし、
「トーツキー・ヘブン」も、気持ちよいくらいのロングトーンの曲。

次のアルバムを期待したが、なかなか出ず、今になりわかるが、
セカンドアルバムが出るのは、29年後の2009年になってから、
パラシュートでも、自分の好きなインスト曲や弾きまくりは少なく、
逆に、ニューミュージックのバックでの名演が、次々と飛び出した。

だいたい、松原と今のツインギターで、スタジオに呼ばれるうえに、
双子とまではいかないが、同じような演奏スタイルをしているので、
どちらがリードギターか判別しにくい曲もあって、それでも松原は、
甘い音色にビブラートが特徴的で、今はエッジのきいた音色が多い。

あえて差別化をはかっているのか、互いの好みの音色があるのか、
不明なのだが、今剛の代表曲と呼べる「アガサ」を、パラシュート、
松原正樹のライブで演奏する際、ほとんど完コピでバッキングする、
松原でさえ、その音色は、今剛のレコードでの演奏と明らかに違う。

ライブにつきもののハプニング、今がギターの弦を切ってしまって、
アームをフローティングにしていたせいか、チューニングも狂って、
苦労していると、とっさに松原がリードを弾き始め、その間に今が、
スペアに持ち替えるという、息の合った場面がYouTubeにある。

その際、バッキングからリードへ切り替えたから、ギターの音色は、
異なっていて当然だが、フレーズのニュアンスもだいぶ違っていて、
松原が作曲し、2人がリードをとるパラシュートの「ハーキュリー」も、
アドリブフレーズの癖や音色が違っていて、それぞれの個性だろう。

スティーブ・ルカサーやジェイ・グレイドンが弾く、半音チョーキング、
一音半チョーキングと、スライドを交えて、アクセントをずらしていく、
当時の最先端のフレーズは、松原も今剛も、うまく取り入れているが、
これまた、ビブラートのかけ方と、音色、エフェクターが微妙に違う。

このあたりは、自分の感覚的な部分で、もっといろいろな演奏を聴き、
2人のギターや機材も調べないといけないが、335はお揃いだったし、
シェクターが出した、ハンパッキング搭載のストラトやテレキャスを、
海外のミュージシャンが使い出すと、2人揃って持ち替えていた気も。

今剛の「アガサ」はソロアルバムの曲ながら、パラシュートで出した、
インスト曲のベスト盤「カラーズ」に収録されて、「ハーキュリー」と、
「アガサ」の楽譜がおまけについてきて、以前それを参考に弾くが、
ぷりんと楽譜でバンドスコアを見つけ、ピアノ、ドラムからやり直す。

バンドスコアどおりにピアノのコードを弾いたら、えっと思うような、
和音が使ってあり、例えば、ギターのフレーズを追っかけるように、
A7のアルペジオ的に右手が弾く一方で、左手のコードはE♭7で、
どちらかの臨時記号がミスプリントかと、楽譜を目を凝らして見る。
 
結局は代理コードなのだろうと、自分で結論づけたのだが、これは、
ニューミュージックどころか、歌謡曲でも、けっこう出てくる話で、
テンションコードを知らなくてはと、ジャズギター教室へ通ったが、
編曲をしようと思ったら、かなりの理論を学ばないと無理だと実感。

メロディーは単純なようでいて、今剛のようなニュアンスを出すのは、
かなり難しくて、最初の8分音符のスタッカートをきかせた部分から、
音の切り方が似なかったり、続く16分音符の裏から入るフレーズは、
走りかけたり、音を伸ばさず、休符を尊重するとか、本当に難しい。

スライドとハンマリング、プリングを組み合わせて、流れるように、
サビの部分を歌い上げるのも、バンドスコアのTABはどうも違い、
YouTubeで本人のポジショニングを確認しても、あまりよく分からず、
とりあえず、それっぽく弾いたが、独特のニュアンスは出せずじまい。

今剛の代表曲と呼べる「アガサ」は、パラシュートのレパートリー、
さらに、松原正樹のライブでも、今剛が参加すれば、必ず演奏する、
定番なので、いくつものライブバージョンがありますが、例によって、
最初に聴いたのが好きな自分は、完コピを目指しつつ、限界です。







松原正樹が盟友の今剛と奏でる名曲、パラシュート「ハーキュリー」
今日言うところのフュージョンミュージックが、まだジャズロック、
クロスオーバーと呼ばれていた70年代、そのルーツは古くは、
60年代まで遡ることになって、自分は、リアルタイムではないし、
雑誌やら、ものの本の知識で、その歴史もかじったに過ぎない。

だが、この手の音楽の日本でのブームとなると、76~77年で、
がぜんリアルタイムだし、日本人による演奏、アルバムの発売も、
その頃から盛んになったので、日本のクロスオーバーに関して、
その誕生から、一大ブームを、目の当たりにできた世代だと思う。

自分の場合は、ギターを弾く事から、特にギタリストに注目だが、
深町純のLPに、大村憲司が自作の「バンブーボング」を提供し、
いかにもクロスオーバーのスタイルで弾きまくったり、高中正義も、
ミカバンドの黒船組曲で、早い段階から、インスト曲を演奏した。

細野晴臣が中心となったティンパンアレイは、後藤次利を起用し、
「チョッパーズブギー」が演奏されたり、森園勝敏は四人囃子で、
まさにフュージョンと呼べるインスト「レディ・バイオレッタ」を演奏、
17歳でデビューした渡辺香津美も、歪ませたギターを弾いた。

これらは、大半がロックサイドからで、75年のジェフベックによる、
ギターインストが刺激になった気もして、和田アキラのプリズム、
野呂一生のカシオペアは、間違いなく、その影響下にあったろうし、
かくいう自分も、ベックから、ギターインストの世界に入っていく。

ただ、ベックは、クロスオーバーよりは、ロックだと思っていたから、
いわゆるクロスオーバーギタリストとして、自分が聴き始めたのは、
渡辺貞夫が77年にアルバムを作り、バックとしても日本へ呼んだ、
リー・リトナーで、ここから、日本のクロスオーバーブームも始まった。

偶然というか、同じ頃、ラリー・カールトンは五輪真弓バックで来日、
雑誌のヤングギターは、2人を特集し、ギターキッズに火をつけて、
そのブームもあって、ロック畑と共演したアルバムを出したばかりの、
渡辺香津美を中心に、森園、大村に山岸潤史の4人が競演する。

深町純のアルバムで、早い段階でクロスオーバーギターを演奏した、
大村憲司は、フォークグループ赤い鳥の出身で、その実力をかわれ、
スタジオワークもこなしたが、同じくハイファイセットのバックバンドの、
松原正樹も、クロスオーバーギタリストとして、ソロデビューを果たす。

リトナーと同じギブソン335を抱えた写真が、ヤングギターに載って、
「ジャズとは指の運動に過ぎない」と語ったという逸話も紹介されて、
普通なら、「なんだ、こいつは」と思うところ、ヤマハのネム音楽院を、
出ているとの情報もあり、ジャズをマスターしての台詞なのかと感心。

ロックバンド、バウワウのリーダー山本恭司が、ネム音楽院の出身で、
ジャズっぽいフレーズを決めていて、さすがはネムだ、ジャズギターも、
身につけられるんだと、バークリー音楽院を知らない頃、ネムに行き、
理論も教わるのが夢だったので、松原正樹も、すごい人だろうと思う。

「流宇夢サンド」は、まさにリトナーのような、コンプ、フェイザーの音で、
それでも、独自の特徴的なフレーズが多く、ギタープレイヤーだったか、
「このところ、弾きにくいフレーズをやってばかりいて」などと語っていて、
確かに、異弦同フレットや弦とびフレーズが多くて、コピーしづらかった。

その同じ記事だったか、別だったか、「最近、スタジオでコンと一緒に、
なることが多くて」と、新人のスタジオミュージシャンについて語って、
いいなあ、自分もスタジオミュージシャンになって、こんな風に松原に、
認めたもらえたらなあと思ったし、それにしても、コンって誰だと思った。

それが今剛だとわかるのは、2人がパラシュートを結成したときだが、
その前に、ニューミュージックで起用され、ギターソロの名演が多くて
クレジットから名前を知ったか、記憶があいまいだが、ソロアルバムは、
パラシュートが結成されてから、満を持して出たようにと覚えている。

パラシュートは、松原、今のツインギターに、斉藤ノブのパーカッション、
林立夫のドラム、マイク・ダンのベース、安藤芳彦、小林和泉のピアノと、
スタジオミュージシャンにより結成されたが、ボズのバックから誕生した、
TOTOを意識したのか、さらにその成功で、レコードも出せたのか微妙。

松原正樹のギター中心のソロアルバムの延長に、自分は考えていて、
インストが少ないのに、がっかりして、ラジオのエアチェックだけですませ、
後にキーボードが井上鑑になっても、歌モノが相変わらず多かったから、
アルバムは、インストのベスト盤「カラーズ」でようやく買ったというところ。

そのベスト盤には、「ハーキュリー」と、今のソロアルバムの「アガサ」の、
2段書きのスコアがおまけについていて、これは、すごくありがたくって、
ベック「ギター殺人者」も、2曲のギタースコアが掲載されていたのもあり、
インストアルバムは、こうでなくっちゃいけないと、それだけで喜んでいた。

その「ハーキュリー」は、今剛の間奏、松原のエンディングソロが難しくて、
土曜日の午後を使い、ずっと練習し、録音していたが、とうとう時間切れ、
メロディやバッキングも、2人の音色とはかけ離れ、レベルが低いですが、
松原正樹の名曲中の名曲を弾きたくて、「ハーキュリー」をアップしました。







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