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僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
東宝の「サインはV」「飛び出せ青春」は、ザ・ムービーの元祖
小学生の頃、夏休みなどに、渋谷東宝で、
ゴジラ映画を見ると、「サインはV」や、
飛び出せ青春」も併映していました。

テレビの総集編とは違う、劇場版で、
今で言う「ザ・ムービー」の元祖といえる。

サインはV」なんかは、まだテレビで、
放映しているのに、最終回の内容まで、
劇場版で、先にやってしまっていた。

結末が知りたくて、原作を読んだりもしたが、
劇場で、わかってしまうのって、どうなのか。

それと、劇場用に作り直しているため、
テレビと違うよ」という場面も多く、
最初に見たほうに、こだわる性格の自分には、
つっこみどころ、満載だったりしました。

細かい点で言うと、ジュンの怪我が、
テレビでは、主人公の朝丘をかばって、
鉄骨の下敷きとなったのだが、映画では、
朝丘の特訓中に、くいにぶつかっていた。

自分を助けたことで、不治の病になるのも、
主人公にはトラウマだろうが、それ以上に、
根性をたたきなおそうとしたのが原因では、
責任感どころの騒ぎじゃないはず。

飛び出せ青春」も、見ていて不満があった。

冒頭、道に迷った河野先生が、
がけから自転車で落っこちて、
タイトルコールだったと思うが、
こんな場面は、テレビになかったぞと、
早くも、あらさがしを始める自分。

テレビでは、女子マネたちと苦労の末に、
片桐君が、バナナシュートを考えたが、
映画では、あっさりと河野先生が、
「バナナシュートをやってみろ」と言う。

ストーリーを、はしょったのだろうが、
ものすごい拍子抜けした記憶がある。

そういえば、青い三角定規の歌う主題歌、
太陽がくれた季節」のタイトルを、ずっと
「暮れた」と思っていて、ドラマに反して、
希望のない歌詞だなと、思い続けていた。

まだ、テレビ放映中の頃、東急本店の屋上で、
青い三角定規」の、ミニライブがあった。

たまたま、買い物に行って、看板に並ぶ、
女子大生たちの列に、出くわした。

赤い三角定規がくるのか」と言うと、
すかさず「でしょう」と、つっこみを
入れた、ノリのよいお姉さんがいた。

調子づいて、「黄色だっけ」とか
「青ですか、青い物差しねえ」など、
延々とやっていた、小学生の自分でした。



ホルスの斧は、ワタリのお古で遊んだ
幼稚園のときに、渋谷東映で見た、
東映まんがまつりが、「サイボーグ009」でした。

併映が、「ワタリ」という忍者もので、
白土三平の劇画の、実写版。

主人公の少年ワタリ、斧を武器に活躍。

今、思い出せるのは、戦闘シーンではなく、
斧を担いで、走り回るところ。

その担いでいた斧が、いつもながら欲しくなり、
祖父に、ベニヤ板と棒で作ってもらった。

すぐに飽きて、軒下の材木と一緒になっていたが、
2年後の、これまた、東映まんがまつり。

「ホルスの大冒険」でも、主人公が斧を持ち、
冒頭から、狼と戦ったりしていた。

ペンキを塗りなおしてもらい、今度はホルスとなり、
斧を担いで、公園を走り回ったのでした。

ホルスが、最後に敵を倒した剣は、
ディズニー「王様の剣」にも出てくる剣と、似た形で、
アーサー王伝説のごとき剣だったのだが、
なぜか、自分は欲しがらなかったようです。

何を基準に欲しがったり、細部にこだわっていたのか、
当時の自分に、聞いてみたいことが、かなりあります。




NHK「昼のプレゼント」からのプレゼント
小学校が、NHKに近いこともあり、
何度か、テレビ番組に出たことがあります。

教育テレビの、授業中に見る番組などで、
後ろのほうに、写っている子供たちとか。

学年全員で出たのは、「昼のプレゼント」

お昼のニュースと、連続テレビ小説の間に、
NHKスタジオから、生中継していた番組。

4年生と、5年生のときに、それぞれ、
1週間続けて、スタジオに出かけた。

家庭用ビデオデッキなど、ない時代。

コニカ・シングルエイトなどの、8mmフィルムも、
親戚中を探しても、持っている人などいなかった。

NHKアーカイブに、当時の映像が残っていれば、
幼い自分の動いている姿を、見ることができるのに。

NHKでさえ、当時ビデオテープは高価だったので、
消しては、再利用していたんだから、まず無理な話。

番組に出演した記念にと、もらったのが、
NHKのロゴ入りの色鉛筆セット

大切に、学習机の引き出しに入れておいたが、
いつのまにか、なくなっていた。

若い頃に、全国放送に出たあかし、
ちょっとした、自慢できる思い出だったのですが…。


新宿高層ビルの、「Let It Be」は、近所からは見えない
75年ごろだったか、テレビの番組で、
新宿の京王プラザビルを、スクリーンに見立てて、
ビートルズの映画を、上映したことがあります。

そもそも、上映するのが、なんで、
ビートルズの「Let It Be」だったのか、
そのへんのいきさつは、記憶にない。

時間になると、テレビ番組自体はそっちのけで、
友人たちと、近所のビルの屋上に上ったり、
高台になっている通りに出てみたり、
こっちから、見えないか あちこち走り回った。

よく考えれば、上映する壁面が、こっち側でなければ、
ただビルが見えるだけなのですが…。

特にトラブルもなく、壁面に映像は映ったようで、
いったい、何の騒ぎだったのかと思う。

マイルス・デイビスが、新宿西口広場に降臨する、
その何年も前に ビートルズがやってきた(?)。

映画「Let It Be」は、同じ頃だったか、
かまやつひろしのナレーション入りで、放送されました。

ただでさえ、ドキュメントの映画なのに、
ナレーションが入るものだから、
NHKスペシャルでも、見ているような気分。

もともとの映像で、会話と演奏が混在していたし、
ミュージカルみたいに、吹き替えるわけにもいかなかったのか。

「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」の声優陣(ジョン:広川太一郎、
ポール:高橋元太郎、ジョージ:堀勝之祐、リンゴ:鈴木ヤスシ)で、
放送したら、違う雰囲気の映画になっていたかもしれない。

一歩間違うと、モンティパイソンの、ラトルズみたいに。

そうそう、「Help」では、ポールの声は井上真樹夫で、
うっかり八兵衛から、五右衛門へのバトンタッチですよね。

ビートルズ復活祭や、新宿武蔵野館で、
何度か見ていた、「Let It Be」。

解散へと向かっていく過程が、
リアルに記録された映像と、よく言われる。

確かに、ポールとジョージとの口論や、
ポールが入って来た途端、凍りついたようになる場面など、
見ていて、辛くなる場面も多かった。

でも、中学生だった自分は、コードを教えながら、
曲が完成していく過程がわかり、すごく興奮しました。

「アクロス・ザ・ユニバース」のイントロで、
エピフォン・カジノを弾く、ジョンのアップ。

2フレットから、7フレットへ左手がすっと動くのに、
やっぱ、すげーうまいよ、と感動していた。

そして、有名なルーフトップコンサート

「ビートルズの新曲だって?」という町の声が、
すごく暖かく思えて、嬉しくなったのです。

先に発売された「アビーロード」の方が、
あとで録音されたとは、全然知らなかった。

持っていた「ビートルズ事典」の、年表でも見れば、
わかることなのに、興味のあるページしか見ていなかった。

「おまえは、人の話も聞かないし、肝心なことを、
見落としている」と、先生に、よく叱られたものです。




ビデオのない頃、「燃えよドラゴン」見たさに、都内を行脚
映画のビデオソフトが、今ほど安価でなく、
いや、それ以上に、ビデオデッキが普及する前。

ロードーショー公開の終わった映画を、見たければ、
どこかで再上映していないか、映画情報誌などで、
くまなく調べて、週末に出かけていきました。

「燃えよドラゴン」見たさに、電車に乗って、
あちこち行ったが、細かい場所は覚えていない。

印象に残っているのが、中野の映画館で、教室より狭く、
人が立ち上がると、スクリーンが暗くなった。

しかも、かなりのシーンがカットされていて、
そうやって、上映回数を増やしていたのでしょう。

少しでも、映画のシーンを記憶にとどめようと、
写真が載っている、ブルースリー特集の雑誌を集めた。

ブルース・リー特集雑誌の数々


香港の雑誌にも、毎月、特集記事が載ると教わり、
銀座にある「洋書イエナ」まで、
年間購読の申し込みに行ったりもした。

ちなみに、イエナは、庄司薫の小説の中に、
「近藤書店のカバーじゃないが、知は力なりだ」と、
出てくる本屋さんと、同じ店舗だった。

さらには、台本の出ている特集号を買って、
主なセリフを、英語で覚えたりもした。

そういうファンが多かったのでしょうか、音楽とは別に、
セリフだけ入ったサントラ盤まで出たほど。

数年前、何かの番組で、格闘家の角田信朗が、
ブルースリーが少年に稽古をつけるシーン、
「Don’t Think」から始まるセリフを暗唱。

同世代で「燃えよドラゴン」に夢中になったものは、
必ず、ここのセリフを覚えたよ、と嬉しくなりました。

メモ代わりにと、各シーンを漫画で描いていた自分。

自分で描いた「燃えよドラゴン」


このブログで、「小学生のとき、漫画家を目指していた」
などと書いてはいるが、当時の絵を見ると、かなりの赤面もの。

手品師を目指したが、子供向けの手品さえ、あまり覚えていない。

プロギタリストを目指したと言いつつ、ろくに弾けていない。

昨今の自分の言動を、大いに反省した次第です。






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