僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
今日言うところのフュージョンミュージックが、まだジャズロック、
クロスオーバーと呼ばれていた70年代、そのルーツは古くは、
60年代まで遡ることになって、自分は、リアルタイムではないし、
雑誌やら、ものの本の知識で、その歴史もかじったに過ぎない。
だが、この手の音楽の日本でのブームとなると、76~77年で、
がぜんリアルタイムだし、日本人による演奏、アルバムの発売も、
その頃から盛んになったので、日本のクロスオーバーに関して、
その誕生から、一大ブームを、目の当たりにできた世代だと思う。
自分の場合は、ギターを弾く事から、特にギタリストに注目だが、
深町純のLPに、大村憲司が自作の「バンブーボング」を提供し、
いかにもクロスオーバーのスタイルで弾きまくったり、高中正義も、
ミカバンドの黒船組曲で、早い段階から、インスト曲を演奏した。
細野晴臣が中心となったティンパンアレイは、後藤次利を起用し、
「チョッパーズブギー」が演奏されたり、森園勝敏は四人囃子で、
まさにフュージョンと呼べるインスト「レディ・バイオレッタ」を演奏、
17歳でデビューした渡辺香津美も、歪ませたギターを弾いた。
これらは、大半がロックサイドからで、75年のジェフベックによる、
ギターインストが刺激になった気もして、和田アキラのプリズム、
野呂一生のカシオペアは、間違いなく、その影響下にあったろうし、
かくいう自分も、ベックから、ギターインストの世界に入っていく。
ただ、ベックは、クロスオーバーよりは、ロックだと思っていたから、
いわゆるクロスオーバーギタリストとして、自分が聴き始めたのは、
渡辺貞夫が77年にアルバムを作り、バックとしても日本へ呼んだ、
リー・リトナーで、ここから、日本のクロスオーバーブームも始まった。
偶然というか、同じ頃、ラリー・カールトンは五輪真弓バックで来日、
雑誌のヤングギターは、2人を特集し、ギターキッズに火をつけて、
そのブームもあって、ロック畑と共演したアルバムを出したばかりの、
渡辺香津美を中心に、森園、大村に山岸潤史の4人が競演する。
深町純のアルバムで、早い段階でクロスオーバーギターを演奏した、
大村憲司は、フォークグループ赤い鳥の出身で、その実力をかわれ、
スタジオワークもこなしたが、同じくハイファイセットのバックバンドの、
松原正樹も、クロスオーバーギタリストとして、ソロデビューを果たす。
リトナーと同じギブソン335を抱えた写真が、ヤングギターに載って、
「ジャズとは指の運動に過ぎない」と語ったという逸話も紹介されて、
普通なら、「なんだ、こいつは」と思うところ、ヤマハのネム音楽院を、
出ているとの情報もあり、ジャズをマスターしての台詞なのかと感心。
ロックバンド、バウワウのリーダー山本恭司が、ネム音楽院の出身で、
ジャズっぽいフレーズを決めていて、さすがはネムだ、ジャズギターも、
身につけられるんだと、バークリー音楽院を知らない頃、ネムに行き、
理論も教わるのが夢だったので、松原正樹も、すごい人だろうと思う。
「流宇夢サンド」は、まさにリトナーのような、コンプ、フェイザーの音で、
それでも、独自の特徴的なフレーズが多く、ギタープレイヤーだったか、
「このところ、弾きにくいフレーズをやってばかりいて」などと語っていて、
確かに、異弦同フレットや弦とびフレーズが多くて、コピーしづらかった。
その同じ記事だったか、別だったか、「最近、スタジオでコンと一緒に、
なることが多くて」と、新人のスタジオミュージシャンについて語って、
いいなあ、自分もスタジオミュージシャンになって、こんな風に松原に、
認めたもらえたらなあと思ったし、それにしても、コンって誰だと思った。
それが今剛だとわかるのは、2人がパラシュートを結成したときだが、
その前に、ニューミュージックで起用され、ギターソロの名演が多くて
クレジットから名前を知ったか、記憶があいまいだが、ソロアルバムは、
パラシュートが結成されてから、満を持して出たようにと覚えている。
パラシュートは、松原、今のツインギターに、斉藤ノブのパーカッション、
林立夫のドラム、マイク・ダンのベース、安藤芳彦、小林和泉のピアノと、
スタジオミュージシャンにより結成されたが、ボズのバックから誕生した、
TOTOを意識したのか、さらにその成功で、レコードも出せたのか微妙。
松原正樹のギター中心のソロアルバムの延長に、自分は考えていて、
インストが少ないのに、がっかりして、ラジオのエアチェックだけですませ、
後にキーボードが井上鑑になっても、歌モノが相変わらず多かったから、
アルバムは、インストのベスト盤「カラーズ」でようやく買ったというところ。
そのベスト盤には、「ハーキュリー」と、今のソロアルバムの「アガサ」の、
2段書きのスコアがおまけについていて、これは、すごくありがたくって、
ベック「ギター殺人者」も、2曲のギタースコアが掲載されていたのもあり、
インストアルバムは、こうでなくっちゃいけないと、それだけで喜んでいた。
その「ハーキュリー」は、今剛の間奏、松原のエンディングソロが難しくて、
土曜日の午後を使い、ずっと練習し、録音していたが、とうとう時間切れ、
メロディやバッキングも、2人の音色とはかけ離れ、レベルが低いですが、
松原正樹の名曲中の名曲を弾きたくて、「ハーキュリー」をアップしました。
クロスオーバーと呼ばれていた70年代、そのルーツは古くは、
60年代まで遡ることになって、自分は、リアルタイムではないし、
雑誌やら、ものの本の知識で、その歴史もかじったに過ぎない。
だが、この手の音楽の日本でのブームとなると、76~77年で、
がぜんリアルタイムだし、日本人による演奏、アルバムの発売も、
その頃から盛んになったので、日本のクロスオーバーに関して、
その誕生から、一大ブームを、目の当たりにできた世代だと思う。
自分の場合は、ギターを弾く事から、特にギタリストに注目だが、
深町純のLPに、大村憲司が自作の「バンブーボング」を提供し、
いかにもクロスオーバーのスタイルで弾きまくったり、高中正義も、
ミカバンドの黒船組曲で、早い段階から、インスト曲を演奏した。
細野晴臣が中心となったティンパンアレイは、後藤次利を起用し、
「チョッパーズブギー」が演奏されたり、森園勝敏は四人囃子で、
まさにフュージョンと呼べるインスト「レディ・バイオレッタ」を演奏、
17歳でデビューした渡辺香津美も、歪ませたギターを弾いた。
これらは、大半がロックサイドからで、75年のジェフベックによる、
ギターインストが刺激になった気もして、和田アキラのプリズム、
野呂一生のカシオペアは、間違いなく、その影響下にあったろうし、
かくいう自分も、ベックから、ギターインストの世界に入っていく。
ただ、ベックは、クロスオーバーよりは、ロックだと思っていたから、
いわゆるクロスオーバーギタリストとして、自分が聴き始めたのは、
渡辺貞夫が77年にアルバムを作り、バックとしても日本へ呼んだ、
リー・リトナーで、ここから、日本のクロスオーバーブームも始まった。
偶然というか、同じ頃、ラリー・カールトンは五輪真弓バックで来日、
雑誌のヤングギターは、2人を特集し、ギターキッズに火をつけて、
そのブームもあって、ロック畑と共演したアルバムを出したばかりの、
渡辺香津美を中心に、森園、大村に山岸潤史の4人が競演する。
深町純のアルバムで、早い段階でクロスオーバーギターを演奏した、
大村憲司は、フォークグループ赤い鳥の出身で、その実力をかわれ、
スタジオワークもこなしたが、同じくハイファイセットのバックバンドの、
松原正樹も、クロスオーバーギタリストとして、ソロデビューを果たす。
リトナーと同じギブソン335を抱えた写真が、ヤングギターに載って、
「ジャズとは指の運動に過ぎない」と語ったという逸話も紹介されて、
普通なら、「なんだ、こいつは」と思うところ、ヤマハのネム音楽院を、
出ているとの情報もあり、ジャズをマスターしての台詞なのかと感心。
ロックバンド、バウワウのリーダー山本恭司が、ネム音楽院の出身で、
ジャズっぽいフレーズを決めていて、さすがはネムだ、ジャズギターも、
身につけられるんだと、バークリー音楽院を知らない頃、ネムに行き、
理論も教わるのが夢だったので、松原正樹も、すごい人だろうと思う。
「流宇夢サンド」は、まさにリトナーのような、コンプ、フェイザーの音で、
それでも、独自の特徴的なフレーズが多く、ギタープレイヤーだったか、
「このところ、弾きにくいフレーズをやってばかりいて」などと語っていて、
確かに、異弦同フレットや弦とびフレーズが多くて、コピーしづらかった。
その同じ記事だったか、別だったか、「最近、スタジオでコンと一緒に、
なることが多くて」と、新人のスタジオミュージシャンについて語って、
いいなあ、自分もスタジオミュージシャンになって、こんな風に松原に、
認めたもらえたらなあと思ったし、それにしても、コンって誰だと思った。
それが今剛だとわかるのは、2人がパラシュートを結成したときだが、
その前に、ニューミュージックで起用され、ギターソロの名演が多くて
クレジットから名前を知ったか、記憶があいまいだが、ソロアルバムは、
パラシュートが結成されてから、満を持して出たようにと覚えている。
パラシュートは、松原、今のツインギターに、斉藤ノブのパーカッション、
林立夫のドラム、マイク・ダンのベース、安藤芳彦、小林和泉のピアノと、
スタジオミュージシャンにより結成されたが、ボズのバックから誕生した、
TOTOを意識したのか、さらにその成功で、レコードも出せたのか微妙。
松原正樹のギター中心のソロアルバムの延長に、自分は考えていて、
インストが少ないのに、がっかりして、ラジオのエアチェックだけですませ、
後にキーボードが井上鑑になっても、歌モノが相変わらず多かったから、
アルバムは、インストのベスト盤「カラーズ」でようやく買ったというところ。
そのベスト盤には、「ハーキュリー」と、今のソロアルバムの「アガサ」の、
2段書きのスコアがおまけについていて、これは、すごくありがたくって、
ベック「ギター殺人者」も、2曲のギタースコアが掲載されていたのもあり、
インストアルバムは、こうでなくっちゃいけないと、それだけで喜んでいた。
その「ハーキュリー」は、今剛の間奏、松原のエンディングソロが難しくて、
土曜日の午後を使い、ずっと練習し、録音していたが、とうとう時間切れ、
メロディやバッキングも、2人の音色とはかけ離れ、レベルが低いですが、
松原正樹の名曲中の名曲を弾きたくて、「ハーキュリー」をアップしました。
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![]() |
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![]() ようやく松原正樹さんですね。お亡くなりになり一年以上が経ちました・・・。
この曲は私もリアルタイムで完コピしましたね。懐かしいです。イントロのCベースで、半音ずつコードが下がる進行は良いですよね。 本文中の記事も私も正にリアルタイム世代なのでうなずくばかりですね。本当にいい時代でした。ギターを弾くことが楽しかったですよね。いい思い出ですね。 今回はギターのオーバーダブが多くて大変な作業でしたね。オーバーダブは本当に大変な作業ですからね。チョーキングのチューニングにも気を使う作業です。 苦労の後が聴き取れます・・・お疲れ様でした。 カッティングも良い音してます。ソロパートは、少し歪過ぎかなと思いますが、それを上廻る出来ですね。ギターは凄く良いです。 今後もフュージョン系のアップを期待しています。 Les Paul L-5 | URL | 2017/07/16/Sun 06:30 [編集]
![]() いつも、コメントありがとうございます。
> ようやく松原正樹さんですね。お亡くなりになり一年以上が経ちました・・・。 このブログで取り上げようと思いつつ、かなり経ってしまいました。 > この曲は私もリアルタイムで完コピしましたね。懐かしいです。イントロのCベースで、半音ずつコードが下がる進行は良いですよね。 ベースが下がっていくクリシェと違い、ベースが固定で、コードが動く、 こういった進行も、クロスオーバー系の曲で知って、気に入りました。 自分は、耳コピが苦手で、ギターマガジンやヤングギターに載らないと、 お手上げ状態でしたが、Les Paul L-5さんは、すでにプロ活動されて、 ほとんど同じ土俵の上の方々でも、こうした曲を完コピされたのですね。 > 本文中の記事も私も正にリアルタイム世代なのでうなずくばかりですね。本当にいい時代でした。ギターを弾くことが楽しかったですよね。いい思い出ですね。 クロスオーバー、特にギターの全盛期が70年代後半ではなかったでしょうか。 その後の、お洒落なフュージョンブームは、ギターはおとなしかった気がします。 > 今回はギターのオーバーダブが多くて大変な作業でしたね。オーバーダブは本当に大変な作業ですからね。チョーキングのチューニングにも気を使う作業です。 苦労の後が聴き取れます・・・お疲れ様でした。 ツインギターでチョーキングでハモるなんてのは、音程からリリースまで、 かなり気が合わないと難しい気がして、自分の癖へのダブでも厳しいです。 さらに、ソロは22フレのチョーキングも多く、これはダメダメでした・・・。 > カッティングも良い音してます。ソロパートは、少し歪過ぎかなと思いますが、それを上廻る出来ですね。ギターは凄く良いです。 ついつい、ソロパートは調子づいて、マーシャル系の音で歪ませたのですが、 フュージョンは、もう少し上品な歪ませ方がふさわしく、音作りも研究します。 > 今後もフュージョン系のアップを期待しています。 楽譜だけは、けっこう揃ったので、複雑なドラムの打ち込みと、 何よりも、アドリブパートを弾けるように練習し、アップします。 お聴きいただき、ありがとうございました。 ギターマジシャン | URL | 2017/07/16/Sun 07:51 [編集]
![]() う〜ん...自分的には一番苦手なフュージョンっていうか、
ただただ、ギターを弾くのが愉しいぜ!っていう意味では 需要あるのかな?!なんて思ってた音楽ですけど、 何故だか御本人達とは普通にお仕事したり、お話ししたり、 呑んだ勢いで様々相談したり、お宅にお邪魔したり… そんな中では、意外と「パラ」も「ビジネス」と割り切ってる ところがあって、彼らのベースラインでは全くない! っていうドライさが、「おお、やっぱスタジオミュージシャン って、そんなもんなんだなあ」って改めて感心したものです。 「ギターキッズとか、バンド屋にウケるって、わりと簡単なんよ。 それよりも歌謡曲っていう、不特定多数相手に強く印象づける方が よほど難しくてやり甲斐あると….オレは思うよ。だから オマエさんも自分の今の状況を卑下する必要なんか全然ないと 思うよ」 そういって勇気づけられながらも、自分は不義理にも「パラ」は 一切不承知!。 そう言うわけで御免なさい。凄いなあ!しか言えません…。 pipco1980 | URL | 2017/07/16/Sun 13:18 [編集]
![]() いつも、コメントありがとうございます。
> う〜ん...自分的には一番苦手なフュージョンっていうか、 ただただ、ギターを弾くのが愉しいぜ!っていう意味では 需要あるのかな?!なんて思ってた音楽ですけど、 何故だか御本人達とは普通にお仕事したり、お話ししたり、 呑んだ勢いで様々相談したり、お宅にお邪魔したり… そんな中では、意外と「パラ」も「ビジネス」と割り切ってる ところがあって、彼らのベースラインでは全くない! っていうドライさが、「おお、やっぱスタジオミュージシャン って、そんなもんなんだなあ」って改めて感心したものです。 フュージョン、特にクロスオーバーギターとしてブームのときに、 自分も含めギターキッズがとびついたのは、とにかく弾きまくり、 それが楽しいからで、楽器をやらない人には、どうだったのかと、 思いますが、pipco1980さんのようなプロの方にとっても、 そう興味もなく、距離を置かれている方も多かったのですね。 > 「ギターキッズとか、バンド屋にウケるって、わりと簡単なんよ。 それよりも歌謡曲っていう、不特定多数相手に強く印象づける方が よほど難しくてやり甲斐あると….オレは思うよ。だから オマエさんも自分の今の状況を卑下する必要なんか全然ないと 思うよ」 パラシュートが全面参加の寺尾聰のアルバムは、すごい作品ですし、 スペクトラムやAB’sなど、フュージョンに近いスタンスながら、 歌モノもやるし、歌謡曲のバックも支えた実力派が多かったです。 > そういって勇気づけられながらも、自分は不義理にも「パラ」は 一切不承知!。 そう言うわけで御免なさい。凄いなあ!しか言えません…。 自分の演奏はお恥ずかしい限りですが、当然に本物は凄いですし、 パラシュート、松原正樹のライブ映像は、アドリブも見事です。 お聴きいただき、ありがとうございました。 ギターマジシャン | URL | 2017/07/16/Sun 15:07 [編集]
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