僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
中学時代は、最後に出たLPである「レット・イット・ビー」が、
最後の録音で、映画のラスト、屋上のライブが最後の姿と、
思い込んでいたが、実際は、翌日にスタジオライブを撮影、
発売が前後した「アビイ・ロード」も、引き続いて録音された。
今では、ビートルズの最後の録音は、翌70年1月とされて、
サントラ盤でもある「レット・イット・ビー」に、映画で使った曲、
「アイ・ミー・マイン」が入っていないのは、まずいとの理由で、
ジョンを除く3人が集まり、翌日、他の曲へのダビングもした。
このとき、もうジョンは来る気がなかったのか、映画の中では、
「アイ・ミー・マイン」の演奏中、ジョンはヨーコと2人で踊って、
そこでは楽器も歌もやっていないから、構わないのだろうが、
ポールの脱退発言を待つまでもなく、ジョンは抜けていたか。
ジョンが最後に参加した、つまりは4人が揃う最後の録音は、
69年8月20日の「アイ・ウォント・ユー」で、あまりにも有名な、
「アビイ・ロード」のジャケット写真は、8月8日に撮影されたが、
最後に揃う写真は、米盤「ヘイ・ジュード」の8月22日となる。
ジョンは、カナダのトロントのライブに、9月13日に出演して、
まだ「アビイ・ロード」も「レット・イット・ビー」も、発売される前、
ソロで聴衆の前で演奏し、同行したエリック・クラプトンらには、
もうビートルズを抜けると話して、かん口令が敷かれたとか。
ただ9月末、ライブで披露した「冷たい七面鳥」を録音する際、
ジョンはビートルズ名で出そうとしたが、ポールやジョージが、
反対し実現しなかったそうで、ビートルズを抜けると言いつつ、
自分のシングル盤には、ビートルズのブランドが欲しかったか。
「冷たい七面鳥」は、プラスティック・オノ・バンド名で発売され、
オノ・バンドの第1弾「平和を我らに」では、作曲のクレジットが、
レノン=マッカートニーだったのが、今回からジョン・レノンで、
ソロとして独立する、ビートルズをやめるという表明にも思える。
この前後だろうが、「アビイ・ロード」の出来ばえに手応えを感じ、
ポールが、またライブを始めよう、次のアルバムはと熱く語ると、
ジョンは、ポールの顔をまじまじと見て、「お前はバカか?」と、
あきれたように言ったそうで、その時のポールの心境やいかに。
映画「1976ダコタハウスにて」で、TVでビートルズの再結成を、
呼びかけているのを見たジョンが、「よし、これから2人で行くぞ、
ギターを持って来いよ。」と盛り上がるジョンに、あきれながらも、
どこか嬉しくなったポールが、車までギターを取りに行った場面。
2台のギターを抱えてポールが戻ると、ジョンは電話に出ていて、
どうやら相手はヨーコらしく、もうジョンは、さっきのことなど忘れ、
手振りでサヨナラをして、察したポールは、もの悲しげな表情で、
「じゃあ、またね、ジョン」と声をかけ、ダコタハウスをあとにする。
映画「バックビート」で、ベースの練習もせず、バンドへの情熱も、
失っているスチュを首にしようと言うと、「あいつをやめさせるなら、
俺もバンドを抜ける。」とジョンが怒り、「いいや、抜ける訳ないさ。
君はやめないよ。」と、必死の形相で言い返すポールも浮かぶ。
どちらも映画の場面だが、実際にそんなやりとりはあったと思い、
その際のポールの気持ちを思うと、何とも、心が痛んでしまうが、
10代の頃から、きっとポールは、そんな感じで振り回されてきて、
こちらが心配するほど、繊細でもなく、わりと無頓着かもしれない。
ジョンの名義で出た「冷たい七面鳥」は、そのタイトルの意味が、
麻薬の禁断症状のことなので、ポールたちは嫌悪感を示したし、
ラジオで放送禁止になったそうだが、逆に、麻薬撲滅を訴える、
キャンペーンソングだくらいに主張しても、だめだったのだろうか。
この曲は、初演したトロントのライブに加え、ジョージも参加した、
2枚組「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」のライブもあるし、
TV放映された「ワン・トゥ・ワン・コンサート」で、演奏したものが、
後に「ライブ・イン・ニューヨーク・シティ」として、ライブ盤で発売。
トロントは、初演だったせいか、バンドメンバーも初顔合わせで、
飛行機内で、簡単な打ち合わせのみで、ライブに臨んだせいか、
印象的なリフは、まだ出てなくて、ジョンは、生音に近い音色で、
コードを鳴らして、まるでCCRの「プラウド・メアリー」のような感じ。
クラプトンは、歌のバックでも、ギターを弾きまくるが、その音は、
ヨーコの叫び声にかき消されていて、鶏をしめ殺したというか、
ウッドペッカーがおかしくなったというか、ヨーコがメインの曲より、
ましなのだろうが、ジョンに音楽面で譲れない一線はないのか。
カナダのライブへ出ないかと、ジョージにも声をかけたそうだが、
前衛的バンドをやるつもりはないと、断ったそうで、ジョージには、
どうせ、「未完成第2番」みたいなことになると、達観してたのか、
「京子ちゃん」はまだしも、「平和の願いを」は前衛の最たるもの。
そのジョージも共演したのが、「サムタイム~」でのライブサイド、
ザッパバンドとの共演も含む2枚目の方で、「冷たい七面鳥」は、
ビリー・プレストン、クラプトンに、デラニー&ボニーまで参加して、
ピアノやホーンも加わり、こなれた演奏だが、長すぎる気もする。
「ワン・トゥ・ワン」は、何より映像があり、ミリタリールックを着て、
青いサングラスのジョンが格好良くて、それだけで、もう十分で、
演奏などどうでもよくなるが、ジョンのレスポールJrも良い音だし、
バックのエレファンツ・メモリー、ジム・ケルトナーも安定した演奏。
ただ、自分がビートルズに夢中だった中学時代、ジョンのソロは、
75年の「ロックン・ロール」と、ベスト盤「シェイブド・フィッシュ」を、
買ったくらいで、他のLPは借りもしないから、「冷たい七面鳥」は、
ベスト収録のシングル盤バージョン以外、聴いたことがなかった。
ブルースの定番フレーズから始まるイントロは、格好良かったし、
ディープ・パープルや、レッド・ツェッペリンといった定番ロックさえ、
聴かなかった当時の自分には、「ヘルター・スケルター」と同様に、
歪んだギターの音を、最初は騒がしく感じて、やがて気に入る。
メインのリフは、ギター2本なのか、ディレイのダブリングなのか、
さらに、リズムも、スコアでは、8分音符がメインとなっているが、
16分音符の返しも聴こえるようで、ジョン本人のライブで見ると、
せわしく右手をピッキングしてして、それでもダウンが中心のよう。
エンディングは、4小節パターンを延々と、12回も繰り返していて、
リードギターはクラプトンだろうか、後半8回目あたりから始まるが、
音を伸ばしているフレーズがメインで、とにかく、ジョンが叫んだり、
呻いて、禁断症状を表わし、ヨーコよりましとはいえ、ひいてしまう。
リズム隊は、おそらくトロントと同じ、クラウス・フォアマンのベース、
アラン・ホワイトのドラムで、ウィキペディアでは、リンゴとあるが、
リンゴは、こんな機械的な叩き方はしないはずで、後にイエスにも、
抜擢されるアランの、良くも悪くも、正確なドラミングのように思う。
ジョンもトロントやニューヨークのライブと違い、淡々と歌っていて、
リズム隊が無機質に演奏するのも、中毒患者が真っ白い部屋に、
閉じ込められて、自分の鼓動だけ響く中、禁断症状に苦しみつつ、
薬物依存から脱却していく、近未来的映像が浮かび上がってくる。
最後の最後、ドラムとベースが止まり、無伴奏でリフを弾いたまま、
フィードバックのように音が伸びると、逆回転のような和音が鳴り、
さらに、アルペジオの逆回転早送りのような、奇妙な音になるのを、
スローアタックやリバースディレイで試すが、なかなか再現できず。
現役ビートルズでいながら、ジョン・レノンが完全にソロ名義にした、
「冷たい七面鳥(コールド・ターキー)」は、独特の歌い方が難しいし、
最後の叫びや呻きは、なかなか思い切れずに、中途半端となって、
自分は、前衛家でも芸術家でもないと、あらためて思い知りました。
最後の録音で、映画のラスト、屋上のライブが最後の姿と、
思い込んでいたが、実際は、翌日にスタジオライブを撮影、
発売が前後した「アビイ・ロード」も、引き続いて録音された。
今では、ビートルズの最後の録音は、翌70年1月とされて、
サントラ盤でもある「レット・イット・ビー」に、映画で使った曲、
「アイ・ミー・マイン」が入っていないのは、まずいとの理由で、
ジョンを除く3人が集まり、翌日、他の曲へのダビングもした。
このとき、もうジョンは来る気がなかったのか、映画の中では、
「アイ・ミー・マイン」の演奏中、ジョンはヨーコと2人で踊って、
そこでは楽器も歌もやっていないから、構わないのだろうが、
ポールの脱退発言を待つまでもなく、ジョンは抜けていたか。
ジョンが最後に参加した、つまりは4人が揃う最後の録音は、
69年8月20日の「アイ・ウォント・ユー」で、あまりにも有名な、
「アビイ・ロード」のジャケット写真は、8月8日に撮影されたが、
最後に揃う写真は、米盤「ヘイ・ジュード」の8月22日となる。
ジョンは、カナダのトロントのライブに、9月13日に出演して、
まだ「アビイ・ロード」も「レット・イット・ビー」も、発売される前、
ソロで聴衆の前で演奏し、同行したエリック・クラプトンらには、
もうビートルズを抜けると話して、かん口令が敷かれたとか。
ただ9月末、ライブで披露した「冷たい七面鳥」を録音する際、
ジョンはビートルズ名で出そうとしたが、ポールやジョージが、
反対し実現しなかったそうで、ビートルズを抜けると言いつつ、
自分のシングル盤には、ビートルズのブランドが欲しかったか。
「冷たい七面鳥」は、プラスティック・オノ・バンド名で発売され、
オノ・バンドの第1弾「平和を我らに」では、作曲のクレジットが、
レノン=マッカートニーだったのが、今回からジョン・レノンで、
ソロとして独立する、ビートルズをやめるという表明にも思える。
この前後だろうが、「アビイ・ロード」の出来ばえに手応えを感じ、
ポールが、またライブを始めよう、次のアルバムはと熱く語ると、
ジョンは、ポールの顔をまじまじと見て、「お前はバカか?」と、
あきれたように言ったそうで、その時のポールの心境やいかに。
映画「1976ダコタハウスにて」で、TVでビートルズの再結成を、
呼びかけているのを見たジョンが、「よし、これから2人で行くぞ、
ギターを持って来いよ。」と盛り上がるジョンに、あきれながらも、
どこか嬉しくなったポールが、車までギターを取りに行った場面。
2台のギターを抱えてポールが戻ると、ジョンは電話に出ていて、
どうやら相手はヨーコらしく、もうジョンは、さっきのことなど忘れ、
手振りでサヨナラをして、察したポールは、もの悲しげな表情で、
「じゃあ、またね、ジョン」と声をかけ、ダコタハウスをあとにする。
映画「バックビート」で、ベースの練習もせず、バンドへの情熱も、
失っているスチュを首にしようと言うと、「あいつをやめさせるなら、
俺もバンドを抜ける。」とジョンが怒り、「いいや、抜ける訳ないさ。
君はやめないよ。」と、必死の形相で言い返すポールも浮かぶ。
どちらも映画の場面だが、実際にそんなやりとりはあったと思い、
その際のポールの気持ちを思うと、何とも、心が痛んでしまうが、
10代の頃から、きっとポールは、そんな感じで振り回されてきて、
こちらが心配するほど、繊細でもなく、わりと無頓着かもしれない。
ジョンの名義で出た「冷たい七面鳥」は、そのタイトルの意味が、
麻薬の禁断症状のことなので、ポールたちは嫌悪感を示したし、
ラジオで放送禁止になったそうだが、逆に、麻薬撲滅を訴える、
キャンペーンソングだくらいに主張しても、だめだったのだろうか。
この曲は、初演したトロントのライブに加え、ジョージも参加した、
2枚組「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」のライブもあるし、
TV放映された「ワン・トゥ・ワン・コンサート」で、演奏したものが、
後に「ライブ・イン・ニューヨーク・シティ」として、ライブ盤で発売。
トロントは、初演だったせいか、バンドメンバーも初顔合わせで、
飛行機内で、簡単な打ち合わせのみで、ライブに臨んだせいか、
印象的なリフは、まだ出てなくて、ジョンは、生音に近い音色で、
コードを鳴らして、まるでCCRの「プラウド・メアリー」のような感じ。
クラプトンは、歌のバックでも、ギターを弾きまくるが、その音は、
ヨーコの叫び声にかき消されていて、鶏をしめ殺したというか、
ウッドペッカーがおかしくなったというか、ヨーコがメインの曲より、
ましなのだろうが、ジョンに音楽面で譲れない一線はないのか。
カナダのライブへ出ないかと、ジョージにも声をかけたそうだが、
前衛的バンドをやるつもりはないと、断ったそうで、ジョージには、
どうせ、「未完成第2番」みたいなことになると、達観してたのか、
「京子ちゃん」はまだしも、「平和の願いを」は前衛の最たるもの。
そのジョージも共演したのが、「サムタイム~」でのライブサイド、
ザッパバンドとの共演も含む2枚目の方で、「冷たい七面鳥」は、
ビリー・プレストン、クラプトンに、デラニー&ボニーまで参加して、
ピアノやホーンも加わり、こなれた演奏だが、長すぎる気もする。
「ワン・トゥ・ワン」は、何より映像があり、ミリタリールックを着て、
青いサングラスのジョンが格好良くて、それだけで、もう十分で、
演奏などどうでもよくなるが、ジョンのレスポールJrも良い音だし、
バックのエレファンツ・メモリー、ジム・ケルトナーも安定した演奏。
ただ、自分がビートルズに夢中だった中学時代、ジョンのソロは、
75年の「ロックン・ロール」と、ベスト盤「シェイブド・フィッシュ」を、
買ったくらいで、他のLPは借りもしないから、「冷たい七面鳥」は、
ベスト収録のシングル盤バージョン以外、聴いたことがなかった。
ブルースの定番フレーズから始まるイントロは、格好良かったし、
ディープ・パープルや、レッド・ツェッペリンといった定番ロックさえ、
聴かなかった当時の自分には、「ヘルター・スケルター」と同様に、
歪んだギターの音を、最初は騒がしく感じて、やがて気に入る。
メインのリフは、ギター2本なのか、ディレイのダブリングなのか、
さらに、リズムも、スコアでは、8分音符がメインとなっているが、
16分音符の返しも聴こえるようで、ジョン本人のライブで見ると、
せわしく右手をピッキングしてして、それでもダウンが中心のよう。
エンディングは、4小節パターンを延々と、12回も繰り返していて、
リードギターはクラプトンだろうか、後半8回目あたりから始まるが、
音を伸ばしているフレーズがメインで、とにかく、ジョンが叫んだり、
呻いて、禁断症状を表わし、ヨーコよりましとはいえ、ひいてしまう。
リズム隊は、おそらくトロントと同じ、クラウス・フォアマンのベース、
アラン・ホワイトのドラムで、ウィキペディアでは、リンゴとあるが、
リンゴは、こんな機械的な叩き方はしないはずで、後にイエスにも、
抜擢されるアランの、良くも悪くも、正確なドラミングのように思う。
ジョンもトロントやニューヨークのライブと違い、淡々と歌っていて、
リズム隊が無機質に演奏するのも、中毒患者が真っ白い部屋に、
閉じ込められて、自分の鼓動だけ響く中、禁断症状に苦しみつつ、
薬物依存から脱却していく、近未来的映像が浮かび上がってくる。
最後の最後、ドラムとベースが止まり、無伴奏でリフを弾いたまま、
フィードバックのように音が伸びると、逆回転のような和音が鳴り、
さらに、アルペジオの逆回転早送りのような、奇妙な音になるのを、
スローアタックやリバースディレイで試すが、なかなか再現できず。
現役ビートルズでいながら、ジョン・レノンが完全にソロ名義にした、
「冷たい七面鳥(コールド・ターキー)」は、独特の歌い方が難しいし、
最後の叫びや呻きは、なかなか思い切れずに、中途半端となって、
自分は、前衛家でも芸術家でもないと、あらためて思い知りました。
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![]() |
|
![]() ギターマジシャンさん こんにちは。
“コールド・ターキー”、最高に格好いいですね。 私的には、ヒット・チャート№1を取ってもいい曲だと思いますが、 チャートは振るわず、理由の一つとしてMBE勲章を返還しました。 トロント・バージョンは、まだ発売前の状態で生々しく印象的な ギターもありませんが、そこがいいですね。 仰る通り、ポールはジョンに振り回され、曲の叫び、呻きは ヨーコの影響で、後のプライマル療法へと続く予感がします。 お疲れ様でした。 マサジョン | URL | 2016/07/31/Sun 11:58 [編集]
![]() いつも、コメントありがとうございます。
> ギターマジシャンさん こんにちは。 “コールド・ターキー”、最高に格好いいですね。 中学時代、最初は、うるさくて不気味に感じましたが、 次第に、リフの格好良さとか、やみつきになりました。 > 私的には、ヒット・チャート№1を取ってもいい曲だと思いますが、 チャートは振るわず、理由の一つとしてMBE勲章を返還しました。 平和活動、戦争への抗議ならともかく、チャートが下降したからは、 いつものジョンのギャグだったのか、何ともジョンらしいですよね。 > トロント・バージョンは、まだ発売前の状態で生々しく印象的な ギターもありませんが、そこがいいですね。 あのアレンジはアレンジで、けっこうよい感じですね。 > 仰る通り、ポールはジョンに振り回され、曲の叫び、呻きは ヨーコの影響で、後のプライマル療法へと続く予感がします。 リンゴは「ジョンは、毎日言うことが変わる」と言っていて、 昔から、みんな振り回されていて、ある意味慣れっこなのか。 確かに、プライマルスクリームの叫びへと、つながりそうです。 > お疲れ様でした。 お聴きいただき、ありがとうございました。 ギターマジシャン | URL | 2016/07/31/Sun 14:14 [編集]
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