僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
中2の74年、荘村清志が講師の、NHK「ギターをひこう」で、
毎週、番組の最後に、クラシックギターの名曲を弾いてくれる、
ミニミニ・コンサートや、3月末の最終回、卒業発表会の曲が、
自分にとって、クラシックギターの定番の曲と、なっていった。
前・後期のテキストや、ギターを覚えようと、中1の時に買った、
阿部保夫の「NHKギター教室~教則編」、「~名曲編」を見て、
そうした、ソルやタレガの曲を練習したが、番組のテーマ曲の、
「鐘の音」や、カタロニア民謡「聖母の御子」は、載っていない。
版権のせいだろうか、テーマ曲の楽譜が載らないテキストは、
おそらく、その回だけだろうし、ペルナンブーコの「鐘の音」が、
当時は、ヴィラ・ロボス「ショーロ」として紹介され、このあたり、
荘村本人に、今からでも、語ってほしいことは、たくさんある。
高校に入り、ロックギターのうまい同級生が、たくさんいる中で、
クラシックギターを習っていて、「アランブラ宮殿」は、当然弾き、
プログレッシブロックが好きだと、フォーカスというバンドの曲も、
指弾きでこなす友人がいて、「ギターをひこう」のことを話した。
「聖母の御子」なら、ギター教室で習って、楽譜を持っていると、
貸してくれたが、番組で録音したテープや、荘村のレコードとは、
ところどころ、和音が違っていて、友人に言うと、編曲ものでは、
よくあるそうで、実際、「グリーン・スリーブス」などがそうだった。
77年に出た、現代ギターの臨時増刊、「ギター音楽ガイド」の、
「ギター・レパートリー・555」では、作者不詳の欄に分類されて、
「しばしば、リョベート編民謡と思われているが、実際の編者は、
セゴビアらしい。」とあり、荘村のLPには、「セゴビア編」と明記。
同ガイドのLP紹介欄の、イエペス「カタロニア民謡を弾く」でも、
「聖母の御子(セゴビア編)」とあり、他のLPは、編者表記なし、
広告ページの、「ギタルラ社の輸入ギターピース150」の方は、
編曲がフェゲランという人で、こちらは、ほとんど知らない名前。
友人が持っていたのは、おそらくギタルラ社の楽譜だと思うが、
作曲でも編曲でもなく、題名の横に、リョベートと書かれていて、
これも版や出版社が違うものなのか、書誌学的研究でもないが、
いろいろ調べていくと、面白そうで、いずれ取り組みたいと思う。
80年、小原聖子が講師の「ギターをひこう」は、後期テキストに、
「鐘の音」や「聖母の御子」が載って、中級編の最初に出てくる、
「聖母の御子」には、はっきりと、「リョベート編曲」だと書かれて、
荘村のセゴビア編とは、テーマの繰り返しも、和音も違っている。
もともと耳コピが苦手で、まして和音を取るのは、不可能なので、
長年、このリョベート編で練習しているが、その後に入手したもの、
現代ギター社「クラシックギター名曲集・帰ってきたてんこもり」や、
リットー「クラシックギターのしらべ」でも、それぞれに違っている。
自分は持っていないが、81年に、再度、荘村が講師となった際、
後期テキストに、「聖母の御子」が載ったそうだし、つい何年か前、
教育テレビ「趣味悠々」で、やはり荘村のギター講座が始まって、
そのテキストにも載ったそうだが、セゴビア編だったのかは不明。
荘村のセゴビア編と、小原のリョベート編の違いの大きい部分は、
メロディの繰り返しを、Aメロ、Bメロと考えたときに、荘村の場合、
Bメロを繰り返す前に、Aメロの一部を弾き、ジョン・ウィリアムスも、
ゴンザレスも、そう弾くが、小原版は、Bメロを、そのまま繰り返す。
4小節目で、和音が2拍目に弾くか、3拍目か、という違いもあり、
荘村は2拍目、小原は3拍目、さらに和音を構成する音に関して、
荘村、小原どちらも、ソの音に#がついて、E7のコードとなるが、
ギタルラ版だと、ソはナチュラルで、普通のGコードの響きになる。
録音で比べると、荘村清志は、73年「アルハンブラの想い出」や、
92年「カタロニア郷愁」でも、セゴビア編とされる演奏をしていて、
ベスト盤CDのジョン・ウィリアムスも、リョベート編の表記なのに、
一部を単音メロディにした以外は、セゴビア編と、まったく同じに。
ホセ・ルイス・ゴンザレスは、かなり、リズムをはねての演奏だが、
セゴビア編に近いし、菊池真知子は、小原のテキストに出ている、
リョベート編に忠実で、「名曲てんこもり」の毛塚巧一、「しらべ」の、
斉藤松男は、リョベート編の和音を、ところどころ、変更している。
肝心のセゴビアの演奏は、晩年の映像が、YouTubeに出ていて、
メロディの繰り返しは、セゴビア編とされる、荘村と同じなのだが、
和音は、すごくシンプルな響きがするし、細かい部分も違うようで、
セゴビア校訂の楽譜は出ていないから、何が正しいのかは不明。
原曲が、カタロニア民謡というのも、実はガリシア地方の曲だと、
別の説まであり、だから、リョベートは自身が編曲しているのに、
「カタロニア民謡集」に加えなかったと、調べるときりがないほど、
ただし、スペインのクリスマス・キャロルというのは、間違いない。
題名の「聖母の御子」は、LPの邦題によって、「聖母とその子」、
「マリアの子」と異なるが、マリアとキリストのことを指しているし、
幼い頃に覚えた、「きよしこの夜」の歌で、「救いのみこ(御子)は、
みはは(御母)の胸に~」と、あるのと同様に、生誕を祝う歌詞。
自分も、幼稚園に通う前後から、小さなクリスマスツリーを飾って、
「きよしこの夜」や、「ジングル・ベル」のレコードをかけ、歌ったが、
御子とか御母の意味も知らず、ただ、歌詞を覚えて、口ずさんで、
絵本で、ベツレヘムがどうした、こうしたと、地名まで覚えていた。
このあたりは、日本の童謡でも同じことで、文語体や雅語などが、
いりまじっていたり、単語の意味も知らないまま、覚えていったが、
よくよく考えると、別の漢字を充てはめ、意味を取り違えていたり、
いまだに、何のことかわからない歌詞も、たくさんあると、気づく。
スペインの子供たちにとって、「聖母と御子」は、そうした歌だから、
ギター編曲は誰だとか、和音がどうしただのは、余計な話だろうし、
91年のバルセロナ・ギターフェスで、鈴木一郎が、ギター伴奏して、
現地の人が高らかに歌ったように、今後も歌い継がれるのだろう。
自分のクラシックギターの原点、荘村清志の「ギターをひこう」で、
気に入った、クリスマス・キャロルの「聖母の御子」を、同じ番組の、
小原聖子のテキストの、リョベート編曲で、30年以上弾いてきて、
慣れ親しんだものが一番と、クリスマスにちなんで、演奏しました。
毎週、番組の最後に、クラシックギターの名曲を弾いてくれる、
ミニミニ・コンサートや、3月末の最終回、卒業発表会の曲が、
自分にとって、クラシックギターの定番の曲と、なっていった。
前・後期のテキストや、ギターを覚えようと、中1の時に買った、
阿部保夫の「NHKギター教室~教則編」、「~名曲編」を見て、
そうした、ソルやタレガの曲を練習したが、番組のテーマ曲の、
「鐘の音」や、カタロニア民謡「聖母の御子」は、載っていない。
版権のせいだろうか、テーマ曲の楽譜が載らないテキストは、
おそらく、その回だけだろうし、ペルナンブーコの「鐘の音」が、
当時は、ヴィラ・ロボス「ショーロ」として紹介され、このあたり、
荘村本人に、今からでも、語ってほしいことは、たくさんある。
高校に入り、ロックギターのうまい同級生が、たくさんいる中で、
クラシックギターを習っていて、「アランブラ宮殿」は、当然弾き、
プログレッシブロックが好きだと、フォーカスというバンドの曲も、
指弾きでこなす友人がいて、「ギターをひこう」のことを話した。
「聖母の御子」なら、ギター教室で習って、楽譜を持っていると、
貸してくれたが、番組で録音したテープや、荘村のレコードとは、
ところどころ、和音が違っていて、友人に言うと、編曲ものでは、
よくあるそうで、実際、「グリーン・スリーブス」などがそうだった。
77年に出た、現代ギターの臨時増刊、「ギター音楽ガイド」の、
「ギター・レパートリー・555」では、作者不詳の欄に分類されて、
「しばしば、リョベート編民謡と思われているが、実際の編者は、
セゴビアらしい。」とあり、荘村のLPには、「セゴビア編」と明記。
同ガイドのLP紹介欄の、イエペス「カタロニア民謡を弾く」でも、
「聖母の御子(セゴビア編)」とあり、他のLPは、編者表記なし、
広告ページの、「ギタルラ社の輸入ギターピース150」の方は、
編曲がフェゲランという人で、こちらは、ほとんど知らない名前。
友人が持っていたのは、おそらくギタルラ社の楽譜だと思うが、
作曲でも編曲でもなく、題名の横に、リョベートと書かれていて、
これも版や出版社が違うものなのか、書誌学的研究でもないが、
いろいろ調べていくと、面白そうで、いずれ取り組みたいと思う。
80年、小原聖子が講師の「ギターをひこう」は、後期テキストに、
「鐘の音」や「聖母の御子」が載って、中級編の最初に出てくる、
「聖母の御子」には、はっきりと、「リョベート編曲」だと書かれて、
荘村のセゴビア編とは、テーマの繰り返しも、和音も違っている。
もともと耳コピが苦手で、まして和音を取るのは、不可能なので、
長年、このリョベート編で練習しているが、その後に入手したもの、
現代ギター社「クラシックギター名曲集・帰ってきたてんこもり」や、
リットー「クラシックギターのしらべ」でも、それぞれに違っている。
自分は持っていないが、81年に、再度、荘村が講師となった際、
後期テキストに、「聖母の御子」が載ったそうだし、つい何年か前、
教育テレビ「趣味悠々」で、やはり荘村のギター講座が始まって、
そのテキストにも載ったそうだが、セゴビア編だったのかは不明。
荘村のセゴビア編と、小原のリョベート編の違いの大きい部分は、
メロディの繰り返しを、Aメロ、Bメロと考えたときに、荘村の場合、
Bメロを繰り返す前に、Aメロの一部を弾き、ジョン・ウィリアムスも、
ゴンザレスも、そう弾くが、小原版は、Bメロを、そのまま繰り返す。
4小節目で、和音が2拍目に弾くか、3拍目か、という違いもあり、
荘村は2拍目、小原は3拍目、さらに和音を構成する音に関して、
荘村、小原どちらも、ソの音に#がついて、E7のコードとなるが、
ギタルラ版だと、ソはナチュラルで、普通のGコードの響きになる。
録音で比べると、荘村清志は、73年「アルハンブラの想い出」や、
92年「カタロニア郷愁」でも、セゴビア編とされる演奏をしていて、
ベスト盤CDのジョン・ウィリアムスも、リョベート編の表記なのに、
一部を単音メロディにした以外は、セゴビア編と、まったく同じに。
ホセ・ルイス・ゴンザレスは、かなり、リズムをはねての演奏だが、
セゴビア編に近いし、菊池真知子は、小原のテキストに出ている、
リョベート編に忠実で、「名曲てんこもり」の毛塚巧一、「しらべ」の、
斉藤松男は、リョベート編の和音を、ところどころ、変更している。
肝心のセゴビアの演奏は、晩年の映像が、YouTubeに出ていて、
メロディの繰り返しは、セゴビア編とされる、荘村と同じなのだが、
和音は、すごくシンプルな響きがするし、細かい部分も違うようで、
セゴビア校訂の楽譜は出ていないから、何が正しいのかは不明。
原曲が、カタロニア民謡というのも、実はガリシア地方の曲だと、
別の説まであり、だから、リョベートは自身が編曲しているのに、
「カタロニア民謡集」に加えなかったと、調べるときりがないほど、
ただし、スペインのクリスマス・キャロルというのは、間違いない。
題名の「聖母の御子」は、LPの邦題によって、「聖母とその子」、
「マリアの子」と異なるが、マリアとキリストのことを指しているし、
幼い頃に覚えた、「きよしこの夜」の歌で、「救いのみこ(御子)は、
みはは(御母)の胸に~」と、あるのと同様に、生誕を祝う歌詞。
自分も、幼稚園に通う前後から、小さなクリスマスツリーを飾って、
「きよしこの夜」や、「ジングル・ベル」のレコードをかけ、歌ったが、
御子とか御母の意味も知らず、ただ、歌詞を覚えて、口ずさんで、
絵本で、ベツレヘムがどうした、こうしたと、地名まで覚えていた。
このあたりは、日本の童謡でも同じことで、文語体や雅語などが、
いりまじっていたり、単語の意味も知らないまま、覚えていったが、
よくよく考えると、別の漢字を充てはめ、意味を取り違えていたり、
いまだに、何のことかわからない歌詞も、たくさんあると、気づく。
スペインの子供たちにとって、「聖母と御子」は、そうした歌だから、
ギター編曲は誰だとか、和音がどうしただのは、余計な話だろうし、
91年のバルセロナ・ギターフェスで、鈴木一郎が、ギター伴奏して、
現地の人が高らかに歌ったように、今後も歌い継がれるのだろう。
自分のクラシックギターの原点、荘村清志の「ギターをひこう」で、
気に入った、クリスマス・キャロルの「聖母の御子」を、同じ番組の、
小原聖子のテキストの、リョベート編曲で、30年以上弾いてきて、
慣れ親しんだものが一番と、クリスマスにちなんで、演奏しました。
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![]() |
|
![]() クラシックギターで 弾いていないのに、、どうして こう歌えるんだろうと・・
メロディーのつなぎと 自分の中で歌えているからでしょうねーー >作曲でも編曲でもなく、題名の横に、リョベートと書かれていて、 そう とにかく ギターをひこう の頃は まだ 楽譜の存在自体 とにかく手に入れて 弾こうみたいな 頃で 出どころまでは ?だったのでしょうね。 ジョンは 確かにテクニックなど 素敵で 流行したギタリストですが アメリカナイズみたいな・・・アメリカ人としての 感覚でアレンジしなおしているような気がします とくに 横尾さんの さくら変奏曲は 日本人の心という面では はしょってしまっているから。 たぶん、それは 才能があるが故、簡単に楽譜を書き変えられたという 腕のなせる技でこれらが 逆に災いして 本物の民謡からは 少し離れた感覚で 仕上がっているような気もします。いずれも 元譜というのが とても大切だと・・その上で 演奏することの大切さを感じます。小原先生は その面ではとても忠実なような気がします。 ちなみに https://www.youtube.com/watch?v=efxs1iIY6NQ おもしろい歌詞を 今日は 教えてもらったばかりなのです これ ↓ 凍った12月はこそこそ逃げた 花を飾った4月を世界中が讃える 愛の園に一輪の貴いバラが生まれた 祖先が引き起こした世界の暗闇に今太陽が現れたのだ… よく 歌われるのは ↓こちらなのですけれどね。 聖母様(お母さん)のかわいい坊やに 何を差し上げましょう。干し葡萄(ぶどう)、 いちじく、クルミにオリーブ… 今宵は冷えるので上掛けをあげましょうか。 そして歌も謡ってあげましょう… なんだそうです ・・・(長くなって ごめんなさーーい) kao | URL | 2014/12/20/Sat 20:59 [編集]
![]() いつも、コメントありがとうございます。
> クラシックギターで 弾いていないのに、、どうして こう歌えるんだろうと・・ メロディーのつなぎと 自分の中で歌えているからでしょうねーー 楽譜を手に入れ、きちんと弾いたのは、ずっと後ですが、 中学時代に覚えたメロディなので、心で歌っていますね。 > >作曲でも編曲でもなく、題名の横に、リョベートと書かれていて、 > そう とにかく ギターをひこう の頃は まだ 楽譜の存在自体 とにかく手に入れて 弾こうみたいな 頃で 出どころまでは ?だったのでしょうね。 東京音楽アカデミーの教材でも、同じような感じでしたし、 あまり、作曲者、編曲者へのこだわりもなかったようです。 > ジョンは 確かにテクニックなど 素敵で 流行したギタリストですが アメリカナイズみたいな・・・アメリカ人としての 感覚でアレンジしなおしているような気がします とくに 横尾さんの さくら変奏曲は 日本人の心という面では はしょってしまっているから。 たぶん、それは 才能があるが故、簡単に楽譜を書き変えられたという 腕のなせる技でこれらが 逆に災いして 本物の民謡からは 少し離れた感覚で 仕上がっているような気もします。いずれも 元譜というのが とても大切だと・・その上で 演奏することの大切さを感じます。小原先生は その面ではとても忠実なような気がします。 ジョン・ウィリアムスは、セゴビアの愛弟子と言われながら、 ロックグループのスカイを結成し、エレキまで弾いた人だし、 パークニングやロメロとは違い、我が道を行く人なのでしょう。 > ちなみに https://www.youtube.com/watch?v=efxs1iIY6NQ おもしろい歌詞を 今日は 教えてもらったばかりなのです これ ↓ 凍った12月はこそこそ逃げた 花を飾った4月を世界中が讃える 愛の園に一輪の貴いバラが生まれた 祖先が引き起こした世界の暗闇に今太陽が現れたのだ… よく 歌われるのは ↓こちらなのですけれどね。 聖母様(お母さん)のかわいい坊やに 何を差し上げましょう。干し葡萄(ぶどう)、 いちじく、クルミにオリーブ… 今宵は冷えるので上掛けをあげましょうか。 そして歌も謡ってあげましょう… なんだそうです ・・・(長くなって ごめんなさーーい) 自分も知っているのは、下の歌詞、一般的な方ですが、 「凍った12月」なんて、アリスの世界のようですね。 ギターマジシャン | URL | 2014/12/20/Sat 23:40 [編集]
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