僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
カルカッシやソルの練習曲と並んで、初級向教則本で、
おなじみとなっている曲の中に、カルリの練習曲があり、
「ギターをひこう」のテキストには、あまり載っていないが、
阿部保夫の「ギター教室~教則編」は、前半に多く出る。
通信講座で有名な、東京音楽アカデミーのテキストでも、
初級編に出てくる曲は、ほとんどカルリの曲という感じで、
「魔笛」や「グラン・ソロ」の曲で知られる、ソルとは違って、
カルカッシと同様に、練習曲に親しんできたのが、実感。
その中でも、有名というか、いくつかの教則本で見る曲が、
「まどろみ」という副題だった気がして、あちこちを探したら、
芳志戸幹雄「ギターをひこう」で、この曲と見開きページで、
「まどろみ」という曲が載り、それを、ずっと勘違いしていた。
鈴木巌「クラシック・ギター教室・全3巻」では、1巻の最後、
ある意味、初級前編での集大成となる、曲の位置づけで、
転調した後半部もある、長い曲となり、阿部保夫教則本や、
芳志戸テキストは、どうやら前半だけ、抜粋していたようだ。
鈴木教本では、練習曲にも、作品番号を併記しているが、
この曲には書かれてなく、他にカルカッシや、アグアドでも、
初心者向けの曲は同様、これは、まとまった作品集でなく、
彼らが書いた教則本から、抜粋した曲なのかもしれない。
速度記号として、「ポーコ・アレグレット」との表示があって、
芳志戸のテキストでは、それを曲の題名として扱っていて、
その方が区別しやすいが、そう決められた曲のテンポを、
意識すると、いつもながら、自分が遅く弾いていたと気づく。
鈴木教本では、第2巻から、メトロノームの目盛の数字が、
出てきて、100~140とあったら、140が最適の速度で、
100は最低限の速度、それ以下では、練習にもならない、
という解説が書かれ、クラシックの厳しさが、垣間見える。
昔から、自分の得意な、ゆっくりの速度で弾いていたのを、
クラシックギターの曲でも、初見で、どんどん弾けていると、
いい気になっていた自分に、冷や水を浴びせられた気分、
初級編でも、ためになる解説は、かなり多いと再認識した。
楽譜の初見については、20歳前後に、渋谷河合楽器で、
かなり鍛えられたので、多少ゆっくりなら、ピックで弾けば、
たいていの曲は可能だが、音痴というか、音感がないから、
楽譜の指定した音を、ただ、鳴らすという、機械的な作業。
絶対音感どころか、相対音感さえないから、楽譜を見ても、
その音程は浮かばずに、これは、何フレットを押さえるかと、
無意識に指が、その箇所へ動くだけ、実際の音が出るまで、
どんなメロディかは、頭の中に、まったく鳴っていない状態。
プログラムのキーパンチャーとか、活字を組む職人さんが、
プログラムや本の内容を、いちいち覚えたり、理解はせず、
機械的に進めるのに近いが、入力や印刷物が目的である、
それらの作業と、音楽の演奏とでは、まったく意味が違う。
特にクラシックでは、まず、譜面どおりに弾けるのが当り前、
もちろん、自分の出す音階について、きちんとイメージでき、
ミストーン、ミスタッチは厳禁、作曲家の意図を理解しつつ、
自分なりの表現も出していくという、ものすごく険しい道のり。
ただ、昨年から、クラシックギターに、再度取り組んでいて、
簡単な曲から、やり直し、ギターを弾きながら、口ずさむと、
次第に音程がつかめて、ちょっとした楽譜は、ギターなしで、
音符を追っても、そらでメロディーが鳴るようになってきた。
50歳を過ぎても、ギターは上達できると、ブログで公言して、
毎週のアップを繰り返し、技術的に少しずつ、ましになったし、
こうして、多少、音程も取れるようになると、いずれは音感も、
ついてくるのではと、険しい道のりにも、光がさしてくる感じ。
まあ、こうして、文章にしていくと、いろいろ理屈っぽくなるが、
要するに、ギターが大好きで、もっともっと、うまくなりたいし、
楽しくやるのが一番で、好きな曲ばかり、目が行ってしまうが、
きちんと練習曲にも取り組もうと、足元を見つめ直した次第。
多くの練習曲で知られる、カルリの「ポーコ・アレグレット」を、
テンポを上げると、、爪の甲が、弾いたばかりの弦に当たる、
左指が開放弦を鳴らしてしまうなど、雑音ばかり目立つので、
多少アレグロを意識したくらいで、遅めの演奏となりました。
おなじみとなっている曲の中に、カルリの練習曲があり、
「ギターをひこう」のテキストには、あまり載っていないが、
阿部保夫の「ギター教室~教則編」は、前半に多く出る。
通信講座で有名な、東京音楽アカデミーのテキストでも、
初級編に出てくる曲は、ほとんどカルリの曲という感じで、
「魔笛」や「グラン・ソロ」の曲で知られる、ソルとは違って、
カルカッシと同様に、練習曲に親しんできたのが、実感。
その中でも、有名というか、いくつかの教則本で見る曲が、
「まどろみ」という副題だった気がして、あちこちを探したら、
芳志戸幹雄「ギターをひこう」で、この曲と見開きページで、
「まどろみ」という曲が載り、それを、ずっと勘違いしていた。
鈴木巌「クラシック・ギター教室・全3巻」では、1巻の最後、
ある意味、初級前編での集大成となる、曲の位置づけで、
転調した後半部もある、長い曲となり、阿部保夫教則本や、
芳志戸テキストは、どうやら前半だけ、抜粋していたようだ。
鈴木教本では、練習曲にも、作品番号を併記しているが、
この曲には書かれてなく、他にカルカッシや、アグアドでも、
初心者向けの曲は同様、これは、まとまった作品集でなく、
彼らが書いた教則本から、抜粋した曲なのかもしれない。
速度記号として、「ポーコ・アレグレット」との表示があって、
芳志戸のテキストでは、それを曲の題名として扱っていて、
その方が区別しやすいが、そう決められた曲のテンポを、
意識すると、いつもながら、自分が遅く弾いていたと気づく。
鈴木教本では、第2巻から、メトロノームの目盛の数字が、
出てきて、100~140とあったら、140が最適の速度で、
100は最低限の速度、それ以下では、練習にもならない、
という解説が書かれ、クラシックの厳しさが、垣間見える。
昔から、自分の得意な、ゆっくりの速度で弾いていたのを、
クラシックギターの曲でも、初見で、どんどん弾けていると、
いい気になっていた自分に、冷や水を浴びせられた気分、
初級編でも、ためになる解説は、かなり多いと再認識した。
楽譜の初見については、20歳前後に、渋谷河合楽器で、
かなり鍛えられたので、多少ゆっくりなら、ピックで弾けば、
たいていの曲は可能だが、音痴というか、音感がないから、
楽譜の指定した音を、ただ、鳴らすという、機械的な作業。
絶対音感どころか、相対音感さえないから、楽譜を見ても、
その音程は浮かばずに、これは、何フレットを押さえるかと、
無意識に指が、その箇所へ動くだけ、実際の音が出るまで、
どんなメロディかは、頭の中に、まったく鳴っていない状態。
プログラムのキーパンチャーとか、活字を組む職人さんが、
プログラムや本の内容を、いちいち覚えたり、理解はせず、
機械的に進めるのに近いが、入力や印刷物が目的である、
それらの作業と、音楽の演奏とでは、まったく意味が違う。
特にクラシックでは、まず、譜面どおりに弾けるのが当り前、
もちろん、自分の出す音階について、きちんとイメージでき、
ミストーン、ミスタッチは厳禁、作曲家の意図を理解しつつ、
自分なりの表現も出していくという、ものすごく険しい道のり。
ただ、昨年から、クラシックギターに、再度取り組んでいて、
簡単な曲から、やり直し、ギターを弾きながら、口ずさむと、
次第に音程がつかめて、ちょっとした楽譜は、ギターなしで、
音符を追っても、そらでメロディーが鳴るようになってきた。
50歳を過ぎても、ギターは上達できると、ブログで公言して、
毎週のアップを繰り返し、技術的に少しずつ、ましになったし、
こうして、多少、音程も取れるようになると、いずれは音感も、
ついてくるのではと、険しい道のりにも、光がさしてくる感じ。
まあ、こうして、文章にしていくと、いろいろ理屈っぽくなるが、
要するに、ギターが大好きで、もっともっと、うまくなりたいし、
楽しくやるのが一番で、好きな曲ばかり、目が行ってしまうが、
きちんと練習曲にも取り組もうと、足元を見つめ直した次第。
多くの練習曲で知られる、カルリの「ポーコ・アレグレット」を、
テンポを上げると、、爪の甲が、弾いたばかりの弦に当たる、
左指が開放弦を鳴らしてしまうなど、雑音ばかり目立つので、
多少アレグロを意識したくらいで、遅めの演奏となりました。
スポンサーサイト

| ホーム |