僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
恋文横丁から、109へと様変わりした道玄坂界隈
79年の春、大学に入学するときに、
道玄坂下に、109がオープンした。

恋文横丁と呼ばれていた、あの一角が、
突然、デザインも斬新なビルとなって、
以前の店先などは、もう記憶の彼方に。

アーケード街とは、少し違うのだが、
いくつもの路地に、小さい店が並び、
洋品店、焼き鳥屋などがあったような。

今も覚えているのは、渋谷スポーツで、
巨人の星の影響で、野球をやっていた、
小学生の頃に、何度も親と買い物した。

最初は、渋谷スポーツも109の中に、
テナントで入っていたような気もする。

くじら屋も、一時期まで古い木造のまま、
109の一角を、削り取るように建ち、
再開発と無縁の様相が、漂っていた。

日曜日の歩行者天国になると、店頭で、
イベントなどが催され、ヤマハ楽器の、
行き帰りに、立ち止まって見ていた。

東急プラザの、築地玉寿司に比べて、
お好みで食べても、安い寿司屋だと、
母と出かけたのが、まんまる鮨だった。

カウンターの前に、注文伝票があって、
個数など書くのが、すごく珍しくて、
確かに明朗会計だし、単価も安いと、
何となく安心して、しばらく通った。

ソニープラザは、開業時からあったのか、
地下のレコード売り場の、通りすがりに、
輸入のお菓子などが、並んでいたのだが、
銀座のソニービルとは、感じが違っていた。

ファッション関係は、悲しいかな、昔から、
あまり関心がないせいか、記憶にない…。

109は、当初から「イチ・マル・キュー」と、
呼んではいたが、それが東急のもじりだとは、
最近、友人から聞くまで、思いつかなかった。

まして、若者が、「マル・キュー」と呼ぶのは、
どこか別の店のことで、丸井ではないが、
ロゴが、⑨なんだろうと思っていました。
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109。
109が出来た時の事は昨日の事の様に覚えています。
百軒棚が109に変身したので、私も東急の事では無く109軒目の店舗をもじった名前だと勘違いしていました。
地上げに屈しなかった鯨屋さんも今は無くなってしまったと聞きました。
当時は地下にレコードショップもあったりして、今の様な女・子供限定のファッションビルになるとは夢にも思いませんでした。

私がよくその近辺で食事に行ったのは、麗郷とその並びにあったトンカツの勝一でしたね。
麗郷は一度行くと次に食べたくなるのは最低でも2ヶ月位あとでした。

道玄坂を登り切った所のつけ麺大王もよく行きました。
Les Paul L-5 | URL | 2010/12/12/Sun 22:48 [編集]
Re: 109。
いつも、コメントありがとうございます。

> 109が出来た時の事は昨日の事の様に覚えています。
百軒棚が109に変身したので、私も東急の事では無く109軒目の店舗をもじった名前だと勘違いしていました。

確かに、そのほうが、納得できるような感じです。

> 地上げに屈しなかった鯨屋さんも今は無くなってしまったと聞きました。

109に併設とする形で、「元祖くじら屋」の店舗が残っています。
渋谷東急ハンズが、少しずつ広がっていったのと同じように、109が飲み込んでしまった形です。

> 当時は地下にレコードショップもあったりして、今の様な女・子供限定のファッションビルになるとは夢にも思いませんでした。

公園通りに取られた人の流れを、東急本店通りに戻す戦略だったか、
ともかく、中年おやじには、縁のない空間になってしまいました。


> 私がよくその近辺で食事に行ったのは、麗郷とその並びにあったトンカツの勝一でしたね。
> 麗郷は一度行くと次に食べたくなるのは最低でも2ヶ月位あとでした。

麗郷は、今もあの外観ですが、勝一はなくなったようです。
自分は、あの並びの日本そば屋に、ゴジラ映画の帰りなど、祖母とよく入りました。


> 道玄坂を登り切った所のつけ麺大王もよく行きました。

初めてつけ麺に入った友人が、先にスープを出されて、
「麺が入ってない」と文句を言ったとか。

いつもながら、LesPaulL-5さんの記憶で、このブログが助けられています。
ギターマジシャン | URL | 2010/12/13/Mon 03:30 [編集]



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