僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
「ハンガリー狂詩曲」以降は、
山下和仁の新作を、買うこともなく、
楽譜の収集(?)も、一段落しました。
山下の新作=楽譜とセットの模範演奏、
という図式だったせいでしょうか、
準拠した楽譜のない新作は、買わないし、
だいたい、弾けないままの楽譜だらけで、
もう十分だ、という気持ちだったような。
もちろん、渋谷河合楽器の教室で、
ジャズギターの練習は続けていたし、
無伴奏バイオリンのポケットスコアを、
持ち歩き、暗譜につとめていました。
時代は、レコードからCDに移行して、
平成になった頃には、とうとう我が家の、
4台目のレコードプレーヤーも壊れかけ、
さらに、レコード針も製造中止になる。
クラシックギターの曲も、CDで買おうと、
菊池真知子・イスビンらの「ギター名曲集」、
ジョン・ウィリアムス「ギター名曲集」
ブリーム「アランフェス&コパカパーナ協奏曲」
さらに、山下の「ミュージック・オブ・スペイン」。
この山下のCDは、ベスト盤とは少し違うが、
旧譜の「コンポステラ組曲」「内なる想い」や、
妹とのアルバム収録のソロ曲で、構成されている。
デビュー作の「禁じられた遊び」に続き、
菊池真知子、ジョンの「名曲集」にも収録の
定番曲「アルハンブラの想い出」も演奏。
「コンポステラ組曲」は、前奏曲の冒頭を、
リー・リトナーが、The Rit Variationsに引用、
かなり早いパッセージで、原曲を聞きたかった。
山下の演奏は、セゴビアの演奏とくらべると、
どの曲も、かなり早く弾いているような印象。
演奏時間では、両者には、そう差がないから、
緩急をつけているのか、山下は早弾きばかり、
という、自分の先入観によるものなのか。
さらに、レシタティーヴォ、ムニュイエラは、
「展覧会の絵」に入っていそうな錯覚まで。
ロドリーゴ「祈りと踊り」は、すごく気に入った。
冒頭のハーモニクス、何度となく出る主題、
早いパッセージや、トレモロ奏法。
当然のように、楽譜を買うことにしました。
山下のせいで、弾けない譜面がたまる一方。
「コンポステラ」は、後年、シリーズ化された
セゴビアアーカイブ版を、買ったのですが、
昔見た、セゴビア編の運指と違っていた。
わざわざ、旧版と違う運指にしたようで、
弾く弦も、音色から無理があるような。
これなども、いつもの、自分の悪い癖で、
先に見たほうに、慣れていたせいか。
「内なる想い」は、イエペスで有名な曲。
セゴビアたち巨匠が、演奏したきりの、
うもれた曲を、よみがえらせたかったのか。
山下は、ソル、ジュリアーニなどの古典も、
積極的に取り組んでいるように、感じました。
山下は、こうやって演奏しているが、
セゴビアは、どうだったのだろうと、
山下が弾く、セゴビアレパートリーから、
セゴビアのCDと、楽譜を買い集める、
そんな逆転現象にもなりました。
あいにく、大曲のマネン「幻想ソナタ」は、
セゴビアによる演奏は、いまだに聴いていない。
楽譜も、輸入版の購入を保留して、
ホマドリーム「セゴビアレパートリー」の
続編を待ち続けるうち、数年たってしまった。
また、むきになって書いてしまいました。
バッハセットや、小品集は別にします。
山下和仁の新作を、買うこともなく、
楽譜の収集(?)も、一段落しました。
山下の新作=楽譜とセットの模範演奏、
という図式だったせいでしょうか、
準拠した楽譜のない新作は、買わないし、
だいたい、弾けないままの楽譜だらけで、
もう十分だ、という気持ちだったような。
もちろん、渋谷河合楽器の教室で、
ジャズギターの練習は続けていたし、
無伴奏バイオリンのポケットスコアを、
持ち歩き、暗譜につとめていました。
時代は、レコードからCDに移行して、
平成になった頃には、とうとう我が家の、
4台目のレコードプレーヤーも壊れかけ、
さらに、レコード針も製造中止になる。
クラシックギターの曲も、CDで買おうと、
菊池真知子・イスビンらの「ギター名曲集」、
ジョン・ウィリアムス「ギター名曲集」
ブリーム「アランフェス&コパカパーナ協奏曲」
さらに、山下の「ミュージック・オブ・スペイン」。
この山下のCDは、ベスト盤とは少し違うが、
旧譜の「コンポステラ組曲」「内なる想い」や、
妹とのアルバム収録のソロ曲で、構成されている。
デビュー作の「禁じられた遊び」に続き、
菊池真知子、ジョンの「名曲集」にも収録の
定番曲「アルハンブラの想い出」も演奏。
「コンポステラ組曲」は、前奏曲の冒頭を、
リー・リトナーが、The Rit Variationsに引用、
かなり早いパッセージで、原曲を聞きたかった。
山下の演奏は、セゴビアの演奏とくらべると、
どの曲も、かなり早く弾いているような印象。
演奏時間では、両者には、そう差がないから、
緩急をつけているのか、山下は早弾きばかり、
という、自分の先入観によるものなのか。
さらに、レシタティーヴォ、ムニュイエラは、
「展覧会の絵」に入っていそうな錯覚まで。
ロドリーゴ「祈りと踊り」は、すごく気に入った。
冒頭のハーモニクス、何度となく出る主題、
早いパッセージや、トレモロ奏法。
当然のように、楽譜を買うことにしました。
山下のせいで、弾けない譜面がたまる一方。
「コンポステラ」は、後年、シリーズ化された
セゴビアアーカイブ版を、買ったのですが、
昔見た、セゴビア編の運指と違っていた。
わざわざ、旧版と違う運指にしたようで、
弾く弦も、音色から無理があるような。
これなども、いつもの、自分の悪い癖で、
先に見たほうに、慣れていたせいか。
「内なる想い」は、イエペスで有名な曲。
セゴビアたち巨匠が、演奏したきりの、
うもれた曲を、よみがえらせたかったのか。
山下は、ソル、ジュリアーニなどの古典も、
積極的に取り組んでいるように、感じました。
山下は、こうやって演奏しているが、
セゴビアは、どうだったのだろうと、
山下が弾く、セゴビアレパートリーから、
セゴビアのCDと、楽譜を買い集める、
そんな逆転現象にもなりました。
あいにく、大曲のマネン「幻想ソナタ」は、
セゴビアによる演奏は、いまだに聴いていない。
楽譜も、輸入版の購入を保留して、
ホマドリーム「セゴビアレパートリー」の
続編を待ち続けるうち、数年たってしまった。
また、むきになって書いてしまいました。
バッハセットや、小品集は別にします。
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