僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
渡辺香津美は、世界で通用するギタリストか
マイルス・デイビスの81年来日公演の、
ライブ盤ライナーノーツを、読んでいたら、
渡辺香津美に関するやりとりがある。

マイルスが「あの若いギタリストは、
なかなか、いいプレイヤーだった」と言う。

「香津美はいいギタリストってことですね」
インタビュアーが、そう念を押すと、
「そう、He is good」。

その時かは忘れたが、渡辺香津美は、
マイルスバンドへ、誘われたが、
スケジュールが合わなかった、
みたいな記事を、読んだこともある。

マイルスのお墨付きでもないが、
世界に通用するギタリストと言える。

通用するかを、うんぬんする以前から、
国内外のミュージシャンたちと、
ジャンルを問わず、他流試合をしてきた。

78年「ロンサムキャット」は、海外録音。

雑誌ヤングギターの対談で、憧れていた
ラリー・コリエルと会ったときなどは、
話に出るギタリスト、マクラフリンや、
フィリップ・キャサリンのフレーズを演奏し、
かなり、気に入られた様子でした。

シーウィンドのギタリストが、来日したとき、
プリズムを見に行ったことを聞かれて、
「ディメオラみたいなギターがいたね。
それよりも、香津美に会えないかな。
レッスンを受けたいんだ。」と答えていた。

和田アキラよりも、渡辺香津美のほうが、
外人受けするのかなんて、当時思った。

79年、ステップスの結成当初の来日で、
ピットインでは、1曲だったが、ゲスト参加。

たった1曲でも、存在感のあるソロ。

ステップスのリーダー、マイク・マイニエリは、
「Tochika」をプロデュースしていた。

82年、ウェザーリポートを脱退と前後して、
ビッグバンドで来日した、ジャコ・パストリアス

翌年、少人数のコンボで来日したときには、
どういう経緯か、渡辺香津美が参加していた。

イエス、クリムゾンの、ビル・ブラフォード
その盟友、ジェフ・バーリンとアルバムを作り、
そのメンバーで、87年に日本公演まで実現。

テレビ放映した、「ハイパーK」という曲で、
ビル特有の頭をはずす、ドラムのフィルインで、
ギターのリフが、裏表ひっくり返っりかけて、
ビルが、にやりとしたのは、ご愛嬌。

こうして、当時のことなど、思い出すと、
通用するかどうか、という次元ではなく、
世界に誇れるミュージシャンだと、思うのです。
スポンサーサイト





管理者にだけ表示を許可する


海外。
香津美先生が海外での活動していれば、間違いなく
トップクラスで活躍していたと思います。
ご本人には何かの考えがあって、日本を活動の拠点と
していたんだと思います。
先輩の川崎僚や増尾好秋らが、いち早く海外へ行った事も
何かあるのかもしれません。

海外から来日するギタリストが、先生に会いたがるのは
私も聞きました。
マイク・スターンが来日の際、先生の自宅で深夜のセッションを
して(2人だけ)相当落ち込んで帰った・・・との話です。
Les Paul L-5 | URL | 2010/09/14/Tue 07:02 [編集]
Re: 海外。
いつも、コメントありがとうございます。

> 香津美先生が海外での活動していれば、間違いなく
トップクラスで活躍していたと思います。

アメリカの一流のミュージシャンと共演するだけでなく、
双頭バンドや、リーダーとして、若手を率いていたことでしょう。

> ご本人には何かの考えがあって、日本を活動の拠点と
していたんだと思います。
先輩の川崎僚や増尾好秋らが、いち早く海外へ行った事も
何かあるのかもしれません。

先輩が不在の分、日本に腰を据えようと思ったのか、
あるいは、海外を拠点にすることに、何か疑問を抱いたのでしょうか。


> 海外から来日するギタリストが、先生に会いたがるのは
私も聞きました。
マイク・スターンが来日の際、先生の自宅で深夜のセッションを
して(2人だけ)相当落ち込んで帰った・・・との話です。

それは、すごい情報です。
デビュー当時の、マイク・スターンには、かなり近いバックボーンと、
フレージングを感じましたが、似ているだけに、ショックだったのでは…。
ギターマジシャン | URL | 2010/09/14/Tue 18:30 [編集]



トラックバック
TB*URL





Copyright © 僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ. all rights reserved.