僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
毎年同じことを書いているが、年度初めで忙しく、
連日のサービス残業に週末のボランティア出勤、
帰宅すると疲れて寝てしまい、ギターの練習に、
MTR録音、ブログの更新も、ままならない日々。
それでも、少しずつオケを作ったので、この連休、
いよいよギターや歌を録音しようと思っていたら、
今日出かけた際に、ぎっくり腰を再発してしまい、
ギターを持つのもマイクに向かうのも激痛になる。
61歳の本厄で厄落としに行かれたというお話を、
先日ブログで記事にされている方がいて、そうか、
61歳の厄年なんて、まったく思いつかずにいた、
気づけば、厄落とししないまま、もう後厄だと反省。
この週末は出勤がないから、昔からお参りに行く、
二子玉川の玉川大師へ行くことにして、昨日は、
雨模様だったので、今日、4月30日の土曜日に、
午前中に行って、ついでに買い物でもしようかと。
家族に声をかけると、長髪ボサボサの不潔な人と、
一緒に歩きたくはないと拒否されて、一人だけで、
出かけるが、自分や家族、実家の厄落としなどで、
何度も来たから、駅からの道のりも何てことない。
高島屋の間の道から、商店街へと回り、小学校、
かつての電電公社を抜けると、お大師さんが見え、
これまた勝手知ったるお堂の左奥の受付に行き、
厄落としのお札、祈願をお願いして、郵送手続き。
アマビエのお札は初めて見たので、それも求めて、
さあ、これで前厄、本厄をとばしてしまったことも、
無事に解消したとばかり、晴れ晴れとした気分で、
高島屋に寄り、お惣菜お菓子を買って帰ることに。
汚い話だが、食べ物を持って駅のトイレに行くのは、
御免だから、念の為買い物前にすませておこうと、
高島屋でトイレに入って、便座を拭こうと屈んだら、
グキッと腰に鈍い痛みがし、間違いなくぎっくり腰。
腰痛ベルトはしていたが、20年前に初めて経験し、
それ以降欠かさずベルトを常用していて、それでも、
何度となくぎっくり腰を再発していて、ベルト自体は、
もうあまり意味ないのか、逆に筋肉が衰えるのか。
強めの湿布も持ち歩いているので、その場で湿布、
何とか立ち上がって、少しゆっくり歩いて、それでも、
デパ地下の買い物はしっかりとして、揚げ饅頭だの、
サラダ、たいめいけんのシチューなどを買って帰る。
帰宅してすぐに、いつもやっている腰痛体操のうち、
痛みが激しい時のリハビリ体操を試してみたところ、
余計に痛みが増したし、そこから起き上がろうにも、
つかまり立ちさえできずに、しばらく横になっていた。
その後だんだん思い出して、最初の激痛だった頃、
咳するだけでも腰に響いて、左手で腰骨を押さえて、
固定すると楽になり、つかまり立ちや、腰かける際、
やはり固定すると痛みが少ないとコツを覚えていた。
それで起き上がれたが、ますます歳をとるのだから、
布団ではなく、ベッドで寝起きした方が楽だろうな、
でもベッドを置こうとしたら、枕元のギター、レコード、
大量の楽譜を処分しないと、そもそも床が現れない。
ベッドの事は置いといて、この連休のギター録音は、
どうだろうかと試したが、まず、ギターをケースから、
出す動作でけでも厳しいし、この数ヶ月、肩の方も、
おかしくて手が伸ばせないので、持つことも厳しい。
この連休、実は自分には就職以来初のGW7連休、
5月7日(土)を全員出勤日にして、その代休日を、
5月2日(月)に充てるという働き方改革の試みで、
結果4月29日(金)~5月5日(木)の7連休になる。
何処に旅行へ行くでもなし、何度か渋谷の実家に、
母の様子を見に行って、犬を散歩させればよいか、
あとはギター三昧だと思っていたが、好事魔多しで、
そのまま寝て曜日、ずっと寝ている連休になりそう。
就職した最初の年だったか、お盆休みをはさんで、
連休がもらえたので、初日に同僚と海水浴に行き、
どうせ海に来たから、真っ黒に日焼けしてやろうと、
ずっと寝そべっていたら、火傷かつ熱中症気味に。
かかりつけ医に、何馬鹿なことをやらかしたんだと、
怒られながら、悲鳴をあげるくらいに薬を塗られて、
連休の残りは、どこにも出かけずに、家で寝ていて、
寝返りを打つたびに激痛で、声をあげてばかりいた。
自分に連休は似合わない、どうせ出かけないのだ、
寝てればいいだろうと、神様に言われているようで、
よりによって、厄落としの帰り道にぎっくり腰だとは、
ついてないというか、何しに出かけたのだろうと思う。
ただ、厄除け開運の護摩を申し込んだというだけで、
実際にお祈りしてもらって、初めて厄落としが成立、
あのお大師さんは午後から参拝客とお祈りするので、
ほんの2時間の差で、厄は落ちていなかったことに。
このぎっくり腰に、3年分の厄が集中したかと思えば、
それもそうなのかと納得できなくもないが、考えると、
定年退職で退職金は削減、年金はもらえずコロナ渦、
再雇用の半額給料で仕事量は同じと、ついていない。
やっぱり、厄年だったよなあ、前厄からお参りしたら、
金銭面はともかく、効率よく仕事して残業が減ったり、
昨年来の肩や太ももの痛みもなかっただろうかなど、
ありもしない想像をしたり、相変わらずのんきですね。
連日のサービス残業に週末のボランティア出勤、
帰宅すると疲れて寝てしまい、ギターの練習に、
MTR録音、ブログの更新も、ままならない日々。
それでも、少しずつオケを作ったので、この連休、
いよいよギターや歌を録音しようと思っていたら、
今日出かけた際に、ぎっくり腰を再発してしまい、
ギターを持つのもマイクに向かうのも激痛になる。
61歳の本厄で厄落としに行かれたというお話を、
先日ブログで記事にされている方がいて、そうか、
61歳の厄年なんて、まったく思いつかずにいた、
気づけば、厄落とししないまま、もう後厄だと反省。
この週末は出勤がないから、昔からお参りに行く、
二子玉川の玉川大師へ行くことにして、昨日は、
雨模様だったので、今日、4月30日の土曜日に、
午前中に行って、ついでに買い物でもしようかと。
家族に声をかけると、長髪ボサボサの不潔な人と、
一緒に歩きたくはないと拒否されて、一人だけで、
出かけるが、自分や家族、実家の厄落としなどで、
何度も来たから、駅からの道のりも何てことない。
高島屋の間の道から、商店街へと回り、小学校、
かつての電電公社を抜けると、お大師さんが見え、
これまた勝手知ったるお堂の左奥の受付に行き、
厄落としのお札、祈願をお願いして、郵送手続き。
アマビエのお札は初めて見たので、それも求めて、
さあ、これで前厄、本厄をとばしてしまったことも、
無事に解消したとばかり、晴れ晴れとした気分で、
高島屋に寄り、お惣菜お菓子を買って帰ることに。
汚い話だが、食べ物を持って駅のトイレに行くのは、
御免だから、念の為買い物前にすませておこうと、
高島屋でトイレに入って、便座を拭こうと屈んだら、
グキッと腰に鈍い痛みがし、間違いなくぎっくり腰。
腰痛ベルトはしていたが、20年前に初めて経験し、
それ以降欠かさずベルトを常用していて、それでも、
何度となくぎっくり腰を再発していて、ベルト自体は、
もうあまり意味ないのか、逆に筋肉が衰えるのか。
強めの湿布も持ち歩いているので、その場で湿布、
何とか立ち上がって、少しゆっくり歩いて、それでも、
デパ地下の買い物はしっかりとして、揚げ饅頭だの、
サラダ、たいめいけんのシチューなどを買って帰る。
帰宅してすぐに、いつもやっている腰痛体操のうち、
痛みが激しい時のリハビリ体操を試してみたところ、
余計に痛みが増したし、そこから起き上がろうにも、
つかまり立ちさえできずに、しばらく横になっていた。
その後だんだん思い出して、最初の激痛だった頃、
咳するだけでも腰に響いて、左手で腰骨を押さえて、
固定すると楽になり、つかまり立ちや、腰かける際、
やはり固定すると痛みが少ないとコツを覚えていた。
それで起き上がれたが、ますます歳をとるのだから、
布団ではなく、ベッドで寝起きした方が楽だろうな、
でもベッドを置こうとしたら、枕元のギター、レコード、
大量の楽譜を処分しないと、そもそも床が現れない。
ベッドの事は置いといて、この連休のギター録音は、
どうだろうかと試したが、まず、ギターをケースから、
出す動作でけでも厳しいし、この数ヶ月、肩の方も、
おかしくて手が伸ばせないので、持つことも厳しい。
この連休、実は自分には就職以来初のGW7連休、
5月7日(土)を全員出勤日にして、その代休日を、
5月2日(月)に充てるという働き方改革の試みで、
結果4月29日(金)~5月5日(木)の7連休になる。
何処に旅行へ行くでもなし、何度か渋谷の実家に、
母の様子を見に行って、犬を散歩させればよいか、
あとはギター三昧だと思っていたが、好事魔多しで、
そのまま寝て曜日、ずっと寝ている連休になりそう。
就職した最初の年だったか、お盆休みをはさんで、
連休がもらえたので、初日に同僚と海水浴に行き、
どうせ海に来たから、真っ黒に日焼けしてやろうと、
ずっと寝そべっていたら、火傷かつ熱中症気味に。
かかりつけ医に、何馬鹿なことをやらかしたんだと、
怒られながら、悲鳴をあげるくらいに薬を塗られて、
連休の残りは、どこにも出かけずに、家で寝ていて、
寝返りを打つたびに激痛で、声をあげてばかりいた。
自分に連休は似合わない、どうせ出かけないのだ、
寝てればいいだろうと、神様に言われているようで、
よりによって、厄落としの帰り道にぎっくり腰だとは、
ついてないというか、何しに出かけたのだろうと思う。
ただ、厄除け開運の護摩を申し込んだというだけで、
実際にお祈りしてもらって、初めて厄落としが成立、
あのお大師さんは午後から参拝客とお祈りするので、
ほんの2時間の差で、厄は落ちていなかったことに。
このぎっくり腰に、3年分の厄が集中したかと思えば、
それもそうなのかと納得できなくもないが、考えると、
定年退職で退職金は削減、年金はもらえずコロナ渦、
再雇用の半額給料で仕事量は同じと、ついていない。
やっぱり、厄年だったよなあ、前厄からお参りしたら、
金銭面はともかく、効率よく仕事して残業が減ったり、
昨年来の肩や太ももの痛みもなかっただろうかなど、
ありもしない想像をしたり、相変わらずのんきですね。
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毎年この時期になると、テレビで卒業ソングだの、
新しい出発を讃える歌の特番があちこちで放送し、
最近の曲は知らないなあと、時代に取り残されて、
やっぱり70年代は良かったと、年寄りの感想に。
ただ、自分が中学・高校の頃、卒業式で歌うのは、
「蛍の光」や「仰げば尊し」で、ポピュラー音楽を、
歌うなんて考えられないし、高校卒業の時でさえ、
金八先生も斉藤由貴、柏原芳恵もまだ出ていない。
中学校の謝恩会では、「木綿のハンカチーフ」や、
「あの素晴らしい愛をもう一度」をクラスの出し物で、
歌ったが、特に卒業ソングという意味付などなくて、
単なるヒット曲、自分も有志でビートルズを歌った。
自分が中学を卒業したのは、76年3月だったから、
定番のイルカの「なごり雪」が、ちょうど出た頃だが、
謝恩会で歌うクラスはなくて、イルカ自体のファンは、
学校にいたし、ポスターを持ってきた奴もいたのだが。
当時の自分はビートルズ一辺倒だったが、この曲は、
もともとかぐや姫の曲で、それをイルカが歌った方が、
ヒットしたという知識もあったし、かぐや姫のベスト盤、
豪華ボックス入り2枚組に惹かれて、買ったりもした。
夜ヒットだったか、イルカが出演し「なごり雪」を歌うと、
友人から教わって、かぐや姫とどう違うのかと真剣に、
見ていたら、「お前は、こんな娘が好きなのかい?」と、
母にからかわれたが、別にアイドル歌手じゃないのに。
思春期の照れもあり、「逆だよ、嫌いまでいかないが、
伊勢の曲を勝手に歌っているのが気に入らない。」と、
言い返したが、実際にシンガーソングライターこそが、
フォークやニューミュージックの正統派だと思っていた。
イルカに風当たりが強かったか、自分は知らないが、
バンバンがグレープの「縁切寺」をシングルで出すと、
ばんばがコーナーを持つ谷村新司のセイヤングには、
「さださんの曲を返してください。」という投書が殺到。
「歌は歌い継がれるていくもので~」と弁明をしたが、
何週にも渡って、リスナーの批判が続いていたから、
そもそも「カバー」なんて言い方もなかったような頃、
人の曲を歌っていると、特にフォークでは厳しかった。
よくよく考えると、かぐや姫も、ヒット曲のいくつかは、
メンバーではなく喜多條忠の作詞だし、吉田拓郎も、
「旅の宿」なんかは岡本おさみで、フォークの人でも、
自分のメッセージを歌詞に載せるとは限らなかった。
「なごり雪」の場合、収録したかぐや姫のアルバムが、
「赤ちょうちん」「22才の別れ」といった超有名曲から、
「うちのお父さん」など、本当に名曲だらけの作品集、
シングルカットもされなくて、埋もれがちになっていた。
それで、まだ出たばかりの曲をイルカがカバーしても、
あまり原曲との違和感もなく、イルカの代表曲として、
こちらの方が確立したのだろうし、卒業ソングとしても、
イルカが大ヒットさせたことで、定番になったのだろう。
先日、夜中にトイレに起きた際、そのまま水を飲もうと、
台所に行って、何気なく居間のテレビをつけたところ、
さだまさしの生放送番組で、ちょうどイルカが登場して、
「なごり雪」を歌い、エンディングはアコギのソロだった。
イルカのバージョンはピアノイントロだが、かぐや姫は、
アコギ2台の絡みで、そのリードギターも印象的だし、
そのバージョンにして、延々とアコギソロを弾くなんて、
いい感じになるかと、偶然からのインスピレーション。
中学の頃、フォーク雑誌に、かぐや姫の楽譜が載ると、
「リードギターの名手、正やんのフレーズは~」など、
解説されていたが、情報通の友人にレコーディングは、
石川鷹彦が弾いたと教わり、記事を馬鹿にしていた。
もちろん、ライブでは伊勢自身弾くこともあったと思うし、
バンドあるあるで、新人に限らず、録音時間の短縮で、
スタジオミュージシャンを使うことが多く、アコギでは、
コードストロークさえ、吉川忠栄らに任せていただろう。
そんなアコギの名手、石川鷹彦が弾いていただけに、
かぐや姫版の「なごり雪」では、リードギターに限らず、
伴奏のアルペジオも難しくて、本職(?)がエレキの、
自分からすると、かなり練習しないと録音はできない。
3月中にアップしたかったが、年度末の忙しさもあり、
遅い帰宅ではアコギも弾けず、どんどん先延ばしで、
それでも、オケを少しずつ作り、この週末アコギ録音、
この時期の定番、「なごり雪」を何とか演奏しました。
新しい出発を讃える歌の特番があちこちで放送し、
最近の曲は知らないなあと、時代に取り残されて、
やっぱり70年代は良かったと、年寄りの感想に。
ただ、自分が中学・高校の頃、卒業式で歌うのは、
「蛍の光」や「仰げば尊し」で、ポピュラー音楽を、
歌うなんて考えられないし、高校卒業の時でさえ、
金八先生も斉藤由貴、柏原芳恵もまだ出ていない。
中学校の謝恩会では、「木綿のハンカチーフ」や、
「あの素晴らしい愛をもう一度」をクラスの出し物で、
歌ったが、特に卒業ソングという意味付などなくて、
単なるヒット曲、自分も有志でビートルズを歌った。
自分が中学を卒業したのは、76年3月だったから、
定番のイルカの「なごり雪」が、ちょうど出た頃だが、
謝恩会で歌うクラスはなくて、イルカ自体のファンは、
学校にいたし、ポスターを持ってきた奴もいたのだが。
当時の自分はビートルズ一辺倒だったが、この曲は、
もともとかぐや姫の曲で、それをイルカが歌った方が、
ヒットしたという知識もあったし、かぐや姫のベスト盤、
豪華ボックス入り2枚組に惹かれて、買ったりもした。
夜ヒットだったか、イルカが出演し「なごり雪」を歌うと、
友人から教わって、かぐや姫とどう違うのかと真剣に、
見ていたら、「お前は、こんな娘が好きなのかい?」と、
母にからかわれたが、別にアイドル歌手じゃないのに。
思春期の照れもあり、「逆だよ、嫌いまでいかないが、
伊勢の曲を勝手に歌っているのが気に入らない。」と、
言い返したが、実際にシンガーソングライターこそが、
フォークやニューミュージックの正統派だと思っていた。
イルカに風当たりが強かったか、自分は知らないが、
バンバンがグレープの「縁切寺」をシングルで出すと、
ばんばがコーナーを持つ谷村新司のセイヤングには、
「さださんの曲を返してください。」という投書が殺到。
「歌は歌い継がれるていくもので~」と弁明をしたが、
何週にも渡って、リスナーの批判が続いていたから、
そもそも「カバー」なんて言い方もなかったような頃、
人の曲を歌っていると、特にフォークでは厳しかった。
よくよく考えると、かぐや姫も、ヒット曲のいくつかは、
メンバーではなく喜多條忠の作詞だし、吉田拓郎も、
「旅の宿」なんかは岡本おさみで、フォークの人でも、
自分のメッセージを歌詞に載せるとは限らなかった。
「なごり雪」の場合、収録したかぐや姫のアルバムが、
「赤ちょうちん」「22才の別れ」といった超有名曲から、
「うちのお父さん」など、本当に名曲だらけの作品集、
シングルカットもされなくて、埋もれがちになっていた。
それで、まだ出たばかりの曲をイルカがカバーしても、
あまり原曲との違和感もなく、イルカの代表曲として、
こちらの方が確立したのだろうし、卒業ソングとしても、
イルカが大ヒットさせたことで、定番になったのだろう。
先日、夜中にトイレに起きた際、そのまま水を飲もうと、
台所に行って、何気なく居間のテレビをつけたところ、
さだまさしの生放送番組で、ちょうどイルカが登場して、
「なごり雪」を歌い、エンディングはアコギのソロだった。
イルカのバージョンはピアノイントロだが、かぐや姫は、
アコギ2台の絡みで、そのリードギターも印象的だし、
そのバージョンにして、延々とアコギソロを弾くなんて、
いい感じになるかと、偶然からのインスピレーション。
中学の頃、フォーク雑誌に、かぐや姫の楽譜が載ると、
「リードギターの名手、正やんのフレーズは~」など、
解説されていたが、情報通の友人にレコーディングは、
石川鷹彦が弾いたと教わり、記事を馬鹿にしていた。
もちろん、ライブでは伊勢自身弾くこともあったと思うし、
バンドあるあるで、新人に限らず、録音時間の短縮で、
スタジオミュージシャンを使うことが多く、アコギでは、
コードストロークさえ、吉川忠栄らに任せていただろう。
そんなアコギの名手、石川鷹彦が弾いていただけに、
かぐや姫版の「なごり雪」では、リードギターに限らず、
伴奏のアルペジオも難しくて、本職(?)がエレキの、
自分からすると、かなり練習しないと録音はできない。
3月中にアップしたかったが、年度末の忙しさもあり、
遅い帰宅ではアコギも弾けず、どんどん先延ばしで、
それでも、オケを少しずつ作り、この週末アコギ録音、
この時期の定番、「なごり雪」を何とか演奏しました。

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