僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
今年は、いつにまして、更新が滞ってしまい、
12月に恒例だったジョン・レノンのカバーに、
クリスマスソングの演奏もできないままとなり、
何だか、すごく寂しい年末になってしまった。
特に体調を崩したりしたわけでもなかったが、
60歳となって、寄る年波には勝てないのか、
仕事から帰宅すると、ひとまずは横になって、
夕食をすませてからも、ゴロゴロしてばかり。
もちろん、毎日少しはギターをいじっていたし、
週末にはオケ作りを進めたが、声が枯れたり、
ギターシンセの音色が今一歩だったりすると、
途端にやる気をなくして、放り出すことばかり。
自分の趣味の音楽にさえ、情熱が注げなくて、
これこそ老人性うつの兆候なのかと思いつつ、
バンドスコアやCDを探して買うことだけには、
夢中になるので、面倒くさがりが悪化しただけ。
出来もしなかったことを、並べても仕方ないが、
ジョンの曲はオケはできたが、歌がひどすぎて、
クリスマスソングはアカペラの高音が出なくて、
フュージョン曲はシンセの音がお粗末で没に。
来年の年末までには、ジョンやクリスマス曲を、
形にできればと思うし、新年はまったく新たに、
別の曲に取り掛かろうと、これまた調子づいて、
バンドスコアなど数冊買って、楽譜だけは充実。
「残り1冊」に弱い自分は、昔は聴いたりしたし、
スリーフィンガーやアルペジオの練習に弾いた、
かぐや姫のバンドスコアを買ったり、ヤフオクで、
ようやく落札できた記念すべき最初のは高中。
これまでヴァン・ヘイレンやスクエアのスコアを、
ヤフオクで入札しては競り負けてばかりいたし、
高中のバンドスコアは1万円以上での取引が、
常態化し、さすがにそこまで出す気はなかった。
たまたま見つけたのは、五千円での出品だが、
なぜか入札なしのまま期限を迎えそうなもので、
試しに五千円と入力したら、そのまま落札でき、
翌日コンビニで振り込んだら、次の日には届く。
かぐや姫は勢いで買ったが、高中はこれまでも、
何曲かカバーしたり、作りかけのオケもあったり、
やる気はすごくあって、落札したバンドスコアに、
演奏したくて探していた曲もあるので気合十分。
これまた、できもしないことの吹聴しすぎになり、
企画倒れ、取らぬ狸の皮算用となりかねなくて、
今日の年末の挨拶、数日後の新年の挨拶には、
演奏はなしで、それ以降になると言い訳しておく。
Amazonでは楽譜以外にミスチルの詩集を買い、
先日のカバーで、桜井の歌詞の世界に感動して、
じっくり彼の詩を読みたいと思い、何十年も前に、
さだまさし、オフコースらの詩集を買った時以来。
就職して学生生活と社会人とのギャップに悩み、
そんな時、ニューミュージックの歌詞に救われて、
さらに中原中也、立原道造にも夢中になったが、
そうした俄か文学青年の気分が戻ったりもする。
自分は例年通り、12月28日が仕事納めとなり、
今年は土日が前後にくっついて伸びることもなく、
12月29日から1月3日の6連休の年末年始で、
少しはオケを作りたいが、まずは年賀状が優先。
その合間に、こうして駄文をつらねているのだが、
これくらいにして、いつも訪問いただき、拍手や、
コメントまでいただく皆様に感謝をこめて、どうぞ、
よいお年をお迎えくださいと記事を締めくくります。
12月に恒例だったジョン・レノンのカバーに、
クリスマスソングの演奏もできないままとなり、
何だか、すごく寂しい年末になってしまった。
特に体調を崩したりしたわけでもなかったが、
60歳となって、寄る年波には勝てないのか、
仕事から帰宅すると、ひとまずは横になって、
夕食をすませてからも、ゴロゴロしてばかり。
もちろん、毎日少しはギターをいじっていたし、
週末にはオケ作りを進めたが、声が枯れたり、
ギターシンセの音色が今一歩だったりすると、
途端にやる気をなくして、放り出すことばかり。
自分の趣味の音楽にさえ、情熱が注げなくて、
これこそ老人性うつの兆候なのかと思いつつ、
バンドスコアやCDを探して買うことだけには、
夢中になるので、面倒くさがりが悪化しただけ。
出来もしなかったことを、並べても仕方ないが、
ジョンの曲はオケはできたが、歌がひどすぎて、
クリスマスソングはアカペラの高音が出なくて、
フュージョン曲はシンセの音がお粗末で没に。
来年の年末までには、ジョンやクリスマス曲を、
形にできればと思うし、新年はまったく新たに、
別の曲に取り掛かろうと、これまた調子づいて、
バンドスコアなど数冊買って、楽譜だけは充実。
「残り1冊」に弱い自分は、昔は聴いたりしたし、
スリーフィンガーやアルペジオの練習に弾いた、
かぐや姫のバンドスコアを買ったり、ヤフオクで、
ようやく落札できた記念すべき最初のは高中。
これまでヴァン・ヘイレンやスクエアのスコアを、
ヤフオクで入札しては競り負けてばかりいたし、
高中のバンドスコアは1万円以上での取引が、
常態化し、さすがにそこまで出す気はなかった。
たまたま見つけたのは、五千円での出品だが、
なぜか入札なしのまま期限を迎えそうなもので、
試しに五千円と入力したら、そのまま落札でき、
翌日コンビニで振り込んだら、次の日には届く。
かぐや姫は勢いで買ったが、高中はこれまでも、
何曲かカバーしたり、作りかけのオケもあったり、
やる気はすごくあって、落札したバンドスコアに、
演奏したくて探していた曲もあるので気合十分。
これまた、できもしないことの吹聴しすぎになり、
企画倒れ、取らぬ狸の皮算用となりかねなくて、
今日の年末の挨拶、数日後の新年の挨拶には、
演奏はなしで、それ以降になると言い訳しておく。
Amazonでは楽譜以外にミスチルの詩集を買い、
先日のカバーで、桜井の歌詞の世界に感動して、
じっくり彼の詩を読みたいと思い、何十年も前に、
さだまさし、オフコースらの詩集を買った時以来。
就職して学生生活と社会人とのギャップに悩み、
そんな時、ニューミュージックの歌詞に救われて、
さらに中原中也、立原道造にも夢中になったが、
そうした俄か文学青年の気分が戻ったりもする。
自分は例年通り、12月28日が仕事納めとなり、
今年は土日が前後にくっついて伸びることもなく、
12月29日から1月3日の6連休の年末年始で、
少しはオケを作りたいが、まずは年賀状が優先。
その合間に、こうして駄文をつらねているのだが、
これくらいにして、いつも訪問いただき、拍手や、
コメントまでいただく皆様に感謝をこめて、どうぞ、
よいお年をお迎えくださいと記事を締めくくります。
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実家で母が飼っているキャバリアのジュリが、
今日、2021年12月20日の午前10時すぎ、
13歳1ケ月で旅立ち、これは長寿と呼べるか、
これまで実家で飼った犬の中ではまだ若い方。
ほんの1週間前までは、多少足腰は弱っても、
もう1匹のビーグルと散歩していたし、人一倍、
おやつのジャーキーやビスケットをねだったが、
みるみるうちに衰えて、亡くなる時はこうなのか。
11月にビーグルが、目の端が飛び出てしまう、
チェリーアイという病気になって、かかりつけの、
犬猫病院では、その手術ができないと言われ、
十数年前にもお世話になった少し遠い病院へ。
その際、キャバリアも足腰が衰えてきたからと、
診てもらったところ、膵臓が弱っていると言われ、
ビーグルの事前診察や手術の際にも同行させ、
治療薬の注射をしてもらい、一安心したばかり。
歳のせいもあるのか、2匹で散歩へ出かける際、
キャバリアは玄関に伏せたり、出かけようとせず、
「ほら、行くよ」とリードをつけると、重い腰をあげ、
もったいつけるように歩き出すのが、この1ケ月。
それでも、ビーグルと先を争うように小走りをして、
2本のリードが三つ編みのように絡み合ったりし、
糞を取っている時に、それぞれ反対方向へ走り、
股裂きのように転倒させられ、勢いは良かった。
12月13日に仕事帰りに実家に寄ると、母から、
キャバリアの具合が悪く、かけりつけの病院で、
栄養剤だかカンフル剤だかを注射してもらったと、
話してきて、その日は、散歩には行こうとしない。
これまでも散歩中、へたれ牛のように腰砕けで、
座り込むこともあったので、足が弱ったのだろう、
ビーグルだけで散歩してきて、おやつをあげると、
自分にもよこせとばかり、起き上がり歩いてきた。
おやつでつって、少し外へ出すようにしようかと、
翌日、少し高いジャーキーを買ってきたりしたが、
たった一日なのに、なかなか立ち上がれなくて、
こちらで腰を持ってあげると、水を飲みに歩いた。
このままでは、どんどん足腰が弱くなってしまう、
介護用ハーネスで補助して、少しでも歩かせよう、
早速Amazonで取り寄せ、公園まで抱いて行き、
ハーネスをつけたのだが、すぐ横になってしまう。
そのままおしっこを排泄したようで、お腹が濡れ、
抱きかかえて戻る際に、コートはおしっこまみれ、
実家で少し乾かしてから、なるべく人混みを避け、
電車も空いた車両を選んで、なんとか帰宅した。
それからは、日に日に衰えていき、もう起きずに、
横になっていて、それでも、おやつは欲しいから、
前足だけで這うように近づいてきたり、その翌日、
もう這うのもつらいようで、尻尾だけ振って合図。
平日は仕事帰りに実家に寄って、犬を散歩して、
週末は母に任せるというのが、この10年ほどの、
習慣になっていたが、キャバリアが気になるので、
この土日は、老犬用餌、おやつを買って顔を出す。
キャバリアは、おやつをビーグルに取られまいと、
昔から噛まずに飲み込んでは、むせたりするので、
誤嚥性肺炎にならないよう、小さくして食べさすが、
もっとよこせとばかり次々飲み込むので安堵する。
ところが、日曜日には、そのおやつも欲しがらずに、
舌を出してハアハアするので、水皿を近づけると、
顔だけ起こして水を飲み続け、これまた誤嚥性が、
心配になるが、けっこう、こまめに水を欲しがった。
今朝の会議中に、スマホのバイブが反応したので、
まさか亡くなったという母からの電話ではないよな、
いつもの光ケーブルや不動産の勧誘であってくれ、
そう思って、ポケットから出すのも我慢し退出せず。
会議が終わるなり、すぐ廊下でスマホをチェックし、
母と、その連絡を受けただろう家内からの着信に、
留守電、メールがいくつもあり、具合が悪くなった、
危なそうだ、そして、とうとう亡くなったという連絡。
朝の9時過ぎにぐったりして、かかりつけで注射し、
ただ先生からは、もう時間の問題、家に戻ったら、
ずっと付き添って、看取ってあげるように言われて、
こっちに連絡してくれたのが、まさに会議の最中。
会議を抜けて実家へ急げば、看取れただろうか、
自分の担当する案件もなく、発言一つしなかった、
そんな会議に義理立てて、出続けたばっかりに、
キャバリアとの最後のお別れがかなわなかった。
ただ、こちらも勤め人だから、仕事優先は当然で、
会議中に私用のスマホに出て、犬が死にそうで、
これから帰らせてもらいます、なんて言い出すと、
次年度の再雇用が更新してもらえない可能性も。
そういう自分自身、まだ犬を飼っていない頃だが、
同僚が、母親が犬を病院に連れていくが心配で、
自分も付き添うのでと、有給休暇を取った時には、
変わった奴だなあ、こいつオタクかと思ったりした。
自分が行ったところで、キャバリアは亡くなる運命、
こちらの顔を見て奇跡的回復なんて、ありえない、
そもそも、幼い頃から面倒をみたのは同居の母で、
自分は散歩に来る人、おやつおじさんだっただけ。
そんな風に考えていたら、昔の祖母の手術の日を、
妙に思い出して、あの日、伯父は仕事を抜けれず、
手術に立ち会えなくて、そのことを伯母が気にして、
さかんに申し訳なさそうに、父母たちと話していた。
「別におじちゃんが来たからって、手術が成功する、
しないには関係ないよ。」と自分が言うと、伯母は、
「驚いた、今、あんたが言ったことを、おじちゃんは、
一言一句違わず言ったよ。」と呆れたように返す。
学のある人は揃ったように、そうやって割り切れる、
生半可な知識があるばかりに、情より理路整然と、
物事を捉えるんだといった言いぶりで、伯父共々、
冷たい人間だというレッテルを張られたようなもの。
確かに、自分は、そうやって自分を言い聞かせて、
納得させるところがあり、根底は冷たいのだろうし、
実家のキャバリエの旅立ちも、こうして記事にして、
表現欲からの単なる自己満足にすぎないのだろう。
その点、母は本当に愛情を注いで、あの子たちを、
世話していて、自分は夕方散歩に連れ出すだけ、
それでも母には、犬を飼う以上、責任もって飼え、
年中出かけて、留守番ばかりさせるなと注意した。
犬たちのほうがわかっていて、散歩に出ようとして、
ちょうど母が帰ってくると、Uターンして自宅へ走り、
もうこっちには何の関心もなく、母にまとわりつき、
やっぱり自分は、犬からも散歩係の認識なんだと。
キャバリアを母が飼ったのは、父が亡くなる少し前、
1年近く抗がん剤治療で入退院を繰り返していて、
それで治療も終わると思っていたら、転移がわかり、
余命半年と言われた日、病院の帰り道がきっかけ。
通り道のペットショップで、ガラス越しに目が合って、
悲しみにくれていた母にとり、すごく癒されたようで、
毎日の洗濯物の交換で病院に来るたび、この子を、
見るためにペットショップに寄り、ほどなく連れ帰る。
マンションに引っ越して、犬の飼えなくなった知人に、
譲り受けたと入院中の父に話したようで、父の方は、
かわいがっていた老犬の方が、まだ生きているかと、
気になったようだし、母の嘘など見抜いていたらしい。
父が病に倒れる前は、実家のビーグルは6匹もいて、
次第に年の順で少なくなって、2匹になっていたが、
そこへ初めてビーグル以外の犬が、やってきたので、
退院した父も、キャバリアをベッドに載せていたほど。
キャバリアは父と会うだろうか、でも、申し訳ないが、
父が一番好きだったのは、ビーグルのうち一番小柄、
色も白からレモンと淡く、他のビーグルと違っていた、
ポールと言う子だから、その子と行ってしまったろう。
自分は我が家で飼っていたビーグルに対してさえ、
そうそう誉められた飼い主でなかったから、きっと、
自分を連れてきた娘を待ち続けるのかな、ましてや、
実家の歴代の犬たちも、自分は眼中にないだろう。
何だか、とりとめのない文章で、何をどうしたいのか、
自分でもわからず、ただ、実家の犬を忘れないよう、
少なくとも時折思い出してあげるよう、今の気持ちを、
書き綴って、どんな思いだったかでも残しておきます。
今日、2021年12月20日の午前10時すぎ、
13歳1ケ月で旅立ち、これは長寿と呼べるか、
これまで実家で飼った犬の中ではまだ若い方。
ほんの1週間前までは、多少足腰は弱っても、
もう1匹のビーグルと散歩していたし、人一倍、
おやつのジャーキーやビスケットをねだったが、
みるみるうちに衰えて、亡くなる時はこうなのか。
11月にビーグルが、目の端が飛び出てしまう、
チェリーアイという病気になって、かかりつけの、
犬猫病院では、その手術ができないと言われ、
十数年前にもお世話になった少し遠い病院へ。
その際、キャバリアも足腰が衰えてきたからと、
診てもらったところ、膵臓が弱っていると言われ、
ビーグルの事前診察や手術の際にも同行させ、
治療薬の注射をしてもらい、一安心したばかり。
歳のせいもあるのか、2匹で散歩へ出かける際、
キャバリアは玄関に伏せたり、出かけようとせず、
「ほら、行くよ」とリードをつけると、重い腰をあげ、
もったいつけるように歩き出すのが、この1ケ月。
それでも、ビーグルと先を争うように小走りをして、
2本のリードが三つ編みのように絡み合ったりし、
糞を取っている時に、それぞれ反対方向へ走り、
股裂きのように転倒させられ、勢いは良かった。
12月13日に仕事帰りに実家に寄ると、母から、
キャバリアの具合が悪く、かけりつけの病院で、
栄養剤だかカンフル剤だかを注射してもらったと、
話してきて、その日は、散歩には行こうとしない。
これまでも散歩中、へたれ牛のように腰砕けで、
座り込むこともあったので、足が弱ったのだろう、
ビーグルだけで散歩してきて、おやつをあげると、
自分にもよこせとばかり、起き上がり歩いてきた。
おやつでつって、少し外へ出すようにしようかと、
翌日、少し高いジャーキーを買ってきたりしたが、
たった一日なのに、なかなか立ち上がれなくて、
こちらで腰を持ってあげると、水を飲みに歩いた。
このままでは、どんどん足腰が弱くなってしまう、
介護用ハーネスで補助して、少しでも歩かせよう、
早速Amazonで取り寄せ、公園まで抱いて行き、
ハーネスをつけたのだが、すぐ横になってしまう。
そのままおしっこを排泄したようで、お腹が濡れ、
抱きかかえて戻る際に、コートはおしっこまみれ、
実家で少し乾かしてから、なるべく人混みを避け、
電車も空いた車両を選んで、なんとか帰宅した。
それからは、日に日に衰えていき、もう起きずに、
横になっていて、それでも、おやつは欲しいから、
前足だけで這うように近づいてきたり、その翌日、
もう這うのもつらいようで、尻尾だけ振って合図。
平日は仕事帰りに実家に寄って、犬を散歩して、
週末は母に任せるというのが、この10年ほどの、
習慣になっていたが、キャバリアが気になるので、
この土日は、老犬用餌、おやつを買って顔を出す。
キャバリアは、おやつをビーグルに取られまいと、
昔から噛まずに飲み込んでは、むせたりするので、
誤嚥性肺炎にならないよう、小さくして食べさすが、
もっとよこせとばかり次々飲み込むので安堵する。
ところが、日曜日には、そのおやつも欲しがらずに、
舌を出してハアハアするので、水皿を近づけると、
顔だけ起こして水を飲み続け、これまた誤嚥性が、
心配になるが、けっこう、こまめに水を欲しがった。
今朝の会議中に、スマホのバイブが反応したので、
まさか亡くなったという母からの電話ではないよな、
いつもの光ケーブルや不動産の勧誘であってくれ、
そう思って、ポケットから出すのも我慢し退出せず。
会議が終わるなり、すぐ廊下でスマホをチェックし、
母と、その連絡を受けただろう家内からの着信に、
留守電、メールがいくつもあり、具合が悪くなった、
危なそうだ、そして、とうとう亡くなったという連絡。
朝の9時過ぎにぐったりして、かかりつけで注射し、
ただ先生からは、もう時間の問題、家に戻ったら、
ずっと付き添って、看取ってあげるように言われて、
こっちに連絡してくれたのが、まさに会議の最中。
会議を抜けて実家へ急げば、看取れただろうか、
自分の担当する案件もなく、発言一つしなかった、
そんな会議に義理立てて、出続けたばっかりに、
キャバリアとの最後のお別れがかなわなかった。
ただ、こちらも勤め人だから、仕事優先は当然で、
会議中に私用のスマホに出て、犬が死にそうで、
これから帰らせてもらいます、なんて言い出すと、
次年度の再雇用が更新してもらえない可能性も。
そういう自分自身、まだ犬を飼っていない頃だが、
同僚が、母親が犬を病院に連れていくが心配で、
自分も付き添うのでと、有給休暇を取った時には、
変わった奴だなあ、こいつオタクかと思ったりした。
自分が行ったところで、キャバリアは亡くなる運命、
こちらの顔を見て奇跡的回復なんて、ありえない、
そもそも、幼い頃から面倒をみたのは同居の母で、
自分は散歩に来る人、おやつおじさんだっただけ。
そんな風に考えていたら、昔の祖母の手術の日を、
妙に思い出して、あの日、伯父は仕事を抜けれず、
手術に立ち会えなくて、そのことを伯母が気にして、
さかんに申し訳なさそうに、父母たちと話していた。
「別におじちゃんが来たからって、手術が成功する、
しないには関係ないよ。」と自分が言うと、伯母は、
「驚いた、今、あんたが言ったことを、おじちゃんは、
一言一句違わず言ったよ。」と呆れたように返す。
学のある人は揃ったように、そうやって割り切れる、
生半可な知識があるばかりに、情より理路整然と、
物事を捉えるんだといった言いぶりで、伯父共々、
冷たい人間だというレッテルを張られたようなもの。
確かに、自分は、そうやって自分を言い聞かせて、
納得させるところがあり、根底は冷たいのだろうし、
実家のキャバリエの旅立ちも、こうして記事にして、
表現欲からの単なる自己満足にすぎないのだろう。
その点、母は本当に愛情を注いで、あの子たちを、
世話していて、自分は夕方散歩に連れ出すだけ、
それでも母には、犬を飼う以上、責任もって飼え、
年中出かけて、留守番ばかりさせるなと注意した。
犬たちのほうがわかっていて、散歩に出ようとして、
ちょうど母が帰ってくると、Uターンして自宅へ走り、
もうこっちには何の関心もなく、母にまとわりつき、
やっぱり自分は、犬からも散歩係の認識なんだと。
キャバリアを母が飼ったのは、父が亡くなる少し前、
1年近く抗がん剤治療で入退院を繰り返していて、
それで治療も終わると思っていたら、転移がわかり、
余命半年と言われた日、病院の帰り道がきっかけ。
通り道のペットショップで、ガラス越しに目が合って、
悲しみにくれていた母にとり、すごく癒されたようで、
毎日の洗濯物の交換で病院に来るたび、この子を、
見るためにペットショップに寄り、ほどなく連れ帰る。
マンションに引っ越して、犬の飼えなくなった知人に、
譲り受けたと入院中の父に話したようで、父の方は、
かわいがっていた老犬の方が、まだ生きているかと、
気になったようだし、母の嘘など見抜いていたらしい。
父が病に倒れる前は、実家のビーグルは6匹もいて、
次第に年の順で少なくなって、2匹になっていたが、
そこへ初めてビーグル以外の犬が、やってきたので、
退院した父も、キャバリアをベッドに載せていたほど。
キャバリアは父と会うだろうか、でも、申し訳ないが、
父が一番好きだったのは、ビーグルのうち一番小柄、
色も白からレモンと淡く、他のビーグルと違っていた、
ポールと言う子だから、その子と行ってしまったろう。
自分は我が家で飼っていたビーグルに対してさえ、
そうそう誉められた飼い主でなかったから、きっと、
自分を連れてきた娘を待ち続けるのかな、ましてや、
実家の歴代の犬たちも、自分は眼中にないだろう。
何だか、とりとめのない文章で、何をどうしたいのか、
自分でもわからず、ただ、実家の犬を忘れないよう、
少なくとも時折思い出してあげるよう、今の気持ちを、
書き綴って、どんな思いだったかでも残しておきます。

先月、「これが定番!世代別ベストソング」を見て、
昭和、平成、令和と分けて、曲を紹介していたが、
年号で世代を区切るのは、あまりにアバウトすぎ、
紹介された曲のうち、平成もかなり親しみがある。
特に、スピッツとミスター・チルドレンが流れると、
もともと、そんなファンというわけではなかったが、
やっぱり良い曲が多いなと、懐かしくなってきて、
ベスト盤くらいは持っていたので、久々に聴いた。
スピッツは2曲ほどカバーしたけれど、ミスチルは、
やっていなくて、そもそもバンドスコアはあるのか、
検索すると、ドレミ楽譜とKMPは絶版で、現行は、
シンコーが昨年4月に出したベスト曲集しかない。
いつも愛用しているAmazonでは、在庫が3冊、
これは売り切れる前に買っておこうと、迷わずに、
クリックしたが、あとあと冷静になると、どんどん、
楽譜はたまる一方、何とか活用しないことには。
昔から夜はラジオをつけっ放しで、ウトウト聴くが、
以前、「ミスチルのくるみのミュージックビデオが、
すごく泣ける」と曲が紹介され、その映像の方は、
親父バンドが結成されるストーリーだと語られる。
シングルCDにPV収録というので、買ったところ、
妻と娘と去られたらしき、さえない中年の親父が、
店頭のフォークギターを見て、昔の夢よもう一度と、
かつてのバンド仲間に声をかけて、活動を始める。
それぞれ家庭や生活があり、すぐに参加できず、
夜中に布団を抜け出し、ベースを担いで走ったり、
役者さんたちは、顔芸っぽい大袈裟な表情をして、
かなり笑えるのだが、それでもしんみりしてもくる。
知り合いのツテか、碁会所やらマタニティ教室で、
バンド演奏を始め、口コミで人気が出ていくような、
流れになるかと思いきや、結婚式では拍手喝采を
想像したものの、演奏中に皆が帰ってしまうことに。
ギターケースを抱え、4人並んで夕焼けの川原を、
歩く場面は、バンド経験者にはウルウルきそうで、
「まあ、よくやったよ」「また集まれて楽しかった」
そんなやりとりをして、バンドの4人は別れていく。
バンド名を考えた時のメモは、「ミスターアダルト」
「ミスターチルドレン」と書き、アダルトに決めたが、
苦笑しながら、メモを捨てると、桜井がそれを拾い、
「このバンド名、もらおう」となったというオチが付く。
このようにMVは、架空の親父バンドの場面だけで、
「くるみ」という曲も、そのバンドが作って歌う形で、
歌詞の内容に沿った情景は、まったく出てなくて、
ちょっと珍しい作り方だが、それだけに印象に残る。
逆に、歌詞は多少口ずさんだりした程度なので、
その内容を考えることもなかったが、カバーに際し、
じっくり歌詞カードを読むと、これがすごく深くって、
そもそも桜井の歌詞は、かなり訴えるものが多い。
その歌詞を、自分がきちんと歌えるかというのが、
何よりもネックだが、まずはオケを作っていこうと、
バンドスコアどおりにドラム入力、ベース、アコギ、
リズムギターに、ギターシンセで鍵盤類を重ねる。
シンコーのバンドスコアは、ヤングギターを発行し、
ギターには自信があるのか、TAB付のエレキに、
アコギと採譜しているが、その分キーボード類は、
2段にまとめていたり、かなり省略されてばかり。
「くるみ」も、ピアノは右手のみで、アコーディオン、
鉄琴、オーケストラを1段にまとめていて見にくく、
オクターブ違っていたり、明らかに音も違うので、
ダウンロード販売で、フェアリー社の楽譜も買う。
ピアノは右手・左手の2段譜で、末尾にまとめて、
エレキギターも3本で、アコーディオン、鉄琴に、
オーケストラは別々の段で、オケも単音でなくて、
すごい丁寧な譜面で、以前の米津もそうだった。
歌が下手な分、伴奏はなるべく原曲に似るよう、
ギターシンセで弾くピアノ、アコーディオン、鉄琴、
ストリングスは、最初のシンコーでの録音は消し、
全部フェアリー社でやり直し、トラック数も増やす。
エンディングでは、リズムギターと別のギターが、
歪んだ音でアルペジオ風フレーズで加わるので、
普通ならフェイドアウトせずに、アドリブだよなあと、
曲を伸ばして、レスポールを歪ませて勝手に弾く。
桜井は、喉声で息苦しそうに歌うので、これだと、
血管が切れるよなあ、脳梗塞にもなるだろうなと、
徳永英明がポリープや脳梗塞になるのと同様で、
自分も、むきになって歌わないように気をつける。
自分のキーは、地声でギター1弦3フレのG音で、
裏声では、その上のC音が限界で、この歌では、
桜井は地声でA音、裏声はF音まで出していて、
自分だと、ケンケンの笑う無声音になってしまう。
たまたま見たテレビの影響で、まったく畑違いの、
ミスチルをカバーすることにしたが、オケ作りには、
かなり時間もかけて、歌も声がすぐに枯れるので、
何だかんだと日数がかかり、ようやくのアップです。
昭和、平成、令和と分けて、曲を紹介していたが、
年号で世代を区切るのは、あまりにアバウトすぎ、
紹介された曲のうち、平成もかなり親しみがある。
特に、スピッツとミスター・チルドレンが流れると、
もともと、そんなファンというわけではなかったが、
やっぱり良い曲が多いなと、懐かしくなってきて、
ベスト盤くらいは持っていたので、久々に聴いた。
スピッツは2曲ほどカバーしたけれど、ミスチルは、
やっていなくて、そもそもバンドスコアはあるのか、
検索すると、ドレミ楽譜とKMPは絶版で、現行は、
シンコーが昨年4月に出したベスト曲集しかない。
いつも愛用しているAmazonでは、在庫が3冊、
これは売り切れる前に買っておこうと、迷わずに、
クリックしたが、あとあと冷静になると、どんどん、
楽譜はたまる一方、何とか活用しないことには。
昔から夜はラジオをつけっ放しで、ウトウト聴くが、
以前、「ミスチルのくるみのミュージックビデオが、
すごく泣ける」と曲が紹介され、その映像の方は、
親父バンドが結成されるストーリーだと語られる。
シングルCDにPV収録というので、買ったところ、
妻と娘と去られたらしき、さえない中年の親父が、
店頭のフォークギターを見て、昔の夢よもう一度と、
かつてのバンド仲間に声をかけて、活動を始める。
それぞれ家庭や生活があり、すぐに参加できず、
夜中に布団を抜け出し、ベースを担いで走ったり、
役者さんたちは、顔芸っぽい大袈裟な表情をして、
かなり笑えるのだが、それでもしんみりしてもくる。
知り合いのツテか、碁会所やらマタニティ教室で、
バンド演奏を始め、口コミで人気が出ていくような、
流れになるかと思いきや、結婚式では拍手喝采を
想像したものの、演奏中に皆が帰ってしまうことに。
ギターケースを抱え、4人並んで夕焼けの川原を、
歩く場面は、バンド経験者にはウルウルきそうで、
「まあ、よくやったよ」「また集まれて楽しかった」
そんなやりとりをして、バンドの4人は別れていく。
バンド名を考えた時のメモは、「ミスターアダルト」
「ミスターチルドレン」と書き、アダルトに決めたが、
苦笑しながら、メモを捨てると、桜井がそれを拾い、
「このバンド名、もらおう」となったというオチが付く。
このようにMVは、架空の親父バンドの場面だけで、
「くるみ」という曲も、そのバンドが作って歌う形で、
歌詞の内容に沿った情景は、まったく出てなくて、
ちょっと珍しい作り方だが、それだけに印象に残る。
逆に、歌詞は多少口ずさんだりした程度なので、
その内容を考えることもなかったが、カバーに際し、
じっくり歌詞カードを読むと、これがすごく深くって、
そもそも桜井の歌詞は、かなり訴えるものが多い。
その歌詞を、自分がきちんと歌えるかというのが、
何よりもネックだが、まずはオケを作っていこうと、
バンドスコアどおりにドラム入力、ベース、アコギ、
リズムギターに、ギターシンセで鍵盤類を重ねる。
シンコーのバンドスコアは、ヤングギターを発行し、
ギターには自信があるのか、TAB付のエレキに、
アコギと採譜しているが、その分キーボード類は、
2段にまとめていたり、かなり省略されてばかり。
「くるみ」も、ピアノは右手のみで、アコーディオン、
鉄琴、オーケストラを1段にまとめていて見にくく、
オクターブ違っていたり、明らかに音も違うので、
ダウンロード販売で、フェアリー社の楽譜も買う。
ピアノは右手・左手の2段譜で、末尾にまとめて、
エレキギターも3本で、アコーディオン、鉄琴に、
オーケストラは別々の段で、オケも単音でなくて、
すごい丁寧な譜面で、以前の米津もそうだった。
歌が下手な分、伴奏はなるべく原曲に似るよう、
ギターシンセで弾くピアノ、アコーディオン、鉄琴、
ストリングスは、最初のシンコーでの録音は消し、
全部フェアリー社でやり直し、トラック数も増やす。
エンディングでは、リズムギターと別のギターが、
歪んだ音でアルペジオ風フレーズで加わるので、
普通ならフェイドアウトせずに、アドリブだよなあと、
曲を伸ばして、レスポールを歪ませて勝手に弾く。
桜井は、喉声で息苦しそうに歌うので、これだと、
血管が切れるよなあ、脳梗塞にもなるだろうなと、
徳永英明がポリープや脳梗塞になるのと同様で、
自分も、むきになって歌わないように気をつける。
自分のキーは、地声でギター1弦3フレのG音で、
裏声では、その上のC音が限界で、この歌では、
桜井は地声でA音、裏声はF音まで出していて、
自分だと、ケンケンの笑う無声音になってしまう。
たまたま見たテレビの影響で、まったく畑違いの、
ミスチルをカバーすることにしたが、オケ作りには、
かなり時間もかけて、歌も声がすぐに枯れるので、
何だかんだと日数がかかり、ようやくのアップです。

ジョンの命日、12月8日を前に、ビートルズ周辺が、
にわかに騒がしくなったというか、賑やかになって、
「レット・イット・ビー」の50周年記念ボックスセット、
映画「ゲット・バック」の配信など、半ばお祭り状態。
ただ、これは、単にブラックフライデーやクリスマス、
年末商戦を狙って、この時期に集中しただけのこと、
ジョンの命日と結びつけるのは、自分の思い込み、
ジョンを神格化したいだけのこじつけかもしれない。
「レット・イット・ビー」の場合、録音自体は1969年、
後から録音した「アビーロード」が先に発売されたり、
紆余曲折を経て、ビートルズ現役最後のLPとして、
出たのが70年だから、本来ならば昨年が50周年。
ただ、ボックスセットと同時進行していた映画の方が、
コロナの影響で上映延期となったので、アルバムも、
それに合わせて延期し、時期を同じにして出す方が、
話題性としても、売り上げに貢献と大人の事情だろう。
案の定、雑誌の特集、ムック本、公式写真集発売と、
お金がいくらあっても足りないし、ファンの自分でさえ、
ボックスセットはペパーズのみで、ホワイトアルバム、
アビーロードはスルーして、今回も、そうなる見込み。
映画館上映から、ディズニープラスでの配信となり、
「ゲットバック」にしても、ダウンロードはできない形、
期間限定のリアルタイム視聴なので、約8時間近く、
集中して見るのは、多動性気味な自分はまず無理。
ブルーレイになったら早送りして、気に入った場面を、
何度も見れば良いか、地上波は無理でもケーブルか、
衛星放送でやってくれないかと、かなりの他力本願、
自分としては、今YouTubeで試聴できるもので十分。
映画「レット・イット・ビー」は、映像自体が暗いうえに、
口論したり仲間割れしたりで、解散へと向かって行く、
ドキュメンタリーという編集だが、実際は笑顔もあって、
4人は仲良かったんだなと判って、それだけでも満足。
「ゲットバック」が映画から長時間配信になったのは、
コロナの影響が一番だが、クイーンの大ヒット映画の、
「ボヘミアン・ラプソディー」の二番煎じでも狙おうかと、
プロジェクトを立ち上げたが、当てが外れた気もする。
あの映画は、ライブエイドをクライマックスに設定して、
バラバラになっていた4人が、フレディの病気を知り、
もう一度集結して、最高のステージを繰りひろげたと、
感動ストーリーに仕上げているが、脚色も多少ある。
おそらく、ライブエイドの段階でエイズの告知はないし、
メンバーが知ったのも、亡くなる少し前だったはずで、
バラバラになっていた真偽は知らないが、同じ85年、
1月にブラジル、5月にも日本でライブをやっている。
リアルタイム世代の自分としては、ライブエイドでは、
その数ヶ月前に国立代々木で見ているクイーンより、
レッド・ツェッペリン再結成の方が一大事件だったし、
正直クイーンの演奏は、まったく記憶に残ってない。
「ゲットバック」を感動ストーリー大作映画にするなら、
「レット・イット・ビー」と同様に、口論する場面に加え、
ジョージの脱退劇まで映し、その後に和解して笑顔、
ルーフトップコンサートが最高のクライマックスにする。
バラバラの4人がライブを通じて、その絆を再確認し、
「カム・トゥゲザー」だとばかり、スタジオに集結して、
最高の作品「アビーロード」を作り出すことになったと、
エンドロールにでも流したら、ファンは感涙にむせぶ。
ただ、それが嘘であることは、ファンならば余計周知、
クイーンの映画みたいにうまくいかない、それならば、
余計な編集やら作ったストーリーは不要、そのまま、
ビートルズの映像をできるだけ多く公開すればよい。
そんな経緯で、映画から長時間の配信へと変更した、
これまた、いつもながらの自分の邪推でしかないが、
ビートルズの場合は、あまりにいろいろ想像できるし、
あながち的外れだとは限らないから、本当に面白い。
ジョンの事は書き出すと、毎年、同じことの繰り返し、
当時の悲しみ、その後の犯人への怒りがこみ上げ、
自制心がコントロールできなくなるので、今年くらい、
新作映画の話題にすり替えて、長々と書きました。
にわかに騒がしくなったというか、賑やかになって、
「レット・イット・ビー」の50周年記念ボックスセット、
映画「ゲット・バック」の配信など、半ばお祭り状態。
ただ、これは、単にブラックフライデーやクリスマス、
年末商戦を狙って、この時期に集中しただけのこと、
ジョンの命日と結びつけるのは、自分の思い込み、
ジョンを神格化したいだけのこじつけかもしれない。
「レット・イット・ビー」の場合、録音自体は1969年、
後から録音した「アビーロード」が先に発売されたり、
紆余曲折を経て、ビートルズ現役最後のLPとして、
出たのが70年だから、本来ならば昨年が50周年。
ただ、ボックスセットと同時進行していた映画の方が、
コロナの影響で上映延期となったので、アルバムも、
それに合わせて延期し、時期を同じにして出す方が、
話題性としても、売り上げに貢献と大人の事情だろう。
案の定、雑誌の特集、ムック本、公式写真集発売と、
お金がいくらあっても足りないし、ファンの自分でさえ、
ボックスセットはペパーズのみで、ホワイトアルバム、
アビーロードはスルーして、今回も、そうなる見込み。
映画館上映から、ディズニープラスでの配信となり、
「ゲットバック」にしても、ダウンロードはできない形、
期間限定のリアルタイム視聴なので、約8時間近く、
集中して見るのは、多動性気味な自分はまず無理。
ブルーレイになったら早送りして、気に入った場面を、
何度も見れば良いか、地上波は無理でもケーブルか、
衛星放送でやってくれないかと、かなりの他力本願、
自分としては、今YouTubeで試聴できるもので十分。
映画「レット・イット・ビー」は、映像自体が暗いうえに、
口論したり仲間割れしたりで、解散へと向かって行く、
ドキュメンタリーという編集だが、実際は笑顔もあって、
4人は仲良かったんだなと判って、それだけでも満足。
「ゲットバック」が映画から長時間配信になったのは、
コロナの影響が一番だが、クイーンの大ヒット映画の、
「ボヘミアン・ラプソディー」の二番煎じでも狙おうかと、
プロジェクトを立ち上げたが、当てが外れた気もする。
あの映画は、ライブエイドをクライマックスに設定して、
バラバラになっていた4人が、フレディの病気を知り、
もう一度集結して、最高のステージを繰りひろげたと、
感動ストーリーに仕上げているが、脚色も多少ある。
おそらく、ライブエイドの段階でエイズの告知はないし、
メンバーが知ったのも、亡くなる少し前だったはずで、
バラバラになっていた真偽は知らないが、同じ85年、
1月にブラジル、5月にも日本でライブをやっている。
リアルタイム世代の自分としては、ライブエイドでは、
その数ヶ月前に国立代々木で見ているクイーンより、
レッド・ツェッペリン再結成の方が一大事件だったし、
正直クイーンの演奏は、まったく記憶に残ってない。
「ゲットバック」を感動ストーリー大作映画にするなら、
「レット・イット・ビー」と同様に、口論する場面に加え、
ジョージの脱退劇まで映し、その後に和解して笑顔、
ルーフトップコンサートが最高のクライマックスにする。
バラバラの4人がライブを通じて、その絆を再確認し、
「カム・トゥゲザー」だとばかり、スタジオに集結して、
最高の作品「アビーロード」を作り出すことになったと、
エンドロールにでも流したら、ファンは感涙にむせぶ。
ただ、それが嘘であることは、ファンならば余計周知、
クイーンの映画みたいにうまくいかない、それならば、
余計な編集やら作ったストーリーは不要、そのまま、
ビートルズの映像をできるだけ多く公開すればよい。
そんな経緯で、映画から長時間の配信へと変更した、
これまた、いつもながらの自分の邪推でしかないが、
ビートルズの場合は、あまりにいろいろ想像できるし、
あながち的外れだとは限らないから、本当に面白い。
ジョンの事は書き出すと、毎年、同じことの繰り返し、
当時の悲しみ、その後の犯人への怒りがこみ上げ、
自制心がコントロールできなくなるので、今年くらい、
新作映画の話題にすり替えて、長々と書きました。

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