僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
布団の中でウトウトして眺めていたヤフーニュース、
エンタメ記事トップに、馴染みのある名前を見つけ、
それが訃報だと分かった途端、一気に目が覚めて、
何をどうしたらよいのか、とりあえず起き上がった。
「PRISM和田アキラさん死去」と淡々とした見出し、
2018年末に予定していたライブが中止となって、
病気療養が告げられてから、まったく情報がなく、
どうなっているのだろうと、つい先日もHPを見た。
いったい何の病気かのアナウンスもまったくなく、
そうとう悪いのだろうか、あるいは怪我が原因で、
ギタリスト生命が終わってしまいかねない状況で、
リハビリに励んでいるのか、あれこれと想像した。
最悪の事態を思っては、そんなことはないだろうと、
いつもの楽観的な自分がいたのだが、ここに至り
和田アキラの訃報に接して、本当に頭が混乱して、
とりあえず気持ちを整理しようと、文章にしている。
いや、整理できるわけないだろう、和田アキラは、
おそらく自分にとっては、一番好きなギタリストで、
アキラのような早弾きがしたいと、ギターを練習し、
ギター教室にも通って、今でも練習し続けている。
この数年、自分が歳をとったせいもあり、何かと、
昔から好きだったミュージシャンの訃報に接して、
その度に、もういい歳なんだから仕方ないんだよ、
そうやって自分をごまかしてきたが、今回は無理。
高校生の頃、雑誌のアマチュア紹介の記事から、
プリズムを知ったが、そのリーダー、ギタリストの、
和田アキラは、和田晃として、ギター講座だとか、
レコード評を書いていて、名前だけは知っていた。
やがて、後楽園でチャー、竹田和夫、森園勝敏、
3人が競演するライブがあり、見に行った友人が、
森園のバックバンドはプリズムで、和田アキラの、
ギターがものすごかったと、興奮して話していた。
そのうちに、レコードデビューが決まり、ラジオに、
和田と森園が出るというので、どんな曲だろうと、
楽しみに聴くと、「僕らは『プ』と呼んでます。」と、
笑いながら、バンド名と同じ「プリズム」をかける。
いきなりの早弾きのスケールの嵐にぶっとんで、
一気にファンとなり、LPを買うことになるのだが、
高校でもギターを弾く友人たちの間で話題沸騰、
その年の文化祭では、早くもプリズムを弾く奴も。
もちろん、アルバムのハードサイドは無理なのか、
ソフトサイドの曲ばかり、バンドを組めないくせに、
何だ、誰も「プリズム」を弾けないのかよ、自分は、
楽譜を買ったから弾けるのにと、自惚れていた。
プリズムがセカンドアルバムを出す頃、パルコで、
プリズム、スペースサーカス、渡辺香津美という、
クロスオーバー・フェスが開催され、ここで初めて、
和田アキラの生演奏に触れて、とにかく興奮した。
日曜の昼のテレビ番組「ロックおもしロック」では、
グレコのCMがあり、和田アキラが早弾きを披露、
これには世間一般、お茶の間もびっくりしたかと、
思うのだが、いかんせん、ローカル番組にすぎず。
こうして思い出を綴ると、本当にきりがなくなって、
やはり何をどうして良いのか、わからないままで、
「RIP 和田アキラ」「和田アキラのご冥福を~」と、
書くのさえ陳腐に思えて、いったん筆を置きます。
エンタメ記事トップに、馴染みのある名前を見つけ、
それが訃報だと分かった途端、一気に目が覚めて、
何をどうしたらよいのか、とりあえず起き上がった。
「PRISM和田アキラさん死去」と淡々とした見出し、
2018年末に予定していたライブが中止となって、
病気療養が告げられてから、まったく情報がなく、
どうなっているのだろうと、つい先日もHPを見た。
いったい何の病気かのアナウンスもまったくなく、
そうとう悪いのだろうか、あるいは怪我が原因で、
ギタリスト生命が終わってしまいかねない状況で、
リハビリに励んでいるのか、あれこれと想像した。
最悪の事態を思っては、そんなことはないだろうと、
いつもの楽観的な自分がいたのだが、ここに至り
和田アキラの訃報に接して、本当に頭が混乱して、
とりあえず気持ちを整理しようと、文章にしている。
いや、整理できるわけないだろう、和田アキラは、
おそらく自分にとっては、一番好きなギタリストで、
アキラのような早弾きがしたいと、ギターを練習し、
ギター教室にも通って、今でも練習し続けている。
この数年、自分が歳をとったせいもあり、何かと、
昔から好きだったミュージシャンの訃報に接して、
その度に、もういい歳なんだから仕方ないんだよ、
そうやって自分をごまかしてきたが、今回は無理。
高校生の頃、雑誌のアマチュア紹介の記事から、
プリズムを知ったが、そのリーダー、ギタリストの、
和田アキラは、和田晃として、ギター講座だとか、
レコード評を書いていて、名前だけは知っていた。
やがて、後楽園でチャー、竹田和夫、森園勝敏、
3人が競演するライブがあり、見に行った友人が、
森園のバックバンドはプリズムで、和田アキラの、
ギターがものすごかったと、興奮して話していた。
そのうちに、レコードデビューが決まり、ラジオに、
和田と森園が出るというので、どんな曲だろうと、
楽しみに聴くと、「僕らは『プ』と呼んでます。」と、
笑いながら、バンド名と同じ「プリズム」をかける。
いきなりの早弾きのスケールの嵐にぶっとんで、
一気にファンとなり、LPを買うことになるのだが、
高校でもギターを弾く友人たちの間で話題沸騰、
その年の文化祭では、早くもプリズムを弾く奴も。
もちろん、アルバムのハードサイドは無理なのか、
ソフトサイドの曲ばかり、バンドを組めないくせに、
何だ、誰も「プリズム」を弾けないのかよ、自分は、
楽譜を買ったから弾けるのにと、自惚れていた。
プリズムがセカンドアルバムを出す頃、パルコで、
プリズム、スペースサーカス、渡辺香津美という、
クロスオーバー・フェスが開催され、ここで初めて、
和田アキラの生演奏に触れて、とにかく興奮した。
日曜の昼のテレビ番組「ロックおもしロック」では、
グレコのCMがあり、和田アキラが早弾きを披露、
これには世間一般、お茶の間もびっくりしたかと、
思うのだが、いかんせん、ローカル番組にすぎず。
こうして思い出を綴ると、本当にきりがなくなって、
やはり何をどうして良いのか、わからないままで、
「RIP 和田アキラ」「和田アキラのご冥福を~」と、
書くのさえ陳腐に思えて、いったん筆を置きます。
スポンサーサイト

スキマスイッチという一風変わった名前の2人組を、
最初に知ったのはいつだったか、記憶の彼方だが、
まともに曲を聴いたのは、ドラえもんの映画の曲、
「ボクノート」が、テレビやラジオで流れた頃だろう。
ほどなく、ボーカルの大橋のソロ曲がユーキャンの、
CMソングで流れて、キーボードの常田のアフロが、
お笑い芸人のトータルテンボスの藤田にそっくりと、
話題になったり、顔と名前が一致する存在になる。
大橋の歌い方が、ちょっとこもったような感じにして、
ブルースやソウル歌手のような発声の仕方なので、
山崎まさよしに近いかなと思っていたら、山崎らの、
ユニットである福耳に参加して、我が意を得たりと。
ある時、素人参加の歌番組、ものまねの歌合戦か、
歌うま選手権の類だったか、たままた見ていたら、
スキマスイッチの「奏」を歌う人がいて、歌のうまさ、
曲の良さに感動して、ようやく図書館でCDを借りた。
福耳でも歌った「惑星タイマー」や「奏」のアレンジ、
ストリングスのはいるところは、ビートルズっぽくて、
何でもかんでもビートルズに結びつける悪い癖だが、
「奏」は、イントロのドラムさえリンゴっぽく聴こえる。
「奏」は、旅立つ相手との駅での別れの情景を歌い、
自分の世代だと、かぐや姫、イルカの「なごり雪」を、
ついつい浮かべてしまうが、曲の雰囲気も違えば、
遠く離れてもつながっていると強調するのも異なる。
歌の主人公たちは、恋人同士だと解釈するほうが、
普通だろうが、大切な人との別れと拡大解釈して、
例えば、子供が巣立っていくという風にも思えたり、
曲が聴く人によって、新しい意味を持つのも面白い。
卒業ソングとまではいかないが、ついこの時期には、
「奏」を思い浮かべてしまうし、それ以上にこの曲は、
スキマスイッチ自身が、あの東日本大震災に際して、
被災地に向けメッセージとして歌った意味は大きい。
震災の2日後、「僕たちには歌うことしかできません」、
そう断って、常田の生ピアノだけをバックに大橋が、
この曲を歌ったことは、「僕らは何処にいたとしても
つながっていける」という思いを込めたかと想像する。
被災した人らに、あなたたちは決して一人じゃない、
みんなが見ている、みんなとつながっているんだと、
そうしたメッセージを伝えたくて、この曲を歌ったと、
被害はないものの余震に怯えた自分は解釈したい。
皮肉なことに、自分がこのYouTubeにて公開された、
「奏」の存在を知ったのは、この行為へのバッシング、
売名行為だ、偽善だ、今は歌など歌っている場合か、
現地へ行って手伝え、寄付しろ、など炎上したから。
震災の当日、自分は不安な思いで一夜を過ごして、
ラジオから流れる音楽で癒されたし、「奏」を見た際、
本当に涙があふれるほど感動して、音楽って良いな、
改めて思ったが、批判する意見もわからなくはない。
東北出身で、震災時に実際に気仙沼でロケしていた、
サンドウィッチマンは、お笑いよりはまずは募金だと、
義援金活動を行うが、メッセージを伝えるラジオでは、
自分たちは芸人だからと、ショートコントも披露した。
たぶん、東北大震災に限らず、こうした災害にあって、
何が正解かはわからないし、東北とはまったく違い、
単に揺れただけだろうと言われかねない自分などは、
何ら被災もしていない、高みの見物と非難されそう。
それでも、それまで経験したことのなかった揺れは、
今でもトラウマになっているし、音楽で癒されたこと、
このブログにメッセージをいただいたことが、本当に、
先の見えないあの時にあって、すごく救いになった。
山下達郎が映画用に作った「希望という名の光」は、
その歌詞から震災時にオンエアされ、達郎自身が、
歌に新しい意味をつけてくれたと述懐するほどだが、
「奏」は作者自らが、この曲を震災時に選んでいる。
あまり重苦しく考える必要もないが、自分にとっては、
この時期になると、別れの情景の歌であると同時に、
あの日のことを忘れてはいけないし、何があっても、
何処にいてもつながっていると思い出させてくれる。
「奏」のバンドスコアは市販されてなく、耳コピなどは、
まったく苦手なので、ネット検索すると無料サイトに、
バンドスコアがあり、ただダウンロードやプリントには、
対応していないようなので、ポイントだけ手書きする。
市販の楽譜では、メロディ譜、ギター弾き語り譜から、
ピアノソロ、ピアノ弾き語りとあって、伴奏の参考にと、
ピアノ弾き語り譜面を買い、これにはネットにはない、
ボーカルのハモリも載っていたので、すごく助かった。
とはいえ、ハモリのメロがわかったからというだけで、
音程をとるのは厳しかったし、おおもとのメロディでも、
キーがそう高くないが、声がかすれたり、途切れたり、
いつもながら、演奏に比べ、歌のクオリティは低すぎ。
スキマスイッチのライブ映像を見たら、エンディングは、
ギターがアドリブしていて、これぞバンド演奏だよなと、
自分もフェイドアウトを伸ばし、これまたいつもどおり、
好き勝手にギターソロを弾き、多少は歌の口直しに。
なかなかカバー演奏の更新ができず、空いてしまい、
3月11日への思い、この時期の出会いや別れとの、
二重の意味を持たせ、下手なりに心をこめて歌った、
スキマスイッチの「奏」は、何とか3月中にアップです。
最初に知ったのはいつだったか、記憶の彼方だが、
まともに曲を聴いたのは、ドラえもんの映画の曲、
「ボクノート」が、テレビやラジオで流れた頃だろう。
ほどなく、ボーカルの大橋のソロ曲がユーキャンの、
CMソングで流れて、キーボードの常田のアフロが、
お笑い芸人のトータルテンボスの藤田にそっくりと、
話題になったり、顔と名前が一致する存在になる。
大橋の歌い方が、ちょっとこもったような感じにして、
ブルースやソウル歌手のような発声の仕方なので、
山崎まさよしに近いかなと思っていたら、山崎らの、
ユニットである福耳に参加して、我が意を得たりと。
ある時、素人参加の歌番組、ものまねの歌合戦か、
歌うま選手権の類だったか、たままた見ていたら、
スキマスイッチの「奏」を歌う人がいて、歌のうまさ、
曲の良さに感動して、ようやく図書館でCDを借りた。
福耳でも歌った「惑星タイマー」や「奏」のアレンジ、
ストリングスのはいるところは、ビートルズっぽくて、
何でもかんでもビートルズに結びつける悪い癖だが、
「奏」は、イントロのドラムさえリンゴっぽく聴こえる。
「奏」は、旅立つ相手との駅での別れの情景を歌い、
自分の世代だと、かぐや姫、イルカの「なごり雪」を、
ついつい浮かべてしまうが、曲の雰囲気も違えば、
遠く離れてもつながっていると強調するのも異なる。
歌の主人公たちは、恋人同士だと解釈するほうが、
普通だろうが、大切な人との別れと拡大解釈して、
例えば、子供が巣立っていくという風にも思えたり、
曲が聴く人によって、新しい意味を持つのも面白い。
卒業ソングとまではいかないが、ついこの時期には、
「奏」を思い浮かべてしまうし、それ以上にこの曲は、
スキマスイッチ自身が、あの東日本大震災に際して、
被災地に向けメッセージとして歌った意味は大きい。
震災の2日後、「僕たちには歌うことしかできません」、
そう断って、常田の生ピアノだけをバックに大橋が、
この曲を歌ったことは、「僕らは何処にいたとしても
つながっていける」という思いを込めたかと想像する。
被災した人らに、あなたたちは決して一人じゃない、
みんなが見ている、みんなとつながっているんだと、
そうしたメッセージを伝えたくて、この曲を歌ったと、
被害はないものの余震に怯えた自分は解釈したい。
皮肉なことに、自分がこのYouTubeにて公開された、
「奏」の存在を知ったのは、この行為へのバッシング、
売名行為だ、偽善だ、今は歌など歌っている場合か、
現地へ行って手伝え、寄付しろ、など炎上したから。
震災の当日、自分は不安な思いで一夜を過ごして、
ラジオから流れる音楽で癒されたし、「奏」を見た際、
本当に涙があふれるほど感動して、音楽って良いな、
改めて思ったが、批判する意見もわからなくはない。
東北出身で、震災時に実際に気仙沼でロケしていた、
サンドウィッチマンは、お笑いよりはまずは募金だと、
義援金活動を行うが、メッセージを伝えるラジオでは、
自分たちは芸人だからと、ショートコントも披露した。
たぶん、東北大震災に限らず、こうした災害にあって、
何が正解かはわからないし、東北とはまったく違い、
単に揺れただけだろうと言われかねない自分などは、
何ら被災もしていない、高みの見物と非難されそう。
それでも、それまで経験したことのなかった揺れは、
今でもトラウマになっているし、音楽で癒されたこと、
このブログにメッセージをいただいたことが、本当に、
先の見えないあの時にあって、すごく救いになった。
山下達郎が映画用に作った「希望という名の光」は、
その歌詞から震災時にオンエアされ、達郎自身が、
歌に新しい意味をつけてくれたと述懐するほどだが、
「奏」は作者自らが、この曲を震災時に選んでいる。
あまり重苦しく考える必要もないが、自分にとっては、
この時期になると、別れの情景の歌であると同時に、
あの日のことを忘れてはいけないし、何があっても、
何処にいてもつながっていると思い出させてくれる。
「奏」のバンドスコアは市販されてなく、耳コピなどは、
まったく苦手なので、ネット検索すると無料サイトに、
バンドスコアがあり、ただダウンロードやプリントには、
対応していないようなので、ポイントだけ手書きする。
市販の楽譜では、メロディ譜、ギター弾き語り譜から、
ピアノソロ、ピアノ弾き語りとあって、伴奏の参考にと、
ピアノ弾き語り譜面を買い、これにはネットにはない、
ボーカルのハモリも載っていたので、すごく助かった。
とはいえ、ハモリのメロがわかったからというだけで、
音程をとるのは厳しかったし、おおもとのメロディでも、
キーがそう高くないが、声がかすれたり、途切れたり、
いつもながら、演奏に比べ、歌のクオリティは低すぎ。
スキマスイッチのライブ映像を見たら、エンディングは、
ギターがアドリブしていて、これぞバンド演奏だよなと、
自分もフェイドアウトを伸ばし、これまたいつもどおり、
好き勝手にギターソロを弾き、多少は歌の口直しに。
なかなかカバー演奏の更新ができず、空いてしまい、
3月11日への思い、この時期の出会いや別れとの、
二重の意味を持たせ、下手なりに心をこめて歌った、
スキマスイッチの「奏」は、何とか3月中にアップです。

毎年、この時期になると書いているが、年度末で、
決算だの何だのと忙しくて、連日のサービス残業、
週末もボランティア出勤で、帰宅しても疲れていて、
ギターにも触りもせず、ゴロゴロしては寝てしまう。
職場は、何かのイベントや特別なことでもない限り、
経常業務だから定時に終えて当然で、残業手当、
休日手当もつかないが、その分、この時期以外は、
堂々と定時に帰り、年休も消化するからお互い様。
ただ、この3月は、月末で自分は定年退職となり、
フルタイム再雇用を希望しているが、現段階では、
新しい配属先も未定、事前の打診がないことから、
あまり遠くに転勤することはないだろうという状況。
身辺整理というか、私物だらけの机やロッカーを、
最後の週末で整理しないといけなくて、これでは、
ブログのカバー演奏も程遠いと、オケが多少楽な、
歌ものの方に取り組むが、歌は声枯れがネックに。
ギターシンセがうまくいかずにインストは無理とか、
声が枯れているから、歌が歌えないという理由も、
何ヶ月おきに書いている言い訳だし、定型文でも、
コピペするとか、「多忙中」とかの看板を作ろうか。
そんな自虐的になってもいけないな、少しずつでも、
オケを作っていこう、今日は雨風が強いという予報、
休日出勤はやめたので、取り組んでいる歌ものの、
リズムのノリが悪かったピアノ伴奏を録音し直した。
たった5分の曲のピアノ伴奏に、1~2時間かかり、
それでも、いい感じになったので、この調子のまま、
ストリングスをやろうと、これは4回音を重ねるので、
それこそ、こういう時に、こまめにやろうと取り組む。
低音部と高音部に分けて、左右に振って、最初は、
いかにもストリングスのフワーっとした音色にして、
そこへ、エッジの効いたバイオリンの単音を重ねて、
フレーズをはっきりさせようなんて凝ったことをする。
それが余計なことで、音を重ねたら、けっこうずれて、
何度もやり直すし、最初の音が半音違っていたのが、
わかって、最初の方もやり直し、パンチインは苦手で、
その箇所を含む前後の休符のところを丸々弾き直す。
そうやって、やり直していたら、どうも音色がおかしく、
無意識にギターの手元のパッチボタンに触っていて、
隣のパッチに切り替わって、別の音色で弾いていて、
曲の途中で変わったり、やり直し部分だけ違ったり。
結果的に、4トラック分のストリングスは中途半端で、
全部を最初から音色を確認してやり直すことになり、
さすがの自分も心が折れて、今日はもうやめておく、
ただ、次回一発テイクになれるように練習は続けた。
ギターシンセは、音の立ち上がりが遅くてずれるし、
入っている音色も実際に使える音はあまり多くなく、
最新のギターシンセか音源モジュールあたりでも、
定年退職のお疲れ様で、自分のご褒美にしようか。
そんな甘い希望的観測から、このところの残業でも、
モチベーションアップでやってきたのに、これまた、
昨年と同様、歯医者さんで多大な出費が見込まれ、
シンセどころか、またしばらくCDや楽譜はお預けに。
昨年は、下の前歯が3本とも虫歯だらけになったら、
差し歯に取り換えることになり、20万円以上かかり、
今回は、奥歯が割れて抜歯することになり、これが、
以前抜歯した隣で、連続して3本の奥歯がなくなる。
ブリッジもかけれず、いよいよ60歳にして入れ歯で、
とりあえず保険の安いものでもと、型を取りだしたが、
いかんせん、奥の親知らずから3本並んでないから、
保険適用外が良いと言われ、それが15万円もする。
それこそ、退職金が入るから、何とかなるとお願いし、
初の入れ歯を作ってもらっているが、ギターシンセも、
夢のまた夢となって、ただ、これは、もし買っていたら、
古いギターシンセとエレキを2本は捨てられただろう。
退職金の話になるが、就職した昭和の終わりの頃、
バブル景気になる前でも、定期預金の利率は高くて、
退職金を定期にしておけば、その利息だけで毎年の、
生活費は賄えると、退職していく先輩たちから教わる。
自分もあと40年近く、定年まで仕事をまっとうしたら、
そんな生活が待っていると思ったのに、退職金自体、
当時の半額以下になってしまったし、銀行の利息など、
ないに等しく、今や通帳にさえ手数料を取られる有様。
そもそも、60歳からの年金生活なんて甘い話はなく、
あと5年はフルタイムで働いて、その後もアルバイトで、
稼がないと、65歳からの年金だけでは生活できない、
いかんいかん、どんどん話が暗い方へ行ってしまった。
コロナのせいで、昨年は退職者送別会や歓送迎会は、
規模縮小というよりは、まったく実施していない状況、
今年も同様だろうが、ドラマで見る定年退職する日に、
花束を抱えて終電に乗る構図は苦手で、ちょうど良い。
このブログには定年もなければ、再雇用の転勤もなし、
怠け癖が顔を出して、ちょっと更新が遅れていますが、
ギター練習を続けながら、オケ作りも進んでいるので、
年寄りの冷や水と言われない程度にはがんばります。
それで、気を持たせてばかりいてもいけないのですが、
取り組んでいる曲は、歌ものは、今日やりかけたのは、
スキマスイッチ「奏」で、達郎の「ソリッド・スライダー」、
「いつか」、オフコースは「さよなら」など3曲やりかけ。
ジョン・レノン、カーペンターズ、ジャーニーは数曲ずつ、
オケをストックしていて、これは高音が無理かもしれず、
インストは、スクエア「トゥルース」、「いとしのうなじ」、
「ダンサ・シャンバラ」「ジャイアント・サイド・ステップス」。
カシオペアだと「ミッドナイト・ランデブー」「スワロー」、
「テイクミー」「ルッキングアップ」、松岡直也となると、
「ミ・アモーレ」「クライフォーザムーン」「ゴッサマー」
「サンスポット・ダンス」などがオケ作りが中断中に。
インストのオケの挫折は、ドラムを打ち込んだだけで、
シンセの音色が決まらず、やめているものが大半で、
それこそ、退職金でギターシンセを買えば、どんどん、
録音が進むだろうと捕らぬ狸の皮算用だったのだが。
それでも、これ以外にも、やりかけている曲は多くて、
それだけバンドスコアをやたら買いまくっていたので、
ここは当分新しいスコアは買わずに、じっくりいこうと、
そう思っている矢先から、チック・コリアのを買ったり。
とまあ、完成してもいないオケについて、こんなにも、
大風呂敷を広げたのだから、やるしかないでしょうと、
残業の合間をぬって、今月中に1曲は仕上げたいし、
4月以降は月2曲にしたいと、これも捕らぬ狸でした。
決算だの何だのと忙しくて、連日のサービス残業、
週末もボランティア出勤で、帰宅しても疲れていて、
ギターにも触りもせず、ゴロゴロしては寝てしまう。
職場は、何かのイベントや特別なことでもない限り、
経常業務だから定時に終えて当然で、残業手当、
休日手当もつかないが、その分、この時期以外は、
堂々と定時に帰り、年休も消化するからお互い様。
ただ、この3月は、月末で自分は定年退職となり、
フルタイム再雇用を希望しているが、現段階では、
新しい配属先も未定、事前の打診がないことから、
あまり遠くに転勤することはないだろうという状況。
身辺整理というか、私物だらけの机やロッカーを、
最後の週末で整理しないといけなくて、これでは、
ブログのカバー演奏も程遠いと、オケが多少楽な、
歌ものの方に取り組むが、歌は声枯れがネックに。
ギターシンセがうまくいかずにインストは無理とか、
声が枯れているから、歌が歌えないという理由も、
何ヶ月おきに書いている言い訳だし、定型文でも、
コピペするとか、「多忙中」とかの看板を作ろうか。
そんな自虐的になってもいけないな、少しずつでも、
オケを作っていこう、今日は雨風が強いという予報、
休日出勤はやめたので、取り組んでいる歌ものの、
リズムのノリが悪かったピアノ伴奏を録音し直した。
たった5分の曲のピアノ伴奏に、1~2時間かかり、
それでも、いい感じになったので、この調子のまま、
ストリングスをやろうと、これは4回音を重ねるので、
それこそ、こういう時に、こまめにやろうと取り組む。
低音部と高音部に分けて、左右に振って、最初は、
いかにもストリングスのフワーっとした音色にして、
そこへ、エッジの効いたバイオリンの単音を重ねて、
フレーズをはっきりさせようなんて凝ったことをする。
それが余計なことで、音を重ねたら、けっこうずれて、
何度もやり直すし、最初の音が半音違っていたのが、
わかって、最初の方もやり直し、パンチインは苦手で、
その箇所を含む前後の休符のところを丸々弾き直す。
そうやって、やり直していたら、どうも音色がおかしく、
無意識にギターの手元のパッチボタンに触っていて、
隣のパッチに切り替わって、別の音色で弾いていて、
曲の途中で変わったり、やり直し部分だけ違ったり。
結果的に、4トラック分のストリングスは中途半端で、
全部を最初から音色を確認してやり直すことになり、
さすがの自分も心が折れて、今日はもうやめておく、
ただ、次回一発テイクになれるように練習は続けた。
ギターシンセは、音の立ち上がりが遅くてずれるし、
入っている音色も実際に使える音はあまり多くなく、
最新のギターシンセか音源モジュールあたりでも、
定年退職のお疲れ様で、自分のご褒美にしようか。
そんな甘い希望的観測から、このところの残業でも、
モチベーションアップでやってきたのに、これまた、
昨年と同様、歯医者さんで多大な出費が見込まれ、
シンセどころか、またしばらくCDや楽譜はお預けに。
昨年は、下の前歯が3本とも虫歯だらけになったら、
差し歯に取り換えることになり、20万円以上かかり、
今回は、奥歯が割れて抜歯することになり、これが、
以前抜歯した隣で、連続して3本の奥歯がなくなる。
ブリッジもかけれず、いよいよ60歳にして入れ歯で、
とりあえず保険の安いものでもと、型を取りだしたが、
いかんせん、奥の親知らずから3本並んでないから、
保険適用外が良いと言われ、それが15万円もする。
それこそ、退職金が入るから、何とかなるとお願いし、
初の入れ歯を作ってもらっているが、ギターシンセも、
夢のまた夢となって、ただ、これは、もし買っていたら、
古いギターシンセとエレキを2本は捨てられただろう。
退職金の話になるが、就職した昭和の終わりの頃、
バブル景気になる前でも、定期預金の利率は高くて、
退職金を定期にしておけば、その利息だけで毎年の、
生活費は賄えると、退職していく先輩たちから教わる。
自分もあと40年近く、定年まで仕事をまっとうしたら、
そんな生活が待っていると思ったのに、退職金自体、
当時の半額以下になってしまったし、銀行の利息など、
ないに等しく、今や通帳にさえ手数料を取られる有様。
そもそも、60歳からの年金生活なんて甘い話はなく、
あと5年はフルタイムで働いて、その後もアルバイトで、
稼がないと、65歳からの年金だけでは生活できない、
いかんいかん、どんどん話が暗い方へ行ってしまった。
コロナのせいで、昨年は退職者送別会や歓送迎会は、
規模縮小というよりは、まったく実施していない状況、
今年も同様だろうが、ドラマで見る定年退職する日に、
花束を抱えて終電に乗る構図は苦手で、ちょうど良い。
このブログには定年もなければ、再雇用の転勤もなし、
怠け癖が顔を出して、ちょっと更新が遅れていますが、
ギター練習を続けながら、オケ作りも進んでいるので、
年寄りの冷や水と言われない程度にはがんばります。
それで、気を持たせてばかりいてもいけないのですが、
取り組んでいる曲は、歌ものは、今日やりかけたのは、
スキマスイッチ「奏」で、達郎の「ソリッド・スライダー」、
「いつか」、オフコースは「さよなら」など3曲やりかけ。
ジョン・レノン、カーペンターズ、ジャーニーは数曲ずつ、
オケをストックしていて、これは高音が無理かもしれず、
インストは、スクエア「トゥルース」、「いとしのうなじ」、
「ダンサ・シャンバラ」「ジャイアント・サイド・ステップス」。
カシオペアだと「ミッドナイト・ランデブー」「スワロー」、
「テイクミー」「ルッキングアップ」、松岡直也となると、
「ミ・アモーレ」「クライフォーザムーン」「ゴッサマー」
「サンスポット・ダンス」などがオケ作りが中断中に。
インストのオケの挫折は、ドラムを打ち込んだだけで、
シンセの音色が決まらず、やめているものが大半で、
それこそ、退職金でギターシンセを買えば、どんどん、
録音が進むだろうと捕らぬ狸の皮算用だったのだが。
それでも、これ以外にも、やりかけている曲は多くて、
それだけバンドスコアをやたら買いまくっていたので、
ここは当分新しいスコアは買わずに、じっくりいこうと、
そう思っている矢先から、チック・コリアのを買ったり。
とまあ、完成してもいないオケについて、こんなにも、
大風呂敷を広げたのだから、やるしかないでしょうと、
残業の合間をぬって、今月中に1曲は仕上げたいし、
4月以降は月2曲にしたいと、これも捕らぬ狸でした。

先月の地震は、コロナ渦と必死に闘いながらも、
ともすれば、自粛疲れで気が緩んでしまうところ、
天災も忘れてもらったら困るよと言わんばかりに、
自然からの警告なのかと、いろいろ考えてしまう。
突き上げるような揺れと、それに続けての揺れは、
すぐに収まる気配もなく、次第に大きくなっていく、
これは、あの時とまったく同じじゃないか、いいや、
それ以上に、ひどいことになってしまうのだろうか。
実際には、そんなに長い時間ではなかったろうが、
久しぶりに大きく、しかも長く続く揺れだったから、
本当に時間が止まったかのような錯覚に陥ったり、
10年前の恐怖が昨日のことのように蘇ってきた。
あの日2011年3月11日、自分は普通に出勤し、
年度末は何かと忙しくなってくるなと同僚たちと、
愚痴り合うという、いつもの3月と何ら変わらない、
日常を過ごしていたが、3時を前にそれは起きた。
そろそろ、3時の休憩だから、お茶かコーヒーでも、
入れようかと思っていると、突然、突き上げる揺れ、
これは震源が近いんじゃないか、東海地震かなと、
思う間もなく、ものすごい横揺れが始まっていった。
数秒で収まるかと思ったが、揺れは強くなる一方、
このまま建物が崩れてしまうのではと思うくらいで、
とりあえず、外へ出る扉を開けて、様子を伺ったが、
扉に手をかけ半身を出していても、揺れは続いた。
まるで、船のデッキにつかまり、波に揺られている、
そんな体感だったし、それが本当に長い間に感じ、
席に戻って机の下に入るか、揺れの合間をぬって、
壁からの落下物に気をつけ道路に出ようか迷った。
まずは、とにかく落ち着こう、慌てた行動は禁物だ、
ここは職場で1人きりじゃないんだと、自分を励まし、
同じ部屋の同僚たちに、戸棚は倒れてこないかな、
そろそろ、揺れも弱くなるか、などと声を掛け合った。
いったん揺れは収まったが、自分の記憶の中では、
のべつくまなしに、大きな揺れ、小さな揺れが続き、
ニュースを見ようとつけたテレビから、東北地方が、
震源地で、震度7や6強、津波の発生も告げられる。
テレビはずっとつけていたが、現地からの中継では、
テレビ局などの定点カメラからの映像が流れていて、
その映像が大きく揺れると、数秒のタイムラグの後、
こちらが揺れるという、映像と現実が微妙にリンク。
この時間のずれが、昔理科の時間に教わったS波、
P波になるのだろうか、それともドップラー効果とか、
何か別の現象かなと、多少的外れなことを考え始め、
これは余裕が出たのか、逆に思い詰めていたのか。
電車・バスの交通機関は止まって、帰宅困難状態、
まだ余震も続きそうだからと、上司から帰宅はせず、
しばらくは職場で様子を見て、待機しているようにと、
避難命令とは違うけれど、全員がいったんは残った。
自分は当時自転車通勤で自宅も近かったことから、
災害時等に緊急参集する人員の1人になっていて、
出勤中だから、呼び出される手間も省けて良いなと、
軽口を言われつつ、非常食の在庫などチェックする。
夕食は、近くのコンビニを数軒回るが、弁当どころか、
パンやおにぎりも品切れで、もっと早く来ればなあと、
後悔しながら、カップラーメンを買ったが、同僚たちも、
買い置きのカップ麺で、ひとまず非常食は手つかず。
夜の11時になって、帰宅できる者は帰っても良いし、
自席やソファーなどで、思い思いに仮眠するのも良し、
それぞれ判断というので、自分は自転車があるから、
帰宅することにして、まずは、いったん実家に向かう。
自分の家族とは、地震直後からメールをやりとりして、
子供たちも、自宅で無事にしていることを確認したが、
実家の母とは、なかなか電話も繋がらなかったので、
とにかく顔を見れば安心できると、深夜近くだが寄る。
懸念していた古い箪笥も倒れず、ガラス箱に入った、
日本人形が落ちることもなく、母も2匹の犬も元気で、
唯一、システムキッチンの戸棚がロックされてしまい、
お茶もコーヒーも飲めないと言われ、解除を試みる。
扉が地震の揺れでロックされるとは、まったく知らず、
半開きの戸を、いったん強く閉め直すと解除するのも、
知らなかったので、隙間から指を入れて、蝶番とかを、
いじったりして、指先が切れたり手が擦れて赤くなる。
明日にでも、ドライバーとペンチを持ってきて直すよと、
間抜けなことを言って実家を後にして、帰途につくが、
渋谷から世田谷へと向かう246は、家路を歩く人が、
車道にまで溢れかえり、自分も自転車を降りて押す。
自宅に帰ったのは、もう1時近かったろうか、家族も、
愛犬も全員起きていたので、今日のことを振り返って、
当時の我が家は耐震補強のリフォーム前だったので、
1階が潰れるといけないと、全員が2階で寝ることに。
娘は自分の部屋では寝ずに、母親の布団に潜り込み、
愛犬も負けじと、その中へ割って入るような状況には、
まだまだ余震が続く中、どこか気分的に救われるが、
いつ避難しても良いよう、愛犬にはリードをつけておく。
その日の夜は、最新ニュースがすぐにわかるようにと、
ラジオをつけっ放しにしていたが、ニュースをはさんで、
レギュラー番組の放送は中止し、70年代のヒット曲、
自分にとって懐かしい曲を、次々と流してくれていた。
曲がかかることもそうだが、そうやって選曲をする人、
簡単に曲紹介をしてくれるDJが、実際に現実として、
ラジオの向こう側にいてくれて、リアルタイムで声を、
こちらにかけてくれている、それにはすごく救われた。
自分の趣味が音楽だったから音楽に救われたのか、
懐かしい曲だったから癒されたのか、それもあるが、
本当に昼間に恐怖を感じて、その余震に怯える中で、
同じ時間を過ごしてくれる人がいるのは心強かった。
それは、テレビの画面からキャスターが語りかけて、
懐かしい映画の一場面や、スポーツの名勝負など、
映像で癒されることもありうるし、たまたま自分には、
あの日の夜がラジオであり、音楽だったのだと思う。
そんなこともあったので、毎年、この時期になるたび、
自分なりの思いをこめて、カバー曲を演奏してきたし、
今年も、いくつか候補の曲を決め、取り組んでいるが、
インスト曲はシンセ、歌ものは声枯れで中断となる。
いつもにしても、そう完成度が高いわけではないが、
今の仕上がり状況では、あまりにレベルが低すぎて、
もう少し時間をかければ多少は良くなる気配があり、
無理やり、今日に間に合わす必要もないだろうなと。
これまた、いつものことで、演奏がアップできないと、
延々と言い訳を重ねて、駄文を連ねているのだが、
3月11日に対する思いは、嘘偽りのない本心であり、
これは、いくら文章を綴っても、まだ言い尽くせない。
ブログ仲間のエレギ師さんが、津波の犠牲となった、
それをコメント欄の書き込みで知った時のショックも、
どう表現して良いか、本当に息がとまるようだったし、
うすうす気づきつつも、目をそらしていたのが現実に。
お花畑に生きてきたつもりはないが、これが世の中、
無意味な空想などやめておけ、現実に目を向けろと、
情け容赦なく突き付けられたようで、ひざが震えたし、
自分の愚かさ、甘さが露呈したような恥ずかしさも。
その2年程前に父を、5年前には祖母を亡くしたので、
別れを経験していないわけではないが、自分にとり、
同年代の知人を喪うのは、おそらく生まれて初めて、
顔も本名も知らないブログだけの付き合いとはいえ。
東北大震災とは、あの日の揺れへの恐怖に加えて、
ブログ仲間の事故もあって、忘れてはいけないこと、
自分にとっては、大きな出来事になってしまっていて、
本当に、どこをどう語ろうか、ますます破綻していく。
もちろん、365日、地震のことやエレギ師さんのこと、
思い続けることはできないし、年々風化してはいくが、
それだけに、この時期くらいは、じっくりと思い出して、
忘れないでいてあげること、それが大事なのだと思う。
父にしても、先祖にしても、仏壇には手を合わせるが、
毎日、墓参りに行くわけではない、お彼岸の時期や、
お盆、命日、1年のうち、どこかしらで何回か出かけ、
想いを馳せる、そうやって、長い間誰もがやってきた。
同じように、東日本大震災に限らず、自然災害でも、
大きな事故でも、それぞれの時期が近づいた頃に、
例えマスコミが忘れても、関係者は忘れずにいれば、
それは供養となり、決して遺族の自己満足ではない。
今日の文章は、かなり長くなってしまい、自分でも、
驚いているが、主旨は今日という日を忘れないこと、
その思いを込めて演奏したい曲はあるが、すぐには、
完成しそうにない、この数行で良かったような気も。
ともすれば、自粛疲れで気が緩んでしまうところ、
天災も忘れてもらったら困るよと言わんばかりに、
自然からの警告なのかと、いろいろ考えてしまう。
突き上げるような揺れと、それに続けての揺れは、
すぐに収まる気配もなく、次第に大きくなっていく、
これは、あの時とまったく同じじゃないか、いいや、
それ以上に、ひどいことになってしまうのだろうか。
実際には、そんなに長い時間ではなかったろうが、
久しぶりに大きく、しかも長く続く揺れだったから、
本当に時間が止まったかのような錯覚に陥ったり、
10年前の恐怖が昨日のことのように蘇ってきた。
あの日2011年3月11日、自分は普通に出勤し、
年度末は何かと忙しくなってくるなと同僚たちと、
愚痴り合うという、いつもの3月と何ら変わらない、
日常を過ごしていたが、3時を前にそれは起きた。
そろそろ、3時の休憩だから、お茶かコーヒーでも、
入れようかと思っていると、突然、突き上げる揺れ、
これは震源が近いんじゃないか、東海地震かなと、
思う間もなく、ものすごい横揺れが始まっていった。
数秒で収まるかと思ったが、揺れは強くなる一方、
このまま建物が崩れてしまうのではと思うくらいで、
とりあえず、外へ出る扉を開けて、様子を伺ったが、
扉に手をかけ半身を出していても、揺れは続いた。
まるで、船のデッキにつかまり、波に揺られている、
そんな体感だったし、それが本当に長い間に感じ、
席に戻って机の下に入るか、揺れの合間をぬって、
壁からの落下物に気をつけ道路に出ようか迷った。
まずは、とにかく落ち着こう、慌てた行動は禁物だ、
ここは職場で1人きりじゃないんだと、自分を励まし、
同じ部屋の同僚たちに、戸棚は倒れてこないかな、
そろそろ、揺れも弱くなるか、などと声を掛け合った。
いったん揺れは収まったが、自分の記憶の中では、
のべつくまなしに、大きな揺れ、小さな揺れが続き、
ニュースを見ようとつけたテレビから、東北地方が、
震源地で、震度7や6強、津波の発生も告げられる。
テレビはずっとつけていたが、現地からの中継では、
テレビ局などの定点カメラからの映像が流れていて、
その映像が大きく揺れると、数秒のタイムラグの後、
こちらが揺れるという、映像と現実が微妙にリンク。
この時間のずれが、昔理科の時間に教わったS波、
P波になるのだろうか、それともドップラー効果とか、
何か別の現象かなと、多少的外れなことを考え始め、
これは余裕が出たのか、逆に思い詰めていたのか。
電車・バスの交通機関は止まって、帰宅困難状態、
まだ余震も続きそうだからと、上司から帰宅はせず、
しばらくは職場で様子を見て、待機しているようにと、
避難命令とは違うけれど、全員がいったんは残った。
自分は当時自転車通勤で自宅も近かったことから、
災害時等に緊急参集する人員の1人になっていて、
出勤中だから、呼び出される手間も省けて良いなと、
軽口を言われつつ、非常食の在庫などチェックする。
夕食は、近くのコンビニを数軒回るが、弁当どころか、
パンやおにぎりも品切れで、もっと早く来ればなあと、
後悔しながら、カップラーメンを買ったが、同僚たちも、
買い置きのカップ麺で、ひとまず非常食は手つかず。
夜の11時になって、帰宅できる者は帰っても良いし、
自席やソファーなどで、思い思いに仮眠するのも良し、
それぞれ判断というので、自分は自転車があるから、
帰宅することにして、まずは、いったん実家に向かう。
自分の家族とは、地震直後からメールをやりとりして、
子供たちも、自宅で無事にしていることを確認したが、
実家の母とは、なかなか電話も繋がらなかったので、
とにかく顔を見れば安心できると、深夜近くだが寄る。
懸念していた古い箪笥も倒れず、ガラス箱に入った、
日本人形が落ちることもなく、母も2匹の犬も元気で、
唯一、システムキッチンの戸棚がロックされてしまい、
お茶もコーヒーも飲めないと言われ、解除を試みる。
扉が地震の揺れでロックされるとは、まったく知らず、
半開きの戸を、いったん強く閉め直すと解除するのも、
知らなかったので、隙間から指を入れて、蝶番とかを、
いじったりして、指先が切れたり手が擦れて赤くなる。
明日にでも、ドライバーとペンチを持ってきて直すよと、
間抜けなことを言って実家を後にして、帰途につくが、
渋谷から世田谷へと向かう246は、家路を歩く人が、
車道にまで溢れかえり、自分も自転車を降りて押す。
自宅に帰ったのは、もう1時近かったろうか、家族も、
愛犬も全員起きていたので、今日のことを振り返って、
当時の我が家は耐震補強のリフォーム前だったので、
1階が潰れるといけないと、全員が2階で寝ることに。
娘は自分の部屋では寝ずに、母親の布団に潜り込み、
愛犬も負けじと、その中へ割って入るような状況には、
まだまだ余震が続く中、どこか気分的に救われるが、
いつ避難しても良いよう、愛犬にはリードをつけておく。
その日の夜は、最新ニュースがすぐにわかるようにと、
ラジオをつけっ放しにしていたが、ニュースをはさんで、
レギュラー番組の放送は中止し、70年代のヒット曲、
自分にとって懐かしい曲を、次々と流してくれていた。
曲がかかることもそうだが、そうやって選曲をする人、
簡単に曲紹介をしてくれるDJが、実際に現実として、
ラジオの向こう側にいてくれて、リアルタイムで声を、
こちらにかけてくれている、それにはすごく救われた。
自分の趣味が音楽だったから音楽に救われたのか、
懐かしい曲だったから癒されたのか、それもあるが、
本当に昼間に恐怖を感じて、その余震に怯える中で、
同じ時間を過ごしてくれる人がいるのは心強かった。
それは、テレビの画面からキャスターが語りかけて、
懐かしい映画の一場面や、スポーツの名勝負など、
映像で癒されることもありうるし、たまたま自分には、
あの日の夜がラジオであり、音楽だったのだと思う。
そんなこともあったので、毎年、この時期になるたび、
自分なりの思いをこめて、カバー曲を演奏してきたし、
今年も、いくつか候補の曲を決め、取り組んでいるが、
インスト曲はシンセ、歌ものは声枯れで中断となる。
いつもにしても、そう完成度が高いわけではないが、
今の仕上がり状況では、あまりにレベルが低すぎて、
もう少し時間をかければ多少は良くなる気配があり、
無理やり、今日に間に合わす必要もないだろうなと。
これまた、いつものことで、演奏がアップできないと、
延々と言い訳を重ねて、駄文を連ねているのだが、
3月11日に対する思いは、嘘偽りのない本心であり、
これは、いくら文章を綴っても、まだ言い尽くせない。
ブログ仲間のエレギ師さんが、津波の犠牲となった、
それをコメント欄の書き込みで知った時のショックも、
どう表現して良いか、本当に息がとまるようだったし、
うすうす気づきつつも、目をそらしていたのが現実に。
お花畑に生きてきたつもりはないが、これが世の中、
無意味な空想などやめておけ、現実に目を向けろと、
情け容赦なく突き付けられたようで、ひざが震えたし、
自分の愚かさ、甘さが露呈したような恥ずかしさも。
その2年程前に父を、5年前には祖母を亡くしたので、
別れを経験していないわけではないが、自分にとり、
同年代の知人を喪うのは、おそらく生まれて初めて、
顔も本名も知らないブログだけの付き合いとはいえ。
東北大震災とは、あの日の揺れへの恐怖に加えて、
ブログ仲間の事故もあって、忘れてはいけないこと、
自分にとっては、大きな出来事になってしまっていて、
本当に、どこをどう語ろうか、ますます破綻していく。
もちろん、365日、地震のことやエレギ師さんのこと、
思い続けることはできないし、年々風化してはいくが、
それだけに、この時期くらいは、じっくりと思い出して、
忘れないでいてあげること、それが大事なのだと思う。
父にしても、先祖にしても、仏壇には手を合わせるが、
毎日、墓参りに行くわけではない、お彼岸の時期や、
お盆、命日、1年のうち、どこかしらで何回か出かけ、
想いを馳せる、そうやって、長い間誰もがやってきた。
同じように、東日本大震災に限らず、自然災害でも、
大きな事故でも、それぞれの時期が近づいた頃に、
例えマスコミが忘れても、関係者は忘れずにいれば、
それは供養となり、決して遺族の自己満足ではない。
今日の文章は、かなり長くなってしまい、自分でも、
驚いているが、主旨は今日という日を忘れないこと、
その思いを込めて演奏したい曲はあるが、すぐには、
完成しそうにない、この数行で良かったような気も。

| ホーム |