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僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
2020年も、拙ブログに訪問いただき、ありがとうございました。
年末になり、いつも訪問させていただくブログでも、
年末の挨拶が交わされるようになり、自分の場合、
大晦日にでもと思っていたら、ビジネスのサイトに、
「『良いお年を』の挨拶は、大晦日はダメ」とあった。

何でも、大晦日には、良いお年を迎える準備など、
整っていて当たり前で、わざわざ言う必要もないと、
そんな主旨のアドバイスが書かれ、なるほどなあ、
自分はビジネスマナーには詳しくなかったと反省。

それで、何とか今日のうちに挨拶だけでもしようと、
こうして、いつものカバー演奏なんかそっちのけで、
パソコンに向かって、ありきたりの文章を打ち込み、
これじゃ、味も素っ気もないなと、逆に反省したり。

年末は出勤が暦どおりだとか、出不精で家にいる、
年賀状を市販ソフトで印刷といった年末の行事は、
昨年のブログを読み返すと、コピペでよいくらいに、
まったく同じような内容で、我ながら単調な人生か。

歳を取ったせいもあるが、今年と去年、一昨年とが、
ほとんど、ごっちゃになっているし、特に今年の場合、
コロナという未曽有の経験はあったが、それだけに、
職場のイベントもなく、知らない間に1年が終わった。

それでも、こうしてブログを続けることで、何かしらは、
形に残すことができたし、今年は今年で新しい方と、
お知り合いになれたり、コメントを交わすこともできて、
アイデンティティの確立やモチベーションにつながる。

本当に、拙ブログを訪問いだたいた方々に感謝で、
コメントいただいたり、拍手をクリックしていただき、
それが励みになりましたし、スルーだけであっても、
足跡の記録が残って、続ける原動力になりました。

新年もまずは挨拶だけになり、時間があきますが、
ギター演奏は続けますので、来年もこのブログに、
おつきあいいただけますよう、お願いいたします、
それでは、どうぞ皆様も良いお年をお迎えください。
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祈りをこめてジョン・レノン「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」
ジョンの命日にちなんで、曲を録音していたが、
いつもながらの声枯れで、歌うことができずに、
更新が延び延びになって、そうこうするうちに、
早いもので、クリスマス、年の瀬になってしまう。

今年は、クリスマスの曲もネタが尽きてしまい、
何をやろうかと悩んでいたので、ジョンの曲で、
クリスマスソング、「ハッピー・クリスマス」なら、
一石二鳥になって、それにこしたことはないと。

この曲は5年前にやっていて、焼き直しになり、
ちょっとためらうが、昔の曲は出来が悪いから、
折を見ては、ドラム入力から、全部やり直して、
リベンジする形でも良いだろうと、開き直ったり。

もともと自分の宅録のデータは、ミキシングして、
YouTubeにアップしたら、MTRから削除して、
トラックデータは残さないから、歌の部分だけを、
やり直したくても、オケからまた作り直すことに。

これで完成したと納得できるレベルのオケでも、
作りあげることができたら、各トラックのデータを、
丸々残しておいても良いが、10年以上やっても、
そこまでのは作れずに、メモリ不足解消で削除。

ただ、クリスマスソングに変更したとは言っても、
声が回復しないことには歌入れはできないので、
これまた、オケを作ってから、しばらく間が空いて、
来年用に、インスト曲のドラム入力などを先回し。

このままでは、クリスマスソングのタイミングまで、
逃してしまうからと、昨日と今日の二日間を使い、
まずは、メインボーカルではなくて、多少なりとも、
声が出るうちに、ファルセットの高音部分から歌う。

それでも高音部が無理で、シンセのヴォイス音や、
マイクのエフェクトのオクターブピッチを使ったりと、
あの手この手で、声の出ない高音域をカバーして、
多少はごまかすが、やはり聴いていて、厳しい。

特にオクターブピッチは、昔懐かしいフォークルの、
「帰って来たヨッパライ」や、ドキュメント番組での、
顔を隠した告白場面のようで、どうにも今一歩で、
自分の声を多少補正する程度に、音量は下げる。

ジョン自身が、クリスマスに発売するタイミングを、
逃してしまい、それでシングルヒットしなかったと、
半ば言い訳にしたらしいが、自分のカバー演奏は、
何とかクリスマスに間に合うようにと、付け焼刃。

もともと予定したジョンの曲とは違ってしまったが、
クリスマスと、一足早い新年の挨拶を兼ねる形で、
ジョンの「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」は、
いつも以上にボーカルがネックで申し訳ないです。





ジョン・レノンがいない世界、その年月の方が長くなっていく
今年もまた12月となり、ジョンのことを思い出すが、
ジョンの生誕80年と没後40年とが重なっていて、
妙な感じで、生きた40年と亡くなった40年とでは、
これからジョンのいない時間の方が長くなっていく。

あの1980年12月の自分は、年明けには成人式、
少し遅れて20歳の誕生日を迎えるというタイミング、
ジョンの訃報に接して、こんな風に自分の10代は、
終っていくのかと、何ともやりきれない気分だった。

それからもう40年たち、迎える3月には定年退職、
そんな日が来るのは、まだまだ先と思っていたが、
いつのまにか、こうして自分も歳とっていたわけで、
寄る年波に勝てず、腰痛や物忘れにさいなまれる。

しかも就職した頃に年配の人から聞かされ夢見た、
悠々自適な年金暮らしの日々とは、どうも縁遠くて、
嘱託・再雇用となり、まだまだ5年間は仕事を続け、
その後も総活躍時代の到来となり休めそうにない。

もう自分の方が、20歳も年上になってしまったが、
この時期になるたび、やたらと目にするようになる、
ジョンの写真を見るにつけ、もし生きていたのなら、
どんな曲を作り、どんなメッセージをくれたかと思う。

ジョンはYouTubeを利用し、曲をどんどん歌ったか、
インスタやツイッターの即時性を追求しただろうか、
アメリカの選挙の混乱には、喜々として姿を現して、
コロナには一丸となって、乗り越えようとしたろうか。

例年以上に、ヤフーニュースにジョンのことが載り、
これまた多くの人が、あの日の思い出をコメントし、
自分と同じような経験をした人が、こうも多いかと、
半ば嬉しくもあり、改めてジョンの偉大さを感じる。

本当なら、ここでジョンの曲でもといきたいのだが、
オケは作ったものの、定番の声枯れになっていて、
今さらインストやソロギターというわけにもいかず、
声の回復を待ち、歌入れしてから記事にする予定。

そのせいもあり、12月8日に、せめて文章でもと、
こうして綴っていても、モチベーションは上がらず、
何だか、だらだらと文字だけを並べている有様で、
自分の中では歌ありき、演奏ありきになっている。

ビートルズのカバー演奏をする機会が減っていて、
目標の全曲制覇はいつになるか、ジョンの曲だと、
手持ちのバンドスコアはあと1・2曲で、ポールも、
あと数曲でレパートリーは尽きるが耳コピは無理。

ビートルズも演奏したいうえ、ニューミュージックや、
フュージョン、ロック、さらにはソロギターまであって、
年金生活になったらと、やりたいことだらけなのに、
話が戻るようだが、定年後もフルタイムで働く予定。

自分が生誕80年となるまで、こうしてブログを続け、
ギターを弾くことができれば、それだけで十分だと、
ジョンのような偉業はなくても、地道にやっていくし、
何より、声枯れを直し、ジョンのカバーを歌います。




とにかくライトハンド奏法が衝撃だったヴァン・ヘイレン「暗闇の爆撃」
エドワード・ヴァン・ヘイレンの追悼特集号となる
ヤングギター12月号は、発売日にほぼ完売で、
ギター雑誌としては、異例の「重版出来」となり、
それさえも、すでに予約で完売に近い状態とか。

柳の下のどじょうでもないが、ギターマガジンも、
1月号では追悼特集だそうで、ヤングギターは、
通常より32頁を増やしたうえ、全224頁のうち、
152頁も割いたので、迫る勢いだと良いのだが。

ギターマガジンでは、中高年をターゲットにした、
「ギターマガジン・レイドバック」を昨年に創刊し、
この6月の第3号で、すでにエディの特集したが、
ボリュームとしては146頁中の46頁とそこそこ。

雑誌のコンセプトが、「ゆる~くギターを弾きたい
大人ギタリストのための新ギター専門誌」とあり、
かつてのロック少年、ギター少年である自分らが、
そうそう、懐かしいなあと思えば十分なのだろう。

昨年12月の創刊号は、「あの頃、みんなギター・
ヒーローになりたかった。」という特集記事があり、
ロックギター年表と、五大ギタリストの紹介だが、
その5人でさえ各1頁程度と、本当にさわりだけ。

第2号は、パープル対ツェッペリンの特集となって、
頁は多いが、プロギタリストへのアンケートだとか、
アルバム数、曲数、来日回数の比較だったりして、
どちらの楽譜も載らず、ギター雑誌とは思えない。

それからすると、ヴァン・ヘイレン特集号はましで、
「エディ・ヴァン・ヘイレン登場の衝撃」のとおりに、
当時のインタビュー、ギターや機材の紹介と共に、
「暗闇の爆撃」の楽譜が載り、これがかなり正確。

80年の雑誌プレイヤーでの、北島健二の採譜は、
これまでにないくらい細かくて、正確だと思ったが、
後にエディの映像などから、ポジションが違ったり、
4連符の繰り返しが実は5連符だったなどわかる。

自分が先日買ったバンドスコアは2014年発行で、
北島版を上回る出来だが、明らかな間違いもあり、
レイドバックの譜面は、そこが正しくなっているので、
楽譜も日々進化するようで、YGの追悼号でも見事。

レイドバックは、自分たちの世代向けだと語ったが、
「あの頃、みんなエディ・ヴァン・ヘイレンに衝撃を
受けた。」と特集ページの見出しなんかは、本当に、
リアルタイムの驚きをわかっているなあと共感する。

ただ自分の衝撃の場合、ちょっと悔やまれるのが、
右手を使った特殊な奏法を使う新人ギタリストだと、
先にギター雑誌で情報を知り、それから曲を聴き、
すごいことやっているなと思ったので、順番が逆。

ライトハンド奏法の予備知識がまったくない状態で、
「暗闇の爆撃」を聴いた人は、いったいどうやれば、
こんな音が出るんだと、ものすごい衝撃だったかと、
想像するしかなく、ネタバレだった自分を後悔する。

それでも、これまで、一般的に知られていなかった、
右手で弦を押さえる奏法には、本当に衝撃だったし、
それも含めた「暗闇の爆撃」のすべてのフレーズが、
スピードも早ければ、運指も特殊で、ただただ驚く。

エドワード・ヴァン・ヘイレンによるソロギター演奏、
たった2分にも満たない「暗闇の爆撃」ただ1曲で、
その後のロックギターを変えてしまったと言ったら、
大袈裟に思えるかもしれないが、それを実感した。

ただ、こうして自分たちがライトハンドだと騒いでも、
そのうちギター雑誌では、昔からある奏法の一つ、
エディが考案したわけではないと、まるで週刊誌が、
一度持ち上げてから、下げ記事を載せるのに近い。

チョーキングに合わせ、ハイポジションの1音だけ、
押さえるのは、タッチ奏法で、ラリー・カールトンが、
マイケル・フランクスの曲で弾き、クイーンの曲でも、
ブライアン・メイがやっていたと、次々と発掘された。

エディの親友だというスティーブ・ルカサーでさえ、
当時、ライトハンド奏法はエディの影響かと聞かれ、
ジミー・ワイブルというジャズギタリストから教わり、
ハーモニックスも使ってすごいと語っていた記憶。

他にも、キング・クリムゾンのロバート・フリップが、
デビュー前後のライブで披露していたという話や、
ジェネシスのスティーブ・ハケットが曲のイントロで、
アルペジオフレーズをライトハンドで弾いただとか。

今は、YouTubeのおかげで古い映像が確認でき、
単なるインタビューや推測記事よりも一目瞭然で、
先日、コタパパさんのコメントで教えてもらったのが、
遡れる最古の映像らしく、それはウクレレのもの。

さらに、アマチュアギタリストがテレビで披露する、
両手タッピングで、メロディと伴奏にベースも弾き、
これはスティーリー・ジョーダンの先駆けそのもの、
よくぞ映像が残っていたと、これは今見ても衝撃。

それで確かにエディが元祖でないのはわかるが、
あの3連トリルでのバッハを思わせるフレーズで、
ロックギターの曲として完成させたのはエディだし、
ハムバッキング搭載ストラトというのもすごかった。

何よりも、40年以上たった今日でさえ、自分には、
「暗闇の爆撃」は、完コピするにはハードルが高く、
エディの訃報に接してから、この曲を演奏しようと、
毎日のようにライトハンド奏法を練習しても難しい。

こんな短い曲だけれど、通しでノーミスは不可能、
宅録だからと開き直り、フレーズごとに録音するが、
それでもノイズやミスの連続、最初の20秒でさえ、
1日2~3時間かけても、録音しては消す繰り返し。

気分転換というか、先の部分も練習していっては、
そろそろ、イントロでも録音しようかと元に戻って、
結局、この1週間で、そろそろ形にしようと思って、
妥協することで、どんどん先に録音が進められた。

それで、ラストの3連トリルのライトハンド奏法でも、
途中で、6弦をこするノイズが出たり、フレーズの、
繰り返しを少なくしてしまったり、これもミスばかり、
土日に5~6時間弾いていたら、右指先が血豆に。

クラシックギターの曲とか、フィンガーピッキングは、
当分演奏できないなと思いつつ、そのうち左手も、
小指の関節が腫れてきて、指がもつれてきたりで、
まだまだ納得いかないが、このあたりで妥協する。

ヴァン・ヘイレンのファーストは、友人からもらった、
カセットテープで通して聴いたから、当然ながら、
「暗闇の爆撃」は、「ユー・リアリー・ガット・ミー」の、
導入部というか、セットで聴くものというのが癖に。

3連トリルが終わり、トレモロアームで6弦を下げ、
ジュワジュワとフェイザーかフランジャーあたりの、
ノイズが大きくなると、叩きつけるようなコードから、
「リリガミ」が始まるというスリリングな展開が良い。

そう言えば、昨今のテレビのドラマのタイトルなど、
「逃げ恥」に「恋つづ」と4文字にする風潮があって、
年寄りとしては、ちょっと苦々しく思っていたのだが、
この曲を「リリガミ」と自分が高校の頃縮めていた。

「ユー・リアリー・ガット・ミー」では、エディ得意の、
アームを使う個所はなく、こちらは間奏の最後で、
ピックアップを切り替えるスイッチング奏法があり、
ストラトでは無理なので、別ギターを使った模様。

アーム不要なら、レスポールの方が音が良いと、
それで録音したが、そうなると「暗闇の爆撃」の、
自分のストラトのシングルコイルの音が貧弱で、
レスポールで、「暗闇~」を最初から録音し直す。

もちろん、レスポールでアームは無理で、ここは、
フレーズごとに録音するから、アームの部分だけ、
ストラトに持ち替えて録音、その続きから、再び、
レスポールに戻して弾くという、ずるっことなる。

エディの追悼で、YouTubeには達人の演奏だらけ、
そのレベルには無理でも、気持ちだけは込めたし、
いつもの歌声は勘弁してもらって、「暗闇の爆撃」、
「ユー・リアリー・ガット・ミー」をようやくアップです。








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