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僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
19年後ドラマで流れて大ヒットしたカーペンターズ「青春の輝き」
カーペンターズを夢中になって聴いたのは、中2の春、
74年の来日公演をテレビで見て、その録音テープを、
友人にダビングしてもらったり、ラジオのエアチェック、
さらに日本編集の2枚組ベスト盤を買って、聴き込む。

基本的に、そこで止まってしまい、その後ビートルズ、
ハードロック、クロスオーバーへと興味が移ったので、
ラジオで新曲の、「プリーズ・ミスター・ポストマン」や、
「マスカレード」「見つめあう恋」が流れれば聴く程度。

昨今ではカーペンターズの代表曲に挙げられるうえ、
ベスト盤のタイトルに使われたりする「青春の輝き」は、
76年に出た時の印象は特になく、その邦題くらいは、
覚えているが、別の曲のメロディと混同していたほど。

実際に、シングルはアメリカで25位、日本で62位と、
さほど振るわず、年間ヒット曲の歌本やギター雑誌に、
「オンリー・イエスタデイ」「ソリティア」は載っていたが、
「青春の輝き」はなかったか、弾き語った記憶もない。

CDの時代になり、カーペンターズも買っておこうかと、
84年頃のベスト盤をそのままCDにしたものを買うが、
80年代の曲は、あまり馴染めずに、とばして聴いたし、
「青春の輝き」も同様、来日公演の曲ばかり繰り返す。

この曲が日本でヒットしたのは、95年のテレビドラマ、
「未成年」のエンディングテーマに使われたからだが、
自分はそのドラマもスルーしていて、同様にヒットして、
ベスト盤も出たS&G「冬の散歩道」のドラマもスルー。

自分が「青春の輝き」を意識したのはいつ頃だったか、
年代は曖昧だが、カーペンターズのドキュメンタリーで、
リチャードが、カレンが一番気に入っていた曲だったと、
語っていて、この曲をめぐる話も合わせて紹介される。

カレンが拒食症で悲劇の最後を迎えたのは有名だが、
両親との葛藤、兄へのコンプレックスに悩み、その兄も、
自分は歌手である妹のピアノ伴奏者に過ぎないのか、
そんな悩みから睡眠薬依存症になっていたと語られる。

そうした中、「青春の輝き」の歌詞は、カレンにとっては、
すごく自分自身をさらけ出したような内容で、それにより、
自己の悩みが昇華されていき、歌詞に救われたようだ、
そんな内容で、この曲が紹介されていたかと記憶する。

そう思って聴くと、この歌詞は胸に突き刺さってくるが、
この曲でカレンは癒されたなら、なんで、その数年後に、
拒食症で亡くなったのか、まだ心の闇は深かったのか、
ドキュメンタリーが感動的に仕上げようとした感もある。

ただ、そうしたことを抜きにしても、歌詞は素晴らしくて、
なぜ「青春の輝き」という邦題にしたかは不明なのだが、
恋人とすれ違ったり、束縛を嫌うことの代償を払ったり、
それでもなお完璧を求めてしまう気持ちを吐露している。

先日、カーペンターズを演奏するきっかけとなったのは、
津軽下北出身でカレンの再来と噂される歌姫シノンが、
YouTubeにワンスモアズとしてアップするトリビュートで、
「青春の輝き」も、これぞ実力派歌手だというくらい見事。

本物や彼女の歌を聴いて満足していればいいところを、
つい自分でもやりなくなるのが悪い癖、まずオケを作り、
声の方も多少は回復したが、もともと出ない高音部分の、
コーラスは、当然歌えないから、シンセで代用しておく。

バンドスコアがあるから、せめて演奏は原曲に近づけて、
オーボエ、ハープも再現、声枯れが治ってきたとはいえ、
元々の歌唱力はいかんともしがたく、カーペンターズの、
「青春の輝き」は、歌詞のままに、反省すること大です。




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バスドラムが曲を印象づけるカシオペア「ストリート・パフォーマー」
カシオペアの曲は、スクエアの大半の曲をリーダーで、
ギタリストの安藤まさひろが作っているのと同じように、
こちらもリーダーでギタリストの野呂一生が作っていて、
特にデビューアルバムは、全曲が野呂の作品になる。

セカンドでは、ベースの桜井が1曲、ライブ盤をはさみ、
4枚目「メイク・アップ・シティ」で、やっとキーボードの、
向谷も1曲作るが、ライブ盤から新加入したドラマーの、
神保も、早速、曲を提供し、全メンバーが作曲を担当。

ドラムが作曲というのは、どうも自分にはビートルズが、
基準になってしまい、リンゴがホワイトアルバムになり、
やっと1曲を披露し、もう1曲も最後のレコーディングの、
「アビー・ロード」だから、ほとんど作曲しないイメージ。

神保が何かのインタビューで、カシオペアを振り返って、
野呂から作曲を薦められたのが、自分にとって大きくて、
その後の転機になったみたいに話していて、その点で、
プリズムやスクエアとは、大きく違うんだなあと感じた。

全曲の作曲者を調べたわけではないが、プリズムでは、
鈴木徹、青山純の作った曲はあったのか、木村万作は、
35年も在籍しているから作ってはいるが、スクエアは、
メンバーチェンジが激しいうえ、則竹くらいじゃないか。

「パーフェクトライブⅡ」で、バスドラムから始まる曲の、
「ストリート・パフォーマー」は、全員の共作というのか、
ドラムパターンにベースラインを載せ、ギターがリズム、
そしてピアノという具合のセッション曲かと思っていた。

ところが、今回演奏するに際し、バンドスコアを見ると、
神保の単独曲とわかり、「ハレ」収録スタジオテイクは、
ドラムイントロはなくて、ライブ用にアレンジしたようで、
自分はこっちを聴き込んでいるから、勘違いしていた。

テクノの打ち込みのようなバスドラムの連打で始まり、
ロックならばツーバスでやるところ、フュージョンでは、
ツインペダルで連打するのだが、この神保の演奏は、
かなり早い段階で取り入れて、自分のものにしている。

ロックのツーバスは、ジンジャー・ベイカーもやったと、
Wikiにあるが、一般に広まったのは、レインボーの、
「キル・ザ・キング」で、コージー・パウエルが叩いて、
しばらくの間、そのパターンを皆が真似たように思う。

バスドラムを2台使うのは、見た目は派手で良いが、
アマチュアには厳しいし、ジャズやフュージョンでも、
使えるように配慮したのか、ツインペダルが開発され、
渋谷河合楽器の発表会でも、持参する強者もいた。

「ストリート・パフォーマー」のスタジオ録音が85年で、
同じ年のプリズムのライブ盤に収録の「カーマ」では、
木村が派手なツインペダルの連打を見事に披露して、
青山が80年に叩いた原曲は、シングルペダルだろう。

フュージョンのドラムで、新しいテクニックを取り入れ、
派手に登場したデイブ・ウェックルも、ツインペダルを、
使ったかもしれないが、チック・コリア・エレクトリック・
バンドの1枚目は86年で神保や木村が先駆けかと。

それで、バスドラムの打ち込みが、やたら面倒なので、
この曲は敬遠してきたが、カシオペアに盛り上がって、
地道にドラム入力を始めるも、実際に録音を始めると、
キーボードのバッキングが難しく、更新が延期となる。

ギターやベースと同じような、裏ノリのバッキングだが、
メロディの伴奏は3和音で動くので、ギターシンセでは、
コードチェンジについていけず、単音で3回重ねていき、
何とかするが、ノリがばらけてしまい、何度もやり直す。

サビの伴奏は、付点16分音符だらけで、裏でくったり、
伸ばす部分もあり、そのリズムパターンが覚えらずに、
帰宅してから、生音のエレキで少し弾いては挫折して、
なかなか、MTRにつなぎ録音する気持ちになれない。

数曲のオケが完成している歌ものでも録音しようかと、
スマホで原曲を流し、口ずさんでみるものの、やはり、
高音が全然出なくて、こちらも没、そのまま寝転がり、
演奏したい曲をあれこれ聴きながら、寝てしまう日々。

あとはピアノ伴奏だけなので、3週は空けたくないと、
今週は土曜出勤だったが、帰宅してから練習を開始、
日曜は6時前に起床して、午前中には何とか伴奏を、
完成させ、後半リードギターのアドリブに取りかかる。

カシオペアの全盛期と呼んでよい時期のライブから、
神保自ら作曲し、ツインペダルのドラムが派手な曲、
「ストリート・パフォーマー」は、裏ノリがかなり難しく、
演奏がバラバラですが、ここまでが自分の限界です。





イントロのリフで衝撃の新事実が分かったカシオペア「ハレ」
普通に会話する程度には、声枯れも回復してきたが、
ちょっと鼻歌でも歌おうものなら、たちまち声がかすれ、
喉も腫れてくるので、今週も歌ものの録音はあきらめ、
発表会で演奏したことがあり、すぐに弾ける曲を選択。

カシオペアが85年に出した「ハレ」のタイトル曲だが、
この前の「ダウン・アップ・ビート」も発表会で演奏して、
こちらはLPを買ったが、「ハレ」からCDで買っていて、
ちょうど、この85年頃にCDプレイヤーを手に入れた。

この「ハレ」のアルバム丸ごとのバンドスコアがあると、
ずっと思っていたが、自宅にもレンタルルームにもなく、
他の曲を演奏した覚えもないから、ギターマガジンに、
「ハレ」1曲だけ掲載されたのを見て、演奏したようだ。

そのギターマガジンも手元になく、ヤングギターともに、
大半を処分してしまい、悔やんでも悔やみきれないし、
またギター演奏をするようになった、この10年の間に、
かなりの楽譜を買ったが、失われたままの曲も多い。

「ハレ」は、ドレミ出版が復刻したカシオペア・ベストに、
掲載され、先週演奏した「パーフェクトライブⅡ」にも、
CDの2枚目に収録されているが、手持ちの楽譜は、
1枚目のみだし、聴き慣れているのはスタジオテイク。

ただ、スタジオとライブの違いは、ギターのアドリブが、
ブレイクで始まるのと、当然、アドリブが異なる程度、
あと、スクエアでもあるあるの、キーボードの音色が、
ライブでは簡略化というか、変化に乏しくなっている。

それで、イントロのギターリフは、スタジオテイクでも、
ライブでも、特に変えてなくて、昔から楽譜のままに、
演奏して、完コピのつもりでいたところ、ついこの間、
ギターの野呂の演奏解説で、衝撃の事実がわかる。

ブログ仲間のSMOさんが、ステイホームの応援で、
野呂本人が「朝焼け」や「ハレ」など解説してくれる、
動画をブログで紹介されているが、ハレのリフでは、
コードの前に、ベースの低音部をギターでも弾いた。

前の小節の4拍目の裏から、5弦の開放を鳴らして、
和音のリフを弾き、転調後も、6弦3フレを鳴らして、
和音という、これまで、まったく思いもしなかったが、
ごく当たり前のように解説しての模範演奏に驚いた。

35年間も間違えて、演奏していたのかと衝撃的で、
ギターを弾かない人には、どうでもよい話だろうが、
自分には、かなり大ごとで、あの「イエスタデイ」が、
Fコードでなく、全音下げのGだったことに匹敵する。

そんなわけないよと何度CDを聴いても、ギターの、
低音を弾く音は聴こえてこないし、YouTubeにある、
パーフェクトライブ、ミュージックパーティの動画で、
確認しても、音はしないし、ピッキングもしていない。

Gに転調したとき、親指をネックにかけているので、
これで、6弦3フレを押さえているかもしれないが、
本人の解説動画では、中指で6弦を押さえてから、
すぐに離して、和音のリフを中指で押さえる方法。

5弦の開放にしても、和音のリフを弾いている間、
鳴らし続けるのではないようで、どうせ弾くならば、
リフのセーハをハーフにして、低音を鳴らし続け、
転調後も親指で押さえて、鳴らせば良いだろうに。

まあ、この辺は、弾いている本人が正しいわけで、
35年目の衝撃の真実(?)を尊重することにして、
本物はディレイで左右に振るところ、別々に録音し、
左右に分けるので、片方だけは低音を弾いておく。

ギターがメロディを弾く間、キーボードはイントロの、
リフを真似て弾くが、当然に低音部は弾かないし、
ギターっぽい音色のようでクラビネットにも聴こえ、
ギターシンセで両方の音色をミックスして演奏した。

サビは、エレピとオルガンが混じったような感じで、
アルペジオを奏でるので、パッド系の音色の中で、
似たような音にしたが、すごくスカスカになるので、
音色を変えて、左右、センターと3回ダビングする。

ギターは、メロディもアドリブも、ストリングス系の、
ギターシンセをMIDI同期したか、オクターバーや、
ディレイ、コーラスを重ねて、音の厚みを出したか、
自分はギターシンセのストリングスで別に弾いた。

ドラムの入力が面倒で、シンセの音色も厄介だから、
ついスクエアに比べると、避けてきたカシオペアを、
声が回復しないからの連続演奏、イントロのリフで、
大騒ぎした「ハレ」は、やはりシンセが今一歩です。







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