僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
今年は日本のフュージョン40周年にあたるそうで、それを記念して、
廉価盤のCDが出ていたと気づき、LPで持ってなかったものから、
LPはあるがCDでも欲しいものを、Amazonの「あとで買う」に入れ、
毎日チェックしては、売り切れそうなると、慌ててカートに戻し購入。
そんなわけで、一人でフュージョンに盛り上がって、ブログの演奏も、
当分はフュージョン漬けだと、はりきって、オケを作り始めたのだが、
ピアノパートが、どうしてもギターシンセでは弾けず、没にしてみたり、
バンドスコアの不備を耳コピできないまま、途中で挫折する曲もある。
今週、松岡直也「サン・スポット・ダンス」のリードギターが弾きたくて、
バンドスコアはメロディ・コード譜程度なのだが、オケを作っていくと、
ピアノ伴奏もベースラインも違うし、パーカッションは基本リズムのみ、
ほぼ全部のパートの耳コピが必要で、金曜の夜になり、あきらめた。
こんな時、さっと仕上げる曲は、ソロギターか、いつのもデパペペか、
さすがに弾き語りをする気はないが、よく考えると、得意のビートルズ、
歌詞とメロディは覚えているし、初期の一発録音に近い曲であれば、
バンドスコアを元にした伴奏作りも、1日あれば十分と気を取り直す。
ビートルズの本国のデビューアルバム、「プリーズ・プリーズ・ミー」は、
中山康樹「これがビートルズだ」によると、1曲目がポールのボーカル、
2曲目がジョンとポール、続けてジョン、ジョージ、リンゴとなっていて、
マーティンが、メンバーを1人ずつ紹介する曲順にしたのではと指摘。
ビートルズのデビューに際し、これまでのポップスで当たり前だった、
リードボーカルとバックバンドという形をとらず、ジョンとポールという、
2人のメインボーカルを残したうえ、ジョージとリンゴのボーカル曲も、
アルバムに入れて、しかも冒頭に並べ、バンドとしての存在を示した。
リンゴはともかく、ジョージも、まだこの段階では自作の曲がないので、
LPでは、ジョンの曲「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」と、
キャロル・キングが作曲し、クッキーズという女性コーラスグループが、
歌った「チェインズ」をカバーして、2曲もリードボーカルを披露している。
70年代、シンガーソングライターとして、一時代を築いたと言ってよい、
キャロル・キングは、当時は、職業作家として、夫のジェリー・ゴフィンと、
ゴフィン&キングの名前で多くの曲を提供していて、ジョンとポールは、
それに倣い、レノン&マッカートニーを名乗ったという説も信憑性が高い。
それが禍したとまでは言えないが、元祖(?)であるキャロル・キングは、
ゴフィンが作詞、キングが作曲と、ほぼ役割分担した共同作業なので、
レノン&マッカートニーも、ジョンが作詞、ポールが作曲担当なのだと、
誤解して伝わったところもあり、年配者にはいまだに根強かったりする。
ゴフィン&キングの曲は、「ロコモーション」をヒットさせたリトル・エヴァの、
「キープ・ユア・ハンズ・オフ・マイ・ベイビー」も、BBCライブでやったが、
その「ロコモーション」のバックコーラスを担当していたのが、クッキーズ、
女性コーラスグループの曲に目をつけたのは、キャロル・キングがらみか。
この曲の発売は、62年11月だそうで、それを翌年2月のLP録音に際し、
「すぐに演奏できる曲」として、ライブのレパートリーから選び出したから、
ほとんど発売と同時に、自分たちの曲としてカバーしていたのか、かつて、
目ぼしいレコードを求め、エプスタインの店にたむろしていたのを思い出す。
アマチュア時代、オリジナル曲もさることながら、ライブで客受けするため、
ヒット曲のカバーも、他のバンドと争うように、我先にとレパートリーにして、
さらに他のバンドに先んじて、目ぼしい曲を探し、後にマネージャーとなる、
エプスタインのレコード屋の常連で、女性グループにまで目をつけていた。
「チェインズ」は、ビートルズにとっては、比較的新しい曲になるはずだが、
他のカバー曲と同様に、自分たちの曲にしてしまうところは、本当見事で、
イントロのハーモニカは、マーティンのアイデアなのか、全然原曲にないし、
ホーンのリフをギターで真似たり、いいとこ取りで、バンドの曲になっている。
YouTubeには、キャロル・キング本人がカバーした演奏がいくつか見られ、
もともと黒人の女性グループが歌った雰囲気で、ゴスペル調にしていたり、
バンド演奏ではモータウン風で、どことなく、シュープリームスのヒット曲、
「恋はあせらず」を、フィル・コリンズがカバーしたのと同じような感じもする。
自分がビートルズのファンで、原曲より先にビートルズ版を聴いているから、
「チェインズ」にしても、「ツイスト&シャウト」に、「ベイビー・イッツ・ユー」や、
「アンナ」など、モータウン系の曲をカバーしても、決してコピーではないうえ、
白人音楽に黒人音楽の要素を加えつつ、自分の音楽にしていると感じる。
「チェインズ」は、ライブでどの程度演奏したのか、シンコーから出たムック、
「ライブの時代」「全パフォーマンス徹底解剖」を見ると、63年のライブでは、
何箇所かでのレパートリーになっているが、ジョージのライブの定番の曲の、
「ロール・オーバ・ーベートーベン」が出てくる前で、模索していた頃といえる。
たった1日、10時間で10曲を録音した、ライブバンドで鍛えたビートルズと、
単に40年以上前の昔から、聴いて歌ったに過ぎない自分が、1日で1曲を、
仕上げるというのは、実力も演奏レベルも比べようもないが、手抜きせずに、
コーラスも何とか仕上げた「チェインズ」は、やはり1日でやった感の出来です。
廉価盤のCDが出ていたと気づき、LPで持ってなかったものから、
LPはあるがCDでも欲しいものを、Amazonの「あとで買う」に入れ、
毎日チェックしては、売り切れそうなると、慌ててカートに戻し購入。
そんなわけで、一人でフュージョンに盛り上がって、ブログの演奏も、
当分はフュージョン漬けだと、はりきって、オケを作り始めたのだが、
ピアノパートが、どうしてもギターシンセでは弾けず、没にしてみたり、
バンドスコアの不備を耳コピできないまま、途中で挫折する曲もある。
今週、松岡直也「サン・スポット・ダンス」のリードギターが弾きたくて、
バンドスコアはメロディ・コード譜程度なのだが、オケを作っていくと、
ピアノ伴奏もベースラインも違うし、パーカッションは基本リズムのみ、
ほぼ全部のパートの耳コピが必要で、金曜の夜になり、あきらめた。
こんな時、さっと仕上げる曲は、ソロギターか、いつのもデパペペか、
さすがに弾き語りをする気はないが、よく考えると、得意のビートルズ、
歌詞とメロディは覚えているし、初期の一発録音に近い曲であれば、
バンドスコアを元にした伴奏作りも、1日あれば十分と気を取り直す。
ビートルズの本国のデビューアルバム、「プリーズ・プリーズ・ミー」は、
中山康樹「これがビートルズだ」によると、1曲目がポールのボーカル、
2曲目がジョンとポール、続けてジョン、ジョージ、リンゴとなっていて、
マーティンが、メンバーを1人ずつ紹介する曲順にしたのではと指摘。
ビートルズのデビューに際し、これまでのポップスで当たり前だった、
リードボーカルとバックバンドという形をとらず、ジョンとポールという、
2人のメインボーカルを残したうえ、ジョージとリンゴのボーカル曲も、
アルバムに入れて、しかも冒頭に並べ、バンドとしての存在を示した。
リンゴはともかく、ジョージも、まだこの段階では自作の曲がないので、
LPでは、ジョンの曲「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」と、
キャロル・キングが作曲し、クッキーズという女性コーラスグループが、
歌った「チェインズ」をカバーして、2曲もリードボーカルを披露している。
70年代、シンガーソングライターとして、一時代を築いたと言ってよい、
キャロル・キングは、当時は、職業作家として、夫のジェリー・ゴフィンと、
ゴフィン&キングの名前で多くの曲を提供していて、ジョンとポールは、
それに倣い、レノン&マッカートニーを名乗ったという説も信憑性が高い。
それが禍したとまでは言えないが、元祖(?)であるキャロル・キングは、
ゴフィンが作詞、キングが作曲と、ほぼ役割分担した共同作業なので、
レノン&マッカートニーも、ジョンが作詞、ポールが作曲担当なのだと、
誤解して伝わったところもあり、年配者にはいまだに根強かったりする。
ゴフィン&キングの曲は、「ロコモーション」をヒットさせたリトル・エヴァの、
「キープ・ユア・ハンズ・オフ・マイ・ベイビー」も、BBCライブでやったが、
その「ロコモーション」のバックコーラスを担当していたのが、クッキーズ、
女性コーラスグループの曲に目をつけたのは、キャロル・キングがらみか。
この曲の発売は、62年11月だそうで、それを翌年2月のLP録音に際し、
「すぐに演奏できる曲」として、ライブのレパートリーから選び出したから、
ほとんど発売と同時に、自分たちの曲としてカバーしていたのか、かつて、
目ぼしいレコードを求め、エプスタインの店にたむろしていたのを思い出す。
アマチュア時代、オリジナル曲もさることながら、ライブで客受けするため、
ヒット曲のカバーも、他のバンドと争うように、我先にとレパートリーにして、
さらに他のバンドに先んじて、目ぼしい曲を探し、後にマネージャーとなる、
エプスタインのレコード屋の常連で、女性グループにまで目をつけていた。
「チェインズ」は、ビートルズにとっては、比較的新しい曲になるはずだが、
他のカバー曲と同様に、自分たちの曲にしてしまうところは、本当見事で、
イントロのハーモニカは、マーティンのアイデアなのか、全然原曲にないし、
ホーンのリフをギターで真似たり、いいとこ取りで、バンドの曲になっている。
YouTubeには、キャロル・キング本人がカバーした演奏がいくつか見られ、
もともと黒人の女性グループが歌った雰囲気で、ゴスペル調にしていたり、
バンド演奏ではモータウン風で、どことなく、シュープリームスのヒット曲、
「恋はあせらず」を、フィル・コリンズがカバーしたのと同じような感じもする。
自分がビートルズのファンで、原曲より先にビートルズ版を聴いているから、
「チェインズ」にしても、「ツイスト&シャウト」に、「ベイビー・イッツ・ユー」や、
「アンナ」など、モータウン系の曲をカバーしても、決してコピーではないうえ、
白人音楽に黒人音楽の要素を加えつつ、自分の音楽にしていると感じる。
「チェインズ」は、ライブでどの程度演奏したのか、シンコーから出たムック、
「ライブの時代」「全パフォーマンス徹底解剖」を見ると、63年のライブでは、
何箇所かでのレパートリーになっているが、ジョージのライブの定番の曲の、
「ロール・オーバ・ーベートーベン」が出てくる前で、模索していた頃といえる。
たった1日、10時間で10曲を録音した、ライブバンドで鍛えたビートルズと、
単に40年以上前の昔から、聴いて歌ったに過ぎない自分が、1日で1曲を、
仕上げるというのは、実力も演奏レベルも比べようもないが、手抜きせずに、
コーラスも何とか仕上げた「チェインズ」は、やはり1日でやった感の出来です。
スポンサーサイト

中学時代、ビートルズばかり聴いていた自分は、高校になり、
ディープ・パープルやレッド・ツェッペリンを弾く同級生たちに、
圧倒されて、ギターが上手くなりたいと、まずジェフ・ベックの、
レコードと楽譜を買って、さらに、あれこれとレコードを探す。
そのうえ、それまで歌謡曲やアイドルには興味なかったのに、
岩崎宏美のファンになり、テレビの歌番組にかじりついたり、
デパートの屋上のサイン会へ行ったり、少ない小遣いの中で、
ギタリストと別に、岩崎宏美のLPを買い集めることになる。
セカンドアルバム「ファンタジー」は、糸居五郎のDJに乗せ、
ノンストップで曲をかけていくような構成で、曲もそれらしくて、
16ビートの曲が多いうえ、ギターのカッティングも格好良くて、
矢島賢と水谷公生とが、左右で絡むバッキングは見事だった。
バリー・ホワイトの「愛のテーマ」で、デビッド・T・ウォーカー、
ワーワー・ワトソンがやったような感じだし、ジェフ・ベックが、
「ギター殺人者の凱旋」の中の「分かってくれるかい」などで、
決めているカッティングにも似て、歌謡曲もすごいと思った。
たまたまつけていたラジオ番組に、キャンディーズが出演して、
バンドのギターに16歳の子が入ったなんて、話をしていて、
何だ、自分と同学年じゃないか、それなら、自分もがんばれば、
岩崎宏美のバックバンドに入れるかもと、勝手に夢を描いた。
そのギタリストは、MMPの解散後にスペクトラムを結成する、
西慎嗣だったか、伯母の知り合いの踊りのお師匠さんの孫も、
自分と同い年だが、キャンディーズのバックバンドに入ったら、
ファンができて、大量にプレゼントをもらってくると、父が言う。
そんな話を聞くと、アイドルのバックバンドだと、アイドルとも、
知り合いになれるうえに、自分にもファンがついてくるんだと、
いいことばかりに思えて、岩崎宏美の曲集まで手に入れると、
伴奏の練習を始めるが、分数コードやテンションコードが多い。
フォークギターコード大全集には、載ってないようなコードで、
同級生に見せると、ジャズを覚えないとダメなんじゃないかと、
言われて、当時の明星や平凡の付録の歌本を見ても、そうした、
難しいコードが、かなり歌謡曲には使われているのだと知った。
その後、岩崎宏美からピンクレディ、さらには松田聖子へと、
高校から大学にかけ、自分の好きなアイドル歌手は変わるが、
ピンクレディのバックバンドは、稲垣次郎とソウル・メディアで、
ジャズ出身のうえに、チャック・レイニーと共演までしている。
高校を卒業した79年3月、渋谷河合楽器のジャズギター教室へ、
通い始めて、プロになりたいからと、スケール練習の基礎から、
テンションコードを含めた音楽理論、読譜の初見を鍛えられるが、
その頃は、もうアイドル歌手のバックバンドの夢から覚めていた。
ただ、アイドルから卒業したわけでなく、松田聖子が気に入って、
アルバムを買うと、松原正樹が大半の曲でリードギターを弾いて、
ヒットしたシングルに便乗して、急いでアルバムを作ったせいか、
歌よりも演奏が充実して、AORとかフュージョンのようだった。
松原正樹と一緒にギターで参加していたのは、今剛で、その前年、
2人はパラシュートを結成して、80年4月に最初のLPが出て、
すでにソロアルバムを2枚出していた松原と違って、今剛の場合、
自分にとって、やっと、その演奏がじっくりと聴けたという感じ。
その今剛のソロアルバムも発売となり、とびつくように買ったが、
LA録音というわりには、ベースはパラシュートのマイク・ダン、
ドラムはチャーのバックのロバート・ブリルに、パーカッションが、
林立夫という具合で、現地ミュージシャンは、キーボードくらい。
パラシュート・プレゼンツ・今剛とでもいう、全面バックアップで、
今剛の特徴である伸びやかなロングトーンと、フレットボードを、
上から下まで行き来するフレーズが、惜しげもなく演奏されるが、
自分的には、もっと早弾きとかしないのか、やや物足りなかった。
それでも、代表曲となる「アガサ」は、メロディも格好良いうえに、
聴くと弾くとでは大違いというくらい、伸びやかに歌うフレーズが、
けっこう運指やフレット移動が難しくて、挑戦しがいのある曲だし、
「トーツキー・ヘブン」も、気持ちよいくらいのロングトーンの曲。
次のアルバムを期待したが、なかなか出ず、今になりわかるが、
セカンドアルバムが出るのは、29年後の2009年になってから、
パラシュートでも、自分の好きなインスト曲や弾きまくりは少なく、
逆に、ニューミュージックのバックでの名演が、次々と飛び出した。
だいたい、松原と今のツインギターで、スタジオに呼ばれるうえに、
双子とまではいかないが、同じような演奏スタイルをしているので、
どちらがリードギターか判別しにくい曲もあって、それでも松原は、
甘い音色にビブラートが特徴的で、今はエッジのきいた音色が多い。
あえて差別化をはかっているのか、互いの好みの音色があるのか、
不明なのだが、今剛の代表曲と呼べる「アガサ」を、パラシュート、
松原正樹のライブで演奏する際、ほとんど完コピでバッキングする、
松原でさえ、その音色は、今剛のレコードでの演奏と明らかに違う。
ライブにつきもののハプニング、今がギターの弦を切ってしまって、
アームをフローティングにしていたせいか、チューニングも狂って、
苦労していると、とっさに松原がリードを弾き始め、その間に今が、
スペアに持ち替えるという、息の合った場面がYouTubeにある。
その際、バッキングからリードへ切り替えたから、ギターの音色は、
異なっていて当然だが、フレーズのニュアンスもだいぶ違っていて、
松原が作曲し、2人がリードをとるパラシュートの「ハーキュリー」も、
アドリブフレーズの癖や音色が違っていて、それぞれの個性だろう。
スティーブ・ルカサーやジェイ・グレイドンが弾く、半音チョーキング、
一音半チョーキングと、スライドを交えて、アクセントをずらしていく、
当時の最先端のフレーズは、松原も今剛も、うまく取り入れているが、
これまた、ビブラートのかけ方と、音色、エフェクターが微妙に違う。
このあたりは、自分の感覚的な部分で、もっといろいろな演奏を聴き、
2人のギターや機材も調べないといけないが、335はお揃いだったし、
シェクターが出した、ハンパッキング搭載のストラトやテレキャスを、
海外のミュージシャンが使い出すと、2人揃って持ち替えていた気も。
今剛の「アガサ」はソロアルバムの曲ながら、パラシュートで出した、
インスト曲のベスト盤「カラーズ」に収録されて、「ハーキュリー」と、
「アガサ」の楽譜がおまけについてきて、以前それを参考に弾くが、
ぷりんと楽譜でバンドスコアを見つけ、ピアノ、ドラムからやり直す。
バンドスコアどおりにピアノのコードを弾いたら、えっと思うような、
和音が使ってあり、例えば、ギターのフレーズを追っかけるように、
A7のアルペジオ的に右手が弾く一方で、左手のコードはE♭7で、
どちらかの臨時記号がミスプリントかと、楽譜を目を凝らして見る。
結局は代理コードなのだろうと、自分で結論づけたのだが、これは、
ニューミュージックどころか、歌謡曲でも、けっこう出てくる話で、
テンションコードを知らなくてはと、ジャズギター教室へ通ったが、
編曲をしようと思ったら、かなりの理論を学ばないと無理だと実感。
メロディーは単純なようでいて、今剛のようなニュアンスを出すのは、
かなり難しくて、最初の8分音符のスタッカートをきかせた部分から、
音の切り方が似なかったり、続く16分音符の裏から入るフレーズは、
走りかけたり、音を伸ばさず、休符を尊重するとか、本当に難しい。
スライドとハンマリング、プリングを組み合わせて、流れるように、
サビの部分を歌い上げるのも、バンドスコアのTABはどうも違い、
YouTubeで本人のポジショニングを確認しても、あまりよく分からず、
とりあえず、それっぽく弾いたが、独特のニュアンスは出せずじまい。
今剛の代表曲と呼べる「アガサ」は、パラシュートのレパートリー、
さらに、松原正樹のライブでも、今剛が参加すれば、必ず演奏する、
定番なので、いくつものライブバージョンがありますが、例によって、
最初に聴いたのが好きな自分は、完コピを目指しつつ、限界です。
ディープ・パープルやレッド・ツェッペリンを弾く同級生たちに、
圧倒されて、ギターが上手くなりたいと、まずジェフ・ベックの、
レコードと楽譜を買って、さらに、あれこれとレコードを探す。
そのうえ、それまで歌謡曲やアイドルには興味なかったのに、
岩崎宏美のファンになり、テレビの歌番組にかじりついたり、
デパートの屋上のサイン会へ行ったり、少ない小遣いの中で、
ギタリストと別に、岩崎宏美のLPを買い集めることになる。
セカンドアルバム「ファンタジー」は、糸居五郎のDJに乗せ、
ノンストップで曲をかけていくような構成で、曲もそれらしくて、
16ビートの曲が多いうえ、ギターのカッティングも格好良くて、
矢島賢と水谷公生とが、左右で絡むバッキングは見事だった。
バリー・ホワイトの「愛のテーマ」で、デビッド・T・ウォーカー、
ワーワー・ワトソンがやったような感じだし、ジェフ・ベックが、
「ギター殺人者の凱旋」の中の「分かってくれるかい」などで、
決めているカッティングにも似て、歌謡曲もすごいと思った。
たまたまつけていたラジオ番組に、キャンディーズが出演して、
バンドのギターに16歳の子が入ったなんて、話をしていて、
何だ、自分と同学年じゃないか、それなら、自分もがんばれば、
岩崎宏美のバックバンドに入れるかもと、勝手に夢を描いた。
そのギタリストは、MMPの解散後にスペクトラムを結成する、
西慎嗣だったか、伯母の知り合いの踊りのお師匠さんの孫も、
自分と同い年だが、キャンディーズのバックバンドに入ったら、
ファンができて、大量にプレゼントをもらってくると、父が言う。
そんな話を聞くと、アイドルのバックバンドだと、アイドルとも、
知り合いになれるうえに、自分にもファンがついてくるんだと、
いいことばかりに思えて、岩崎宏美の曲集まで手に入れると、
伴奏の練習を始めるが、分数コードやテンションコードが多い。
フォークギターコード大全集には、載ってないようなコードで、
同級生に見せると、ジャズを覚えないとダメなんじゃないかと、
言われて、当時の明星や平凡の付録の歌本を見ても、そうした、
難しいコードが、かなり歌謡曲には使われているのだと知った。
その後、岩崎宏美からピンクレディ、さらには松田聖子へと、
高校から大学にかけ、自分の好きなアイドル歌手は変わるが、
ピンクレディのバックバンドは、稲垣次郎とソウル・メディアで、
ジャズ出身のうえに、チャック・レイニーと共演までしている。
高校を卒業した79年3月、渋谷河合楽器のジャズギター教室へ、
通い始めて、プロになりたいからと、スケール練習の基礎から、
テンションコードを含めた音楽理論、読譜の初見を鍛えられるが、
その頃は、もうアイドル歌手のバックバンドの夢から覚めていた。
ただ、アイドルから卒業したわけでなく、松田聖子が気に入って、
アルバムを買うと、松原正樹が大半の曲でリードギターを弾いて、
ヒットしたシングルに便乗して、急いでアルバムを作ったせいか、
歌よりも演奏が充実して、AORとかフュージョンのようだった。
松原正樹と一緒にギターで参加していたのは、今剛で、その前年、
2人はパラシュートを結成して、80年4月に最初のLPが出て、
すでにソロアルバムを2枚出していた松原と違って、今剛の場合、
自分にとって、やっと、その演奏がじっくりと聴けたという感じ。
その今剛のソロアルバムも発売となり、とびつくように買ったが、
LA録音というわりには、ベースはパラシュートのマイク・ダン、
ドラムはチャーのバックのロバート・ブリルに、パーカッションが、
林立夫という具合で、現地ミュージシャンは、キーボードくらい。
パラシュート・プレゼンツ・今剛とでもいう、全面バックアップで、
今剛の特徴である伸びやかなロングトーンと、フレットボードを、
上から下まで行き来するフレーズが、惜しげもなく演奏されるが、
自分的には、もっと早弾きとかしないのか、やや物足りなかった。
それでも、代表曲となる「アガサ」は、メロディも格好良いうえに、
聴くと弾くとでは大違いというくらい、伸びやかに歌うフレーズが、
けっこう運指やフレット移動が難しくて、挑戦しがいのある曲だし、
「トーツキー・ヘブン」も、気持ちよいくらいのロングトーンの曲。
次のアルバムを期待したが、なかなか出ず、今になりわかるが、
セカンドアルバムが出るのは、29年後の2009年になってから、
パラシュートでも、自分の好きなインスト曲や弾きまくりは少なく、
逆に、ニューミュージックのバックでの名演が、次々と飛び出した。
だいたい、松原と今のツインギターで、スタジオに呼ばれるうえに、
双子とまではいかないが、同じような演奏スタイルをしているので、
どちらがリードギターか判別しにくい曲もあって、それでも松原は、
甘い音色にビブラートが特徴的で、今はエッジのきいた音色が多い。
あえて差別化をはかっているのか、互いの好みの音色があるのか、
不明なのだが、今剛の代表曲と呼べる「アガサ」を、パラシュート、
松原正樹のライブで演奏する際、ほとんど完コピでバッキングする、
松原でさえ、その音色は、今剛のレコードでの演奏と明らかに違う。
ライブにつきもののハプニング、今がギターの弦を切ってしまって、
アームをフローティングにしていたせいか、チューニングも狂って、
苦労していると、とっさに松原がリードを弾き始め、その間に今が、
スペアに持ち替えるという、息の合った場面がYouTubeにある。
その際、バッキングからリードへ切り替えたから、ギターの音色は、
異なっていて当然だが、フレーズのニュアンスもだいぶ違っていて、
松原が作曲し、2人がリードをとるパラシュートの「ハーキュリー」も、
アドリブフレーズの癖や音色が違っていて、それぞれの個性だろう。
スティーブ・ルカサーやジェイ・グレイドンが弾く、半音チョーキング、
一音半チョーキングと、スライドを交えて、アクセントをずらしていく、
当時の最先端のフレーズは、松原も今剛も、うまく取り入れているが、
これまた、ビブラートのかけ方と、音色、エフェクターが微妙に違う。
このあたりは、自分の感覚的な部分で、もっといろいろな演奏を聴き、
2人のギターや機材も調べないといけないが、335はお揃いだったし、
シェクターが出した、ハンパッキング搭載のストラトやテレキャスを、
海外のミュージシャンが使い出すと、2人揃って持ち替えていた気も。
今剛の「アガサ」はソロアルバムの曲ながら、パラシュートで出した、
インスト曲のベスト盤「カラーズ」に収録されて、「ハーキュリー」と、
「アガサ」の楽譜がおまけについてきて、以前それを参考に弾くが、
ぷりんと楽譜でバンドスコアを見つけ、ピアノ、ドラムからやり直す。
バンドスコアどおりにピアノのコードを弾いたら、えっと思うような、
和音が使ってあり、例えば、ギターのフレーズを追っかけるように、
A7のアルペジオ的に右手が弾く一方で、左手のコードはE♭7で、
どちらかの臨時記号がミスプリントかと、楽譜を目を凝らして見る。
結局は代理コードなのだろうと、自分で結論づけたのだが、これは、
ニューミュージックどころか、歌謡曲でも、けっこう出てくる話で、
テンションコードを知らなくてはと、ジャズギター教室へ通ったが、
編曲をしようと思ったら、かなりの理論を学ばないと無理だと実感。
メロディーは単純なようでいて、今剛のようなニュアンスを出すのは、
かなり難しくて、最初の8分音符のスタッカートをきかせた部分から、
音の切り方が似なかったり、続く16分音符の裏から入るフレーズは、
走りかけたり、音を伸ばさず、休符を尊重するとか、本当に難しい。
スライドとハンマリング、プリングを組み合わせて、流れるように、
サビの部分を歌い上げるのも、バンドスコアのTABはどうも違い、
YouTubeで本人のポジショニングを確認しても、あまりよく分からず、
とりあえず、それっぽく弾いたが、独特のニュアンスは出せずじまい。
今剛の代表曲と呼べる「アガサ」は、パラシュートのレパートリー、
さらに、松原正樹のライブでも、今剛が参加すれば、必ず演奏する、
定番なので、いくつものライブバージョンがありますが、例によって、
最初に聴いたのが好きな自分は、完コピを目指しつつ、限界です。

今日言うところのフュージョンミュージックが、まだジャズロック、
クロスオーバーと呼ばれていた70年代、そのルーツは古くは、
60年代まで遡ることになって、自分は、リアルタイムではないし、
雑誌やら、ものの本の知識で、その歴史もかじったに過ぎない。
だが、この手の音楽の日本でのブームとなると、76~77年で、
がぜんリアルタイムだし、日本人による演奏、アルバムの発売も、
その頃から盛んになったので、日本のクロスオーバーに関して、
その誕生から、一大ブームを、目の当たりにできた世代だと思う。
自分の場合は、ギターを弾く事から、特にギタリストに注目だが、
深町純のLPに、大村憲司が自作の「バンブーボング」を提供し、
いかにもクロスオーバーのスタイルで弾きまくったり、高中正義も、
ミカバンドの黒船組曲で、早い段階から、インスト曲を演奏した。
細野晴臣が中心となったティンパンアレイは、後藤次利を起用し、
「チョッパーズブギー」が演奏されたり、森園勝敏は四人囃子で、
まさにフュージョンと呼べるインスト「レディ・バイオレッタ」を演奏、
17歳でデビューした渡辺香津美も、歪ませたギターを弾いた。
これらは、大半がロックサイドからで、75年のジェフベックによる、
ギターインストが刺激になった気もして、和田アキラのプリズム、
野呂一生のカシオペアは、間違いなく、その影響下にあったろうし、
かくいう自分も、ベックから、ギターインストの世界に入っていく。
ただ、ベックは、クロスオーバーよりは、ロックだと思っていたから、
いわゆるクロスオーバーギタリストとして、自分が聴き始めたのは、
渡辺貞夫が77年にアルバムを作り、バックとしても日本へ呼んだ、
リー・リトナーで、ここから、日本のクロスオーバーブームも始まった。
偶然というか、同じ頃、ラリー・カールトンは五輪真弓バックで来日、
雑誌のヤングギターは、2人を特集し、ギターキッズに火をつけて、
そのブームもあって、ロック畑と共演したアルバムを出したばかりの、
渡辺香津美を中心に、森園、大村に山岸潤史の4人が競演する。
深町純のアルバムで、早い段階でクロスオーバーギターを演奏した、
大村憲司は、フォークグループ赤い鳥の出身で、その実力をかわれ、
スタジオワークもこなしたが、同じくハイファイセットのバックバンドの、
松原正樹も、クロスオーバーギタリストとして、ソロデビューを果たす。
リトナーと同じギブソン335を抱えた写真が、ヤングギターに載って、
「ジャズとは指の運動に過ぎない」と語ったという逸話も紹介されて、
普通なら、「なんだ、こいつは」と思うところ、ヤマハのネム音楽院を、
出ているとの情報もあり、ジャズをマスターしての台詞なのかと感心。
ロックバンド、バウワウのリーダー山本恭司が、ネム音楽院の出身で、
ジャズっぽいフレーズを決めていて、さすがはネムだ、ジャズギターも、
身につけられるんだと、バークリー音楽院を知らない頃、ネムに行き、
理論も教わるのが夢だったので、松原正樹も、すごい人だろうと思う。
「流宇夢サンド」は、まさにリトナーのような、コンプ、フェイザーの音で、
それでも、独自の特徴的なフレーズが多く、ギタープレイヤーだったか、
「このところ、弾きにくいフレーズをやってばかりいて」などと語っていて、
確かに、異弦同フレットや弦とびフレーズが多くて、コピーしづらかった。
その同じ記事だったか、別だったか、「最近、スタジオでコンと一緒に、
なることが多くて」と、新人のスタジオミュージシャンについて語って、
いいなあ、自分もスタジオミュージシャンになって、こんな風に松原に、
認めたもらえたらなあと思ったし、それにしても、コンって誰だと思った。
それが今剛だとわかるのは、2人がパラシュートを結成したときだが、
その前に、ニューミュージックで起用され、ギターソロの名演が多くて
クレジットから名前を知ったか、記憶があいまいだが、ソロアルバムは、
パラシュートが結成されてから、満を持して出たようにと覚えている。
パラシュートは、松原、今のツインギターに、斉藤ノブのパーカッション、
林立夫のドラム、マイク・ダンのベース、安藤芳彦、小林和泉のピアノと、
スタジオミュージシャンにより結成されたが、ボズのバックから誕生した、
TOTOを意識したのか、さらにその成功で、レコードも出せたのか微妙。
松原正樹のギター中心のソロアルバムの延長に、自分は考えていて、
インストが少ないのに、がっかりして、ラジオのエアチェックだけですませ、
後にキーボードが井上鑑になっても、歌モノが相変わらず多かったから、
アルバムは、インストのベスト盤「カラーズ」でようやく買ったというところ。
そのベスト盤には、「ハーキュリー」と、今のソロアルバムの「アガサ」の、
2段書きのスコアがおまけについていて、これは、すごくありがたくって、
ベック「ギター殺人者」も、2曲のギタースコアが掲載されていたのもあり、
インストアルバムは、こうでなくっちゃいけないと、それだけで喜んでいた。
その「ハーキュリー」は、今剛の間奏、松原のエンディングソロが難しくて、
土曜日の午後を使い、ずっと練習し、録音していたが、とうとう時間切れ、
メロディやバッキングも、2人の音色とはかけ離れ、レベルが低いですが、
松原正樹の名曲中の名曲を弾きたくて、「ハーキュリー」をアップしました。
クロスオーバーと呼ばれていた70年代、そのルーツは古くは、
60年代まで遡ることになって、自分は、リアルタイムではないし、
雑誌やら、ものの本の知識で、その歴史もかじったに過ぎない。
だが、この手の音楽の日本でのブームとなると、76~77年で、
がぜんリアルタイムだし、日本人による演奏、アルバムの発売も、
その頃から盛んになったので、日本のクロスオーバーに関して、
その誕生から、一大ブームを、目の当たりにできた世代だと思う。
自分の場合は、ギターを弾く事から、特にギタリストに注目だが、
深町純のLPに、大村憲司が自作の「バンブーボング」を提供し、
いかにもクロスオーバーのスタイルで弾きまくったり、高中正義も、
ミカバンドの黒船組曲で、早い段階から、インスト曲を演奏した。
細野晴臣が中心となったティンパンアレイは、後藤次利を起用し、
「チョッパーズブギー」が演奏されたり、森園勝敏は四人囃子で、
まさにフュージョンと呼べるインスト「レディ・バイオレッタ」を演奏、
17歳でデビューした渡辺香津美も、歪ませたギターを弾いた。
これらは、大半がロックサイドからで、75年のジェフベックによる、
ギターインストが刺激になった気もして、和田アキラのプリズム、
野呂一生のカシオペアは、間違いなく、その影響下にあったろうし、
かくいう自分も、ベックから、ギターインストの世界に入っていく。
ただ、ベックは、クロスオーバーよりは、ロックだと思っていたから、
いわゆるクロスオーバーギタリストとして、自分が聴き始めたのは、
渡辺貞夫が77年にアルバムを作り、バックとしても日本へ呼んだ、
リー・リトナーで、ここから、日本のクロスオーバーブームも始まった。
偶然というか、同じ頃、ラリー・カールトンは五輪真弓バックで来日、
雑誌のヤングギターは、2人を特集し、ギターキッズに火をつけて、
そのブームもあって、ロック畑と共演したアルバムを出したばかりの、
渡辺香津美を中心に、森園、大村に山岸潤史の4人が競演する。
深町純のアルバムで、早い段階でクロスオーバーギターを演奏した、
大村憲司は、フォークグループ赤い鳥の出身で、その実力をかわれ、
スタジオワークもこなしたが、同じくハイファイセットのバックバンドの、
松原正樹も、クロスオーバーギタリストとして、ソロデビューを果たす。
リトナーと同じギブソン335を抱えた写真が、ヤングギターに載って、
「ジャズとは指の運動に過ぎない」と語ったという逸話も紹介されて、
普通なら、「なんだ、こいつは」と思うところ、ヤマハのネム音楽院を、
出ているとの情報もあり、ジャズをマスターしての台詞なのかと感心。
ロックバンド、バウワウのリーダー山本恭司が、ネム音楽院の出身で、
ジャズっぽいフレーズを決めていて、さすがはネムだ、ジャズギターも、
身につけられるんだと、バークリー音楽院を知らない頃、ネムに行き、
理論も教わるのが夢だったので、松原正樹も、すごい人だろうと思う。
「流宇夢サンド」は、まさにリトナーのような、コンプ、フェイザーの音で、
それでも、独自の特徴的なフレーズが多く、ギタープレイヤーだったか、
「このところ、弾きにくいフレーズをやってばかりいて」などと語っていて、
確かに、異弦同フレットや弦とびフレーズが多くて、コピーしづらかった。
その同じ記事だったか、別だったか、「最近、スタジオでコンと一緒に、
なることが多くて」と、新人のスタジオミュージシャンについて語って、
いいなあ、自分もスタジオミュージシャンになって、こんな風に松原に、
認めたもらえたらなあと思ったし、それにしても、コンって誰だと思った。
それが今剛だとわかるのは、2人がパラシュートを結成したときだが、
その前に、ニューミュージックで起用され、ギターソロの名演が多くて
クレジットから名前を知ったか、記憶があいまいだが、ソロアルバムは、
パラシュートが結成されてから、満を持して出たようにと覚えている。
パラシュートは、松原、今のツインギターに、斉藤ノブのパーカッション、
林立夫のドラム、マイク・ダンのベース、安藤芳彦、小林和泉のピアノと、
スタジオミュージシャンにより結成されたが、ボズのバックから誕生した、
TOTOを意識したのか、さらにその成功で、レコードも出せたのか微妙。
松原正樹のギター中心のソロアルバムの延長に、自分は考えていて、
インストが少ないのに、がっかりして、ラジオのエアチェックだけですませ、
後にキーボードが井上鑑になっても、歌モノが相変わらず多かったから、
アルバムは、インストのベスト盤「カラーズ」でようやく買ったというところ。
そのベスト盤には、「ハーキュリー」と、今のソロアルバムの「アガサ」の、
2段書きのスコアがおまけについていて、これは、すごくありがたくって、
ベック「ギター殺人者」も、2曲のギタースコアが掲載されていたのもあり、
インストアルバムは、こうでなくっちゃいけないと、それだけで喜んでいた。
その「ハーキュリー」は、今剛の間奏、松原のエンディングソロが難しくて、
土曜日の午後を使い、ずっと練習し、録音していたが、とうとう時間切れ、
メロディやバッキングも、2人の音色とはかけ離れ、レベルが低いですが、
松原正樹の名曲中の名曲を弾きたくて、「ハーキュリー」をアップしました。

我が家のビーグルは、6月で15歳になったが、まだ元気で、
多少ふらつきつつ、何とか歩いて散歩するのは良いものの、
年寄りの早起きなのか、4時半には、もうお腹がすいただの、
散歩へ行くだの騒ぎ出して、家族全員が睡眠不足の状態。
自分も早朝散歩につきあうことがあり、5時過ぎに二度寝し、
いつもどおりに出勤するが、その日の夜は、睡魔に襲われ、
10時過ぎには、ラジオを聴きながら、寝てしまうことも多くて、
そんな日は、当然ギター練習もMTR録音も、さぼってしまう。
趣味のギターだから、そんなに根を詰める必要もないさと、
わりきっていて、それはそうなのだが、それを口実にしては、
さぼり癖がついてしまうのが、昔からの性分なので、週末に、
ブログを更新すると決めていないと、どんどん怠けてしまう。
ただ、締め切りがあるのも良し悪しで、手抜きにしてみたり、
じっくり取り組むような曲は、はなから無理だとあきらめたり、
かといって、2週間とか、1ヶ月かけて、作りこむとなったら、
途中で飽きたり、結局は、ギリギリでお茶を濁したりしそう。
小説だったか、エッセイだったか、毎日のように絵を描くのに、
1年に1枚も売れるかどうかで、認められないと悩む画家に、
1年かけて作品に取り組めば、1日で売れるとアドバイスを、
する場面があったが、自分は時間をかけても、どうだろうか。
結局、今のスタイルで、続けていこうと、開き直っているが、
今週は、日曜から4時半起きが続いて、早く寝てばかりいて、
それでも、カシオペアの曲を予定していたので、ギターならば、
楽譜を見なくても弾けるさと、かなり余裕でのんびりしていた。
金曜にベースを録音して、さらにシンセとなり、アドリブもなく、
バッキングだけで楽勝と思っていたら、DX7の音色だろうが、
ギターシンセのプリセットに、似たような音が見つからなくて、
今から音作りをしていたら、何日もかかかるので、ギブアップ。
今週の土曜日は出勤なので、さらに時間的な余裕もなくって、
こんな時には、クラシックギターか、アコギのソロギターだと、
めぼしい楽譜を探すが、右手の指弾きが練習不足で、もつれ、
やはりピック弾きだ、それならば、デパペペがあるさと、安直に。
デパペペの楽譜は3冊あって、よりどりみどりという感じだが、
やはり、曲の好みはあるし、ドラム入りなのに、スコアにない、
ギターを何本もダビングしているのに、メインの2本のみ採譜と、
けっこう省略もあり、耳コピの苦手な自分は、選択肢が少ない。
インディーズのデビュー作の「ラ・タンタ」は、サンバのリズムで、
「ラ・バンバ」をもじってタイトルをつけたのか、それは不明だが、
デパペペの特徴である、力強いストロークと、オクターブ奏法に、
互いのソロとバッキングを交代する、すべてが詰まったような曲。
デパペペは、アコギでも、歌モノのようなメロディラインが多くて、
インストとはいえ、フュージョンでもないし、ヒーリングとも違って、
まあデパペペサウンドになるのだろうが、ヒット曲のエッセンスも、
うまく取り入れて、シャカタク路線のフルーツケーキにも通じる。
ボサノバで使うテンションコードで、サンバのリズムを刻みつつ、
サンバのベースラインをなぞるように、5弦と6弦を交互にして、
コードの低音を強調するのだが、これが、かなり自分は苦手で、
バッキングだけ別トラックにして、何度もやり直すが限界だった。
今回は、ブログの記事も、あまり書くこともないままの手抜きだが、
おそらく、ビートルズ以外の曲をアップするときは、そんな感じで、
やはり、自分でもビートルズへの思いいれ、学問的探究心とかは、
半端じゃないなあと、あらためて、今週のようなときに実感する。
それだけ思い入れのあるビートルズだが、演奏は空回りしがちで、
何と言っても、ボーカルはひどいと、自分でも実感しているところ、
先日アップしたペニーレインも、伴奏に比べて、ひどいと思ったが、
YouTubeでは、50回の再生で、低評価が12件もあるという始末。
こちらのブログを訪問していただいたり、コメントされる方々は、
ブロともや、相互に交流している人が多く、お手柔らかというか、
かなり気を使っていただいているし、演奏だけでなく、ブログの、
記事についても感想をいただくが、YouTubeは演奏のみで評価。
自分もビートルズのカバーについては、評価ボタンは押さないが、
「全然だめだ、声が似ていない、ギターの音が違う」と、シビアで、
途中で聴くのをやめることもあるから、自分のカバー演奏に対して、
特にビートルズもので、低評価だらけなのも、すごく納得している。
それで、デパペペとかのギター演奏では、どうだろうかと思ったら、
先日の「MTMM」も、低評価6で、歌は下手だが、ギターのほうは、
いい線いっているさと自惚れているのは、自分だけだったと痛感、
まだまだ練習が足りないと反省して、モチベーションも沸いてくる。
そんなことを言いながら、犬のせいで眠くって、今日は無理だよと、
さぼる日々もあるだろうし、それでも、ブログを続けていなければ、
こんなにギターを弾かなかっただろうし、とにかく、週末の更新を、
無理やり、手抜きになりつつも、続けていこうと、開き直った次第。
カシオペアはDX7の壁があるので、他のフュージョンにしようかと、
歌がなくて、ギターが目立つ曲を、またいろいろ物色しているが、
とりあえず、今回は、困ったときのデパペペ、アコギのピック弾きで、
しかも二重奏でごまかせると、「ラ・タンタ」を2時間で仕上げました。
多少ふらつきつつ、何とか歩いて散歩するのは良いものの、
年寄りの早起きなのか、4時半には、もうお腹がすいただの、
散歩へ行くだの騒ぎ出して、家族全員が睡眠不足の状態。
自分も早朝散歩につきあうことがあり、5時過ぎに二度寝し、
いつもどおりに出勤するが、その日の夜は、睡魔に襲われ、
10時過ぎには、ラジオを聴きながら、寝てしまうことも多くて、
そんな日は、当然ギター練習もMTR録音も、さぼってしまう。
趣味のギターだから、そんなに根を詰める必要もないさと、
わりきっていて、それはそうなのだが、それを口実にしては、
さぼり癖がついてしまうのが、昔からの性分なので、週末に、
ブログを更新すると決めていないと、どんどん怠けてしまう。
ただ、締め切りがあるのも良し悪しで、手抜きにしてみたり、
じっくり取り組むような曲は、はなから無理だとあきらめたり、
かといって、2週間とか、1ヶ月かけて、作りこむとなったら、
途中で飽きたり、結局は、ギリギリでお茶を濁したりしそう。
小説だったか、エッセイだったか、毎日のように絵を描くのに、
1年に1枚も売れるかどうかで、認められないと悩む画家に、
1年かけて作品に取り組めば、1日で売れるとアドバイスを、
する場面があったが、自分は時間をかけても、どうだろうか。
結局、今のスタイルで、続けていこうと、開き直っているが、
今週は、日曜から4時半起きが続いて、早く寝てばかりいて、
それでも、カシオペアの曲を予定していたので、ギターならば、
楽譜を見なくても弾けるさと、かなり余裕でのんびりしていた。
金曜にベースを録音して、さらにシンセとなり、アドリブもなく、
バッキングだけで楽勝と思っていたら、DX7の音色だろうが、
ギターシンセのプリセットに、似たような音が見つからなくて、
今から音作りをしていたら、何日もかかかるので、ギブアップ。
今週の土曜日は出勤なので、さらに時間的な余裕もなくって、
こんな時には、クラシックギターか、アコギのソロギターだと、
めぼしい楽譜を探すが、右手の指弾きが練習不足で、もつれ、
やはりピック弾きだ、それならば、デパペペがあるさと、安直に。
デパペペの楽譜は3冊あって、よりどりみどりという感じだが、
やはり、曲の好みはあるし、ドラム入りなのに、スコアにない、
ギターを何本もダビングしているのに、メインの2本のみ採譜と、
けっこう省略もあり、耳コピの苦手な自分は、選択肢が少ない。
インディーズのデビュー作の「ラ・タンタ」は、サンバのリズムで、
「ラ・バンバ」をもじってタイトルをつけたのか、それは不明だが、
デパペペの特徴である、力強いストロークと、オクターブ奏法に、
互いのソロとバッキングを交代する、すべてが詰まったような曲。
デパペペは、アコギでも、歌モノのようなメロディラインが多くて、
インストとはいえ、フュージョンでもないし、ヒーリングとも違って、
まあデパペペサウンドになるのだろうが、ヒット曲のエッセンスも、
うまく取り入れて、シャカタク路線のフルーツケーキにも通じる。
ボサノバで使うテンションコードで、サンバのリズムを刻みつつ、
サンバのベースラインをなぞるように、5弦と6弦を交互にして、
コードの低音を強調するのだが、これが、かなり自分は苦手で、
バッキングだけ別トラックにして、何度もやり直すが限界だった。
今回は、ブログの記事も、あまり書くこともないままの手抜きだが、
おそらく、ビートルズ以外の曲をアップするときは、そんな感じで、
やはり、自分でもビートルズへの思いいれ、学問的探究心とかは、
半端じゃないなあと、あらためて、今週のようなときに実感する。
それだけ思い入れのあるビートルズだが、演奏は空回りしがちで、
何と言っても、ボーカルはひどいと、自分でも実感しているところ、
先日アップしたペニーレインも、伴奏に比べて、ひどいと思ったが、
YouTubeでは、50回の再生で、低評価が12件もあるという始末。
こちらのブログを訪問していただいたり、コメントされる方々は、
ブロともや、相互に交流している人が多く、お手柔らかというか、
かなり気を使っていただいているし、演奏だけでなく、ブログの、
記事についても感想をいただくが、YouTubeは演奏のみで評価。
自分もビートルズのカバーについては、評価ボタンは押さないが、
「全然だめだ、声が似ていない、ギターの音が違う」と、シビアで、
途中で聴くのをやめることもあるから、自分のカバー演奏に対して、
特にビートルズもので、低評価だらけなのも、すごく納得している。
それで、デパペペとかのギター演奏では、どうだろうかと思ったら、
先日の「MTMM」も、低評価6で、歌は下手だが、ギターのほうは、
いい線いっているさと自惚れているのは、自分だけだったと痛感、
まだまだ練習が足りないと反省して、モチベーションも沸いてくる。
そんなことを言いながら、犬のせいで眠くって、今日は無理だよと、
さぼる日々もあるだろうし、それでも、ブログを続けていなければ、
こんなにギターを弾かなかっただろうし、とにかく、週末の更新を、
無理やり、手抜きになりつつも、続けていこうと、開き直った次第。
カシオペアはDX7の壁があるので、他のフュージョンにしようかと、
歌がなくて、ギターが目立つ曲を、またいろいろ物色しているが、
とりあえず、今回は、困ったときのデパペペ、アコギのピック弾きで、
しかも二重奏でごまかせると、「ラ・タンタ」を2時間で仕上げました。

幼い頃に聴いていた、テレビ主題歌や映画音楽は別として、
夢中で音楽を聴くようになったのは、74年、中2の夏休みに、
ビートルズの映画を見たのがきっかけで、高校に入ってから、
ロック、クロスオーバー、同時にニューミュージックも聴き出す。
同年代の友人達に比べると、音楽を聴き始めた年齢にしても、
どんなミュージシャンやジャンルに目覚めたか、そのレベルも、
かなり遅れをとってしまったが、それでも、かれこれ40年以上、
聴いてきたわけで、けっこう多くのジャンルにまたがっている。
40年もたつと、自分自身が数年後には、定年の60歳になり、
そのせいだろうか、昔を振り返ってばかりいるし、よく聴くのは、
70年代の曲が多いし、購入するのも、レコードで持っている、
昔のアルバムを、スマホで聴くために、CDで買い直している。
昔は良かったなんて、あまりにありきたりすぎ、口にするのも、
はばかるが、やはり、音楽一つとってみても、それは実感して、
ところが、歳をとるから当然とはいえ、自分が昔からよく聴いて、
憧れたミュージシャンの訃報に、次第に接することが多くなる。
リアルタイムで聴いた、70~80年代の日本の音楽を支えた、
ニューミュージック、フュージョン系のバックミュージシャンたち、
その代表格である大村憲司や、松原正樹が次々と旅立たれて、
つい先日、松木恒秀の記事をヤフーで見て、またかという気分。
大村憲司の49歳は持病もあったのだろうが、松原正樹は61歳、
松木恒秀は68歳と、まだまだ現役でいてもおかしくない年齢で、
平均寿命が延びたなどと言っているが、それは戦前の人たちで、
自分たちの場合、70歳まで生きられるのかと、漠然とした不安。
松木は、鈴木宏昌・コルゲン率いるザ・プレイヤーズのギターで、
タモリの「今夜は最高」に出演したから、お茶の間にも知られたし、
プレイヤーズでの名演、歌謡曲の有名な曲でも演奏しているが、
自分が好きなのは、山下達郎の「ラブ・スペース」のリズムギター。
山下達郎のセカンドアルバム、「スペイシー」の冒頭を飾る曲で、
30年以上前、山下がDJを勤めるラジオで、ファルセットではなく、
実音で一番高い声を出した曲として、紹介されて、ハイトーンの、
ボーカルに加え、バックのサウンドが格好良くて、気に入った曲。
山下のアルバムは、LP時代にレンタルしたり、購入していたが、
なぜか、「スペイシー」だけが、エアチェックしたテープもないまま、
空白のアルバムとなっていて、CD時代になり、LPで持っていない、
「ライド・オン・タイム」などを買い直した際も、当初スルーしていた。
今となっては、記憶があいまいで、「ラブ・スペース」を聴きたくて、
CDが出た当時の3800円もする、「スペイシー」を買うことしたか、
LPと混合ではあるが、85年段階としては、全アルバムが揃うから、
買ったのか、どちらにしても、CDで買って、そのまま愛聴盤となる。
LP発売は77年6月で、当時、まだAORの言葉はなかったと思うし、
フュージョンにしても、クロスオーバーの名称で、日本のブームが、
リー・リトナー、ラリー・カールトンのギター中心に火が付いた頃で、
当時としては、かなり最先端というか、先を行くサウンドだったろう。
録音は、基本的に2つのユニット、リズムセクションを使い分けて、
松木のギター、細野晴臣のベース、佐藤博のピアノに、ドラマーが、
村上秀一と、山下のギター、田中章弘のベース、上原祐のドラム、
坂本龍一のピアノという組合わせで、どちらとも、すごいメンバー。
フュージョン音楽が、ジャズロック、クロスオーバーと呼ばれた頃、
ニューヨークやロスのスタジオミュージシャンらが、仕事の合間に、
自分達がやりたい音楽を演奏して、ジャンルの一端となったように、
日本でも、若手のミュージシャンのセッションが、新しい流れとなる。
今では、ベテランの部類になる面子だが、村上ポンタでさえ26歳、
同じく赤い鳥のバック出身の大村憲司と、ニューミュージック系の、
セッションをこなしながら、日本のフュージョンの黎明期を支えたし、
坂本龍一は、YMOどころか、香津美のバンドに参加する前の若手。
ボズ・スキャッグスの録音がきっかけで、TOTOが生まれたのとは、
少しニュアンスが違うが、セッションに呼ばれたミュージシャンが、
そこで、新しい音楽を作り上げたり、意気投合しバンドを組んだり、
そうした流れは、70年代の音楽シーンには、すごくあったと思う。
「ラブ・スペース」は、自分がギターを弾くこともあり、右チャンから、
バリー・ホワイト「愛のテーマ」で、デヴィッド・T・ウォーカーの弾く、
1~3弦を主体に流れるように刻むリズムギターを彷彿とさせる、
松木の演奏が、本当に見事で、これだけでもこの曲が気に入った。
デヴィッド・T・ウォーカーはフルアコを弾いていたし、松木にしても、
ザ・プレイヤーズではフルアコを抱えた姿が印象的で、そのせいで、
日本のエリック・ゲイルとも呼ばれたが、リマスターの達郎の解説で、
「松木さんのストラト~」とあり、ストラトを使ったと知り、びっくりした。
ちなみに、この解説には、「佐藤くんの黒鍵のグリス」の言及もあり、
バンドスコアが細かく採譜した、ピアノのアルペジオのフレーズを、
必死にギターシンセで弾き、トラッキングの遅れに苦労していたが、
何だよ、グリスかよと、そこだけ電子ピアノで、ジャララーンと弾いた。
ベースは、クレジットで見るまでは、岡沢章だとばっかり思っていて、
リズム&ブルース、ソウルのメッカ、モータウン・サウンドのベースで、
バスドラムとシンクロさせた、裏拍のくったフレーズは、リズム音痴で、
本職がベースでない自分には、かなり難しくて、やり直しつつも妥協。
細野は、お茶の間には、はっぴいえんどやテイン・パン・アレイよりも、
YMOの活動が知られているが、自分はテクノ音楽は苦手なジャンルで、
それでも、結成直後、ゲスト参加した渡辺香津美がギターを弾きまくる、
グリーク・シアターのライブは、テレビで見た当時から気に入っている。
この時、地味なシンセベースに徹していた細野が、アンコールになると、
ベースギターに持ち替えて、親指と人差し指でつまむように弦を弾いて、
そこから繰り広げられるグルーヴは、本当に見事で、チョッパーっぽい、
フレーズもこなしていて、何で全曲でベースを弾かないのかと思った。
バンドスコアには、パーカッションが載っていないが、イントロに1度だけ、
ビブラスラップが鳴り響き、トライアングルは、途中から鳴ってくるような、
音量バランスの問題で、最初からずっと叩いていたか、微妙なところだが、
ドラムマシンの機械的な部分を補う意味で、ずっと自分で叩いておいた。
山下達郎の「ラブ・スペース」は、本人でも、ライブでは声がひっくり返り、
かなり高音がきついので、ひらき直って歌い、それをミックスで小さめに、
その分、昔から好きだった、松木さんのリズムギターを大きな音にして、
かなり、これはいい感じになったと思うので、歌だけはご容赦ください。
夢中で音楽を聴くようになったのは、74年、中2の夏休みに、
ビートルズの映画を見たのがきっかけで、高校に入ってから、
ロック、クロスオーバー、同時にニューミュージックも聴き出す。
同年代の友人達に比べると、音楽を聴き始めた年齢にしても、
どんなミュージシャンやジャンルに目覚めたか、そのレベルも、
かなり遅れをとってしまったが、それでも、かれこれ40年以上、
聴いてきたわけで、けっこう多くのジャンルにまたがっている。
40年もたつと、自分自身が数年後には、定年の60歳になり、
そのせいだろうか、昔を振り返ってばかりいるし、よく聴くのは、
70年代の曲が多いし、購入するのも、レコードで持っている、
昔のアルバムを、スマホで聴くために、CDで買い直している。
昔は良かったなんて、あまりにありきたりすぎ、口にするのも、
はばかるが、やはり、音楽一つとってみても、それは実感して、
ところが、歳をとるから当然とはいえ、自分が昔からよく聴いて、
憧れたミュージシャンの訃報に、次第に接することが多くなる。
リアルタイムで聴いた、70~80年代の日本の音楽を支えた、
ニューミュージック、フュージョン系のバックミュージシャンたち、
その代表格である大村憲司や、松原正樹が次々と旅立たれて、
つい先日、松木恒秀の記事をヤフーで見て、またかという気分。
大村憲司の49歳は持病もあったのだろうが、松原正樹は61歳、
松木恒秀は68歳と、まだまだ現役でいてもおかしくない年齢で、
平均寿命が延びたなどと言っているが、それは戦前の人たちで、
自分たちの場合、70歳まで生きられるのかと、漠然とした不安。
松木は、鈴木宏昌・コルゲン率いるザ・プレイヤーズのギターで、
タモリの「今夜は最高」に出演したから、お茶の間にも知られたし、
プレイヤーズでの名演、歌謡曲の有名な曲でも演奏しているが、
自分が好きなのは、山下達郎の「ラブ・スペース」のリズムギター。
山下達郎のセカンドアルバム、「スペイシー」の冒頭を飾る曲で、
30年以上前、山下がDJを勤めるラジオで、ファルセットではなく、
実音で一番高い声を出した曲として、紹介されて、ハイトーンの、
ボーカルに加え、バックのサウンドが格好良くて、気に入った曲。
山下のアルバムは、LP時代にレンタルしたり、購入していたが、
なぜか、「スペイシー」だけが、エアチェックしたテープもないまま、
空白のアルバムとなっていて、CD時代になり、LPで持っていない、
「ライド・オン・タイム」などを買い直した際も、当初スルーしていた。
今となっては、記憶があいまいで、「ラブ・スペース」を聴きたくて、
CDが出た当時の3800円もする、「スペイシー」を買うことしたか、
LPと混合ではあるが、85年段階としては、全アルバムが揃うから、
買ったのか、どちらにしても、CDで買って、そのまま愛聴盤となる。
LP発売は77年6月で、当時、まだAORの言葉はなかったと思うし、
フュージョンにしても、クロスオーバーの名称で、日本のブームが、
リー・リトナー、ラリー・カールトンのギター中心に火が付いた頃で、
当時としては、かなり最先端というか、先を行くサウンドだったろう。
録音は、基本的に2つのユニット、リズムセクションを使い分けて、
松木のギター、細野晴臣のベース、佐藤博のピアノに、ドラマーが、
村上秀一と、山下のギター、田中章弘のベース、上原祐のドラム、
坂本龍一のピアノという組合わせで、どちらとも、すごいメンバー。
フュージョン音楽が、ジャズロック、クロスオーバーと呼ばれた頃、
ニューヨークやロスのスタジオミュージシャンらが、仕事の合間に、
自分達がやりたい音楽を演奏して、ジャンルの一端となったように、
日本でも、若手のミュージシャンのセッションが、新しい流れとなる。
今では、ベテランの部類になる面子だが、村上ポンタでさえ26歳、
同じく赤い鳥のバック出身の大村憲司と、ニューミュージック系の、
セッションをこなしながら、日本のフュージョンの黎明期を支えたし、
坂本龍一は、YMOどころか、香津美のバンドに参加する前の若手。
ボズ・スキャッグスの録音がきっかけで、TOTOが生まれたのとは、
少しニュアンスが違うが、セッションに呼ばれたミュージシャンが、
そこで、新しい音楽を作り上げたり、意気投合しバンドを組んだり、
そうした流れは、70年代の音楽シーンには、すごくあったと思う。
「ラブ・スペース」は、自分がギターを弾くこともあり、右チャンから、
バリー・ホワイト「愛のテーマ」で、デヴィッド・T・ウォーカーの弾く、
1~3弦を主体に流れるように刻むリズムギターを彷彿とさせる、
松木の演奏が、本当に見事で、これだけでもこの曲が気に入った。
デヴィッド・T・ウォーカーはフルアコを弾いていたし、松木にしても、
ザ・プレイヤーズではフルアコを抱えた姿が印象的で、そのせいで、
日本のエリック・ゲイルとも呼ばれたが、リマスターの達郎の解説で、
「松木さんのストラト~」とあり、ストラトを使ったと知り、びっくりした。
ちなみに、この解説には、「佐藤くんの黒鍵のグリス」の言及もあり、
バンドスコアが細かく採譜した、ピアノのアルペジオのフレーズを、
必死にギターシンセで弾き、トラッキングの遅れに苦労していたが、
何だよ、グリスかよと、そこだけ電子ピアノで、ジャララーンと弾いた。
ベースは、クレジットで見るまでは、岡沢章だとばっかり思っていて、
リズム&ブルース、ソウルのメッカ、モータウン・サウンドのベースで、
バスドラムとシンクロさせた、裏拍のくったフレーズは、リズム音痴で、
本職がベースでない自分には、かなり難しくて、やり直しつつも妥協。
細野は、お茶の間には、はっぴいえんどやテイン・パン・アレイよりも、
YMOの活動が知られているが、自分はテクノ音楽は苦手なジャンルで、
それでも、結成直後、ゲスト参加した渡辺香津美がギターを弾きまくる、
グリーク・シアターのライブは、テレビで見た当時から気に入っている。
この時、地味なシンセベースに徹していた細野が、アンコールになると、
ベースギターに持ち替えて、親指と人差し指でつまむように弦を弾いて、
そこから繰り広げられるグルーヴは、本当に見事で、チョッパーっぽい、
フレーズもこなしていて、何で全曲でベースを弾かないのかと思った。
バンドスコアには、パーカッションが載っていないが、イントロに1度だけ、
ビブラスラップが鳴り響き、トライアングルは、途中から鳴ってくるような、
音量バランスの問題で、最初からずっと叩いていたか、微妙なところだが、
ドラムマシンの機械的な部分を補う意味で、ずっと自分で叩いておいた。
山下達郎の「ラブ・スペース」は、本人でも、ライブでは声がひっくり返り、
かなり高音がきついので、ひらき直って歌い、それをミックスで小さめに、
その分、昔から好きだった、松木さんのリズムギターを大きな音にして、
かなり、これはいい感じになったと思うので、歌だけはご容赦ください。

| ホーム |