僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
パソコンの不調と、体調不良が重なり、今夜のうちの更新が、
どうも無理そうで、続けていた週末更新も途絶えることになり、
かなり残念ですが、早いうちに、演奏記事を更新しますので、
今後も、このブログへのご訪問、おつきあいをお願いします。
もともと、週末に更新していたのではなく、不定期だったので、
連続更新の記録というほどでもなく、毎日更新されている方に、
比べれば、数年たっても追いつけるわけでもないから、ここは、
じたばたせず、諦めが肝心と自分に言い聞かせているところ。
演奏が出来ない分、演奏と離れたことを、たまには書こうかと、
期せずして、同時期に新作が出た村上春樹と小沢健二だが、
テレビのニュースで見るだけで、まだどちらも買ってはいなくて、
例によってAmazonで、「あとで買う」に入れて、悩んでいる。
村上春樹は、就職した83年前後、大学の友人に薦められて、
「風の歌を聴け」を読んで、初期の三部作に魅かれたのだが、
そのストーリーが「僕」と「鼠」の話で、大学の友人というのが、
「ねずみ男」のあだ名だったから、自分を「僕」に重ねやすい。
「風の歌」は、大学時代の話で、かなり共感する内容が多くて、
これを青春小説だと自分はとらえていたし、「ピンボール」も、
よくボーリング場でピンボールをやったと、身近に感じながらも、
後半のピンボールマシンと邂逅は、非日常の感じが漂い出す。
「羊をめぐる冒険」は、文庫本が出ていなくて、単行本で買って、
実質的に、ここから、リアルタイムで全作品を買うことになるが、
「ピンボール」で社会人となった「僕」に、やはり就職した自分を、
重ねていたのが、「冒険」は、まったく違う世界の話になっていた。
「鼠」は、誕生日のお祝いと小説を送ってくるんじゃなかったのか、
どこで、こんなSFというか、別世界の話になったのかと、何度も、
読み返して、前の2作と矛盾点がないのか、必死に探ってみるが、
そもそも、「風の歌」から、ハートフィールドの仕掛けもあったほど。
短編集「中国行きのスローボート」や「カンガルー日和」も買って、
これまた、「ねずみ男」に薦められた、わたせせいぞうの作品、
「ハートカクテル」に近い内容だったり、「世にも奇妙な物語」に、
使えそうな非日常だったり、いろいろな話で、それぞれ楽しめた。
「蛍・納屋を焼く~」は、表題作の「蛍」が、学生時代の話なので、
「風の歌」に近いものを感じて、すごく好きだったのだが、のちに、
これをイントロに使うように、「ノルウエーの森」へと書き足されて、
余韻を持った終わり方が気に入っていたのが、壊された気分も。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は、「羊」より、
さらなる非日常であり、主人公が「私」となり、もう自分と別世界、
一人称に自分を投影して、物語に入り込む癖のある自分には、
「羊」以上に、おまえは関係ないよと、突き放された気になった。
自分は、決して「ハルキスト」ではないつもりだが、20代の頃は、
次の作品が待ち遠しくて、短編集にエッセイ、さらには翻訳まで、
村上春樹の名がつけば買っていて、ただ、当時は、他の作家も、
かなり読んだし、新書や専門書から積ん読だがあれこれ集めた。
「IQ」あたりから、本の発売自体がイベントのようになっていき、
そのこと自体は、すごく引いてしまうが、どうせなら初版がいいと、
ついつい初日に買ってしまう自分がいて、それでも、今回だけは、
もう、そろそろ、振り回されるは嫌だなと、様子を見ることにした。
小沢健二の新作も、ニュースで取り上げられ、そんなすごいのか、
フルアルバムではなく、シングルの発売でも、こんな騒ぐのかと、
かなり驚いているが、その歌詞が素晴らしいという、評判を聞くと、
詩人の詩集だけでなく、歌詞集も買う自分としては、気になり出す。
小沢健二は、「ラブリー」が流行した頃、「ライフ」を買っただけで、
他のアルバムも、フリッパーズギター時代も聴いていないのだが、
ちょうど、テープのウォークマンから、CDの「ディスクマン」になり、
編集できず、1枚のCDを聴いていた頃なので、自然と聴き込む。
朝早く出勤するときに、暗いうちに駅に着き、電車に乗っていると、
日の出が見えたが、ちょうど、「ぼくらが旅に出る理由」がかかり、
「ぼくらの住むこの世界では、太陽がいつも登り~」の歌詞になり、
早起きして良かったような、何だか得をしたような気で、出社した。
それで、単に聴き流していたのを、歌詞カードを見るようにしたら、
けっこう、歌詞が深かったり、訴えてくるものあり、感動したのだが、
ただ、それで、他の作品を買おうとまではいかず、「ライフ」だけを、
何度も聴き込んで、ニューミュージックの愛聴盤の一つになった。
小沢健二も、村上春樹と同様に(?)、かなりの信者がいるようで、
自分のビートルズ、ジョン・レノンへの思いと比べても、雲泥の差で、
まあ、はたから見たら、自分も、ビートルズの信者かもしれないが、
自分は、あれこれ、よそ見するというか、気が多いところがある。
そんな自分だから、ビートルズ以外も、いろいろ演奏したくなるし、
こうして、小沢健二の新作が、気になって仕方ないし、音楽以外、
本では村上春樹が気になり、ただ、それはテレビばかり見ていて、
左右される単純な性格、世間一般、お茶の間の一員ということか。
この数年の記事は、演奏する曲にまつわることばかり書いたので、
演奏が間に合わなかったのを口実に、思いついたことを書いたが、
たまには、そうした内容を、毎週の演奏と別に書きたい気もするし、
それで、演奏をさぼる癖がつくのもこわいし、悩むところであります。
どうも無理そうで、続けていた週末更新も途絶えることになり、
かなり残念ですが、早いうちに、演奏記事を更新しますので、
今後も、このブログへのご訪問、おつきあいをお願いします。
もともと、週末に更新していたのではなく、不定期だったので、
連続更新の記録というほどでもなく、毎日更新されている方に、
比べれば、数年たっても追いつけるわけでもないから、ここは、
じたばたせず、諦めが肝心と自分に言い聞かせているところ。
演奏が出来ない分、演奏と離れたことを、たまには書こうかと、
期せずして、同時期に新作が出た村上春樹と小沢健二だが、
テレビのニュースで見るだけで、まだどちらも買ってはいなくて、
例によってAmazonで、「あとで買う」に入れて、悩んでいる。
村上春樹は、就職した83年前後、大学の友人に薦められて、
「風の歌を聴け」を読んで、初期の三部作に魅かれたのだが、
そのストーリーが「僕」と「鼠」の話で、大学の友人というのが、
「ねずみ男」のあだ名だったから、自分を「僕」に重ねやすい。
「風の歌」は、大学時代の話で、かなり共感する内容が多くて、
これを青春小説だと自分はとらえていたし、「ピンボール」も、
よくボーリング場でピンボールをやったと、身近に感じながらも、
後半のピンボールマシンと邂逅は、非日常の感じが漂い出す。
「羊をめぐる冒険」は、文庫本が出ていなくて、単行本で買って、
実質的に、ここから、リアルタイムで全作品を買うことになるが、
「ピンボール」で社会人となった「僕」に、やはり就職した自分を、
重ねていたのが、「冒険」は、まったく違う世界の話になっていた。
「鼠」は、誕生日のお祝いと小説を送ってくるんじゃなかったのか、
どこで、こんなSFというか、別世界の話になったのかと、何度も、
読み返して、前の2作と矛盾点がないのか、必死に探ってみるが、
そもそも、「風の歌」から、ハートフィールドの仕掛けもあったほど。
短編集「中国行きのスローボート」や「カンガルー日和」も買って、
これまた、「ねずみ男」に薦められた、わたせせいぞうの作品、
「ハートカクテル」に近い内容だったり、「世にも奇妙な物語」に、
使えそうな非日常だったり、いろいろな話で、それぞれ楽しめた。
「蛍・納屋を焼く~」は、表題作の「蛍」が、学生時代の話なので、
「風の歌」に近いものを感じて、すごく好きだったのだが、のちに、
これをイントロに使うように、「ノルウエーの森」へと書き足されて、
余韻を持った終わり方が気に入っていたのが、壊された気分も。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は、「羊」より、
さらなる非日常であり、主人公が「私」となり、もう自分と別世界、
一人称に自分を投影して、物語に入り込む癖のある自分には、
「羊」以上に、おまえは関係ないよと、突き放された気になった。
自分は、決して「ハルキスト」ではないつもりだが、20代の頃は、
次の作品が待ち遠しくて、短編集にエッセイ、さらには翻訳まで、
村上春樹の名がつけば買っていて、ただ、当時は、他の作家も、
かなり読んだし、新書や専門書から積ん読だがあれこれ集めた。
「IQ」あたりから、本の発売自体がイベントのようになっていき、
そのこと自体は、すごく引いてしまうが、どうせなら初版がいいと、
ついつい初日に買ってしまう自分がいて、それでも、今回だけは、
もう、そろそろ、振り回されるは嫌だなと、様子を見ることにした。
小沢健二の新作も、ニュースで取り上げられ、そんなすごいのか、
フルアルバムではなく、シングルの発売でも、こんな騒ぐのかと、
かなり驚いているが、その歌詞が素晴らしいという、評判を聞くと、
詩人の詩集だけでなく、歌詞集も買う自分としては、気になり出す。
小沢健二は、「ラブリー」が流行した頃、「ライフ」を買っただけで、
他のアルバムも、フリッパーズギター時代も聴いていないのだが、
ちょうど、テープのウォークマンから、CDの「ディスクマン」になり、
編集できず、1枚のCDを聴いていた頃なので、自然と聴き込む。
朝早く出勤するときに、暗いうちに駅に着き、電車に乗っていると、
日の出が見えたが、ちょうど、「ぼくらが旅に出る理由」がかかり、
「ぼくらの住むこの世界では、太陽がいつも登り~」の歌詞になり、
早起きして良かったような、何だか得をしたような気で、出社した。
それで、単に聴き流していたのを、歌詞カードを見るようにしたら、
けっこう、歌詞が深かったり、訴えてくるものあり、感動したのだが、
ただ、それで、他の作品を買おうとまではいかず、「ライフ」だけを、
何度も聴き込んで、ニューミュージックの愛聴盤の一つになった。
小沢健二も、村上春樹と同様に(?)、かなりの信者がいるようで、
自分のビートルズ、ジョン・レノンへの思いと比べても、雲泥の差で、
まあ、はたから見たら、自分も、ビートルズの信者かもしれないが、
自分は、あれこれ、よそ見するというか、気が多いところがある。
そんな自分だから、ビートルズ以外も、いろいろ演奏したくなるし、
こうして、小沢健二の新作が、気になって仕方ないし、音楽以外、
本では村上春樹が気になり、ただ、それはテレビばかり見ていて、
左右される単純な性格、世間一般、お茶の間の一員ということか。
この数年の記事は、演奏する曲にまつわることばかり書いたので、
演奏が間に合わなかったのを口実に、思いついたことを書いたが、
たまには、そうした内容を、毎週の演奏と別に書きたい気もするし、
それで、演奏をさぼる癖がつくのもこわいし、悩むところであります。
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ポール・サイモンというより、サイモン&ガーファンクルの曲を、
初めて聴いたのが、NHK「世界のワンマンショー」枠で放送の、
ポール・サイモン・ショーで、途中で、「先日やったものを」との、
コメントに続いて、別番組での一時的再結成の演奏が流れた。
ものすごい歓声の中、アートがステージに現れて、ポールが、
「できるかな?」と尋ねて、「たぶんね。」と観客の笑いを誘うと、
ポールがギターを弾き始めて、「ボクサーは?」「そうだな。」と、
2人で歌い出すところは、何だか和やかな雰囲気で良かった。
続けて、「スカボロー・フェア」を演奏する際、ポールがアコギに、
カポタストをつけ、イントロのアルペジオを弾き始めたのだが、
開放弦をまじえた不思議な響きの和音で、左手のポジションも、
上のフレットに移動していて、すごいなあと、ただただ見とれた。
ベスト盤「グレイテスト・ヒット」と、その弾き語り曲集を手に入れ、
テレビで見た「ボクサー」に「スカボロー・フェア」、同じくテレビで、
ポールがソロで歌った「早く家に帰りたい」を、まずは練習するが、
LPのどの曲も、アコギのお手本のような曲ばかりで、役立った。
「スカボロー・フェア」は、レコードでは、ドラムこそ入っていないが、
ベース、エレキギター、ハープシコードに、グロッケンまで伴奏し、
歌も2声でハモるだけではなく、対位法になるのか、別のメロディ、
カウンターメロディも途中から加わって、複雑なハーモニーをなす。
「スカボロー・フェア」は、もともとイギリス民謡だそうで、ポールが、
S&Gが売れなくて、イギリスのライブハウスで活動していた頃に、
民謡を採取したのかと思ったが、交流したマーティン・カーシーが、
演奏していたそうで、「アンジー」と同様に、仲間から教わっていた。
小学館「クラシック・イン」は、CD3枚と解説がセットのシリーズで、
89~91年にかけ全13巻が出て、目ぼしい巻だけ買っていたが、
「巨人」「春の祭典」の巻に、「世界の名歌集」も一緒になっていて、
出して見ると、「スカボロー・フェア」もイングランド民謡として収録。
スコットランド民謡、アイルランド民謡、イングランド民謡があって、
単にイギリス民謡ではないのか、大英帝国は、連合国なんだなと、
変なところに感心するが、例えば、スペイン民謡や黒人霊歌とか、
ロシア民謡に比べると、どれもイギリスでかまわない気がしてくる。
S&Gは民謡のメロディを忠実に歌い、歌詞は「クラシック・イン」で、
歌われる1から7番のうち、1・2・4・6番、最後に1番を繰り返して、
ハモリは、1番はつけず、毎回、少しずつ変化させていき、追加の、
カウンターメロディと歌詞は、ポールが作った独自のものになる。
もともとの歌詞で、呪文のように何度も出てくる、「パセリ、セージ、
ローズマリー&タイム」は、パセリは野菜だが、あとは何だろうか、
「ローズマリーの赤ちゃん」なんて映画があるから、人の名前か、
4人一緒に、スカボローの市に買い物へ行くのかと、思っていた。
ある時、スーパーの調味料コーナーに、セージやタイムを見つけ、
どれも、ハーブとかの名称だったと知って、びっくり、この呪文は、
市場での物売りの声を模したらしく、「きんぎょーえ、きんぎょー」、
「竹やあ、竿だけ」のようなものか、これもまた自分の早とちりか。
歌詞は、その呼び声とも、おまじないともつかないリフレインの中、
「縫い目のない、上等の麻のシャツを仕立ててくれ。」、「塩水と渚、
その間に土地を見つけてくれ。」と、無理難題を恋人へ課していて、
どことなく、かぐや姫の求婚話の「蓬莱の玉の枝」などにも通じる。
ポール・サイモンが加えた歌詞は、フォークは反戦だと言うのか、
「戦いを告げる進軍ラッパ」とか、「将軍は殺せと命令する」という、
戦争の情景を描写していて、イギリスで録音したソロアルバムの、
「サイド・オブ・ヒル」の歌詞、メロディを、一部引用しているらしい。
S&Gに、「7時のニュース/きよしこの夜」という曲があり、これは、
きよしこの夜に合わせて、ニュースが読みあげられ、反戦集会や、
キング牧師のことが語られ、それでもクリスマスだという皮肉さで、
民謡に戦争の歌詞が重なるのも、何かしら深い意味でもあるのか。
ライブでは、自分がテレビで見たのと同様に、ギターだけを伴奏に、
2人で歌うから、カウンターメロディ、詠唱の部分は省略しているが、
YouTubeには、人気TV番組の「アンディ・ウィリアムス・ショー」に、
2人が出演した際、アンディも一緒に、詠唱を再現した演奏がある。
おそらく、S&G現役時、何度かの再結成を通じて、コンサートでも、
他のテレビ番組でも、ただ一度も再現されたことのないと思われる、
詠唱を含んだ極上のハーモニーを聴かせてくれて、アートにしても、
アンディにしても、本当見事な歌で、ギター1本の伴奏も素晴らしい。
まだビートルズやロックどころか、洋楽も聴いていない小学生の頃、
母が時々「アンディ・ウィリアムス・ショー」を見ていて、ドーナツ盤か、
ソノシートをかけていたから、カルピスのオズモンド・ブラザースと、
アンディ・ウィリアムスくらいが、顔と名前とが一致した外国の歌手。
「アンディ・ウィリアムス・ショー」は、「ザ・テレビ欄」で調べてみると、
NHKで日曜の夜に放送して、途中から日曜の昼になっているから、
昼の放送を何回かは母と見たのだろうが、ほとんど覚えていないし、
その時間帯は、「歌のアルバム」「がっちり買いましょう」を見ていた。
せっかくバンドスコアがあるから、レコードのハモリ、詠唱も再現して、
伴奏もギター1本ではなく、ベース、エレキギターも弾き、グロッケン、
ハープシコードの音もギターシンセを使って、なるべく音をぶ厚くして、
歌唱力の無さをカバーするし、ハモリも重ねることで、さらにごまかす。
このシンコーのバンドスコアは、珍しく、ものすごく丁寧に採譜してあり、
エレキギターなんて、よく聴かないと、入っているのもわからないのに、
繰り返しで変わる部分まで、括弧書きで併記され、それはグロッケン、
ハープシコードでも同様で、ビートルズの全曲バンドスコアとは大違い。
スコアの間違いや、省略があると、耳コピや確認で時間を取られるが、
スコアがしっかりしていると、オケ作りは、楽譜どおり弾けば良いから、
1~2日ですんで、あとは歌とギターを、週末まで毎日やり直せばよく、
まあ、歌は何回歌おうが、そう変わらないが、多少でも完成形に近づく。
S&Gの3枚目のLP、「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」の、
タイトルが歌詞から取られた、「スカボロー・フェア」を、伴奏を再現して、
音を厚くしましたが、アコギのアルペジオは、危なっかしくて、何よりも、
アートだけで歌う部分が、情けない歌声で、ダブルトラックにしています。
初めて聴いたのが、NHK「世界のワンマンショー」枠で放送の、
ポール・サイモン・ショーで、途中で、「先日やったものを」との、
コメントに続いて、別番組での一時的再結成の演奏が流れた。
ものすごい歓声の中、アートがステージに現れて、ポールが、
「できるかな?」と尋ねて、「たぶんね。」と観客の笑いを誘うと、
ポールがギターを弾き始めて、「ボクサーは?」「そうだな。」と、
2人で歌い出すところは、何だか和やかな雰囲気で良かった。
続けて、「スカボロー・フェア」を演奏する際、ポールがアコギに、
カポタストをつけ、イントロのアルペジオを弾き始めたのだが、
開放弦をまじえた不思議な響きの和音で、左手のポジションも、
上のフレットに移動していて、すごいなあと、ただただ見とれた。
ベスト盤「グレイテスト・ヒット」と、その弾き語り曲集を手に入れ、
テレビで見た「ボクサー」に「スカボロー・フェア」、同じくテレビで、
ポールがソロで歌った「早く家に帰りたい」を、まずは練習するが、
LPのどの曲も、アコギのお手本のような曲ばかりで、役立った。
「スカボロー・フェア」は、レコードでは、ドラムこそ入っていないが、
ベース、エレキギター、ハープシコードに、グロッケンまで伴奏し、
歌も2声でハモるだけではなく、対位法になるのか、別のメロディ、
カウンターメロディも途中から加わって、複雑なハーモニーをなす。
「スカボロー・フェア」は、もともとイギリス民謡だそうで、ポールが、
S&Gが売れなくて、イギリスのライブハウスで活動していた頃に、
民謡を採取したのかと思ったが、交流したマーティン・カーシーが、
演奏していたそうで、「アンジー」と同様に、仲間から教わっていた。
小学館「クラシック・イン」は、CD3枚と解説がセットのシリーズで、
89~91年にかけ全13巻が出て、目ぼしい巻だけ買っていたが、
「巨人」「春の祭典」の巻に、「世界の名歌集」も一緒になっていて、
出して見ると、「スカボロー・フェア」もイングランド民謡として収録。
スコットランド民謡、アイルランド民謡、イングランド民謡があって、
単にイギリス民謡ではないのか、大英帝国は、連合国なんだなと、
変なところに感心するが、例えば、スペイン民謡や黒人霊歌とか、
ロシア民謡に比べると、どれもイギリスでかまわない気がしてくる。
S&Gは民謡のメロディを忠実に歌い、歌詞は「クラシック・イン」で、
歌われる1から7番のうち、1・2・4・6番、最後に1番を繰り返して、
ハモリは、1番はつけず、毎回、少しずつ変化させていき、追加の、
カウンターメロディと歌詞は、ポールが作った独自のものになる。
もともとの歌詞で、呪文のように何度も出てくる、「パセリ、セージ、
ローズマリー&タイム」は、パセリは野菜だが、あとは何だろうか、
「ローズマリーの赤ちゃん」なんて映画があるから、人の名前か、
4人一緒に、スカボローの市に買い物へ行くのかと、思っていた。
ある時、スーパーの調味料コーナーに、セージやタイムを見つけ、
どれも、ハーブとかの名称だったと知って、びっくり、この呪文は、
市場での物売りの声を模したらしく、「きんぎょーえ、きんぎょー」、
「竹やあ、竿だけ」のようなものか、これもまた自分の早とちりか。
歌詞は、その呼び声とも、おまじないともつかないリフレインの中、
「縫い目のない、上等の麻のシャツを仕立ててくれ。」、「塩水と渚、
その間に土地を見つけてくれ。」と、無理難題を恋人へ課していて、
どことなく、かぐや姫の求婚話の「蓬莱の玉の枝」などにも通じる。
ポール・サイモンが加えた歌詞は、フォークは反戦だと言うのか、
「戦いを告げる進軍ラッパ」とか、「将軍は殺せと命令する」という、
戦争の情景を描写していて、イギリスで録音したソロアルバムの、
「サイド・オブ・ヒル」の歌詞、メロディを、一部引用しているらしい。
S&Gに、「7時のニュース/きよしこの夜」という曲があり、これは、
きよしこの夜に合わせて、ニュースが読みあげられ、反戦集会や、
キング牧師のことが語られ、それでもクリスマスだという皮肉さで、
民謡に戦争の歌詞が重なるのも、何かしら深い意味でもあるのか。
ライブでは、自分がテレビで見たのと同様に、ギターだけを伴奏に、
2人で歌うから、カウンターメロディ、詠唱の部分は省略しているが、
YouTubeには、人気TV番組の「アンディ・ウィリアムス・ショー」に、
2人が出演した際、アンディも一緒に、詠唱を再現した演奏がある。
おそらく、S&G現役時、何度かの再結成を通じて、コンサートでも、
他のテレビ番組でも、ただ一度も再現されたことのないと思われる、
詠唱を含んだ極上のハーモニーを聴かせてくれて、アートにしても、
アンディにしても、本当見事な歌で、ギター1本の伴奏も素晴らしい。
まだビートルズやロックどころか、洋楽も聴いていない小学生の頃、
母が時々「アンディ・ウィリアムス・ショー」を見ていて、ドーナツ盤か、
ソノシートをかけていたから、カルピスのオズモンド・ブラザースと、
アンディ・ウィリアムスくらいが、顔と名前とが一致した外国の歌手。
「アンディ・ウィリアムス・ショー」は、「ザ・テレビ欄」で調べてみると、
NHKで日曜の夜に放送して、途中から日曜の昼になっているから、
昼の放送を何回かは母と見たのだろうが、ほとんど覚えていないし、
その時間帯は、「歌のアルバム」「がっちり買いましょう」を見ていた。
せっかくバンドスコアがあるから、レコードのハモリ、詠唱も再現して、
伴奏もギター1本ではなく、ベース、エレキギターも弾き、グロッケン、
ハープシコードの音もギターシンセを使って、なるべく音をぶ厚くして、
歌唱力の無さをカバーするし、ハモリも重ねることで、さらにごまかす。
このシンコーのバンドスコアは、珍しく、ものすごく丁寧に採譜してあり、
エレキギターなんて、よく聴かないと、入っているのもわからないのに、
繰り返しで変わる部分まで、括弧書きで併記され、それはグロッケン、
ハープシコードでも同様で、ビートルズの全曲バンドスコアとは大違い。
スコアの間違いや、省略があると、耳コピや確認で時間を取られるが、
スコアがしっかりしていると、オケ作りは、楽譜どおり弾けば良いから、
1~2日ですんで、あとは歌とギターを、週末まで毎日やり直せばよく、
まあ、歌は何回歌おうが、そう変わらないが、多少でも完成形に近づく。
S&Gの3枚目のLP、「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」の、
タイトルが歌詞から取られた、「スカボロー・フェア」を、伴奏を再現して、
音を厚くしましたが、アコギのアルペジオは、危なっかしくて、何よりも、
アートだけで歌う部分が、情けない歌声で、ダブルトラックにしています。

76年、高1の夏に、NHKで放送した「世界のワンマンショー」で、
ポール・サイモンを見て、サイモン&ガーファンクルの演奏もあり、
S&Gのファンになり、本人たちが選曲・編集した正式ベスト盤、
「グレイテスト・ヒット」を買い、さらに楽譜も買い、弾き語りもする。
その後、土曜日の深夜、FM東京で、ソニー提供の番組だったか、
ビートルズの全曲を放送したのと同様に、S&Gも全曲放送され、
2~3回に渡って録音したが、デビュー直後、ポール・サイモンが、
イギリスに渡った際に録音した、ソロアルバムもオンエアされた。
デビュー作が売れなくて、失意のまま、ポールはイギリスへ行き、
クラブを回って、ライブをしながら、現地のフォークシーンと交流、
アートは大学院へと戻り、S&Gが休止状態となっていた65年に、
ポールは、ほとんど弾き語りの「ソングブック」をイギリスで発売。
このLPは、アメリカでは発売されず、イギリスでも廃盤となって、
ラジオからテープ録音したのは、貴重だが、40年前のテープは、
今では聴けないし、逆に、こうしたレア盤は、今はCDになったり、
YouTubeで聴けるから、昔のテープが駄目でも、そう惜しくはない。
ただし、例えば、FM東京の「ゴールデンライブステージ」のような、
来日コンサートを放送した番組は、おそらく海賊盤を探さないと、
その演奏を聴くことは不可能なので、せめて、ライブ番組だとか、
テレビの演奏を録音したテープは、復活できないかと思っている。
S&Gの全曲をテープ録音したものの、初期の曲やソロの曲だと、
弾き語りばかりなので、ちょっと飽きてしまうところもあり、後期の、
バンドが入った曲も、ちょうどハードロックとかを聴き始めた頃で、
やっぱりフォークだなあと、だんだんS&Gは聴かなくなっていく。
81年に再結成して、セントラルパークでコンサートを行ったのは、
テレビで見たし、翌年に日本公演もあって、何かと話題になって、
ラジオでも懐かしい曲がかかったりし、またテープを聴いていると、
83年の夏、シンコーから「サイモン&ガーファンクル詩集」が出る。
ちょうど就職した年で、自分は、いったいどこへ向かっているのか、
深刻ではないが考えたり、渋谷河合楽器のジャズギター教室には、
通い続けて、プロをあきらめられずにいた頃、立ち読みした詩集は、
どれもが、自分の気持ちを代弁しているようで、すぐに買い求めた。
英語の歌詞だから、それまで、LPの訳詞も、ろくに読まなかったが、
「雨に負けぬ花」は、タイトルだけでジーンして、「木の葉は緑」は、
「今、僕は22歳。だけど、それも長くない。」とあり、自分も22歳で、
「パターン」は、「ぼんやりと写る、僕の人生のパターン」とまである。
「家へ帰りたい」は、ギター1本を抱えて、ドサ回りのように旅する、
バンドマンの寂しさを歌っていたし、とにかく、自分の身にしみて、
後から考えると、これらは、イギリスに行っていた頃の作品であり、
ポール自身が、いろいろ悩みながら、歌詞を書いていたのと気づく。
先日、S&Gの「アメリカ」を演奏して、また、この詩集を手に取ると、
若い頃、自分のことのように感じたなんてのは、青くさかったかなと、
恥ずかしい反面、今でも、心にしみいる歌詞が多くて、だんだんと、
S&Gの全曲が聴きたくなってきて、CDを買おうかという気になる。
サイモン&ガーファンクルは、オリジナルアルバムは5枚なので、
全部持っていてもよいし、今はいろいろなアーティストの旧譜が、
「オリジナルアルバム・クラシック」シリーズで、輸入盤のみだが、
3枚組や4枚組で2千円程度と、安価で手に入るから、検索する。
すると、オリジナルアルバムに加え、「卒業」のサウンドトラック、
「グレイテスト・ヒッツ」(今は、ヒットでなく、ヒッツの邦題だそうだ)、
67年、69年に、81年再結成、03年再々結成のライブ盤も付き、
12枚組7千円弱というお得で、かなり迷い、「あとで買う」にした。
いつものことだが、毎日見ていると、「残りあと2点」となったので、
クリックして、どうせなら、他の曲も演奏しようと、楽譜も検索して、
全曲集はないようなので、3種類ある現行の弾き語り譜面のうち、
いちばん曲数も多くて、ソロの「アメリカの歌」も入ったものにする。
弾き語りだから、1日あれば、何曲も録音できると、安易に考えて、
今週は、CDを聴きながら、どれにしようかと、のんびりしてしまい、
昔からの得意だった、「家に帰りたい」や、「キャシーの歌」ならば、
一晩で完成と、昨夜録音すると、出来のひどさに、自分でも愕然。
ギター1本の伴奏は何だか頼りなくて、ポール・サイモンのように
緩急をつけて、表情豊かに弾くのはなかなか難しいし、何よりも、
歌がひどくて、弾き語りにせず、別録音で、さらにハモリも加えて、
ごまかせると思ったが、ダブルトラックにしても、あまりにも貧弱。
自分の場合、バックの伴奏に、ドラムやベース、シンセが加わり、
演奏そのものも厚みが出て、ごまかしたうえに、その伴奏により、
歌唱力不足のところをカバーして、全体として、聴けていたんだと、
あらためて、認識して、今日一日で、伴奏が作れそうな曲を探す。
「アイ・アム・ア・ロック」は、おそらく、デビュー作の弾き語りだった、
「サウンド・オブ・サイレンス」に、後からバンドをダビングしたのと、
同じように、もともとの弾き語り編曲に、単純にリズム隊を加えて、
フォークロック風にして、ヒットを狙ったと思える、シンプルな伴奏。
この曲は、やはり、詩集を読んだときに、すごく感動していた曲で、
「僕は岩、僕は島、岩は痛みを感じないし、島は決して泣かない」、
「友情なんていらない、苦しみをうむだけ」、「僕は誰にも触れない、
誰も僕を触れることはできない」など、他人を拒絶するような内容。
人と関わらなければ、自分が傷つけられることもない、というのは、
それは、寂しすぎるんじゃないかと思いつつ、共感する部分もあり、
「僕には本がある、守ってくれる詩もある」は、この詩集を読んだり、
昔、中原中也、立原道造に夢中だった自分に、すごく通じたりする。
ポール・サイモンに憧れて、ペンネームを「柴門(さいもん)」とした、
柴門ふみが、この曲を、「ロック初の引きこもりの歌」といったそうで、
確かに、ジョンの「ひとりぼっちのあいつ」よりも、原曲は早いから、
何だか先を越されたようで悔しいが、サイモンの歌詞は素晴らしい。
今日もまた、この歌詞を何度も読み返したり、YouTubeを検索して、
若き日の二人が、ギター伴奏で、見事に歌うのを何度も見たりと、
ますます、週末更新に赤信号が点るが、ポールのギター伴奏は、
本当に見事で、自分は、やはりバンド版でないと、様にならない。
S&Gの2枚目、「サウンド・オブ・サイレンス」の大ヒットを受けて、
急いで作ったLPから、「アイ・アム・ア・ロック」は、歌詞が見事だし、
フォークロック調の伴奏も良いのですが、今回、伴奏も即席のうえ、
ハモリがうまく覚えられず、S&Gファンには申し訳ない演奏です。
ポール・サイモンを見て、サイモン&ガーファンクルの演奏もあり、
S&Gのファンになり、本人たちが選曲・編集した正式ベスト盤、
「グレイテスト・ヒット」を買い、さらに楽譜も買い、弾き語りもする。
その後、土曜日の深夜、FM東京で、ソニー提供の番組だったか、
ビートルズの全曲を放送したのと同様に、S&Gも全曲放送され、
2~3回に渡って録音したが、デビュー直後、ポール・サイモンが、
イギリスに渡った際に録音した、ソロアルバムもオンエアされた。
デビュー作が売れなくて、失意のまま、ポールはイギリスへ行き、
クラブを回って、ライブをしながら、現地のフォークシーンと交流、
アートは大学院へと戻り、S&Gが休止状態となっていた65年に、
ポールは、ほとんど弾き語りの「ソングブック」をイギリスで発売。
このLPは、アメリカでは発売されず、イギリスでも廃盤となって、
ラジオからテープ録音したのは、貴重だが、40年前のテープは、
今では聴けないし、逆に、こうしたレア盤は、今はCDになったり、
YouTubeで聴けるから、昔のテープが駄目でも、そう惜しくはない。
ただし、例えば、FM東京の「ゴールデンライブステージ」のような、
来日コンサートを放送した番組は、おそらく海賊盤を探さないと、
その演奏を聴くことは不可能なので、せめて、ライブ番組だとか、
テレビの演奏を録音したテープは、復活できないかと思っている。
S&Gの全曲をテープ録音したものの、初期の曲やソロの曲だと、
弾き語りばかりなので、ちょっと飽きてしまうところもあり、後期の、
バンドが入った曲も、ちょうどハードロックとかを聴き始めた頃で、
やっぱりフォークだなあと、だんだんS&Gは聴かなくなっていく。
81年に再結成して、セントラルパークでコンサートを行ったのは、
テレビで見たし、翌年に日本公演もあって、何かと話題になって、
ラジオでも懐かしい曲がかかったりし、またテープを聴いていると、
83年の夏、シンコーから「サイモン&ガーファンクル詩集」が出る。
ちょうど就職した年で、自分は、いったいどこへ向かっているのか、
深刻ではないが考えたり、渋谷河合楽器のジャズギター教室には、
通い続けて、プロをあきらめられずにいた頃、立ち読みした詩集は、
どれもが、自分の気持ちを代弁しているようで、すぐに買い求めた。
英語の歌詞だから、それまで、LPの訳詞も、ろくに読まなかったが、
「雨に負けぬ花」は、タイトルだけでジーンして、「木の葉は緑」は、
「今、僕は22歳。だけど、それも長くない。」とあり、自分も22歳で、
「パターン」は、「ぼんやりと写る、僕の人生のパターン」とまである。
「家へ帰りたい」は、ギター1本を抱えて、ドサ回りのように旅する、
バンドマンの寂しさを歌っていたし、とにかく、自分の身にしみて、
後から考えると、これらは、イギリスに行っていた頃の作品であり、
ポール自身が、いろいろ悩みながら、歌詞を書いていたのと気づく。
先日、S&Gの「アメリカ」を演奏して、また、この詩集を手に取ると、
若い頃、自分のことのように感じたなんてのは、青くさかったかなと、
恥ずかしい反面、今でも、心にしみいる歌詞が多くて、だんだんと、
S&Gの全曲が聴きたくなってきて、CDを買おうかという気になる。
サイモン&ガーファンクルは、オリジナルアルバムは5枚なので、
全部持っていてもよいし、今はいろいろなアーティストの旧譜が、
「オリジナルアルバム・クラシック」シリーズで、輸入盤のみだが、
3枚組や4枚組で2千円程度と、安価で手に入るから、検索する。
すると、オリジナルアルバムに加え、「卒業」のサウンドトラック、
「グレイテスト・ヒッツ」(今は、ヒットでなく、ヒッツの邦題だそうだ)、
67年、69年に、81年再結成、03年再々結成のライブ盤も付き、
12枚組7千円弱というお得で、かなり迷い、「あとで買う」にした。
いつものことだが、毎日見ていると、「残りあと2点」となったので、
クリックして、どうせなら、他の曲も演奏しようと、楽譜も検索して、
全曲集はないようなので、3種類ある現行の弾き語り譜面のうち、
いちばん曲数も多くて、ソロの「アメリカの歌」も入ったものにする。
弾き語りだから、1日あれば、何曲も録音できると、安易に考えて、
今週は、CDを聴きながら、どれにしようかと、のんびりしてしまい、
昔からの得意だった、「家に帰りたい」や、「キャシーの歌」ならば、
一晩で完成と、昨夜録音すると、出来のひどさに、自分でも愕然。
ギター1本の伴奏は何だか頼りなくて、ポール・サイモンのように
緩急をつけて、表情豊かに弾くのはなかなか難しいし、何よりも、
歌がひどくて、弾き語りにせず、別録音で、さらにハモリも加えて、
ごまかせると思ったが、ダブルトラックにしても、あまりにも貧弱。
自分の場合、バックの伴奏に、ドラムやベース、シンセが加わり、
演奏そのものも厚みが出て、ごまかしたうえに、その伴奏により、
歌唱力不足のところをカバーして、全体として、聴けていたんだと、
あらためて、認識して、今日一日で、伴奏が作れそうな曲を探す。
「アイ・アム・ア・ロック」は、おそらく、デビュー作の弾き語りだった、
「サウンド・オブ・サイレンス」に、後からバンドをダビングしたのと、
同じように、もともとの弾き語り編曲に、単純にリズム隊を加えて、
フォークロック風にして、ヒットを狙ったと思える、シンプルな伴奏。
この曲は、やはり、詩集を読んだときに、すごく感動していた曲で、
「僕は岩、僕は島、岩は痛みを感じないし、島は決して泣かない」、
「友情なんていらない、苦しみをうむだけ」、「僕は誰にも触れない、
誰も僕を触れることはできない」など、他人を拒絶するような内容。
人と関わらなければ、自分が傷つけられることもない、というのは、
それは、寂しすぎるんじゃないかと思いつつ、共感する部分もあり、
「僕には本がある、守ってくれる詩もある」は、この詩集を読んだり、
昔、中原中也、立原道造に夢中だった自分に、すごく通じたりする。
ポール・サイモンに憧れて、ペンネームを「柴門(さいもん)」とした、
柴門ふみが、この曲を、「ロック初の引きこもりの歌」といったそうで、
確かに、ジョンの「ひとりぼっちのあいつ」よりも、原曲は早いから、
何だか先を越されたようで悔しいが、サイモンの歌詞は素晴らしい。
今日もまた、この歌詞を何度も読み返したり、YouTubeを検索して、
若き日の二人が、ギター伴奏で、見事に歌うのを何度も見たりと、
ますます、週末更新に赤信号が点るが、ポールのギター伴奏は、
本当に見事で、自分は、やはりバンド版でないと、様にならない。
S&Gの2枚目、「サウンド・オブ・サイレンス」の大ヒットを受けて、
急いで作ったLPから、「アイ・アム・ア・ロック」は、歌詞が見事だし、
フォークロック調の伴奏も良いのですが、今回、伴奏も即席のうえ、
ハモリがうまく覚えられず、S&Gファンには申し訳ない演奏です。

イーグルスを聴いたのは、あの「ホテル・カリフォルニア」が、
大ヒットした、高1から高2へかけての、77年の春先のこと、
LPを買うと、他の曲も気に入り、どの曲も捨て曲なしという、
ビートルズのアルバムのようで、すりきれるくらいに聴いた。
次の作品を楽しみにしていたら、いっこうに発売されなくて、
クリスマスソングのシングル盤が、申し訳程度に出たくらい、
79年秋、ようやく「ロング・ラン」が出た頃には、もう興味は、
フュージョンへ移って、エアチェックもレンタルもしなかった。
それでも、ヤングギター80年4月号に、「ロング・ラン」から、
第3弾シングルとなった、「言いだせなくて」の楽譜が載って、
間奏こそ8小節だが、エンディングが、30小節以上に渡り、
延々とギターソロが続くので、ラジオで録音して、練習した。
この曲のボーカルは、新メンバーのティモシー・シュミットで、
「ホテル・カリフォルニア」のヒットにより、ツアーが続くことや、
音楽性の違いなどを理由に脱退した、ランディ・マイズナーの、
穴を見事に埋める、ランディ同様の透明なハイトーンボイス。
そもそも、ランディがイーグルス結成前に加入していたバンド、
ポコから脱退した際、後任となったのがティモシーだったから、
その縁もあったのだろうが、どことなく、キング・クリムゾンでの、
グレッグ・レイクとジョン・ウェットンのような関係にも似ている。
初代ベーシスト、グレッグ・レイクに対して、ジョン・ウェットンは、
ピーター・ジャイルス、ゴードン・ハスケル、ボズを挟んでいて、
すぐの後任でないが、クリムゾンのベース、ボーカルと言えば、
自分にとっては、グレッグとウェットンが思い浮かび双璧を成す。
プログレ出身ミュージシャンによる、スーパーバンドというのか、
AORの売れ線で結成したようなエイジアが、来日する直前で、
ウェットンが、首だかやめるかして、急遽、代役で来日したのが、
グレッグで、声も似ているし、ベース同士だからかなとニンマリ。
ジャズやクラシックでもあるのだろうが、ロックは、どこかしらで、
人脈が繋がるというのが、けっこう多く、さらにプログレとなると、
狭い世界と言ったら語弊があるが、すぐ、くっついたり離れたり、
解説本の人脈図・相関図も複雑になり、矢印だらけになっている。
「言いだせなくて」に話を戻すと、イーグルスの94年の再結成、
MTVのライブでも演奏されて、そのCDは買って、聴き込んだし、
リンゴ・スターのオールスター・バンドが、92年にモントルーで、
演奏していて、テレビで見たから、何かと、この曲には親しむ。
リンゴのバンドでは、ニルス・ロフグレンが、ギターソロを弾いて、
ニルスはエレキでもサムピックをはめ、人差し指や中指も使って、
フィンガーピッキング奏法も駆使するが、クラシックギターでいう、
技巧的ハーモニックスを加ることで、自分なりの味を出していた。
フレーズ自体は、ほとんど完コピに近くて、普通なら、このあたり、
自分なりにアドリブしたくなるコード進行だが、本家ティモシーが、
歌っている以上、レコードに忠実を心がけて、多少は音を歪ませ、
ハーモニクス奏法、コーラス、ディレイを使い、見せ場を作った。
話が、どんどん脱線するが、高1の頃、「ギターライフ」の記事で、
クリス・スペディングが「ギター・ジャンボリー」という曲で、多くの、
ギタリストの物まねフレーズを弾いていると出ていたが、なぜか、
自分は、同じページのニルス・ロフグレンと混同してしまうことに。
ニルスの新譜「クライ・タフ」のジャケット写真があって、この方が、
スペディングのアルバムと思い込んで、しかも、そのジャケットが、
ストラトを抱えたうえ、ジミ・ヘンドリックスを思わせる風貌だから、
黒人ギタリストなのだろうと、二重・三重の勘違いをすることになる。
高校で、ジャズコンテストで優勝したことのある黒人のギタリストが、
ロックのアルバムを出して、いろいろなギタリストの物まねをしたと、
知ったかぶりで話し、友人は友人で、それはジョージ・ベンソンだと、
コンテストとグラミー賞を混同して、どんどん遠ざかっていくことに。
高校時代、そんな感じで、うろ覚えの情報を、皆で、ああでもない、
こうでもないと話していて、今のように、すぐネット検索できないが、
逆に楽しかったし、そうしたギタリストのレコードを必死で探しては、
ようやく見つけた時には、YouTubeの手軽さにはない喜びがある。
その後、ギター雑誌を読み返し、クリス・スペティングだとわかって、
そのアルバムを買ったが、ほとんどスペディングが歌う曲ばかりで、
ギターソロも短く、ギターの聴かせどころは、その物まねの曲くらい、
ただ、それは半端なくすごく、ジミのフレーズなど、本当見事だった。
スペディングは、ブライアン・フェリーのバックで来日し、NHKでも、
ヤング・ミュージック・ショーで放送され、けっこう話題になったから、
ジャズロック時代のアルバム、「無言歌」が再販されて、とびつくが、
これは、フリージャズを通り越し、実験音楽のようで、ソロも今一歩。
ジャズフェスで優勝したという、ジャズギターの演奏は本当なのか、
何を聴けばいいのかと思いつつ、スペディングが在籍したらしき、
ニュー・クリアスやバタード・オーナメンツという、LP解説にあった、
謎のバンドのレア盤など見つけたとして、高額で買えなかったろう。
そんな70年代に活躍したミュージシャン、自分の憧れだった人も、
この数年は、訃報に接することが多くて、イーグルスではフライが、
昨年の1月、クリムゾンのグレッグ・レイクは12月に、ウェットンが、
つい先日、3人ともが60代で、あまりに早すぎて、呆然としてしまう。
「言いだせなくて」は、そのグレン・フライが、ギターソロを弾いたと、
ヤングギターには書いてあるが、当時のレコーディング風景のまま、
PVにしたとされる映像は、YouTubeでは、一部のみで判然とせず、
再結成では、フライはエレピを弾いて、実際はどうだったのだろうか。
レスポールよりは、335のようなセミアコ系を、軽く歪ませた音で、
スライドやチョーキングで歌わせているフレーズは、本当に見事で、
なかなか、本物のニュアンスは出せなくて、ギターもストラトよりは、
レスポールのほうが近いだろうという程度で、妥協した演奏になる。
解散直前のアルバム、新加入のティモシーにとって、1枚のみで、
バンドはなくなるが、逆に、この名曲は、彼の置きみやげのような、
「言いだせなくて」は、透明感あふれる歌が特徴ですが、例により、
危なっかしい音程のハスキー声で、演奏のほうに力を入れてます。
大ヒットした、高1から高2へかけての、77年の春先のこと、
LPを買うと、他の曲も気に入り、どの曲も捨て曲なしという、
ビートルズのアルバムのようで、すりきれるくらいに聴いた。
次の作品を楽しみにしていたら、いっこうに発売されなくて、
クリスマスソングのシングル盤が、申し訳程度に出たくらい、
79年秋、ようやく「ロング・ラン」が出た頃には、もう興味は、
フュージョンへ移って、エアチェックもレンタルもしなかった。
それでも、ヤングギター80年4月号に、「ロング・ラン」から、
第3弾シングルとなった、「言いだせなくて」の楽譜が載って、
間奏こそ8小節だが、エンディングが、30小節以上に渡り、
延々とギターソロが続くので、ラジオで録音して、練習した。
この曲のボーカルは、新メンバーのティモシー・シュミットで、
「ホテル・カリフォルニア」のヒットにより、ツアーが続くことや、
音楽性の違いなどを理由に脱退した、ランディ・マイズナーの、
穴を見事に埋める、ランディ同様の透明なハイトーンボイス。
そもそも、ランディがイーグルス結成前に加入していたバンド、
ポコから脱退した際、後任となったのがティモシーだったから、
その縁もあったのだろうが、どことなく、キング・クリムゾンでの、
グレッグ・レイクとジョン・ウェットンのような関係にも似ている。
初代ベーシスト、グレッグ・レイクに対して、ジョン・ウェットンは、
ピーター・ジャイルス、ゴードン・ハスケル、ボズを挟んでいて、
すぐの後任でないが、クリムゾンのベース、ボーカルと言えば、
自分にとっては、グレッグとウェットンが思い浮かび双璧を成す。
プログレ出身ミュージシャンによる、スーパーバンドというのか、
AORの売れ線で結成したようなエイジアが、来日する直前で、
ウェットンが、首だかやめるかして、急遽、代役で来日したのが、
グレッグで、声も似ているし、ベース同士だからかなとニンマリ。
ジャズやクラシックでもあるのだろうが、ロックは、どこかしらで、
人脈が繋がるというのが、けっこう多く、さらにプログレとなると、
狭い世界と言ったら語弊があるが、すぐ、くっついたり離れたり、
解説本の人脈図・相関図も複雑になり、矢印だらけになっている。
「言いだせなくて」に話を戻すと、イーグルスの94年の再結成、
MTVのライブでも演奏されて、そのCDは買って、聴き込んだし、
リンゴ・スターのオールスター・バンドが、92年にモントルーで、
演奏していて、テレビで見たから、何かと、この曲には親しむ。
リンゴのバンドでは、ニルス・ロフグレンが、ギターソロを弾いて、
ニルスはエレキでもサムピックをはめ、人差し指や中指も使って、
フィンガーピッキング奏法も駆使するが、クラシックギターでいう、
技巧的ハーモニックスを加ることで、自分なりの味を出していた。
フレーズ自体は、ほとんど完コピに近くて、普通なら、このあたり、
自分なりにアドリブしたくなるコード進行だが、本家ティモシーが、
歌っている以上、レコードに忠実を心がけて、多少は音を歪ませ、
ハーモニクス奏法、コーラス、ディレイを使い、見せ場を作った。
話が、どんどん脱線するが、高1の頃、「ギターライフ」の記事で、
クリス・スペディングが「ギター・ジャンボリー」という曲で、多くの、
ギタリストの物まねフレーズを弾いていると出ていたが、なぜか、
自分は、同じページのニルス・ロフグレンと混同してしまうことに。
ニルスの新譜「クライ・タフ」のジャケット写真があって、この方が、
スペディングのアルバムと思い込んで、しかも、そのジャケットが、
ストラトを抱えたうえ、ジミ・ヘンドリックスを思わせる風貌だから、
黒人ギタリストなのだろうと、二重・三重の勘違いをすることになる。
高校で、ジャズコンテストで優勝したことのある黒人のギタリストが、
ロックのアルバムを出して、いろいろなギタリストの物まねをしたと、
知ったかぶりで話し、友人は友人で、それはジョージ・ベンソンだと、
コンテストとグラミー賞を混同して、どんどん遠ざかっていくことに。
高校時代、そんな感じで、うろ覚えの情報を、皆で、ああでもない、
こうでもないと話していて、今のように、すぐネット検索できないが、
逆に楽しかったし、そうしたギタリストのレコードを必死で探しては、
ようやく見つけた時には、YouTubeの手軽さにはない喜びがある。
その後、ギター雑誌を読み返し、クリス・スペティングだとわかって、
そのアルバムを買ったが、ほとんどスペディングが歌う曲ばかりで、
ギターソロも短く、ギターの聴かせどころは、その物まねの曲くらい、
ただ、それは半端なくすごく、ジミのフレーズなど、本当見事だった。
スペディングは、ブライアン・フェリーのバックで来日し、NHKでも、
ヤング・ミュージック・ショーで放送され、けっこう話題になったから、
ジャズロック時代のアルバム、「無言歌」が再販されて、とびつくが、
これは、フリージャズを通り越し、実験音楽のようで、ソロも今一歩。
ジャズフェスで優勝したという、ジャズギターの演奏は本当なのか、
何を聴けばいいのかと思いつつ、スペディングが在籍したらしき、
ニュー・クリアスやバタード・オーナメンツという、LP解説にあった、
謎のバンドのレア盤など見つけたとして、高額で買えなかったろう。
そんな70年代に活躍したミュージシャン、自分の憧れだった人も、
この数年は、訃報に接することが多くて、イーグルスではフライが、
昨年の1月、クリムゾンのグレッグ・レイクは12月に、ウェットンが、
つい先日、3人ともが60代で、あまりに早すぎて、呆然としてしまう。
「言いだせなくて」は、そのグレン・フライが、ギターソロを弾いたと、
ヤングギターには書いてあるが、当時のレコーディング風景のまま、
PVにしたとされる映像は、YouTubeでは、一部のみで判然とせず、
再結成では、フライはエレピを弾いて、実際はどうだったのだろうか。
レスポールよりは、335のようなセミアコ系を、軽く歪ませた音で、
スライドやチョーキングで歌わせているフレーズは、本当に見事で、
なかなか、本物のニュアンスは出せなくて、ギターもストラトよりは、
レスポールのほうが近いだろうという程度で、妥協した演奏になる。
解散直前のアルバム、新加入のティモシーにとって、1枚のみで、
バンドはなくなるが、逆に、この名曲は、彼の置きみやげのような、
「言いだせなくて」は、透明感あふれる歌が特徴ですが、例により、
危なっかしい音程のハスキー声で、演奏のほうに力を入れてます。

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