僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
ビートルズを聴き始めたのが、中2の74年の夏だったから、
とっくにビートルズは解散して、赤盤・青盤もすでに発売済、
4人のソロアルバムも、今も活動しているポールを除いたら、
その主要な作品は、ほとんど出揃っていて、すべて後追い。
当然ながら、ビートルズがデビューしたときの印象だったり、
来日の騒ぎ、ペパーズの衝撃、解散のショックも経験せず、
それぞれのソロアルバムが出たときのことも、知らないから、
ソロ活動を当時の人が、どう捉えたかも、本で読むしかない。
渋谷陽一は、「ロック・ベスト・アルバム・セレクション」の中で、
「(ソロアルバムで)、最も大きな衝撃をファンに与えたのが、
『ジョンの魂』である。」と述べて、「平和なジャケットに反して、
内容は身を切り刻んでいるような歌詞ばかりである。」と書く。
「ジョンがあらわに、自らの裸身をさらしたことにファンは驚き、
熱狂的にその作品を迎え入れた。」、「彼の偽らざる心境を、
歌ったものなのだろうが、かなりのショックを聞くものに与えた。」
など、大きな衝撃、驚き、ショックと、繰り返すように書いている。
文藝別冊のムック「総特集ジョン・レノン」は、「作品でたどる
ジョン・レノンの歩み」で、「マザーは、まさに子どものころの、
傷を吐き出したもの」とし、LP解説も「非常に私的なアルバムと、
なっており、一人の人間としてのジョン・レノンがが見えてくる。」
アルバム原題は、「プラスティック・オノ・バンド」の名義のみで、
ほとんど同じジャケットで、ヨーコのアルバムも同時に出たから、
間違えて買わないように、邦題は「ジョンの魂」・「ヨーコの心」と、
分けたそうだが、まさに「魂」、心の叫びだと世間は捉えたとか。
中山康樹の「ジョン・レノンを聴け!」では、「一般的に『ジョンが、
裸になったアルバム』と言われるが、『裸になろうともがいてる』、
あるいは『裸であることをみせよう』」としているように思える。」と、
「ジョンは裸を演じているにすぎなかった」という、見解を示した。
また、「演技派のジョンレノンらしい、ある種の感情移入によって、
多分に意図的に練られたものであったことが、~さらされた。」と、
持論を展開するが、自分も同感で、ジョンは、後で話を作ったり、
サービス精神もあるから、生身のジョンを演じたのはうなずける。
アルバムは、荘厳な教会の鐘の音から始まる「マザー」が1曲目、
母親ジュリアへの屈折したような思いを、叫ぶように歌うジョンは、
確かに、精神療法の結果であり、自己の思いを吐露しているが、
そこは、ミュージシャンとしての理性も働き、楽曲に仕上げている。
ヨーコは、「大晦日に、お寺でゴーンってやるでしょう。」と言って、
除夜の鐘みたいなものだと説明したそうで、荘厳な鐘の響きが、
日本の風物詩にすり代って、それはそれで、それなりの趣きも、
あるとは言え、母親への苦悩、別れの宣言とは、かけ離れてくる。
実際のところは、ヨーコでさえ、どこまで本当なのかは不明だが、
教会で懺悔するように、胸の内を叫んだと、ジョンの人生を重ねて、
感動した当時の人には、まあ、煩悩を払ったのかなあと肩透かし、
本人も、どこまで真剣だか、ただ、そのほうがジョンらしく思える。
それで、除夜の鐘で「マザー」が始まるのなら、年末最後の曲は、
「マザー」がふさわしく思えるが、ジョンのマザコンの叫びはきつく、
「かわいそうなボクちゃん」を演じていたのだとしても、重苦しくて、
一年の最後、年の瀬の結びには、ちょっと自分には歌いきれない。
おそらく、ジョンの曲で、かつて、世間一般に知られていた曲は、
このアルバム「ジョンの魂」のB面の2曲目、「ラブ」だったと思うし、
それは、ジョンには申し訳ないが、レターメンがカバーしたことで、
お茶の間にまで広まって、ジョンの曲と知らない人も多いのでは。
自分は、「ジョンの魂」も「イマジン」も、持っていないだけでなく、
友人から借りて、カセットテープに録音することさえしなかったし、
持っているベスト盤「シェイブド・フィッシュ」にも、「ラブ」はないが、
当然、この曲は知っていたし、レターメン版より、先に聴いている。
レターメン自体、来日コンサートがNHKで放送されたときに知り、
リハーサルで、日本語の曲を歌おうと、当時のヒット曲を教わり、
「北の宿から」の歌詞を必死で覚える場面が、放送されたから、
おそらく76年で、「ミスター・ロンリー」「ビコーズ」とか気に入った。
レコードを買おうと思ったが、テレビで見た人とベスト盤の写真が、
どうも違っていて、どうやらメンバーチェンジしての来日のようで、
自分が見て気に入った人の歌声じゃないのかよと、がっかりして、
来日記念盤も同様、元々ファンでもないのに、納得いかなかった。
話がどんどん飛躍するが、カーペンターズが74年に来日した時、
テレビの武道館ライブを見て、すごく気に入り、ベスト盤を買うが、
その後出た日本公演2枚組は、武道館でなく大阪ホールなので、
テレビと違うじゃないかと、一人怒って、CDの時代まで買わない。
ジョン・レノン「ラブ」は、ずっとジョンのピアノ弾き語りだと思って、
今回、演奏するために、YouTubeで聴くと、アコギが入っているし、
ピアノもジョンでなく、あのフィル・スペクターだそうで、毎度ながら、
勝手な思い込みも多いし、きちんと曲を聴いていないことも多い。
「ラブ」は、すごく単純な歌詞で、深読みされるほどの言葉遊びや、
ストーリー性を持たせる歌詞を、ビートルズでは、特徴的だったが、
解散前の「ビコーズ」は、シンプルな詞ながら、哲学的・抽象的で、
「ラブ」では、さらに素朴な単語で、ストレートな表現となっている。
73年にシンコーから出た「ビートルズ詩集」は、訳者の岩谷宏が、
「いわゆる直訳したのでは、詩そのものを殺してしまうことに。」と、
詩の中に暗喩するものを、訳者の解釈により、書き加えているが、
さすがに、「ラブ」は、単純かつ直接的表現だから、直訳に近い。
「ヘルプ」の訳を、「ぼくはくだらない映画に出て~」から始めたり、
「ひとりぼっちのあいつ」の場合は、「たとえば夜なんか ひとりで
ボケーっとしておりますと」、「きみは宇宙人 ためしにあしたの朝
新聞なんかよんでごらん もうなにひとつ きみには理解できない」
「エリナー・リグビー」は、エリナーもマッケンジー神父も登場せず、
和文タイピストに、若いセールスマン、初老の工事労務者などの、
訳者が作りあげた人物の、それぞれが亡くなった経緯を語った後、
「死ぬことはないよ がんばろうな」という言葉で終わるという具合。
自分は、このやり方は、あまり好きでなく、ビートルズを題材とした、
別作品と言えるほどに、まったく違うものになって、意訳以上だが、
ジョンのソロ作品は、かなり良い感じで直訳に近く、「ラブ」にしても、
「愛は空想じゃない 愛が現実 愛は今きみが感じていること」に。
ちなみに、解散直後のジョンのインタビュー集「ビートルズ革命」は、
原著にはないジョン詩集が追加され、詩人の三木卓が訳す「愛」は、
「愛は本当のこと 本当のことは愛 愛は感じること 感じることは愛」
さらに直訳となっていて、この本の他の訳詞と比べても、余地がない。
せいぜい、「real」の部分、 外来語としても、「リアルだ」と言う場合、
「現実」「本物」「真剣」と、微妙に意味が違い、解釈は分かれるが、
まったく別の意味ではないし、この単純な歌詞は松尾芭蕉の影響と、
よく言われるが、俳句表現、ワビ、サビは、あいにく自分は不勉強。
「ビートルズ革命」の本文を翻訳したのは、作家でもある片岡義男で、
角川文庫版「ビートルズ詩集」は、オリジナル曲のほぼ全部を収録し、
それは片岡義男が、1・2巻とも訳しているが、自身が翻訳した本の、
付録の詩集は、別の人が訳すのは、何か大人の事情か、気になる。
自分は、ギターは中学から弾き始めたが、自宅にはピアノはなくて、
当然ながら、ピアノはまったく弾けなかったが、コピーする参考にと、
ビートルズの日本編集盤に準拠したピアノ曲集を、数冊は買ったし、
楽譜付き教則レコード「ビートルズ・ピアノ・テクニック」も手に入れた。
ジョンのソロ作からは、「マザー」と「ラブ」が選ばれ、楽譜を見ると、
バンドスコアのピアノ部分と微妙に違い、まあ、どっちもどっちだが、
「レット・イット・ビー」「レディ・マドンナ」や「イン・マイ・ライフ」と共に、
選曲されるくらい、「ラブ」の方が、「イマジン」より代表曲だったよう。
「ラブ」には、デモ演奏の、アコースティックギター・バージョンがあり、
単なるコードストロークではなく、4~6弦のベース音を交えた弾き方、
ポールが弾く「マザー・ネイチャーズ・サン」に似て、ニヤリとするが、
低音を弾くのは、カントリーでは、カーターファミリー奏法として定番。
レコード版では、アコギのコードストロークで、弾き語りをしながら、
スペクターがピアノを一緒に弾いたのか、ピアノは8分音符主体で、
アルペジオを弾くが、ジョンは、ほとんどダウンのみの4分音符で、
コードを刻んで、時折、アップストロークやダウンで8分音符を返す。
このコードストロークが、ジョンならではで、「スタンド・バイ・ミー」や、
リンゴの「オンリー・ユー」のように、ミュートのアクセントを混ぜたり、
主に高音を鳴らしながら、たまに低音がズシっと入ったりと、これは、
その場のセンスで、完全コピーは無理だが、ニュアンスは覚えたい。
実は、かなり前から、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が中断したままで、
バンドスコアが手抜きの、半音上昇するオーケストラ部も悩みだが、
イントロからのジョンのアコギが再現できず、アップを強調しつつも、
ミュートは入れず、アクセントを出すのが、何年やっても似てこない。
早弾きが好きで、アコギも、複雑なフィンガーピッキング、タッピング、
変則チューニングに手を出しつつ、一番の基本のコードストローク、
中学時代から、「ただのコード弾きかよ」と馬鹿にしていたやり方が、
実は、まったくできていなかったという、今さら、この歳になり気づく。
ジョンが自身をさらけ出したとされる「ジョンの魂」にあり、「ラブ」は、
愛の本質を探ろうとしたかのような、単純な歌詞に美しいメロディ、
囁くような、かすれ気味のジョンの歌声は、なかなか真似できずに、
単にボソボソ歌うだけとなった、お粗末な歌い納めと相成りました。
今年も、拙ブログへ、ご訪問いただき、ありがとうございました。
みなさま、よいお年をお迎えください。
次回のブログ更新は、1月7日(土)を予定していますので、
ややフライングですが、31日も、残りあと僅かということで、
Happy New Year!
とっくにビートルズは解散して、赤盤・青盤もすでに発売済、
4人のソロアルバムも、今も活動しているポールを除いたら、
その主要な作品は、ほとんど出揃っていて、すべて後追い。
当然ながら、ビートルズがデビューしたときの印象だったり、
来日の騒ぎ、ペパーズの衝撃、解散のショックも経験せず、
それぞれのソロアルバムが出たときのことも、知らないから、
ソロ活動を当時の人が、どう捉えたかも、本で読むしかない。
渋谷陽一は、「ロック・ベスト・アルバム・セレクション」の中で、
「(ソロアルバムで)、最も大きな衝撃をファンに与えたのが、
『ジョンの魂』である。」と述べて、「平和なジャケットに反して、
内容は身を切り刻んでいるような歌詞ばかりである。」と書く。
「ジョンがあらわに、自らの裸身をさらしたことにファンは驚き、
熱狂的にその作品を迎え入れた。」、「彼の偽らざる心境を、
歌ったものなのだろうが、かなりのショックを聞くものに与えた。」
など、大きな衝撃、驚き、ショックと、繰り返すように書いている。
文藝別冊のムック「総特集ジョン・レノン」は、「作品でたどる
ジョン・レノンの歩み」で、「マザーは、まさに子どものころの、
傷を吐き出したもの」とし、LP解説も「非常に私的なアルバムと、
なっており、一人の人間としてのジョン・レノンがが見えてくる。」
アルバム原題は、「プラスティック・オノ・バンド」の名義のみで、
ほとんど同じジャケットで、ヨーコのアルバムも同時に出たから、
間違えて買わないように、邦題は「ジョンの魂」・「ヨーコの心」と、
分けたそうだが、まさに「魂」、心の叫びだと世間は捉えたとか。
中山康樹の「ジョン・レノンを聴け!」では、「一般的に『ジョンが、
裸になったアルバム』と言われるが、『裸になろうともがいてる』、
あるいは『裸であることをみせよう』」としているように思える。」と、
「ジョンは裸を演じているにすぎなかった」という、見解を示した。
また、「演技派のジョンレノンらしい、ある種の感情移入によって、
多分に意図的に練られたものであったことが、~さらされた。」と、
持論を展開するが、自分も同感で、ジョンは、後で話を作ったり、
サービス精神もあるから、生身のジョンを演じたのはうなずける。
アルバムは、荘厳な教会の鐘の音から始まる「マザー」が1曲目、
母親ジュリアへの屈折したような思いを、叫ぶように歌うジョンは、
確かに、精神療法の結果であり、自己の思いを吐露しているが、
そこは、ミュージシャンとしての理性も働き、楽曲に仕上げている。
ヨーコは、「大晦日に、お寺でゴーンってやるでしょう。」と言って、
除夜の鐘みたいなものだと説明したそうで、荘厳な鐘の響きが、
日本の風物詩にすり代って、それはそれで、それなりの趣きも、
あるとは言え、母親への苦悩、別れの宣言とは、かけ離れてくる。
実際のところは、ヨーコでさえ、どこまで本当なのかは不明だが、
教会で懺悔するように、胸の内を叫んだと、ジョンの人生を重ねて、
感動した当時の人には、まあ、煩悩を払ったのかなあと肩透かし、
本人も、どこまで真剣だか、ただ、そのほうがジョンらしく思える。
それで、除夜の鐘で「マザー」が始まるのなら、年末最後の曲は、
「マザー」がふさわしく思えるが、ジョンのマザコンの叫びはきつく、
「かわいそうなボクちゃん」を演じていたのだとしても、重苦しくて、
一年の最後、年の瀬の結びには、ちょっと自分には歌いきれない。
おそらく、ジョンの曲で、かつて、世間一般に知られていた曲は、
このアルバム「ジョンの魂」のB面の2曲目、「ラブ」だったと思うし、
それは、ジョンには申し訳ないが、レターメンがカバーしたことで、
お茶の間にまで広まって、ジョンの曲と知らない人も多いのでは。
自分は、「ジョンの魂」も「イマジン」も、持っていないだけでなく、
友人から借りて、カセットテープに録音することさえしなかったし、
持っているベスト盤「シェイブド・フィッシュ」にも、「ラブ」はないが、
当然、この曲は知っていたし、レターメン版より、先に聴いている。
レターメン自体、来日コンサートがNHKで放送されたときに知り、
リハーサルで、日本語の曲を歌おうと、当時のヒット曲を教わり、
「北の宿から」の歌詞を必死で覚える場面が、放送されたから、
おそらく76年で、「ミスター・ロンリー」「ビコーズ」とか気に入った。
レコードを買おうと思ったが、テレビで見た人とベスト盤の写真が、
どうも違っていて、どうやらメンバーチェンジしての来日のようで、
自分が見て気に入った人の歌声じゃないのかよと、がっかりして、
来日記念盤も同様、元々ファンでもないのに、納得いかなかった。
話がどんどん飛躍するが、カーペンターズが74年に来日した時、
テレビの武道館ライブを見て、すごく気に入り、ベスト盤を買うが、
その後出た日本公演2枚組は、武道館でなく大阪ホールなので、
テレビと違うじゃないかと、一人怒って、CDの時代まで買わない。
ジョン・レノン「ラブ」は、ずっとジョンのピアノ弾き語りだと思って、
今回、演奏するために、YouTubeで聴くと、アコギが入っているし、
ピアノもジョンでなく、あのフィル・スペクターだそうで、毎度ながら、
勝手な思い込みも多いし、きちんと曲を聴いていないことも多い。
「ラブ」は、すごく単純な歌詞で、深読みされるほどの言葉遊びや、
ストーリー性を持たせる歌詞を、ビートルズでは、特徴的だったが、
解散前の「ビコーズ」は、シンプルな詞ながら、哲学的・抽象的で、
「ラブ」では、さらに素朴な単語で、ストレートな表現となっている。
73年にシンコーから出た「ビートルズ詩集」は、訳者の岩谷宏が、
「いわゆる直訳したのでは、詩そのものを殺してしまうことに。」と、
詩の中に暗喩するものを、訳者の解釈により、書き加えているが、
さすがに、「ラブ」は、単純かつ直接的表現だから、直訳に近い。
「ヘルプ」の訳を、「ぼくはくだらない映画に出て~」から始めたり、
「ひとりぼっちのあいつ」の場合は、「たとえば夜なんか ひとりで
ボケーっとしておりますと」、「きみは宇宙人 ためしにあしたの朝
新聞なんかよんでごらん もうなにひとつ きみには理解できない」
「エリナー・リグビー」は、エリナーもマッケンジー神父も登場せず、
和文タイピストに、若いセールスマン、初老の工事労務者などの、
訳者が作りあげた人物の、それぞれが亡くなった経緯を語った後、
「死ぬことはないよ がんばろうな」という言葉で終わるという具合。
自分は、このやり方は、あまり好きでなく、ビートルズを題材とした、
別作品と言えるほどに、まったく違うものになって、意訳以上だが、
ジョンのソロ作品は、かなり良い感じで直訳に近く、「ラブ」にしても、
「愛は空想じゃない 愛が現実 愛は今きみが感じていること」に。
ちなみに、解散直後のジョンのインタビュー集「ビートルズ革命」は、
原著にはないジョン詩集が追加され、詩人の三木卓が訳す「愛」は、
「愛は本当のこと 本当のことは愛 愛は感じること 感じることは愛」
さらに直訳となっていて、この本の他の訳詞と比べても、余地がない。
せいぜい、「real」の部分、 外来語としても、「リアルだ」と言う場合、
「現実」「本物」「真剣」と、微妙に意味が違い、解釈は分かれるが、
まったく別の意味ではないし、この単純な歌詞は松尾芭蕉の影響と、
よく言われるが、俳句表現、ワビ、サビは、あいにく自分は不勉強。
「ビートルズ革命」の本文を翻訳したのは、作家でもある片岡義男で、
角川文庫版「ビートルズ詩集」は、オリジナル曲のほぼ全部を収録し、
それは片岡義男が、1・2巻とも訳しているが、自身が翻訳した本の、
付録の詩集は、別の人が訳すのは、何か大人の事情か、気になる。
自分は、ギターは中学から弾き始めたが、自宅にはピアノはなくて、
当然ながら、ピアノはまったく弾けなかったが、コピーする参考にと、
ビートルズの日本編集盤に準拠したピアノ曲集を、数冊は買ったし、
楽譜付き教則レコード「ビートルズ・ピアノ・テクニック」も手に入れた。
ジョンのソロ作からは、「マザー」と「ラブ」が選ばれ、楽譜を見ると、
バンドスコアのピアノ部分と微妙に違い、まあ、どっちもどっちだが、
「レット・イット・ビー」「レディ・マドンナ」や「イン・マイ・ライフ」と共に、
選曲されるくらい、「ラブ」の方が、「イマジン」より代表曲だったよう。
「ラブ」には、デモ演奏の、アコースティックギター・バージョンがあり、
単なるコードストロークではなく、4~6弦のベース音を交えた弾き方、
ポールが弾く「マザー・ネイチャーズ・サン」に似て、ニヤリとするが、
低音を弾くのは、カントリーでは、カーターファミリー奏法として定番。
レコード版では、アコギのコードストロークで、弾き語りをしながら、
スペクターがピアノを一緒に弾いたのか、ピアノは8分音符主体で、
アルペジオを弾くが、ジョンは、ほとんどダウンのみの4分音符で、
コードを刻んで、時折、アップストロークやダウンで8分音符を返す。
このコードストロークが、ジョンならではで、「スタンド・バイ・ミー」や、
リンゴの「オンリー・ユー」のように、ミュートのアクセントを混ぜたり、
主に高音を鳴らしながら、たまに低音がズシっと入ったりと、これは、
その場のセンスで、完全コピーは無理だが、ニュアンスは覚えたい。
実は、かなり前から、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が中断したままで、
バンドスコアが手抜きの、半音上昇するオーケストラ部も悩みだが、
イントロからのジョンのアコギが再現できず、アップを強調しつつも、
ミュートは入れず、アクセントを出すのが、何年やっても似てこない。
早弾きが好きで、アコギも、複雑なフィンガーピッキング、タッピング、
変則チューニングに手を出しつつ、一番の基本のコードストローク、
中学時代から、「ただのコード弾きかよ」と馬鹿にしていたやり方が、
実は、まったくできていなかったという、今さら、この歳になり気づく。
ジョンが自身をさらけ出したとされる「ジョンの魂」にあり、「ラブ」は、
愛の本質を探ろうとしたかのような、単純な歌詞に美しいメロディ、
囁くような、かすれ気味のジョンの歌声は、なかなか真似できずに、
単にボソボソ歌うだけとなった、お粗末な歌い納めと相成りました。
今年も、拙ブログへ、ご訪問いただき、ありがとうございました。
みなさま、よいお年をお迎えください。
次回のブログ更新は、1月7日(土)を予定していますので、
ややフライングですが、31日も、残りあと僅かということで、
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2010年の夏にブログを始めてから、クリスマスが近づくと、
何の曲を、クリスマス前後に演奏しようか、あれこれ考えて、
CDの棚を眺めたり、積み上げた楽譜をパラパラとめくって、
悩ましいようでいて楽しい作業で、今年もそんな時期になる。
坂本龍一「戦場のメリークリスマス」は、押尾コータロー版と、
南澤大介編曲ソロギ版、、ユーミン「恋人がサンタクロース」、
山下達郎「クリスマスイブ」、クラシックギターの「聖母と御子」、
昨年にはジョン・レノンと、昔から聴いていた曲を取り上げた。
そろそろネタも尽きてきて、「きよしこの夜」に「ジングルベル」、
「赤鼻のトナカイ」といった、童謡のようなクリスマスソングを、
ソロギターか二重奏にアレンジしようか、もっとギターを重ね、
聖歌隊のコーラスのようにしようか、構想だけは膨らんでいく。
いっそのこと、歌を重ねて、アカペラでもやってしまおうかと、
思いついて、山下達郎の「オン・ザ・ストリート・コーナー2」や、
クリスマス・アルバム「シーズンズ・グリーティングス」の中の、
「ホワイト・クリスマス」が、昔から好きだったので、手をつける。
山下達郎の楽譜は、メロディ譜からバンドスコアまであるが、
他人の楽曲カバーとなるアカペラ譜は、1曲も出てないので、
ジャズ曲集の「ホワイト・クリスマス」を、達郎のキーに移調し、
コード進行に沿って、ワーとかアーとか歌えばよいかと思った。
ところが、一番聴かせどころのイントロは、独自に作ったのか、
どこかの部分のコード進行ではなく、歌い出しのコードに対し、
代理コードや半音進行で解決させるようで、全然音が取れず、
もともと2声のハモリでも、音程がとれない自分には不可能。
ネットで楽譜をダウンロード販売しているエリーゼとヤマハに、
それぞれ、アカペラ編曲があるので、それを参考にしようかと、
早速購入して、とりあえず、五線譜に移調して、それをさらに、
1枚の楽譜にまとめて、どのハモリを使おうかと検討してみる。
ところが、結局、達郎とは似ても似つかないハーモニーとなり、
自分で音がコピーできる人は、何を悩むのかと思うだろうが、
ギター片手に、メロディに、トップの音、カウンターパートを探り、
譜面に追加していくも、低音や中間の音は、皆目わからない。
結局、水曜日になっても、全然音が取れないまま、土曜日でも、
この状態だったら、ソロギターにしようかと、楽譜を見ていると、
ソロギの名手、南澤大介の曲集に、「サンタが街にやってくる」、
「きよしこの夜」があり、とりあえず、最悪の場合の保険になる。
そんなとき、つけていたラジオが、季節がら、クリスマス特集で、
ワムの「ラスト・クリスマス」が流れ、この曲だったら有名だから、
楽譜、それもバンドスコアくらいあるだろうと、ネットで調べると、
エリーゼの方にバンドスコアがあり、値段も600円とお手ごろ。
ただ、サンプル画面を見ると、大半が白塗りされて見えないが、
どうも、聴き慣れたシンセのコード弾きとは、全然違った楽譜で、
もしかしてカバーバージョンだとか、単なるアレンジ譜面なのか、
シンコー提供だと書いてあるので、元になった曲集を検索する。
クリスマス曲集として、5曲入りと、改訂版の29曲入りがあって、
きちんと「ワム!」と書いてあるから、曲に間違いはないようで、
別のイントロがあったのか、YouTubeで検索すると、アルバムは、
ロングバージョンで、さらには、「プディング・ミックス」と呼ぶとか。
最初にワムの「ラスト・クリスマス」を聴いたのは、発売された頃、
渋谷公園通りのディスク・ユニオン、ハンター、タワーレコードを、
回っていたときに、パルコ前の交差点で、信号待ちをしていると、
曲が流れてきて、親しみやすいメロディーなので、すぐに覚える。
何度も繰り返す「ラーストクリスマス」の歌詞が、聞き取れなくて、
「メリークリスマス」でないことは確かだが、「ラークリスマス」って、
何だろう、歌も誰なのか、フレディ・マーキュリーが、ぶりっ子声で、
「マイ・メランコリー・ブルース」を歌うとき、こんな感じにはなるが。
そんな風に思っていたら、すぐラジオから年がら年中流れ始めて、
ワムのジョージ・マイケルで、曲名も「ラスト・クリスマス」とわかり、
ワムは「ケアレス・ウィスパー」が気に入って、LPを買っていたし、
すぐには次のアルバムは出ないようなので、シングル盤で買った。
単純な自分は、ジョージ・マイケルは、歌も上手く作曲もこなして、
良い曲を書くなと思っていたが、当時、新人にしては見事すぎて、
作曲は影武者がやっているとか、ジョージ傀儡説があったそうで、
そんなにまで、すごいレベルだとは思わず、単に気に入っていた。
「ラスト・クリスマス」を、フレディの歌声かと、一時、思ったのだが、
透明でいて、張りがあり、時に、野太い声色も交えるところなんか、
今でもすごく似ていると思うし、フレディ追悼のクイーンのライブで、
ジョージ・マイケルが歌ったときには、すごい雰囲気が出ていた。
確か、ブライアン・メイだか、ロジャー・テイラーが、「ジョージは、
『サムバディ・トゥ・ラブ』では、よい仕事をしてくれた。」と語って、
クイーンのメンバーからも認められたんだな、全部ジョージでも、
良かったくらいだ、アルバムでも出さないかと、1人納得していた。
それだけの実力派のジョージ・マイケルを、カバーするとなると、
風邪で痛めた喉は、のど飴を常用し、声こそ出るようになったが、
ただ単に声が出せるのと、歌唱力たっぷりに歌うことは別問題、
まあ、最後はガットギターでメロディでも良いだろうと、この曲に。
これまた、ダウンロード購入して、それが、水曜日の真夜中過ぎ、
木曜日に仕事から戻って、楽譜に沿って、ドラムを入力していき、
金曜日は祝日だったから、ベースとギターシンセをダビングして、
オケを夜までに作るが、なかなか、シンセの音が似せられない。
ネットの情報では、この曲は、ジョージ・マイケルが、打ち込みで、
伴奏を作ったそうで、いかにもという、シンセとドラムの音がして、
同じパターンを2番、3番と繰り返して、コードを弾き続けている、
シンセの音は、昔のアナログシンセの時代のストリングスに近い。
自分のギターシンセは、弦楽器やホーンのサンプリング音では、
かなりクオリティが高いが、いかにもシンセという音は、少なくて、
こんなリアルな音でなくても良いのにと、ポリシンセの音色を探し、
プリセットのストリングスをいじって、音も途切れがちに設定した。
ベースも、打ち込みだから、典型的なシンセベースの音を選んで、
ギターシンセで弾くが、芯がはっきりしないから、本物のベースも、
別のトラックに演奏して、ドラムも、リンドラムなのか、特徴的だが、
MTRの内蔵ドラムから、なるべく、それっぽい音色を選んでおく。
シングル盤まで買った、好きな曲だから、特に弾き語りをしたとか、
カラオケで歌うとかはしていないが、歌詞はほとんど覚えていて、
小学生時代のアニメ主題歌と同様、昔は記憶力が良かったのに、
なんで最近は、職場の人の名前も忘れるのか、よる年波だろうか。
歌詞もメロディも覚えているが、やはり、歌唱力が何よりネックで、
ダブルトラックどころか、主旋律は、トリプルトラックで、3回重ね、
コーラスというか、ハモッたり、掛け合いにする部分は、2回重ね、
さらに、お風呂場エコーのように、リバーブを深くかけることにした。
ただ、トリプルにしても、下手の三重唱では、よけいに聴き苦しく、
それぞれの微妙な音程のずれも、気になるので、音量差をつけ、
本物のように、最初はシングル、繰り返しでダブルとなるようにし、
それでも、別トラックを小さく鳴らし、声が貧弱にならないよう工夫。
毎年恒例のクリスマスの曲は、土曜日更新がイブと重なっていて、
何としても、今日のうちにアップしようと、歌入れも途中で妥協して、
これ以上は、何回歌っても、急に上手くなるわけないし、それより、
明らかに、どんどん声が枯れて、高い声が出なくなるのがわかる。
84年、ワム!がブレイクしていった年の、クリスマスに合わせて、
大ヒットした「ラスト・クリスマス」は、自分が長年、聴き慣れていた、
シングルバージョン、別イントロや、繰り返すエンディングはなしで、
ビートルズ以上に、歌には問題ありですが、メリークリスマスです。
何の曲を、クリスマス前後に演奏しようか、あれこれ考えて、
CDの棚を眺めたり、積み上げた楽譜をパラパラとめくって、
悩ましいようでいて楽しい作業で、今年もそんな時期になる。
坂本龍一「戦場のメリークリスマス」は、押尾コータロー版と、
南澤大介編曲ソロギ版、、ユーミン「恋人がサンタクロース」、
山下達郎「クリスマスイブ」、クラシックギターの「聖母と御子」、
昨年にはジョン・レノンと、昔から聴いていた曲を取り上げた。
そろそろネタも尽きてきて、「きよしこの夜」に「ジングルベル」、
「赤鼻のトナカイ」といった、童謡のようなクリスマスソングを、
ソロギターか二重奏にアレンジしようか、もっとギターを重ね、
聖歌隊のコーラスのようにしようか、構想だけは膨らんでいく。
いっそのこと、歌を重ねて、アカペラでもやってしまおうかと、
思いついて、山下達郎の「オン・ザ・ストリート・コーナー2」や、
クリスマス・アルバム「シーズンズ・グリーティングス」の中の、
「ホワイト・クリスマス」が、昔から好きだったので、手をつける。
山下達郎の楽譜は、メロディ譜からバンドスコアまであるが、
他人の楽曲カバーとなるアカペラ譜は、1曲も出てないので、
ジャズ曲集の「ホワイト・クリスマス」を、達郎のキーに移調し、
コード進行に沿って、ワーとかアーとか歌えばよいかと思った。
ところが、一番聴かせどころのイントロは、独自に作ったのか、
どこかの部分のコード進行ではなく、歌い出しのコードに対し、
代理コードや半音進行で解決させるようで、全然音が取れず、
もともと2声のハモリでも、音程がとれない自分には不可能。
ネットで楽譜をダウンロード販売しているエリーゼとヤマハに、
それぞれ、アカペラ編曲があるので、それを参考にしようかと、
早速購入して、とりあえず、五線譜に移調して、それをさらに、
1枚の楽譜にまとめて、どのハモリを使おうかと検討してみる。
ところが、結局、達郎とは似ても似つかないハーモニーとなり、
自分で音がコピーできる人は、何を悩むのかと思うだろうが、
ギター片手に、メロディに、トップの音、カウンターパートを探り、
譜面に追加していくも、低音や中間の音は、皆目わからない。
結局、水曜日になっても、全然音が取れないまま、土曜日でも、
この状態だったら、ソロギターにしようかと、楽譜を見ていると、
ソロギの名手、南澤大介の曲集に、「サンタが街にやってくる」、
「きよしこの夜」があり、とりあえず、最悪の場合の保険になる。
そんなとき、つけていたラジオが、季節がら、クリスマス特集で、
ワムの「ラスト・クリスマス」が流れ、この曲だったら有名だから、
楽譜、それもバンドスコアくらいあるだろうと、ネットで調べると、
エリーゼの方にバンドスコアがあり、値段も600円とお手ごろ。
ただ、サンプル画面を見ると、大半が白塗りされて見えないが、
どうも、聴き慣れたシンセのコード弾きとは、全然違った楽譜で、
もしかしてカバーバージョンだとか、単なるアレンジ譜面なのか、
シンコー提供だと書いてあるので、元になった曲集を検索する。
クリスマス曲集として、5曲入りと、改訂版の29曲入りがあって、
きちんと「ワム!」と書いてあるから、曲に間違いはないようで、
別のイントロがあったのか、YouTubeで検索すると、アルバムは、
ロングバージョンで、さらには、「プディング・ミックス」と呼ぶとか。
最初にワムの「ラスト・クリスマス」を聴いたのは、発売された頃、
渋谷公園通りのディスク・ユニオン、ハンター、タワーレコードを、
回っていたときに、パルコ前の交差点で、信号待ちをしていると、
曲が流れてきて、親しみやすいメロディーなので、すぐに覚える。
何度も繰り返す「ラーストクリスマス」の歌詞が、聞き取れなくて、
「メリークリスマス」でないことは確かだが、「ラークリスマス」って、
何だろう、歌も誰なのか、フレディ・マーキュリーが、ぶりっ子声で、
「マイ・メランコリー・ブルース」を歌うとき、こんな感じにはなるが。
そんな風に思っていたら、すぐラジオから年がら年中流れ始めて、
ワムのジョージ・マイケルで、曲名も「ラスト・クリスマス」とわかり、
ワムは「ケアレス・ウィスパー」が気に入って、LPを買っていたし、
すぐには次のアルバムは出ないようなので、シングル盤で買った。
単純な自分は、ジョージ・マイケルは、歌も上手く作曲もこなして、
良い曲を書くなと思っていたが、当時、新人にしては見事すぎて、
作曲は影武者がやっているとか、ジョージ傀儡説があったそうで、
そんなにまで、すごいレベルだとは思わず、単に気に入っていた。
「ラスト・クリスマス」を、フレディの歌声かと、一時、思ったのだが、
透明でいて、張りがあり、時に、野太い声色も交えるところなんか、
今でもすごく似ていると思うし、フレディ追悼のクイーンのライブで、
ジョージ・マイケルが歌ったときには、すごい雰囲気が出ていた。
確か、ブライアン・メイだか、ロジャー・テイラーが、「ジョージは、
『サムバディ・トゥ・ラブ』では、よい仕事をしてくれた。」と語って、
クイーンのメンバーからも認められたんだな、全部ジョージでも、
良かったくらいだ、アルバムでも出さないかと、1人納得していた。
それだけの実力派のジョージ・マイケルを、カバーするとなると、
風邪で痛めた喉は、のど飴を常用し、声こそ出るようになったが、
ただ単に声が出せるのと、歌唱力たっぷりに歌うことは別問題、
まあ、最後はガットギターでメロディでも良いだろうと、この曲に。
これまた、ダウンロード購入して、それが、水曜日の真夜中過ぎ、
木曜日に仕事から戻って、楽譜に沿って、ドラムを入力していき、
金曜日は祝日だったから、ベースとギターシンセをダビングして、
オケを夜までに作るが、なかなか、シンセの音が似せられない。
ネットの情報では、この曲は、ジョージ・マイケルが、打ち込みで、
伴奏を作ったそうで、いかにもという、シンセとドラムの音がして、
同じパターンを2番、3番と繰り返して、コードを弾き続けている、
シンセの音は、昔のアナログシンセの時代のストリングスに近い。
自分のギターシンセは、弦楽器やホーンのサンプリング音では、
かなりクオリティが高いが、いかにもシンセという音は、少なくて、
こんなリアルな音でなくても良いのにと、ポリシンセの音色を探し、
プリセットのストリングスをいじって、音も途切れがちに設定した。
ベースも、打ち込みだから、典型的なシンセベースの音を選んで、
ギターシンセで弾くが、芯がはっきりしないから、本物のベースも、
別のトラックに演奏して、ドラムも、リンドラムなのか、特徴的だが、
MTRの内蔵ドラムから、なるべく、それっぽい音色を選んでおく。
シングル盤まで買った、好きな曲だから、特に弾き語りをしたとか、
カラオケで歌うとかはしていないが、歌詞はほとんど覚えていて、
小学生時代のアニメ主題歌と同様、昔は記憶力が良かったのに、
なんで最近は、職場の人の名前も忘れるのか、よる年波だろうか。
歌詞もメロディも覚えているが、やはり、歌唱力が何よりネックで、
ダブルトラックどころか、主旋律は、トリプルトラックで、3回重ね、
コーラスというか、ハモッたり、掛け合いにする部分は、2回重ね、
さらに、お風呂場エコーのように、リバーブを深くかけることにした。
ただ、トリプルにしても、下手の三重唱では、よけいに聴き苦しく、
それぞれの微妙な音程のずれも、気になるので、音量差をつけ、
本物のように、最初はシングル、繰り返しでダブルとなるようにし、
それでも、別トラックを小さく鳴らし、声が貧弱にならないよう工夫。
毎年恒例のクリスマスの曲は、土曜日更新がイブと重なっていて、
何としても、今日のうちにアップしようと、歌入れも途中で妥協して、
これ以上は、何回歌っても、急に上手くなるわけないし、それより、
明らかに、どんどん声が枯れて、高い声が出なくなるのがわかる。
84年、ワム!がブレイクしていった年の、クリスマスに合わせて、
大ヒットした「ラスト・クリスマス」は、自分が長年、聴き慣れていた、
シングルバージョン、別イントロや、繰り返すエンディングはなしで、
ビートルズ以上に、歌には問題ありですが、メリークリスマスです。

風邪気味で喉が腫れて、声が出ないのが回復しないし、
発熱はないものの、体がだるかったり、腹痛もひどくて、
おまけに、ぎっくり腰の激痛レベルまでいかないものの、
腰痛まで悪化して、夜はおとなしく布団にくるまっている。
歌えない分、ギターを弾きまくろうと、前回は張り切って、
早弾きギターの曲をやったので、さらに、気合が入って、
イングヴェイをやろうと、オケを作り始めたのはよいが、
腹痛と腰痛で、月曜から、ほとんど、先には進んでない。
幼い頃から、学習机があっても椅子に座らず、もっぱら、
折りたたみテーブルで勉強していたし、あぐらが苦手で、
正座するか、右側に足を投げ出す横すわりにしていてい、
当然、ギターも、横すわりで、体を斜めにして弾いていた。
たまにクラシックギターは、椅子に座って、足台を使うが、
どうもしっくりこなくて、畳の横すわりで弾くほうがらくで、
そんな無理な姿勢がたたり、腰痛も悪化するのだろうし、
今週は、ギターを弾こうとすると、かなりの激痛になった。
イングヴェイは昔から弾いているから、木曜まで安静にし、
金曜の夜にやろうと思ったら、職場の忘年会が入っていて、
酒を飲まない自分でも、歓送迎会と忘年会の年に2回は、
出席しているから、いよいよもって、更新がピンチになる。
それでも、昔取った杵柄、幸い、この土曜は出勤しないし、
午前中で楽勝でしょうと思ったら、全然弾けなくなっていて、
さすがに数時間の練習で、完全コピーまで持っていくのは、
無理な話で、昼近くまで、何度もやり直したが、あきらめる。
そんなときは、クラシックギターの1曲でもと思ったが、先日、
段ボールを開けるとき爪を引っ掛て割れ、短く切っているし、
だいたい、しばらく指弾きの練習をしていなくって、右指など、
アポヤンド、アルアイレ以前の問題で、まともには動かない。
アコギ、フォークギターでソロギターにしようか、ヒット曲を、
ギター2本でダビングしようかと、すぐにできる曲はないか、
枕元に積み上げている楽譜を物色すると、この数年だけで、
50冊以上は買っていて、まさに「積読」状態の手つかずに。
ギター1本では、いくら、簡単な曲でも、ボロが出やすいし、
ここは二重奏で、ピックで弾ける曲が良いなあとなったら、
うってつけのデパペペの楽譜は、3冊もあるし、どの曲も、
CDは聴いているし、何回かはさらっと練習したこともある。
ギターだけだから、1曲に1時間もかからないし、それなら、
2曲くらいは余裕だろうと思い、どちらもインディーズの曲で、
同じメロディーでアレンジを変えた曲、アップテンポの「風」、
スローテンポにし「微風」のタイトルをつけた曲をやることに。
DEPAPEPE・デパペペは、関西出身のギターの二人組で、
歌なしのインストで、ロック、フュージョンの影響を感じるので、
アコギマガジンで2ページほどの記事と、デモ演奏を聴いて、
すごく気に入り、そのうちにYouTubeでテレビの映像を見る。
メジャーデビューとなった「スタート」を、Mステで弾いていて、
その元気いっぱいのコードストローク、歌心あふれるメロディ、
オクターブ奏法に、早弾きもまじえるアドリブと、すべて良くて、
これは弾くしかないと、CDをレンタルし、楽譜も見つけて買う。
夢中になったときの勢い、他の楽譜も売切れてしまう前にと、
結局、3冊を買って、そのCDも借り、しばらく取り組んでいて、
このブログでも、5曲くらいは演奏したろうか、いつものように、
そこで集中するだけ、その後は、5年近く、全然弾いていない。
それでも、まあ、何とかなると、少し練習し、録音を始めると、
アコギをマイク録音すると、時々、ものすごい雑音が入って、
無意識に弾いている右手を、マイクにぶつけたのかと思って、
少しマイクを離しても変わらず、近くの工事のせいだと気づく。
都営アパートや公務員宿舎の建て替えが、何箇所も始まり、
解体やくい打ちの騒音が、この1ヶ月以上続いているのだが、
昼間でも雨戸を閉めて、そう雑音はしないと思っていたところ、
くい打ちの振動が、マイクに伝わり、ボコンと大きな音になる。
工事の終わる夕方まで、録音はあきらめて、多少、曲を練習、
すると今度は、近くに自衛隊病院があるからなのか、やたら、
ヘリコプターが発着や旋回を始めて、これまた、雑音だらけで、
逆に、いかに普段は閑静な住宅街で、助かっているかを痛感。
そんなこんなで、YouTubeもブログの週末更新も危ないところ、
お茶を濁すように、演奏もブログ記事も、かなり手抜きですし、
昔練習したというだけで、ほとんど弾き込んでいない状態での、
DEPAPEPEの「風」とスローにした「微風」の2曲のアップです。
発熱はないものの、体がだるかったり、腹痛もひどくて、
おまけに、ぎっくり腰の激痛レベルまでいかないものの、
腰痛まで悪化して、夜はおとなしく布団にくるまっている。
歌えない分、ギターを弾きまくろうと、前回は張り切って、
早弾きギターの曲をやったので、さらに、気合が入って、
イングヴェイをやろうと、オケを作り始めたのはよいが、
腹痛と腰痛で、月曜から、ほとんど、先には進んでない。
幼い頃から、学習机があっても椅子に座らず、もっぱら、
折りたたみテーブルで勉強していたし、あぐらが苦手で、
正座するか、右側に足を投げ出す横すわりにしていてい、
当然、ギターも、横すわりで、体を斜めにして弾いていた。
たまにクラシックギターは、椅子に座って、足台を使うが、
どうもしっくりこなくて、畳の横すわりで弾くほうがらくで、
そんな無理な姿勢がたたり、腰痛も悪化するのだろうし、
今週は、ギターを弾こうとすると、かなりの激痛になった。
イングヴェイは昔から弾いているから、木曜まで安静にし、
金曜の夜にやろうと思ったら、職場の忘年会が入っていて、
酒を飲まない自分でも、歓送迎会と忘年会の年に2回は、
出席しているから、いよいよもって、更新がピンチになる。
それでも、昔取った杵柄、幸い、この土曜は出勤しないし、
午前中で楽勝でしょうと思ったら、全然弾けなくなっていて、
さすがに数時間の練習で、完全コピーまで持っていくのは、
無理な話で、昼近くまで、何度もやり直したが、あきらめる。
そんなときは、クラシックギターの1曲でもと思ったが、先日、
段ボールを開けるとき爪を引っ掛て割れ、短く切っているし、
だいたい、しばらく指弾きの練習をしていなくって、右指など、
アポヤンド、アルアイレ以前の問題で、まともには動かない。
アコギ、フォークギターでソロギターにしようか、ヒット曲を、
ギター2本でダビングしようかと、すぐにできる曲はないか、
枕元に積み上げている楽譜を物色すると、この数年だけで、
50冊以上は買っていて、まさに「積読」状態の手つかずに。
ギター1本では、いくら、簡単な曲でも、ボロが出やすいし、
ここは二重奏で、ピックで弾ける曲が良いなあとなったら、
うってつけのデパペペの楽譜は、3冊もあるし、どの曲も、
CDは聴いているし、何回かはさらっと練習したこともある。
ギターだけだから、1曲に1時間もかからないし、それなら、
2曲くらいは余裕だろうと思い、どちらもインディーズの曲で、
同じメロディーでアレンジを変えた曲、アップテンポの「風」、
スローテンポにし「微風」のタイトルをつけた曲をやることに。
DEPAPEPE・デパペペは、関西出身のギターの二人組で、
歌なしのインストで、ロック、フュージョンの影響を感じるので、
アコギマガジンで2ページほどの記事と、デモ演奏を聴いて、
すごく気に入り、そのうちにYouTubeでテレビの映像を見る。
メジャーデビューとなった「スタート」を、Mステで弾いていて、
その元気いっぱいのコードストローク、歌心あふれるメロディ、
オクターブ奏法に、早弾きもまじえるアドリブと、すべて良くて、
これは弾くしかないと、CDをレンタルし、楽譜も見つけて買う。
夢中になったときの勢い、他の楽譜も売切れてしまう前にと、
結局、3冊を買って、そのCDも借り、しばらく取り組んでいて、
このブログでも、5曲くらいは演奏したろうか、いつものように、
そこで集中するだけ、その後は、5年近く、全然弾いていない。
それでも、まあ、何とかなると、少し練習し、録音を始めると、
アコギをマイク録音すると、時々、ものすごい雑音が入って、
無意識に弾いている右手を、マイクにぶつけたのかと思って、
少しマイクを離しても変わらず、近くの工事のせいだと気づく。
都営アパートや公務員宿舎の建て替えが、何箇所も始まり、
解体やくい打ちの騒音が、この1ヶ月以上続いているのだが、
昼間でも雨戸を閉めて、そう雑音はしないと思っていたところ、
くい打ちの振動が、マイクに伝わり、ボコンと大きな音になる。
工事の終わる夕方まで、録音はあきらめて、多少、曲を練習、
すると今度は、近くに自衛隊病院があるからなのか、やたら、
ヘリコプターが発着や旋回を始めて、これまた、雑音だらけで、
逆に、いかに普段は閑静な住宅街で、助かっているかを痛感。
そんなこんなで、YouTubeもブログの週末更新も危ないところ、
お茶を濁すように、演奏もブログ記事も、かなり手抜きですし、
昔練習したというだけで、ほとんど弾き込んでいない状態での、
DEPAPEPEの「風」とスローにした「微風」の2曲のアップです。

今年もまた、インフルエンザの流行する季節が到来して、
周囲でも感染する人がちらほら、少しずつ増えていく中、
今のところは大丈夫だが、寒さのせいか、初期の風邪か、
扁桃腺の腫れと鼻水で、まともに声が出なくなってしまう。
幼い頃から扁桃腺で高熱になったり、声枯れがひどくて、
かかりつけの耳鼻科や内科の先生から、大人になっても、
喫煙なんてもってのほかと、何かにつけて言われ続けて、
それを守ったものの、喉を痛めては吸入に通院していた。
昔からの行きつけの医院は、実家の近くも今住むところも、
老先生たちは引退、廃業してしまい、耳鼻科の先生からは、
ポリープができかけているから、最後まで診てあげたいが、
私も年だからねと笑われて、近所に他の耳鼻科をあたった。
ところが、ポリープなら紹介状を書くから、大学病院へ行き、
手術するよう言われたり、吸入をやってくれるところは小さく、
風邪の患者が多数待合室にあふれ、時間はかかるうえに、
風邪やインフルをうつされそうで、以前のようにはいかない。
よほどの発熱と、インフルエンザ以外は、市販の薬を飲んで、
のど飴に、のどぬーる、薬用トローチと、思いつく方法をとり、
何とかしのいできていて、今回の声枯れも、飴をなめ続けて、
寝るときにマスクをし、1・2週間もすれば、回復するでしょう。
多少、声が枯れる程度なら、ジョンに似てくるかもしれないが、
今回は、普通の話し声もかすれて、高い音を歌おうものには、
チキチキマシンのケンケンみたいで、息だけの無声音になり、
ここは思い切って、しばらく、ブログの歌ものはお休みにする。
熱で寝込んでいるわけではないから、ギター演奏は大丈夫、
まあ、寝込んでも、「禁じられた遊び」や練習曲でお茶を濁すし、
伴奏のオケを作れなくても、ギター2本でヒット曲を奏でるとか、
何とか曲のアップは可能で、久しぶりにギターインストに挑戦。
ドラム入力が面倒で、途中で投げ出していたヴィニー・ムーア、
「イン・コントロール」を、日曜の丸1日をかけてひたすら入力し、
ベース、リズムギター、ギターシンセと少しずつ、ダビングして、
さあ、ギターのメロディと、リードギターと思ったら、難しすぎる。
この曲は、30年近く前に、河合楽器の発表会で演奏したので、
伴奏さえ作れたら、3本重ねるギターは、1曲が5分弱だから、
15分で完成と、たかを括っていたら、全然弾けなくなっていて、
結局、5日間、毎日スケール練習してから、この曲をさらった。
ヴィニー・ムーアは、ネオ・クラシカルなるジャンルを確立した、
イングヴェイ・マルムスティーンに続けとばかりに、インギーを、
デビューさせたマイク・ヴァーニーが、ソロのトニー・マカパイン、
レーサーXのポール・ギルバートと、御三家のごとくデビュー。
自分は、こうした早弾きが好きなので、イングヴェイは当然に、
この3人のデビュー作も買い、アルカトラス、インギーのソロが、
LPレコードだったところ、3人は、どれもCDで買っているから、
ちょうどその頃に、我が家にCDプレーヤーが来たのがわかる。
CDとLPの音の差もあるかもしれないが、イングヴェイに比べ、
3人とも、ギターの音がエッジが効きすぎて、歪みも半端なくて、
当時は、演奏はうまいのに音が汚いなという印象で、そのうち、
この手の音楽にも、だんだん慣れてきたのか、普通になった。
中学時代、ビートルズの「ヘルター・スケルター」でさえ、うるさく、
やがて、ロックギターの音に慣れていき、それは音楽性も同様、
ハードロックからプログレ、クロスオーバー、ジャズと、難解だの、
不気味なだけだった音楽も好きになっていくのは、本当不思議。
3羽ガラスのうち、ヴィニーは、イングヴェイのような曲もあるが、
フレーズは、アル・ディメオラやアラン・ホールズワースのような、
フュージョン系の影響もあり、特にスケール中心の早弾きでは、
ディメオラ、さらに彼が通ったバークリーの教本のように感じた。
自分が河合楽器ジャズギター教室に、高校卒業時に通い出し、
先生に、とにかく早く弾けるようになりたいと、目標を語ったら、
バークリー教本で特訓をすることになり、これには鍛えられたし、
「イン・コントロール」のテーマは、ほとんどその練習曲に近い。
ヴィニー自身は、フュージョン路線のインストが好きだったようで、
デビューに際しては、ヴァーニーから、ネオ・クラシカル路線を、
半ば強要されたようで、2枚目では、ロック系フュージョンとなり、
トニー・マカパインも同様で、インギー路線を否定したかったか。
フュージョン路線の2枚目は、トニーのもヴィニーのも買ったが、
ことフュージョンなら、ディメオラやラリー・カールトンもあるから、
あまり聴かなくて、マイク・ヴァーニーは、その路線こ目をつけ、
フランク・ギャンバレとホールズワースとで、アルバムを作った。
ヴィニーは、イングヴェイ以前のクラシカルフレーズの達人の、
マイケル・シェンカーが加入していたUFOに、現在いるそうで、
やっぱりクラシカル路線を弾いているのか、一方トニーというと、
ジャズ出身のベース、ドラムと組んだり、フュージョン系らしい。
ポール・ギルバートは、ネオクラシカルどころか、早弾きさえも、
ほとんど出さず、ミスタービッグでは、ポップなハードロックで、
その後、テクニック追及のレーサーXを再結成もするが、本当、
三者三様の路線へと分かれ、なお王道のインギーとは対照的。
ヴィニー・ムーアの「イン・コントロール」は、 YouTubeを見ると、
原曲に合わせ、寸分たがわずに、ギターを弾く達人までいるが、
自分は、テーマを弾くのもやっとで、アドリブは、ややコピ程度、
それでも、声が出ない分、ギターに気合を入れて演奏しました。
周囲でも感染する人がちらほら、少しずつ増えていく中、
今のところは大丈夫だが、寒さのせいか、初期の風邪か、
扁桃腺の腫れと鼻水で、まともに声が出なくなってしまう。
幼い頃から扁桃腺で高熱になったり、声枯れがひどくて、
かかりつけの耳鼻科や内科の先生から、大人になっても、
喫煙なんてもってのほかと、何かにつけて言われ続けて、
それを守ったものの、喉を痛めては吸入に通院していた。
昔からの行きつけの医院は、実家の近くも今住むところも、
老先生たちは引退、廃業してしまい、耳鼻科の先生からは、
ポリープができかけているから、最後まで診てあげたいが、
私も年だからねと笑われて、近所に他の耳鼻科をあたった。
ところが、ポリープなら紹介状を書くから、大学病院へ行き、
手術するよう言われたり、吸入をやってくれるところは小さく、
風邪の患者が多数待合室にあふれ、時間はかかるうえに、
風邪やインフルをうつされそうで、以前のようにはいかない。
よほどの発熱と、インフルエンザ以外は、市販の薬を飲んで、
のど飴に、のどぬーる、薬用トローチと、思いつく方法をとり、
何とかしのいできていて、今回の声枯れも、飴をなめ続けて、
寝るときにマスクをし、1・2週間もすれば、回復するでしょう。
多少、声が枯れる程度なら、ジョンに似てくるかもしれないが、
今回は、普通の話し声もかすれて、高い音を歌おうものには、
チキチキマシンのケンケンみたいで、息だけの無声音になり、
ここは思い切って、しばらく、ブログの歌ものはお休みにする。
熱で寝込んでいるわけではないから、ギター演奏は大丈夫、
まあ、寝込んでも、「禁じられた遊び」や練習曲でお茶を濁すし、
伴奏のオケを作れなくても、ギター2本でヒット曲を奏でるとか、
何とか曲のアップは可能で、久しぶりにギターインストに挑戦。
ドラム入力が面倒で、途中で投げ出していたヴィニー・ムーア、
「イン・コントロール」を、日曜の丸1日をかけてひたすら入力し、
ベース、リズムギター、ギターシンセと少しずつ、ダビングして、
さあ、ギターのメロディと、リードギターと思ったら、難しすぎる。
この曲は、30年近く前に、河合楽器の発表会で演奏したので、
伴奏さえ作れたら、3本重ねるギターは、1曲が5分弱だから、
15分で完成と、たかを括っていたら、全然弾けなくなっていて、
結局、5日間、毎日スケール練習してから、この曲をさらった。
ヴィニー・ムーアは、ネオ・クラシカルなるジャンルを確立した、
イングヴェイ・マルムスティーンに続けとばかりに、インギーを、
デビューさせたマイク・ヴァーニーが、ソロのトニー・マカパイン、
レーサーXのポール・ギルバートと、御三家のごとくデビュー。
自分は、こうした早弾きが好きなので、イングヴェイは当然に、
この3人のデビュー作も買い、アルカトラス、インギーのソロが、
LPレコードだったところ、3人は、どれもCDで買っているから、
ちょうどその頃に、我が家にCDプレーヤーが来たのがわかる。
CDとLPの音の差もあるかもしれないが、イングヴェイに比べ、
3人とも、ギターの音がエッジが効きすぎて、歪みも半端なくて、
当時は、演奏はうまいのに音が汚いなという印象で、そのうち、
この手の音楽にも、だんだん慣れてきたのか、普通になった。
中学時代、ビートルズの「ヘルター・スケルター」でさえ、うるさく、
やがて、ロックギターの音に慣れていき、それは音楽性も同様、
ハードロックからプログレ、クロスオーバー、ジャズと、難解だの、
不気味なだけだった音楽も好きになっていくのは、本当不思議。
3羽ガラスのうち、ヴィニーは、イングヴェイのような曲もあるが、
フレーズは、アル・ディメオラやアラン・ホールズワースのような、
フュージョン系の影響もあり、特にスケール中心の早弾きでは、
ディメオラ、さらに彼が通ったバークリーの教本のように感じた。
自分が河合楽器ジャズギター教室に、高校卒業時に通い出し、
先生に、とにかく早く弾けるようになりたいと、目標を語ったら、
バークリー教本で特訓をすることになり、これには鍛えられたし、
「イン・コントロール」のテーマは、ほとんどその練習曲に近い。
ヴィニー自身は、フュージョン路線のインストが好きだったようで、
デビューに際しては、ヴァーニーから、ネオ・クラシカル路線を、
半ば強要されたようで、2枚目では、ロック系フュージョンとなり、
トニー・マカパインも同様で、インギー路線を否定したかったか。
フュージョン路線の2枚目は、トニーのもヴィニーのも買ったが、
ことフュージョンなら、ディメオラやラリー・カールトンもあるから、
あまり聴かなくて、マイク・ヴァーニーは、その路線こ目をつけ、
フランク・ギャンバレとホールズワースとで、アルバムを作った。
ヴィニーは、イングヴェイ以前のクラシカルフレーズの達人の、
マイケル・シェンカーが加入していたUFOに、現在いるそうで、
やっぱりクラシカル路線を弾いているのか、一方トニーというと、
ジャズ出身のベース、ドラムと組んだり、フュージョン系らしい。
ポール・ギルバートは、ネオクラシカルどころか、早弾きさえも、
ほとんど出さず、ミスタービッグでは、ポップなハードロックで、
その後、テクニック追及のレーサーXを再結成もするが、本当、
三者三様の路線へと分かれ、なお王道のインギーとは対照的。
ヴィニー・ムーアの「イン・コントロール」は、 YouTubeを見ると、
原曲に合わせ、寸分たがわずに、ギターを弾く達人までいるが、
自分は、テーマを弾くのもやっとで、アドリブは、ややコピ程度、
それでも、声が出ない分、ギターに気合を入れて演奏しました。

ジョンは、75年10月に、ソロ活動では初となるベスト盤の、
「ジョン・レノンの軌跡(「シェイブド・フィッシュ)」を出すなり、
ひとまず、自己の音楽活動を総括したと言わんばかりに、
子育てに専念、専業主夫となり、音楽活動をやめてしまう。
74年夏に、後追いでビートルズを聴きようになった自分は、
やっと、ジョンやポールのソロ作にも、手を出し始めたのに、
ここでも、置いてきぼりをくらった感じだが、そんな自分さえ、
76年高校へ進むと、他のロックをあれこれ聴くようになる。
ロックから、クロスオーバー、ジャズと、ギタリスト中心だが、
いろいろなジャンルに興味が移り、ビートルズのレコードを、
かけることもなくなっていき、80年にポールが来日する時も、
チケットを取るどころか、そのスケジュールも興味なかった。
1月にポールが羽田空港で逮捕された時、そのニュースで、
そうか、ポールが来るんだったっけ、というくらいの関心だし、
他の3人の新譜についても、出るとも出ないとも気づかなくて、
ジョンが、数年間、曲を出していなかったのも、あとで知った。
友人宅で、「イエロー・サブマリン」のアニメを見たショーンが、
「パパはビートルズだったの?」と言ったのが、きっかけとなり、
ジョンは音楽活動を再開したそうだが、話を作る癖があるから、
どのみち始める気にはなっていて、多少後押ししたくらいでは。
自分の40歳の誕生日に間に合うように、録音を始めたそうで、
実際には、シングル盤が少し遅れて発売、アルバムのほうは、
11月になって出たが、ラジオから流れてくる曲を聴いたのは、
やはり11月で、シングル盤でなくアルバム発売の話題だった。
「スターティング・オーバー」がかかり、久しぶりに聴く歌声は、
まさに、ジョンそのもの、ハスキーな声でせつなそうに歌って、
ドラムが入ると、低いバリトン声を交えるし、そのメロディーは、
いかにもジョンで、メジャー・長調でも、マイナーがかっている。
ああ、ジョンが戻ってきたんだなと、すごく嬉しくなったのだが、
LP「ダブル・ファンタジー」は、14曲のうち半分はヨーコの曲、
しかも、1曲ごとになっているというから、針をとばすのも面倒、
どうせなら、A・B面に分けてくれれば良いのにと、残念に思う。
ラジオでは、たまにヨーコの曲も流れ、配達中に車でラジオを、
かけっ放しにしている父が、「キス・キス・キス」を聴いたようで、
「お前は、昔っから、ビートルズ、ビートルズって騒いでいたが、
こんなのを聴いていたのか。」と言われ、ものすごい嫌な気分。
そんなこともあり、LPは買わなかったし、いずれFMの特集で、
ジョンの曲だけをかけてくれるかもしれないし、全曲かかったら、
編集すればよい、また2~3年もすれば、アルバムも数枚出て、
ベスト盤の続編が出るから、それを買おうかなどと考えていた。
まさか、これが最後のアルバムになるとは、誰も思わなかったし、
すぐ「ダブル・ファンタジー」に、とびついたファンはどれくらいか、
ジョンを追悼する形で、シングル盤もアルバムも売れたのであり、
どちらも翌年1月にチャート1位になるという、やや皮肉な結果。
「僕の音盤青春記」の牧野良幸は、解散直後からリアルタイム、
4人のソロも買っていたが、「ダブル・ファンタジー」はスルーし、
追悼番組で全曲を聴いて、「こんなに良いアルバムだったのか、
今頃気づいてごめん。」と呟くのを、ビートルズ編で書いている。
自分は、例によって思い込みが激しいので、あの日から10年、
ビートルズのレコードは押入れに封印、ジョンのこのアルバムも、
CDが出た記念に購入したが、80年代には開封もしないままで、
その後聴いたが、いまだに、全曲は聴かずにスキップしている。
アルバム1曲目は、先行シングル「スターティング・オーバー」で、
冒頭の鐘の音は、ビートルズ解散後の初のソロ作となったLP、
「ジョンの魂」が、冒頭「マザー」の荘厳な鐘の音で始まったのを、
自ら茶化して、軽めチャイムのような音を鳴らしたのかと思った。
実際には、幸せの鐘の音を意味して、「マザー」は意識していて、
あの重苦しい鐘の音が、ヨーコのおかげで、軽やかになったと、
バカップル的な発言をジョンはしたようだが、ジョンが亡き今では、
仏壇の鐘・鈴(りん)の響きに聴こえるのは、何ともせつなくなる。
中山康樹「ジョン・レノンを聴け!は、この曲は、「マイ・ライフ」、
「アイ・ウォッチ・ユア・フェイス」に、「ドント・ビー・クレイジー」や、
「ザ・ワースト・イズ・オーバー」の4曲をつなげたと書いてあり、
ビートルズ時代なら、ポールの曲まで入れたか想像してしまう。
YouTubeには、弾き語りの「マイ・ライフ」があり、イントロ部分は、
歌詞を変えている以外、ほとんど「スターティング~」なのだが、
それに続く部分も、すごくジョンらしいコードと美しいメロディーで、
捨てがたく、これはこれで、「マイライフ」とて完成して欲しかった。
「ザ・ワースト・イズ・オーバー」は、Aメロ部分が、ほとんど同じで、
「ドント・ビー・クレイジー」は、ブレイク後の転調した部分のまんま、
「アイ・ウォッチ・ユア・フェイス」は、どこの部分なのか、イントロで、
「マイ・ライフ」と違ってくる部分で、多少メロディを使っているのか。
「My life」の歌詞を「Our life」に変更したのだろうが、自分はずっと、
「 Am I right?」と歌っていると思い込んでいて、音楽活動の再開、
さらには、今の自分は間違っていないかと、ジョンは自分自身にも、
ファンにも問いかけたのだと、ずっと信じていて、我田引水すぎた。
ついでに歌詞で言うと、2番の歌詞に、「Wings」「 Another day」
「My love」という単語が入っていて、これは単なる偶然ではなく、
ジョンからポールへのメッセージだろうし、「俺も活動再会したよ、
一緒にやるか?」とまではいかないが、それに近いものを感じる。
曲のアレンジは、無伴奏の弾き語りから、ドラムが加わってきて、
はね気味のランニングベース、シャッフルを刻むリズムギターや、
3連で和音を叩き続けるピアノ、さらにドゥワップっぽいコーラスと、
よくあるパターンだが、よく聴くと、ギターが何本も重ねられている。
イントロの弾き語り部分でさえ、エレキギターがセンターに位置して、
アコースティックギターも、左右から、ダブリングでなく、別々に弾き、
途中から入るコーラスも、ポップスや歌謡曲のコーラス隊のように、
男女混声で、ビートルズの3声と全然違う、厚みのあるハーモニー。
リズム隊が加わってから、右チャンのエレキギターはシャッフルで、
2拍4拍の頭をカッティングするが、同じようにセンターに、もう1台、
左チャンからは、タンタ・ツタツと3連の刻みを、軽く歪んだ音で弾き、
途中からリフのギターも入り、サビは、また別の歪んだギターの音。
ほとんどオケを完成した後、YouTubeで「ストリップダウン」を見つけ、
「レット・イット・ビー・ネイキッド」のように、余分なエフェクトを外し、
コーラスや追加楽器も減らしたそうで、この曲でのジョンの生声は、
ダブルトラックやエコーがなく、本当、この方が絶対に良いと思う。
ギターも定位が変わったうえに、個々のフレーズも音もよく聴こえ、
右チャンとセンターの2・4拍を刻むギターも、左右の別々から鳴り、
微妙に弾き方を変えているのもわかり、思ったよりも、音を歪ませ、
コーラスもかけ、迫力も増しているので、ギターは全部録音し直す。
ストリップトは、バックコーラスはカットされ、ちょうどバンドスコアは、
コーラスパートを採譜していないので、こっちのアレンジが楽かなと、
歌入れするが、自分の歌唱力では音がスカスカなので、コーラスは、
合唱隊よりはビートルズっぽい3声にし、コード進行に沿って歌う。
最初のテンポは自由で、途中からドラムが入り、インテンポになる、
よくあるパターンだが、バンドでやる時はともかく、多重録音の場合、
皆はどうしているのか、とりあえず、原曲は44秒からドラムなので、
多少余裕を持たせ、48秒からドラムが始まるようにリズムを録音。
そこに合わせ、イントロの弾き語りをやるが、どうにもこうにも無理、
結局、先日の「ルーシー・インザ・スカイ~」で、3拍子と4拍子とを、
後でAudacityでつないだ方法にし、空白部分を残したままの演奏に、
別録音のイントロ部分を、タイミング合うよう貼り付け、何とかなる。
「スターティング・オーバー」、まさにジョンが音楽活動を再開した曲、
これから、もっともっと新曲が聴けると思ったのに、すごく悔しいが、
こうやって歌いたくなる名曲は、いくらでもあるさと、なりきりジョンで、
早口の歌いまわりに苦労したり、コーラスは、高音が出てないです。
「ジョン・レノンの軌跡(「シェイブド・フィッシュ)」を出すなり、
ひとまず、自己の音楽活動を総括したと言わんばかりに、
子育てに専念、専業主夫となり、音楽活動をやめてしまう。
74年夏に、後追いでビートルズを聴きようになった自分は、
やっと、ジョンやポールのソロ作にも、手を出し始めたのに、
ここでも、置いてきぼりをくらった感じだが、そんな自分さえ、
76年高校へ進むと、他のロックをあれこれ聴くようになる。
ロックから、クロスオーバー、ジャズと、ギタリスト中心だが、
いろいろなジャンルに興味が移り、ビートルズのレコードを、
かけることもなくなっていき、80年にポールが来日する時も、
チケットを取るどころか、そのスケジュールも興味なかった。
1月にポールが羽田空港で逮捕された時、そのニュースで、
そうか、ポールが来るんだったっけ、というくらいの関心だし、
他の3人の新譜についても、出るとも出ないとも気づかなくて、
ジョンが、数年間、曲を出していなかったのも、あとで知った。
友人宅で、「イエロー・サブマリン」のアニメを見たショーンが、
「パパはビートルズだったの?」と言ったのが、きっかけとなり、
ジョンは音楽活動を再開したそうだが、話を作る癖があるから、
どのみち始める気にはなっていて、多少後押ししたくらいでは。
自分の40歳の誕生日に間に合うように、録音を始めたそうで、
実際には、シングル盤が少し遅れて発売、アルバムのほうは、
11月になって出たが、ラジオから流れてくる曲を聴いたのは、
やはり11月で、シングル盤でなくアルバム発売の話題だった。
「スターティング・オーバー」がかかり、久しぶりに聴く歌声は、
まさに、ジョンそのもの、ハスキーな声でせつなそうに歌って、
ドラムが入ると、低いバリトン声を交えるし、そのメロディーは、
いかにもジョンで、メジャー・長調でも、マイナーがかっている。
ああ、ジョンが戻ってきたんだなと、すごく嬉しくなったのだが、
LP「ダブル・ファンタジー」は、14曲のうち半分はヨーコの曲、
しかも、1曲ごとになっているというから、針をとばすのも面倒、
どうせなら、A・B面に分けてくれれば良いのにと、残念に思う。
ラジオでは、たまにヨーコの曲も流れ、配達中に車でラジオを、
かけっ放しにしている父が、「キス・キス・キス」を聴いたようで、
「お前は、昔っから、ビートルズ、ビートルズって騒いでいたが、
こんなのを聴いていたのか。」と言われ、ものすごい嫌な気分。
そんなこともあり、LPは買わなかったし、いずれFMの特集で、
ジョンの曲だけをかけてくれるかもしれないし、全曲かかったら、
編集すればよい、また2~3年もすれば、アルバムも数枚出て、
ベスト盤の続編が出るから、それを買おうかなどと考えていた。
まさか、これが最後のアルバムになるとは、誰も思わなかったし、
すぐ「ダブル・ファンタジー」に、とびついたファンはどれくらいか、
ジョンを追悼する形で、シングル盤もアルバムも売れたのであり、
どちらも翌年1月にチャート1位になるという、やや皮肉な結果。
「僕の音盤青春記」の牧野良幸は、解散直後からリアルタイム、
4人のソロも買っていたが、「ダブル・ファンタジー」はスルーし、
追悼番組で全曲を聴いて、「こんなに良いアルバムだったのか、
今頃気づいてごめん。」と呟くのを、ビートルズ編で書いている。
自分は、例によって思い込みが激しいので、あの日から10年、
ビートルズのレコードは押入れに封印、ジョンのこのアルバムも、
CDが出た記念に購入したが、80年代には開封もしないままで、
その後聴いたが、いまだに、全曲は聴かずにスキップしている。
アルバム1曲目は、先行シングル「スターティング・オーバー」で、
冒頭の鐘の音は、ビートルズ解散後の初のソロ作となったLP、
「ジョンの魂」が、冒頭「マザー」の荘厳な鐘の音で始まったのを、
自ら茶化して、軽めチャイムのような音を鳴らしたのかと思った。
実際には、幸せの鐘の音を意味して、「マザー」は意識していて、
あの重苦しい鐘の音が、ヨーコのおかげで、軽やかになったと、
バカップル的な発言をジョンはしたようだが、ジョンが亡き今では、
仏壇の鐘・鈴(りん)の響きに聴こえるのは、何ともせつなくなる。
中山康樹「ジョン・レノンを聴け!は、この曲は、「マイ・ライフ」、
「アイ・ウォッチ・ユア・フェイス」に、「ドント・ビー・クレイジー」や、
「ザ・ワースト・イズ・オーバー」の4曲をつなげたと書いてあり、
ビートルズ時代なら、ポールの曲まで入れたか想像してしまう。
YouTubeには、弾き語りの「マイ・ライフ」があり、イントロ部分は、
歌詞を変えている以外、ほとんど「スターティング~」なのだが、
それに続く部分も、すごくジョンらしいコードと美しいメロディーで、
捨てがたく、これはこれで、「マイライフ」とて完成して欲しかった。
「ザ・ワースト・イズ・オーバー」は、Aメロ部分が、ほとんど同じで、
「ドント・ビー・クレイジー」は、ブレイク後の転調した部分のまんま、
「アイ・ウォッチ・ユア・フェイス」は、どこの部分なのか、イントロで、
「マイ・ライフ」と違ってくる部分で、多少メロディを使っているのか。
「My life」の歌詞を「Our life」に変更したのだろうが、自分はずっと、
「 Am I right?」と歌っていると思い込んでいて、音楽活動の再開、
さらには、今の自分は間違っていないかと、ジョンは自分自身にも、
ファンにも問いかけたのだと、ずっと信じていて、我田引水すぎた。
ついでに歌詞で言うと、2番の歌詞に、「Wings」「 Another day」
「My love」という単語が入っていて、これは単なる偶然ではなく、
ジョンからポールへのメッセージだろうし、「俺も活動再会したよ、
一緒にやるか?」とまではいかないが、それに近いものを感じる。
曲のアレンジは、無伴奏の弾き語りから、ドラムが加わってきて、
はね気味のランニングベース、シャッフルを刻むリズムギターや、
3連で和音を叩き続けるピアノ、さらにドゥワップっぽいコーラスと、
よくあるパターンだが、よく聴くと、ギターが何本も重ねられている。
イントロの弾き語り部分でさえ、エレキギターがセンターに位置して、
アコースティックギターも、左右から、ダブリングでなく、別々に弾き、
途中から入るコーラスも、ポップスや歌謡曲のコーラス隊のように、
男女混声で、ビートルズの3声と全然違う、厚みのあるハーモニー。
リズム隊が加わってから、右チャンのエレキギターはシャッフルで、
2拍4拍の頭をカッティングするが、同じようにセンターに、もう1台、
左チャンからは、タンタ・ツタツと3連の刻みを、軽く歪んだ音で弾き、
途中からリフのギターも入り、サビは、また別の歪んだギターの音。
ほとんどオケを完成した後、YouTubeで「ストリップダウン」を見つけ、
「レット・イット・ビー・ネイキッド」のように、余分なエフェクトを外し、
コーラスや追加楽器も減らしたそうで、この曲でのジョンの生声は、
ダブルトラックやエコーがなく、本当、この方が絶対に良いと思う。
ギターも定位が変わったうえに、個々のフレーズも音もよく聴こえ、
右チャンとセンターの2・4拍を刻むギターも、左右の別々から鳴り、
微妙に弾き方を変えているのもわかり、思ったよりも、音を歪ませ、
コーラスもかけ、迫力も増しているので、ギターは全部録音し直す。
ストリップトは、バックコーラスはカットされ、ちょうどバンドスコアは、
コーラスパートを採譜していないので、こっちのアレンジが楽かなと、
歌入れするが、自分の歌唱力では音がスカスカなので、コーラスは、
合唱隊よりはビートルズっぽい3声にし、コード進行に沿って歌う。
最初のテンポは自由で、途中からドラムが入り、インテンポになる、
よくあるパターンだが、バンドでやる時はともかく、多重録音の場合、
皆はどうしているのか、とりあえず、原曲は44秒からドラムなので、
多少余裕を持たせ、48秒からドラムが始まるようにリズムを録音。
そこに合わせ、イントロの弾き語りをやるが、どうにもこうにも無理、
結局、先日の「ルーシー・インザ・スカイ~」で、3拍子と4拍子とを、
後でAudacityでつないだ方法にし、空白部分を残したままの演奏に、
別録音のイントロ部分を、タイミング合うよう貼り付け、何とかなる。
「スターティング・オーバー」、まさにジョンが音楽活動を再開した曲、
これから、もっともっと新曲が聴けると思ったのに、すごく悔しいが、
こうやって歌いたくなる名曲は、いくらでもあるさと、なりきりジョンで、
早口の歌いまわりに苦労したり、コーラスは、高音が出てないです。

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