僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
ヘンリー・マックロウのギターソロも見事なウイングスの「マイ・ラブ」
ビートルズを聴くきっかけは、中2の74年夏に見た映画で、
若き日の「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」、「ヘルプ!」と3本立てで
解散前の「レット・イット・ビー」を見る、しかも最初の上映が、
「レット・イット・ビー」という、後追いならではの出会いだった。

4人のソロ活動も、すでに数枚のアルバムが出ていたから、
順番もバラバラ、それも断片的だし、ポールのウイングスは、
75年11月来日中止時、テレビでオーストラリア公演を見て、
その後に、初期メンバー出演の昔のテレビ番組を見ている。

NHKで見た、「ジェームズ・ポール・マッカートニ・ーショー」は、
ヤング・ミュージック・ショーと思っていたが、Wikiなどにある、
放送リストに載っていなく、79年のウイングスとしての放送は、
76年のUSAライブ、「ロック・ショウ」だったから、これは別物。

「マッカートニー・ショー」は、NHK「世界のワンマンショー」で、
放送したというネット情報もあり、当時、カセット録音したから、
そのテープのラベルを見れば、一目瞭然かと押入れを探すと、
見覚えのある紫色のラベル、TDKの120分テープがあった。

昔は120分テープの方が、たくさん録音できて、得だとばかり、
60分、90分は買わず、最初はスコッチ、次にTDK、ソニーと、
その時々で一番安い銘柄を買い、片面60分に余りが出れば、
何かしらラジオから数曲を録音して、バラバラの内容にもなる。

このテープも、ワンマンショーは45分くらいか、残りの部分は、
文化放送「ざ・ビートルズ」と書いてあり、B面は、チューリップ、
ジェフ・ベックと、ラジオで放送する順に、適当に録音していて、
大学生あたりから、90分にし、しかも同じジャンルで統一した。

「世界のワンマンショー・ポール・マッカートニー 51.7.25」と、
ラベルに書かれ、76年にNHKで、「世界の~」の枠とわかるが、
(48.3.28)とも書かれ、番組の最後か、新聞のTV欄にでも、
48年製作か、48年に一度放送したとか、出ていたのかと思う。

どんな曲を放送したのか、このカセットで聴いてみようと思って、
古いテープはくっついているから、下手に再生すると、ヘッドに、
からみついたり、巻き戻しでもしたら、ちぎれることが多いので、
そっと鉛筆で回してみると、とっくにテープは端から切れていた。

おそらく、捨てずに取ってあるカセットの大半は、こんな状態で、
もう再生することもできなそうだが、こんなのを録音したんだな、
テレビやラジオ放送したのは、この頃だったのか、という程度は、
ケースのラベルで思い出せるから、記念に残しておくのも良い。

ポールの番組で、自分が覚えているのは、「メアリーの子羊」を、
牧場で歌ったり、ダンサーと一緒にポールがタップダンスしたり、
ビートルズの曲を町の人が歌ったり、ウイングスのライブ映像、
最後には、メンバーに囲まれながら、「イエスタデイ」の弾き語り。

NHKは抜粋の放送のようで、英語版Wikiの曲目リストにある、
「ミッシェル」や「ブラックバード」とかは、まったく記憶にないから、
そのあたりがカットされたのだろうか、YouTubeにある映像でも、
1曲だけや10分程度のものしかなく、曲目リストとはかなり違う。

名曲「マイ・ラブ」も番組で演奏していて、オーケストラやホーンが、
かなりの大人数で共演していて、レコードと音も違うからライブで、
ヘンリー・マックローが弾くギターソロも、フレーズが多少違うから、
レコードはポールが弾いていて、完コピはしないんだなと思った。

ところが、今年ヘンリーの訃報に際して、ポールの追悼コメントに、
「マイ・ラブで彼が弾いたギターは、オーケストラの生演奏の前で、
その場で生み出した。」とあり、以前のインタビューでも、同様に、
「収録前に、『ちょっと違うことを試したいんだ。』と言ってきてね。」

これには、本当に驚いて、前からポールが語っていたそうだから、
訃報に際してのリップサービスではなく、正真正銘ヘンリーによる、
ソロだったわけで、まあ、アドリブではなくて、考えたソロだろうが、
ずっとポールの練り上げたソロで、弾いたのもポールと思っていた。

ソロの最後を切り上げる時、とってつけたような、くったフレーズで、
これは、ポールの指癖だと思っていたが、ギターの音色からみると、
ポールはもう少し歪ませて、音をウーマントーンっぽく、こもらせるし、
ピッキングもアタックが強いから、弾いたのは、ヘンリーなのだろう。

ツェッペリンのジミー・ペイジや、パープルでリッチーの後任となる、
トミー・ボーリンを思わせる、いかにもロックギタリストという風貌の、
ヘンリーは、あのウッドストックに、ジョー・コッカーのバンドで出演、
ビートルズのカバーを演奏していて、少なからず縁があったようだ。

前からウッドストックを見ていれば、あのギタリストがウイングスと、
気づくのだろうが、これまた自分は後追いになり、映画を見たのは、
さらに後の77年、公園通りにあるジョイシネマで、ツェッペリンとの、
2本立て、どちらも長時間の映画だが、感動して、再度行ったほど。

YouTubeで、ジョー・コッカーの映像を見ると、「マイ・ラブ」で使った、
ゴールドトップのレスポールを弾くヘンリーが、しっかり写っていて、
ブルースロック系のアドリブも見事なので、そんなヘンリーにとって、
ウイングスは音楽的にはどうだったのだろうと、今さら思ってしまう。

ただ、本当に「マイ・ラブ」のギターソロは、ウイングスの曲の中でも、
一番と呼べる名演だし、ロックや洋楽ポップスのギターソロとしても、
かなり上位に入ると思っていて、ビートルズのポールの作った曲で、
これだけのリードギターを弾けたのは、何ものにも変えがたい気も。

ウイングスの2枚目、「レッド・ローズ・スピード・ウェイ」のみ参加し、
次作「バンド・オン・ザ・ラン」では、アフリカへ行くのが嫌だったのか、
やはり音楽性の違いか、脱退してしまうから、ヘンリーの置き土産、
一世一代の名演を残してくれたと、今頃になり、彼を見直した次第。

このギターソロ、8小節が弾きたいがために、苦労してオケを作り、
バンドスコアのTAB譜は違うよと、PVのヘンリーの手元を確認して、
心をこめて再現しましたが、曲全体は、例によってポールの高音で、
声がひっくり返ったり、かすれたりで、歌と演奏の落差が激しいです。



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ポールの弾くベースのフレーズが見事すぎる「心のラブソング」
中学時代には、バンドらしいバンドを組むこともなかったので、
高校では、ロック部はないとしても、軽音部あたりに入ったら、
バンドが組めると期待していたら、軽音も吹奏楽部もなくって、
音楽関係は、合唱部に、マンドリンとクラシックギターしかない。

クラシックギターはアンサンブル主体で、マンドリンと大差なく、
入部してもつまらないだろうと、どこの部活動にも参加せずに、
今で言う帰宅部となるが、もし入部していたら、先輩に教わり、
クラシックギターが上達したり、女子高と交流とかしたろうか。

ほぼ毎日、夕方4時前には家に着いたから、テレビを見たり、
ラジオを聴いたりしながら、ギターの練習に励むことになって、
練習時間としては、高校から大学にかけてが、一番だったが、
ながら練習なので、単に時間が長いというだけだった気もする。

夕方のテレビは、東京12チャンネルの海外アニメの再放送や、
NHKの少年ドラマシリーズが定番だったが、「ぎんざナウ」も、
ほとんど毎日見ていて、「しろうとコメディアン道場」は面白いし、
洋楽の紹介や生演奏のコーナーは、すごく楽しみにしていた。

ウイングスの新作、「スピード・オブ・サウンド」も、ぎんざナウで、
紹介されたが、木曜の洋楽コーナーか、全然別のコーナーか、
もう記憶は曖昧だし、英国では3月発売だが、国内盤はどうか、
自分が高校に進学した4月以降に、番組で見たような気がする。

後あと、よく考えると、「オール・アイヴ・ゴット・トゥ・ドゥ」あたりを、
BGMに流して、LPを紹介していたのだが、音が小さかったから、
「あれ?今度のLPは、ビートルズみたいな曲が入っているんだ、
しかもジョンのハモりみたいだ。」と、いつもの思い込みが始まる。

まさか、ジョンがこっそりゲスト参加しているとか、それはなくても、
デニー・レインか、ジミー・マックロウが、ジョンっぽくハモったのか
どちらにしても、ビートルズみたいな曲を、またポールが作ったと、
どんどん期待だけ膨らんでいき、かなりすぐに、LPを買ってくる。

ターンテーブルに載せると、この曲でもない、これも違うと、次々、
針を飛ばし、LPをひっくり返して、B面に移っても、期待していた、
ビートルズっぽい曲などはあるわけもなく、すごく騙された気分で、
恨めしそうにジャケットを眺め、無駄な買い物をしたと後悔ばかり。

しばらく間をおいてから、LPを聴くと、シングルカットされる名曲の、
「幸せのノック」に「心のラブソング」と、すごく充実したLPなのだが、
当初は、全メンバーが歌ったという売り文句も、それなら、ジョンや、
ジョージを連れてこいよと、半ば八つ当たり状態で、不満だらけに。

自分が買ったポールのレコードは、このウイングスの全盛期の頃、
「バンド・オン・ザ・ラン」に、「ヴィーナス・アンド・マース」と、そして、
「スピード・オブ・サウンド」と続くから、勝手に3部作ととらえていて、
その集大成として、ライブ盤「USAライブ」になったと解釈している。

このあたり、あまりに自分に都合よい解釈で、ビートルズに限らず、
ジョンやポールのソロ作品も後追いだから、リアルタイムで聴いた、
これらの作品こそ、全盛期だ、3部作だと大騒ぎしたくなるのだが、
それでも、やはり、「スピード~」は、他の2作に比べ見劣りがする。

ポールのワンマンバンドではないと、各人の作った曲も収録するが、
ビートルズでさえ、ジョンやポールに比べ、ジョージの曲は、初期は、
採用されなかったし、才能が開花して名曲が出揃うのは、解散前で、
ウイングスでは、ポールと他のメンバーの力量は、差があり過ぎる。

それは、「USAライブ」でも感じたことで、テレビのオーストラリアの、
ライブ映像の印象が強いせいもあって、しかも2時間近いライブの、
50分しかビデオがないことも、自分にはコンパクトで良かったので、
USAの各メンバーをフューチャーした箇所が余分で、助長に感じた。

とまあ、ついつい、ビートルズみたいな曲があると思ったLPなのに、
ないどころか、各メンバーのボーカル曲があり、その反動が大きく、
いまだに恨み節を語ったり、全盛期のメンバーと実力を認めつつも、
メンバーの楽曲や歌にはつらく当たるという、自分勝手さが目立つ。

その「スピード・オブ・サウンド」で、やはりポールの曲はダントツで、
しかも、シングル盤になった「幸せのノック」と、「心のラブソング」は、
ベスト盤にも必ず収録される名曲、ポール自身気に入っているのか、
「心のラブソング」は、「ヤァ!ブロード・ストリート」でも再演している。

こちらは、当時の売れっ子ミュージシャン、TOTOのギタリストである、
スティーブ・ルカサー、ドラムのジェフ・ポーカロを起用し、ベースまで、
ポールではなく、チョッパー奏法の名手、ルイス・ジョンソンに弾かせ、
曲の途中では、お約束の(?)チョッパーベースソロまで派手に披露。

フュージョン好きな自分は、スタジオミュージシャンのクレジットを見て、
AORや歌謡曲、ニューミュージックのLPを買ったし、そうした作品に、
インスト曲以上の名演もあるが、「心のラブソング」は原曲が好きだし、
テクニック追求主義の自分でも、チョッパーよりポールの演奏が良い。

ポールの弾く、曲全体を引っぱって、粘りつくようなベース・ラインは、
歌心あふれるフレーズでいて、エイトビートのようで、時折はねたり、
本当に絶妙のベースで、自分が、必死にバンドスコアを追いかけて、
メトロノームのクリックに合わせても、ポールのノリは全然出せない。

ポールは、ビートルズ後期からおなじみの、リッケンベースを使って、
ややミュート気味に、スタッカートや休符を交えて、絶妙とも言うべき、
アクセントで、曲のノリを支配するし、こんなに単純なフレーズなのに、
ポールでなければ、思いつかないような、キャッチーなベースライン。

全体を通じて、ほとんどが、ピアノにベース、ドラムのトリオの伴奏で、
間奏などでストリングスやホーンセクションが加わるのに、ギターは、
リードギターどころか、リズムギターさえ音は聴こえず、ミキシングで、
音量を下げたのではなく、最初から、アコギもエレキも入っていない。

YouTubeで、ウイングスのライブを見ると、デニー・レインがピアノ、
ジミー・マックロウは、ギターをフェイザーに通して、コードを弾くが、
自分は、たとえ本人たちでも、レコードとアレンジ、演奏が違うのは、
あまり好きでなく、ジミーはパーカッションでも良かったのではと思う。

バンドスコアは、ストリングスもホーンセクションも、2声になっていて、
ライブで見る限り、ホーンは4管編成なので、3~4声かもしれないが、
スコアの2声のままで、オクターブを変えて、ストリングスは3回録音し、
ホーンは5回ダビングして、実際の和音とは違うが、音に厚みを出す。

イントロのSE、サウンドエフェクトは、ピンク・フロイドの「マネー」を、
ポールが面白がって真似たという説もあり、確かに、「マネー」では、
レジスターを使い、レジを打つ音、引き出しが開く音、小銭の音など、
リズミカルに鳴らして、ポールのも、それを、チープにした感じがする。

甘ったるいラブソングばかり作ると、酷評されたポールが、お返しに、
「馬鹿げたラブソングに、みんなは、飽き飽きしていると君は言うが、
周りを見ると、そうは思わない。ラブソングで、世界中を満たしたい、
そう願っている人もいるよ、それのどこが悪いかな?」といった具合。

愛と平和の使者、ジョンが歌う内容に近い部分もあり、ジョンならば、
過激になったり、自己主張が強くなるところ、さらっと語りかけるのが、
ポールの特徴で、この頃に、共作したら面白かったろうにとも思うし、
そうした歌詞を理解しても、邦題が「心のラブソング」なのは不思議。

バンドスコアがあるからと、ウイングスの第2弾「心のラブソング」は、
ポールの見事すぎるベースラインが、なかなかノリが出せないうえ、
最高音ソという、自分の実音ぎりぎりの音で、歌い続けるメロディに、
鶏をしめ殺した声になり、しかも、後半では、出なくなってきています。





75年ウイングス全盛期からの定番レパートリー「バンド・オン・ザ・ラン」
ビートルズに夢中になり、ビートルズがすべてだった中学時代、
75年秋に、ポールがウイングスを率いて来日するみたいだと、
友人が聞きつけてきて、コンサートへ行こうとは思わなかったが、
テレビで来日公演を放送してくれるだろうと、楽しみにしていた。

66年のビートルズの来日公演は、まだ5歳で、見てはいないが、
カーペンターズが74年に来日したとき、テレビで放送したのを、
たまたま遊びに行っていた親戚の家で見て、空港での映像や、
リハーサル、武道館公演と続くのを見ていて、急にファンになる。

まだビデオはなかったが、友人が音だけカセットに録音していて、
そのテープをダビングしてもらったり、ラジオの特集を録音したり、
さらに、LP2枚組のベストを買ったりと、テレビの影響はすごくて、
ウイングス来日でも、ポール派になるかなど、友人と話していた。

ところが、ポールの過去の麻薬所持により、入国許可が下りず、
ウイングスの公演は中止となり、ただチケット発売前だったから、
今にして思えば、80年の成田空港での逮捕劇に、一昨年前の、
体調不良のドタキャンよりは、多少はましだったのかもしれない。

もともと来日公演を放送する枠だったか、あえての特番なのか、
来日を楽しみにしていたファンの為にと、ウイングスのライブが、
来日直前のオーストラリア公演の映像で、放送されることになり、
自分としては、もともとテレビ観戦予定だったから、それで十分。

直後に出たミュージックライフの臨時増刊、ポール特集号には、
番組で解説した福田一郎の裏話が出ていて、届いたビデオは、
予想に反して50分の長さしかなく、急遽、別の映像を追加して、
ビートルズも含めた解説にして、何とか2時間番組にしたそうだ。

この時、「日本に行けなくて、ごめんよ。」と、ポールのコメントも、
放送され、長い間ずっと、「ブラックバード」をチラッと弾いてから、
話し始めたと記憶していたのだが、YouTubeで映像を探したら、
「アクロス・ザ・ユニバース」のイントロっぽいフレーズでびっくり。

放送はされなかったが、その後ウイングスのメンバーも加わり、
「ブルー・バード」を歌っていて、「ブラックバード」、「ブルー~」も、
当時のセットリストにある曲目だが、もともと「ブルーバード」には、
ギターイントロはなく、ポールは何のサワリを弾いてみせたのか。

福田一郎の解説には、ジョンとポールが険悪だった話も飛び出し、
ポールがジョンとばったり会って、「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ」を、
「ひどいじゃないか。」と言うと、「あれは悪かった。」と謝ったので、
ポールはビールをおごったとかで、聞いていてすごく嬉しくなった。

満を持して始まったコンサート映像は、当時のウイングスの新譜、
「ヴィーナス・アンド・マース」から、冒頭のメドレーの2曲に加えて、
「ジェット」までも、続けて演奏するという、怒涛のオープニングで、
この印象が強くて、今でも、この3曲は連続でないと納得できない。

裏話でライブ映像が50分しかなかったと言うが、自分にとっては、
30分のビートルズ武道館公演より、はるかに長く、曲目も充実で、
これで大満足だったから、逆に、3枚組「USAライブ」が出たときに
そんなに延々とやるのか、バングラディシュじゃあるまいしと思う。

テレビの影響は大きく、さすがに、これでジョン派からポール派に、
ならなかったが、演奏の大半を占めた「ヴィーナス・アンド・マース」、
「バンド・オン・ザ・ラン」の2枚のLPを買ったし、「ヴィーナス~」に、
ヒット曲を加えた楽譜を東横で見つけ、弾き語ったり、友人と演奏。

ただ、この歳になると記憶も曖昧になって、かつての角川映画の、
「読んでから見るか、見てから読むか」でもないが、テレビ番組を、
「見てから聴いたか、聴いてから見たか」、ラジオで曲を聴いたり、
LPを友人に借りたり、さらに、LPの1枚くらい買っていたか不明。

中学時代の2人きりのビートルズ・コピーバンドは、ジョンの自分、
ジョージの同級生だったから、その2人で、ウイングスの曲までも、
演奏するのは、何ともおかしな話だが、友人は、リッケンベースの、
コピーモデルに、ジミー・マックロウと同じギブソンSGまで買った。

この時のリードギタリスト、ジミー・マックロウは、遠い親戚なのか、
前任のヘンリー・マックロウと同じ苗字で、さらにウィキペディアで、
どちらも、「マックロウ」でなく「マカロック」と表記され、片仮名だと、
バンド名でもいつのまにか変わっていることがあり、戸惑いがち。

自分は、「マックロウ」の呼び方に親しんでいるので、そう書くが、
赤いつなぎ姿でSGを弾くのが、すごく印象に残ったし、ギターも、
「ワインカラーの少女」や「メディシン・ジャー」のリードが格好良く、
いわゆるロックギターのフレーズを、ジミーの演奏からも学んだ。

それだけに、今でも、この時のメンバーが最強布陣だと思っていて、
このセットリスト、それもテレビで放送した曲目が、何よりであって、
その後の「スピード・オブ・サウンド」の曲を含む、「USAライブ」は、
違和感を感じたし、衣装にしても、オーストラリア公演が一番良い。

ウイングスは、ポールとリンダ、デニー・レインは不動のメンバーで、
リードギタリストとドラムが、何かと入れ替わり、バンドというよりも、
ユニットにしたほうが良いのかもしれないが、この時はまさにバンド、
同一メンバーでアルバム2枚に、ライブ盤まで出す全盛期と言える。

こう書いてくると、この全盛期の怒涛のメドレーを演奏したくなるが、
先日買ったバンドスコアは、肝心の「ロック・ショー」がシングル盤の、
あちこちカットされたバージョンの楽譜で、繰り返しのカットはともかく、
「The lights go down~」の部分が丸々なく、こんなの許せるのか。

ビートルズ時代、「ヘイ・ジュード」の後半の延々と繰り返す部分まで、
カットせずに、7分にわたるシングル盤を出したのに、売れ線狙いか、
曲のメロディまでカットして良いのか、まあ、プログレの曲にしたって、
シングル盤はエディット版で短くされるから、業界の事情と諦めるか。

中学時代に買った楽譜は、カットされていないLPのバージョンだと、
家の押入れや、楽譜や雑誌を預けている近所のトランクルームに、
さらには、実家を建替える際、詰め込んだままのダンボール箱まで、
探してみたが見つからず、けっこう処分した楽譜が多いことに後悔。

シンコーのバンドスコアは、他の収録曲はかなり完コピに近いので、
気を取り直し、やはりオーストラリア公演で、ハイライトの一つだった
「バンド・オン・ザ・ラン」を演奏することにし、曲そのものからすると、
怒涛のメドレーより、こっちのほうが好きで、ジョージ役とよく弾いた。

「アビイロード」のB面メドレーほどではないが、組曲のような構成で、
スローなイントロから始まり、歪んだギターのリフになったり、オケと、
ブラスの演奏を挟み、アップテンポで、12弦ギターが鳴り響くという、
刑務所から脱獄して、外界を走る情景を、見事に音で表現している。

イントロのリフは、昔からレコードで聴くと、、同じ音を2回弾いていて、
ライブは、2回目は音程を下げているように思え、気になっていたが、
バンドスコアで確認すると、どちらにも、ラ・シ・ラのフレーズを含んで、
1回目は上にハモ、2回目は下にハモという和音だと、ようやく理解。

細かい話だが、最初は10フレットの位置で、ラ・シ・ラを2弦で弾いて、
2回目は5フレでラ・シ・ラは1弦、どちらも1・2弦の和音で弾くのだが、
1回目はダウンピッキングで2弦を強調、2回目はアップピッキングで、
1弦を強調したら、何となくレコードで聴ける音に近くなった気がする。

ビートルズの曲でもよくあることだが、この部分のメロディのハモリも、
自分は、ずっと間違えて覚えていて、3声のハモリになるところから、
下のパートと中間部を行ったり来たりしていて、YouTubeのライブで、
ポールの声が目立つものを聴いて、正しいメロディが分かった次第。

歪んだギターのリフは、右チャンと左チャンが微妙に違っているのを、
スコアがきちんと採譜してあるので、初めて知って、そう思って聴くと、
ギターの音色、歪み方も違い、片方がポール、片方はデニーなのか、
当然使ったギターも別なのだろうが、自分は、どちらもレスポールで。

ここの部分で、最後の「If we ever~」だけハモるが、ネットを見ると、
ジョンがハモッたという、都市伝説じみた話があり、ファンには夢だが、
もし、事実ならば、ポールは、嬉々として、今だから言える話だからと、
どこかで語ったろうし、ハスキーな声はデニーでもなく、ポールだろう。

オーケストラに続く、アコースティックの12弦ギターをかき鳴らす音が、
曲の後半を引っ張っていて、ただ、これは、ほとんどローポジションの、
開放弦中心のコードだから、オクターブ弦の一番高い音も、ソとラで、
自分は6弦にコーラスを軽くかけただけで、高い音のダビングは省略。

スライドギターは、右チャンの音が、やや遅れて左チャンから聴こえて、
ステレオディレイで、実音とディレイ音を、左右に振っているのだろうが、
セッティングが面倒なので、自分は、楽譜に沿って、1拍遅らせて弾き、
手動のディレイという感じで、別トラックに録音して、左にパンしておく。

このアルバムは、なぜか、アフリカのナイジェリアまで行っての録音で、
それを嫌ったわけでもないだろうが、直前でギターとドラムが脱退して、
リンダとデニー・レインの3人だから、ホワイト・アルバムの頃と同様に、
ポールがドラムまで演奏する苦肉の策だが、これがものすごい名盤。

「ジェット」「レット・ミー・ロール・イット」に「ブルーバード」と挙げていくと、
結局、全部が名曲だし、LPの帯のコピー「バンドは荒野をめざす」とは、
すごく格好良いし、俳優たちと脱走風景を演じたジャケットも見事だし、
後に、これが映像でも残っているのにびっくりで、何から何までの名盤。

中学時代、75年来日公演が中止になった代りに、テレビ放送された、
ウイングスのオーストラリア公演、この感動を今でも引きずっていて、
ジョン派の自分が「バンド・オン・ザ・ラン」に、取り組んでみたものの、
やはり、ポールの高い声がネックで、演奏と歌との落差が激しいです。






LP邦題は「ヌートピア宣言」、曲名は直訳カタカナの「マインド・ゲームス」
中2の74年夏、友人と見に行ったビートルズ映画の3本立てで、
ビートルズが気に入って、最初は、映画への興味が主だったが、
サントラ盤代わりに友人が貸してくれた、LP「オールディーズ」で、
ビートルズの音楽に一気に魅かれ、自分でもLPを買い始めた。

一番最初に買ったビートルズ本は何だったか、記憶は曖昧だが、
まだ名著「ビートルズ事典」は出ていなかった頃、角川文庫版の、
ビートルズ伝記だったか、写真とLP紹介の、今でいうムック本の、
「永遠のビートルズ」あたりが、本棚を眺めてみても、一番古そう。

ホーチキ出版なる、あまり馴染みのない会社から発行されている、
「永遠のビートルズ」は、奥付を見ると、昭和49年7月20日とあり、
ちょうどファンになった自分が、近所の本屋に行った時に、新刊で、
音楽書のコーナーに残っていたか何かで、手頃だったのかと思う。

ビートルズの解散後を含めた写真と共に、ソロのLPもジャケットと、
曲目リストで紹介され、ビートルズの映画も写真とあらすじ付きで、
載っていたから、映画で興味を抱いた自分には、そこが気に入り、
ブルース・リーの写真集を買うような感覚で、手に入れたのだろう。

なぜか、表紙の写真はビートルズでなく、ジョンとヨーコのライブで、
おそらく、「ワン・トゥ・ワン」のもので、しかもジョンは一番隅の方で、
キーボードを弾いて歌うヨーコが目立つ構図、そのせいもあるのか、
LP紹介ページは、ヨーコのLPも4枚出ていて、他の本にはない点。

そのうえ、ヨーコの後に赤盤・青盤が載り、さらにジョンのソロ作品、
「ヌートピア宣言」が最後で、「心の壁、愛の橋」は10月発売だから、
載るはずもないが、ポール「バンド・オン・ザ・ラン」は、リンゴの後で、
何度か改定版になっていて、新作が出ると追加していったのだろう。

それにしても、ヨーコの顔がスフィンクスになっているLPが出ていて、
同じページの下に、ヨーコの顔が大地から湧き上がるジャケ写真に、
「ヌートピア宣言」という、訳の分からない邦題がついたアルバムで、
これも、ヨーコが中心となる、前衛アルバムなのかと思ってしまった。

ジョン派と公言しながら、ジョンのソロアルバムは、リアルタイムでの、
「ロックン・ロール」と、ベスト盤しか買わないし、ウイングスの公演を、
テレビで見て気に入ったポールのソロも、そのライブのメインの曲目、
「ビーナス&マース」「バンド・オン・ザ・ラン」を買う程度、ソロは疎い。

その後、ポールは、新作「スピード・オブ・サウンド」と3枚組のライブ、
ジョージは、「ギターは泣いている」収録の「ジョージ・ハリスン帝国」、
バングラディシュのボックスを買うが、リンゴは1枚も買わないままで、
ジョンやポールも初期の作品は、テープに録音することもしていない。

ジョン派である以上、ベスト盤くらいは持っていないと、というくらいで、
買ったのが、「シェイヴド・フィッシュ~ジョン・レノンの軌跡」だったが、
これが名曲揃い、レターメンのカバーで有名な「ラブ」こそないものの、
「冷たい七面鳥」は格好良いし、「マインド・ゲーム」は美しいメロディ。

「女は世界の奴隷か」も、そのタイトルとは裏腹に、泣きのメロディで、
「イマジン」は歌詞も含みがあるバラード、よくラジオでかかっていた、
「真夜中を突っ走れ」は軽快な曲で、「マザー」には心を突き動かされ、
ソロも名曲だらけと気づく一方で、もうこれで十分満足という気になる。

ジョンの代表作は、今でこそ、ヨーコの作り出した愛と平和の使者で、
聖人君子のようなジョンが、争いのない世界を目指した「イマジン」で、
戦争反対、平和を訴える、「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」、
「平和を我等に」なのだろうが、75年当時は、どうだったのだろうか。

自分は、甘ったるい曲、イージーリスニングにカバーされるような曲と、
硬派のファンが否定しても、「ラブ」が好きだったし、「マインド・ゲーム」、
「夢の夢」は、何よりもメロディラインが美しくて、「イマジン」も好きだが、
これらの曲をレコードと一緒に口ずさんだり、ギターで弾き語りをした。

「マインド・ゲーム」も、「イマジン」と同様、平和の理想を歌っているし、
想像による理想国家、「ヌートピア」と結びつく曲だから、こちらの方が、
世界中で歌われても良かった気もするが、ヨーコの力の入れ方が違い、
「イマジン」がどんどん一人歩きして、取り残されたような気もしてくる。

アルバムタイトルは、曲名と同じ「マインド・ゲーム」なのに、邦題では、
「ヌートピア宣言」となり、無音のみ6秒という「ヌートピア国際賛歌」を、
必要以上に重視して、「永遠の~」でも、「マインドゲームスはジョンの、
哲理を説明したもので、即ちヌートピア宣言を意味して~」という解説。

「ヌートピア宣言」は、73年4月に提唱された、想像上の理想国家で、
4月1日、エイプリル・フールに建国宣言をしたのは、意味深であるが、
「イマジン」で歌う国境のない世界、それゆえ紛争もない世界の実現で、
白い国旗、各自の自由な国歌で、いつでも国籍が取得、離脱もできる。

「ヌートピア」とは、当然、理想郷を意味する「ユートピア」との造語で、
まさか「トゥー・バージン」のジャケ写真の、ヌードとの合成はないから、
否定の「ノー」で、「現実にはありえない国家」を意味したかと思ったが、
ユートピア自体、「ありえない場所」のギリシャ語で、二重否定になる。

ユートピアは、「理想郷」と訳すことが多いが、もともとトマス・モアの、
ギリシャ語の「どこにも無い」という意味の造語で、架空の国を描いて、
イギリス社会への批判も込め、共産主義的理想国家を示したものが、
あるときは理想郷を、あるときは空想的、非現実的を意味するように。

ここで、思いつくのが、ジョンの「ひとりぼっちのあいつ」の原題である、
「Nowhere Man」、「どこにもない男、居場所のない男」という言葉だし、
「ゼアズ・ア・プレイス」の、「No place」ならぬ、「どこか必ずある場所」、
「悲しみなどない、心の中の場所がある」と歌うのが、すごく結びつく。

ユートピアはイギリス文学の古典だから、感覚としてジョンにあったし、
「どこにも無い場所=ユートピア」を歌にしたと思うが、さらに進めて、
「新たなるユートピア」、「ネオ・ユートピア」を意味する、「ヌートピア」は、
確かにジョンの哲理であり、「マインド・ゲームス」の曲に貫かれている。

「マインド・ゲームス」は、原曲は、ビートルズ時代に書かれたと言われ、
解散の70年末の、「メイク・ラブ・ノット・ワー」のデモ演奏があるそうで、
YouTubeには、その時のか、アルバム作成に向けたものか不明だが、
ピアノの弾き語りがあって、冒頭の歌詞以外は、かなり近くなっている。

ジョン自身が、それを意識し、「マインド・ゲームス」のフェイドアウト前、
「I want to say Make Love~」と歌い、さらに「もう聞き飽きたかな」と、
続けるニクい演出で、本当に見事なメロディに、ジョンらしさが満載の、
歌詞がのるわけで、これが名曲にならないわけがないとファンは満足。

さらにYouTubeには、リハーサルテイクや、リミックステイクがあるうえ、
プロモ映像も、LPやリマスターとミキシングが違い、通常は聴こえない、
追加のピアノがいくつも鳴ったり、ギターも別の音で、シンセだけでなく、
オルガンやタンバリンらしき音など、かなり音を重ねているのがわかる。

バンドスコアでは、ピアノは1台、いつものように右手の和音だけだが、
両手ともコードを弾くうえに、シンセと同じ16分音符の刻みも加わるし、
チェンバロのような硬い音の和音も淡々と刻まれ、自分も3回重ねて、
ギターシンセにないチェンバロの音は、アコギのストロークで代用する。

エレキギターのカッティングは、スコアは、サビのレゲエ部分のみだが、
リミックスでは、Aメロで、スリーフィンガーに近いアルペジオが鳴って、
ジョンでなく、バックギターのデビッド・スピノザなのだろうが、ついつい、
ギターの音にはこだわりたいから、レゲエ部のリードも追加して弾いた。

イントロからずっと、ストリングスとユニゾンで弾かれるスライドギターは、
サビでは休むのだが、PVでは、ギターかシンセが、コードに沿った音を、
伸ばしているのが聴こえて、そこはギターにオクターブエフェクトをかけ、
スライドで弾いてみたが、本物は、スライドを3本くらい重ねた気もする。

サビに出てくるレゲエのリズムについて、バックのミュージシャンたちに、
レゲエのリズムを説明するのが大変だったと、ジョンが言っていたそうで、
クラプトンが、ボブ・マーリーの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」をカバーして、
ロックのファンにも、レゲエのリズムが広まるのは、翌74年4月の録音。

73年11月に発売された、「マインド・ゲームス」が、レゲエを導入した、
ロックで最初の曲だ、ジョンは、いつも先を行っていたと主張するほど、
自分はバカでないが、クラプトンよりは早かったなと、ちょっと誇らしくて、
人によっては、ポールの「オブラディ~」の方がさらに先と言い出すか。

ビートルズに夢中でも、あまりジョンのソロを聴いていない中学時代に、
一番好きだった「マインド・ゲームス」は、デモのリミックスで鳴る音でも、
ギターのフレーズにはこだわって、何より、なりきりジョンの自己満足で、
ジョンの音域なら、少しは出るようになったかと声を張り上げ、反省です。








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