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僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
解散への序章か、レノン=マッカートニー名義でない「冷たい七面鳥」
中学時代は、最後に出たLPである「レット・イット・ビー」が、
最後の録音で、映画のラスト、屋上のライブが最後の姿と、
思い込んでいたが、実際は、翌日にスタジオライブを撮影、
発売が前後した「アビイ・ロード」も、引き続いて録音された。

今では、ビートルズの最後の録音は、翌70年1月とされて、
サントラ盤でもある「レット・イット・ビー」に、映画で使った曲、
「アイ・ミー・マイン」が入っていないのは、まずいとの理由で、
ジョンを除く3人が集まり、翌日、他の曲へのダビングもした。

このとき、もうジョンは来る気がなかったのか、映画の中では、
「アイ・ミー・マイン」の演奏中、ジョンはヨーコと2人で踊って、
そこでは楽器も歌もやっていないから、構わないのだろうが、
ポールの脱退発言を待つまでもなく、ジョンは抜けていたか。

ジョンが最後に参加した、つまりは4人が揃う最後の録音は、
69年8月20日の「アイ・ウォント・ユー」で、あまりにも有名な、
「アビイ・ロード」のジャケット写真は、8月8日に撮影されたが、
最後に揃う写真は、米盤「ヘイ・ジュード」の8月22日となる。

ジョンは、カナダのトロントのライブに、9月13日に出演して、
まだ「アビイ・ロード」も「レット・イット・ビー」も、発売される前、
ソロで聴衆の前で演奏し、同行したエリック・クラプトンらには、
もうビートルズを抜けると話して、かん口令が敷かれたとか。

ただ9月末、ライブで披露した「冷たい七面鳥」を録音する際、
ジョンはビートルズ名で出そうとしたが、ポールやジョージが、
反対し実現しなかったそうで、ビートルズを抜けると言いつつ、
自分のシングル盤には、ビートルズのブランドが欲しかったか。

「冷たい七面鳥」は、プラスティック・オノ・バンド名で発売され、
オノ・バンドの第1弾「平和を我らに」では、作曲のクレジットが、
レノン=マッカートニーだったのが、今回からジョン・レノンで、
ソロとして独立する、ビートルズをやめるという表明にも思える。

この前後だろうが、「アビイ・ロード」の出来ばえに手応えを感じ、
ポールが、またライブを始めよう、次のアルバムはと熱く語ると、
ジョンは、ポールの顔をまじまじと見て、「お前はバカか?」と、
あきれたように言ったそうで、その時のポールの心境やいかに。

映画「1976ダコタハウスにて」で、TVでビートルズの再結成を、
呼びかけているのを見たジョンが、「よし、これから2人で行くぞ、
ギターを持って来いよ。」と盛り上がるジョンに、あきれながらも、
どこか嬉しくなったポールが、車までギターを取りに行った場面。

2台のギターを抱えてポールが戻ると、ジョンは電話に出ていて、
どうやら相手はヨーコらしく、もうジョンは、さっきのことなど忘れ、
手振りでサヨナラをして、察したポールは、もの悲しげな表情で、
「じゃあ、またね、ジョン」と声をかけ、ダコタハウスをあとにする。

映画「バックビート」で、ベースの練習もせず、バンドへの情熱も、
失っているスチュを首にしようと言うと、「あいつをやめさせるなら、
俺もバンドを抜ける。」とジョンが怒り、「いいや、抜ける訳ないさ。
君はやめないよ。」と、必死の形相で言い返すポールも浮かぶ。

どちらも映画の場面だが、実際にそんなやりとりはあったと思い、
その際のポールの気持ちを思うと、何とも、心が痛んでしまうが、
10代の頃から、きっとポールは、そんな感じで振り回されてきて、
こちらが心配するほど、繊細でもなく、わりと無頓着かもしれない。

ジョンの名義で出た「冷たい七面鳥」は、そのタイトルの意味が、
麻薬の禁断症状のことなので、ポールたちは嫌悪感を示したし、
ラジオで放送禁止になったそうだが、逆に、麻薬撲滅を訴える、
キャンペーンソングだくらいに主張しても、だめだったのだろうか。

この曲は、初演したトロントのライブに加え、ジョージも参加した、
2枚組「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」のライブもあるし、
TV放映された「ワン・トゥ・ワン・コンサート」で、演奏したものが、
後に「ライブ・イン・ニューヨーク・シティ」として、ライブ盤で発売。

トロントは、初演だったせいか、バンドメンバーも初顔合わせで、
飛行機内で、簡単な打ち合わせのみで、ライブに臨んだせいか、
印象的なリフは、まだ出てなくて、ジョンは、生音に近い音色で、
コードを鳴らして、まるでCCRの「プラウド・メアリー」のような感じ。

クラプトンは、歌のバックでも、ギターを弾きまくるが、その音は、
ヨーコの叫び声にかき消されていて、鶏をしめ殺したというか、
ウッドペッカーがおかしくなったというか、ヨーコがメインの曲より、
ましなのだろうが、ジョンに音楽面で譲れない一線はないのか。

カナダのライブへ出ないかと、ジョージにも声をかけたそうだが、
前衛的バンドをやるつもりはないと、断ったそうで、ジョージには、
どうせ、「未完成第2番」みたいなことになると、達観してたのか、
「京子ちゃん」はまだしも、「平和の願いを」は前衛の最たるもの。

そのジョージも共演したのが、「サムタイム~」でのライブサイド、
ザッパバンドとの共演も含む2枚目の方で、「冷たい七面鳥」は、
ビリー・プレストン、クラプトンに、デラニー&ボニーまで参加して、
ピアノやホーンも加わり、こなれた演奏だが、長すぎる気もする。

「ワン・トゥ・ワン」は、何より映像があり、ミリタリールックを着て、
青いサングラスのジョンが格好良くて、それだけで、もう十分で、
演奏などどうでもよくなるが、ジョンのレスポールJrも良い音だし、
バックのエレファンツ・メモリー、ジム・ケルトナーも安定した演奏。

ただ、自分がビートルズに夢中だった中学時代、ジョンのソロは、
75年の「ロックン・ロール」と、ベスト盤「シェイブド・フィッシュ」を、
買ったくらいで、他のLPは借りもしないから、「冷たい七面鳥」は、
ベスト収録のシングル盤バージョン以外、聴いたことがなかった。

ブルースの定番フレーズから始まるイントロは、格好良かったし、
ディープ・パープルや、レッド・ツェッペリンといった定番ロックさえ、
聴かなかった当時の自分には、「ヘルター・スケルター」と同様に、
歪んだギターの音を、最初は騒がしく感じて、やがて気に入る。

メインのリフは、ギター2本なのか、ディレイのダブリングなのか、
さらに、リズムも、スコアでは、8分音符がメインとなっているが、
16分音符の返しも聴こえるようで、ジョン本人のライブで見ると、
せわしく右手をピッキングしてして、それでもダウンが中心のよう。

エンディングは、4小節パターンを延々と、12回も繰り返していて、
リードギターはクラプトンだろうか、後半8回目あたりから始まるが、
音を伸ばしているフレーズがメインで、とにかく、ジョンが叫んだり、
呻いて、禁断症状を表わし、ヨーコよりましとはいえ、ひいてしまう。

リズム隊は、おそらくトロントと同じ、クラウス・フォアマンのベース、
アラン・ホワイトのドラムで、ウィキペディアでは、リンゴとあるが、
リンゴは、こんな機械的な叩き方はしないはずで、後にイエスにも、
抜擢されるアランの、良くも悪くも、正確なドラミングのように思う。

ジョンもトロントやニューヨークのライブと違い、淡々と歌っていて、
リズム隊が無機質に演奏するのも、中毒患者が真っ白い部屋に、
閉じ込められて、自分の鼓動だけ響く中、禁断症状に苦しみつつ、
薬物依存から脱却していく、近未来的映像が浮かび上がってくる。

最後の最後、ドラムとベースが止まり、無伴奏でリフを弾いたまま、
フィードバックのように音が伸びると、逆回転のような和音が鳴り、
さらに、アルペジオの逆回転早送りのような、奇妙な音になるのを、
スローアタックやリバースディレイで試すが、なかなか再現できず。

現役ビートルズでいながら、ジョン・レノンが完全にソロ名義にした、
「冷たい七面鳥(コールド・ターキー)」は、独特の歌い方が難しいし、
最後の叫びや呻きは、なかなか思い切れずに、中途半端となって、
自分は、前衛家でも芸術家でもないと、あらためて思い知りました。



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単純な歌詞に延々と繰り返すエンディングの「アイ・ウォント・ユー」
ゲットバック・セッションは、「レット・イット・ビー」という形で、
アルバムや映画になったが、実際は、どこからどこまでが、
ゲットバック・セッションで、いつ「アビイ・ロード」になったか、
レコーディングは、間断なく続いているので、区別しにくい。

映画の中の印象的な場面、ポールがコードを伝えながら、
「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」を練習していたし、
自分の持っているブートは、「シー・ケイム・イン~」があり、
YouTubeでは、「アイ・ウォント・ユー」のリハ音源まである。

1月30日の屋上ライブ、翌日のスタジオでの撮影までで、
映画の素材としては終了したが、「アイ・ウォント・ユー」は、
2月にスタジオ録音が始まり、ゲットバック・セッション同様、
ビリー・プレストンがそのまま、キーボードで参加している。

しかも、この録音が2月後半で、約2週間空いてしまうのは、
用事のあったビリーが戻るのを、待っていたという説もあり、
映画は映画として、ゲットバック・セッションで未完成の曲を、
そのまま仕上げようと、レコーディングが続いていたことに。

その後も、4月に「アイ・ウォント・ユー」や「オー・ダーリン」、
「オクトパス・ガーデン」が録音され、5月にも「サムシング」、
「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」も録音されるが、
本格的なアルバム作りは、7月のマーティンの復帰とされる。

結果的に、「アビイロード」の中では、一番早い録音となった、
「アイ・ウォント・ユー」だが、完成したのは8月までずれこみ、
その8月20日が、ビートルズの4人がスタジオに全員揃った、
最後の日になっていて、ジョンはここで実質上脱退したとも。

「アビイ・ロード」のジョン主導とされるA面の最後を飾るのが、
「アイ・ウォント・ユー」で、録音に6ヶ月以上かけ、最終的に、
初期のテイクと最後のテイクとをつなげるという、変則技の、
凝った作りの曲なのだが、その歌詞となると、驚くくらい単純。

「お前が欲しい」の繰り返しに、「気が変になりそうだ」くらいで、
当時、ジョンの作詞能力が低下したと言われたが、今日では、
ソロ作で顕著になるシンプルな表現、俳句を思わせる世界観、
ヨーコの影響によるリアリズム追求と、いろいろに評価される。

これぞ、わび、さびの世界と言われれば、ああ、そうでしたか、
お見それしましたとなるのだろうか、自分には、ヨーコだけが、
自分のすべてだと訴える、バカップルの書いた歌詞だとしか、
思えないが、ただ、それをメロディと演奏で、名曲に仕上げた。

昔、「元気がでるテレビ」で、早朝ヘビメタだったか、基本的に、
ヘビメタを馬鹿にしたようなコーナーがあり、参加した素人が、
彼女に向かって、ギターをかき鳴らし、「お前が好きだ」とだけ、
延々と歌い続けて、たけしたちは馬鹿にしきって、笑っていた。

ジョンの「アイ・ウォント・ユー」も歌詞からすれば、それに近く、
それでも、歌われた彼女は、まんざらでもないようだったから、
ヨーコにだけ通じれば十分だし、「ジョンとヨーコのバラード」は、
逆に延々と顛末を歌い、短い歌詞も長い歌詞もヨーコのため。

カーナビーツ「好きさ、好きさ、好きさ」も、好きだの繰り返しで、
原曲の「アイ・ラブ・ユー」は、65年のゾンビーズの作品なので、
ジョンも知っていただろうが、さすがにメロディも歌詞も違うから、
ジョンによくある、パクリ借用疑惑とは、まったく無縁なのだろう。

曲は、よくあるブルースの曲調で、歌とユニゾンでギターを弾く、
これまたブルースにあるパターン、途中のギターソロなんかは、
ジミ・ヘンドリックスかと思うくらい見事で、ジョージのストラトと、
ずっと思っていたが、ジョンがエピフォンのカジノで弾いたようだ。

ジョージがリードらしきものを弾いたのは、イントロだけらしいが、
「全曲バイブル」によると、「ジョージもブルース系の短いソロを、
トーンを落として弾いている。」そうで、それはどこの部分なのか、
歌のユニゾンと間奏以外に、ソロなどないはずで、間奏なのか。

ちなみに、ポールがボーカルの珍しいバージョンが、テイク1で、
これだと、歌のバックは、かなり硬い音で和音交じりのフレーズ、
「ユー・キャント・ドゥ・ザット」のジョンを思わせ、レコードでの演奏、
こもった音は、「ゲット・バック」のリードに近く、やはりジョンだろう。

間奏は、本当、ジョンともジョージとも取れて、ジミのファンだった、
ポールも、こうした演奏は得意だが、ポールだと、もう少し歪ませ、
チラッと早弾きを入れそうな気もして、いずれ、ポールがライブで、
この曲を取り上げ、間奏まで弾いたら、ああ、そうだったかとなる。

イントロなどギターのアルペジオが入るところは、8分の6拍子で、
メロディー部分は、4拍子で、少しはね気味のブルースのリズム、
自分のMTRのドラムマシンは、途中ではテンポを変えられなくて、
この2箇所はあまりに違うので、別々に録音して、あとでつなげた。

ギターは、伴奏アルペジオと、リードギターの2本と思っていたら、
「全曲バイブル」には、ジョンもジョージも3回くらい重ねたそうで、
他の本には、「音を厚くしたい」とジョンが言ったとあり、そうなると、
アルペジオも2回重ねたのか、自分もセンターと左寄りで弾いた。

メロディーの1番で、ベースとドラムがブレイクになる部分があり、
こういうところで、自分のリズム音痴が出て、走ったりもたったり、
リズムが入るところで、拍の頭がずれてしまい、ブレイク以外でも、
自分の苦手なテンポなのか、けっこうギターも歌も頭がずれがち。

ただ、リズムに疎いおかげか、アルペジオの5小節のパターンを、
6や8じゃないと戸惑うこともなく、メロディ部分でも、9小節プラス、
4分の2拍子という、ものすごい中途半端なのも、何も感じないが、
これは、ジョンの曲作り、メロディの乗せ方が、天才的なのだろう。

時々、ジョンが、ギターのピックアップを、切り替えるノイズが入り、
ベーシックテイクなのか、あとからダビングしたほうかは不明だが、
アルペジオはリア、リードはフロントのようで、どうせダビングなら、
録音を一端止めればと思うのは、安直な宅録に慣れすぎだろうか。

エンディングはアルペジオの繰り返しを延々と続けるが、この時に、
ポールのベースが縦横無尽というか、好き勝手に派手に動き回り、
リンゴもシンバルやスネア、タムで応酬し、こういった部分こそが、
採譜してほしいのに、バンドスコアは、5小節のリピート記号のみ。

ギターソロやバッキング、ポールのベースにしても、繰り返しでなく、
1番と2番では違うのに、採譜してないのは、この曲以外でも同様、
耳コピが苦手で、その時間が惜しいから、市販の楽譜を買うのに、
ビートルズに限らず、緻密なはずの日本人の採譜に手抜きが多い。

単純な歌詞ながら、ブルース調のギターが見事、エンディングも、
同じパターンを繰り返しながら、ノイズが増大すると、ぶった切る、
衝撃的な「アイ・ウォント・ユー」は、3人のハモリの音が高すぎるし、
バックの音が薄かったり、ギターの音色だの、課題が山積みです。





ジョンとポールの2人で録音し、A面で出した「ジョンとヨーコのバラード」
「夫婦喧嘩は犬も食わない。」とは、言い古された言葉だが、
兄弟姉妹、友人同士の喧嘩も、第三者が関わろうものなら、
とんだとばっちりを受けるもので、ジョンとポールの2人が、
言い争ったり、険悪になっても、離れてみているのが無難。

酒場でポールの悪口を言い、くだを巻くジョンに、ドノバンや、
ニルソンが相槌を打ったり、何かつけ加えて言おうものなら、
「ポールの悪口を言っていいのは、俺だけだ!」とばかりに、
ジョンが怒鳴りまくり、その間、リンゴは黙って見ていたとか。

ジョンとポールを昔から見てきたリンゴからしたら、この場は、
触らぬ神に祟りなしと、いいとも悪いとも言わずにスルーし、
どうせ、また自分と関係ないところで、二人は仲直りをするし、
ジョンにもポールにもつかずに、中立に限ると学習している。

解散後、ポールが、「トゥ・メニー・ピープル」でジョンを批判、
すかさずジョンも、「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ」でやり返して、
最初は、かなり悪口だらけだった歌詞を、さすがのリンゴも、
「ジョン、やめとけよ。」と諭したそうで、本当に子供の喧嘩。

一時期は、あまりの険悪なやりとりに、周囲がピリピリして、
2人の話題をしないように、気を使っていると、ジョンの方が、
S&Gに、「君らは再結成しないの?」とか、アートに向かい、
「君は、そっちのポールとうまくいっているか?」と尋ねたり。

エルトン・ジョンのコンサートに、ジョンがゲスト参加した時に、
2人が共演した「真夜中を突っ走れ」、エルトンがカバーした、
「ルーシー・イン・ザ・~」と共に、数あるビートルズの曲から、
ポール作曲、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」を歌う。

「僕を捨てた、かつての婚約者、ポールが作った曲です。」と、
ジョンとしては、とびきりのギャグをかまして演奏を始めたが、
観客からしたら、ビートルズ時代に、一度も歌ったことのない、
ポールの曲を嬉々として歌うジョンに、嬉しい反面戸惑いも。

ビートルズ時代も、「ホワイトアルバム」では、雰囲気が悪くて、
ポールが「マザー・ネイチャーズ・サン」の、打ち合わせの最中
ジョンとリンゴが顔を出すと、凍りついた空気になったというが、
「アイ・ウィル」では、拍子木を叩くだけで、67テイクも付き合う。

「アビイ・ロード」では、「カム・トゥゲザー」のレコーディングで、
エレピもコーラスも、やらせてくれないと、ポールは出て行くが、
別々に作った「ポリシーン・パム」と、「シー・ケイム・イン~」を、
続けて演奏、「行っけー」とジョンが叫び、ポールが歌い始める。

ゲットバック・セッションでも、ジョージの脱退事件を別にしても、
ジョンとポールの間は、ヨーコのこともあり、ぎくしゃくしていて、
屋上ライブまでやったものの、LP「ゲット・バック」は発売延期、
再編集は棚上げされたままに、次のアルバム製作を模索する。

そんな中、晴れてヨーコと結婚できたジョンは、嬉しさもあって、
そのことを歌にして、新聞のように、いち早くレコードで出そうと、
ポールの協力をあおぎ、ジョージやリンゴは抜きに2人だけで、
レコーディングをすませると、シングル盤のA面としてリリース。

2人だけで演奏した理由として、リンゴは、映画のロケで海外に、
ジョージもアメリカ旅行中だったと言われているが、その2日後、
シングルB面となる、ジョージの「オールド・ブラウン・シュー」が、
4人で録音されていて、たった2日をジョンが待てなかったのか。

一説には、ジョージは戻っていたが、リンゴだけ抜きにするのも、
まずいから、あえてジョージも呼ばなかったとか、ヨーコのことを、
ポール以上に嫌っていたジョージが、ヨーコを歌った曲になんか、
参加するとも思えず声をかけない、あるいは断られた可能性も。

「ポールいるかあ、ヨーコと結婚したから、それを歌にしたんだ。
ちょっと、手伝ってくれないか。」と声をかけられ、リハのつもりで、
ポールがスタジオに行くと、エンジニアに復帰したエメリックまで、
呼ばれていて、すぐにレコードにするんだと、ジョンが張り切る。

「あさって、ジョージやリンゴが戻ってからにしよう。」と言っても、
「いや、俺はすぐやりたい。こういうのは、旬なうちに出さないと。」
「せめて、ジョージは呼ぼうよ。」「ヨーコが嫌いだから、来ないよ。
それに、そんなフレーズなんか弾かないだの、言い出しそうだ。」

それでも躊躇するポールに、ジョンは、「なあ、俺とお前がいれば、
ビートルズだろう。2人で録音してさ、ビートルズのレコードとして、
この曲をA面で出したいんだよ。俺とヨーコを馬鹿にした連中にも、
目にもの見せてやりたいんだ。お前なら、わかってくれるだろう?」

などと、いつものように、勝手に2人のやりとりを想像してしまうが、
実際に言われているのは、ポールはジョンに貸しを作りたかった、
ジョンの気持ちが離れないよう、ポールが妥協したとか、それでも、
自分たち2人がビートルズという自負は、ポールも強かったと思う。

「アンソロジー」で、「再結成を聞かれ、うんざり。」と言うポールに、
リンゴが、「いっそ再結成すれば、誰も言わなくなる。」と返したら、
「ジョンなしで、どうやってやるのさ、僕とジョンとでビートルズだ。」
ジョージとリンゴを前にして、はっきり言うポールに、すごく驚いた。

ジョンとポール2人きりのレコーディングは、和気あいあいとして、
いくつものビートルズ本に書かれているのが、ジョンがポールに、
「もっとテンポを上げてくれ、リンゴ」とドラムを指示し、ポールが、
「わかったよ、ジョージ。」と返したという、ファンにはホッとする話。

当初、自分は、録音に立ち会った、ジェフ・エメリックの発言だけ、
一人歩きしたのかと思っていたら、残存するテープ全部を聴いた、
マーク・ルゥイソーンの労作、「レコーディング・セッション」の本に、
「テイク4の前に微笑ましい場面が」と、そのやりとりを書いている。

「アンソロジー」の「ジュリア」は、それまで、ジョンが1人で録音し、
せいぜいヨーコが付き添い、弾き語りしていたと思われた曲が、
実際にはポールが立ち会い、ギターを間違えて落ち込むジョンを、
励ましていた音声が残っていて、2人の友情に涙することになる。

「ジョンとヨーコのバラード」も、そうした2人のやりとりの台詞を、
「アンソロジー」のさらなる「アウトテイクス」とかで、聴けないのか、
そもそも、ダビングをしていく前の演奏も、数多い海賊盤とかで、
聴けないのだろうか、もっともっと公開して欲しい音源は限りない。

「ジョンとヨーコのバラード」を最初に聴いた時に、バラードだから、
スローテンポのマイナー調の曲だと思ったら、全然違った曲調で、
不思議だったのだが、「バラッド」というカタカナ表記で使われる、
「叙事詩・物語詩」の意味だそうで、結婚の顛末はバラッドなのか。

さらに、「キリストさん、こいつはないよなあ、はりつけもんだ。」と、
風刺の意味をこめ、作詞家ジョンの面目躍如たるものにしたが、
キリストを歌詞に入れたことで、放送禁止にされ、ほんの数年前、
「キリストより偉大だ」発言で、大騒ぎになったのを、忘れたのか。

ただ、「何てことだ」の慣用句で、キリストの名を呼ぶことはありで、
「ポパイ」の「わーお、何てこったい。」は、どうだかわからないが、
「トップガン」で、ソ連の戦闘機が、何台も追尾しているのを見て、
トム・クルーズが「ジーザス・クライスト」と呟いて、これだとセーフ。

そんなジョンの歌は、すごい早口ではないが、メロディー区切りと、
センテンス区切りが一致していなかったり、地名が自分の覚えた、
カタカナ表記と発音が違うので、歌詞カードを必死に見て、歌うが、
いちいち歌詞を確認せず、うろ覚えで歌うほうが、雰囲気は出た。

ペパーズ以降のジョンの甲高い歌い方は、トッポジージョみたいと、
自分は昔から思っていて、物真似っぽい声色にして歌ってみるが、
あまり極端だと、ギャグになってしまうし、素の地声では味気なくて、
多少、甲高い声を張り上るものの、結局ジョンの声とは程遠かった。

リードギターは、「全曲バイブル」に、ジョンのカジノと書いてあるが、
ポールの説もあり、リードは左右のチャンネルに分かれ、Aメロでは、
掛け合うようなフレーズたから、色違いとなるカジノを抱えた2人が、
目配せしながら、弾いている場面を、ファンとしては想像したくなる。

エンディングのリードギターのフレーズは、初期にカバーした曲で、
BBCライブに収録の、「ロンサム・ティアーズ・イン・マイ・アイ」から、
借用したフレーズで、なんで弾いたのか、ゲット・バック・セッションで、
この曲も再演し、「そうだ、あれ使おう」とでもなったのか、これも謎。

ビートルズの公式曲213曲のうち、ジョンとポールだけでの録音は、
あとにも先にも、この1曲の「ジョンとヨーコのバラード」は、自分も、
中学時代の、2人きりのビートルズ・コピーバンドの気分に戻って、
なりきりジョンで歌いましたが、いかんせん、ろれつが回らないです。





4人が集まって演奏するも、トラブルも多々あった「カム・トゥゲザー」
ビートルズの実質的ラストアルバムとなった、「アビイ・ロード」は、
もう一度ビートルズとして、まとまったLPを4人で作ろうとしたが、
その1曲目のタイトルが、「カム・トゥゲザー」、「みんな集まれ」で、
B面も、おまけの曲を除くラストが、「ジ・エンド」という曲の構成。

1曲目が、「カム・トゥゲザー」というのも、なんとも出来過ぎだが、
もともとは、選挙のキャンペーンソングを、ジョンが頼まれていて、
そのスローガンが、「カム・トゥゲザー」だそうで、そんな偶然さえ、
アルバムコンセプトに引き寄せてしまうのは、ビートルズマジック。

同様に、当初は「エンディング」の仮タイトルで、B面のメドレーの、
最後を締めくくるという程度の曲が、リンゴのドラムソロに始まり、
3人のギターバトルを含む、アルバムの大団円で、ビートルズの、
「白鳥の歌」とも呼べる、「ジ・エンド」になったというのも出来過ぎ。

ただ、そうしたことに、ジョンは、どこまで関心があったか疑問で、
渋谷陽一は、新潮文庫「ロック・ベストアルバム・セレクション」で、
「またビートルズが再結成されたところで、アビイロードみたいな、
アルバムぐらいしか作れない。」という、ジョンの言葉を紹介する。

ポールが、かつてのようにと、マーティンにプロデュースを依頼し、
最後の力をふりしぼるように、完成されたアルバムを作り出すが、
マーティンは、「ジョンは、飾りがない古きロックで突っ走りたくて、
長いほうの面でやったことには、ひどく反対した。」と語っている。

よく言われるA面がジョン、B面がポール主導で作ったというのも、
妥協の作だと、マーティンは語り、結果的にアルバムは見事だが、
衝突もあったし、ゲットバック・セッションでバラバラになった4人が、
そうそう、急にまとまるわけもなくて、録音中もトラブルは多かった。

川瀬泰雄「真実のビートルズ・サウンド」に、「カム・トゥゲザー」は、
ジョンとポールの仲がうまくいってなくて、メロディもハーモニーも、
ジョンが歌い、間奏のエレピのソロも、ポールが考えたフレーズを、
ジョンが弾いたので、怒ったポールはスタジオを出て行ったとある。

中山泰雄「ビートルズの謎」は、アビイ・ロードのレコーディング中、
ポールが泣きながら、スタジオを飛び出して、そのまま家に帰ると、
翌日も姿を見せず、ジョンが迎えに行っても、ポールは出てこない、
その際、塀によじ登ったジョンが怒鳴っている写真も、載せている。

こういうのを読むと、小学生の頃、落語家を目指した自分としては、
「見てきたような嘘をつき」と、勝手に話を組み立てる癖が出てきて、
ビートルズでは、自分の思い込みも含め、断片的なエピソードから、
あれこれと想像したり、時系列を無視して、起承転結にしたくなる。

「カム・トゥゲザー」のエレピを録音するジョンに、気づいたポールが、
「あれ?そこは僕が弾くところだけど。」、「ああ、簡単なフレーズで、
覚えたから、自分で弾くことにするよ。歌のハモも自分でできるし。」
「ハモリもピアノもジョンがやるなら、僕は、何をすればいいのさ。」

「あのベースで十分だろうが。だいたい、お前のベースは、うるさくて、
歌がよく聴こえないんだけれど。ジョージも『サムシング』のベースは、
歌より目立つフレーズばかりで、何とかならないのかって困ってたよ。
もしライブでもやることになったら、クラウスにでも頼もうかってな。」

「それじゃ、ビートルズじゃなくなっちゃうよ。今度のアルバムは皆で、
一体となったところを見せようって決めたろう、ビートルズとしてさ。」
「はあ?お前、いつまでもビートルズ、ビートルズ言ってんじゃないよ、
ガキじゃあるまいし。それに言わなかったっけ、俺は抜けるってさ。」

「ジョンは、何かあると、抜けるだの、やめるだのって、昔からだよ。」
「いや、今度は本気だから。クラプトンとバンドを作るかもしれないし、
この曲も、クラウスに弾かせて、プラスチック・オノ・バンドで出すか。
作曲は、レノン=マッカートニーにしておくよ、昔からの約束だしな。」

これにショックを受けたポールは、泣きながら帰宅してしまうと、翌日、
スタジオに来なくて、さすがに悪いと思ったか、ジョンは迎えに行くが、
いくら呼んでも出てこないから、塀によじ登ると、「ジョージやリンゴは、
田舎から出てきて、待ってるんだぞ。」など、怒って叫んでいたらしい。

この時も、ジョンのことだから、調子にのって、「レット・イット・ビー」の、
イントロのような裏声を出して、「ポールちゃあん、早く出ておいでー。
君の大ちゅきなビートルズが、始まりまちゅよー。聞こえまちゅかあ?
早く来ないと、終わっちゃいまちゅよ。」くらいのことを言いかねない。

ファンは集まってくるし、ポールは、出て行こうにも、出て行けなくなり、
窓を閉め耳をふさぎ、「あー、もう嫌だ、あー、もうジョンとなんか嫌だ、
やめよう、もうビートルズなんてやめよう。」なんて思って、自分自身へ、
言い聞かせる意味もあり、マスコミへ脱退宣言を流した気もしてくる。

とまあ、まったく時系列を無視した、自分の作り話を延々と書いたが、
似たようなもんだったろうと思っていて、それでも、「アビイ・ロード」を、
作り上げたポールはさすがだし、ジョンも少なくとも自分の曲だけは、
きちんと対峙して、ビートルズのジョンとしての作品に仕上げている。

「カム・トゥゲザー」は、ジョンも気に入っている曲で、解散後のライブ、
ニューヨーク・シティのワン・トゥ・ワン・コンサートで、演奏しているが、
やはり、自分にとっては、ビートルズの演奏がベスト、リンゴのドラム、
ポールのベースは、他の人には出せない音だし、ジョージのギターも。

リンゴのドラムは、シンバル、ハイハット、タム、フロアタムと変化して、
特にタムの6連符フレーズは、すごく曲のイメージを特徴づけていて、
音がこもったような感じなのは、毛布をタムに乗せミュートしたそうで、
バスドラムの中に毛布を入れたのと同様、何気ないアイデアが豊富。

ポールのベースは、リズムギターと多少シンクロしながら、曲を支配し、
後期特有のゴリゴリ音の、リッケンベースを使っていると思っていたが、
ジャズベースの説もあり、だいだい、「ラバーソウル」からリッケンだと、
つい最近知って驚き、さらに、ポールがジャズベースを弾いたなんて。

ポールとリンゴの裏にアクセントをつける、リズム隊に対して、おそらく、
ジョージが弾いているリズムギターは、最初はベースとユニゾンだが、
途中から、いわゆるロックンロールのリフで、前ノリのフレーズになり、
ポリリズムとか変拍子までいかないが、アクセントがずれたようになる。

そこへ、歌が2番のときは、それまでの半拍ずれて始まったメロディが、
拍の頭となって、自分で歌っているときに、あの目立つベースにつられ、
リズムの表裏がわからなくなり、全部ずれたように感じて、困惑するし、
さらに、そこで、ハモリという、リズム音痴の自分には、ハードルが高い。

「シュッ」とジョンがイントロで呟くのは、「Shoot me」と言ってるそうで、
同時に鳴っている手拍子も、「パン!パン!」と銃声を真似ているとか、
「me」は、ポールのベースにかき消されていると言うが、ライブで見ても、
「Shoot」しか言わず、「アンソロジー」では、4回目だけ小さく言っている。

ジョンの手拍子は、エコーをかけ、3連符にしているが、バンドスコアは、
リムショットの6連になっていて、自分は民族楽器のアゴゴベルと思い、
ヤフー知恵袋で質問してみたら、マニアの方々から、回答がいただけて、
結局、手拍子にエコーとわかり、本当、自分の知らなかったことが多い。

「アンソロジー」で、ジョンは、歌の間も手拍子をして、タンバリンを叩き、
その間、リズムギターは、ほぼレコードと同じフレーズを弾いているから、
ジョンでなく、ジョージが弾いたと思われ、「全曲バイブル」の左チャンが、
ジョンのカジノは間違いで、逆にツインリードの片方を弾いた可能性も。

間奏のツインリードは、ジョージがレスポールでダビングしたと言われ、
エンディングのリードギターもジョージとされるが、ジョンのような気もし、
さすがに、ポールの弾くギターとは音色もフレーズも違うが、ジョンだと、
「アイ・ウォント・ユー」にしても、ジョンかジョージなのか、ちょっと微妙。

そして、ハモリはポールの言い方が、「歌わせてくれず残念だった」とも、
「うまく歌えず、やり直したい」とも取れて、マーティンは、ポールと言い、
エンジニアのジェフは、ジョンだと言い、さすがに、この件を、ポールに、
今さら、深く突っ込んで尋ねるのは酷だろうから、真相はわからぬまま。

ただ、自分からすると、もともと、この太い歌い声は、「レディ・マドンナ」、
「アイヴ・ガッタ・フィーリング」で、ポールが目立つが、映画「ヘルプ!」で、
スキー場のそり遊びで、ジョンが、サンタの笑い声を、ずっと真似ていて、
ジョンにも出せる声、「ユー・ノウ・マイ・ネーム」も、一部はジョンだと思う。

ビートルズの解散を覚悟し、ビートルズに扮して作ったとも言われるLP、
「アビイ・ロード」の1曲目、後にチャック・ベリーの盗作騒ぎになる曲でも、
ジョンが気に入った曲に挙げる「カム・トゥゲザー」は、ベースは難しいし、
ジョンの歌となると、音痴云々を抜きにしても、一本調子になりがちです。






ジョージが手伝ったリンゴの最高傑作「オクトパス・ガーデン」
ビートルズを聴き始めたのは、中2の1974年夏だったから、
とっくにビートルズは解散しているという、後追い世代のうえ、
そのビートルズの幻影を追うように人気だった、日本一の、
ビートルズ・コピーバンド、バッドボーイズも、後追いに近い。

ビートルズのファンになって、自分でもギターを練習し出すと、
雑誌「ヤングギター」のビートルズ特集を、古本屋で見つけて、
その中に、バッドボーイズの記事があったり、奏法の記事にも、
彼らのアドバイスがあって、自分にとって、憧れの存在となる。

ただ、オリジナル曲を出し始めて、あまりビートルズの演奏は、
しなくなっていって、それでも、「題名のない音楽会」に出たり、
オールナイトニッポンのビートルズ特集では、生演奏もしたが、
脱ビートルズ宣言をしたとか、しないとか、そんな話題も出た。

初めて生のステージを、渋谷西武デパートの屋上で見た時も、
ビートルズの曲はやらずに、解散後のポール、ジョージの曲を、
やったくらいで、ビートルズ復活祭で、「ヘルプ!」などの3作が、
上映中止になった時、代りに登場したが、何の曲を演奏したか。

2人きりのビートルズ・コピーバンドの、ジョージ役の同級生が、
バッドボーイズが、青山VAN99ホールの2部構成のライブで、
久々にビートルズの曲をたっぷり演奏するようだと、聞きつけ、
中学生には遅い時間だが、二人で、自転車で青山へと向かう。

「ハロー・グッドバイ」や、「レディ・マドンナ」といった後期の曲を、
やってくれたが、一番聴きたい初期のシングル曲とか、伝説の、
アビーロードのB面はやらずに、大半はウイングスの曲だったし、
ジョンの曲は、「ロックンロール」からの数曲で、ちょっと肩透かし。

そんな中、リンゴ役の城間がフォークギターを抱え、前に出ると、
「オクトパス・ガーデン」が始まり、器用にスリーフィンガー奏法で、
ギターを弾いて、そうか、この曲のアルペジオのリズムギターは、
ジョンお得意のスリーフィンガーだったのかと、改めて気づいた。

リンゴの空席となったドラムセットに、ジョージ(川端)が腰かけ、
バスドラムを足で叩きながら、コーラスをし、リードギターも弾き、
リンゴを盛りたてる姿は、さながら、映画「レット・イット・ビー」で、
この曲を作曲しているリンゴに、アドバイスするジョージとかぶる。

自分たちも、早速、ジョン役の自分が、スリーフィンガーで弾き、
メインボーカルも担当して、ジョージ役は、ハモリとリードを弾き、
二人だけでもさまになると、盛り上がったし、この日のライブで、
ポールの「ジュニアーズ・ファーム」も気に入って、真似していた。

ビートルズの実質ラストアルバムである、「アビーロード」収録の、
「オクトパス・ガーデン」は、ビートルズ時代にリンゴが作曲した、
2曲のうちの1曲で、初めて作った曲「ドント・パス・ミー・バイ」は、
駄作ではないが、習作レベルだったのが、今回は見違える出来。

映画「レット・イット・ビー」で、リンゴがピアノに向かい、作曲中の、
「オクトパス・ガーデン」を弾くと、ジョージがコードを変えるように、
アドバイスする、やがてジョンがドラムに座ってリズムを叩き出し、
まだ歌詞は完成版と違うものの、ジョージも一緒に歌ったりする。

スタッフも集まって、作曲風景を見守る、何とも心温まる場面だが、
そこへ、ポールが入ってきた途端に、凍りついたとも、しらけたとも、
どちらとも言えない微妙な感じになり、お遊びは終わりとばかりに、
3人が散っていく場面は、見ていて、すごく、いたたまれなかった。

ただ、このとき、ポールは、リンダの娘のヘザーを連れて来ていて、
幼い子が無邪気に、メンバー間を行き来する場面もあるのだから、
ポールが登場の張り詰めたような場面は、悪意ある編集のせいで、
他の3人とポールが、あたかも対立しているよう、見せている感じ。

ジョージのアドバイスがきいたのか、映画の練習中の風景に比べ、
「アビー・ロード」では、かなり進歩した演奏になっているし、さらに、
「アンソロジー3」収録のテイク2でも、ほとんど本番に近い出来で、
アレンジを練って、完成形にしてから、レコーディングとなった模様。

メンバーがもめていても、リンゴの曲では、リンゴの人柄があって、
和気あいあいと、リンゴを盛り上げると言われ、実際に、解散後も、
リンゴのソロアルバムに、全員一緒の演奏でなく、別々の曲だが、
ジョン、ポール、ジョージも参加して、すわ再結成かと話題になる。

「オクトパス・ガーデン」は、各自の楽器はもちろん、ハモリだったり、
かつての「イエロー・サブマリン」を彷彿させる、サウンドエフェクトと、
4人揃って、ワイワイやっていたと思っていたが、ダビングのときは、
ジョンは来なくて、ポールとジョージのハモに、リンゴ1人で泡の音。

リンゴが歌うときは、あのジョンとポールがハモリをつけてくれて、
なんと果報者なのだろうと思っていたが、最後の最後、そのうえに、
リンゴの作曲した曲なのに、ジョンはハモっていないと、先日知り、
かなり自分的にはショックで、やってくれたよな、ジョンという気分。

まあ、映画「レット・イット・ビー」で、やる気なさが目立ったジョンが、
「アビーロード」になり、急に張り切るわけもなくて、「サムシング」や、
「ヒヤ・カムズ・ザ・サン」は、ギターで参加したかも不明、自分の曲、
「カム・トゥゲザー」や「アイ・ウォント・ユー」へ、一球入魂だったか。

そうは言っても、「オクトパス・ガーデン」のスリーフィンガー奏法は、
ジョンが得意としただけあって、見事で、自分は、かなり苦労したし、
バンドスコアが、「アルペジオ」の表記のみで、音符にしてないから、
「ジュリア」の低音パターンで良いかなと、ジョンの手癖で弾いておく。

ジョージのリードは、カントリーっぽいとはいえ、初期に得意だった、
チェット・アトキンス奏法と違い、ロックに近いカントリーブルースで、
おそらくテレキャスだろうが、テイク2は、レスポールのような音色で、
とりあえず、自分は、ストラトのフロント側で弾いて、かるく歪ませた。

サビのピアノは、ポールが弾いたそうで、「全曲バイブル」によれば、
センターのコード弾きはアップライト、右チャンのベースパターンは、
グランドピアノを使ったとあるが、どちらも西部劇の酒場のシーンの、
ホンキートンクピアノのようで、調律の違いか、エフェクトかは不明。

間奏のリードギターのバックのハモりは、水の中で歌っているように、
声が小刻みに震え、これはエフェクトのトレモロかビブラートだろうし、
コップの水を、ストローでブクブクさせた音と一緒に、左右に動いて、
水中を動き回る感じを出して、「イエロー・サブマリン」の続編っぽい。

ポールのベースは、リンゴの曲だからか、ボン・ボンとはずむように、
カントリー調で、最初自分は、ややスタッカート気味に弾いてみると、
何とも締まりのない音、大げさに音を切り、録音しなすが、ポールは、
時折音を繋げたり、16分音符にしたりと、その緩急のつけ方は見事。

ビートルズ時代を通じて、自作にしろ、ジョンの曲、カバー曲にしろ、
リンゴの歌った曲で、一番名曲だと思える、「オクトパス・ガーデン」、
ジョージのリードも、ジョンのリズムも難しくて、ハモリも苦労しながら、
実のところ、優しさと哀愁に満ちたリンゴの歌声が、一番大変でした。







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