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僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
ミュージカルの曲をアンプラグドでカバー「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」
これまでは、あまり気にも留めなかったせいか、あるいは、
実際に、さかんに出品されるようになったのか、昨年から、
やたらと、ビートルズ関連の、オークション記事を目にして、
貴重なお宝から、どうなのかなという品物まで、実に様々。

盗まれたジョンのアコギ、ギブソンJ160Eには、驚いたし、
リンゴが所有していたという、ジョンのリッケンバッカーや、
ホワイトアルバムのシリアル番号1、アマ時代の契約書に、
ジョンが映画で短髪にしたときの、髪の毛なんてのもある。

つい先日も、ビートルズの自主制作レコード盤が出品され、
マネージャーのブライアン・エプスタインが、ビートルズを、
レコードデビューさせようとして、あちこちのレコード会社へ、
売り込んで回っていた際、デモ用に作ったレコードだとか。

62年1月1日に、デッカレコードのオーディションを受けて、
「ギターバンドは、もう古い。」と落選したのは、有名な話で、
一説には、リバプールを拠点にしていたビートルズよりも、
ロンドン近郊のバンドの方が都合が良いと、採用したらしい。

ただ、どんな経緯だか、そのオーディションの録音テープを、
エプスタインが譲り受けたので、レコード会社のスタジオで、
良い音で録れた、オープンリールの音源が、手元に残って、
それを持ち歩いては、つてを頼りに、聴いてもらったらしい。

テープを持ち歩くより、レコードにしたほうが、便利だろうと、
教わったエプスタインは、あのHMVにテープを持ち込んで、
アセテート盤に録音してもらうが、その際のエンジニアから、
同じ建物の上の階に入っている、音楽出版社を紹介される。

エプスタインは、レコードの契約を取り付けようとしていたが、
出版契約は念頭になかったようで、レコードも出てないのに、
先に契約してもと話すと、まだレコード会社が決まらないなら、
EMIの傘下のパーロフォンレーベルはどうか、と紹介される。

そして、そのパーロフォンにいたのが、ジョージ・マーティンで、
何だか、話がトントン拍子すぎて、出来すぎな気もしてくるが、
マーティンの自伝「耳こそはすべて」にも、その話は出てきて、
確かに出版社からの電話で、エプスタインを紹介されていた。

レコードを聴いたマーティンは、すぐに気に入ったのではなく、
みんなが棒に振った気持ちもわかる、自作曲も平凡な出来、
ただ、荒っぽさが妙に感覚をくすぐって、もっと聴いてみよう、
これは何かがある、先に進む価値があると、判断したそうだ。

今回、オークションに、そのレコード盤が出品されたことから、
収録曲が判明して、デッカの全曲でなく、A・B面に1曲ずつ、
A面が、ジョンが初めて作った曲、「ハロー・リトル・ガール」で、
B面がミュージカルのカバー曲「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」。

デッカで落選したときに、エプスタインの選曲が悪いからだと、
ジョンが文句を言っていたのに、その中から、2曲を選ぶ際に、
あえて、ミュージカルの曲を入れたのは、ブライアンとしては、
ロックンロールだけでは一般受けしない、売れないと思ったか。

レコードは、自主制作盤だから、ラベルは手書きになっていて、
曲名と一緒に、A面には、ジョン・レノン&ビートルズ、B面には、
ポール・マッカートニー&ビートルズと書かれ、当時主流だった、
歌手&バックバンドの形を、ブライアンでも想定したのだろうか。

マーティンは回想録で、誰かをリーダー、メインボーカルにする、
そうした形を模索はしたが、グループはグループとして残るべき、
そう結論づけ、さらに、4人の意思を尊重し、作家の曲ではなく、
ビートルズ自身のオリジナル曲で、シングルデビューが決まる。

シングル盤は、その後も、両面ともオリジナルが収録されるが、
当然ながら、デビュー直後は、オリジナルも、そう多くないから、
1・2枚目のアルバムは、カバー曲が半分を占め、その大半は、
ハンブルグの時代から、ライブバンドとして、得意にしていた曲。

マーティンとの出会いを演出した、自主製作盤のB面収録曲の、
「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」は、2枚目のアルバムで再演され、
マーティンのアドバイスだろうか、アマ時代のエレキの演奏から、
アコギ、ガットギターにボンゴと、アコースティックの布陣となる。

次のアルバムの「アンド・アイ・ラブ・ハー」でも、当初エレキで、
最終的に、アンプラグド形式になったのを、先取りしたようだし、
ジョージの奏でるガットギターは、「アンド・アイ・ラヴ・ハー」も、
美しい調べだが、「ティルゼア~」では、テクニック的にも見事。

あまりに見事なので、ジョージではなく、ポールが弾いたのでは、
あるいは、スタジオミュージシャンではと疑われ、ジョージには、
申し訳ないが、「タックス・マン」や「アナザー・ガール」のポール、
「ホワイル・マイ・ギター~」のクラプトンの例があり、自業自得か。

ただ、先のデッカや、映像の残るロイヤル・バラエティ・ショーで、
ジョージが、グレッチギターで間奏を弾ききっているから、実際、
スタジオ録音のガットギターもジョージだろうし、ビートルズでの、
リードギタリストはジョージなんだからと、再認識しておかないと。

やや脱線だが、サザンオールスターズのデビューアルバムを、
聴いたときに、ヤマハのコンテスト、イーストウエストで目にし、
テレビでも見た演奏に比べ、あまりにリズムがきっちりしていて、
演奏もタイトなので、これは、スタジオミュージシャンと思った。

特に、「別れ話は最後に」の、ジャジーなギターのバッキングに、
アドリブソロは、大森には弾けっこないと、決めつけていたが、
当時、高校生の自分でさえ、ベンソンとかコピーしていたから、
プロなら楽々弾けただろうし、ジョージ同様に、申し訳なかった。

中公文庫「ビートルズの真実」の中に、ジョージが12才の頃に、
ジャンゴ・ラインハルトに夢中になったとあって、なるほどなあと、
ジプシージャズと呼ぶのか、アコギによるジャズギターの名手、
ジャンゴが好きなら、ガットギターのジャジーなソロもうなずける。

ジョンのリズムギターも、ジャズで使うテンションコードを多用、
ディミニッシュやオーギュメントなんて、よく知っていたと感心で、
このあたりが、単なるロックンロールバンドとは、一線を画して、
モータウンに映画音楽と、幅広くカバーして、実力を身につけた。

デビューアルバムの「蜜の味」、BBCの「ハネムーン・ソング」と、
ミュージカルの曲を好むように、ポールが歌うのは、一般受けを、
狙うのもあるが、自分が歌いたいから、何より、歌手だからだと、
中山康樹は、「これがビートルズだ」で、さかんに主張していた。

それからすれば、73歳にもなるポールが、また新たなツアーを、
計画しているのは、単に歌いたいだけ、演奏したいだけなのだと、
そのミュージシャンシップに頭が下がるし、自分も少しは見習って、
記事を書きたい、演奏したい、それだけで十分かなと言い聞かす。

ビートルズの歴史的レコードに収録され、アンプラグドの形式で、
再演した、ミュージカルのカバー、「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」は、
ジャズっぽいギターは、多少は似せたが、ポールのボーカルだと、
高いキーもきついし、自分の歌唱力のなさを、突きつけられます。









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さりげないマーティンのピアノソロが光る「ナット・ア・セカンド・タイム」
ビートルズのプロデューサーである、ジョージ・マーティン卿が、
先日亡くなり、その第一報は、リンゴによる追悼のツイッターで、
その後、ジョンとヨーコの息子、ショーンも哀悼のツイートをして、
さらには、ポールが長文のメッセージで、多くの思い出を語った。

マスコミ記事は、さかんに「5人目のビートルズ」という呼び方で、
確かにマーティンの貢献は大きくて、デビューから解散するまで、
単にプロデューサーという以上に、楽曲へのアドバイスをしたり、
ピアノを演奏し、オーケストラの導入まで提案、その編曲もした。

ビートルズの音楽的成功は、マーティンなしに、ありえなかったし、
ポールまでが、「5人目のビートルズと呼ばれる人がいるとしたら、
それはジョージだ。」」と、追悼文で語っているから、間違いないし、
本当、マーティンの貢献は、精神的な面も含めて、計り知れない。

ただ、自分は、「5人目のビートルズ」の表現が、あまり好きでなく、
ビートルズは、正式デビューから解散するまで、ジョン、ポールに、
ジョージ、リンゴという不動の4人で、それ以外でも何でもないよと、
ちょっと、ひねくれてしまい、変なところで、こだわる悪い癖が出る。

自分がビートルズに夢中だった中学時代、そんな言い方をしたか、
古いビートルズ本を出してくると、「ビートルズ事典」の人名録には、
マーティンの項に、「エプスタインが5人目のビートルズなら、彼は、
6人目のビートルズ」の記述があり、昔からあったのかと気づいた。

音楽面がマーティンなら、商業的な成功は、敏腕マネージャーの、
ブライアン・エプスタインなくしては、到底ありえなかった話だろうし、
これまた、ポールが、ジョージ・ハリスンの伝記映画の中らしいが、
「ブライアンこそ、5人目のビートルズだ。」と言ったそうで、何だか。

5人目のビートルズというのは、元メンバーをさすこともあるそうで、
デビュー直前で、リンゴと交代させられる、憂き目にあったドラマー、
ピート・ベストだったり、ジョンの大親友であり、脱退後に夭逝した、
スチュアート・サトクリフとなると、ドキュメントの邦題にも使われた。

ちょっと、言いがかりっぽいが、スチュは、アマ時代にビートルズが、
5人だった頃の、まぎれもないメンバーで、文字通り5人目なのだが、
例えば、スマップをやめた森を、一般には、6人目のスマップなどと、
呼ばないように、元メンバーは元メンバーで良いだろうと思っている。

まあ、ビートルズが不動の4人であったからこそ、逆に「5人目」なる、
準メンバーの存在が、今も昔も、取り沙汰されるのだろうし、ここは、
ビートルズのメンバーであるポールの、今現在のコメントを尊重して、
ジョージ・マーティンが、5人目のビートルズと、もやもやを解消する。

マーティンとビートルズのエピソードとして、昔から有名だったのが、
初対面の際に、マーティンが、「何か気に入らないことでもあったら、
遠慮なく言ってくれ。」と尋ねると、「そうですね、あなたのネクタイが、
気に入らない。」と、ジョージが冗談をとばしたという、鉄板ネタの話。

これは、ビートルズ事典や、ハンター・デイビスの公式伝記にもあり、
中学時代から知っていたが、いきなり初対面で、いちアマバンドが、
大物プロデューサーに、そんなこと言うだろうか、エプスタインとか、
ビートルズ伝説を作ろうとして、もっともらしく、広めたのかと疑った。

ところが、マーティンの自伝「耳こそはすべて」にも、この話があって、
マーティンは、このジョージの冗談に腹の底から笑い、4人のことを、
音楽面よりも、その人間性に魅かれたそうで、マーティンの記憶では、
初対面の6月でなく、9月の録音時になるが、やりとりは事実だった。

「レコーディング・セッション」、上林「この日のビートルズ」によれば、
マーティンに聞かれても、最初は4人とも、お互いに顔を見合わせて、
モジモジしていたが、やがて、ジョージが言ったそうで、このあたりは、
メンバーで一番年下のジョージが、末っ子キャラのまんまで頷ける。

物怖じしない性格で、さらに、ジョンやポールに、可愛がられる反面、
いじられキャラであり、「おい、ジョージ、言ってやれ、言ってやれ」と、
目配せされ、「え、言うの?」「いけ、ジョージ」みたいなやりとりがあり、
「ネクタイが気に入らないな」発言になったのではと、想像したくなる。

それから、マーティンは、編曲について、アドバイスをするだけでなく、
プロデューサーの権限を越えるというか、それ以上となる関わり方で、
デビューアルバムの、たった1日で10曲を録音した際、その数日後、
僅か2曲ではあるが、自らピアノなどを演奏して、ダビングしている。

2枚目のアルバムでも、マーティンは、ピアノの演奏で参加していて、
「マネー」の特徴あるピアノイントロ、「ナット・ア・セカンド・タイム」は、
間奏のピアノソロまで披露、よく彼らは、先生と生徒の関係のように、
たとえられるが、それ以上の信頼関係が、お互いにあったと思える。

このアルバムでは、「リトル・チャイルド」で、ポールがピアノを弾き、
それもあってか、「ナット・ア・セカンド・タイム」のピアノもポールだと、
書いているビートルズ本もあるが、間奏の淡々としたリズムのノリは、
クラシック畑の人に多い弾き方で、マーティンだろうと、自分は思う。

ポールだったら、もう少し、くったようなノリや、装飾音を使うだろうし、
「レット・イット・ビー」のイントロのような、独特の微妙なタイム感で、
もう少し違う雰囲気になると思うが、これこそは、マーティン亡き今、
ポールなのか、マーティンなのか、誰かポールに聞いてくれないか。

藤本国彦「213曲全ガイド」は、その間逆と言うか、ピアノどころか、
ポールは、ベースでも参加していなくて、ジョージも同様に不参加、
ジョンのボーカルとギター、マーティンのピアノに、リンゴのドラムで、
デモ音源、自宅録音でもしたかのような曲だと、まったく異なる見解。

モノミックスは言うに及ばず、ステレオ録音も、左チャンネルが演奏、
右チャンネルがジョンの歌だから、音が団子のようになってしまって、
ジョンとジョージが2人揃って、リズムのコードを弾いたか不明だが、
少なくとも、ベースは、ピアノの左手とは別に、ポールが弾いたはず。

いつものバンドスコアは、珍しく、リズムギターが2段に分かれていて、
ベースとピアノの左手も別のフレーズなので、それを尊重して演奏し、
ピアノは間奏以外は、和音も弾いたかもしれないが、楽譜にないから、
ベースラインだけにして、リマスターを参考に、右チャン用にも弾いた。

「全曲バイブル」には、ジョンのボーカルマイクが、ジョンの弾くアコギ、
ギブソンJ160Eの生音を拾っているとあるから、右チャンをアコギで、
左チャンのリズムギターは、アンプを通したJ160Eの音なのだろうが、
明らかにエレキの音なので、リッケンバッカーの方で、録音してみた。

この曲は、ジョンの単独曲とされ、哀愁を帯びた、いかにもジョンらしい、
メロディのうえに、ジョン得意の節回しが、さらに、せつなさを感じさせ、
2枚目の最後の曲の手前、日本編集盤のセカンドでも、B面5曲目と、
地味な位置に置かれた曲なのだが、隠れた名曲と呼んでもよいくらい。

ジョンは、ダブルトラック録音でボーカルを2回歌っていて、メロディを、
2番で変えるところは、うまく重ねたが、エンディングのフェイク部分は、
ダビングでは違う節回しで、自分が歌ったとおりに、もう一度歌うのは、
面倒だからと、後に、ADTを開発してもらったのも、こういった理由か。

ジョンの隠れた名曲で、マーティンのピアノソロが、ポール・モーリアの、
「恋は水色」とかのイージーリスニングを思わせる、名演になっている、
2枚目「ウィズ・ザ・ビートルズ」収録の、「ナット・ア・セカンド・タイム」は、
高い音程はないものの、ジョンの歌いまわしが、なかなか出せません。









ジョージ・マーティン卿の名演といえば、バロック調のピアノソロの、
「イン・マイ・ライフ」なので、2年前の拙演奏ですが、貼っておきます。





祈りをこめてスティーブ・ヴァイが奏でた「フォー・ザ・ラヴ・オブ・ゴッド」
ブロとも、エレギ師さんへ





歌伴だけでなく、ソロギターも名手、ポール・サイモンの「アンジー」
中2の頃、ビートルズに夢中になり、デパートの屋上などで、
日本一のビートルズ・コピーバンド、バッドボーイズの演奏を、
聴いたことはあったが、クラシック、フォーク、ロックを問わず、
いわゆるコンサートへ行くことは、高校生になってからもない。

そんな自分にとり、NHKの「ヤング・ミュージック・ショー」は、
海外のロックミュージシャンの演奏が見れる、貴重な番組で、
同様に、「世界のワンマン・ショー」も、主にポップス歌手だが、
海外のコンサートや、スタジオのショーが楽しめる番組だった。

「ヤング・ミュージック・ショー」は、毎週土曜日にやっていたと、
思い込んでいたが、せいぜい、月に一度くらいだったようだし、
「世界のワンマン・ショー」も、NHK制作の「ビッグ・ショー」が、
毎週日曜に放送したのとは違い、かなり不定期だったらしい。

カーペンターズのスタジオライブも、この番組だったかと思うし、
ジュリー・アンドリュースが、セサミ・ストリートのマペットたちと、
歌ったり、コントまでやり、ジョン・デンバーのライブもいくつか、
放送されたうち、この番組の枠でも見たように、記憶している。

サイモン&ガーファンクルを初めて聴いたのも、この番組で、
ポール・サイモンの単独による、公開収録したライブだったが、
途中の回想シーンで、以前収録した、アートをゲストで呼んで、
S&Gとして、ポールのギターだけを伴奏に2曲を歌ったもの。

S&Gは、名前こそ知っていたが、彼らが音楽を全面担当した、
映画「卒業」も、名画特集の番組で、エンディングを見た程度で、
たぶん、「ミセス・ロビンソン」も、「サウンド・オブ・サイレンス」も、
まともに流れていなかったろうし、ほとんど聴き流していたろう。

回想シーンで流れた、一晩限りの再結成、S&Gとしての曲は、
「ボクサー」、「スカボロー・フェア」で、伴奏のギターも良かったし、
アートの歌声は、すごく澄み渡り、ポールのハモリも、本当完璧、
これだけで、サイモン&ガーファンクルの、一気にファンになる。

ちょうど、友人がテープに録っていたので、ダビングしてもらい、
繰り返し聴いたし、母がS&Gのベスト「グレイテスト・ヒット」を、
東急プラザのコタニで、買ってきてくれたのは、よほど気に入り、
もっと聴きたいと、しつこく、ねだったのか、あまり覚えていない。

ベスト盤は、日本編集で2枚組のものや、何種類か出ていたが、
「グレイテスト・ヒット」は、当時唯一、S&G自ら選曲したもので、
コタニの店員さんが、そのあたりにも詳しくて、選んでくれたのか、
ただ、自分は1枚だけなのと、ライブ演奏もあるのが不満だった。

4曲がライブ音源で、マニアの人には、貴重なのかもしれないが、
入門者は、発売されたLPと同じ音をベスト盤で聴きたいわけで、
今でも、自分は、ベスト盤のリミックスとか、まして再録音とかは、
あまり好きでなく、それは、別物としてやってほしいと思っている。

それでも、このLPをかなり聴き込んだのと、最初に聴いた方が、
印象に残る癖もあって、「早く家に帰りたい」、「キャシーの歌」は、
ポール・サイモンのギター1本の伴奏による、ライブ版が好きで、
ある意味、ベスト盤に別の音源を入れる功罪を、体感したことに。

LPと同じ表紙のギター伴奏曲集が、シンコーから出ていたのを、
早速買い、ビートルズで覚えた、スリーフィンガー奏法と同じだと、
一番練習したのも、ライブ版の「早く家~」と、「キャシーの歌」で、
アコギの基礎練習にもなったのは、店員さんと母に感謝しないと。

FM東京「ソニー・ビッグ・スペシャル」だったか、76~77年頃に、
何週かに分けて、ビートルズの全曲を放送すると、話題になって、
その後に、S&Gも全部かける企画があって、テープが散逸して、
曖昧だが、ポール・サイモンの最初のLPもかけていた気がする。

S&Gのデビュー作が売れないまま、イギリスに渡ったポールが、
現地のフォークシーンで修行を積みながら、弾き語りに近い形で、
録音したLPで、後のS&Gで再演する曲もあるが、デビュー作と、
同じように、ギター伴奏がメイン、ほとんどフォークと呼んで良い。

このLPを聴くだけでも、ギターのテクニックが見事なのがわかり、
そのイギリス時代に、仲間から教わった曲だという「アンジー」は、
S&Gの2枚目に、ギター1本によるインスト曲として、収録され、
夜中のFMの全曲放送で聴いた際、その圧倒的なテクに大感激。

「グレイテスト・ヒット」の曲集の、ポール・サイモンの奏法解説で、
「"ANJI"というインストがあるが、テクニックを惜しげもなく披露し、
ギタリストの面目躍如」と書かれ、どんなすごい曲かと思っていて、
実際にラジオで聴いて、本当にすごくて、自分でも弾きたくなった。

当時は、「グレイテスト・ヒット」曲集以外に、弾き語りの楽譜とか、
ビートルズ奏法、チェット・アトキンス奏法といったシリーズものに、
S&G奏法まであったが、「アンジー」は、どれにも載っていなくて、
多少は耳コピしたが、低音が取れなくて、挫折したままになった。

「グレイテスト・ヒット」の奏法解説を書いたのは、ヤングギターや、
教則本でもおなじみ、アコギ界の若手筆頭とも言える大塚康一で、
その大塚が、雑誌「プレイヤー」連載講座で、満を持したというか、
77年11月号で、アンジーの全曲TAB譜を載せ、解説してくれた。

当時、日曜に雑誌と連動したラジオ、「ザ・プレイヤー・ショー」が、
放送されていて、プリズムのデビュー作も、ここで聴いたりしたが、
この待望の「アンジー」の講座の回は聞き逃してしまい、いったい、
どんな風に解説したり、模範演奏もあったのか、すごく残念に思う。、

その後、「アンジー」は、譜面を頼りに練習するが、音は分かっても、
なかなか、右手が追いつかなくて、これは、スリーフィンガーでなく、
カントリーブルースやラグタイム・ギターの、ベース・ランニングだと、
フォークギターの入門書を出し、復習するが、結局、挫折してしまう。

それから20年近くたち、山崎まさよしが、新曲「パッセージ」を出し、
やたらとテレビで演奏し、彼のギターは、カントリーブルースだぞと、
そのテクに感動して、急にアコギに気合が入ると、タイミングも良く、
リットーからは、「アコースティック・ギター・マガジン」が創刊となる。

もともと、年に1冊くらいで、ムック本「アコースティック・ギター」が、
出ていたようで、99年の夏から、年4回発行の季刊誌へとなって、
創刊号は、表紙が山崎まさよしで、特集記事がポール・サイモンと、
何だか出来すぎの内容で、その後、数年間は、買い続けることに。

駅前の文教堂に、なぜか、ムック本時代のバックナンバーもあり、
立ち読みしては、やっぱり買おうの繰り返しで、置いてあったもの、
5~7号を買い、古本屋でも、3号を探し出して、本当、この頃には、
アコギに夢中、その後冷めるも、02年押尾コータローで再燃する。

ムック「アコースティック・ギター7」に、「アンジー」が載っていたが、
メロディ譜は実音で、TABは、カポタストを2フレットにつけた形で、
自分は、TABよりも、譜面を読みに行く癖があるので、ものすごく、
混乱してしまい、絶対音階の人の苦労が、少しはわかったような。

その後、季刊誌の第19号は、表紙がサイモン&ガーファンクルで、
この掲載の「アンジー」は、ポール・サイモンが、つっかえたような、
微妙なタイミングも採譜している、気合のコピー譜で、脚注につく、
奏法解説も細かく書いてあり、じっくり取り組めば、完コピできそう。

自分の場合、他の曲でもよくあることで、最初のテーマの部分から、
メロディを間違えて覚えていて、シドラ・シー、ッラ・シドラ・シーと、
3連だと思っていたら、シドシラ・シー、ッラ・シドシラ・シーと4連で、
そのうえ、微妙にハネていて、5連符にも思える、何とも独特なノリ。

3連と思い込んだのは、プレイヤーの大塚康一のTABのせいだと、
珍しく捨てずに残した、「アンジー」(なぜか「Angie」表記)掲載号を、
引っ張り出すと、最初の小節だけは3連だが、次からは、きちんと、
16分音符になって、勝手に3連の繰り返しだと思った、自分のミス。

ポール・サイモンは、この曲に限らず、右親指にサムピックをはめ、
場合によっては、人差し指、中指にもフィンガーピックをするそうで、
自分もフォークギターを買ったときに、プラ製品で、薬指の分まで、
揃えたが、親指以外は、すごく引っ掛かるので、ほとんど使わない。

サムピックは、金属製のも買ったが、どちらも音が大きくなりすぎて、
低音弦ばかり目立って、高音弦のメロディが、かき消されてしまうし、
ピックなしの爪弾きにしても、親指と他の指との、音量のバランスが、
うまくコントロールできないので、親指は手の平ミュートで良いくらい。

クラシックギターなら、右手をブリッジに乗せるなど、言語同断だが、
だいたい、サムピックで弾くのと爪弾きとでは、指の角度も違うから、
クラシックとアコギは、左手も右手も、フォームは別とわりきったうえ、
さらに、自分が弾きやすいように、両方の折衷で、何とか弾ききった。

ちなみに、一発録音でないどころか、間違えたら、すぐにやり直して、
それも、間違えた手前の、キリの良いところから、また始めるという、
かなり手抜きというか、ズルした録音で、編集技術にたけていたら、
いくつも録音して、つないだり、パンチインするが、その作業は無理。

「アンジー」は、ポール・サイモンが、イギリスに渡っていた頃の仲間、
デイビー・グレアムの曲だが、同じくイギリスで活躍していたギタリスト、
バート・ヤンシュもカバーして、そちらのアレンジをポールは参考にし、
アルバムでの演奏になったそうで、ちょっと、いいとこ取りな気もする。

67年の未発表ライブ音源が、02年頃に、CDで出て、話題になって、
ポールのギター伴奏だけで、コンサートの全曲を演奏しているという、
まさに初期のフォークスタイルだし、ここで、演奏される「アンジー」は、
フレーズもどんどん変え、リズムも自由で、ただただ圧倒される演奏。

ところで、この曲は、どこかで聴いたことがあると、昔から思っていて、
それこそ、イギリス民謡、トラッドフォークかと思うが、実際の作曲者、
グレアムがいるわけで、よくあるコード進行なのか、テンポを落として、
口ずさむと、だんだん、サントリーウイスキーのCM曲になったりする。

日本人好みのAm(実音はBm)のコード主体なのも、多くのファンが、
挑戦したくなる理由で、YouTubeには、まさに完コピの演奏ばかりで、
クラシックに限らず、アコギ奏者も達人ばかりで、こういうのを見ると、
自分のレベルに落胆しつつ、少しでも近づきたいと、練習意欲がわく。

今から、40年近く前に聴いて、折に触れ、新しい楽譜を手に入れて、
練習を繰り返した、ポール・サイモンの「アンジー」は、年季の演奏と、
言いたいところが、何度やっても、弾けない部分は、弾けないままで、
歌よりは、ましのつもりのギターでも、まだまだ反省点は限りないです。







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