僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
中学時代、ビートルズには夢中だったが、4人のソロ作となると、
あまり聴いていなくて、買ったLPは、ジョンの「ロックンロール」と、
「シェイブド・フィッシュ」、ポールだと、「バンド・オン・ザ・ラン」に、
「ヴィーナス・アンド・マース」で、この4枚は、すごく気に入った。
ジョージでは、3枚組で箱入りの「バングラデシュ・コンサート」に、
「ジョージハリスン帝国」、リンゴとなると、1枚も買わなかったし、
ジョンやポール、ジョージが参加して、同じ曲での共演はないが、
ビートルズが揃ったと話題の「リンゴ」を、友人宅で聴いた程度。
二人きりのビートルズコピーバンドのジョージ役は、ソロ作品も、
ほぼ全部持っていたが、そのうちの何曲か、聴かせてもらっても、
アルバムを借りたり、カセットテープに録音してもらうことはせず、
ソロ作品を聴くよりは、ビートルズを繰り返し聴く方が大切だった。
その後も、ポールの「スピード・オブ・サウンド」、「USAライブ」を、
買ったくらいで、CDの時代になっても、ジョンの復帰作の2枚と、
ポールのベストを買っただけ、ジョンやポールの初期作品でさえ、
レンタルもせず、アルバムを通して聴くことなく、今に至っている。
そんな自分は、ソロ作について、あれこれ言える立場ではないが、
当時の自分にとって、そして、おそらく、世間一般にしたところで、
ジョンの「イマジン」は、今日のような特別な曲でなかったはずで、
数多いジョンの名曲の中の1つ、というくらいの位置だったと思う。
もちろん、歌詞は素晴らしくて、ビートルズ時代に、歌詞のジョン、
メロディのポールと言われたのも、うなずけるほど、メッセンジャー、
ジョンの面目躍如だろうし、そのうえに、メロディメーカーとしても、
ポールだけじゃないんだと言うくらい、ジョンらしい見事なメロディ。
75年末に出たムック本、ケイブンシャ「ザ・ビートルズ特集号」は、
13曲の楽譜が掲載、「イエスタデイ」、「レット・イット・ビー」という、
お決まりの曲以外に、ソロ作で、ジョージ「マイ・スイート・ロード」、
ポールは「ジェット」と「ジャンク」、ジョンは「イマジン」が出ていた。
ポールの「マイ・ラブ」がないから、どんな基準の選曲か不明だが、
編集者にとっては、「イマジン」は、ジョンを代表する曲だったろうし、
自分も楽譜があるからと、ギターで練習し、ジョンのソロ作のうち、
今も歌詞カードを見ないで歌える、数少ない曲の一つなのも事実。
ただ、自分にとっては、「ラブ」や「マザー」というバラードの名曲と、
ほぼ同列で、メロディだけなら、「マインド・ゲームス」の方が好きで、
ラジオで録音した「オー・マイ・ラブ」は、泣けそうなくらいの名曲で、
必死で歌詞を書きとめて、ギターでコードを探って、弾き語った曲。
歌詞の持つメッセージ性で言えば、「パワー・トゥ・ザ・ピープル」、
「平和を我等に」や、「ハッピークリスマス(戦争は終った)」があり、
「スタンド・バイ・ミー」などの、ロックン・ロールのカバーも見事だし、
「コールド・ターキー」の、ある意味、不気味な曲も、格好良かった。
ビートルズ時代も含めて、ジョンの曲には、様々な局面があったし、
ソロ作品でも、すごく幅広いわけで、「イマジン」は確かに名曲だが、
71年発売時を知らない自分であっても、今ほど歌われていたのか、
これだけが、突出していたわけじゃないだろうと、ふと思ってしまう。
文藝別冊「総特集ジョン・レノン」の、「世界が涙で濡れた日」の中で、
ダコタハウスの前に集まった人たちが、「平和を我等に」を歌い出し、
やがて大合唱になった場面が出てきて、おそらく、追悼集会も同様、
「愛こそはすべて」のプラカードを掲げた人もいたと、何かで読んだ。
「愛と平和の使者のジョン・レノン」という、ヨーコの作ったイメージと、
その象徴としての「イマジン」の扱いが、どうも、昔から苦手なので、
ついつい、嫌味たらしく書きつらねたが、この曲が名曲であることは、
間違いないわけだし、ジョンの代表曲であることにも、異論はない。
後に公開されされた映画「イマジン」で、自宅の白いピアノに向かい
ヨーコが庭の窓を開けていくにつれ、部屋に陽光が差し込む映像は、
本当に美しい場面で、冒頭、朝まだきの庭を抜けていく場面も良くて、
最後に、ジョンと見つめあうヨーコも、何となく許せてしまったりする。
この曲は、その場面のように、ほとんどジョンのピアノの弾き語りで、
ベース、ドラムは一緒に録音して、ストリングスだけ、後だったのか、
その音も、スタジオよりは、映像どおりの広い居間で録音したような、
こもったピアノの音で、リバーブも機械でなく、フロアの広がりのよう。
イントロでセンターに位置するピアノの音が、歌が入ってくる直前に、
歌をセンターにするためなのか、パンで急に、左右に音が振られて、
ピアノに、ステレオマイクか2本のマイクを立て、音を拾ったのだろう、
左チャンから、ピアノの低音域、右から高音域が、主に聴こえてくる。
バンドスコアのピアノは、イントロから、右手のみの繰り返しになり、
サビだけ、ファミレドと下がるベース音があるが、たぶん全体を通し、
ルートのベース音を左手が弾いて、バンドスコアに、よくある欠点、
シンセやベースを載せる分、楽譜の段を削って、左手が省略される。
一番最初のピアノの出だしのみ、低いドからソへと動く左手の音が、
大きく聴こえるが、市販ピアノ譜でも、そこの部分がなかったりして、
3小節目から、左手で低音を弾いているのかさえ、わからないほど、
音が小さいが、ライブでエレピを弾くのを見ると、確かに弾いている。
低音は、時にオクターブにしているようだが、ジョンはポールと違い、
ピアノは本職ではないから、下手にオクターブを入れようものなら、
ミスタッチを起こしやすいので、レコーディングは、単音にするとか、
ダビング、ヨーコに連弾してもらうとか、意地悪く、かんぐってしまう。
自分は、本職云々を言うどころか、ピアノは、ほとんど弾けなくて、
20代に、電子ピアノを買い、バイエルを途中まで、さらったレベル、
MTR録音では、もっぱらギターシンセを利用し、ピアノの音を選び、
右手、左手のパートは、別々のトラックにし、ダビングで弾いている。
この曲は、その別々に録音したものを、左手を左チャンネルに振り、
右手を右チャンにしても良いが、本物のピアノだと、そんな極端には、
音が分かれるわけないので、左右とも、2回ずつ録音して、片方を、
小さい音量にし、反対の音をマイクが拾ったよう、定位させてみた。
ピアノが弾けるなら、単にマイクを立てて、弾き語りするだけなのを、
ギターシンセで代用する分、いろいろ工夫が必要で、歌が下手な分、
できるだけ、伴奏は本物に近づけたいと、あれこれ苦労するのだが、
それが、自分の楽しみになっていて、今後も、ずっと取り組んでいく。
この歳になると、いろいろと現実を見て、音楽で世界を変えられると、
単純に思うわけないが、少なくとも、音楽に人の心を動かす力はあり、
あるときは、勇気づけられ、鼓舞され、時に、笑ったり、涙することも、
そして、それは音楽に限らず、言葉の持つ力が、詩や物語にもある。
小説や映画、さらに、絵画といった芸術が、人の心を動かすだろうし、
スポーツの名勝負や生き様、、あるいは、ちょっとした街中の風景や、
ごく普通の日常の出来事でさえ、何かを感じて、それが原動力となる、
そんなことを思う自分は、ジョン以上に夢想家の独りよがりだろうか。
ジョンの思いは、どこにあったのか、あまりに神格化されてしまって、
歌うことが、気恥ずかしくなる曲でしたが、ジョンのカバーの集大成、
この年末を飾る曲として、「イマジン」を、いつも以上に、なりきりジョン、
ボロが出るのも覚悟で、ダブルトラックの加工も控えめに、生声です。
今年も、1年間、拙ブログに訪問いただき、ありがとうございました。
独りよがりの文章や演奏に、おつきあいいただき、感謝しています。
来年も、毎週末の更新を目指しますので、よろしくお願いいたします。
みなさま、良いお年をお迎えください。
あまり聴いていなくて、買ったLPは、ジョンの「ロックンロール」と、
「シェイブド・フィッシュ」、ポールだと、「バンド・オン・ザ・ラン」に、
「ヴィーナス・アンド・マース」で、この4枚は、すごく気に入った。
ジョージでは、3枚組で箱入りの「バングラデシュ・コンサート」に、
「ジョージハリスン帝国」、リンゴとなると、1枚も買わなかったし、
ジョンやポール、ジョージが参加して、同じ曲での共演はないが、
ビートルズが揃ったと話題の「リンゴ」を、友人宅で聴いた程度。
二人きりのビートルズコピーバンドのジョージ役は、ソロ作品も、
ほぼ全部持っていたが、そのうちの何曲か、聴かせてもらっても、
アルバムを借りたり、カセットテープに録音してもらうことはせず、
ソロ作品を聴くよりは、ビートルズを繰り返し聴く方が大切だった。
その後も、ポールの「スピード・オブ・サウンド」、「USAライブ」を、
買ったくらいで、CDの時代になっても、ジョンの復帰作の2枚と、
ポールのベストを買っただけ、ジョンやポールの初期作品でさえ、
レンタルもせず、アルバムを通して聴くことなく、今に至っている。
そんな自分は、ソロ作について、あれこれ言える立場ではないが、
当時の自分にとって、そして、おそらく、世間一般にしたところで、
ジョンの「イマジン」は、今日のような特別な曲でなかったはずで、
数多いジョンの名曲の中の1つ、というくらいの位置だったと思う。
もちろん、歌詞は素晴らしくて、ビートルズ時代に、歌詞のジョン、
メロディのポールと言われたのも、うなずけるほど、メッセンジャー、
ジョンの面目躍如だろうし、そのうえに、メロディメーカーとしても、
ポールだけじゃないんだと言うくらい、ジョンらしい見事なメロディ。
75年末に出たムック本、ケイブンシャ「ザ・ビートルズ特集号」は、
13曲の楽譜が掲載、「イエスタデイ」、「レット・イット・ビー」という、
お決まりの曲以外に、ソロ作で、ジョージ「マイ・スイート・ロード」、
ポールは「ジェット」と「ジャンク」、ジョンは「イマジン」が出ていた。
ポールの「マイ・ラブ」がないから、どんな基準の選曲か不明だが、
編集者にとっては、「イマジン」は、ジョンを代表する曲だったろうし、
自分も楽譜があるからと、ギターで練習し、ジョンのソロ作のうち、
今も歌詞カードを見ないで歌える、数少ない曲の一つなのも事実。
ただ、自分にとっては、「ラブ」や「マザー」というバラードの名曲と、
ほぼ同列で、メロディだけなら、「マインド・ゲームス」の方が好きで、
ラジオで録音した「オー・マイ・ラブ」は、泣けそうなくらいの名曲で、
必死で歌詞を書きとめて、ギターでコードを探って、弾き語った曲。
歌詞の持つメッセージ性で言えば、「パワー・トゥ・ザ・ピープル」、
「平和を我等に」や、「ハッピークリスマス(戦争は終った)」があり、
「スタンド・バイ・ミー」などの、ロックン・ロールのカバーも見事だし、
「コールド・ターキー」の、ある意味、不気味な曲も、格好良かった。
ビートルズ時代も含めて、ジョンの曲には、様々な局面があったし、
ソロ作品でも、すごく幅広いわけで、「イマジン」は確かに名曲だが、
71年発売時を知らない自分であっても、今ほど歌われていたのか、
これだけが、突出していたわけじゃないだろうと、ふと思ってしまう。
文藝別冊「総特集ジョン・レノン」の、「世界が涙で濡れた日」の中で、
ダコタハウスの前に集まった人たちが、「平和を我等に」を歌い出し、
やがて大合唱になった場面が出てきて、おそらく、追悼集会も同様、
「愛こそはすべて」のプラカードを掲げた人もいたと、何かで読んだ。
「愛と平和の使者のジョン・レノン」という、ヨーコの作ったイメージと、
その象徴としての「イマジン」の扱いが、どうも、昔から苦手なので、
ついつい、嫌味たらしく書きつらねたが、この曲が名曲であることは、
間違いないわけだし、ジョンの代表曲であることにも、異論はない。
後に公開されされた映画「イマジン」で、自宅の白いピアノに向かい
ヨーコが庭の窓を開けていくにつれ、部屋に陽光が差し込む映像は、
本当に美しい場面で、冒頭、朝まだきの庭を抜けていく場面も良くて、
最後に、ジョンと見つめあうヨーコも、何となく許せてしまったりする。
この曲は、その場面のように、ほとんどジョンのピアノの弾き語りで、
ベース、ドラムは一緒に録音して、ストリングスだけ、後だったのか、
その音も、スタジオよりは、映像どおりの広い居間で録音したような、
こもったピアノの音で、リバーブも機械でなく、フロアの広がりのよう。
イントロでセンターに位置するピアノの音が、歌が入ってくる直前に、
歌をセンターにするためなのか、パンで急に、左右に音が振られて、
ピアノに、ステレオマイクか2本のマイクを立て、音を拾ったのだろう、
左チャンから、ピアノの低音域、右から高音域が、主に聴こえてくる。
バンドスコアのピアノは、イントロから、右手のみの繰り返しになり、
サビだけ、ファミレドと下がるベース音があるが、たぶん全体を通し、
ルートのベース音を左手が弾いて、バンドスコアに、よくある欠点、
シンセやベースを載せる分、楽譜の段を削って、左手が省略される。
一番最初のピアノの出だしのみ、低いドからソへと動く左手の音が、
大きく聴こえるが、市販ピアノ譜でも、そこの部分がなかったりして、
3小節目から、左手で低音を弾いているのかさえ、わからないほど、
音が小さいが、ライブでエレピを弾くのを見ると、確かに弾いている。
低音は、時にオクターブにしているようだが、ジョンはポールと違い、
ピアノは本職ではないから、下手にオクターブを入れようものなら、
ミスタッチを起こしやすいので、レコーディングは、単音にするとか、
ダビング、ヨーコに連弾してもらうとか、意地悪く、かんぐってしまう。
自分は、本職云々を言うどころか、ピアノは、ほとんど弾けなくて、
20代に、電子ピアノを買い、バイエルを途中まで、さらったレベル、
MTR録音では、もっぱらギターシンセを利用し、ピアノの音を選び、
右手、左手のパートは、別々のトラックにし、ダビングで弾いている。
この曲は、その別々に録音したものを、左手を左チャンネルに振り、
右手を右チャンにしても良いが、本物のピアノだと、そんな極端には、
音が分かれるわけないので、左右とも、2回ずつ録音して、片方を、
小さい音量にし、反対の音をマイクが拾ったよう、定位させてみた。
ピアノが弾けるなら、単にマイクを立てて、弾き語りするだけなのを、
ギターシンセで代用する分、いろいろ工夫が必要で、歌が下手な分、
できるだけ、伴奏は本物に近づけたいと、あれこれ苦労するのだが、
それが、自分の楽しみになっていて、今後も、ずっと取り組んでいく。
この歳になると、いろいろと現実を見て、音楽で世界を変えられると、
単純に思うわけないが、少なくとも、音楽に人の心を動かす力はあり、
あるときは、勇気づけられ、鼓舞され、時に、笑ったり、涙することも、
そして、それは音楽に限らず、言葉の持つ力が、詩や物語にもある。
小説や映画、さらに、絵画といった芸術が、人の心を動かすだろうし、
スポーツの名勝負や生き様、、あるいは、ちょっとした街中の風景や、
ごく普通の日常の出来事でさえ、何かを感じて、それが原動力となる、
そんなことを思う自分は、ジョン以上に夢想家の独りよがりだろうか。
ジョンの思いは、どこにあったのか、あまりに神格化されてしまって、
歌うことが、気恥ずかしくなる曲でしたが、ジョンのカバーの集大成、
この年末を飾る曲として、「イマジン」を、いつも以上に、なりきりジョン、
ボロが出るのも覚悟で、ダブルトラックの加工も控えめに、生声です。
今年も、1年間、拙ブログに訪問いただき、ありがとうございました。
独りよがりの文章や演奏に、おつきあいいただき、感謝しています。
来年も、毎週末の更新を目指しますので、よろしくお願いいたします。
みなさま、良いお年をお迎えください。
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ビートルズの公式曲の213曲には、クリスマスソングはなく、
歌詞の中にも、「雪が降る」だとか「鈴が鳴る」といったような、
言い回しさえないが、その代わりに、ジョンの名曲があるさと、
自分などは、この時期、その曲をやたらと聴くことで満足する。
ただ、これは、ジョン派の自分に、限ったことなのかもしれず、
ポールもジョージも、ソロでクリスマスソングをしっかり出して、
そのうえ、ビートルズの番外編、アンソロジー・プロジェクトで、
「フリー・アズ・ア・バード」のシングルB面が、クリスマスの曲。
「クリスマス・タイム」と題した曲は、現役時代のビートルズが、
ファンクラブの特典として、クリスマスのメッセージを録音した、
ソノシートを毎年プレゼントした中から、67年のものに収録、
4人の共作として、コーラスもしっかりした演奏になっている。
このソノシートは、海賊盤になっていて、中学時代に買ったが、
4人のおしゃべりに、鼻歌程度の弾き語りが大半だったから、
1~2回聴いたくらいで、レコード棚の奥へ、しまいこんでいて、
ビートルズには、クリスマスソングはないと、ずっと思っていた。
YouTubeで、「クリスマス・タイム」を聴くと、すごく楽しい曲で、
4人が仲良く歌って、しゃべっているが、公式アルバムとなると、
収録するほどではなく、「ユー・ノー・マイ・ネーム」のおふざけ、
「オール・トゥゲザー・ナウ」の子供向け(?)が、混ざった曲調。
クリスマスの定番曲には、ちょっと、ならないだろうと思えるが、
ジョンの曲、「ハッピー・クリスマス(戦争が終った)」にしても、
愛聴するのは、自分や一部のファンくらい、世間一般となると、
どこまで知られているのかと、ちょっと被害妄想気味にもなる。
「ジングルベル」や「きよしこの夜」は別格として、年長者ならば、
「ホワイト・クリスマス」、洋楽好きには、ワム「ラスト・クリスマス」、
お茶の間だと、言わずと知れた、山下達郎の「クリスマス・イヴ」、
インストでは、坂本龍一「戦場のメリークリスマス」を挙げる人も。
「ホテル・カリフォルニア」が大ヒットした、全盛期のイーグルスが、
クリスマスソングを出しても定番にならず、国内も、オフコースが、
「さよなら」や「Yes No」の、シングルヒットを連発していた頃の、
「愛の中へ」のB面、「クリスマス・デイ」は、そう広まらなかった。
ジョンの「ハッピー・クリスマス」も、71年のシングル盤の発売時、
あまりヒットしなかったそうで、クリスマスソングとして時期が微妙、
12月1日発売は、早すぎたとも、遅すぎたとも言われ、どのみち、
タイミングを逃したのは事実、季節ものの曲ゆえの難しいところか。
そして、皮肉なことに、ジョンが亡くなった途端、「平和を我等に」、
「イマジン」と合わせて、ヒットチャートを駆け上がり、ヨーコによる、
愛と平和の使者、ジョン・レノン運動とも合わさり、一般大衆にも、
次第に浸透したようだが、ビートルズに興味ない人には、どうか。
この曲は、基本的に、ギターの弾き語りとコーラスで成立するが、
バンドスコアに出ている、ギター、ベース、ドラム、ストリングスを、
楽譜に忠実に演奏し、レコードをよく聴くと、ピアノが途中で加わり、
鐘の音、鈴の音、タンバリンの音までするので、なるべく似せた。
ジョンの3連のコードストロークによる、弾き語りのように始まって、
バックに、アコギかマンドリンの、ピック弾きによるトレモロ奏法で、
コード進行に沿ったフレーズが鳴り続け、コードを鳴らすアコギは、
ステレオで振ったようで、多少ストロークを変えた2本のようにも。
サビでヨーコのメインボーカルとなると、少年少女合唱団も加わり、
再びジョンのメロディーに戻った時に、合唱団は別のメロディーで、
「戦争は終わる。」と歌うのは、「アイ・ガッタ・フィーリング」の後半、
ジョンとポールが、別のメロディーを、同時に歌ったのを思い出す。
サイモン&ガーファンクル「スカボロー・フェア」も、元の伝承歌に、
途中から、別のメロディが加わって、反戦的な歌詞になるところは、
ジョンに先駆けていたような気がして、単に平和とか反戦となると、
フォークの連中が元祖で、愛と平和のジョンは、遅れを取った形に。
合唱は、ハーレム・コミュニティ合唱団で、実際に存在したものか、
録音用に子供たちを集めて、名称だけ、プラスチック・オノ・バンド、
エレファンツ・メモリーのようにつけたのか、詳しいことは不明だが、
子供たちの歌声、それもユニゾンで、飾りのない歌声がジンとくる。
本当、ここは、子供たちの歌声だから良いので、自分の子供らの、
学芸会や合唱コンクールを思い出しても、高学年や中学生による、
高度なハーモニーより、低学年が、単純なユニゾンや2声ハモを、
必死に声を張り上げ、ひっくり返ったり、かすれた歌声に感涙した。
それで、ここやら、ヨーコのパートを、いい歳した大の男が歌うのは、
ジョンやポールの歌以上に無理があるのだが、シンセの音だけで、
流してみても、あまりに雰囲気が違うから、必死に高音の裏声にし、
聖歌隊のようにならないかと、20回歌った音を重ね、左右に振る。
ただ、1人きりの声で、ユニゾンのコーラスを、いくら重ねたところで、
タブルトラックが、何重にもなるだけ、決して合唱団のようにならず、
山下達郎やクイーンは、歌唱力は置いといて、どのように録音して、
第九の大合唱とかオペラのようなコーラスを、再現できるのだろうか。
曲の冒頭、ヨーコとジョンの囁きが聞えて、自分が昔買ったベスト盤、
「シェイブド・フィッシュ」の付録歌詞カードには、「ハッピークリスマス、
ヨーコ、ハッピークリスマス、ジョン」と書いてあり、仲良く、お互いに、
クリスマスのお祝いを言っているように思えたが、そうではなかった。
ヨーコ、ジョンの順に語りかけるから、それぞれ、自分に話すという、
何とも奇妙だったが、バンドスコアでは、キョーコとジュリアンとなり、
これが正しい2人の台詞、離婚して別居した、それぞれの子供らへ、
クリスマスのメッセージを伝えていたという、何とも、感動的な展開。
とは言え、前回の記事に書いたが、「スタンド・バイ・ミー」のPVで、
「ハロー、ジュリアン」と呼びかけるのを、シンシアは、どう思ったか、
ヨーコの場合、京子の居場所もわからず、探していた経緯もあるが、
ジョンとなると、単なる身勝手な父親の、自己満足とも言われそう。
毎年、ブログの演奏で、クリスマスにちなんだ曲をと、頭を悩ますが、
これだけビートルズを歌ってきたからは、ジョンのクリスマスソングも、
許されるかなと、いつも以上に、ヨーコ、合唱団と無理があるものの、
「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」を、声をふりしぼっています。
歌詞の中にも、「雪が降る」だとか「鈴が鳴る」といったような、
言い回しさえないが、その代わりに、ジョンの名曲があるさと、
自分などは、この時期、その曲をやたらと聴くことで満足する。
ただ、これは、ジョン派の自分に、限ったことなのかもしれず、
ポールもジョージも、ソロでクリスマスソングをしっかり出して、
そのうえ、ビートルズの番外編、アンソロジー・プロジェクトで、
「フリー・アズ・ア・バード」のシングルB面が、クリスマスの曲。
「クリスマス・タイム」と題した曲は、現役時代のビートルズが、
ファンクラブの特典として、クリスマスのメッセージを録音した、
ソノシートを毎年プレゼントした中から、67年のものに収録、
4人の共作として、コーラスもしっかりした演奏になっている。
このソノシートは、海賊盤になっていて、中学時代に買ったが、
4人のおしゃべりに、鼻歌程度の弾き語りが大半だったから、
1~2回聴いたくらいで、レコード棚の奥へ、しまいこんでいて、
ビートルズには、クリスマスソングはないと、ずっと思っていた。
YouTubeで、「クリスマス・タイム」を聴くと、すごく楽しい曲で、
4人が仲良く歌って、しゃべっているが、公式アルバムとなると、
収録するほどではなく、「ユー・ノー・マイ・ネーム」のおふざけ、
「オール・トゥゲザー・ナウ」の子供向け(?)が、混ざった曲調。
クリスマスの定番曲には、ちょっと、ならないだろうと思えるが、
ジョンの曲、「ハッピー・クリスマス(戦争が終った)」にしても、
愛聴するのは、自分や一部のファンくらい、世間一般となると、
どこまで知られているのかと、ちょっと被害妄想気味にもなる。
「ジングルベル」や「きよしこの夜」は別格として、年長者ならば、
「ホワイト・クリスマス」、洋楽好きには、ワム「ラスト・クリスマス」、
お茶の間だと、言わずと知れた、山下達郎の「クリスマス・イヴ」、
インストでは、坂本龍一「戦場のメリークリスマス」を挙げる人も。
「ホテル・カリフォルニア」が大ヒットした、全盛期のイーグルスが、
クリスマスソングを出しても定番にならず、国内も、オフコースが、
「さよなら」や「Yes No」の、シングルヒットを連発していた頃の、
「愛の中へ」のB面、「クリスマス・デイ」は、そう広まらなかった。
ジョンの「ハッピー・クリスマス」も、71年のシングル盤の発売時、
あまりヒットしなかったそうで、クリスマスソングとして時期が微妙、
12月1日発売は、早すぎたとも、遅すぎたとも言われ、どのみち、
タイミングを逃したのは事実、季節ものの曲ゆえの難しいところか。
そして、皮肉なことに、ジョンが亡くなった途端、「平和を我等に」、
「イマジン」と合わせて、ヒットチャートを駆け上がり、ヨーコによる、
愛と平和の使者、ジョン・レノン運動とも合わさり、一般大衆にも、
次第に浸透したようだが、ビートルズに興味ない人には、どうか。
この曲は、基本的に、ギターの弾き語りとコーラスで成立するが、
バンドスコアに出ている、ギター、ベース、ドラム、ストリングスを、
楽譜に忠実に演奏し、レコードをよく聴くと、ピアノが途中で加わり、
鐘の音、鈴の音、タンバリンの音までするので、なるべく似せた。
ジョンの3連のコードストロークによる、弾き語りのように始まって、
バックに、アコギかマンドリンの、ピック弾きによるトレモロ奏法で、
コード進行に沿ったフレーズが鳴り続け、コードを鳴らすアコギは、
ステレオで振ったようで、多少ストロークを変えた2本のようにも。
サビでヨーコのメインボーカルとなると、少年少女合唱団も加わり、
再びジョンのメロディーに戻った時に、合唱団は別のメロディーで、
「戦争は終わる。」と歌うのは、「アイ・ガッタ・フィーリング」の後半、
ジョンとポールが、別のメロディーを、同時に歌ったのを思い出す。
サイモン&ガーファンクル「スカボロー・フェア」も、元の伝承歌に、
途中から、別のメロディが加わって、反戦的な歌詞になるところは、
ジョンに先駆けていたような気がして、単に平和とか反戦となると、
フォークの連中が元祖で、愛と平和のジョンは、遅れを取った形に。
合唱は、ハーレム・コミュニティ合唱団で、実際に存在したものか、
録音用に子供たちを集めて、名称だけ、プラスチック・オノ・バンド、
エレファンツ・メモリーのようにつけたのか、詳しいことは不明だが、
子供たちの歌声、それもユニゾンで、飾りのない歌声がジンとくる。
本当、ここは、子供たちの歌声だから良いので、自分の子供らの、
学芸会や合唱コンクールを思い出しても、高学年や中学生による、
高度なハーモニーより、低学年が、単純なユニゾンや2声ハモを、
必死に声を張り上げ、ひっくり返ったり、かすれた歌声に感涙した。
それで、ここやら、ヨーコのパートを、いい歳した大の男が歌うのは、
ジョンやポールの歌以上に無理があるのだが、シンセの音だけで、
流してみても、あまりに雰囲気が違うから、必死に高音の裏声にし、
聖歌隊のようにならないかと、20回歌った音を重ね、左右に振る。
ただ、1人きりの声で、ユニゾンのコーラスを、いくら重ねたところで、
タブルトラックが、何重にもなるだけ、決して合唱団のようにならず、
山下達郎やクイーンは、歌唱力は置いといて、どのように録音して、
第九の大合唱とかオペラのようなコーラスを、再現できるのだろうか。
曲の冒頭、ヨーコとジョンの囁きが聞えて、自分が昔買ったベスト盤、
「シェイブド・フィッシュ」の付録歌詞カードには、「ハッピークリスマス、
ヨーコ、ハッピークリスマス、ジョン」と書いてあり、仲良く、お互いに、
クリスマスのお祝いを言っているように思えたが、そうではなかった。
ヨーコ、ジョンの順に語りかけるから、それぞれ、自分に話すという、
何とも奇妙だったが、バンドスコアでは、キョーコとジュリアンとなり、
これが正しい2人の台詞、離婚して別居した、それぞれの子供らへ、
クリスマスのメッセージを伝えていたという、何とも、感動的な展開。
とは言え、前回の記事に書いたが、「スタンド・バイ・ミー」のPVで、
「ハロー、ジュリアン」と呼びかけるのを、シンシアは、どう思ったか、
ヨーコの場合、京子の居場所もわからず、探していた経緯もあるが、
ジョンとなると、単なる身勝手な父親の、自己満足とも言われそう。
毎年、ブログの演奏で、クリスマスにちなんだ曲をと、頭を悩ますが、
これだけビートルズを歌ってきたからは、ジョンのクリスマスソングも、
許されるかなと、いつも以上に、ヨーコ、合唱団と無理があるものの、
「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」を、声をふりしぼっています。

74年、中2の夏に、ビートルズの映画を見たのをきっかけに、
ビートルズのファンになったが、もう解散してしまっていたから、
必然的に、全部のアルバムを、後追いの形で聴くことになって、
前期から入ったとはいえ、リアルタイム世代とは印象が異なる。
解散後のソロ活動も、すでに、4人とも盛んに行っていたから、
ジョンの「ラブ」「マザー」に「イマジン」や、ポールの「マイ・ラブ」、
「バンド・オン・ザ・ラン」、ジョージは「マイ・スイート・ロード」で、
リンゴだと「想い出のフォトグラフ」と、ソロ代表曲も、後追いに。
そのうえ、まずは、ビートルズのLPを、少しずつ買い集めたり、
友人に借りたり、ラジオ録音していたから、ソロアルバムまでは、
そうそう手が回らず、リアルタイムの新譜として、LP買ったのは、
ジョンの「ロックン・ロール」、ポールなら「ヴィーナス&マーズ」。
「ロックン・ロール」は、ビートルズ復活祭などフィルム上映会で、
「スタンド・バイ・ミー」を見て、ヘッドフォンしながらギターを弾き、
シャウトするジョンの姿が、本当に格好良くて、ジョンを意識した、
マッシュルームカットを、もっと伸ばしたくなるが、中坊では無理。
今では、嘘みたいだが、自分が中3だった、75年の頃でさえも、
ビートルズを真似て、耳が隠れるくらいに、髪を伸ばしただけで、
職員室に呼ばれ、短く切れと説教くらい、私立高校へ行っても、
校則違反でないのに、担任からは、何かにつけて、注意された。
当時の自分の憧れ、日本一のビートルズのコピーバンドである、
バッドボーイズが、渋谷道玄坂のヤマハで、ライブをした時には
もうオリジナル曲を出して、ビートルズの曲を演奏しなくなったが、
バッドボーイズのジョンは、髪を伸ばし、帽子を被った姿で登場。
ちょっとしたこだわりなのか、ジョンがミュージックフィルムで歌う、
「スタンド・バイ・ミー」や、「スリッピン・アンド・スライディング」を、
あえて避けたように、「リップ・イット・アップ~レディ・テディ」を歌い、
ギターもリッケン325でなく、ナチュラル色の330を抱えていた。
ビートルズも後追いなら、バッドボーイズも後追いだったわけで、
日本編集のデビュー盤「ビートルズ!」を、ジャケットも完コピの、
「ミート・ザ・バッドボーイズ」を聴きまくって、目指す目標にしても、
それらの曲を生で聴くことはなく、解散後のカバーが聴けた程度。
その後、青山VAN99ホールで、オリジナルとビートルズの曲の、
2部構成のライブを見たが、ビートルズは、ほぼ後期の曲ばかり、
大半は、ウィングスの曲で、ジョンのも、「ロックンロール」の数曲、
どうせなら、「スタンド・バイ・ミー」を聴きたいが、やってくれない。
同級生のジョージ役と、2人きりのビートルズ・コピーバンドでは、
ビートルズの全曲コピーを目指しながら、バッドボーイズがやる、
ジョンやポールの曲も真似して、2人で演奏し、その気になるが、
「スタンド・バイ・ミー」は、自分一人で弾き語りして、満足していた。
この曲は、イントロのジョンの、アコギのカッティングがすべてで、
ここの刻みが決まるかどうかで、カバーの出来まで左右するほど、
ジョンのアコギの刻み方は、ミュートやアップのひっかけが絶妙で、
リンゴの「オンリー・ユー」でも、ジョンとわかる存在感あるギター。
ビートルズ時代、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の前半もイントロから、
ジョンのアコギが曲を引っ張っていて、このニュアンスは難しくて、
かなり前から、少しずつオケを作っているが、オーケストラよりも、
アコギがまともに弾けずに、挫折したままで、アップは当分無理。
「スタンド・バイ・ミー」のアコギの刻みは、ダウンでミュート(消音)、
アップのひっかけで、コードを鳴らすと、ずっと思っていたのだが、
バンドスコアでは、ミュートは16分音符で2回、ズンチャッではなく、
ツクチャッという感じで、それだと、コード音はダウンピッキングに。
音源をよく聴くと、確かにブラッシングのミュートは2回鳴っていて、
ジョンの演奏する姿では、左右とも手元までは映ってはいないが、
肩から腕が、細かくは動かないので、16分音符で刻まず、普通に、
8分音符のダウンアップのはずで、そうなるとミュートは別録音か。
ただ、レコードに比べて、PVのほうは、ギターがクリアに聴こえて、
レコードでは、ディレイが強くて、ディレイ音が16分音符遅れたり、
ジョンのミュートが、ピックのこする音と、右手を弦にぶつける音が、
微妙にずれていて、16分音符のノリになるのと、複合作用のよう。
自分のMTR録音は、いつも、エレキギターもアコギもライン録りで、
アンプもマイクも使わないが、アコギのミュートの音がこもっていて、
歯切れが悪く、貧相すぎるので、上に書いたような迷いもあるから、
ミュートを別チャンネルに録音すると、貧相な音は変わらないまま。
マイクで録音すると、アコギのボディのこすれる雑音とかは出るが、
面白いくらいに、ミュート音がシャキッとして、けっこうそれらしくて、
そこは何とかなったものの、イントロのオルガンだけをバックにして、
ジョンのギター1本で、リズム全体を引っ張っていくノリが出せない。
結局、このイントロの8小節だけは、別のトラックにすることにして、
ある程度、全部のオケを作ってから、8小節だけを何度もやり直し、
レコードに合わせて30分は練習し、1時間ほどイントロだけ録音、
その繰り返しを、この1週間続けて、それでも、ジョンのノリは困難。
いつも、自分の歌のひどい点を、演奏でカバーしてきたつもりだが、
この曲では、ギターまで、リズム音痴との戦いで、時間を取られて、
歌入れは、時間がかけられず、ただ、歌は、ちょっとや、そっとでは、
急に上達しないから、やはりオケ作りのほうに、力を入れることに。
PVでのジョンの歌は、レコードとは、ところどころ歌い回しが違って、
フィルム用に歌だけ録音したのか、スタジオライブ形式で録画して、
レコードが、その演奏や歌を編集したのか、細かい点は不明だが、
PVでは、エンディングが明らかに編集で繋いで、順番まで異なる。
間奏のギターソロで、ジョンは、「ハロー、ジュリアン」と語りかけて、
前作「心の壁・愛の橋」の「ヤ・ヤ」で、ドラムを叩いたジュリアンが、
PV撮影時に、スタジオにいたという説もあるが、いなかったしても、
カメラを通じて、ジュリアンに、自分の姿を見せたかったのだろうか。
当のジュリアンは、ともかく、シンシアにしたら、妻子を捨てたうえに、
ヨーコと故国イギリスを去っておいて、何を今さら、どの面を下げて、
ハローだって、いったい、どの口が言わせるんだと、ムッとしたかと、
勝手に想像してしまうが、ジョンにしたら、本当ドヤ顔、満面の笑み。
やはり、PVのみだが、最後には、「イギリスのみんな、元気かな?
こちらはニューヨーク。」などと、ご機嫌で語っていて、そのうえに、
「君らのために歌うよ」と言ってから、舌を出して、歌を続けるという、
ジョンは、昔ながらののロックを演奏し、本当、楽しかったのだろう。
同じアルバムの「ジャスト・ビコーズ」で、ナレーションが続く部分は、
未発表テイクで、「リンゴ、ポール、ジョージ、元気にしてるか?」と、
語りかけていて、これが実に泣ける、泣ける、アメリカ移住した後は、
ジョンは、何度かは、イギリス、故郷に帰ることはあったのだろうか。
再結成話はファンの押し付けだが、一度くらい4人で一同に集まり、
昔話に、花を咲かせたかったんじゃないか、何度かダコタハウスに、
ポールが訪ねたらしいけど、ちゃんと、仲良く話せたのかな、などと、
ちょっとしたジョンの語りにも、過剰に反応してしまう悪い癖が出る。
このジョンの「スタンド・バイ・ミー」は、ベン・E・キングによる原曲を、
あの映画の主題歌で聴くまで、こんなにアレンジが違うとは知らず、
申し訳ないが、映画の方に違和感を感じ、サビの繰り返しにしても、
ジョンの歌い回しの方が聴きなれていて、まさに刷り込みのすごさ。
中学時代、リアルタイムの新曲として聴き、LPも新譜として買った、
ジョンの「ロックン・ロール」から、PVも見事な「スタンド・バイ・ミー」、
ジョンのイントロのアコギが難しく、甲高いシャウトもきついですが、
語りも追加した、なりきりジョンで、気分はPVのヘッドフォン姿です。
ビートルズのファンになったが、もう解散してしまっていたから、
必然的に、全部のアルバムを、後追いの形で聴くことになって、
前期から入ったとはいえ、リアルタイム世代とは印象が異なる。
解散後のソロ活動も、すでに、4人とも盛んに行っていたから、
ジョンの「ラブ」「マザー」に「イマジン」や、ポールの「マイ・ラブ」、
「バンド・オン・ザ・ラン」、ジョージは「マイ・スイート・ロード」で、
リンゴだと「想い出のフォトグラフ」と、ソロ代表曲も、後追いに。
そのうえ、まずは、ビートルズのLPを、少しずつ買い集めたり、
友人に借りたり、ラジオ録音していたから、ソロアルバムまでは、
そうそう手が回らず、リアルタイムの新譜として、LP買ったのは、
ジョンの「ロックン・ロール」、ポールなら「ヴィーナス&マーズ」。
「ロックン・ロール」は、ビートルズ復活祭などフィルム上映会で、
「スタンド・バイ・ミー」を見て、ヘッドフォンしながらギターを弾き、
シャウトするジョンの姿が、本当に格好良くて、ジョンを意識した、
マッシュルームカットを、もっと伸ばしたくなるが、中坊では無理。
今では、嘘みたいだが、自分が中3だった、75年の頃でさえも、
ビートルズを真似て、耳が隠れるくらいに、髪を伸ばしただけで、
職員室に呼ばれ、短く切れと説教くらい、私立高校へ行っても、
校則違反でないのに、担任からは、何かにつけて、注意された。
当時の自分の憧れ、日本一のビートルズのコピーバンドである、
バッドボーイズが、渋谷道玄坂のヤマハで、ライブをした時には
もうオリジナル曲を出して、ビートルズの曲を演奏しなくなったが、
バッドボーイズのジョンは、髪を伸ばし、帽子を被った姿で登場。
ちょっとしたこだわりなのか、ジョンがミュージックフィルムで歌う、
「スタンド・バイ・ミー」や、「スリッピン・アンド・スライディング」を、
あえて避けたように、「リップ・イット・アップ~レディ・テディ」を歌い、
ギターもリッケン325でなく、ナチュラル色の330を抱えていた。
ビートルズも後追いなら、バッドボーイズも後追いだったわけで、
日本編集のデビュー盤「ビートルズ!」を、ジャケットも完コピの、
「ミート・ザ・バッドボーイズ」を聴きまくって、目指す目標にしても、
それらの曲を生で聴くことはなく、解散後のカバーが聴けた程度。
その後、青山VAN99ホールで、オリジナルとビートルズの曲の、
2部構成のライブを見たが、ビートルズは、ほぼ後期の曲ばかり、
大半は、ウィングスの曲で、ジョンのも、「ロックンロール」の数曲、
どうせなら、「スタンド・バイ・ミー」を聴きたいが、やってくれない。
同級生のジョージ役と、2人きりのビートルズ・コピーバンドでは、
ビートルズの全曲コピーを目指しながら、バッドボーイズがやる、
ジョンやポールの曲も真似して、2人で演奏し、その気になるが、
「スタンド・バイ・ミー」は、自分一人で弾き語りして、満足していた。
この曲は、イントロのジョンの、アコギのカッティングがすべてで、
ここの刻みが決まるかどうかで、カバーの出来まで左右するほど、
ジョンのアコギの刻み方は、ミュートやアップのひっかけが絶妙で、
リンゴの「オンリー・ユー」でも、ジョンとわかる存在感あるギター。
ビートルズ時代、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の前半もイントロから、
ジョンのアコギが曲を引っ張っていて、このニュアンスは難しくて、
かなり前から、少しずつオケを作っているが、オーケストラよりも、
アコギがまともに弾けずに、挫折したままで、アップは当分無理。
「スタンド・バイ・ミー」のアコギの刻みは、ダウンでミュート(消音)、
アップのひっかけで、コードを鳴らすと、ずっと思っていたのだが、
バンドスコアでは、ミュートは16分音符で2回、ズンチャッではなく、
ツクチャッという感じで、それだと、コード音はダウンピッキングに。
音源をよく聴くと、確かにブラッシングのミュートは2回鳴っていて、
ジョンの演奏する姿では、左右とも手元までは映ってはいないが、
肩から腕が、細かくは動かないので、16分音符で刻まず、普通に、
8分音符のダウンアップのはずで、そうなるとミュートは別録音か。
ただ、レコードに比べて、PVのほうは、ギターがクリアに聴こえて、
レコードでは、ディレイが強くて、ディレイ音が16分音符遅れたり、
ジョンのミュートが、ピックのこする音と、右手を弦にぶつける音が、
微妙にずれていて、16分音符のノリになるのと、複合作用のよう。
自分のMTR録音は、いつも、エレキギターもアコギもライン録りで、
アンプもマイクも使わないが、アコギのミュートの音がこもっていて、
歯切れが悪く、貧相すぎるので、上に書いたような迷いもあるから、
ミュートを別チャンネルに録音すると、貧相な音は変わらないまま。
マイクで録音すると、アコギのボディのこすれる雑音とかは出るが、
面白いくらいに、ミュート音がシャキッとして、けっこうそれらしくて、
そこは何とかなったものの、イントロのオルガンだけをバックにして、
ジョンのギター1本で、リズム全体を引っ張っていくノリが出せない。
結局、このイントロの8小節だけは、別のトラックにすることにして、
ある程度、全部のオケを作ってから、8小節だけを何度もやり直し、
レコードに合わせて30分は練習し、1時間ほどイントロだけ録音、
その繰り返しを、この1週間続けて、それでも、ジョンのノリは困難。
いつも、自分の歌のひどい点を、演奏でカバーしてきたつもりだが、
この曲では、ギターまで、リズム音痴との戦いで、時間を取られて、
歌入れは、時間がかけられず、ただ、歌は、ちょっとや、そっとでは、
急に上達しないから、やはりオケ作りのほうに、力を入れることに。
PVでのジョンの歌は、レコードとは、ところどころ歌い回しが違って、
フィルム用に歌だけ録音したのか、スタジオライブ形式で録画して、
レコードが、その演奏や歌を編集したのか、細かい点は不明だが、
PVでは、エンディングが明らかに編集で繋いで、順番まで異なる。
間奏のギターソロで、ジョンは、「ハロー、ジュリアン」と語りかけて、
前作「心の壁・愛の橋」の「ヤ・ヤ」で、ドラムを叩いたジュリアンが、
PV撮影時に、スタジオにいたという説もあるが、いなかったしても、
カメラを通じて、ジュリアンに、自分の姿を見せたかったのだろうか。
当のジュリアンは、ともかく、シンシアにしたら、妻子を捨てたうえに、
ヨーコと故国イギリスを去っておいて、何を今さら、どの面を下げて、
ハローだって、いったい、どの口が言わせるんだと、ムッとしたかと、
勝手に想像してしまうが、ジョンにしたら、本当ドヤ顔、満面の笑み。
やはり、PVのみだが、最後には、「イギリスのみんな、元気かな?
こちらはニューヨーク。」などと、ご機嫌で語っていて、そのうえに、
「君らのために歌うよ」と言ってから、舌を出して、歌を続けるという、
ジョンは、昔ながらののロックを演奏し、本当、楽しかったのだろう。
同じアルバムの「ジャスト・ビコーズ」で、ナレーションが続く部分は、
未発表テイクで、「リンゴ、ポール、ジョージ、元気にしてるか?」と、
語りかけていて、これが実に泣ける、泣ける、アメリカ移住した後は、
ジョンは、何度かは、イギリス、故郷に帰ることはあったのだろうか。
再結成話はファンの押し付けだが、一度くらい4人で一同に集まり、
昔話に、花を咲かせたかったんじゃないか、何度かダコタハウスに、
ポールが訪ねたらしいけど、ちゃんと、仲良く話せたのかな、などと、
ちょっとしたジョンの語りにも、過剰に反応してしまう悪い癖が出る。
このジョンの「スタンド・バイ・ミー」は、ベン・E・キングによる原曲を、
あの映画の主題歌で聴くまで、こんなにアレンジが違うとは知らず、
申し訳ないが、映画の方に違和感を感じ、サビの繰り返しにしても、
ジョンの歌い回しの方が聴きなれていて、まさに刷り込みのすごさ。
中学時代、リアルタイムの新曲として聴き、LPも新譜として買った、
ジョンの「ロックン・ロール」から、PVも見事な「スタンド・バイ・ミー」、
ジョンのイントロのアコギが難しく、甲高いシャウトもきついですが、
語りも追加した、なりきりジョンで、気分はPVのヘッドフォン姿です。

中学時代、ビートルズ一辺倒だった自分だが、高校に入ると、
パープルやツェッペリンを、軽々と弾く友人たちに刺激されて、
ジェフ・ベックを聴くようになって、そのまま、クロスオーバーや、
フュージョン、ジャズを、ギター中心に、聴きまくるようになる。
コピーバンドのビートルマニアや、パロディのラトルズのLPを、
買うことはあっても、ソロの4人の動向には、あまり興味がなく、
ジョンがハウス・ハズバンド、主夫業に徹して、引退同然とは、
まったく知らず、自分にとっても、空白の5年間だったと言える。
80年1月、来日したポールが、羽田空港で逮捕された時にも、
もともと、コンサートのチケットを、取ろうともしていなかったし、
同年11月に、ジョンが、数年振りとなる新曲を出した時でさえ、
そんなに活動していなかったっけと、すぐには飛びつかない。
ジョンの復帰シングルとなる、「スターティング・オーヴァー」が、
ラジオで盛んに流れ、ああ、これこそジョンの声、メロディだと、
すごく嬉しくなったのだが、LPの半分がヨーコの曲だと知って、
これは、買わなくて良い、レンタルかエアチェックで十分と思う。
「ウーマン」もラジオで聴いたろうか、ヨーコの曲まで流れたが、
やたらと、「スターティング・オーヴァー」ばかりを、聴いた印象で、
それより、ジョンが復帰したから、ビートルズは再結成しないか、
本人たちには迷惑だろうが、ファンとして、夢が膨らんでいった。
その期待は、あの日、12月8日に、無残にも打ち砕かれるが、
最初に知ったのは、こちらの9日、午後の配達から戻った父が、
「お前の好きなジョンが撃たれたって、ラジオで言っている。」と、
声をかけてきたので、初めは、たちの悪い父の冗談かと思った。
中学時代、ジョンと同じギターが欲しいと大騒ぎし、買ってもらい、
大学に入っても、プロになりたいとギター教室に通っているから、
配達を手伝わない自分への嫌がらせ、思いつく名前が、ちょうど、
ラジオで新曲が流れでもしたジョンだろうと、たかをくくっていた。
ところが、どうも嘘でもないようで、慌てて、テレビをつけてみると、
ジョンのニュースをやっていて、細かい記憶はとんでしまったが、
最初は、誰かに撃たれて、病院へ搬送されたという報道の仕方、
ヨーコが付き添い、ジュリアンも駆けつけたと言っていた気がする。
ヨーコと並ぶジュリアンらしき写真が出て、ジョンにそっくりだなと、
何となく冷静に見ながら、あちこちのチャンネルを回していたが、
あとで考えると、ジュリアンが、イギリスから向かうのは翌日らしく、
病院前の写真などあるわけもなく、報道も混乱していたのだろう。
やがて、ジョンは亡くなったと、ニュースの論調が切り替わった時、
その瞬間の衝撃、気持ちは、いったい、どう表せばよいのだろう、
息が詰まる、茫然自失、怒り、悲しみ、何一つ浮かばない真っ白、
おそらく、世界中が、似たような思いを、それぞれに感じただろう。
いてもたってもいられず、思いつくのは、中学時代、二人きりの、
ビートルズコピーバンドを組んだ、ジョージ役の友人ただ一人で、
数年振りで電話をかけると、向こうも、何で、かけてきたのかは、
わかっているようで、久しぶりの挨拶もなく、「なあ」、「うん」程度。
しばらく、お互いに無言で、何か言おうと思って、口を出たのが、
「もう、再結成できなくなっちゃったね。」で、すると、ジョージ役は、
急に、怒ったように、「そういう問題じゃないだろう。」と怒鳴ったが、
その声は泣いていたし、こっちも、「ごめん。」と返すのが精一杯。
その後も、会話はすることないまま、「じゃあ、また」と電話を切り、
部屋に戻ると、ビートルズやジョンのLPを聴き、ラジオをつけると、
緊急特番で、曲をかけたり、いろいろな人が、思い出を語ったが、
どの曲が流れたか、誰が何を話したのか、まったく覚えていない。
10日、大学へ行くと、たいていの友人は、昔から、ビートルズだ、
ジョンだと騒いでいたのを知っているから、何人も声をかけてくれ、
詳しく載っているぞと、スポーツ新聞を見せてくれる友人もいたが、
一人に「大丈夫か?」と聞かれて、その場に泣き崩れてしまった。
この時、大学2年生、年明けには20歳になろうという、大の男が、
人前で号泣したうえに、午前中の講義の間は、嗚咽が止まらずに、
事情を知らない大半の学生や教授からは、気味悪がられたろうし、
友人らにしても、困ってしまったろうが、感情を抑えられなかった。
追悼盤となった、「ダブル・ファンタジー」からの、第2弾シングル、
「ウーマン」は、ジョンの極上のバラードが、復活したと感じる曲で、
ジョン自身は、「すごくビートリーな曲」とか、「『ガール』の続編」と、
語ったそうで、ソロになって珍しく、ビートルズを意識した曲らしい。
バンドに、「初期のモータウンや、64年のビートルズの感じで」と、
ジョンが指示したというから、再結成のことを牽制するよう言った、
「ビートルズは出し切ったから、もし、ポールと再び組んでみても、
退屈なだけ。」の台詞とは裏腹に、ジョンも少しは望んでいたかと。
ただ、ファンからすると、もしも、ビートルズを意識していたのなら、
ムード音楽のような女声コーラスでなく、「ヒア・ゼア・アンド~」の、
バックコーラスが良く、「ミッシェル」のような対位法のベースライン、
リンゴのツボを心得たフィル・イン、ジョージの12弦の音が欲しい。
それと、ジョンは、例によって、この曲を、全世界の女性に向けて、
作り歌ったそうで、イントロで語る、「空のもう半分のために。」も、
そのことを指すと言うが、たぶんヨーコのことしか念頭になくって、
あとから、勝手につけた理屈、下手すりゃ、ヨーコの入れ知恵かと。
この曲が「ガール」の続編というのも、これまた、あとになってから、
「ガールは、まだ見ぬヨーコを歌っていた。」と、ヨーコとの出会いを、
予見していたみたいに言い出すのだから、そうですか、そうですか、
それで、この曲に繋がるのですねと、本当に、バカップルそのもの。
そう馬鹿にしつつ、ジョンが亡くなってから作られたものではあるが、
「ウーマン」のPVを見ると、本当にジョンは、嬉しそうに笑いながら、
ヨーコを見つめていて、ヨーコのことが好きでしょうがなかったのか、
そればっかりは、こちらが、とやかく言えることではないなと感じる。
5年間の空白後、オリジナル曲としては、6年ぶりの作品となった、
「ダブル・ファンタジー」から、ジョン自身もビートルズを意識したし、
自分も、再結成を夢見たバラード、「ウーマン」は、コーラス部分が、
危なっかしいですが、いつも以上に、なりきりジョンで歌っています。
パープルやツェッペリンを、軽々と弾く友人たちに刺激されて、
ジェフ・ベックを聴くようになって、そのまま、クロスオーバーや、
フュージョン、ジャズを、ギター中心に、聴きまくるようになる。
コピーバンドのビートルマニアや、パロディのラトルズのLPを、
買うことはあっても、ソロの4人の動向には、あまり興味がなく、
ジョンがハウス・ハズバンド、主夫業に徹して、引退同然とは、
まったく知らず、自分にとっても、空白の5年間だったと言える。
80年1月、来日したポールが、羽田空港で逮捕された時にも、
もともと、コンサートのチケットを、取ろうともしていなかったし、
同年11月に、ジョンが、数年振りとなる新曲を出した時でさえ、
そんなに活動していなかったっけと、すぐには飛びつかない。
ジョンの復帰シングルとなる、「スターティング・オーヴァー」が、
ラジオで盛んに流れ、ああ、これこそジョンの声、メロディだと、
すごく嬉しくなったのだが、LPの半分がヨーコの曲だと知って、
これは、買わなくて良い、レンタルかエアチェックで十分と思う。
「ウーマン」もラジオで聴いたろうか、ヨーコの曲まで流れたが、
やたらと、「スターティング・オーヴァー」ばかりを、聴いた印象で、
それより、ジョンが復帰したから、ビートルズは再結成しないか、
本人たちには迷惑だろうが、ファンとして、夢が膨らんでいった。
その期待は、あの日、12月8日に、無残にも打ち砕かれるが、
最初に知ったのは、こちらの9日、午後の配達から戻った父が、
「お前の好きなジョンが撃たれたって、ラジオで言っている。」と、
声をかけてきたので、初めは、たちの悪い父の冗談かと思った。
中学時代、ジョンと同じギターが欲しいと大騒ぎし、買ってもらい、
大学に入っても、プロになりたいとギター教室に通っているから、
配達を手伝わない自分への嫌がらせ、思いつく名前が、ちょうど、
ラジオで新曲が流れでもしたジョンだろうと、たかをくくっていた。
ところが、どうも嘘でもないようで、慌てて、テレビをつけてみると、
ジョンのニュースをやっていて、細かい記憶はとんでしまったが、
最初は、誰かに撃たれて、病院へ搬送されたという報道の仕方、
ヨーコが付き添い、ジュリアンも駆けつけたと言っていた気がする。
ヨーコと並ぶジュリアンらしき写真が出て、ジョンにそっくりだなと、
何となく冷静に見ながら、あちこちのチャンネルを回していたが、
あとで考えると、ジュリアンが、イギリスから向かうのは翌日らしく、
病院前の写真などあるわけもなく、報道も混乱していたのだろう。
やがて、ジョンは亡くなったと、ニュースの論調が切り替わった時、
その瞬間の衝撃、気持ちは、いったい、どう表せばよいのだろう、
息が詰まる、茫然自失、怒り、悲しみ、何一つ浮かばない真っ白、
おそらく、世界中が、似たような思いを、それぞれに感じただろう。
いてもたってもいられず、思いつくのは、中学時代、二人きりの、
ビートルズコピーバンドを組んだ、ジョージ役の友人ただ一人で、
数年振りで電話をかけると、向こうも、何で、かけてきたのかは、
わかっているようで、久しぶりの挨拶もなく、「なあ」、「うん」程度。
しばらく、お互いに無言で、何か言おうと思って、口を出たのが、
「もう、再結成できなくなっちゃったね。」で、すると、ジョージ役は、
急に、怒ったように、「そういう問題じゃないだろう。」と怒鳴ったが、
その声は泣いていたし、こっちも、「ごめん。」と返すのが精一杯。
その後も、会話はすることないまま、「じゃあ、また」と電話を切り、
部屋に戻ると、ビートルズやジョンのLPを聴き、ラジオをつけると、
緊急特番で、曲をかけたり、いろいろな人が、思い出を語ったが、
どの曲が流れたか、誰が何を話したのか、まったく覚えていない。
10日、大学へ行くと、たいていの友人は、昔から、ビートルズだ、
ジョンだと騒いでいたのを知っているから、何人も声をかけてくれ、
詳しく載っているぞと、スポーツ新聞を見せてくれる友人もいたが、
一人に「大丈夫か?」と聞かれて、その場に泣き崩れてしまった。
この時、大学2年生、年明けには20歳になろうという、大の男が、
人前で号泣したうえに、午前中の講義の間は、嗚咽が止まらずに、
事情を知らない大半の学生や教授からは、気味悪がられたろうし、
友人らにしても、困ってしまったろうが、感情を抑えられなかった。
追悼盤となった、「ダブル・ファンタジー」からの、第2弾シングル、
「ウーマン」は、ジョンの極上のバラードが、復活したと感じる曲で、
ジョン自身は、「すごくビートリーな曲」とか、「『ガール』の続編」と、
語ったそうで、ソロになって珍しく、ビートルズを意識した曲らしい。
バンドに、「初期のモータウンや、64年のビートルズの感じで」と、
ジョンが指示したというから、再結成のことを牽制するよう言った、
「ビートルズは出し切ったから、もし、ポールと再び組んでみても、
退屈なだけ。」の台詞とは裏腹に、ジョンも少しは望んでいたかと。
ただ、ファンからすると、もしも、ビートルズを意識していたのなら、
ムード音楽のような女声コーラスでなく、「ヒア・ゼア・アンド~」の、
バックコーラスが良く、「ミッシェル」のような対位法のベースライン、
リンゴのツボを心得たフィル・イン、ジョージの12弦の音が欲しい。
それと、ジョンは、例によって、この曲を、全世界の女性に向けて、
作り歌ったそうで、イントロで語る、「空のもう半分のために。」も、
そのことを指すと言うが、たぶんヨーコのことしか念頭になくって、
あとから、勝手につけた理屈、下手すりゃ、ヨーコの入れ知恵かと。
この曲が「ガール」の続編というのも、これまた、あとになってから、
「ガールは、まだ見ぬヨーコを歌っていた。」と、ヨーコとの出会いを、
予見していたみたいに言い出すのだから、そうですか、そうですか、
それで、この曲に繋がるのですねと、本当に、バカップルそのもの。
そう馬鹿にしつつ、ジョンが亡くなってから作られたものではあるが、
「ウーマン」のPVを見ると、本当にジョンは、嬉しそうに笑いながら、
ヨーコを見つめていて、ヨーコのことが好きでしょうがなかったのか、
そればっかりは、こちらが、とやかく言えることではないなと感じる。
5年間の空白後、オリジナル曲としては、6年ぶりの作品となった、
「ダブル・ファンタジー」から、ジョン自身もビートルズを意識したし、
自分も、再結成を夢見たバラード、「ウーマン」は、コーラス部分が、
危なっかしいですが、いつも以上に、なりきりジョンで歌っています。

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