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僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
不眠症のつらさまでも、独白のように歌う「アイム・ソー・タイアード」
ジョンの書く歌詞は、初期の「好きだよ」とか「愛してる」から、
中期以降、ルイス・キャロルやマザー・グースを題材とした、
難解なものへと変わっていく反面、すごくストレートなままに、
心情を吐露したものもあり、いろいろと深読みされたりする。

「ホワイトアルバム」には、意味を探りたがる輩をからかって、
これまでの曲名を挿入した曲、「グラス・オニオン」もあれば、
「ああ、疲れたよ」とか、「死にたくなるほど、寂しい」といった、
日記か、殴り書きかと思うほどの、直截的な歌詞の曲もある。

渋谷陽一は、新潮文庫の「ロック・ベストアルバム~」の中で、
「身を切りきざんでいるような詞ばかり」と、ジョンのソロLPの、
「ジョンの魂」を評したが、ビートルズ時代にも、そうした詞は、
すでに歌われていたし、「ホワイトアルバム」に顕著だと思う。

よく言われるのが、ジョンの歌詞は、ボブ・ディランの影響で、
内省的な表現になったそうで、「アイム・ア・ルーザー」だとか、
「悲しみはぶっとばせ」は、その例とされるが、「ヘルプ」まで、
「誰か、助けれくれ!」と叫んでいて、ディランの影響だそうだ。

ジョン自身、「僕のディラン時代」と表現しているから、実際に、
何かしらの影響はあっただろうが、こと歌詞ということになると、
1枚目の「ゼアズ・ア・プレイス」でも、己の心象風景を歌ったし、
イギリスなりフランスの作家の、詩集の一つも読んでいたろう。

これは、自分の勝手なこじつけだが、自分の大好きな詩人の、
中原中也の作風は、すごく、ジョンにも通じるところがあって、
時代や国を超えて、同じものを見ていたんじゃないだろうかと、
自分の気に入ったものを、一緒くたにする、悪い癖が出てくる。

「ホワイトアルバム」のB面収録、「アイム・ソー・タイアード」は、
インド瞑想修行中に書かれ、一日中瞑想しているせいもあり、
夜は寝つけないうえに、その頃に、手を出すようになっていた、
ドラッグが持ち込めず、「疲れた、眠れない」と、そのまま歌う。

この思ったままの表現は、ディランの影響にしなくて良いのか、
その線引きはどうなっているのか、「ヤー・ブルース」も同様で、
「レボリューション」の革命の話は、まさにディランの反戦歌と、
結びつけないのかよと、つっこみを入れたくなるのも、悪い癖。

ただ、「アイム・ソー・タイアード」は、2番からサビの部分では、
「君に会えないから、君のことばかり考えて、眠れないんだ」と、
ニュアンスが変化して、インドにヨーコが来なかったことらしく、
そうなると、単なるバカップルのツイートみたいで、何ともはや。

この曲の録音は、「ホワイトアルバム」の途中から導入された、
8トラックのマルチレコーダーが使われ、当たり前のことだが、
4トラから8トラに増えた分、ダビングを繰り返していくための、
トラック間のリダクション、ピンポン録音は、半分ですむことに。

「全曲バイブル」によれば、初期のように、歌いながら演奏して、
ドラム、ベース、ギター、歌と、それぞれを別のトラックに録音、
余ったトラックに、ドラム、ギター、オルガン、エレピ、歌を追加、
ジョンの弾き語りを、みんなで伴奏したような、シンプルな編曲。

それなら、もっと各楽器を分け、ステレオミックスしてほしいが、
左にドラムとベース、右にジョージらしきギターを振った以外は、
歌、ハモリ、ギターにオルガンまでが、センターで団子になって、
リマスターで聴いても変わらず、リミックスして欲しい曲の一つ。

ジョンのリズムギターは、音がこもっていて、ギブソン・J160E、
エピフォン・カジノの両方の説があるし、リズムを刻む音に加え、
低音弦だけ、ボーンと伸ばす音もあって、コードとして弾くよりも、
分離して聴こえるので、ダビングなのか、ジョージが弾いたのか。

ジョージの途中から入るカッティングは、きれいに右に分かれて、
エッジのきいた音色で、あまり歪ませないレスポールとされるが、
サビの部分で、センターから、歪んだリフが加わり、それまでの、
ジョンのリズムギターとも定位が違うので、どちらかのダビング。

リンゴのドラムも、あとから、スネアドラムをダビングしたようで、
最後のサビでは、左から通常のスネア、右から16ビートっぽい、
スネアの音が聴こえて、みんながダビング作業をする間、暇で、
だんだん疎外感を感じたという一時脱退説も、実際どうなのか。

エンディングでのジョンの呟きは、ポール死亡説の一つとされて、
逆回転すると、「Paul is dead, man, Miss him, Miss him」で、
「ポールは死んだ」となるそうだが、レコードを逆に回してみても、
そう聴こえなかったし、YouTubeにある逆回転サウンドでも微妙。

もともとの呟き自体は、ジョンがフランス語で話したという説から、
「Monsieur Monsieur~、 How about another one」の、
ムッシュだけフランス語の説もあって、空耳アワーではないが、
「ブレスン、ブレスン、ミズウ、ハウアバウザ」のように聴こえる。

これなんか、「Bless him Bless him Misery」とでもすれば、
逆回転にしなくても、ポール死亡説に使えるような気がするし、
いったい何のために、写真や歌詞の中に、ポールが死んだと、
暗号のように入れる必要があったと、提唱者は考えたのだろう。

そのポールが、この曲をゲットバック・セッションで歌っていたと、
今回、YouTubeで見つけて驚いたが、どんなつもりだったのか、
ジョンの曲を歌ってやれば、やる気のないジョンが盛り上がって、
自分を見てくれると思ったのか、ただ何となく、歌ってみたのか。

ネット情報では、海賊盤の名盤「スイート・アップル・トラックス」に、
ポールバージョンが入っているそうだが、聴いたが覚えがないし、
持っているLP2枚組の曲目リストで確認しても、載ってないから、
好評になって、いくつか続編が出た方に、収録されていたのか。

アルバムの原曲では、サビで、ジョンとハモっているポールだが、
YouTubeのビートルズ・ヴォーカル・ハーモニーでは、その部分を、
「アイヴ・ガッタ・フィーリング」のバリトン・ボイスで、と解説があり、
そうか、あのオペラ唱法は、テノールでなくバリトンかとニンマリ。

ジョンがインドで不眠症になって、その気分をストレートに歌って、
これまたストレートに4人で演奏した、「アイム・ソー・タイアード」は、
ジョンらしい、囁きからシャウトする歌声と、後期ポールの特徴の、
太い声のハモリで、いつもながら、演奏より歌がネックになります。




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メドレーのようで、変拍子まである「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」
「ホワイトアルバム」は、インドまで出かけ瞑想修行をした際に、
作った曲が主体になっているそうで、そのせいか弾き語りも多く、
レコーディング前、ジョージの家に集まって作ったデモテープも、
弾き語りに近いものが多く、そこから編曲し、完成させていった。

インドでの作曲というと、ポールが作り、今もライブの定番曲の、
「ブラックバード」は、ギターの1弦が切れてしまったまま弾いて、
左手のポジション移動が変則的になったと、半ば都市伝説だが、
インドでは、ギター弦が手に入らないとか、そんなことあるのか。

仮に売っていなくても、ジョンやジョージが替えの弦の1本や2本、
持っていたろうし、2人のギターを借りて弾くこともできたはずで、
さらに言えば、同行した、ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴだったり、
フォークギタリストのドノヴァンも、ギターや弦は持っていたろうに。

そのドノヴァンから、ジョンはスリーフィンガー奏法を教えてもらい、
「ホワイトアルバム」では、覚えたばかりの奏法を、得意になって、
披露したがったように、ギターの弾き語りの「ジュリア」だけでなく、
「ディア・プルーデンス」でも、エレキで、スリーフィンガーを弾いた。

組曲風メドレーのような、「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」も、
最初は、スリーフィンガー奏法で、弾き語りのように始まっていき、
そこへ、ドラムやベースが加わり、さらに、変拍子のメロディだとか、
コーラスのパートが出たり、かなり目まぐるしく、変化していく編曲。

ちょっと変わったタイトルは、マーティンが読んでいた銃の雑誌から、
拝借したそうで、その言葉自体も、スヌーピーの漫画が由来とされ、
「幸せは、あったかい子犬」だそうで、自分が小学生の頃に買った、
スヌーピーの「幸せは○○である」の絵本には、載っていなかった。

ジョンは、パクリとまではいかないが、曲作りに引用することが多く、
「ミスター・カイト」は、タイトルどころか、歌詞の大半も、サーカスの、
古いポスターから取っているし、「ルーシー・イン・ザ・スカイ~」でも、
息子のジュリアンが書いた絵のタイトルを、そのまま使ったそうだ。

マーティンの雑誌の詳細は不明だが、何だかよくわからない歌詞も、
その雑誌の記事から、けっこう引用しているんじゃと、思ってしまうし、
「Mother superior~」の部分は、ビートルズが設立したばかりの、
アップルの広報担当の、ディレク・テイラーの案だとも言われている。

スリーフィンガー奏法の部分は、教則本の模範演奏にしたいくらい、
丁寧で正確な演奏だが、続く部分は、ジョンの曲作りに特有である、
フレーズ優先の変拍子となり、メロディや歌詞の伸ばし具合に応じ、
1拍多くしたり、少なくしたのではと思えて、9拍子や12拍子になる。

さらに、9拍子と10拍子を、交互に繰り返したり、ドラムは4拍子で、
ギターとベースは3拍子という部分もあって、3と4の最小公倍数の、
12拍目で、つじつまがあうという、いわばポリリズムのパートもあり、
かなりリズムで遊んでいるが、合わせるベース、ドラムは大変だろう。

リズムの細かい部分を合わせるよう、何度も入念に打ち合わせたと、
スタッフの証言があって、おそらくは、ポールがかなり真剣になって、
リンゴと変拍子を合わせて、ジョージもカッティングを乗せただろうが、
作曲した当のジョンは、けっこうアバウトに、コードを弾いた気がする。

中山康樹は、「これがビートルズだ」の解説で、「曲をこねくりまわし、
あげくに自分の声までこねくりまわし、残ったものといえばこれだ。」
とばかり、厳しく批評しているが、自分は、この曲のジョンの歌声は、
すごくストレートで、ラップもどき、語るような部分も気に入っている。

「ペパーズ」や「マジカル・ミステリー・ツアー」の、テープ操作だとか、
オーケストラ、ホーンセクションのダビングを重ねた、音作りに比べ、
「ホワイトアルバム」は、全体にシンプル、まず、4人の演奏ありきで、
バンドサウンドが復活し、ライブでの再現も可能な曲が多いと感じる。

実際には、何度もやり直していたり、ポールは、楽器の大半を演奏し、
ダビングを繰り返し、1人で完成させた曲もあったり、4人全員が揃い、
演奏した曲ばかりではないが、前2作ほどのスタジオ作業はないから、
この頃に、TV出演くらいしてくれても良かったのではと、残念に思う。

ジョンの歌声も、ダブルトラックや、レスリースピーカーの加工も少なく、
歌い方こそは、甲高い声をあげたり、トッポ・ジージョのようになったり、
ちょっとくどい部分もあるが、これはこれで、ジョンの歌い方だよなあと、
すごく自分は好きなので、あんな言い方までされる筋合いはないのに。

この曲は、ピアノやオルガン、タンバリンを、後でダビングしているが、
YouTubeのリマスターで確認しても、ピアノの音は自分には聴こえず、
ただ、自分のギターだけで弾いた音は、どうも原曲と響きが違うので、
途中から、ギターと同じ和音を、ギターシンセのピアノの音で入れた。

68年発売の2枚組大作、「ホワイトアルバム」から、ジョンの作った曲、
「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」は、変拍子などのリズムに凝り、
次々と曲調が変わりながら、ジョンの歌は、わりと素直な地声なので、
なりきりジョンと本物のギャップがありすぎ、ちょっと落ち込む出来です。





自分たちの歌をジョンがパロディ化したような「グラス・オニオン」
「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は、
サイケデリック・ブームを象徴するような、派手なジャケットで、
続く「マジカル・ミステリー・ツアー」でも、カラフルだったところ、
一転して、シンプルな、真っ白いジャケットのアルバムが出る。

2枚組なので、見開きになるが、外側は、表も裏も、白一色で、
表は、刻印のように、「THE BEATLES」の文字が浮き上がり、
右下隅にシリアル番号が印刷されているのみ、裏は何もなく、
中を開いても、曲名と、4人の白黒写真が、さりげなくあるだけ。

アルバムタイトルも、まんま「ザ・ビートルズ」と単純だったから、
そのジャケットから、通称「ホワイト・アルバム」と呼ばれていて、
中身はというと、逆に、何でもかんでも、入れてやるとばかりに、
ロックやフォークにとどまらない、アバンギャルドな作品もある。

中学の頃、最初は青盤の時代、後期の曲にはなじめたかったし、
特に、このアルバムは、2枚組で曲が多すぎるのと、よく言えば、
あらゆるジャンルを網羅となるが、何だかバラバラな感じがして、
A面だけでやめたり、まして2枚目まで通して聴くことはなかった。

もちろん、今も昔も、ビートルズに捨て曲なしの持論は変わらず、
気に入っている曲も多いが、正直、「レボリューション9」となると、
一度聴いたら十分、繰り返し聴くような曲ではないと思っていて、
ただ、たまに聴きたくなる、不思議な曲というかサウンドと言える。

渋谷陽一が新潮文庫「ロック・ベスト・アルバム・セレクション」で、
「各メンバーが好きな事をやり、それをビートルズ風にアレンジし、
寄せ集めた2枚組」とか、「最後にビートルズとしてのオブラートを、
体裁的にかぶせた曲ばかり」と評しているのは、ものすごく同感。

8トラックレコーダーの導入で、今まで以上に多重録音が可能で、
全員が一緒に演奏する必要はなくなるうえに、やたら音を重ねて、
最初のテイクへ手を加えたりと、各人が好き勝手にやり始めると、
後のゲット・バック・セッション同様、険悪な雰囲気になったらしい。

これまた、近年のビートルズ本で知った話が、あまりの険悪さから、
リンゴがビートルズをやめると言って帰ってしまうが、残った3人で、
録音は継続、ポールがドラムを叩き、「バック・イン・ザ・USSR」と、
「ディア・プルーデンス」は、そのままリンゴ抜きで完成させている。

ただ、そのまま、残り全部の曲を、ポールのドラムや代役をたてて、
アルバムを完成することはしないで、ジョンが電話、ポールは電報、
ジョージがドラムに花束を飾ったりと、リンゴを呼び戻すことにして、
「ヘイ・ジュード」のプロモーションビデオの撮影から、復帰してくる。

そして、リンゴが復帰しての、最初の録音は、「グラス・オニオン」で、
あえて意識したのか、脱退騒動前に、十数曲を録音しているのに、
アルバムは、ポールがドラムを叩いた2曲で始まって、次がこの曲、
リンゴの復帰を告げるごとく、力強いスネアの音から、曲は始まる。

「君に、ストロベリー・フィールズの話をしたよね。」と、ジョンが歌い、
これまでのビートルズの曲のタイトルを、いくつか折り込んだ歌詞は、
「ルーシー」や「ウォルラス」といった、難解な詩を解読しようと試み、
そこに隠された意味を、見つけようとする風潮を、からかったらしい。

ところが、逆効果というか、「ウォルラスはポールだ。」と言ったから、
新たな憶測を呼ぶこととなり、黒い着ぐるみだから死の象徴だとか、
「ウォルラス」は、ギリシャ語で死体を意味するだとの、こじつけられ、
ポール死亡説の一つとなって、ジョンは、かえって、ほくそ笑んだか。

「マジカル」の映画で、「ウォルラス」の演奏場面を見れば一目瞭然、
ピアノの前に座ったジョンが、そのまま、セイウチの着ぐるみになり、
ポールは、手前でベースを弾くのだから、ジョンがウォルラスなので、
いったい、どんなつもりだったかと思うが、本人が経緯を語っている。

解散後の70年のインタビュー、「ビートルズ革命」の中で、ジョンは、
「ポールに対して、なにか彼をほめるようなことでも言っておこうかと、
思ったのです。この数年、私たちを一つにまとめてよくやってくれた。
このアルバムの功績は、きみのものにしてくれという感じでした。」と。

中山康樹が、「これがビートルズだ」で、「ウォルラス」を解説した際、
「セイウチになって楽しいか?」と書いたが、さらに、ポールにしても、
自分の方がセイウチと言われて、どうだったのか、ジョンから見れば、
この傑作をポールにしてやったのさ、というほど自信作だったのか。

「ねえ、ジョン、これさあ、いちご畑や、丘の上の愚者を話をしたって、
歌詞にしているけど、『フール・オン・ザ・ヒル』は、僕の書いた曲だし、
あとに出てくる、『フィキシング・ア・ホール』や、『レディ・マドンナ』も、
僕の曲じゃないか、君が作った曲みたいにしないでよ。」と、ポール。

「ああ、そのかわりにさ、セイウチはポールだよって、言っておいたし、
おあいこみたいでいいじゃないか、それに、ポールが歌う曲なのに、
俺が話したんだよなって言うのも、うるさい連中を混乱させるしね。」
とでも、勝手な理屈をつけたんじゃないかと、想像したくなってくる。

ポールにしても、ジョンがそう言うなら、まあ、いいかと気を取り直し、
それじゃあとばかり、「フール・オン・ザ・ヒル」の歌詞が出る箇所で、
原曲と同じようにリコーダーを吹いて、しかも、小学生が吹くような、
雑な音にすることで、自分で自分を茶化していますよ、とアピール。

録音は、ジョンのアコギ、ジョージのエレキギター、ポールのベース、
リンゴのドラムと、再び4人が揃ったのを祝うごとく、一緒に演奏して、
マーティンが、「ストロベリー」や「ウォルラス」の雰囲気が出るような、
ストリングスを編曲、ジョンのパロディ路線を、さらに補強してくれた。

険悪なムードだったと、今日では言われる「ホワイト・アルバム」だが、
パロディで遊ぶ、ジョンとポールのやりとりくらい、あったんじゃないか、
何曲かは、全員せーので、気の合った演奏も、していたんじゃないか、
そう思いたいのは、ファン、自分の身勝手な願望にすぎないだろうか。

「ホワイト・アルバム」から、一時脱退したリンゴが、復帰しての演奏、
「グラス・オニオン」は、ジョンのパロディ満載の歌詞が、特徴ながら、
ジョージの切り込んでくるカッティング、ポールのゴリゴリのベースに、
力強いドラムと、なりきりジョンの歌声以上に、演奏が難しい曲です。





スタジオ時代の幕開けとなる「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」
66年6月に来日して、「フォーセール」から「ラバーソウル」の曲、
その前後のシングル盤の曲を、武道館で演奏したビートルズは、
同年8月末、サンフランシスコのキャンドルスティック・パークで、
コンサート活動を中止して、その後、ツアーに出ることもなかった。

来日した時、すでに「リボルバー」の全曲の録音は完了していて、
「トゥモロー・ネバー・ノウズ」のような、テープの逆回転サウンドや、
ループを駆使した曲に取り組み、ライブの再現は困難となるので、
コンサート中止は、ますます、そうした曲作りに拍車をかけていく。

しばしの休暇、ジョンの映画撮影を挟み、最初に録音されたのは、
ジョンの単独作となる、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」で、
「ペパーズ」へと繋がる曲、あるいは、そのセッションの始まりの曲、
後期ビートルズの、スタジオレコーディング時代の幕開けを告げた。

ビートルズは、初期、前期、中期、後期と、細かい分類もされるが、
自分が中学時代は、赤盤の前期、青盤の後期と、単純に分けられ、
その赤から青への変化は、音楽も、ルックスも、すごい加速状態で、
「オールディーズ」から入った自分は、当初は、青盤は苦手だった。

メロトロンから始まり、ストリングス、ホーンセクションが入る編曲で、
途中で2拍子や3拍子になるのは、ジョンによくある、手癖というか、
ギターをかき鳴らし、気分で伸ばしたり、切ったり、小節数にしても、
1コーラスが、一般的な12小節、16小節でないのは、けっこう多い。

ただ「トゥモロー・ネバー・ノウズ」や、「アイム・ザ・ウォルラス」など、
サウンドエフェクトを凝らした曲よりは、素直な感じの曲に思えたし、
普通に聴いたり、弾き語ったりしていたが、「アンソロジー」より前、
「レコーディング・セッション」で、とんでもない録音の事実がわかる。

4人の演奏で、テンポの遅いテイク7、ストリングスやブラスが入り、
テンポの速いテイク26とを、編集でつなげて、完成させたとわかり、
しかも、テンポもキーも違ったから、前半のテープの速度を上げて、
後半は、速度を下げて、同じピッチになるところで、つなげたと言う。

著者のマーク・ルウィソーンは、「継ぎ目は頭からきっかり60秒。」、
「一旦、その位置がわかると、二度と同じようには聴けなくなる。」と、
述べているが、自分は感受性に乏しいのか、その位置を知っても、
確かに、ここでストリングスが入るなあ、くらいで、聴き流してしまう。

それより、不思議なのが、テンポを変えて、やり直すのはわかるが、
キーも上げたのは、なぜなのか、最初のテイク、後半のキー自体も
実際にどの音程だったのか、前半部も、録音段階でテープ操作され、
ジョンのボーカルの声質を変化させたのではと、次々と疑問がわく。

正しいキーが分からないから、バンドスコアのB♭で演奏しておくが、
レコードは、Aから始まり、継ぎ目のあとから、B♭へと変化していて、
どちらにしても、ジョンの弾くアルペジオがやっかいで、Cのキーだと、
弾きやすいそうで、実はCだったとか、弦を下げたとかネットにある。

このジョンのアルペジオは、「ジュリア」のスリーフィンガー奏法と違い、
ピックで流している感じで、「イン・マイ・ライフ」の伴奏の時に近いし、
YouTubeで聴ける、テイク2~4で確認すると、そのときで音が異なり、
気分で弾いているようなので、言い訳にできると、完コピはあきらめ。

一度、フェイドアウトしてから、また始まると、激しいドラムに合わせて、
メロトロンの奇妙なフレーズと、ギター・ピアノの踏切のような音が鳴り、
バンドスコアでは、メロトロンの逆回転サウンドとあるが、イントロでも、
メロトロンは、立ち上がりの遅い音で、逆回転でなく、特性だと思える。

ビートルズの全曲を、ほぼ完コピで、YouTubeに次々とアップされる、
カッツさんのブログによれば、メロトロンは、基本がサンプラーなので、
プリセットしているフレーズ集があって、フルートの音色のデモ演奏を、
テンポを変え、複数を同時に鳴らすと、同じ音が出ると、すごい分析。

自分は、スコアの単音のフレーズを、ギターシンセのフルートで録音、
そこから3度下げたフレーズを、ずらし気味に重ねるが、あまり似ず、
いっそ、最初のフェイドアウトで、やめておこうかとも思うが、最後の、
ジョンの「クランベリーソース」の呟きをやりたくて、消さないでおいた。

ポール死亡説の根拠の1つが、エンディングでジョンが呟いたという、
「I beried Paul (ポールを埋葬した)」 で、空耳アワーでもないが、
「クランベリーソース」が、どこをどうして、そういう風に聴こえたのか、
だいたい、ジョンは、何で、そんな台詞を呟いたのかも、謎に思える。

「ストロベリー・フィールド」は、リバプールに実在した孤児院だそうで、
ビートルズ事典では、女子感化院とあるが、幼きジョンの隠れ家で、
ジョンにとって、郷愁の場所だったのだろうが、まったく覚えてなくて、
架空の場所を歌にしたと、ジョンが何かのインタビューで言ったとか。

このあたり、「エリナー・リグビー」が、実在の人物の墓があったりと、
ジョンやポールの幼少期の記憶の断片が、無意識に出てくるのか、
わからないが、歌詞の内容は、実際の風景、建物とは関係がなくて、
すべてが現実でない場所という、ジョンの精神世界を写し出している。

67年当時、MTVの先駆けとなった、ミュージックフィルムも作られた、
「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」は、すべてが斬新だったが、
テープ操作のジョンの声が残念なので、自分は、エフェクト加工せず、
ダブルトラックのみの、なりきりジョンで、やはり歌はネックと反省です。





ボブ・ディランの影響が大と言われている「アイム・ア・ルーザー」
初期ビートルズの特徴の1つに、ジョンの吹くハーモニカがあり、
映画「ビートルズがやって来る」で、列車内での「恋する二人」や、
エンディングのコンサートの場面が、目に焼きついているから、
実際の曲数以上に、ハーモニカが大活躍したような印象がある。

最初に買ったビートルズのLP、日本編集のデビューアルバムも、
デビューシングル「ラブ・ミー・ドゥ」に、「プリーズ・プリーズ・ミー」、
「フロム・ミー・トゥ・ユー」と、「リトル・チャイルド」と、ハーモニカが、
目立つ曲が入っていて、初期はハーモニカだらけだと錯覚しそう。

当然、自分もハーモニカを手にするわけで、小学校の音楽で習う、
ドレミだけのハーモニカで練習するが、♯や♭の音が出ないから、
ジョンが使ったのは、どのメーカーの、どの機種だったのだろうと、
当時のバイブルだった「ビートルズ事典」や雑誌で、調べたりする。

ドイツ・ホーナー社のマリンバンドと、クロマチック・ハーモニカだと、
事典には書いてあって、マリンバンドは、ブルースハープの一種で、
それぞれのキーに合わせて、和音を鳴らせる配列で、それだけに、
曲によって、いくつも使い分けることになり、1個では用をなさない。

12音そろえる必要はないとしても、どの曲で、どのキーを使ったか、
一般的なキーのC・F・D・G・E・Aくらい、買わないといけないのか、
そんなのは無理だし、一番演奏したい「恋する二人」で使ったのは、
クロマチックらしくて、ホーナーのは高いから、トンボ製品を買った。

レバーを押すと、半音階が出るので、ドレミファから練習を始めて、
どこで息を吸うか、吐くか、レバーを押すのかと、けっこう難しいが、
何となく、「恋する二人」のイントロっぽくなると、気分は列車の中や、
ラストのステージで、ジョンのつもりで、ハーモニカを両手に抱えた。

一昨年から、中学時代以来となる、ビートルズのカバーを再開して、
ハーモニカはないかと、押入れやダンボール箱を探すが、どうやら、
処分してしまったようで、小学校のハーモニカやオカリナはあるのに、
何でまたと、悔やまれるが、楽譜や音楽雑誌同様、魔がさしたのか。

ギターシンセに、ハーモニカの音色もあったので、代用していたが、
今回、「アイム・ア・ルーザー」を演奏すると、和音でブカブカ鳴らし、
ハンドビブラートとか、音程を下げる吹き方のニュアンスが出せず、
他の楽器と同様、生音とシンセで似せる音が、あまりに違いすぎる。

今では、国産のクロマチックハーモニカでも、1万円以上するようで、
ブルースハープを、何個も買うお金もないし、普通の安いものでもと、
Amazonでベストセラー1位、教則CDも付いて2800円と、お得な、
トンボのメジャーボーイを買い、いざ届くと、これがブルースハープ。

どうして、ちゃんと調べて、買うことにしなかったのか、中学時代なら、
何度もカタログを見たり、楽器屋へ出かけ、あれこれ検討したのに、
ネットで安直に注文できるから、評価の☆印と値段だけで決めがち、
きちんとレビューも読まず、1人で早合点していると、反省した次第。

ただし、運の良いことに、このハーモニカは、標準のCキーなのだが、
ジョンが「アイム・ア・ルーザー」で使ったのも、同じキーだったようで、
ブルースハープでは、曲のキーの、4度上のキーのものを使うそうで、
Gキーのこの曲では、Cのハープで良いそうで、演奏には適していた。

「アイム・ア・ルーザー」は、4枚目のLP「フォーセール」の収録だが、
この曲を最後に、ハーモニカが活躍するような曲は、ほとんどなくて、
ポールが書いた「ロッキー・ラクーン」、「オール・トゥゲザー・ナウ」で、
効果音的に使われたくらいで、あまりに早い段階で、やめてしまった。

この曲のライブ映像では、ハーモニカを肩掛けホルダーにしていて、
アコギを弾きながら、吹いている姿は、まるでフォーク歌手のようで、
明らかに、ボブ・ディランを意識した感じ、嬉々として演奏する姿など、
「僕のディラン時代」とジョンが呼んだのも、うなずけると思ってしまう。

それで、この曲は、ディランの影響下にあると言われて、川瀬泰雄は
「真実のビートルズサウンド」で、「ディランの歌詞を知って、内省的・
個人的なものに変化した」と述べるが、「ゼアズ・ア・プレイス」という、
デビューLPの曲で、すでにジョンは、心の中の理想郷に触れていた。

中山康樹は、「歌い方やフレージングの、ヒントのようなものでは」と、
推測するが、いわゆるディラン節、かつて「ウイアー・ザ・ワールド」で、
ディラン本人が普通に歌ったら、ディランらしくない、音を外すように、
指示されたという、ちょっと棒読みがかった歌い方も、ジョンはしない。

ちなみに、自分が中学時代、この曲でなく、「悲しみをぶっとばせ」が、
弾き語りに近いスタイルと、内省的歌詞が、ディランの影響と言われ、
漠然と鵜呑みにしたが、今聴きかえすと、それも、どうかなという感じ、
ジョンの「ディラン時代」という言葉が、一人歩きしてしまった気もする。

「アイム・ア・ルーザー」は、ポールが上のハーモニーをつけていて、
ジョージも得意なチェットアトキンス奏法で、間奏を決めているから、
アコギにハーモニカのディラン風フォークが、ビートルズらしくなって、
このあたり、ポールとジョージの存在も大きかったのが、うがかえる。

ジョージが、得意のチェット・アトキンス奏法を、一番弾いていたのは、
この時期、「フォーセール」の頃で、アルバム全体が、カントリー調や、
フォーク調と、ぴったりの曲が多く、ちょうど出番もあったというところ、
すごく活き活きとして、ノリノリで、ジョージには、この路線が良い気も。

ジョンが、「僕のディラン時代」と呼び、ハーモニカもブルース風から、
フォーク風、ディラン風の吹き方となった、「アイム・ア・ルーザー」は、
久々に吹いたハーモニカが冷や汗もので、急に低音になるメロディも、
音程がままならず、それでも、懲りずに、なりきりジョンで歌っています。







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