僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
ビートルズの日本デビューは、イギリスに遅れること約1年、
64年2月だが、アメリカでも、マイナーレーベルでヒットせず、
キャピトルから仕切り直しとなる、「ミート・ザ・ビートルズ」が、
発売されたのが、1月だから、そう乗り遅れたわけでもない。
アメリカでは、64年1月に発売予定していた先行シングル盤、
「抱きしめたい」を、ラジオでリクエストが殺到するのを受けて、
12月に前倒し、日本でも、当初予定していたデビュー作の、
「プリーズ・プリーズ・ミー」を、「抱きしめたい」に変更している。
その後、日本もアメリカも、イギリスで既発のシングル、LPを、
独自に編集して発売し、ビートルズ旋風が吹き荒れるのだが、
アメリカには、64年2月に、ビートルズの4人が早々に上陸し、
伝説となった、テレビ「エド・サリバン・ショー」に出演している。
同時に、ワシントン・コロシアム、カーネギー・ホールでライブ、
さらに、8月にも渡米し、ハリウッド・ボウルなどで全30公演、
翌65年8月には、これも伝説の、シェア・スタジアムでライブ、
ことコンサートとなったら、日本は、大きく水をあけられた形に。
待ちに待ったと言える、ビートルズ日本公演が実現したのは、
66年6月で、リアルタイム世代の人たちは、待望のライブで、
その感激も半端ないくらいだろうが、後追いの自分からすると、
ライブに接するのは、遅きに失したという感がぬぐえずにいる。
初期の大ヒット曲、「抱きしめたい」や「シー・ラヴズ・ユー」は、
演奏曲目、セットリストから消えているし、使用するギターも、
ジョンのトレードマークの、リッケンバッカー325ではなくなり、
ジョージもグレッチをやめ、二人揃って、エピフォンのカジノに。
何より、歓声にうんざりして、ライブへの情熱をなくしてしまって、
アイドルでいるいことへの葛藤が続く中、スタジオ録音としては、
すでに「リボルバー」を完成させていた、ビートルズにとっては、
やっつけ仕事と言ったら失礼だが、苦痛だったのではないか。
そのうえ、この夏以降は、すべてのコンサート活動を中止して、
解散するまで、二度とコンサート会場に4人で立つことがなく、
たった一度だけの来日となってしまったので、もっと早い時期、
何度か公演をしてくれていたらと、無理な注文をつけたくなる。
ただ、そうしたことを考えると、たった一度でも、よく来てくれた、
それだけでも、ありがたかったと、言えないこともなく、複雑で、
ないものねだりをしても、仕方ないから、武道館のステージに、
カジノをかかえたジョンを始め、4人が降臨した姿を眺めよう。
66年6月30日、初来日のビートルズの記念すべき第一声は、
ジョンが一人で歌う、「ロック・アンド・ロール・ミュージック」で、
これは、64年末に出た「ビートルズ・フォー・セール」に収録の、
チャック・ベリーのカバー曲で、アマ時代から演奏していた曲。
年末商戦に間に合うように、アルバムを完成させる必要から、
「フォー・セール」には、昔から演奏していた得意なカバー曲を、
6曲入れることにして、しかも5曲は同じ日に一気に録音して、
「ロック・アンド・ロール~」は、1テイクのみ、たった1回で終了。
一発録音なので、ポールがピアノを弾き、ジョージがベースと、
エンジニアの回想もあるが、通説としては、マーティンが加わり、
ピアノを弾いたとされていて、CD解説などにある、マーティン、
ポール、ジョンの3人でピアノを弾いたなる珍説は、却下だろう。
3人説は、よくブギウギピアノで、1人がベースのフレーズを弾き、
もう1人がコードやアドリブを弾くという、連弾のパターンがあり、
このピアノがそれに似た雰囲気のうえ、曲の最後、5番になると、
高音の3連符も鳴るから、そこで、もう1人加わったと思ったのか。
ポールがピアノを弾くとか、3人で弾くとか、本人たちに聞けば、
すぐにわかりそうなことまで、謎のまま残っていることが多くて、
マーティン、ポールが健在なうちに、演奏、録音に関することを、
もっともっと聞き出しておいて欲しいが、マニアックすぎるのか。
使用したギターも、来日公演では、見た目のとおりにカジノだが、
レコードは、ジョージはグレッチで間違いないが、ジョンとなると、
リッケンバッカー、ギブソンJ160Eに、ジョージのグレッチだの、
イントロはリッケン12弦だの、これまた諸説あり、決め手がない。
「全曲バイブル」では、ジョンのギターは、ほとんど音が消され、
イントロ、エンディングのみ残し、リズムギターはジョージの音、
そのイントロも、ギブソンか12弦とされるが、確かにこの音色は、
自分のリッケンバッカーでトーンをいじっても、なかなか出ない。
12弦とするには、3弦のオクターブ上の音が聴こえてこないし、
ギブソンなのだろうか、J160Eはアコギでも、マイク付なので、
自分のモーリス・エレアコで試すと、似ても似つかない音になり、
手持ちのストラトの音とも違うから、とりあえず、リッケンで弾く。
リズムギターは、バンドスコアでは、コード進行のA・D・Eに沿い、
ルート音の5弦・4弦・6弦の開放弦に、5度、6度の音を加えて、
2音で弾いているが、他の和音もするから、一緒に鳴らすのか、
あるいは、ジョンの音は消されずにいたのか、ここも悩むところ。
日本公演では、ジョンは、5フレット中心のバレーコードを押さえ、
5度、6度の音を加えて、ジョージも同様のポジションを中心に、
コードを弾いているから、レコードで、メインで鳴っているリフは、
ジョンかと思えて、ジョージとする「全曲バイブル」と意見の相違。
ただ、前年のパリのライブでは、ジョンはリッケンバッカーを弾き、
5フレットでなく、開放弦を使っていて、それでも、薬指を使って、
リフを弾くから、メインのリフはジョンのはずだが、曲の後半では、
日本公演のように5フレットで弾いて、気づくとジョージも同様に。
ドイツ公演などの映像を見ても、けっこう2人とも、押さえるのを、
開放弦と、10~12フレットのハイポジションを、行き来していて、
これが、ハンブルグ時代から、ライブのレパートリーにしている、
底力というか、その場の感じで、伴奏も自在にできるということ。
自分の場合は、バンドスコアに沿って、1~5番でも変更はせず、
開放弦主体のリフを弾き、もう1本をミュート気味のコードにして、
2本のギターにするが、これも、音がきちんと取れる人だったら、
原曲を聴き、途中から変える部分があれば、完コピできるのに。
それよりも問題は、歌の方で、ポールの曲よりは、キーが低いが、
高音で、ジョンのようなシャウト気味に歌うのは、自分は無理で、
とりあえず、かすれながらも高い音で歌うのが、精一杯のうえに、
ブレイクで入る英語の歌詞が早口で、ほとんどろれつが回らない。
そのうえ、歌詞カードが、CDになっても、明らかな間違いが残り、
歌詞カード、楽譜、ネットの歌詞、YouTubeの歌詞付き映像など、
見比べながら覚えていくので、余計に、早口についていけなくて、
何だか、自分が聞いても、何を言っているか、わからない結果に。
66年6月30日、初来日したビートルズの武道館公演の初日に、
ジョンの声が響き渡った、「ロック・アンド・ロール・ミュージック」を、
先日のポールの武道館では、残念ながら演奏されなかったので、
いつもながら、ジョンになりきって、喉をやられながら歌いました。
64年2月だが、アメリカでも、マイナーレーベルでヒットせず、
キャピトルから仕切り直しとなる、「ミート・ザ・ビートルズ」が、
発売されたのが、1月だから、そう乗り遅れたわけでもない。
アメリカでは、64年1月に発売予定していた先行シングル盤、
「抱きしめたい」を、ラジオでリクエストが殺到するのを受けて、
12月に前倒し、日本でも、当初予定していたデビュー作の、
「プリーズ・プリーズ・ミー」を、「抱きしめたい」に変更している。
その後、日本もアメリカも、イギリスで既発のシングル、LPを、
独自に編集して発売し、ビートルズ旋風が吹き荒れるのだが、
アメリカには、64年2月に、ビートルズの4人が早々に上陸し、
伝説となった、テレビ「エド・サリバン・ショー」に出演している。
同時に、ワシントン・コロシアム、カーネギー・ホールでライブ、
さらに、8月にも渡米し、ハリウッド・ボウルなどで全30公演、
翌65年8月には、これも伝説の、シェア・スタジアムでライブ、
ことコンサートとなったら、日本は、大きく水をあけられた形に。
待ちに待ったと言える、ビートルズ日本公演が実現したのは、
66年6月で、リアルタイム世代の人たちは、待望のライブで、
その感激も半端ないくらいだろうが、後追いの自分からすると、
ライブに接するのは、遅きに失したという感がぬぐえずにいる。
初期の大ヒット曲、「抱きしめたい」や「シー・ラヴズ・ユー」は、
演奏曲目、セットリストから消えているし、使用するギターも、
ジョンのトレードマークの、リッケンバッカー325ではなくなり、
ジョージもグレッチをやめ、二人揃って、エピフォンのカジノに。
何より、歓声にうんざりして、ライブへの情熱をなくしてしまって、
アイドルでいるいことへの葛藤が続く中、スタジオ録音としては、
すでに「リボルバー」を完成させていた、ビートルズにとっては、
やっつけ仕事と言ったら失礼だが、苦痛だったのではないか。
そのうえ、この夏以降は、すべてのコンサート活動を中止して、
解散するまで、二度とコンサート会場に4人で立つことがなく、
たった一度だけの来日となってしまったので、もっと早い時期、
何度か公演をしてくれていたらと、無理な注文をつけたくなる。
ただ、そうしたことを考えると、たった一度でも、よく来てくれた、
それだけでも、ありがたかったと、言えないこともなく、複雑で、
ないものねだりをしても、仕方ないから、武道館のステージに、
カジノをかかえたジョンを始め、4人が降臨した姿を眺めよう。
66年6月30日、初来日のビートルズの記念すべき第一声は、
ジョンが一人で歌う、「ロック・アンド・ロール・ミュージック」で、
これは、64年末に出た「ビートルズ・フォー・セール」に収録の、
チャック・ベリーのカバー曲で、アマ時代から演奏していた曲。
年末商戦に間に合うように、アルバムを完成させる必要から、
「フォー・セール」には、昔から演奏していた得意なカバー曲を、
6曲入れることにして、しかも5曲は同じ日に一気に録音して、
「ロック・アンド・ロール~」は、1テイクのみ、たった1回で終了。
一発録音なので、ポールがピアノを弾き、ジョージがベースと、
エンジニアの回想もあるが、通説としては、マーティンが加わり、
ピアノを弾いたとされていて、CD解説などにある、マーティン、
ポール、ジョンの3人でピアノを弾いたなる珍説は、却下だろう。
3人説は、よくブギウギピアノで、1人がベースのフレーズを弾き、
もう1人がコードやアドリブを弾くという、連弾のパターンがあり、
このピアノがそれに似た雰囲気のうえ、曲の最後、5番になると、
高音の3連符も鳴るから、そこで、もう1人加わったと思ったのか。
ポールがピアノを弾くとか、3人で弾くとか、本人たちに聞けば、
すぐにわかりそうなことまで、謎のまま残っていることが多くて、
マーティン、ポールが健在なうちに、演奏、録音に関することを、
もっともっと聞き出しておいて欲しいが、マニアックすぎるのか。
使用したギターも、来日公演では、見た目のとおりにカジノだが、
レコードは、ジョージはグレッチで間違いないが、ジョンとなると、
リッケンバッカー、ギブソンJ160Eに、ジョージのグレッチだの、
イントロはリッケン12弦だの、これまた諸説あり、決め手がない。
「全曲バイブル」では、ジョンのギターは、ほとんど音が消され、
イントロ、エンディングのみ残し、リズムギターはジョージの音、
そのイントロも、ギブソンか12弦とされるが、確かにこの音色は、
自分のリッケンバッカーでトーンをいじっても、なかなか出ない。
12弦とするには、3弦のオクターブ上の音が聴こえてこないし、
ギブソンなのだろうか、J160Eはアコギでも、マイク付なので、
自分のモーリス・エレアコで試すと、似ても似つかない音になり、
手持ちのストラトの音とも違うから、とりあえず、リッケンで弾く。
リズムギターは、バンドスコアでは、コード進行のA・D・Eに沿い、
ルート音の5弦・4弦・6弦の開放弦に、5度、6度の音を加えて、
2音で弾いているが、他の和音もするから、一緒に鳴らすのか、
あるいは、ジョンの音は消されずにいたのか、ここも悩むところ。
日本公演では、ジョンは、5フレット中心のバレーコードを押さえ、
5度、6度の音を加えて、ジョージも同様のポジションを中心に、
コードを弾いているから、レコードで、メインで鳴っているリフは、
ジョンかと思えて、ジョージとする「全曲バイブル」と意見の相違。
ただ、前年のパリのライブでは、ジョンはリッケンバッカーを弾き、
5フレットでなく、開放弦を使っていて、それでも、薬指を使って、
リフを弾くから、メインのリフはジョンのはずだが、曲の後半では、
日本公演のように5フレットで弾いて、気づくとジョージも同様に。
ドイツ公演などの映像を見ても、けっこう2人とも、押さえるのを、
開放弦と、10~12フレットのハイポジションを、行き来していて、
これが、ハンブルグ時代から、ライブのレパートリーにしている、
底力というか、その場の感じで、伴奏も自在にできるということ。
自分の場合は、バンドスコアに沿って、1~5番でも変更はせず、
開放弦主体のリフを弾き、もう1本をミュート気味のコードにして、
2本のギターにするが、これも、音がきちんと取れる人だったら、
原曲を聴き、途中から変える部分があれば、完コピできるのに。
それよりも問題は、歌の方で、ポールの曲よりは、キーが低いが、
高音で、ジョンのようなシャウト気味に歌うのは、自分は無理で、
とりあえず、かすれながらも高い音で歌うのが、精一杯のうえに、
ブレイクで入る英語の歌詞が早口で、ほとんどろれつが回らない。
そのうえ、歌詞カードが、CDになっても、明らかな間違いが残り、
歌詞カード、楽譜、ネットの歌詞、YouTubeの歌詞付き映像など、
見比べながら覚えていくので、余計に、早口についていけなくて、
何だか、自分が聞いても、何を言っているか、わからない結果に。
66年6月30日、初来日したビートルズの武道館公演の初日に、
ジョンの声が響き渡った、「ロック・アンド・ロール・ミュージック」を、
先日のポールの武道館では、残念ながら演奏されなかったので、
いつもながら、ジョンになりきって、喉をやられながら歌いました。
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70年代、ビートルズ解散後、4人の中では、一番積極的に、
ライブを行っていたポールは、ウイングスとビートルズとは、
違うと主張するように、ビートルズの曲はほとんど演奏せず、
セットリストは、ソロの、それもウイングスの曲が大半だった。
3枚組となるライブ盤でも、ビートルズの曲は5曲に過ぎず、
「イエスタデイ」、「ブラックバード」の弾き語り、「夢の人」の、
アンプラグド、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」、
「レディ・マドンナ」のバンド演奏で、ポールの単独曲ばかり。
ところが、ある時から吹っきれたのか、90年の来日公演は、
ビートルズの曲が、セットリストの半数近くを占め、続いての、
93年、2002年でも、曲目を入れ替えつつ、半数近くであり、
一昨年、今年のツアーでは、7割近くが、ビートルズの曲に。
YouTubeでは、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の映像まであって、
中間部はポールの作曲だが、大半は、ジョンの作った曲だし、
何と、ジョンのソロ曲、「平和を我らに」まで歌って、この曲は、
レノン=マッカートニーの名義とは言え、ここまでやるのかと。
おそらく、ポールは、ジョン、ジョージ亡き今、生き残っている、
ビートルズ本人として、ビートルズの曲を演奏し続ける責任を、
痛感していて、さらに、現役時代、ライブ演奏していない曲を、
少しでも多く再現していこうと、レパートリーに加えるのだろう。
ただ、ポール自身は、重苦しい使命感のようなものではなく、
「お、こんな良い曲もあった、次のライブで、やってみよう。」と、
前向きなノリだろうし、観客がサプライズに感激する姿を見て、
それが嬉しくて仕方なく、また次へとつながっている気がする。
2013年から続く、アウト・ゼアー・ツアーでは、ジョージの曲、
「サムシング」と共に、ジョンの単独曲だとばかり思っていた、
「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」を、
歌っているうえ、この曲が共作だったと、伝記でも語っていた。
ジョン派の自分としては、何でもかんでも共作にされるのかと、
ちょっと構えてしまうが、ジョンも解散後、すべてを1人だけで、
作ったのは、わずかであり、ほとんどは、1人によって作られ、
残りのメンバーが手を加えて完成したものだと、語っていた。
その際、共作としてリストに載せていたのは、20曲程度だが、
他の曲でも、「僕の曲だけど、ポールが手助けしてくれた。」、
「ポールのです。でも、ミドルでは僕も手伝いました。」などと、
コメントして、多かれ少なかれ、2人の手によったのがわかる。
「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は、
67年に発売で、ロック史上、初のコンセプト・アルバムとされ、
架空のバンドに扮して、そのライブ・ショーを模し、テーマ曲が、
最後に繰り返され、アンコールになるという、凝っている作り。
「ミスター・カイト」は、A面の最後を飾る曲だが、ジョン自身は、
「ショーへいらっしゃいと言ったのは、ポールで、そんなことは、
僕は言わない。」だの、「今日、新聞を読んだと言っただけ。」
「ミスター・カイトとかを、大急ぎで作ったに過ぎない。」と主張。
コンセプト・アルバムと言っても、各曲が相互に関連はせずに、
ただ、テーマ曲と、アンコールの形式になっているだけなので、
前後のアルバムの、別の曲と入れ替えても、変わらないなど、
酷評もされるが、自分には、慣れ親しんだ、この曲順しかない。
そして、「ミスター・カイト」は、オーケストラが伴奏する、甘美な、
ポールの「シーズ・リービング・ホーム」に続いた、イントロこそ、
しっくりとくるし、曲が終わったら、LPレコードをひっくり返す間、
しばらく余韻があり、B面のジョージのシタールになるのが良い。
「ミスター・カイト」は、「ストロベリー・フィールズ」のPVの撮影で、
イギリス・ケント州に行った際、立ち寄った骨董品店で見つけた、
サーカスのポスターから、ジョンが、インスピレーションを受けて、
歌詞のカイト氏やヘンダーソン氏も、ポスターに登場する名前。
そのポスターは、レプリカまで作られ、ネットに画像も出ているが、
細かい文字までは、自分のPCでは判読できないので、歌詞が、
人名だけはでなく、何から何まで、宣伝文句を引用しているのか、
不明なのだが、ポスターの世界を音で表現しようとしたのは事実。
サーカスの雰囲気を再現するに際して、ジョンは、マーティンに、
「床に敷いたおがくずの匂いがするような」と、抽象的な表現をし、
マーティン自ら、ハーモニウムを弾いたり、スチームオルガンの、
演奏したテープを、切り刻んで、つなげ直し、その要求に応えた。
「トゥモロー・ネバー・ノウズ」で、「山頂からダライ・ラマの念仏が、
聴こえてくるような声にしてほしい。」と言って、録音のスタッフが、
オルガン用のレスリー・スピーカーに、マイクをつなげたりしたが、
それに比べても、あまりに漠然とした要求で、ポールとは大違い。
ただ、アンソロジーで聴ける、ポールのベース、リンゴのドラムに、
マーティンのハーモニウムという、ベーシック・トラックの演奏でも、
十分にサーカスの雰囲気が出ていて、そこにジョンの歌が入ると、
これだけでも十分で、細工なしでも通用する、本家本元の強みが。
後半のテープのエフェクトは、「星条旗よ永遠なれ」のテープから、
切り刻んだと言うが、さかさまにつなげて、逆回転になったにせよ、
テープスピードがそのままにしては、かなり早いフレーズもあって、
このあたり謎で、つなげたテープだけの音は、YouTubeで聴ける。
アンソロジーのアウトテイク音源で、海賊盤が出ているのだろうか、
もともとは、ペパーズのメイキングとして、マーティンが解説する中、
「ミスター・カイト」も、ミキサーを操作して、ジョンの声だけにしたり、
ドラムだけにしてから、そのサウンドエフェクトだけを鳴らしてくれる。
バンドスコアでは、SEと書かれ、音は全然採譜されていないから、
アウトテイクを参考に演奏したが、オルガンの音さえ鳴っていれば、
何となく雰囲気は出るだろうと、かなり手抜きで仕上げてしまって、
YouTubeの達人らの、完コピのSEは、どれほど手間をかけるのか。
前作「リボルバー」のレスリースピーカーに始まり、ジョンの歌声は、
加工されたり、トッポ・ジージョの、甲高い声色を出すようになるが、
自分がそうすると、あまりに極端なギャグの声になってしまうので、
多少は意識しつつも、ほとんど地声で歌って、リバーブを深くした。
歌詞は、そんなに早口ではないのに、ついつい、あせってしまって、
リズムを外したり、昔から、うろ覚えの歌詞で、口ずさんでいたから、
「トランポリン」が「タンバリン」、2回出てくる「パフォーム・ヒズ~」は、
パが聴こえず、「ボーン・イズ」で歌う癖があり、何度も歌い直した。
ポールが、今年もライブで再現してくれた、「ビーイング・フォー・ザ・
ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」を、もっとジョンみたいな感じで、
歌ってくれればと良いのになあと、いつもながら、分をわきまえず、
なりきりジョンで歌いましたが、舌が回らないし、演奏も今一歩です。
ライブを行っていたポールは、ウイングスとビートルズとは、
違うと主張するように、ビートルズの曲はほとんど演奏せず、
セットリストは、ソロの、それもウイングスの曲が大半だった。
3枚組となるライブ盤でも、ビートルズの曲は5曲に過ぎず、
「イエスタデイ」、「ブラックバード」の弾き語り、「夢の人」の、
アンプラグド、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」、
「レディ・マドンナ」のバンド演奏で、ポールの単独曲ばかり。
ところが、ある時から吹っきれたのか、90年の来日公演は、
ビートルズの曲が、セットリストの半数近くを占め、続いての、
93年、2002年でも、曲目を入れ替えつつ、半数近くであり、
一昨年、今年のツアーでは、7割近くが、ビートルズの曲に。
YouTubeでは、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の映像まであって、
中間部はポールの作曲だが、大半は、ジョンの作った曲だし、
何と、ジョンのソロ曲、「平和を我らに」まで歌って、この曲は、
レノン=マッカートニーの名義とは言え、ここまでやるのかと。
おそらく、ポールは、ジョン、ジョージ亡き今、生き残っている、
ビートルズ本人として、ビートルズの曲を演奏し続ける責任を、
痛感していて、さらに、現役時代、ライブ演奏していない曲を、
少しでも多く再現していこうと、レパートリーに加えるのだろう。
ただ、ポール自身は、重苦しい使命感のようなものではなく、
「お、こんな良い曲もあった、次のライブで、やってみよう。」と、
前向きなノリだろうし、観客がサプライズに感激する姿を見て、
それが嬉しくて仕方なく、また次へとつながっている気がする。
2013年から続く、アウト・ゼアー・ツアーでは、ジョージの曲、
「サムシング」と共に、ジョンの単独曲だとばかり思っていた、
「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」を、
歌っているうえ、この曲が共作だったと、伝記でも語っていた。
ジョン派の自分としては、何でもかんでも共作にされるのかと、
ちょっと構えてしまうが、ジョンも解散後、すべてを1人だけで、
作ったのは、わずかであり、ほとんどは、1人によって作られ、
残りのメンバーが手を加えて完成したものだと、語っていた。
その際、共作としてリストに載せていたのは、20曲程度だが、
他の曲でも、「僕の曲だけど、ポールが手助けしてくれた。」、
「ポールのです。でも、ミドルでは僕も手伝いました。」などと、
コメントして、多かれ少なかれ、2人の手によったのがわかる。
「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は、
67年に発売で、ロック史上、初のコンセプト・アルバムとされ、
架空のバンドに扮して、そのライブ・ショーを模し、テーマ曲が、
最後に繰り返され、アンコールになるという、凝っている作り。
「ミスター・カイト」は、A面の最後を飾る曲だが、ジョン自身は、
「ショーへいらっしゃいと言ったのは、ポールで、そんなことは、
僕は言わない。」だの、「今日、新聞を読んだと言っただけ。」
「ミスター・カイトとかを、大急ぎで作ったに過ぎない。」と主張。
コンセプト・アルバムと言っても、各曲が相互に関連はせずに、
ただ、テーマ曲と、アンコールの形式になっているだけなので、
前後のアルバムの、別の曲と入れ替えても、変わらないなど、
酷評もされるが、自分には、慣れ親しんだ、この曲順しかない。
そして、「ミスター・カイト」は、オーケストラが伴奏する、甘美な、
ポールの「シーズ・リービング・ホーム」に続いた、イントロこそ、
しっくりとくるし、曲が終わったら、LPレコードをひっくり返す間、
しばらく余韻があり、B面のジョージのシタールになるのが良い。
「ミスター・カイト」は、「ストロベリー・フィールズ」のPVの撮影で、
イギリス・ケント州に行った際、立ち寄った骨董品店で見つけた、
サーカスのポスターから、ジョンが、インスピレーションを受けて、
歌詞のカイト氏やヘンダーソン氏も、ポスターに登場する名前。
そのポスターは、レプリカまで作られ、ネットに画像も出ているが、
細かい文字までは、自分のPCでは判読できないので、歌詞が、
人名だけはでなく、何から何まで、宣伝文句を引用しているのか、
不明なのだが、ポスターの世界を音で表現しようとしたのは事実。
サーカスの雰囲気を再現するに際して、ジョンは、マーティンに、
「床に敷いたおがくずの匂いがするような」と、抽象的な表現をし、
マーティン自ら、ハーモニウムを弾いたり、スチームオルガンの、
演奏したテープを、切り刻んで、つなげ直し、その要求に応えた。
「トゥモロー・ネバー・ノウズ」で、「山頂からダライ・ラマの念仏が、
聴こえてくるような声にしてほしい。」と言って、録音のスタッフが、
オルガン用のレスリー・スピーカーに、マイクをつなげたりしたが、
それに比べても、あまりに漠然とした要求で、ポールとは大違い。
ただ、アンソロジーで聴ける、ポールのベース、リンゴのドラムに、
マーティンのハーモニウムという、ベーシック・トラックの演奏でも、
十分にサーカスの雰囲気が出ていて、そこにジョンの歌が入ると、
これだけでも十分で、細工なしでも通用する、本家本元の強みが。
後半のテープのエフェクトは、「星条旗よ永遠なれ」のテープから、
切り刻んだと言うが、さかさまにつなげて、逆回転になったにせよ、
テープスピードがそのままにしては、かなり早いフレーズもあって、
このあたり謎で、つなげたテープだけの音は、YouTubeで聴ける。
アンソロジーのアウトテイク音源で、海賊盤が出ているのだろうか、
もともとは、ペパーズのメイキングとして、マーティンが解説する中、
「ミスター・カイト」も、ミキサーを操作して、ジョンの声だけにしたり、
ドラムだけにしてから、そのサウンドエフェクトだけを鳴らしてくれる。
バンドスコアでは、SEと書かれ、音は全然採譜されていないから、
アウトテイクを参考に演奏したが、オルガンの音さえ鳴っていれば、
何となく雰囲気は出るだろうと、かなり手抜きで仕上げてしまって、
YouTubeの達人らの、完コピのSEは、どれほど手間をかけるのか。
前作「リボルバー」のレスリースピーカーに始まり、ジョンの歌声は、
加工されたり、トッポ・ジージョの、甲高い声色を出すようになるが、
自分がそうすると、あまりに極端なギャグの声になってしまうので、
多少は意識しつつも、ほとんど地声で歌って、リバーブを深くした。
歌詞は、そんなに早口ではないのに、ついつい、あせってしまって、
リズムを外したり、昔から、うろ覚えの歌詞で、口ずさんでいたから、
「トランポリン」が「タンバリン」、2回出てくる「パフォーム・ヒズ~」は、
パが聴こえず、「ボーン・イズ」で歌う癖があり、何度も歌い直した。
ポールが、今年もライブで再現してくれた、「ビーイング・フォー・ザ・
ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」を、もっとジョンみたいな感じで、
歌ってくれればと良いのになあと、いつもながら、分をわきまえず、
なりきりジョンで歌いましたが、舌が回らないし、演奏も今一歩です。

自分がポールのライブを見たのは、90年東京ドームだけで、
ウイングスの全盛期のレパートリーを期待して、出かけたら、
代表的な数曲のみで、大半が、ビートルズの曲だったうえに、
これまで披露していない後期の曲が多いのに、すごく驚いた。
「イエスタデイ」、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」の、
ウイングスでも演奏した定番曲は、当然やるとは思っていたが、
「フール・オン・ザ・ヒル」に続き、「サージェント・ペパーズ~」と、
ビートルズでは、演奏していない(できなかった?)曲がずらり。
そのうえ、「アビイ・ロード」B面メドレーの、最終章を飾った3曲、
「ゴールデン・スランバー」から、「キャリー・ザット・ウェイト」へ、
さらに「ジ・エンド」と続く、本当に信じられない光景を目にして、
嬉しい反面、どこかもの悲しい、不思議な気分で帰途に着く。
ビートルズの実質的なラスト・アルバムの、「アビイ・ロード」の、
大団円を飾るメドレーだが、ラストアルバムと思って聴くから、
余計に、当時のビートルズの人間関係、歌われた歌詞などに、
いろいろ思いをめぐらせ、自分勝手に盛り上がるところがある。
そもそも、後発の「レット・イット・ビー」より、「アビイ・ロード」が、
あとから録音されたもので、これが4人の最後の演奏だったと、
いつくらいに知ったのか、中学時代は「レット・イット・ビー」が、
最後のLPで、映画での、屋上ライブが最後の姿と思っていた。
よく考えれば、映画で、リンゴが「オクトパス・ガーデン」を作曲、
ポールも、「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」のコードを、
みんなに伝えながら、練習している風景があるから、このあと、
「アビイ・ロード」が録音されたと、気づいても良さそうなのだが。
ゲット・バック・セッションでは、メンバーの不和が目立ってきて、
アルバムも未完成となってしまい、きちんとアルバムを作ろうと、
ポールが3人を説得、ジョージ・マーティンにもプロデュースを、
依頼して、最後の力を振り絞って、最高傑作を作ったとされる。
新潮文庫の、「ロック~ベスト・アルバム・セレクション」の中で、
「レット・イット・ビーによって、解散は決定的なものになって~」
「メンバー全員は、アビイロードが最後のアルバムになることを、
充分自覚して作った~」と、かなり早い段階で、渋谷陽一が書く。
さらに、「虚像であるビートルズを、意識的に演じてみせた。」と、
述べていて、これは中山康樹も、「これがビートルズだ」の中で、
「ロマンの領域だが」と前置きして、「ペパーズで架空のバンドに、
扮したように、ビートルズに扮して、最高のアルバムを作る」と。
「真実のビートルズ・サウンド」の川瀬泰雄も、「全員が、おそらく、
これが最後のアルバムになるだろうと、予感を抱き~」と語るが、
一方、「ビートルズを存続させたかったポールに、プロデュースを、
依頼されたジョージ・マーティンは~」といった書き方もしている。
ヨーコしか眼中になくなっていたジョン、3枚組大作となるソロを、
準備中のジョージはともかく、ポールだけは、「アビイ・ロード」で、
最後だとは考えていなくて、逆に、こんな名作ができたのだから、
まだまだ、ビートルズでいけるぞと、手ごたえさえ感じたのでは。
だいたい、脱退宣言から解散訴訟と、世間を騒がせたポールが、
「本当に解散するとは思わなかった」と回想していて、このあたり、
ジョンとは別の意味で、何を考えているんだという天然さであり、
でも、それが本心で、「アビイ・ロード」も他の3人とは違ったかと。
アビイ・ロード・スタジオを出て行く4人の姿の、ジャケット写真も、
ビートルズ最後の姿として、威厳に満ちていると、多くの本でも、
書かれているのだがが、実際には、戻ってくる写真も撮影されて、
いったい、どこまでを、4人とも、最後だと思っていたのかは不明。
シークレット・トラック扱いとなる、「ハー・マジェスティ」は別にして、
アルバムの最後の「ジ・エンド」も、ビートルズからの惜別の歌で、
白鳥の歌とされるが、当初の仮タイトルでは、「エンディング」で、
メドレーの最後に持ってくる曲という程度の、位置づけだったかと。
その「アビイ・ロード」のB面メドレーは、「ヒヤ・カムズ・ザ・サン」で、
すでに始まっているとか、2曲目「ビコーズ」が序章となっていると、
諸説あるが、一般に、「ユー・ネバー・ギブ・ミー・ユア・マネー」から、
始まるとされて、この曲自体が、3つのパターンでのメドレー形式。
「サン・キング」と「ミーン・ミスター・マスタード」は続けて演奏されて、
すごいのは、ジョンの「ポリシーン・パム」と、ポールの「シー・ケイム・
イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドウ」も、まるで1つの曲のように、
ライブで続けて録音し、ジョンがポールに「いけ!」と、あおっている。
そして、いったん曲が切れて、静寂のあとから浮かぶ、ピアノの音、
メドレーの最終章は、「ゴールデン・スランバー」から始まり、続けて、
「キャリー・ザット・ウエイト」を演奏し、「ジ・エンド」だけ、別の録音で、
前の曲をさえぎるように始まる形で編集し、メドレーは大団円となる。
「ゴールデン・スランバー」は、昔の子守唄の歌詞を引用したのだが、
冒頭の「かつて、そこには、家へと帰っていく道があった。」の部分は、
ポールの作詞で、「ゲット・バック」や「ザ・ロング・アンド~」と同様に、
昔の4人へ戻れないか、ジョン、こっちを向けよ、の訴えにも思える。
そして、「キャリー・ザット・ウエイト」に続くと、曲の中間部で、唐突に、
「ユー・ネバー・ギブ・ミー~」のメロディが流れ、ギターソロをはさみ、
本編とは歌詞を変えて、「重荷を背負え」のタイトルに呼応するよう、
「君に枕はあげない、ただ招待したにすぎない。」として、韻をふむ。
メドレーを意識して、前半の曲のメロディを、繰り返したのだろうが、
深読みや、自分の知っていることと、関連させたくなる性格なので、
ランボーが、「地獄の一季節」の中で、かつて、自分が書いた詩の、
「最も高い塔の歌」、「永遠の海」を改変して、登場させたことを彷彿。
そして、曲の最後も、「ユー・ネバー・ギブ~」のエンディングに出た、
ギターのアルペジオのフレーズが再現された途端、それをさえぎり、
「ジ・エンド」の始まりを告げるよう、ギターのチョーキングが叫ぶと、
リンゴの渾身のドラム・ソロ、3人のギター・バトルへと、なだれ込む。
リンゴの最初にして最後のドラムソロは、厳密には、「バースデイ」で、
タンバリンとの演奏や、「エブリー・リトリ・シング」でのティンパニーが、
すでにドラムソロをやっていたと言えなくもないが、ドラムだけになり、
スネアやタムを自在に叩く、いわゆるドラムソロは、この曲でしかない。
このリンゴのソロは、すごく存在感があって、タムの入るタイミングが、
「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」などでも聴ける、リンゴならでは、絶妙さで
「キャリー・ザット・ウエイト」のコーラスも、リンゴの歌声が目立つから、
何かの機会に、ポールと、このメドレーで共演してほしいと、切に願う。
そして、ポール、ジョージ、ジョンの順で、3回も繰り返されるバトルも、
全アルバム中、この1曲のみで、普通のツイン・リードの掛け合いさえ、
これまでは、なかったから、かなりギターが目立つ、約30秒間となり、
ギターにうるさい連中にも、3人のギターの腕を見せつけられたと思う。
自分も中学時代に、青表紙のバンドスコアに出ていたから、練習して、
メドレーの曲では、「サン・キング」のジョンのスリー・フィンガー奏法も、
かなり練習した記憶がある反面、「ユー・ネバー~」のリードギターは、
覚えていないから、メドレー全部では、スコアに載っていなかったはず。
当時、憧れた、日本一のビートルズ・コピーバンド、バッドボーイズは、
B面メドレーも再現すると言われて、実際に聴いたことはなかったが、
YouTubeに74年のライブ音源があって、この3曲メドレーを、ピアノや、
オーケストラは、ないものの、かなり見事に演奏して、さすがの実力。
リンゴのドラムは、どの曲もそっくりだし、特に、ギターバトルの部分は、
ジョージが1人で3人分弾いていて、今日、YouTubeにあるカバー演奏、
さらには、ポールのライブで聴けるよりも、レコードのフレーズと同じで、
1本のギターだから音色の変化は無理だが、ニュアンスまで再現した。
資料では、ジョンとポールがカジノ、ジョージがレスポールを弾いたと、
書かれているが、ジョージはテレキャス説もあり、さらにソロの順番も、
ポール、ジョージ、ジョンが、2回目は入れ替わっているという説もあり、
ギターの音色、フレーズで、聞き分けられるわけでもないと、またも謎に。
自分の演奏は、レスポールだと音が歪みすぎて、しかも、こもるので、
どれもストラトで弾いたが、キャンキャンした音になりすぎてしまって、
退職して、カジノやJ160Eを買ったら、これまで演奏してきた曲も含め、
全部の曲をドラムパートから、やり直そうと、取らぬ狸の皮算用をする。
「ジ・エンド」の、「ラーブ・ユー」のコーラスは、最初に右チャンネルで、
途中から左チャンに変わるが、自分のMTRでは、チャンネルごとに、
パンのつまみがないから、3トラックを一度に左右切替えができなくて、
特に動かさないし、他の部分でも、左右の定位は、かなり本物と違う。
ドラムのテンポを演奏中に変えることも、今のMTRではできないので、
「ジ・エンド」は、他の2曲より早いから、別々に録音して、最後の部分、
テンポが遅くなる部分では、小節を無視して、ドラムをリアルタイムで、
叩いて録音したら、リズム音痴の、自分のドラムに合わせるのに苦労。
「キャリー・ザット・ウエイト」は、ポールが、あとから、マーティンD18を、
ダビングしたと資料にあるが、どう聴いても、リズムギターは聴こえず、
バンドスコアにもないのだが、一応エレアコで、コードだけ刻んでおき、
ミキシングで、音がするかしないかくらいに絞り、雰囲気は出しておく。
最近のポールのライブでは、この3曲のメドレーを、最後に演奏して、
「もう帰る時間です」のMCと共に、「ゴールデン・スランバー」となるが、
リンゴが現れ、「グッド・ナイト」を歌い出す、ギャグをやってくれないか、
その後、リンゴがドラムに座って、メドレーを始めてくれないだろうか。
何だかんだと書いてきて、自分が一番、この曲、このメドレーに対し、
ビートルズ最後の曲という、思い入れが強すぎて、支離滅裂になり、
演奏にしても、かなり無理のあるレベル、まして、ポールの歌だから、
高いキーがきつく、熱意だけでも伝わればの、自己満足の演奏です。
ウイングスの全盛期のレパートリーを期待して、出かけたら、
代表的な数曲のみで、大半が、ビートルズの曲だったうえに、
これまで披露していない後期の曲が多いのに、すごく驚いた。
「イエスタデイ」、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」の、
ウイングスでも演奏した定番曲は、当然やるとは思っていたが、
「フール・オン・ザ・ヒル」に続き、「サージェント・ペパーズ~」と、
ビートルズでは、演奏していない(できなかった?)曲がずらり。
そのうえ、「アビイ・ロード」B面メドレーの、最終章を飾った3曲、
「ゴールデン・スランバー」から、「キャリー・ザット・ウェイト」へ、
さらに「ジ・エンド」と続く、本当に信じられない光景を目にして、
嬉しい反面、どこかもの悲しい、不思議な気分で帰途に着く。
ビートルズの実質的なラスト・アルバムの、「アビイ・ロード」の、
大団円を飾るメドレーだが、ラストアルバムと思って聴くから、
余計に、当時のビートルズの人間関係、歌われた歌詞などに、
いろいろ思いをめぐらせ、自分勝手に盛り上がるところがある。
そもそも、後発の「レット・イット・ビー」より、「アビイ・ロード」が、
あとから録音されたもので、これが4人の最後の演奏だったと、
いつくらいに知ったのか、中学時代は「レット・イット・ビー」が、
最後のLPで、映画での、屋上ライブが最後の姿と思っていた。
よく考えれば、映画で、リンゴが「オクトパス・ガーデン」を作曲、
ポールも、「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」のコードを、
みんなに伝えながら、練習している風景があるから、このあと、
「アビイ・ロード」が録音されたと、気づいても良さそうなのだが。
ゲット・バック・セッションでは、メンバーの不和が目立ってきて、
アルバムも未完成となってしまい、きちんとアルバムを作ろうと、
ポールが3人を説得、ジョージ・マーティンにもプロデュースを、
依頼して、最後の力を振り絞って、最高傑作を作ったとされる。
新潮文庫の、「ロック~ベスト・アルバム・セレクション」の中で、
「レット・イット・ビーによって、解散は決定的なものになって~」
「メンバー全員は、アビイロードが最後のアルバムになることを、
充分自覚して作った~」と、かなり早い段階で、渋谷陽一が書く。
さらに、「虚像であるビートルズを、意識的に演じてみせた。」と、
述べていて、これは中山康樹も、「これがビートルズだ」の中で、
「ロマンの領域だが」と前置きして、「ペパーズで架空のバンドに、
扮したように、ビートルズに扮して、最高のアルバムを作る」と。
「真実のビートルズ・サウンド」の川瀬泰雄も、「全員が、おそらく、
これが最後のアルバムになるだろうと、予感を抱き~」と語るが、
一方、「ビートルズを存続させたかったポールに、プロデュースを、
依頼されたジョージ・マーティンは~」といった書き方もしている。
ヨーコしか眼中になくなっていたジョン、3枚組大作となるソロを、
準備中のジョージはともかく、ポールだけは、「アビイ・ロード」で、
最後だとは考えていなくて、逆に、こんな名作ができたのだから、
まだまだ、ビートルズでいけるぞと、手ごたえさえ感じたのでは。
だいたい、脱退宣言から解散訴訟と、世間を騒がせたポールが、
「本当に解散するとは思わなかった」と回想していて、このあたり、
ジョンとは別の意味で、何を考えているんだという天然さであり、
でも、それが本心で、「アビイ・ロード」も他の3人とは違ったかと。
アビイ・ロード・スタジオを出て行く4人の姿の、ジャケット写真も、
ビートルズ最後の姿として、威厳に満ちていると、多くの本でも、
書かれているのだがが、実際には、戻ってくる写真も撮影されて、
いったい、どこまでを、4人とも、最後だと思っていたのかは不明。
シークレット・トラック扱いとなる、「ハー・マジェスティ」は別にして、
アルバムの最後の「ジ・エンド」も、ビートルズからの惜別の歌で、
白鳥の歌とされるが、当初の仮タイトルでは、「エンディング」で、
メドレーの最後に持ってくる曲という程度の、位置づけだったかと。
その「アビイ・ロード」のB面メドレーは、「ヒヤ・カムズ・ザ・サン」で、
すでに始まっているとか、2曲目「ビコーズ」が序章となっていると、
諸説あるが、一般に、「ユー・ネバー・ギブ・ミー・ユア・マネー」から、
始まるとされて、この曲自体が、3つのパターンでのメドレー形式。
「サン・キング」と「ミーン・ミスター・マスタード」は続けて演奏されて、
すごいのは、ジョンの「ポリシーン・パム」と、ポールの「シー・ケイム・
イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドウ」も、まるで1つの曲のように、
ライブで続けて録音し、ジョンがポールに「いけ!」と、あおっている。
そして、いったん曲が切れて、静寂のあとから浮かぶ、ピアノの音、
メドレーの最終章は、「ゴールデン・スランバー」から始まり、続けて、
「キャリー・ザット・ウエイト」を演奏し、「ジ・エンド」だけ、別の録音で、
前の曲をさえぎるように始まる形で編集し、メドレーは大団円となる。
「ゴールデン・スランバー」は、昔の子守唄の歌詞を引用したのだが、
冒頭の「かつて、そこには、家へと帰っていく道があった。」の部分は、
ポールの作詞で、「ゲット・バック」や「ザ・ロング・アンド~」と同様に、
昔の4人へ戻れないか、ジョン、こっちを向けよ、の訴えにも思える。
そして、「キャリー・ザット・ウエイト」に続くと、曲の中間部で、唐突に、
「ユー・ネバー・ギブ・ミー~」のメロディが流れ、ギターソロをはさみ、
本編とは歌詞を変えて、「重荷を背負え」のタイトルに呼応するよう、
「君に枕はあげない、ただ招待したにすぎない。」として、韻をふむ。
メドレーを意識して、前半の曲のメロディを、繰り返したのだろうが、
深読みや、自分の知っていることと、関連させたくなる性格なので、
ランボーが、「地獄の一季節」の中で、かつて、自分が書いた詩の、
「最も高い塔の歌」、「永遠の海」を改変して、登場させたことを彷彿。
そして、曲の最後も、「ユー・ネバー・ギブ~」のエンディングに出た、
ギターのアルペジオのフレーズが再現された途端、それをさえぎり、
「ジ・エンド」の始まりを告げるよう、ギターのチョーキングが叫ぶと、
リンゴの渾身のドラム・ソロ、3人のギター・バトルへと、なだれ込む。
リンゴの最初にして最後のドラムソロは、厳密には、「バースデイ」で、
タンバリンとの演奏や、「エブリー・リトリ・シング」でのティンパニーが、
すでにドラムソロをやっていたと言えなくもないが、ドラムだけになり、
スネアやタムを自在に叩く、いわゆるドラムソロは、この曲でしかない。
このリンゴのソロは、すごく存在感があって、タムの入るタイミングが、
「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」などでも聴ける、リンゴならでは、絶妙さで
「キャリー・ザット・ウエイト」のコーラスも、リンゴの歌声が目立つから、
何かの機会に、ポールと、このメドレーで共演してほしいと、切に願う。
そして、ポール、ジョージ、ジョンの順で、3回も繰り返されるバトルも、
全アルバム中、この1曲のみで、普通のツイン・リードの掛け合いさえ、
これまでは、なかったから、かなりギターが目立つ、約30秒間となり、
ギターにうるさい連中にも、3人のギターの腕を見せつけられたと思う。
自分も中学時代に、青表紙のバンドスコアに出ていたから、練習して、
メドレーの曲では、「サン・キング」のジョンのスリー・フィンガー奏法も、
かなり練習した記憶がある反面、「ユー・ネバー~」のリードギターは、
覚えていないから、メドレー全部では、スコアに載っていなかったはず。
当時、憧れた、日本一のビートルズ・コピーバンド、バッドボーイズは、
B面メドレーも再現すると言われて、実際に聴いたことはなかったが、
YouTubeに74年のライブ音源があって、この3曲メドレーを、ピアノや、
オーケストラは、ないものの、かなり見事に演奏して、さすがの実力。
リンゴのドラムは、どの曲もそっくりだし、特に、ギターバトルの部分は、
ジョージが1人で3人分弾いていて、今日、YouTubeにあるカバー演奏、
さらには、ポールのライブで聴けるよりも、レコードのフレーズと同じで、
1本のギターだから音色の変化は無理だが、ニュアンスまで再現した。
資料では、ジョンとポールがカジノ、ジョージがレスポールを弾いたと、
書かれているが、ジョージはテレキャス説もあり、さらにソロの順番も、
ポール、ジョージ、ジョンが、2回目は入れ替わっているという説もあり、
ギターの音色、フレーズで、聞き分けられるわけでもないと、またも謎に。
自分の演奏は、レスポールだと音が歪みすぎて、しかも、こもるので、
どれもストラトで弾いたが、キャンキャンした音になりすぎてしまって、
退職して、カジノやJ160Eを買ったら、これまで演奏してきた曲も含め、
全部の曲をドラムパートから、やり直そうと、取らぬ狸の皮算用をする。
「ジ・エンド」の、「ラーブ・ユー」のコーラスは、最初に右チャンネルで、
途中から左チャンに変わるが、自分のMTRでは、チャンネルごとに、
パンのつまみがないから、3トラックを一度に左右切替えができなくて、
特に動かさないし、他の部分でも、左右の定位は、かなり本物と違う。
ドラムのテンポを演奏中に変えることも、今のMTRではできないので、
「ジ・エンド」は、他の2曲より早いから、別々に録音して、最後の部分、
テンポが遅くなる部分では、小節を無視して、ドラムをリアルタイムで、
叩いて録音したら、リズム音痴の、自分のドラムに合わせるのに苦労。
「キャリー・ザット・ウエイト」は、ポールが、あとから、マーティンD18を、
ダビングしたと資料にあるが、どう聴いても、リズムギターは聴こえず、
バンドスコアにもないのだが、一応エレアコで、コードだけ刻んでおき、
ミキシングで、音がするかしないかくらいに絞り、雰囲気は出しておく。
最近のポールのライブでは、この3曲のメドレーを、最後に演奏して、
「もう帰る時間です」のMCと共に、「ゴールデン・スランバー」となるが、
リンゴが現れ、「グッド・ナイト」を歌い出す、ギャグをやってくれないか、
その後、リンゴがドラムに座って、メドレーを始めてくれないだろうか。
何だかんだと書いてきて、自分が一番、この曲、このメドレーに対し、
ビートルズ最後の曲という、思い入れが強すぎて、支離滅裂になり、
演奏にしても、かなり無理のあるレベル、まして、ポールの歌だから、
高いキーがきつく、熱意だけでも伝わればの、自己満足の演奏です。

ポールの武道館公演は、昨年に予定されていた時から、
特別なセットリストにしてくれるだろうと、期待されていて、
ビートルズの来日時と全く同じ曲で、第一部を行うなどと、
さすがにありえないことまで、ファンの夢は広がっていた。
何曲か、当時の曲をやってくれるだろう、初来日第一声に、
ジョンが歌った、「ロックン・ロール・ミュージック」はどうか、
最後にポールが歌った、「アイム・ダウン」なら、以前にも、
ライブで演奏しているから、可能性は大きいんじゃないか。
ファンのサイトでは、セットリストの予想は膨らんでいくが、
当たり前すぎることは、やらないのか、その2曲もなくって、
世界初公開の「アナザー・ガール」に、日本では初となる、
「バースデイ」を演奏してくれたが、武道館とは無縁の曲。
それでも、もともと、今回のアウト・ゼアーのセットリストで、
ビートルズの武道館公演と、共通している曲が2曲あり、
その「イエスタデイ」と、「ペーパーバック・ライター」は共に、
武道館でも演奏されたから、少しは期待に応えたことに。
「ペーパーバック・ライター」は、66年6月に発売となった、
シングル盤で、来日時は、まさに出来立てのホヤホヤで、
この年の夏以降、コンサート活動を中止してしまったから、
結果的には、最後の新曲披露、ライブ演奏の曲になった。
来日時、ビートルズは、「リボルバー」の録音を終えていて、
「ペーパーバック・ライター」も、その一連の作品となるから、
スタジオでの作業も多いのだが、B面「レイン」ほどではなく、
何とか再現できると、プロモーションの一環で演奏したとか。
その、スタジオでダビングを重ねた、複雑なハーモニーを、
3人のコーラスでは再現できるはずもなくて、武道館では、
貧弱なハモリだったと言われるのだが、海賊盤で聴いたり、
テレビ再放送を見た時も、自分は、特に違和感はなかった。
もともと、自分が、レコードのハモを、きちんと聴いてなくて、
「ペーパーバーック・ラーイター、ラーイター、ラーイター」と、
最後のライターの部分だけ、ずらして歌っていると思い込み、
中学時代の、二人きりのコピーバンドでも、そうやっていた。
今回、バンドスコアを見ながら聴いたら、「ペーパーバック、
ペーパーバック、ペーパーバック」と、歌い出しからずらして、
まるで、「カエルの歌」や「静かな湖畔」の、輪唱のようだし、
2巡目までは2声でハモって、5人分のハモリになっている。
輪唱を意識したのか、後半のハモリは、ララとかウーでなく、
「フレール・ジャック」と歌っていて、これはフランスの童謡で、
輪唱としても歌われる曲で、日本では、「グーチョキパー」で、
知られるメロディ、ポールの遊び心あふれるアイデアらしい。
バンドスコアは、肝心のここが、普通に「アー」になっていて、
イントロも5声でなく、4声なので、困ったときのYouTubeで、
ビートルズ・ヴォーカル・ハーモニーで確認して、歌ったが、
エンディングも5声で、そこはどうかと思いつつ、従っておく。
原曲は、ステレオで聴くと、イントロは主に左チャンネル側で、
メロディからは右チャンと、別のトラックに録音されたようで、
「全曲バイブル」によれば、4トラックに、延べ11人でハモり、
そのうえ、ADTで、ダブルトラック処理するなら、22人分に。
YouTubeの達人らは、ステレオの定位までも再現していて、
自分のMTRだと、ピンポン録音しながら、トラックをまとめ、
空トラックを作らないと無理なので、今回は定位は無視して、
5声のダブルで、10トラックにとどめ、センター中心に定位。
武道館公演を改めて聴くと、ジョンとポールのハモりで始め、
続くジョージは、輪唱でなく、「ライター、ライター」とハモって、
確かに簡略化しているが、驚いたのは、ジョンが主旋律で、
レコードではイントロもポールのはずと、何度も聴きなおす。
ジョン派の自分としては、ジョンの歌声が目立つのが嬉しく、
それだけで、レコードの再現でなくても、許せてしまうのだが、
たった3人であっても、そこにビートルズの音が厳然とあり、
自分がいくらダビングしても及ばない、本物の強みを感じた。
エンディングも、ジョンは、ファルセットのコーラスを歌って、
そのまま地声で、「ペーパーバックライター」と合いの手を、
続けていて、本来の2声ないし3声の、どの旋律とも違うが、
なぜか自分は、これで覚えていたので、追加で歌っておく。
演奏は、ジョンはグレッチ、ジョージはギブソンSGを弾いて、
ポールは、後期のトレードマークとなる、リッケンのベースを、
この曲から使ったそうで、さらに、印象的なギターのリフまで、
ポールがエピフォン・カジノで弾いたというのが、定説らしい。
確かに、ポールのコンサートの映像で、エピフォンを抱えて、
「これが、66年に弾いたオリジナルの楽器だよ。」と言って、
自らギターリフを弾いていたから、まぎれもない事実だろうし、
こんな風に、全部の曲の謎を、解明してはくれないだろうか。
ビートルズが66年の武道館で演奏した、当時の最新曲で、
49年ぶりとなる武道館でも、ポールが演奏してくれた曲の、
「ペーパーバック・ライター」は、高音ファルセットは厳しいし、
メロディの歌詞が発音しにくく、ろれつの回らない歌声です。
特別なセットリストにしてくれるだろうと、期待されていて、
ビートルズの来日時と全く同じ曲で、第一部を行うなどと、
さすがにありえないことまで、ファンの夢は広がっていた。
何曲か、当時の曲をやってくれるだろう、初来日第一声に、
ジョンが歌った、「ロックン・ロール・ミュージック」はどうか、
最後にポールが歌った、「アイム・ダウン」なら、以前にも、
ライブで演奏しているから、可能性は大きいんじゃないか。
ファンのサイトでは、セットリストの予想は膨らんでいくが、
当たり前すぎることは、やらないのか、その2曲もなくって、
世界初公開の「アナザー・ガール」に、日本では初となる、
「バースデイ」を演奏してくれたが、武道館とは無縁の曲。
それでも、もともと、今回のアウト・ゼアーのセットリストで、
ビートルズの武道館公演と、共通している曲が2曲あり、
その「イエスタデイ」と、「ペーパーバック・ライター」は共に、
武道館でも演奏されたから、少しは期待に応えたことに。
「ペーパーバック・ライター」は、66年6月に発売となった、
シングル盤で、来日時は、まさに出来立てのホヤホヤで、
この年の夏以降、コンサート活動を中止してしまったから、
結果的には、最後の新曲披露、ライブ演奏の曲になった。
来日時、ビートルズは、「リボルバー」の録音を終えていて、
「ペーパーバック・ライター」も、その一連の作品となるから、
スタジオでの作業も多いのだが、B面「レイン」ほどではなく、
何とか再現できると、プロモーションの一環で演奏したとか。
その、スタジオでダビングを重ねた、複雑なハーモニーを、
3人のコーラスでは再現できるはずもなくて、武道館では、
貧弱なハモリだったと言われるのだが、海賊盤で聴いたり、
テレビ再放送を見た時も、自分は、特に違和感はなかった。
もともと、自分が、レコードのハモを、きちんと聴いてなくて、
「ペーパーバーック・ラーイター、ラーイター、ラーイター」と、
最後のライターの部分だけ、ずらして歌っていると思い込み、
中学時代の、二人きりのコピーバンドでも、そうやっていた。
今回、バンドスコアを見ながら聴いたら、「ペーパーバック、
ペーパーバック、ペーパーバック」と、歌い出しからずらして、
まるで、「カエルの歌」や「静かな湖畔」の、輪唱のようだし、
2巡目までは2声でハモって、5人分のハモリになっている。
輪唱を意識したのか、後半のハモリは、ララとかウーでなく、
「フレール・ジャック」と歌っていて、これはフランスの童謡で、
輪唱としても歌われる曲で、日本では、「グーチョキパー」で、
知られるメロディ、ポールの遊び心あふれるアイデアらしい。
バンドスコアは、肝心のここが、普通に「アー」になっていて、
イントロも5声でなく、4声なので、困ったときのYouTubeで、
ビートルズ・ヴォーカル・ハーモニーで確認して、歌ったが、
エンディングも5声で、そこはどうかと思いつつ、従っておく。
原曲は、ステレオで聴くと、イントロは主に左チャンネル側で、
メロディからは右チャンと、別のトラックに録音されたようで、
「全曲バイブル」によれば、4トラックに、延べ11人でハモり、
そのうえ、ADTで、ダブルトラック処理するなら、22人分に。
YouTubeの達人らは、ステレオの定位までも再現していて、
自分のMTRだと、ピンポン録音しながら、トラックをまとめ、
空トラックを作らないと無理なので、今回は定位は無視して、
5声のダブルで、10トラックにとどめ、センター中心に定位。
武道館公演を改めて聴くと、ジョンとポールのハモりで始め、
続くジョージは、輪唱でなく、「ライター、ライター」とハモって、
確かに簡略化しているが、驚いたのは、ジョンが主旋律で、
レコードではイントロもポールのはずと、何度も聴きなおす。
ジョン派の自分としては、ジョンの歌声が目立つのが嬉しく、
それだけで、レコードの再現でなくても、許せてしまうのだが、
たった3人であっても、そこにビートルズの音が厳然とあり、
自分がいくらダビングしても及ばない、本物の強みを感じた。
エンディングも、ジョンは、ファルセットのコーラスを歌って、
そのまま地声で、「ペーパーバックライター」と合いの手を、
続けていて、本来の2声ないし3声の、どの旋律とも違うが、
なぜか自分は、これで覚えていたので、追加で歌っておく。
演奏は、ジョンはグレッチ、ジョージはギブソンSGを弾いて、
ポールは、後期のトレードマークとなる、リッケンのベースを、
この曲から使ったそうで、さらに、印象的なギターのリフまで、
ポールがエピフォン・カジノで弾いたというのが、定説らしい。
確かに、ポールのコンサートの映像で、エピフォンを抱えて、
「これが、66年に弾いたオリジナルの楽器だよ。」と言って、
自らギターリフを弾いていたから、まぎれもない事実だろうし、
こんな風に、全部の曲の謎を、解明してはくれないだろうか。
ビートルズが66年の武道館で演奏した、当時の最新曲で、
49年ぶりとなる武道館でも、ポールが演奏してくれた曲の、
「ペーパーバック・ライター」は、高音ファルセットは厳しいし、
メロディの歌詞が発音しにくく、ろれつの回らない歌声です。

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