僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
昨年、来日しながら、体調不良で、全公演が中止になった、
ポールが、リベンジで京セラドーム、東京ドームで公演して、
さらに、ビートルズとして初来日して以来、49年ぶりとなる、
武道館でライブを行い、特別なセットリストで演奏してくれた。
そのうちの1曲、「アナザー・ガール」は、ポール本人による、
「次は、世界初公開。」という、日本語のコメントはあったが、
曲名は言わなかったから、歌い出した途端に、会場は絶叫、
まさか、この曲を武道館で、しかも初公開とは、すごいことに。
「アナザー・ガール」は、ビートルズの2本目となる主演映画、
「ヘルプ! 4人はアイドル」の挿入歌で、謎のカルト教団に、
リンゴの指輪を狙われ、アルプスやバハマへ避難した際に、
バハマのビーチで演奏された曲で、その映像もすぐ浮かぶ。
映画「ヘルプ!」は、自分にとって、ビートルズとの出会いの、
新宿武蔵野館の3本立て上映の1つで、74年、中2の夏に、
友人に誘われて、「ビートルズがやって来る」、「ヘルプ!」、
「レット・イット・ビー」を見たことが、すべての始まりだった。
特に「ヘルプ」は、その少し前に見たフランスのコメディ映画、
「クレイジーボーイズ」シリーズみたいだと、気に入ったので、
友人にサントラ盤か何かないかと尋ねて、貸してくれたのが、
ベスト盤「オールディーズ」で、この1枚でノックアウトされた。
「オールディーズ」に、「アナザー・ガール」は入ってないから、
自分にとって、因縁の曲とするには、こじつけすぎるのだが、
初めて見て聴いた映画、3本のうちの1つの挿入歌だから、
早い段階で、耳にしたビートルズの曲というのは間違いない。
ビートルズに夢中になると、友人にLPを借りたり、自分でも、
LPを買ったり、ラジオから録音したし、きっかけの映画でも、
武蔵野館のフェアに翌年も行き、ビートルズ・シネ・クラブの、
上映会にも行ったり、テレビ放送も、カセットで音だけ録音。
ただ、自分を映画に誘ってくれた同級生は、ファンとは言え、
映画のリピーターになるほどではなく、その後、武蔵野館や、
シネクラブに一緒に行ったのは、中2の秋に海外から帰国し、
ビートルズの話題で意気投合した、ジョージ役となる同級生。
自分の通った公立中学に、ビートルズファンは何人いたのか、
映画に誘ってくれた友人、ジョージ役の友人以外は数名程度、
ビートルズの名前や、有名な曲くらいは知っていたのだろうが、
マニアックな話を語り合えるのは、本当、ジョージくらいだった。
中3のとき、音楽鑑賞クラブの部長になったが、部長の自分が、
ビートルズのLPを持って行っても、何でビートルズなんかをと、
男女揃って拒否されて、男子連中は、かぐや姫やら吉田拓郎、
女子連中だと、西城秀樹や郷ひろみの曲ばかりを流していた。
ビートルズのリアルタイム世代の人が、ビートルズ本だったか、
ブログだったか、ビートルズを聴く友人は、学年に数人くらいで、
少数派だったはずなのに、昨今は、何でこうも多くの人たちが、
ビートルズは青春だったみたいに言うのか、不思議がっていた。
自分たち、後追い世代はどうか、そもそも青春だという人自体、
はたしているのか、今回のポールの来日も、テレビニュースで、
何かと取り上げられたが、自分の職場では話題に出なかったし、
もともと音楽の話をする人が、自分の周囲にはほとんどいない。
今回の武道館公演は、チケット代金が高額で、批判もあったが、
それだけ支払っても、見に行きたいという、ファンを対象にして、
ポール本人も、世界初公開となった「アナザー・ガール」を始め、
日本初の曲を披露することで、ファンの気概に応えたのだろう。
武道館のポールは、「アナザー・ガール」で、映画の場面どおり、
ヘフナーのベースを弾いたが、今では、よく知られているように、
レコードでは、リードギターもポールが演奏していて、ジョージが、
上手すぎて(?)、下手うまギターにしたいポールが、やり直した。
映画の場面では、後半になると、各自が楽器を持ち替えていて、
あて振りだが、ジョンはドラム、ジョージがベース、リンゴはギター、
ポールは、何と水着の女性をギターに見立てて、抱きかかえて、
アイドルらしい楽しさはじけるPVだが、お馬鹿な感じも漂ってくる。
また、楽器を持ち替える前も、映像と録音とは別の楽器だそうで、
ジョンが弾くギブソンJ160Eは、録音ではジョージが弾いていて、
ジョンが使ったのはストラト、映像でジョージがリッケンバッカーで、
リードを弾くが、録音では、ポールがカジノで弾いたという具合。
この後、ビートルズは、テレビ番組用に、本格的にPVを作るが、
そちらでも、なぜか、実際に録音で使った楽器とは別にしていて、
見た目が映える楽器で、カメラに臨んだのか、同じ曲であっても、
何種類か作ったフィルムで、さらに楽器を変えていることもある。
自分は、J160E、カジノやヘフナーという、ビートルズファンには、
必須の楽器を持っていないから、リッケンバッカーを使う以外は、
ストラトかレスポール、アコギは、モーリスのエレアコ、エレガット、
ベースなんか、フレットレスしかなくて、音を似せるのに苦労する。
この曲のメロディは、ブルース色を意識したのか、フラット気味で、
A7のコードに対し、3度のC#でなく、Cナチュラルがメロディで、
それなら、Am7になりそうなところを、あえてA7で伴奏するから、
ルートと5度を強調し、メジャーでもマイナーでもない感じが出る。
いわゆるブルーノートという、西洋音階とは、はずれた音程では、
5度の音を微妙にフラットさせるが、ブルーノート・スケールだと、
3度、5度、7度をフラットさせるので、ポールの作ったメロディは、
ブルーノート・スケールとも言えるが、そんな理屈は不要だろう。
ビートルズが65年に主演した、映画「ヘルプ!」の挿入歌であり、
何と言っても、ポールが、ビートルズ、ウィングスの時代を通じて、
一度もライブ演奏していないのを、武道館で世界初公開した曲、
「アナザー・ガール」を、ジョン派の自分が、便乗して歌いました。
ポールが、リベンジで京セラドーム、東京ドームで公演して、
さらに、ビートルズとして初来日して以来、49年ぶりとなる、
武道館でライブを行い、特別なセットリストで演奏してくれた。
そのうちの1曲、「アナザー・ガール」は、ポール本人による、
「次は、世界初公開。」という、日本語のコメントはあったが、
曲名は言わなかったから、歌い出した途端に、会場は絶叫、
まさか、この曲を武道館で、しかも初公開とは、すごいことに。
「アナザー・ガール」は、ビートルズの2本目となる主演映画、
「ヘルプ! 4人はアイドル」の挿入歌で、謎のカルト教団に、
リンゴの指輪を狙われ、アルプスやバハマへ避難した際に、
バハマのビーチで演奏された曲で、その映像もすぐ浮かぶ。
映画「ヘルプ!」は、自分にとって、ビートルズとの出会いの、
新宿武蔵野館の3本立て上映の1つで、74年、中2の夏に、
友人に誘われて、「ビートルズがやって来る」、「ヘルプ!」、
「レット・イット・ビー」を見たことが、すべての始まりだった。
特に「ヘルプ」は、その少し前に見たフランスのコメディ映画、
「クレイジーボーイズ」シリーズみたいだと、気に入ったので、
友人にサントラ盤か何かないかと尋ねて、貸してくれたのが、
ベスト盤「オールディーズ」で、この1枚でノックアウトされた。
「オールディーズ」に、「アナザー・ガール」は入ってないから、
自分にとって、因縁の曲とするには、こじつけすぎるのだが、
初めて見て聴いた映画、3本のうちの1つの挿入歌だから、
早い段階で、耳にしたビートルズの曲というのは間違いない。
ビートルズに夢中になると、友人にLPを借りたり、自分でも、
LPを買ったり、ラジオから録音したし、きっかけの映画でも、
武蔵野館のフェアに翌年も行き、ビートルズ・シネ・クラブの、
上映会にも行ったり、テレビ放送も、カセットで音だけ録音。
ただ、自分を映画に誘ってくれた同級生は、ファンとは言え、
映画のリピーターになるほどではなく、その後、武蔵野館や、
シネクラブに一緒に行ったのは、中2の秋に海外から帰国し、
ビートルズの話題で意気投合した、ジョージ役となる同級生。
自分の通った公立中学に、ビートルズファンは何人いたのか、
映画に誘ってくれた友人、ジョージ役の友人以外は数名程度、
ビートルズの名前や、有名な曲くらいは知っていたのだろうが、
マニアックな話を語り合えるのは、本当、ジョージくらいだった。
中3のとき、音楽鑑賞クラブの部長になったが、部長の自分が、
ビートルズのLPを持って行っても、何でビートルズなんかをと、
男女揃って拒否されて、男子連中は、かぐや姫やら吉田拓郎、
女子連中だと、西城秀樹や郷ひろみの曲ばかりを流していた。
ビートルズのリアルタイム世代の人が、ビートルズ本だったか、
ブログだったか、ビートルズを聴く友人は、学年に数人くらいで、
少数派だったはずなのに、昨今は、何でこうも多くの人たちが、
ビートルズは青春だったみたいに言うのか、不思議がっていた。
自分たち、後追い世代はどうか、そもそも青春だという人自体、
はたしているのか、今回のポールの来日も、テレビニュースで、
何かと取り上げられたが、自分の職場では話題に出なかったし、
もともと音楽の話をする人が、自分の周囲にはほとんどいない。
今回の武道館公演は、チケット代金が高額で、批判もあったが、
それだけ支払っても、見に行きたいという、ファンを対象にして、
ポール本人も、世界初公開となった「アナザー・ガール」を始め、
日本初の曲を披露することで、ファンの気概に応えたのだろう。
武道館のポールは、「アナザー・ガール」で、映画の場面どおり、
ヘフナーのベースを弾いたが、今では、よく知られているように、
レコードでは、リードギターもポールが演奏していて、ジョージが、
上手すぎて(?)、下手うまギターにしたいポールが、やり直した。
映画の場面では、後半になると、各自が楽器を持ち替えていて、
あて振りだが、ジョンはドラム、ジョージがベース、リンゴはギター、
ポールは、何と水着の女性をギターに見立てて、抱きかかえて、
アイドルらしい楽しさはじけるPVだが、お馬鹿な感じも漂ってくる。
また、楽器を持ち替える前も、映像と録音とは別の楽器だそうで、
ジョンが弾くギブソンJ160Eは、録音ではジョージが弾いていて、
ジョンが使ったのはストラト、映像でジョージがリッケンバッカーで、
リードを弾くが、録音では、ポールがカジノで弾いたという具合。
この後、ビートルズは、テレビ番組用に、本格的にPVを作るが、
そちらでも、なぜか、実際に録音で使った楽器とは別にしていて、
見た目が映える楽器で、カメラに臨んだのか、同じ曲であっても、
何種類か作ったフィルムで、さらに楽器を変えていることもある。
自分は、J160E、カジノやヘフナーという、ビートルズファンには、
必須の楽器を持っていないから、リッケンバッカーを使う以外は、
ストラトかレスポール、アコギは、モーリスのエレアコ、エレガット、
ベースなんか、フレットレスしかなくて、音を似せるのに苦労する。
この曲のメロディは、ブルース色を意識したのか、フラット気味で、
A7のコードに対し、3度のC#でなく、Cナチュラルがメロディで、
それなら、Am7になりそうなところを、あえてA7で伴奏するから、
ルートと5度を強調し、メジャーでもマイナーでもない感じが出る。
いわゆるブルーノートという、西洋音階とは、はずれた音程では、
5度の音を微妙にフラットさせるが、ブルーノート・スケールだと、
3度、5度、7度をフラットさせるので、ポールの作ったメロディは、
ブルーノート・スケールとも言えるが、そんな理屈は不要だろう。
ビートルズが65年に主演した、映画「ヘルプ!」の挿入歌であり、
何と言っても、ポールが、ビートルズ、ウィングスの時代を通じて、
一度もライブ演奏していないのを、武道館で世界初公開した曲、
「アナザー・ガール」を、ジョン派の自分が、便乗して歌いました。
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「サージェント・ペパーズ」、「マジカル・ミステリー・ツアー」と、
サイケブームを反映した、カラフルなジャケットから一転して、
無地の白いジャケットに、ビートルズの文字が浮かび上がる、
まったく正反対のデザインの、2枚組LPが、68年末に出る。
白地に、「ザ・ビートルズ」とバンド名だけを刻印してあるのは、
演者表記のみで、アルバムタイトルを持たないのか、あるいは、
タイトルも「ザ・ビートルズ」なのか、自分は、よくわからないが、
その見た目から通称として、「ホワイト・アルバム」と呼ばれる。
2枚組というボリュームで、様々なタイプの曲に富んでいるが、
各メンバーが好き勝手にやって、それを詰め込んだという感じ、
全員で演奏する曲よりも、個々に録音して、形だけ参加したり、
ポールにいたっては、ほとんど1人での多重録音の曲が多い。
そうした中、お互いのエゴがむき出しになり、ぶつかっていき、
あの温厚なリンゴが耐えられず、一時だが脱退してしまうなど、
メンバー間の不和が表面化するが、全員参加でライブに近い、
「バースデイ」では、パーティ気分で、楽しそうに騒いでの演奏。
何でも、録音の当日に、ロックンロールの名作とされる映画が、
テレビ初放映だったそうで、録音を中断して、スタッフも含めて、
皆でポールの家に行って、映画を見て盛り上がり、また戻って、
曲を仕上げたというから、やっぱり仲良しじゃないかと、一安心。
そんな雰囲気だったから、ドラムとタンバリンになる部分では、
ポールだろうか、カウント風に叫んだり、サビでは、スタッフの、
マル・エヴァンスが手拍子で参加し、さらには、ヨーコとパティが、
バックコーラスをするという、さながら誕生パーティーの賑わい。
今や、日本では、「バカ殿」のオープニング・テーマにも使われ、
おなじみなった、ギターとベースが、ほぼユニゾンで弾くリフは、
たぶん、ポールが作ったのだろうが、耳になじんで、覚えやすく、
ありそうでなかったリフを考え出す、その才能は、計り知れない。
ロックギターの教則本で、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジや、
ヴァン・ヘイレンのエディーのリフが例示され、リフ作りの天才と、
2人が紹介され、ディープ・パープルも、印象的なリフが多いが、
どうしてどうして、ビートルズだって、リフの宝庫で負けていない。
中学時代、ジョージ役と2人だけの、ビートルズコピーバンドで、
ギター2本で、オクターブ違いのリフを弾いて、その気になって、
ドラムとタンバリンになる部分は、ギターをミュートして刻んだり、
ボディを叩いたりで、けっこう.良い感じで、できていたと思った。
ただ、今回バンドスコアで見ると、ジョンとジョージのギターは、
単にポールの弾くフレーズを、オクターブ変えているのではなく、
ジョージは後半部をチョーキングし、ジョンは音程を変えていて、
完コピしているつもりが、どちらのパートも間違っていたと判る。
当時、シンコー・ミュージックから、バンドスコアが3冊出ていて、
確か、黒表紙の手書きの方に、「バースデイ」は載っていたから、
それを見て覚えたはずで、あとの2冊も、明らかな間違いが多く、
処分してしまったが、今となっては、資料として残せば良かった。
途中から加わる、調子っぱずれで、調律も合っていないような、
ホンキー・トンク・ピアノの音は、レズリー・スピーカーを通したり、
ギターアンプに繋いだり、エコーなどを駆使して作った音色らしく、
自分は、コーラスとディレイをかけ、エンディングはワウを踏んだ。
いつものことだが、演奏のほうは、何とか、そこそこ仕上がるが、
この曲もポールの歌は高音すぎ、主にメロディーに出てくるのは、
ギターで言うと、1弦5フレットのラ、8フレのドで、自分の地声は、
ソが限界だし、裏声でも高いドが出るかどうか、かすれるばかり。
当然、ポールのような太い声のシャウトは無理で、この頃から、
ポールは、オペラのような声を出したり、野太い声色を好むが、
どうも自分は好きになれず、普通に歌えば、良い声なのになと、
機械で声を加工するジョンと同様に、後期の歌声はなぜなのか。
以前も書いたが、ポール死亡説の根拠には、「イエスタデイ」と、
「ヘイ・ジュード」では声が別人というのがあり、それを言うならば、
「のっぽのサリー」と、「バースデイ」のシャウトも、別人に近くて、
ポールは声色を使い分けるのが得意だが、くどく感じたりする。
リベンジ再来日のポールが、武道館で特別に演奏した曲のうち、
「バースデイ」は、これまでもリンゴの誕生祝いで、歌ったりしたが、
日本では初公開になるのか、その記念というのもおこがましいが、
いつも以上に、高音を無理しつつ、何とかかんとかのアップです。
サイケブームを反映した、カラフルなジャケットから一転して、
無地の白いジャケットに、ビートルズの文字が浮かび上がる、
まったく正反対のデザインの、2枚組LPが、68年末に出る。
白地に、「ザ・ビートルズ」とバンド名だけを刻印してあるのは、
演者表記のみで、アルバムタイトルを持たないのか、あるいは、
タイトルも「ザ・ビートルズ」なのか、自分は、よくわからないが、
その見た目から通称として、「ホワイト・アルバム」と呼ばれる。
2枚組というボリュームで、様々なタイプの曲に富んでいるが、
各メンバーが好き勝手にやって、それを詰め込んだという感じ、
全員で演奏する曲よりも、個々に録音して、形だけ参加したり、
ポールにいたっては、ほとんど1人での多重録音の曲が多い。
そうした中、お互いのエゴがむき出しになり、ぶつかっていき、
あの温厚なリンゴが耐えられず、一時だが脱退してしまうなど、
メンバー間の不和が表面化するが、全員参加でライブに近い、
「バースデイ」では、パーティ気分で、楽しそうに騒いでの演奏。
何でも、録音の当日に、ロックンロールの名作とされる映画が、
テレビ初放映だったそうで、録音を中断して、スタッフも含めて、
皆でポールの家に行って、映画を見て盛り上がり、また戻って、
曲を仕上げたというから、やっぱり仲良しじゃないかと、一安心。
そんな雰囲気だったから、ドラムとタンバリンになる部分では、
ポールだろうか、カウント風に叫んだり、サビでは、スタッフの、
マル・エヴァンスが手拍子で参加し、さらには、ヨーコとパティが、
バックコーラスをするという、さながら誕生パーティーの賑わい。
今や、日本では、「バカ殿」のオープニング・テーマにも使われ、
おなじみなった、ギターとベースが、ほぼユニゾンで弾くリフは、
たぶん、ポールが作ったのだろうが、耳になじんで、覚えやすく、
ありそうでなかったリフを考え出す、その才能は、計り知れない。
ロックギターの教則本で、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジや、
ヴァン・ヘイレンのエディーのリフが例示され、リフ作りの天才と、
2人が紹介され、ディープ・パープルも、印象的なリフが多いが、
どうしてどうして、ビートルズだって、リフの宝庫で負けていない。
中学時代、ジョージ役と2人だけの、ビートルズコピーバンドで、
ギター2本で、オクターブ違いのリフを弾いて、その気になって、
ドラムとタンバリンになる部分は、ギターをミュートして刻んだり、
ボディを叩いたりで、けっこう.良い感じで、できていたと思った。
ただ、今回バンドスコアで見ると、ジョンとジョージのギターは、
単にポールの弾くフレーズを、オクターブ変えているのではなく、
ジョージは後半部をチョーキングし、ジョンは音程を変えていて、
完コピしているつもりが、どちらのパートも間違っていたと判る。
当時、シンコー・ミュージックから、バンドスコアが3冊出ていて、
確か、黒表紙の手書きの方に、「バースデイ」は載っていたから、
それを見て覚えたはずで、あとの2冊も、明らかな間違いが多く、
処分してしまったが、今となっては、資料として残せば良かった。
途中から加わる、調子っぱずれで、調律も合っていないような、
ホンキー・トンク・ピアノの音は、レズリー・スピーカーを通したり、
ギターアンプに繋いだり、エコーなどを駆使して作った音色らしく、
自分は、コーラスとディレイをかけ、エンディングはワウを踏んだ。
いつものことだが、演奏のほうは、何とか、そこそこ仕上がるが、
この曲もポールの歌は高音すぎ、主にメロディーに出てくるのは、
ギターで言うと、1弦5フレットのラ、8フレのドで、自分の地声は、
ソが限界だし、裏声でも高いドが出るかどうか、かすれるばかり。
当然、ポールのような太い声のシャウトは無理で、この頃から、
ポールは、オペラのような声を出したり、野太い声色を好むが、
どうも自分は好きになれず、普通に歌えば、良い声なのになと、
機械で声を加工するジョンと同様に、後期の歌声はなぜなのか。
以前も書いたが、ポール死亡説の根拠には、「イエスタデイ」と、
「ヘイ・ジュード」では声が別人というのがあり、それを言うならば、
「のっぽのサリー」と、「バースデイ」のシャウトも、別人に近くて、
ポールは声色を使い分けるのが得意だが、くどく感じたりする。
リベンジ再来日のポールが、武道館で特別に演奏した曲のうち、
「バースデイ」は、これまでもリンゴの誕生祝いで、歌ったりしたが、
日本では初公開になるのか、その記念というのもおこがましいが、
いつも以上に、高音を無理しつつ、何とかかんとかのアップです。

ポール・マッカートニーが、昨年のリベンジで再来日して、
そのうえ、ビートルズとして初来日した、66年以来となる、
武道館のステージに立ち、今も続くアウト・ゼア・ツアーの、
セットリストを特別に変更し、別の5曲まで演奏してくれた。
その1曲、「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」は、
ビートルズ来日の66年発売の、「リボルバー」に収録され、
ビートルズで、初めてホーン・セクションが導入された曲で、
後のブラス・ロック、シカゴやBS&Tの先駆けとも言われる。
何でもかんでもビートルズが元祖だと、言うつもりはないし、
ポールにしても、何か革新的な事をしようとしたわけでなく、
モータウンやソウルでは、ごく普通に使われているホーンを、
この曲で使ってみたかっただけで、このあたり天才たる所以。
アンソロジーで聴ける初期テイクは、マーティンが弾いたか、
オルガンが鳴り続けて、リズムギターはシャッフルを刻むと、
時折、ジョンとジョージがハモり、ホーンのあるなしではなく、
まったく別物の演奏で、ここから、どう作り上げたのかと驚く。
完成形は、ホーンセクションがメイン、ポールの歌とベース、
ドラムという編曲で、ジョンとジョージのコーラスはカットされ、
オルガンもエンディングのみと変化して、ポールの頭の中は、
どんな音が鳴っていて、どう再現したのかは、想像を超える。
フェイドアウトしていく部分で、ポールはアドリブのように歌い、
このあたりは、R&Bやソウルのようで、ホーンを使ったのも、
そうした路線を意識したのだろうし、ライブを前提としなくなり、
自分の理想の音を目指し、外部ミュージシャンも起用していく。
この「リボルバー」あたりから、本当ポールの才能が爆発して、
ソロでも成立しそうな曲が増えて、ポールの独壇場となったし、
ベース以外に、ギター、ピアノ、ドラムもこなすから、1人でも、
多重録音ですんでしまい、「ホワイト・アルバム」では顕著に。
それでも、解散後、本当の1人きり、ソロになってからの曲と、
ジョン、ジョージ、リンゴと一緒にいた頃とでは、気持ちの面、
刺激という点でも違ったし、アドバイスや意見を取り入れて、
それゆえに、ビートルズの作品として、成立したのだと思う。
解散後のジョンが、他のメンバーからアイデアをもらわずに、
1人で曲を作るのが困難で、ショックだったと、語ったそうで、
ビートルズでは、ごく僅かの曲だけが、すべて1人で作られ、
ほとんどは、残りのメンバーが手を加え、完成したものだと。
そのジョンとジョージが、この曲の作詞に関わったともされ、
真偽は不明なのだが、めったにポールをほめないジョンが、
「あいつも気合を入れれば、こんな良い詞が書けるんだ」と、
言ったらしく、もし自分が関わったら、こうは言わないかと。
それにしても、ポールをほめつつも、明らかに上から目線で、
作詞については、一家言のあった、ジョンならではの言い方、
ポールには、歌詞を忘れないよう、書きとめるよう指示したり、
メロディの才能を認めつつ、詞は、相当、自信があった模様。
演奏をよく聴くと、ホーンと同じフレーズの、歪んだギターや、
初期テイクでアコギが刻んだ、ゆるい感じのシャッフルでなく、
歯切れ良いエレキのカッティングが、左チャンネルから鳴り、
ギターもやり直しているようだが、なぜか、かなり音が小さい。
エンディングの前の数小節だけ、ギターがフューチャーされ、
オルガンにも聴こえる和音に続いて、ツインギターのリフで、
これは、ジョンもジョージも、エピフォン・カジノで弾いたそうで、
同時期の「ペーパー・バック・ライター」とも、かなり似た音色。
バンドスコアでは、左チャンネルのギターは、リズムもリフも、
載っていないうえ、最後のギターも、どうも音が違って聴こえ、
YouTubeで、ポールのライブや、ギターの解説を見てみたが、
レコードと微妙に違い、これまた、自分にとって謎が増える。
ホーンセクションは、レコーディング記録で、サックスが2人、
トランペットが3人とあるので、スコアでは3~4声だったが、
何箇所かをユニゾンにし、つねに5本のホーンが鳴るように、
ギターシンセで、音色を選んで、5回のダビングで再現した。
歌はポール1人なので、ハモリがない分、音は取りやすいが、
独唱ゆえに、自分の歌唱力のなさが、もろに目立ってしまい、
ポールがダブルトラックで2回歌って、声を重ねているところ、
自分は3回も歌って、音を厚くしたうえに、エコーも深くかけた。
ジョンは自分の声が嫌いらしく、加工したり、ダブルトラックも、
多用していくが、2回歌うのは面倒だと、エンジニアに相談し、
ADT・人工的ダブルトラックが開発されると、ポールも使うが、
この曲では、センターと左チャンネルの歌声は別録音らしい。
そんなに早口で歌うわけではないが、ジョンの曲とは違って、
自分は、あまり歌っていないから、ろれつが回らずに遅れたり、
逆に、早く歌いすぎて字余りになって、何回も録音し直したり、
通勤時も、歌詞カード片手に、こっそりと口ずさんでは覚えた。
ポールが武道館のために、セットリストを変更してくれた曲から、
「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」は、中期の曲で、
ライブを中止して、スタジオ作業中心に移行していく頃の名曲、
やはり、ポールの高音はきつく、いつもの息絶え絶え状態です。
そのうえ、ビートルズとして初来日した、66年以来となる、
武道館のステージに立ち、今も続くアウト・ゼア・ツアーの、
セットリストを特別に変更し、別の5曲まで演奏してくれた。
その1曲、「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」は、
ビートルズ来日の66年発売の、「リボルバー」に収録され、
ビートルズで、初めてホーン・セクションが導入された曲で、
後のブラス・ロック、シカゴやBS&Tの先駆けとも言われる。
何でもかんでもビートルズが元祖だと、言うつもりはないし、
ポールにしても、何か革新的な事をしようとしたわけでなく、
モータウンやソウルでは、ごく普通に使われているホーンを、
この曲で使ってみたかっただけで、このあたり天才たる所以。
アンソロジーで聴ける初期テイクは、マーティンが弾いたか、
オルガンが鳴り続けて、リズムギターはシャッフルを刻むと、
時折、ジョンとジョージがハモり、ホーンのあるなしではなく、
まったく別物の演奏で、ここから、どう作り上げたのかと驚く。
完成形は、ホーンセクションがメイン、ポールの歌とベース、
ドラムという編曲で、ジョンとジョージのコーラスはカットされ、
オルガンもエンディングのみと変化して、ポールの頭の中は、
どんな音が鳴っていて、どう再現したのかは、想像を超える。
フェイドアウトしていく部分で、ポールはアドリブのように歌い、
このあたりは、R&Bやソウルのようで、ホーンを使ったのも、
そうした路線を意識したのだろうし、ライブを前提としなくなり、
自分の理想の音を目指し、外部ミュージシャンも起用していく。
この「リボルバー」あたりから、本当ポールの才能が爆発して、
ソロでも成立しそうな曲が増えて、ポールの独壇場となったし、
ベース以外に、ギター、ピアノ、ドラムもこなすから、1人でも、
多重録音ですんでしまい、「ホワイト・アルバム」では顕著に。
それでも、解散後、本当の1人きり、ソロになってからの曲と、
ジョン、ジョージ、リンゴと一緒にいた頃とでは、気持ちの面、
刺激という点でも違ったし、アドバイスや意見を取り入れて、
それゆえに、ビートルズの作品として、成立したのだと思う。
解散後のジョンが、他のメンバーからアイデアをもらわずに、
1人で曲を作るのが困難で、ショックだったと、語ったそうで、
ビートルズでは、ごく僅かの曲だけが、すべて1人で作られ、
ほとんどは、残りのメンバーが手を加え、完成したものだと。
そのジョンとジョージが、この曲の作詞に関わったともされ、
真偽は不明なのだが、めったにポールをほめないジョンが、
「あいつも気合を入れれば、こんな良い詞が書けるんだ」と、
言ったらしく、もし自分が関わったら、こうは言わないかと。
それにしても、ポールをほめつつも、明らかに上から目線で、
作詞については、一家言のあった、ジョンならではの言い方、
ポールには、歌詞を忘れないよう、書きとめるよう指示したり、
メロディの才能を認めつつ、詞は、相当、自信があった模様。
演奏をよく聴くと、ホーンと同じフレーズの、歪んだギターや、
初期テイクでアコギが刻んだ、ゆるい感じのシャッフルでなく、
歯切れ良いエレキのカッティングが、左チャンネルから鳴り、
ギターもやり直しているようだが、なぜか、かなり音が小さい。
エンディングの前の数小節だけ、ギターがフューチャーされ、
オルガンにも聴こえる和音に続いて、ツインギターのリフで、
これは、ジョンもジョージも、エピフォン・カジノで弾いたそうで、
同時期の「ペーパー・バック・ライター」とも、かなり似た音色。
バンドスコアでは、左チャンネルのギターは、リズムもリフも、
載っていないうえ、最後のギターも、どうも音が違って聴こえ、
YouTubeで、ポールのライブや、ギターの解説を見てみたが、
レコードと微妙に違い、これまた、自分にとって謎が増える。
ホーンセクションは、レコーディング記録で、サックスが2人、
トランペットが3人とあるので、スコアでは3~4声だったが、
何箇所かをユニゾンにし、つねに5本のホーンが鳴るように、
ギターシンセで、音色を選んで、5回のダビングで再現した。
歌はポール1人なので、ハモリがない分、音は取りやすいが、
独唱ゆえに、自分の歌唱力のなさが、もろに目立ってしまい、
ポールがダブルトラックで2回歌って、声を重ねているところ、
自分は3回も歌って、音を厚くしたうえに、エコーも深くかけた。
ジョンは自分の声が嫌いらしく、加工したり、ダブルトラックも、
多用していくが、2回歌うのは面倒だと、エンジニアに相談し、
ADT・人工的ダブルトラックが開発されると、ポールも使うが、
この曲では、センターと左チャンネルの歌声は別録音らしい。
そんなに早口で歌うわけではないが、ジョンの曲とは違って、
自分は、あまり歌っていないから、ろれつが回らずに遅れたり、
逆に、早く歌いすぎて字余りになって、何回も録音し直したり、
通勤時も、歌詞カード片手に、こっそりと口ずさんでは覚えた。
ポールが武道館のために、セットリストを変更してくれた曲から、
「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」は、中期の曲で、
ライブを中止して、スタジオ作業中心に移行していく頃の名曲、
やはり、ポールの高音はきつく、いつもの息絶え絶え状態です。

昨年、来日しながら、体調不良で、全公演中止となった、
ポール・マッカートニーが、ファンとの約束を果たすべく、
リベンジで来日したうえに、やはり昨年かなわなかった、
武道館公演を実現、ニュースでも、さかんに報道された。
「ビートルズバンド入門」というブログを、運営されている、
マサジョンさんは、東京ドームに加え、武道館も参加され、
入り待ちの追っかけレポートから、セットリストの第一報、
ご自身で撮影された映像と、かなり詳細に紹介してくれる。
武道館公演の翌朝に更新された、セットリストの速報から、
世界初公開の「アナザー・ガール」に、本邦初公開となる、
「ワン・アフター・909」を始め、武道館限定曲は5曲もあり、
ポールが、武道館を特別に考えてくれたのだと、わかった。
「ワン・アフター・909」は、これまでにも、ポールは演奏し、
2月頃には、マサジョンさんの新曲予想でも、見ていたが、
これはジョンの曲だしなあ、そうそうは、やらないだろうと、
思っていただけに、それも武道館で演奏とは本当驚いた。
しかも、曲紹介では、「古い曲だよ、最初にジョンと作った、
そのうちの1曲さ。」とポールが語り、ジョン派の自分だと、
ジョンの単独作のはずだけれど、言ったもん勝ちかよと、
ついつい斜に構えてしまい、自分の底意地の悪さを反省。
先日、図書館で借りた、「ビートルズの音もっと知りたい」で、
「ビートルズ研究家・マニアに、(ジョンに心酔するあまり?)
ポール・マッカートニーに好意的でない者が、多いことを、
痛感した。」と、著者の高木宏真が、苦言を呈したのを読む。
遠回しというか、オブラートに包んだ言い方にはしているが、
要は、ジョンのファンには、ポールの悪口を言う輩が多いと、
嘆いているわけで、まさに、自分なんかは、耳が痛いのだが、
こいつは、ポールのファンなのかと、これまた意地悪い反応。
「ワン・アフター・909」は、ジョンが10代の頃に書いた曲で、
スチュワートがベースを弾いた、貴重な録音も残っているし、
レコードからは没になった、63年のスタジオ録音もあるうえ、
69年のゲット・バック・セッションで、ようやく陽の目を見た曲。
63年の演奏は、いわゆるロックン・ロールの典型的伴奏で、
しかも、カチッとした8ビートでやっているから、歌がなければ、
「ロール・オーバー・ベートーベン」か何かと、間違えそうだが、
これはこれで、けっこう良いのに、没になるのかという気持ち。
「ウィズ・ザ・ビートルズ」の頃だから、カバー曲に似てしまうと、
避けたのかもしれないが、シャッフルのリズムにした再演の、
ルーフトップ版も、イントロだけ聴くと、自分は、つい勘違いし、
「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」を、歌い出しそうになることが。
このあたり、ロックン・ロールだけでなく、ブルースでも同様で、
一定のパターンのコード進行だから、当然に伴奏は似てくるし、
ギターのアドリブが始まると、どれがどの曲かわからなくなり、
ボーカルは、イントロやアドリブ後に、よく間違えないなと思う。
ただ、「ワン・アフター・909」は、コード進行にひねりがあって、
そこへ、ポールが関わったとも言われて、作曲を始めた頃の、
ジョンは、音楽に詳しいポールに、いろいろと聞いたと思うし、
確かに、2人の共同作業と呼ぶのが、正しいのかもしれない。
「ビートルズの公式」とされる、歌っている方が作曲者という、
ジョンとポールの間の不文律みたいのがあって、それならば、
当然に、この曲は2人で作っているが、例外も何曲かあるし、
ハモリの部分にまでも、その公式が当てはまるのかは不明。
ポールが、「2人で作ったが、歌詞が気に入らない」と言って、
もしかすると、メロディやコードの変更は、ポールに従ったが、
歌詞だけは、作詞に自信のあるジョンが、絶対に譲らなくて、
ゲット・バック・セッションに至っても、変えようとしなかったか。
などと、こうして、自分勝手に想像するのは、すごく楽しいが、
ビートルズは、本当に謎が多く、演奏や録音にしたところで、
いろいろな証言から類推することばかり、ポールにしたって、
全部を覚えていてくれるわけじゃなく、謎のままのことばかり。
映画「レット・イット・ビー」の最後、屋上の演奏シーンを見ると、
この曲のとき、ポールは、ほとんどジョンを見ながら演奏して、
時折、視線を向けるジョンと目が合うと、すごく嬉しそうな表情、
ポールは、ジョンが好きだったんだなあと、あらためて感じる。
ポール本人が、2人で作曲した当時や、屋上ライブのことに、
どこまで思いをはせて、武道館で演奏したのかは不明だが、
ジョンへの敬愛はすごく伝わって、ジョンのパートを歌うのも、
納得しつつ、ああ、ジョンの声があればなあと、叶わぬ願い。
せめて、自分だけでも、なりきりジョンで歌ってみようかと思い、
予定していた初期のカバー曲を中断して、急遽オケを作って、
歌ったものの、ジョンの声には程遠く、ポールの高音もきつい、
「ワン・アフター・909」ですが、武道館に便乗してのアップです。
ポール・マッカートニーが、ファンとの約束を果たすべく、
リベンジで来日したうえに、やはり昨年かなわなかった、
武道館公演を実現、ニュースでも、さかんに報道された。
「ビートルズバンド入門」というブログを、運営されている、
マサジョンさんは、東京ドームに加え、武道館も参加され、
入り待ちの追っかけレポートから、セットリストの第一報、
ご自身で撮影された映像と、かなり詳細に紹介してくれる。
武道館公演の翌朝に更新された、セットリストの速報から、
世界初公開の「アナザー・ガール」に、本邦初公開となる、
「ワン・アフター・909」を始め、武道館限定曲は5曲もあり、
ポールが、武道館を特別に考えてくれたのだと、わかった。
「ワン・アフター・909」は、これまでにも、ポールは演奏し、
2月頃には、マサジョンさんの新曲予想でも、見ていたが、
これはジョンの曲だしなあ、そうそうは、やらないだろうと、
思っていただけに、それも武道館で演奏とは本当驚いた。
しかも、曲紹介では、「古い曲だよ、最初にジョンと作った、
そのうちの1曲さ。」とポールが語り、ジョン派の自分だと、
ジョンの単独作のはずだけれど、言ったもん勝ちかよと、
ついつい斜に構えてしまい、自分の底意地の悪さを反省。
先日、図書館で借りた、「ビートルズの音もっと知りたい」で、
「ビートルズ研究家・マニアに、(ジョンに心酔するあまり?)
ポール・マッカートニーに好意的でない者が、多いことを、
痛感した。」と、著者の高木宏真が、苦言を呈したのを読む。
遠回しというか、オブラートに包んだ言い方にはしているが、
要は、ジョンのファンには、ポールの悪口を言う輩が多いと、
嘆いているわけで、まさに、自分なんかは、耳が痛いのだが、
こいつは、ポールのファンなのかと、これまた意地悪い反応。
「ワン・アフター・909」は、ジョンが10代の頃に書いた曲で、
スチュワートがベースを弾いた、貴重な録音も残っているし、
レコードからは没になった、63年のスタジオ録音もあるうえ、
69年のゲット・バック・セッションで、ようやく陽の目を見た曲。
63年の演奏は、いわゆるロックン・ロールの典型的伴奏で、
しかも、カチッとした8ビートでやっているから、歌がなければ、
「ロール・オーバー・ベートーベン」か何かと、間違えそうだが、
これはこれで、けっこう良いのに、没になるのかという気持ち。
「ウィズ・ザ・ビートルズ」の頃だから、カバー曲に似てしまうと、
避けたのかもしれないが、シャッフルのリズムにした再演の、
ルーフトップ版も、イントロだけ聴くと、自分は、つい勘違いし、
「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」を、歌い出しそうになることが。
このあたり、ロックン・ロールだけでなく、ブルースでも同様で、
一定のパターンのコード進行だから、当然に伴奏は似てくるし、
ギターのアドリブが始まると、どれがどの曲かわからなくなり、
ボーカルは、イントロやアドリブ後に、よく間違えないなと思う。
ただ、「ワン・アフター・909」は、コード進行にひねりがあって、
そこへ、ポールが関わったとも言われて、作曲を始めた頃の、
ジョンは、音楽に詳しいポールに、いろいろと聞いたと思うし、
確かに、2人の共同作業と呼ぶのが、正しいのかもしれない。
「ビートルズの公式」とされる、歌っている方が作曲者という、
ジョンとポールの間の不文律みたいのがあって、それならば、
当然に、この曲は2人で作っているが、例外も何曲かあるし、
ハモリの部分にまでも、その公式が当てはまるのかは不明。
ポールが、「2人で作ったが、歌詞が気に入らない」と言って、
もしかすると、メロディやコードの変更は、ポールに従ったが、
歌詞だけは、作詞に自信のあるジョンが、絶対に譲らなくて、
ゲット・バック・セッションに至っても、変えようとしなかったか。
などと、こうして、自分勝手に想像するのは、すごく楽しいが、
ビートルズは、本当に謎が多く、演奏や録音にしたところで、
いろいろな証言から類推することばかり、ポールにしたって、
全部を覚えていてくれるわけじゃなく、謎のままのことばかり。
映画「レット・イット・ビー」の最後、屋上の演奏シーンを見ると、
この曲のとき、ポールは、ほとんどジョンを見ながら演奏して、
時折、視線を向けるジョンと目が合うと、すごく嬉しそうな表情、
ポールは、ジョンが好きだったんだなあと、あらためて感じる。
ポール本人が、2人で作曲した当時や、屋上ライブのことに、
どこまで思いをはせて、武道館で演奏したのかは不明だが、
ジョンへの敬愛はすごく伝わって、ジョンのパートを歌うのも、
納得しつつ、ああ、ジョンの声があればなあと、叶わぬ願い。
せめて、自分だけでも、なりきりジョンで歌ってみようかと思い、
予定していた初期のカバー曲を中断して、急遽オケを作って、
歌ったものの、ジョンの声には程遠く、ポールの高音もきつい、
「ワン・アフター・909」ですが、武道館に便乗してのアップです。

高校卒業の79年3月から通い始めた、渋谷河合楽器の、
ジャズギター教室は、レッスンが、土曜の午後だったので、
就職後も、土曜は半ドンで、何の予定もないから、続けて、
先生が教室をやめてしまうまで、8年間、みっちり教わる。
先生は、歌手の伴奏で、テレビに出たり、地方へ行くので、
レッスンを日曜に変更することが、何度かあって、ある時、
「ピアノ教室で、バンド練習するらしいから、行ってこい。」と、
日曜にレッスンしていた、ピアノ教室の合奏に加わることに。
ピアノの先生は、クラシックだけでなく、ポピュラーも教えて、
発表会は、ソロ演奏に加え、歌とピアノ、フルートにピアノと
合奏をさせていたので、ベース、ドラム教室の生徒も参加し、
ギター教室からも、1人寄こして欲しいと、話が進んだらしい。
翌月の発表会で、「イパネマの娘」の1曲だけに参加したが、
バンド形式の演奏は、今までになかったから、珍しさもあり、
評判が良かったそうで、次回の発表会でも声をかけてもらい、
エレクトーンの伴奏や、歌の伴奏まで、バンド形式で加わる。
ちなみに、エレクトーンというのは、ヤマハの製品名なので、
河合楽器では、ドリマトーンとか、電子オルガンと呼んだが、
生徒らは、ヤマハ出版のエレクトーンの楽譜も使っていて、
フュージョンブームもあってか、スクェアを弾く人が多かった。
ギター教室では、ジャズのアドリブ、それも早弾きばかりに、
目が行っていた自分が、ピアノ教室の伴奏を務めるからと、
かなり真剣にバッキングに取り組み、コードを鳴らすだけで、
つまらないと思っていたのは、とんだ思い違いだと気づいた。
80年前後のAORでは、一流のスタジオ・ミュージシャンに、
フュ-ジョン系奏者がバックを務めて、TOTOの活躍もあって、
16ビートのカッティングが格好良くて、自分も練習してみたし、
ニューミュージック界でも、松原正樹、今剛らが、売れっ子に。
ユーミンの「パール・ピアス」や、山下達郎の「スパークル」は、
イントロのギターのカッティングが、すごく印象に残る曲だし、
「スパークル」は、そのコードのカッティングに、呼応するよう、
単音リフが加わってきて、ツインギターが、とにかく格好良い。
ザ・スクェアの「ハンクとクリフ」は、その2本のリズムギターを、
まんまパクったような伴奏で、もともとは、レイ・パーカー・Jr、
ボズ・スキャッグスあたりで、よく聴かれるパターンなのだが、
16ビートの裏で、くって入るカッティングが、自分には難しい。
ピアノ教室発表会で、エレクトーンを伴奏し、この曲を弾くが、
ギターは自分ひとりなので、コードカッティング、リフの2本を、
要所要所で使い分けるも、カッティングが、やたらとずれては、
ベース、ドラムから指摘されて、冷や汗もので、本番を終えた。
カシオペアとかのテクニックを全面に出す、リズム隊に比べて、
一見、簡単そうなスクェアも、ノリ、グルーブ感が出せないうえ、
小技もあり、一筋縄ではいかないが、ベース、ドラムの生徒は、
実に見事に演奏し、ギター教室で天狗になっていたのを反省。
のちに、カシオペアやスクェアのリズム隊が、交代した時にも、
スクールの連中の方が、ずっと上手かった、どんなきっかけで、
抜擢されたり、プロになれるのだろうと思い、今もよく言われる、
「夢をあきらめず、続けること。」だけでは、絶対に無理だろうに。
今回、演奏すると、昔から苦手な、ギターのバッキングに加え、
チョッパー・ベースが、とにかく難しくて、裏のリズムだけでなく、
サビで、単に8分音符で、オクターブのチョッパーをすることが、
走ったり、もたったり、安定しなくて、またもリズム音痴を痛感。
本来は、もう少し、ノリを出しながら、チョッパーを弾くべきだが、
あまりにずれてしまうので、なるべく機械的にリズムを取るが、
それでも、ずれてきて、次の小節の頭で、つじつま合わせたり、
ずれない部分は、ビートを感じない、淡々とした演奏になった。
それでも、ピアノ教室の発表会では、完コピが果たせなかった、
左右のギターのバッキングの、コンビネーションが再現できて、
自分で弾きながら、ちょっとは良い気分になるが、調子づくと、
これまた、リズムがずれてしまって、こちらも何度もやり直した。
そもそも、バスドラムが、前の小節から、16分音符でくうところ、
ドラムマシンをリアルタイム入力にしたから、8分音符になって、
あとで入力画面を出して、ほぼ全小節を修正入力する始末で、
ドラムマシンでも、リズム練習しなければと、先が思いやられる。
「ハンクとクリフ」の題名は、ユーミンの命名で、二匹の犬の名と、
ライブの曲目紹介では言っていたと、ファンのブログで読んだが、
カントリー歌手、ハンク・ウィリアムスや、イギリスのロック歌手、
クリフ・リチャードかと、ずっと自分は思っていて、これも勘違い。
スクェアの「うち水にRainbow」から、ピアノのメロディがメインで、
ギターの安藤の作曲なのに、和泉の持ち歌かと思える名曲で、
天気予報からニュースのBGMと、お茶の間にまで流れていた、
「ハンクとクリフ」は、ギターを含めたリズム隊が、難しい曲です。
ジャズギター教室は、レッスンが、土曜の午後だったので、
就職後も、土曜は半ドンで、何の予定もないから、続けて、
先生が教室をやめてしまうまで、8年間、みっちり教わる。
先生は、歌手の伴奏で、テレビに出たり、地方へ行くので、
レッスンを日曜に変更することが、何度かあって、ある時、
「ピアノ教室で、バンド練習するらしいから、行ってこい。」と、
日曜にレッスンしていた、ピアノ教室の合奏に加わることに。
ピアノの先生は、クラシックだけでなく、ポピュラーも教えて、
発表会は、ソロ演奏に加え、歌とピアノ、フルートにピアノと
合奏をさせていたので、ベース、ドラム教室の生徒も参加し、
ギター教室からも、1人寄こして欲しいと、話が進んだらしい。
翌月の発表会で、「イパネマの娘」の1曲だけに参加したが、
バンド形式の演奏は、今までになかったから、珍しさもあり、
評判が良かったそうで、次回の発表会でも声をかけてもらい、
エレクトーンの伴奏や、歌の伴奏まで、バンド形式で加わる。
ちなみに、エレクトーンというのは、ヤマハの製品名なので、
河合楽器では、ドリマトーンとか、電子オルガンと呼んだが、
生徒らは、ヤマハ出版のエレクトーンの楽譜も使っていて、
フュージョンブームもあってか、スクェアを弾く人が多かった。
ギター教室では、ジャズのアドリブ、それも早弾きばかりに、
目が行っていた自分が、ピアノ教室の伴奏を務めるからと、
かなり真剣にバッキングに取り組み、コードを鳴らすだけで、
つまらないと思っていたのは、とんだ思い違いだと気づいた。
80年前後のAORでは、一流のスタジオ・ミュージシャンに、
フュ-ジョン系奏者がバックを務めて、TOTOの活躍もあって、
16ビートのカッティングが格好良くて、自分も練習してみたし、
ニューミュージック界でも、松原正樹、今剛らが、売れっ子に。
ユーミンの「パール・ピアス」や、山下達郎の「スパークル」は、
イントロのギターのカッティングが、すごく印象に残る曲だし、
「スパークル」は、そのコードのカッティングに、呼応するよう、
単音リフが加わってきて、ツインギターが、とにかく格好良い。
ザ・スクェアの「ハンクとクリフ」は、その2本のリズムギターを、
まんまパクったような伴奏で、もともとは、レイ・パーカー・Jr、
ボズ・スキャッグスあたりで、よく聴かれるパターンなのだが、
16ビートの裏で、くって入るカッティングが、自分には難しい。
ピアノ教室発表会で、エレクトーンを伴奏し、この曲を弾くが、
ギターは自分ひとりなので、コードカッティング、リフの2本を、
要所要所で使い分けるも、カッティングが、やたらとずれては、
ベース、ドラムから指摘されて、冷や汗もので、本番を終えた。
カシオペアとかのテクニックを全面に出す、リズム隊に比べて、
一見、簡単そうなスクェアも、ノリ、グルーブ感が出せないうえ、
小技もあり、一筋縄ではいかないが、ベース、ドラムの生徒は、
実に見事に演奏し、ギター教室で天狗になっていたのを反省。
のちに、カシオペアやスクェアのリズム隊が、交代した時にも、
スクールの連中の方が、ずっと上手かった、どんなきっかけで、
抜擢されたり、プロになれるのだろうと思い、今もよく言われる、
「夢をあきらめず、続けること。」だけでは、絶対に無理だろうに。
今回、演奏すると、昔から苦手な、ギターのバッキングに加え、
チョッパー・ベースが、とにかく難しくて、裏のリズムだけでなく、
サビで、単に8分音符で、オクターブのチョッパーをすることが、
走ったり、もたったり、安定しなくて、またもリズム音痴を痛感。
本来は、もう少し、ノリを出しながら、チョッパーを弾くべきだが、
あまりにずれてしまうので、なるべく機械的にリズムを取るが、
それでも、ずれてきて、次の小節の頭で、つじつま合わせたり、
ずれない部分は、ビートを感じない、淡々とした演奏になった。
それでも、ピアノ教室の発表会では、完コピが果たせなかった、
左右のギターのバッキングの、コンビネーションが再現できて、
自分で弾きながら、ちょっとは良い気分になるが、調子づくと、
これまた、リズムがずれてしまって、こちらも何度もやり直した。
そもそも、バスドラムが、前の小節から、16分音符でくうところ、
ドラムマシンをリアルタイム入力にしたから、8分音符になって、
あとで入力画面を出して、ほぼ全小節を修正入力する始末で、
ドラムマシンでも、リズム練習しなければと、先が思いやられる。
「ハンクとクリフ」の題名は、ユーミンの命名で、二匹の犬の名と、
ライブの曲目紹介では言っていたと、ファンのブログで読んだが、
カントリー歌手、ハンク・ウィリアムスや、イギリスのロック歌手、
クリフ・リチャードかと、ずっと自分は思っていて、これも勘違い。
スクェアの「うち水にRainbow」から、ピアノのメロディがメインで、
ギターの安藤の作曲なのに、和泉の持ち歌かと思える名曲で、
天気予報からニュースのBGMと、お茶の間にまで流れていた、
「ハンクとクリフ」は、ギターを含めたリズム隊が、難しい曲です。

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