僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
78年にレコードデビューしたスクェアは、最初の数年間は、
メンバーチェンジをしながら、その音楽性も変化していく中、
4~6枚目のアルバムでは、ゲストボーカルも加えていて、
なかでも、5枚目のタイトル曲「マジック」は、代表曲となる。
黄金期のスクェアを支える、ベースの田中豊雪が加入して、
81年に出たLP「マジック」は、ボーカル入りのタイトル曲が、
1曲目にあり、印象的なギターのリフと、曲全体を引っ張る、
チョッパーベースが、本当に見事で、田中の存在は大きい。
85年のライブアルバムでは、インスト版で演奏していたり、
重要なレパートリーとなるが、自分が、この曲を知ったのは、
83年に、マリーンがカバーした時で、最初のボーカル版は、
ラジオで一度くらいは聴いたのだろうが、あまり記憶にない。
インストの曲が中心で、時にテクニックの応酬になりがちな、
フュージョン音楽で、79年に、ベテランのクルセイダーズが、
ランディ・クロフォードを起用した、ボーカル入りの曲がヒット、
翌年は、グローバー・ワシントンJr.も、同様に歌ものを出す。
そうした流れの中、フュージョン系のボーカリスト、歌姫として、
マリーンが脚光を浴びて、2枚目「サマーナイト」は、バックを、
ハワイ出身のフュージョンバンド、シーウィンドが務めたから、
ギター中心の自分でも、興味を持って、何曲かをエアチェック。
その前後、おしゃれな音楽として、ジャズボーカルが流行して、
阿川泰子や秋本奈緒美が、LPを出したり、テレビにも出たが、
マリーンの歌は、ソウルフル、パワフルな感じで、一線を画し、
やはりフュージョン系なのかと思っていたら、「マジック」も出る。
スクェアの曲と知り、ちょうどスクェアの旧譜が、廉価盤で出て、
彼らのLPを、1枚も持っていないから、ギターがメインの曲の、
「トゥモロー」を収録した、4枚目「ロックーン」と、初期の名曲や、
「マジック」まで入っている、ベスト盤の「ライト・アップ」を買った。
そのベスト盤には、よくラジオで聴いた、初期の名曲もあって、
良いなと思いつつ、和泉、田中、長谷部という黄金期が揃った、
「脚線美の誘惑」からの曲や、ベスト盤用新録音の曲のほうが、
完成度も、演奏レベルも段違いで、これで一気にファンになる。
「マジック」は、ボーカル曲ということもあり、間奏はサックスで、
ライブでインスト版で演奏するときも、メロディをサックスが吹き、
間奏はシンセが代って弾き、ギターは、リズムに徹しているが、
イントロを含め、ギターリフが、曲を印象づけるせいもあるのか。
自分の演奏は、宅録で多重録音できるから、インスト版にして、
ギターでメロディを弾くと、何だか、ベンチャーズみたいになり、
ギターシンセで、サックスの音にすると、スーパーとかで流れる、
BGMのエレクトーン演奏みたいで、どちらも、収まりが良くない。
スクェアの原曲どおり歌にすると、声が高すぎて、まったく無理、
マリーンは、キーをCmからAmに下げているが、多少下げても、
歌唱力が上がるわけでもなく、伴奏を移調するのも面倒だから、
ギターでメロディを弾き、そこに歌も入れて、両方をごまかした。
昔から歌っている、ビートルズなどの曲と違い、聴いてはいても、
歌詞は気にも止めずにいたが、歌ってみると、「マジシャン」だの、
「ジプシーの奏でるギター」だの出てきて、ギターマジシャンの、
テーマ曲じゃないかと、我田引水するが、内容はまったく別もの。
イントロのギターリフは、休符も含めて、8分音符の連続だから、
いわゆるエイトビートピッキングで、空ピックのダウンから入り、
アップ・ダウンと弾き、空のアップという具合で、弾いていみたら、
リズムはずれていないのに、原曲のノリが出なくて、もたる感じ。
YouTubeで確認すると、安藤は、全部ダウンピッキングで弾き、
見た目は、右手の動きが、何だかせわしくて、好みではないが、
真似してダウンにすると、雰囲気は似るから、そう弾いたものの、
慣れない弾き方だから、リズムがずれたり、ピックを落としがち。
自分たちの世代は、グレコのギターを買うと、おまけにもらえた、
成毛滋の教則本で、エイトビートピッキングの洗礼、呪縛があり、
アドリブも含めて、規則的上下運動、オルタネイトにしがちだが、
プロの映像が確認できるようになり、それだけじゃないと気づく。
この曲を演奏するのに、一番苦労したのは、チョッパーベースで、
今日、スラップ奏法と呼ばれる、右手を弦に叩きつける弾き方で、
ほぼ全曲を通して、オクターブの音程で、ドゥンぺッ、ドゥンペッと、
ひたすらチョッパーするが、人差し指の引っ掛けが、空振りしがち。
何かコツはないか、これまた、YouTubeで演奏動画を見ていたら、
アトスという教則DVDの会社が、ダイジェスト映像を載せていて、
FチョッパーKOGAという娘が、オクターブのチョッパーのやり方を、
丁寧に教えてくれて、ギターも含めて、良い時代になったなと思う。
親指は、クラシックギターのアポヤンドのように、隣の弦に乗せて、
人差し指を弾いたら、親指の腹が見えるように、回転させるとか、
左手も押さえていない指で、開放弦を消音、さらに、映像で見ると、
押さえた指も、いったん浮かせて、歯切れ良くなるようにしていた。
自分のベースギターは、フレットレス1本なので、音がこもりがち、
左手で押さえるとき、小指に薬指を添えて、強く押さえてみたり、
コンプを通し、アタック音を強調しても、スコーンと抜けた音でなく、
フレット付ならばと、言い訳したいが、右手のタッチにも問題あり。
1時間ほど練習しただけで、右手人差し指に血豆ができてしまい、
毎日、ガットギターで指弾きしていて、指先は弦に触れているのに、
その太い6弦より、はるかに太いベース弦で、引っ掛けて弾くから、
ひとたまりもなく、痛くて弾けなくなり、次に中指で練習するが同様。
爪も引っかけて、割れてしまって、ガットギターの録音する予定は、
当分ないから良いが、クラシックギターを習いにでも行っていたら、
少しは指先を大事にしろと、破門されかねないところで、ベースと、
クラシックギターは両立できないのか、単に自分が鈍くさいのか。
81年発売、スクェアの5枚目「マジック」のタイトル曲で、83年に、
マリーンがカバーしたボーカル曲を、ギターでメロディを弾きつつ、
喉がつぶれ、脳の血管を切りそうな高い音程で、ボーカルも録音、
ベースでは血がにじんだり、己のレベルを考えずに演奏しました。
メンバーチェンジをしながら、その音楽性も変化していく中、
4~6枚目のアルバムでは、ゲストボーカルも加えていて、
なかでも、5枚目のタイトル曲「マジック」は、代表曲となる。
黄金期のスクェアを支える、ベースの田中豊雪が加入して、
81年に出たLP「マジック」は、ボーカル入りのタイトル曲が、
1曲目にあり、印象的なギターのリフと、曲全体を引っ張る、
チョッパーベースが、本当に見事で、田中の存在は大きい。
85年のライブアルバムでは、インスト版で演奏していたり、
重要なレパートリーとなるが、自分が、この曲を知ったのは、
83年に、マリーンがカバーした時で、最初のボーカル版は、
ラジオで一度くらいは聴いたのだろうが、あまり記憶にない。
インストの曲が中心で、時にテクニックの応酬になりがちな、
フュージョン音楽で、79年に、ベテランのクルセイダーズが、
ランディ・クロフォードを起用した、ボーカル入りの曲がヒット、
翌年は、グローバー・ワシントンJr.も、同様に歌ものを出す。
そうした流れの中、フュージョン系のボーカリスト、歌姫として、
マリーンが脚光を浴びて、2枚目「サマーナイト」は、バックを、
ハワイ出身のフュージョンバンド、シーウィンドが務めたから、
ギター中心の自分でも、興味を持って、何曲かをエアチェック。
その前後、おしゃれな音楽として、ジャズボーカルが流行して、
阿川泰子や秋本奈緒美が、LPを出したり、テレビにも出たが、
マリーンの歌は、ソウルフル、パワフルな感じで、一線を画し、
やはりフュージョン系なのかと思っていたら、「マジック」も出る。
スクェアの曲と知り、ちょうどスクェアの旧譜が、廉価盤で出て、
彼らのLPを、1枚も持っていないから、ギターがメインの曲の、
「トゥモロー」を収録した、4枚目「ロックーン」と、初期の名曲や、
「マジック」まで入っている、ベスト盤の「ライト・アップ」を買った。
そのベスト盤には、よくラジオで聴いた、初期の名曲もあって、
良いなと思いつつ、和泉、田中、長谷部という黄金期が揃った、
「脚線美の誘惑」からの曲や、ベスト盤用新録音の曲のほうが、
完成度も、演奏レベルも段違いで、これで一気にファンになる。
「マジック」は、ボーカル曲ということもあり、間奏はサックスで、
ライブでインスト版で演奏するときも、メロディをサックスが吹き、
間奏はシンセが代って弾き、ギターは、リズムに徹しているが、
イントロを含め、ギターリフが、曲を印象づけるせいもあるのか。
自分の演奏は、宅録で多重録音できるから、インスト版にして、
ギターでメロディを弾くと、何だか、ベンチャーズみたいになり、
ギターシンセで、サックスの音にすると、スーパーとかで流れる、
BGMのエレクトーン演奏みたいで、どちらも、収まりが良くない。
スクェアの原曲どおり歌にすると、声が高すぎて、まったく無理、
マリーンは、キーをCmからAmに下げているが、多少下げても、
歌唱力が上がるわけでもなく、伴奏を移調するのも面倒だから、
ギターでメロディを弾き、そこに歌も入れて、両方をごまかした。
昔から歌っている、ビートルズなどの曲と違い、聴いてはいても、
歌詞は気にも止めずにいたが、歌ってみると、「マジシャン」だの、
「ジプシーの奏でるギター」だの出てきて、ギターマジシャンの、
テーマ曲じゃないかと、我田引水するが、内容はまったく別もの。
イントロのギターリフは、休符も含めて、8分音符の連続だから、
いわゆるエイトビートピッキングで、空ピックのダウンから入り、
アップ・ダウンと弾き、空のアップという具合で、弾いていみたら、
リズムはずれていないのに、原曲のノリが出なくて、もたる感じ。
YouTubeで確認すると、安藤は、全部ダウンピッキングで弾き、
見た目は、右手の動きが、何だかせわしくて、好みではないが、
真似してダウンにすると、雰囲気は似るから、そう弾いたものの、
慣れない弾き方だから、リズムがずれたり、ピックを落としがち。
自分たちの世代は、グレコのギターを買うと、おまけにもらえた、
成毛滋の教則本で、エイトビートピッキングの洗礼、呪縛があり、
アドリブも含めて、規則的上下運動、オルタネイトにしがちだが、
プロの映像が確認できるようになり、それだけじゃないと気づく。
この曲を演奏するのに、一番苦労したのは、チョッパーベースで、
今日、スラップ奏法と呼ばれる、右手を弦に叩きつける弾き方で、
ほぼ全曲を通して、オクターブの音程で、ドゥンぺッ、ドゥンペッと、
ひたすらチョッパーするが、人差し指の引っ掛けが、空振りしがち。
何かコツはないか、これまた、YouTubeで演奏動画を見ていたら、
アトスという教則DVDの会社が、ダイジェスト映像を載せていて、
FチョッパーKOGAという娘が、オクターブのチョッパーのやり方を、
丁寧に教えてくれて、ギターも含めて、良い時代になったなと思う。
親指は、クラシックギターのアポヤンドのように、隣の弦に乗せて、
人差し指を弾いたら、親指の腹が見えるように、回転させるとか、
左手も押さえていない指で、開放弦を消音、さらに、映像で見ると、
押さえた指も、いったん浮かせて、歯切れ良くなるようにしていた。
自分のベースギターは、フレットレス1本なので、音がこもりがち、
左手で押さえるとき、小指に薬指を添えて、強く押さえてみたり、
コンプを通し、アタック音を強調しても、スコーンと抜けた音でなく、
フレット付ならばと、言い訳したいが、右手のタッチにも問題あり。
1時間ほど練習しただけで、右手人差し指に血豆ができてしまい、
毎日、ガットギターで指弾きしていて、指先は弦に触れているのに、
その太い6弦より、はるかに太いベース弦で、引っ掛けて弾くから、
ひとたまりもなく、痛くて弾けなくなり、次に中指で練習するが同様。
爪も引っかけて、割れてしまって、ガットギターの録音する予定は、
当分ないから良いが、クラシックギターを習いにでも行っていたら、
少しは指先を大事にしろと、破門されかねないところで、ベースと、
クラシックギターは両立できないのか、単に自分が鈍くさいのか。
81年発売、スクェアの5枚目「マジック」のタイトル曲で、83年に、
マリーンがカバーしたボーカル曲を、ギターでメロディを弾きつつ、
喉がつぶれ、脳の血管を切りそうな高い音程で、ボーカルも録音、
ベースでは血がにじんだり、己のレベルを考えずに演奏しました。
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かれこれ20年くらい前になろうか、NHKの教育テレビで、
「ファイト!」という、対決・バトルみたいな番組が放送され、
ゴスペルの対決には、早稲田大学の学生サークルが出て、
印象深くて、覚えていたら、後にゴスペラーズでデビュー。
ビートルズのコピーバンド対決もあり、セミプロだったのか、
年配者のバンドと、東大あたりの学生バンドとが出演して、
当然ながら、実力は、年配バンドの方が、はるかに上だが、
学生は、とてもさわやかで、初期のビートルズを思わせた。
3本勝負みたいな形式での、アカペラ対決は、年配バンドが、
「恋をするなら」を、完璧なコーラスワークで決めたのに対し、
学生は、ドラムも含めて、楽器を携えて、輪になっての演奏、
アカペラというよりは、アンプラグドだが、すごく良い雰囲気。
その時、彼らが歌ったのが、初期の「アスク・ミー・ホワイ」で、
ああ、そう言えば、こんな曲があったなあ、隠れた名曲だよと、
初期というと、「抱きしめたい」、「シー・ラヴズ・ユー」ばかりが、
浮かぶが、それだけじゃないぞと、改めて気づかせてくれた。
この曲は、イギリスでは、デビューアルバムの収録なのだが、
日本編集盤では、「ビートルズNo.5」という地味なLP収録、
シングルA面や、めぼしい曲を、1・2枚目に入れてしまって、
そこへ未収録となった、いわば残り物で構成された感のLP。
ドイツ語で歌った、「抱きしめたい」と「シー・ラヴズ・ユー」に、
カバー曲をメインにした4曲入りEPや、未収録のカバー曲と、
ジャケ帯のコピーに、「初期の通向きアルバム」と書いてあり、
一般的なヒット曲は、「アイ・フィール・ファイン」があるくらい。
そんな、ある意味マイナーで、めったにかけたりしないLPに、
「アスク・ミー・ホワイ」は入っていたから、つい疎遠になって、
例えば、「イエス・イット・イズ」や、「アイル・ゲット・ユー」より、
聴くことは少なかったが、これは押しも押されぬ初期の名曲。
デビュー前から、ライブで演奏した、昔からのオリジナルだと、
何かで読んでいたから、この曲が入っている非公式ライブ盤、
ハンブルグのスタークラブの演奏は、デビュー前の61年頃に、
酔客相手に巡業した際の録音だとばかり、思い込んでいた。
若き日のビートルズの、未発表音源が見つかったと、77年に、
大々的に出た2枚組LPは、すぐに買ったが、数回聴いた程度、
棚から探すと、邦題も「デビュー!ビートルズ・ライブ’62」だし、
帯にも「デビュー直後のライブ」とあって、完全な勘違いだった。
考えてみれば、ドラムは、ピート・ベストではなく、リンゴだから、
少なくとも、デビュー曲の録音よりも後でなければ、おかしいし、
実際には、62年12月末なのだから、「アスク・ミー・ホワイ」も、
すでに、2枚目シングル盤のB面として、録音を終えていた頃。
アマ時代から、オリジナル曲も多く、すでに完成されていたなど、
単なる勘違いから、勝手に、ビートルズ神話を作り上げていて、
必要以上に4人を持ち上げるマニアを、いつも批判するくせに、
自分も、無意識に、崇め奉っていたようで、五十歩百歩だった。
このライブは、デビューしたビートルズが、自分たちを育んだ、
ハンブルグへの恩返し、凱旋公演の意味合いだと思いつつも、
これまた自分の思い込みで、もともとの契約が残っていたから、
最後のドサ周りとばかり、店にお別れしてきたのかもしれない。
若きビートルズを描いた映画、「バックビート」のラストシーン、
マッシュルームカットで小奇麗になった、ビートルズの面々が、
ハンブルグへ戻ってきて、駅でアストリッドと再会する場面は、
実際に、この時だったのだろうかと、これまた想像してしまう。
「アスク・ミー・ホワイ」は、冒頭から、3人でハモっているので、
例によって、各パートを混同していて、出だしの「I love you」、
「Ask me why」と歌うところは、ジョージの音程で覚えていて、
3声のうち、真ん中となる音を、なぜ、聴き取れたか、不思議。
さらに、ここは、「ユー・ウー・ウー・ウー」と、メロが上下するが、
それは、コーラスの二人だけで、ジョンは音を伸ばしたままで、
一息のまま、次のメロディも歌うと、YouTubeでお馴染みとなる、
ビートルズ・ヴォーカル・ハーモニーが、丁寧に解説してくれる。
細かいことだが、2番の歌詞が、LPとCDの歌詞カードで違い、
88年のCDは、「My happiness near makes me cry」で、
その「near」が、LPでは「dear」で、詩集では、「still」となって、
この時代になっても、歌詞カードの誤りが多いのは、ひどすぎ。
2枚目のシングル、「プリーズ・プリーズ・ミー」のB面にして、
デビュー前から披露していた名曲、「アスク・ミー・ホワイ」を、
なかなかジョンの歌声は出ないし、ポールの高音もきついと、
いつもながら、歌が課題だらけのまま、無理やりアップです。
「ファイト!」という、対決・バトルみたいな番組が放送され、
ゴスペルの対決には、早稲田大学の学生サークルが出て、
印象深くて、覚えていたら、後にゴスペラーズでデビュー。
ビートルズのコピーバンド対決もあり、セミプロだったのか、
年配者のバンドと、東大あたりの学生バンドとが出演して、
当然ながら、実力は、年配バンドの方が、はるかに上だが、
学生は、とてもさわやかで、初期のビートルズを思わせた。
3本勝負みたいな形式での、アカペラ対決は、年配バンドが、
「恋をするなら」を、完璧なコーラスワークで決めたのに対し、
学生は、ドラムも含めて、楽器を携えて、輪になっての演奏、
アカペラというよりは、アンプラグドだが、すごく良い雰囲気。
その時、彼らが歌ったのが、初期の「アスク・ミー・ホワイ」で、
ああ、そう言えば、こんな曲があったなあ、隠れた名曲だよと、
初期というと、「抱きしめたい」、「シー・ラヴズ・ユー」ばかりが、
浮かぶが、それだけじゃないぞと、改めて気づかせてくれた。
この曲は、イギリスでは、デビューアルバムの収録なのだが、
日本編集盤では、「ビートルズNo.5」という地味なLP収録、
シングルA面や、めぼしい曲を、1・2枚目に入れてしまって、
そこへ未収録となった、いわば残り物で構成された感のLP。
ドイツ語で歌った、「抱きしめたい」と「シー・ラヴズ・ユー」に、
カバー曲をメインにした4曲入りEPや、未収録のカバー曲と、
ジャケ帯のコピーに、「初期の通向きアルバム」と書いてあり、
一般的なヒット曲は、「アイ・フィール・ファイン」があるくらい。
そんな、ある意味マイナーで、めったにかけたりしないLPに、
「アスク・ミー・ホワイ」は入っていたから、つい疎遠になって、
例えば、「イエス・イット・イズ」や、「アイル・ゲット・ユー」より、
聴くことは少なかったが、これは押しも押されぬ初期の名曲。
デビュー前から、ライブで演奏した、昔からのオリジナルだと、
何かで読んでいたから、この曲が入っている非公式ライブ盤、
ハンブルグのスタークラブの演奏は、デビュー前の61年頃に、
酔客相手に巡業した際の録音だとばかり、思い込んでいた。
若き日のビートルズの、未発表音源が見つかったと、77年に、
大々的に出た2枚組LPは、すぐに買ったが、数回聴いた程度、
棚から探すと、邦題も「デビュー!ビートルズ・ライブ’62」だし、
帯にも「デビュー直後のライブ」とあって、完全な勘違いだった。
考えてみれば、ドラムは、ピート・ベストではなく、リンゴだから、
少なくとも、デビュー曲の録音よりも後でなければ、おかしいし、
実際には、62年12月末なのだから、「アスク・ミー・ホワイ」も、
すでに、2枚目シングル盤のB面として、録音を終えていた頃。
アマ時代から、オリジナル曲も多く、すでに完成されていたなど、
単なる勘違いから、勝手に、ビートルズ神話を作り上げていて、
必要以上に4人を持ち上げるマニアを、いつも批判するくせに、
自分も、無意識に、崇め奉っていたようで、五十歩百歩だった。
このライブは、デビューしたビートルズが、自分たちを育んだ、
ハンブルグへの恩返し、凱旋公演の意味合いだと思いつつも、
これまた自分の思い込みで、もともとの契約が残っていたから、
最後のドサ周りとばかり、店にお別れしてきたのかもしれない。
若きビートルズを描いた映画、「バックビート」のラストシーン、
マッシュルームカットで小奇麗になった、ビートルズの面々が、
ハンブルグへ戻ってきて、駅でアストリッドと再会する場面は、
実際に、この時だったのだろうかと、これまた想像してしまう。
「アスク・ミー・ホワイ」は、冒頭から、3人でハモっているので、
例によって、各パートを混同していて、出だしの「I love you」、
「Ask me why」と歌うところは、ジョージの音程で覚えていて、
3声のうち、真ん中となる音を、なぜ、聴き取れたか、不思議。
さらに、ここは、「ユー・ウー・ウー・ウー」と、メロが上下するが、
それは、コーラスの二人だけで、ジョンは音を伸ばしたままで、
一息のまま、次のメロディも歌うと、YouTubeでお馴染みとなる、
ビートルズ・ヴォーカル・ハーモニーが、丁寧に解説してくれる。
細かいことだが、2番の歌詞が、LPとCDの歌詞カードで違い、
88年のCDは、「My happiness near makes me cry」で、
その「near」が、LPでは「dear」で、詩集では、「still」となって、
この時代になっても、歌詞カードの誤りが多いのは、ひどすぎ。
2枚目のシングル、「プリーズ・プリーズ・ミー」のB面にして、
デビュー前から披露していた名曲、「アスク・ミー・ホワイ」を、
なかなかジョンの歌声は出ないし、ポールの高音もきついと、
いつもながら、歌が課題だらけのまま、無理やりアップです。

おそらく、国内では、一番有名なフュージョン・バンドだろうし、
何より、お茶の間に、フュージョン音楽の存在を印象付けた、
ザ・スクェアは、自分にとって、プリズムやカシオペアと並ぶ、
三大フュージョン・バンドで、昔から愛聴して、曲も練習した。
ちなみに、ザ・スクェアは、88年に、アメリカでCDを出す際、
同名バンドがあったので、「T-スクェア」を名乗って活動して、
89年から、国内でも改名したが、自分が好んで聴いたのは、
それ以前の曲だから、今も、スクェアと呼ぶ方がしっくりくる。
そのスクェアが、レコードを出したのは、自分が高3の78年、
すでに、プリズムのLPを買ったり、パルコ劇場のライブに接し、
カシオペアも、ヤマハのコンテストで見て、渋谷のヤマハでの、
ライブにも何度か行き、日本のフュージョンに親しんでいた頃。
最初に、スクエアの曲を聴いたのは、FMの番組だったろうか、
デビュー作の「ラッキー・サマー・レディ」は、テクニック重視で、
決めのリズムをビシビシ決める、プリズムやカシオペアと違い、
メロディ重視で、アドリブも少なく、サックスがメインという感じ。
パルコ劇場で、プリズムと共演した、スペースサーカスでさえも、
プリズムの和田アキラほど、ギターを弾きまくっていないと思い、
LPを買わなかった自分だから、スクェアは、エアチェック程度で、
渡辺貞夫や、そのバックに徹した、リトナーのバンドに近い印象。
その後、リーダーでギターの安藤は、大学ジャズ研出身と知り、
渡辺香津美が、レコードでは、抑え目にして、短いアドリブを、
ライブでは、ワウワウペダルまで使って、弾きまくっていたから、
スクェアも、ライブでは、ソロを回し合うのかと、勝手に考える。
当時、FM東京の番組では、「ゴールデン・ライブ・ステージ」で、
コンサートを放送したり、「ローディー・ライブ・コンサート」では、
生演奏の生放送をしていて、NHK-FMの「セッション’78」でも、
スタジオライブを放送し、フュージョン奏者も、かなり出ていた。
スクェアのライブを聴いたのは、そのあたりの番組だったのか、
連休の特番で、六本木のピットインや、原宿のクロコダイルから、
生中継した番組だったか、とにかく、ライブとなったら、安藤も、
ギターを弾きまくるんじゃないかと、期待しながら、FMを聴いた。
ところが、わりと延々とギターソロが続く曲でも、ゆったりとして、
コードを流すようなアドリブだし、ギターの音色も、歪ませなくて、
コーラス・マシンを通したクリアな音、早弾きの弾きまくりばかり、
追い求めていた当時の自分にしたら、すごく不完全燃焼な演奏。
同じ頃に、下北沢音楽賞優勝のうたい文句で、レコードを出した、
クロスウィンドが、小川銀次の早弾きを、全面に押し出していて、
それまで、早弾きが売りの、プリズムの和田アキラが、2枚目は、
少し抑え気味で、不満だっただけに、クロスウィンドは飛びつく。
今日では、ソロギターの名手で、ボサノバも得意な佐藤正美が、
カリオカというバンドで、デビューしたり、ソロのギタリストたちも、
渡辺香津美に続けと、秋山一将が、ビバップ調で弾きまくるし、
松原正樹も、スタジオ出身らしい、多彩なスタイルのLPを出す。
海外でも、バンドからソロギタリストから、フュージョンLPが出て、
エアチェックも大変で、追いつかないくらい、タイマーも駆使して、
録音してみたものの、ほとんど聴かないテープばかり、たまって、
自分の中では、スクェアも、その他大勢の中に、埋もれてしまう。
80年になって、ヤングギター4月号に、スクェアの楽譜が載って、
これが、テーマもギターが弾き、最後は、64分音符の早弾きで、
いつから、こんなギターがメインで、弾きまくるようになったのかと、
驚いたが、安藤のコメントと写真に、ちょっと引いてしまう部分が。
本人ではなくて、編集部のせいだろうが、「エート、突然ですけど、
今日は!」で始まると、「僕らの曲が載るなんて、初めてなんで、
ちょっとテレちゃうな。」とか、「持っていない人は買ってください、
と、宣伝しちゃった!」となって、何だか、軽薄な輩に思えてくる。
ギター、レスポールを抱えた写真も、右手は、ピックを持たなくて、
チョッパーベースのフォームで、左手は、フレットを押さえながら、
指にタバコを挟んでいて、それで、どこを、どうやって弾くんだよと、
言いたくなり、当然ながら、持っていないレコードを買うこともない。
同じ号に楽譜が出ていた、ロニー・モントローズの「非情の街」は、
そんなに早弾きではなかったが、弾いてみたら、泣きのギターで、
LPを買ったし、結局、スクェアも、この「トゥモロー」が気に入って、
収録された「ロックーン」やベスト盤を、廉価盤が出たとき買った。
話がとぶが、ヤングギターは、もともと、フォークギター誌だから、
この号でも、スクェアや、高中正義の「ブルーラグーン」と一緒に、
「贈る言葉」や「ひとり咲き」の楽譜が載っているうえ、イーグルス、
クイーンから、TOTO、ツェッペリンの特集と、すごく充実していた。
特に、この号は、練習したい曲、弾きたい曲が多かったこともあり、
ロッキンF、ギターマガジンや、ジャズライフなどを処分したときに、
それぞれ、数冊ずつ残したうちの1冊なのだが、何で全部の号を、
取っておかなかったのか、本当に、悔やんでも、悔やみきれない。
ギターが目立たないと、ろくに聴かないまま、スルーしたスクェアを、
見直すきっかけになった曲、「トゥモロー」は、当時、売れっ子だった、
ジェイ・グレイドンのギタープレイを、うまく取り入れたアドリブソロで、
早弾きも格好良く、何より、自分が最初に弾いたスクェアの曲です。
何より、お茶の間に、フュージョン音楽の存在を印象付けた、
ザ・スクェアは、自分にとって、プリズムやカシオペアと並ぶ、
三大フュージョン・バンドで、昔から愛聴して、曲も練習した。
ちなみに、ザ・スクェアは、88年に、アメリカでCDを出す際、
同名バンドがあったので、「T-スクェア」を名乗って活動して、
89年から、国内でも改名したが、自分が好んで聴いたのは、
それ以前の曲だから、今も、スクェアと呼ぶ方がしっくりくる。
そのスクェアが、レコードを出したのは、自分が高3の78年、
すでに、プリズムのLPを買ったり、パルコ劇場のライブに接し、
カシオペアも、ヤマハのコンテストで見て、渋谷のヤマハでの、
ライブにも何度か行き、日本のフュージョンに親しんでいた頃。
最初に、スクエアの曲を聴いたのは、FMの番組だったろうか、
デビュー作の「ラッキー・サマー・レディ」は、テクニック重視で、
決めのリズムをビシビシ決める、プリズムやカシオペアと違い、
メロディ重視で、アドリブも少なく、サックスがメインという感じ。
パルコ劇場で、プリズムと共演した、スペースサーカスでさえも、
プリズムの和田アキラほど、ギターを弾きまくっていないと思い、
LPを買わなかった自分だから、スクェアは、エアチェック程度で、
渡辺貞夫や、そのバックに徹した、リトナーのバンドに近い印象。
その後、リーダーでギターの安藤は、大学ジャズ研出身と知り、
渡辺香津美が、レコードでは、抑え目にして、短いアドリブを、
ライブでは、ワウワウペダルまで使って、弾きまくっていたから、
スクェアも、ライブでは、ソロを回し合うのかと、勝手に考える。
当時、FM東京の番組では、「ゴールデン・ライブ・ステージ」で、
コンサートを放送したり、「ローディー・ライブ・コンサート」では、
生演奏の生放送をしていて、NHK-FMの「セッション’78」でも、
スタジオライブを放送し、フュージョン奏者も、かなり出ていた。
スクェアのライブを聴いたのは、そのあたりの番組だったのか、
連休の特番で、六本木のピットインや、原宿のクロコダイルから、
生中継した番組だったか、とにかく、ライブとなったら、安藤も、
ギターを弾きまくるんじゃないかと、期待しながら、FMを聴いた。
ところが、わりと延々とギターソロが続く曲でも、ゆったりとして、
コードを流すようなアドリブだし、ギターの音色も、歪ませなくて、
コーラス・マシンを通したクリアな音、早弾きの弾きまくりばかり、
追い求めていた当時の自分にしたら、すごく不完全燃焼な演奏。
同じ頃に、下北沢音楽賞優勝のうたい文句で、レコードを出した、
クロスウィンドが、小川銀次の早弾きを、全面に押し出していて、
それまで、早弾きが売りの、プリズムの和田アキラが、2枚目は、
少し抑え気味で、不満だっただけに、クロスウィンドは飛びつく。
今日では、ソロギターの名手で、ボサノバも得意な佐藤正美が、
カリオカというバンドで、デビューしたり、ソロのギタリストたちも、
渡辺香津美に続けと、秋山一将が、ビバップ調で弾きまくるし、
松原正樹も、スタジオ出身らしい、多彩なスタイルのLPを出す。
海外でも、バンドからソロギタリストから、フュージョンLPが出て、
エアチェックも大変で、追いつかないくらい、タイマーも駆使して、
録音してみたものの、ほとんど聴かないテープばかり、たまって、
自分の中では、スクェアも、その他大勢の中に、埋もれてしまう。
80年になって、ヤングギター4月号に、スクェアの楽譜が載って、
これが、テーマもギターが弾き、最後は、64分音符の早弾きで、
いつから、こんなギターがメインで、弾きまくるようになったのかと、
驚いたが、安藤のコメントと写真に、ちょっと引いてしまう部分が。
本人ではなくて、編集部のせいだろうが、「エート、突然ですけど、
今日は!」で始まると、「僕らの曲が載るなんて、初めてなんで、
ちょっとテレちゃうな。」とか、「持っていない人は買ってください、
と、宣伝しちゃった!」となって、何だか、軽薄な輩に思えてくる。
ギター、レスポールを抱えた写真も、右手は、ピックを持たなくて、
チョッパーベースのフォームで、左手は、フレットを押さえながら、
指にタバコを挟んでいて、それで、どこを、どうやって弾くんだよと、
言いたくなり、当然ながら、持っていないレコードを買うこともない。
同じ号に楽譜が出ていた、ロニー・モントローズの「非情の街」は、
そんなに早弾きではなかったが、弾いてみたら、泣きのギターで、
LPを買ったし、結局、スクェアも、この「トゥモロー」が気に入って、
収録された「ロックーン」やベスト盤を、廉価盤が出たとき買った。
話がとぶが、ヤングギターは、もともと、フォークギター誌だから、
この号でも、スクェアや、高中正義の「ブルーラグーン」と一緒に、
「贈る言葉」や「ひとり咲き」の楽譜が載っているうえ、イーグルス、
クイーンから、TOTO、ツェッペリンの特集と、すごく充実していた。
特に、この号は、練習したい曲、弾きたい曲が多かったこともあり、
ロッキンF、ギターマガジンや、ジャズライフなどを処分したときに、
それぞれ、数冊ずつ残したうちの1冊なのだが、何で全部の号を、
取っておかなかったのか、本当に、悔やんでも、悔やみきれない。
ギターが目立たないと、ろくに聴かないまま、スルーしたスクェアを、
見直すきっかけになった曲、「トゥモロー」は、当時、売れっ子だった、
ジェイ・グレイドンのギタープレイを、うまく取り入れたアドリブソロで、
早弾きも格好良く、何より、自分が最初に弾いたスクェアの曲です。

近年は、ビートルズのサウンド研究が、細かいところまで、
掘り下げられていて、レコードやCDでの録音についても、
ステレオとモノラルのミックスの違いに、音量バランスや、
秒数の違いなど、マニアックなほどに、分析が進んでいる。
東京FM出版「アイ・ラヴ・ビートルズ」には、リストがあり、
46曲もが、一部の歌やギターが違ったり、繰り返しの違い、
エフェクトのかかり方の差が挙げられ、ほとんどの場合は、
ステレオ盤との違い、アメリカ盤との違いから、生じている。
日経「ザ・ビートルズ全曲バイブル」では、モノとステレオの、
音量バランスの違いだの、リマスター盤の定位の違いまで、
さらに細かく分析していて、これはこれで面白いのだろうが、
全部の音源にあたり、その違いを確認しようとは思わない。
自分が、ビートルズを聴き始めたのは、もう解散後だから、
完全なる後追いだったが、その頃、よく言われていたのは、
せいぜい、シングル盤、赤盤・青盤の収録曲と、LPとでは、
演奏の違う曲が、いくつかある、という程度だった気がする。
「レット・イット・ビー」の、ジョージのギターソロが違っている、
「ゲット・バック」のエンディングが、ジョンのスピーチなのか、
再度演奏を始めるのか、「ラヴ・ミー・ドゥ」の、ドラム担当は、
リンゴなのか、セッションミュージシャンなのかといった違い。
さらに、「プリーズ・プリーズ・ミー」で、ジョンが歌詞を間違え、
笑いながら続けるテイクがある、というくらいで、このあたりは、
リアルタイム世代でも同様で、よほどのマニアでもなければ、
国内盤、英盤、米盤を買い集め、比較などはしなかったろう。
こうした研究本を読んで、つい最近知り、本当に驚いたのは、
「ヘルプ」の歌詞違いもあるそうで、バイブルとして愛読した、
「ビートルズ事典」には出ていなかったのに、ファンの間では、
周知の事実だったようで、これは何だか、取り残された気分。
中学時代、二人きりのビートルズコピーバンドを組んでいた、
ジョージ役の同級生は帰国子女で、米盤で集めていたから、
彼の家で、米盤の「ヘルプ」も聴いているが、自分も友人も、
テイクの違いなど、まったく話題にもならず、気づきもしない。
米盤は、初期の曲も擬似ステレオ化して、大半がステレオで、
国内盤のモノLPに、卓上プレイヤーしか持っていない自分は、
友人の家のステレオだと、細かい楽器の音まで聴こえるので、
よく遊びに行って、二人でギターの音を聴き取ったりしていた。
「プリーズ・プリーズ・ミー」の、ジョンが歌詞を間違えてしまう、
ステレオ盤テイクも、そうやって、友人の家で聴いたはずだが、
赤盤にステレオで収録されていて、それを聴かせてもらったと、
ずっと思っていたのに、赤盤は普通のテイクで、勘違いだった。
中山康樹「これがビートルズだ」は、ジョンの歌詞の間違いを、
新人なのに、堂々とミスったうえ、笑いながら歌う、大物ぶりで、
それを認めた、プロデューサーのジョージ・マーティンも大物と、
感心しているが、ジョン派の自分でも、これは、持ち上げすぎ。
せいぜい、ふてぶてしく、小生意気な若造どもという程度だが、
ハンブルグのライブハウスで、毎晩、酔客を相手に生演奏した、
ビートルズにしたら、多少のミスは、酔っ払いには、お構いなし、
ただし、演奏を止めた途端、罵声がくるという、経験ゆえだろう。
ステレオ盤のみに、この歌詞を間違えた演奏が使われたのは、
当時は、一般家庭には、ステレオセットは普及していないので、
あくまでモノラル盤がメインとなり、マーティンは、ステレオ盤の、
ミキシングには、エンジニア任せで、立ち会ってないこともある。
さらに推測だが、ステレオは、モノラルと異なる3つのテイクを、
編集してつなぐ、手間のかけようで、初期のステレオ録音では、
歌と楽器を左右に分けているから、演奏を歌のマイクが拾って、
分離が甘い部分をさけた結果、ミスの方が、ましだったのでは。
この曲に限らず、テイク違いだの、バージョン違いが多いことを、
加藤正人なる研究者が、ジョージ・マーティンに、直接尋ねたら、
「よく聞かれますが、細かいことまでは、あまり覚えていないし、
皆さんの方が、詳しいのでは。」と、あっさり、かわされたらしい。
そんなマーティンでも、はっきりと覚えているだろう、この曲は、
もともとは、ロイ・オービソンを意識した、スローな曲だったのを、
マーティンが、アップテンポにするようアドバイス、録音終了後、
「おめでとう、初のナンバーワン間違いなしだ。」と、声をかけた。
今年初のビートルズの演奏、歌い初めは、初のナンバーワン、
「プリーズ・プリーズ・ミー」だと、無理やりのこじつけになるが、
最近、テレビのCMでも、カバー演奏が流れている、旬の曲だし、
また1年、デビュー作から、気持ちを新たにやっていこうかなと。
この曲は、初期の特徴となる、ジョンとポールがハモったメロで、
通常、ポールの方が高い声域なので、上のパートを歌うのだが、
ジョンがファルセットで、ポールより高い音程を歌ったかと思うと、
スルッとポールより低い音に潜り込んだり、上下に交錯している。
ジョンの作曲した主旋律が、上下に行ったり来たりしているから、
天才的ポールが、それに合わせ、クロスするよう、ハモったのか、
あるいは、途中で主旋律そのものが、交代してしまう曲なのか、
二人のハモリは、ビートルズマジックの一つで、謎解きが楽しい。
40年前に買った、「ビートルズ大全集」と、「ビートルズ80」では、
メロディーが違っていて、「大全集」は、ジョンの歌っているメロで、
「80」は、「 please me oh ~」から、ポールの歌う方になっていて、
今使っているバンドスコアでは、さらに、ごちゃまぜになった感じ。
しかも、バンドスコアでは、この曲に限らず、ジョージのハモリは、
省略されたり、五線譜上で、一段ずれていたりと、ひどい状態で、
いつものYouTube頼み、ビートルズ・ヴォーカル・ハーモニーで、
別々に歌ってくれるのが、かなり参考になり、そのとおりハモる。
公式チャートでは2位となるが、発売当時、多くのランキングで、
初のナンバーワンヒットとなった、「プリーズ・プリーズ・ミー」を、
ポールのハモだけでなく、ジョンのファルセットの高音もきつくて、
正月から毎日、歌っては消し、歌っては消しと、相変わらずです。
掘り下げられていて、レコードやCDでの録音についても、
ステレオとモノラルのミックスの違いに、音量バランスや、
秒数の違いなど、マニアックなほどに、分析が進んでいる。
東京FM出版「アイ・ラヴ・ビートルズ」には、リストがあり、
46曲もが、一部の歌やギターが違ったり、繰り返しの違い、
エフェクトのかかり方の差が挙げられ、ほとんどの場合は、
ステレオ盤との違い、アメリカ盤との違いから、生じている。
日経「ザ・ビートルズ全曲バイブル」では、モノとステレオの、
音量バランスの違いだの、リマスター盤の定位の違いまで、
さらに細かく分析していて、これはこれで面白いのだろうが、
全部の音源にあたり、その違いを確認しようとは思わない。
自分が、ビートルズを聴き始めたのは、もう解散後だから、
完全なる後追いだったが、その頃、よく言われていたのは、
せいぜい、シングル盤、赤盤・青盤の収録曲と、LPとでは、
演奏の違う曲が、いくつかある、という程度だった気がする。
「レット・イット・ビー」の、ジョージのギターソロが違っている、
「ゲット・バック」のエンディングが、ジョンのスピーチなのか、
再度演奏を始めるのか、「ラヴ・ミー・ドゥ」の、ドラム担当は、
リンゴなのか、セッションミュージシャンなのかといった違い。
さらに、「プリーズ・プリーズ・ミー」で、ジョンが歌詞を間違え、
笑いながら続けるテイクがある、というくらいで、このあたりは、
リアルタイム世代でも同様で、よほどのマニアでもなければ、
国内盤、英盤、米盤を買い集め、比較などはしなかったろう。
こうした研究本を読んで、つい最近知り、本当に驚いたのは、
「ヘルプ」の歌詞違いもあるそうで、バイブルとして愛読した、
「ビートルズ事典」には出ていなかったのに、ファンの間では、
周知の事実だったようで、これは何だか、取り残された気分。
中学時代、二人きりのビートルズコピーバンドを組んでいた、
ジョージ役の同級生は帰国子女で、米盤で集めていたから、
彼の家で、米盤の「ヘルプ」も聴いているが、自分も友人も、
テイクの違いなど、まったく話題にもならず、気づきもしない。
米盤は、初期の曲も擬似ステレオ化して、大半がステレオで、
国内盤のモノLPに、卓上プレイヤーしか持っていない自分は、
友人の家のステレオだと、細かい楽器の音まで聴こえるので、
よく遊びに行って、二人でギターの音を聴き取ったりしていた。
「プリーズ・プリーズ・ミー」の、ジョンが歌詞を間違えてしまう、
ステレオ盤テイクも、そうやって、友人の家で聴いたはずだが、
赤盤にステレオで収録されていて、それを聴かせてもらったと、
ずっと思っていたのに、赤盤は普通のテイクで、勘違いだった。
中山康樹「これがビートルズだ」は、ジョンの歌詞の間違いを、
新人なのに、堂々とミスったうえ、笑いながら歌う、大物ぶりで、
それを認めた、プロデューサーのジョージ・マーティンも大物と、
感心しているが、ジョン派の自分でも、これは、持ち上げすぎ。
せいぜい、ふてぶてしく、小生意気な若造どもという程度だが、
ハンブルグのライブハウスで、毎晩、酔客を相手に生演奏した、
ビートルズにしたら、多少のミスは、酔っ払いには、お構いなし、
ただし、演奏を止めた途端、罵声がくるという、経験ゆえだろう。
ステレオ盤のみに、この歌詞を間違えた演奏が使われたのは、
当時は、一般家庭には、ステレオセットは普及していないので、
あくまでモノラル盤がメインとなり、マーティンは、ステレオ盤の、
ミキシングには、エンジニア任せで、立ち会ってないこともある。
さらに推測だが、ステレオは、モノラルと異なる3つのテイクを、
編集してつなぐ、手間のかけようで、初期のステレオ録音では、
歌と楽器を左右に分けているから、演奏を歌のマイクが拾って、
分離が甘い部分をさけた結果、ミスの方が、ましだったのでは。
この曲に限らず、テイク違いだの、バージョン違いが多いことを、
加藤正人なる研究者が、ジョージ・マーティンに、直接尋ねたら、
「よく聞かれますが、細かいことまでは、あまり覚えていないし、
皆さんの方が、詳しいのでは。」と、あっさり、かわされたらしい。
そんなマーティンでも、はっきりと覚えているだろう、この曲は、
もともとは、ロイ・オービソンを意識した、スローな曲だったのを、
マーティンが、アップテンポにするようアドバイス、録音終了後、
「おめでとう、初のナンバーワン間違いなしだ。」と、声をかけた。
今年初のビートルズの演奏、歌い初めは、初のナンバーワン、
「プリーズ・プリーズ・ミー」だと、無理やりのこじつけになるが、
最近、テレビのCMでも、カバー演奏が流れている、旬の曲だし、
また1年、デビュー作から、気持ちを新たにやっていこうかなと。
この曲は、初期の特徴となる、ジョンとポールがハモったメロで、
通常、ポールの方が高い声域なので、上のパートを歌うのだが、
ジョンがファルセットで、ポールより高い音程を歌ったかと思うと、
スルッとポールより低い音に潜り込んだり、上下に交錯している。
ジョンの作曲した主旋律が、上下に行ったり来たりしているから、
天才的ポールが、それに合わせ、クロスするよう、ハモったのか、
あるいは、途中で主旋律そのものが、交代してしまう曲なのか、
二人のハモリは、ビートルズマジックの一つで、謎解きが楽しい。
40年前に買った、「ビートルズ大全集」と、「ビートルズ80」では、
メロディーが違っていて、「大全集」は、ジョンの歌っているメロで、
「80」は、「 please me oh ~」から、ポールの歌う方になっていて、
今使っているバンドスコアでは、さらに、ごちゃまぜになった感じ。
しかも、バンドスコアでは、この曲に限らず、ジョージのハモリは、
省略されたり、五線譜上で、一段ずれていたりと、ひどい状態で、
いつものYouTube頼み、ビートルズ・ヴォーカル・ハーモニーで、
別々に歌ってくれるのが、かなり参考になり、そのとおりハモる。
公式チャートでは2位となるが、発売当時、多くのランキングで、
初のナンバーワンヒットとなった、「プリーズ・プリーズ・ミー」を、
ポールのハモだけでなく、ジョンのファルセットの高音もきつくて、
正月から毎日、歌っては消し、歌っては消しと、相変わらずです。

謹賀新年
昨年は、たいへんお世話になりました。
本年も、このブログをよろしくお願いします。
中2だった74年、ビートルズを聴き始めた時、もう彼らは解散し、
前期・後期に分かれたベスト盤の、赤盤・青盤まで発売済みで、
後追いの形になってしまったが、クロスオーバー、フュージョンは、
ほぼリアルタイムで、その全盛期を体験したと勝手に思っている。
海外で、ジャズロックから発展する、クロスオーバーの黎明期は、
この手の音楽を聴くようになってから、雑誌で知った、後追いだが、
自分が高校生だった76~78年に、国内ミュージシャンが登場し、
ちょっとしたブームとなり、さらに80年代の全盛期へとつながる。
おそらく、同年代の人達、特に楽器を演奏していた人達だったら、
その流れを実感していたはずで、自分の場合、ギターを弾くから、
特にクロスオーバーギタリストや、ギターがメインのバンドを聴き、
それこそ、まさに、自分の高校時代に、一気にメジャーになった。
中学でビートルズばかり聴いていた自分が、高校の同級生が弾く、
パープル、ツェッペリンに刺激され、ギターが上手くなりたいと思い、
最初に買ったのが、ジェフ・ベックの「ギター殺人者の凱旋」であり、
これは、ロックからクロスオーバーにアプローチした作品とされる。
歌のないインスト曲で、ギターが弾きまくるのに、すごく興奮して、
ちょうどその頃、続編の「ワイヤード」が発表され、雑誌でも特集、
ラジオでも流れて、エアチェックするが、ロックギタリストの作品を、
次々と探しては、LPを買うの夢中で、しばらくはロックばかり聴く。
77年に、サックス奏者の渡辺貞夫が、リー・リトナーのグループと、
LPを出して、ライブもやり、さらに、五輪真弓のバックバンドとして、
ラリー・カールトンが来日、2大巨頭のクロスオーバーギタリストを、
立て続けに目の当たりにし、ギター雑誌もFMも、彼らを特集した。
ウエス・モンゴメリーの後継者とされた、ジョージ・ベンソンも同様、
76年に、「ブリージン」で、クロスオーバーへと転身して、歌も披露、
その勢いで、77年に来日して、ラリーのロックギター寄りとは違う、
ジャズギターからのアプローチを見せて、ソフト&メロウ路線を築く。
そうした流れの中、もともと、ロックギターの要素も取り入れていた、
渡辺香津美が、「オリーブス・ステップス」を出し、海外で活躍する、
増尾好秋も「セイリング・ワンダー」を録音、さらには香津美と共に、
ロックギターの3人が競演した、「ギター・ワークショップ」まで発売。
すでに、サディスティック・ミカ・バンドで、インスト「黒船」を披露した、
高中正義も、「セイシェルス」を76年に出し、国内のギタリストでは、
おそらく、これがクロスオーバー路線の、最初のアルバムと思うし、
翌年の「TAKANAKA」で、一気にブレイク、第一人者となっていく。
バンドとしては、和田アキラ率いるプリズムが、77年にLPを出して、
同年、ヤマハのコンテストで、野呂一生が率いるカシオペアが入賞、
カシオペアとしてレコードデビューは79年になるが、実力を買われ、
78年のポンタの「東京フュージョンナイト」に、野呂が参加している。
ザ・スクエアも、結成は76年頃、大学のジャズ研究会だったようで、
78年にLPデビュー、自分にとって、日本の3大フュージョンバンド、
プリズム、カシオペア、ザ・スクエアが出揃うことになるが、一般には、
カシオペア、スクエアの2つだろうし、お茶の間は、スクエアのみか。
ザ・スクエアは、リーダーでギターの安藤正容、サックスの伊東毅の、
双頭コンボという感じで、アルバムごとに、誰かしらメンバーが交代し、
流動的だったところへ、キーボードの和泉宏隆、ベースの田中豊雪、
ドラムの長谷部徹が加入し、第一次黄金期とも呼べるラインアップに。
特に、作・編曲をこなす和泉の加入は、すごい触媒になっただろうし、
86年に、リズム隊が入れ替わっても、和泉だけは残り、あの名盤の、
「トゥルース」を発表し、そのタイトルナンバーが、F1テーマ曲になり、
お茶の間へフュージョンを浸透させて、一世を風靡することになる。
今年、最初となる演奏は、お茶の間に浸透したフュージョンバンド、
ザ・スクエアの特徴でもある、、とびきりハッピーなメロディを持つ曲、
ライブ盤のオープニングを飾った曲で、今年は、フュージョンの曲を、
たくさん演奏していくつもりなので、その幕開けの意味も兼ねてみた。
85年のアルバム「リゾート」で、冒頭を飾って、同年のライブ盤でも、
コンサートの幕開けとなった、和泉の曲、「オーメンズ・オブ・ラヴ」は、
とにかく、キャッチーなメロディと、スピード感にあふれる名曲ですが、
リズム音痴で、ベースとリズムギターが遅れ気味のまま、アップです。
昨年は、たいへんお世話になりました。
本年も、このブログをよろしくお願いします。
中2だった74年、ビートルズを聴き始めた時、もう彼らは解散し、
前期・後期に分かれたベスト盤の、赤盤・青盤まで発売済みで、
後追いの形になってしまったが、クロスオーバー、フュージョンは、
ほぼリアルタイムで、その全盛期を体験したと勝手に思っている。
海外で、ジャズロックから発展する、クロスオーバーの黎明期は、
この手の音楽を聴くようになってから、雑誌で知った、後追いだが、
自分が高校生だった76~78年に、国内ミュージシャンが登場し、
ちょっとしたブームとなり、さらに80年代の全盛期へとつながる。
おそらく、同年代の人達、特に楽器を演奏していた人達だったら、
その流れを実感していたはずで、自分の場合、ギターを弾くから、
特にクロスオーバーギタリストや、ギターがメインのバンドを聴き、
それこそ、まさに、自分の高校時代に、一気にメジャーになった。
中学でビートルズばかり聴いていた自分が、高校の同級生が弾く、
パープル、ツェッペリンに刺激され、ギターが上手くなりたいと思い、
最初に買ったのが、ジェフ・ベックの「ギター殺人者の凱旋」であり、
これは、ロックからクロスオーバーにアプローチした作品とされる。
歌のないインスト曲で、ギターが弾きまくるのに、すごく興奮して、
ちょうどその頃、続編の「ワイヤード」が発表され、雑誌でも特集、
ラジオでも流れて、エアチェックするが、ロックギタリストの作品を、
次々と探しては、LPを買うの夢中で、しばらくはロックばかり聴く。
77年に、サックス奏者の渡辺貞夫が、リー・リトナーのグループと、
LPを出して、ライブもやり、さらに、五輪真弓のバックバンドとして、
ラリー・カールトンが来日、2大巨頭のクロスオーバーギタリストを、
立て続けに目の当たりにし、ギター雑誌もFMも、彼らを特集した。
ウエス・モンゴメリーの後継者とされた、ジョージ・ベンソンも同様、
76年に、「ブリージン」で、クロスオーバーへと転身して、歌も披露、
その勢いで、77年に来日して、ラリーのロックギター寄りとは違う、
ジャズギターからのアプローチを見せて、ソフト&メロウ路線を築く。
そうした流れの中、もともと、ロックギターの要素も取り入れていた、
渡辺香津美が、「オリーブス・ステップス」を出し、海外で活躍する、
増尾好秋も「セイリング・ワンダー」を録音、さらには香津美と共に、
ロックギターの3人が競演した、「ギター・ワークショップ」まで発売。
すでに、サディスティック・ミカ・バンドで、インスト「黒船」を披露した、
高中正義も、「セイシェルス」を76年に出し、国内のギタリストでは、
おそらく、これがクロスオーバー路線の、最初のアルバムと思うし、
翌年の「TAKANAKA」で、一気にブレイク、第一人者となっていく。
バンドとしては、和田アキラ率いるプリズムが、77年にLPを出して、
同年、ヤマハのコンテストで、野呂一生が率いるカシオペアが入賞、
カシオペアとしてレコードデビューは79年になるが、実力を買われ、
78年のポンタの「東京フュージョンナイト」に、野呂が参加している。
ザ・スクエアも、結成は76年頃、大学のジャズ研究会だったようで、
78年にLPデビュー、自分にとって、日本の3大フュージョンバンド、
プリズム、カシオペア、ザ・スクエアが出揃うことになるが、一般には、
カシオペア、スクエアの2つだろうし、お茶の間は、スクエアのみか。
ザ・スクエアは、リーダーでギターの安藤正容、サックスの伊東毅の、
双頭コンボという感じで、アルバムごとに、誰かしらメンバーが交代し、
流動的だったところへ、キーボードの和泉宏隆、ベースの田中豊雪、
ドラムの長谷部徹が加入し、第一次黄金期とも呼べるラインアップに。
特に、作・編曲をこなす和泉の加入は、すごい触媒になっただろうし、
86年に、リズム隊が入れ替わっても、和泉だけは残り、あの名盤の、
「トゥルース」を発表し、そのタイトルナンバーが、F1テーマ曲になり、
お茶の間へフュージョンを浸透させて、一世を風靡することになる。
今年、最初となる演奏は、お茶の間に浸透したフュージョンバンド、
ザ・スクエアの特徴でもある、、とびきりハッピーなメロディを持つ曲、
ライブ盤のオープニングを飾った曲で、今年は、フュージョンの曲を、
たくさん演奏していくつもりなので、その幕開けの意味も兼ねてみた。
85年のアルバム「リゾート」で、冒頭を飾って、同年のライブ盤でも、
コンサートの幕開けとなった、和泉の曲、「オーメンズ・オブ・ラヴ」は、
とにかく、キャッチーなメロディと、スピード感にあふれる名曲ですが、
リズム音痴で、ベースとリズムギターが遅れ気味のまま、アップです。

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