僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
渋谷の実家は、商売をしていたから、毎日、早朝から晩まで、
渋谷駅の周辺を、父は、軽トラックで、配達して回っていたが、
月に何度か、新宿や目黒、品川方面へも、配達に出かけて、
学校から帰宅していれば、道中の話し相手代りに、同乗した。
配達の手伝いをする事は、ほとんどなく、向こうに着いてから、
集金して回る時などは、本屋とかで待っているように言われて、
首尾よく、お金が入ると、たまに、本やLPを買ってくれるので、
次は何をねだろうかと、下見をして待ち、配達が楽しみだった。
ビートルズの伝記本、ハンター・デイビスによる、ぶ厚い本は、
西小山商店街で買ってもらったし、海賊盤も、新宿のオムでと、
中学生の毎月の小遣いでは、ちょっと買えない額の本やLPは、
たいてい、配達で買ってもらい、ビートルズのグッズが増える。
新宿に新しくできた輸入盤店を見つけて、時間を潰していた時、
店内に、「ドント・レット・ミー・ダウン」が流れ、かなり遅いテンポ、
映画のリハーサルのテープからの音源だと、すぐにわかったが、
海賊盤とは思えないくらいに、クリアな音がして、すごく驚いた。
そのLPのタイトルを確認しようと、レジのところに展示してある、
ジャケットを見に行くと、これまで持っていた、ガリ版刷りの紙を、
白い紙ケースに貼り付けた程度の、安物ジャケットとは大違い、
カラー写真が印刷されて、裏ジャケも写真入りの2枚組の大作。
そうそう、いつでも買ってくれるわけではないし、2枚組なので、
ねだろうにも、高額だったから、その日は、目をつけた程度にし、
月刊誌「音楽専科」の海賊盤特集や、「ミュージック・ライフ」の、
輸入レコード店の広告で、情報を調べて、買うかどうか決める。
そうやって、記事を調べた際、すでに出ていた海賊盤も含めて、
「このLPは、ゲット・バック・セッションのテープからの~」だとは、
書いてなくて、「映画レット・イット・ビーの撮影時の録音~」とか、
「未発売のLP、ゲット・バックのレコーディングで~」という記述。
映画「レット・イット・ビー」のパンフや、昔のビートルズ年表でも、
「ゲット・バック・セッション」の文字はなくて、いったい、いつから、
ゲット・バック・セッションだの、ルーフトップ・コンサートといった、
自分の知らない専門用語(?)が、とびかうようになったのだろう。
そんな自分には、「映画のレット・イット・ビーの未公開の音源」と、
呼んだ方がしっくりくる、2枚組の海賊盤は、だんだん欲しくなり、
配達を待てず、電車に乗って、お年玉の残りで買った気がするが、
あるいは、父に頼んで、軽トラで往復してもらったかもしれない。
その「ドント・レット・ミー・ダウン」は、LP「レット・イット・ビー」には、
未収録のうえに、シングル盤「ゲット・バック」のB面という扱いで、
これが、ジョンの名曲に対する仕打ちかよと、思ってしまうのだが、
青盤に入っていたからか、自分は、よく聴いたり、歌ったりした曲。
それだけに、レコード屋で流れた別テイクに、すぐに反応したし、
自分の好きなジョンの曲の中でも、かなり上位にランクしていて、
ジョンの声を真似ては、弾き語っていたが、高音が出ないから、
ジョージ役と二人のコピーバンドでは、ちゃんと合わせていない。
中学の頃から、自分の地声の高い音は、ギターの1弦3フレット、
ソ、Gの音が限界で、たいてい、ジョンの歌う音域は、G#までで、
それより高いと、ポールに歌わせるか、ファルセットにするのに、
初期のカバーや、この曲では、ラの高さまで、シャウトして出す。
しかも、最後のエレピソロが始まると、ファルセットをしぼり出して、
オクターブ高いミの音で歌うし、おそらくポールが、それより高い、
ソ#の音程、ギターで言えば、1弦の16フレットの高音で歌って、
自分の裏声は、ドの音がやっとで、まったく歌える高さではない。
それと、オケを作って、気づいたのは、「don't let me down」と、
繰り返し歌う箇所は、昔買った譜面でも、全曲バンドスコアでも、
「don't ・ let ・ me」は、2拍3連のリズムで、当然に、ドラムも、
一緒に合わせて、ハイハットや、シンバル、スネアを叩いている。
自分が昔から歌った感じでは、「me」だけ短い方が、しっくりきて、
タンツ・タンツ・タンみたいに、2拍を16分音符で、3・3・2にすれば、
良い気がして、両方のドラムパターンを打ち込み、歌ってみたら、
2拍3連だと、「me」がドラムに遅れて、16分音符だと、歌が先に。
結局、どっちにしても、合わないわけで、リズム感の悪さを実感、
どうせ、ずれるのだから、ここは、譜面どおりのドラムパターンに、
ベース、ギターをダビングしていくが、幸い、楽器の伴奏のほうは、
一緒に、2拍3連で動かず、音を伸ばしているので、ボロが出ない。
いつも、ブログに、リズム音痴と書いているからではないだろうが、
先週の、Amazonからのおすすめ商品メールが、「ギターが下手、
原因の90%はリズム感」という本で、いったい何の購入履歴から、
こういう嫌みのような(?)品が推奨されるのか、がっくりきてしまう。
この曲も、レコードの元になった音源は、「ゲット・バック」と同様に、
屋上ライブではなく、その数日前に地下スタジオで録音したもので、
映画の屋上の場面では、ジョンが歌詞を間違えて、歌っているから、
スタジオ版を採用したらしく、「ネイキッド」だと、ライブから編集した。
映画「レット・イット・ビー」では、リハーサルの際、口論が起きたり、
ジョンがやる気なかったりと、人間関係の悪化が、見て取れるが、
屋上ライブでは一転、ジョンとポールの絶妙のハモリは、もちろん、
ジョージもリンゴも、一致団結で、息の合ったところを見せている。
何だかんだ言っても、人前での演奏となったら、血が騒ぐのだろう、
デビュー前のライブバンドの実力よろしく、リハとは大違いの演奏、
ジョンとポールが、何事もなかったよう、目を合わせ、ハモッったり、
ジョージも脇に下がりつつも、ノリノリで体を揺すって、弾いている。
おそらく、この感触が嬉しかったのだろう、ダビングは、なしとした、
一連の録音なのに、ジョンとポールの2人で、後からコーラスを足し、
ワーだの、ギャーだのと、はしゃいでいて、ジョンが先導する形で、
「なあ、ポール、この曲、もう少し2人で歌おうや。」と、やったかと。
ただ、ひどいことに、ライブでも歌っている、ジョージのコーラスが、
スタジオ版では、聴こえないのは、ジョージの歌のトラックを消して、
ジョンとポールが録音したそうで、せっかく4人で、息が合ったのに、
2人の絆の方が、それにも勝るのか、ちょっとジョージに同情する。
映画「レット・イット・ビー」の屋上ライブでも、息のあった演奏をして、
ジョンとポール2人で、かけ合いのダビングまでした、ジョンの名曲、
「ドント・レット・ミー・ダウン」を、リズムがずれたり、高音が出ないし、
何より、ジョンのシャウトができないままで、無理やりのアップです。
今年も、このブログを訪問いただき、ありがとうございました。
独りよがりの文章や、演奏におつきあいただき、感謝します。
今後も、週末の更新を続けていくので、よろしくお願いします。
みなさま、良いお年をお迎えください。
渋谷駅の周辺を、父は、軽トラックで、配達して回っていたが、
月に何度か、新宿や目黒、品川方面へも、配達に出かけて、
学校から帰宅していれば、道中の話し相手代りに、同乗した。
配達の手伝いをする事は、ほとんどなく、向こうに着いてから、
集金して回る時などは、本屋とかで待っているように言われて、
首尾よく、お金が入ると、たまに、本やLPを買ってくれるので、
次は何をねだろうかと、下見をして待ち、配達が楽しみだった。
ビートルズの伝記本、ハンター・デイビスによる、ぶ厚い本は、
西小山商店街で買ってもらったし、海賊盤も、新宿のオムでと、
中学生の毎月の小遣いでは、ちょっと買えない額の本やLPは、
たいてい、配達で買ってもらい、ビートルズのグッズが増える。
新宿に新しくできた輸入盤店を見つけて、時間を潰していた時、
店内に、「ドント・レット・ミー・ダウン」が流れ、かなり遅いテンポ、
映画のリハーサルのテープからの音源だと、すぐにわかったが、
海賊盤とは思えないくらいに、クリアな音がして、すごく驚いた。
そのLPのタイトルを確認しようと、レジのところに展示してある、
ジャケットを見に行くと、これまで持っていた、ガリ版刷りの紙を、
白い紙ケースに貼り付けた程度の、安物ジャケットとは大違い、
カラー写真が印刷されて、裏ジャケも写真入りの2枚組の大作。
そうそう、いつでも買ってくれるわけではないし、2枚組なので、
ねだろうにも、高額だったから、その日は、目をつけた程度にし、
月刊誌「音楽専科」の海賊盤特集や、「ミュージック・ライフ」の、
輸入レコード店の広告で、情報を調べて、買うかどうか決める。
そうやって、記事を調べた際、すでに出ていた海賊盤も含めて、
「このLPは、ゲット・バック・セッションのテープからの~」だとは、
書いてなくて、「映画レット・イット・ビーの撮影時の録音~」とか、
「未発売のLP、ゲット・バックのレコーディングで~」という記述。
映画「レット・イット・ビー」のパンフや、昔のビートルズ年表でも、
「ゲット・バック・セッション」の文字はなくて、いったい、いつから、
ゲット・バック・セッションだの、ルーフトップ・コンサートといった、
自分の知らない専門用語(?)が、とびかうようになったのだろう。
そんな自分には、「映画のレット・イット・ビーの未公開の音源」と、
呼んだ方がしっくりくる、2枚組の海賊盤は、だんだん欲しくなり、
配達を待てず、電車に乗って、お年玉の残りで買った気がするが、
あるいは、父に頼んで、軽トラで往復してもらったかもしれない。
その「ドント・レット・ミー・ダウン」は、LP「レット・イット・ビー」には、
未収録のうえに、シングル盤「ゲット・バック」のB面という扱いで、
これが、ジョンの名曲に対する仕打ちかよと、思ってしまうのだが、
青盤に入っていたからか、自分は、よく聴いたり、歌ったりした曲。
それだけに、レコード屋で流れた別テイクに、すぐに反応したし、
自分の好きなジョンの曲の中でも、かなり上位にランクしていて、
ジョンの声を真似ては、弾き語っていたが、高音が出ないから、
ジョージ役と二人のコピーバンドでは、ちゃんと合わせていない。
中学の頃から、自分の地声の高い音は、ギターの1弦3フレット、
ソ、Gの音が限界で、たいてい、ジョンの歌う音域は、G#までで、
それより高いと、ポールに歌わせるか、ファルセットにするのに、
初期のカバーや、この曲では、ラの高さまで、シャウトして出す。
しかも、最後のエレピソロが始まると、ファルセットをしぼり出して、
オクターブ高いミの音で歌うし、おそらくポールが、それより高い、
ソ#の音程、ギターで言えば、1弦の16フレットの高音で歌って、
自分の裏声は、ドの音がやっとで、まったく歌える高さではない。
それと、オケを作って、気づいたのは、「don't let me down」と、
繰り返し歌う箇所は、昔買った譜面でも、全曲バンドスコアでも、
「don't ・ let ・ me」は、2拍3連のリズムで、当然に、ドラムも、
一緒に合わせて、ハイハットや、シンバル、スネアを叩いている。
自分が昔から歌った感じでは、「me」だけ短い方が、しっくりきて、
タンツ・タンツ・タンみたいに、2拍を16分音符で、3・3・2にすれば、
良い気がして、両方のドラムパターンを打ち込み、歌ってみたら、
2拍3連だと、「me」がドラムに遅れて、16分音符だと、歌が先に。
結局、どっちにしても、合わないわけで、リズム感の悪さを実感、
どうせ、ずれるのだから、ここは、譜面どおりのドラムパターンに、
ベース、ギターをダビングしていくが、幸い、楽器の伴奏のほうは、
一緒に、2拍3連で動かず、音を伸ばしているので、ボロが出ない。
いつも、ブログに、リズム音痴と書いているからではないだろうが、
先週の、Amazonからのおすすめ商品メールが、「ギターが下手、
原因の90%はリズム感」という本で、いったい何の購入履歴から、
こういう嫌みのような(?)品が推奨されるのか、がっくりきてしまう。
この曲も、レコードの元になった音源は、「ゲット・バック」と同様に、
屋上ライブではなく、その数日前に地下スタジオで録音したもので、
映画の屋上の場面では、ジョンが歌詞を間違えて、歌っているから、
スタジオ版を採用したらしく、「ネイキッド」だと、ライブから編集した。
映画「レット・イット・ビー」では、リハーサルの際、口論が起きたり、
ジョンがやる気なかったりと、人間関係の悪化が、見て取れるが、
屋上ライブでは一転、ジョンとポールの絶妙のハモリは、もちろん、
ジョージもリンゴも、一致団結で、息の合ったところを見せている。
何だかんだ言っても、人前での演奏となったら、血が騒ぐのだろう、
デビュー前のライブバンドの実力よろしく、リハとは大違いの演奏、
ジョンとポールが、何事もなかったよう、目を合わせ、ハモッったり、
ジョージも脇に下がりつつも、ノリノリで体を揺すって、弾いている。
おそらく、この感触が嬉しかったのだろう、ダビングは、なしとした、
一連の録音なのに、ジョンとポールの2人で、後からコーラスを足し、
ワーだの、ギャーだのと、はしゃいでいて、ジョンが先導する形で、
「なあ、ポール、この曲、もう少し2人で歌おうや。」と、やったかと。
ただ、ひどいことに、ライブでも歌っている、ジョージのコーラスが、
スタジオ版では、聴こえないのは、ジョージの歌のトラックを消して、
ジョンとポールが録音したそうで、せっかく4人で、息が合ったのに、
2人の絆の方が、それにも勝るのか、ちょっとジョージに同情する。
映画「レット・イット・ビー」の屋上ライブでも、息のあった演奏をして、
ジョンとポール2人で、かけ合いのダビングまでした、ジョンの名曲、
「ドント・レット・ミー・ダウン」を、リズムがずれたり、高音が出ないし、
何より、ジョンのシャウトができないままで、無理やりのアップです。
今年も、このブログを訪問いただき、ありがとうございました。
独りよがりの文章や、演奏におつきあいただき、感謝します。
今後も、週末の更新を続けていくので、よろしくお願いします。
みなさま、良いお年をお迎えください。
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中2の74年、荘村清志が講師の、NHK「ギターをひこう」で、
毎週、番組の最後に、クラシックギターの名曲を弾いてくれる、
ミニミニ・コンサートや、3月末の最終回、卒業発表会の曲が、
自分にとって、クラシックギターの定番の曲と、なっていった。
前・後期のテキストや、ギターを覚えようと、中1の時に買った、
阿部保夫の「NHKギター教室~教則編」、「~名曲編」を見て、
そうした、ソルやタレガの曲を練習したが、番組のテーマ曲の、
「鐘の音」や、カタロニア民謡「聖母の御子」は、載っていない。
版権のせいだろうか、テーマ曲の楽譜が載らないテキストは、
おそらく、その回だけだろうし、ペルナンブーコの「鐘の音」が、
当時は、ヴィラ・ロボス「ショーロ」として紹介され、このあたり、
荘村本人に、今からでも、語ってほしいことは、たくさんある。
高校に入り、ロックギターのうまい同級生が、たくさんいる中で、
クラシックギターを習っていて、「アランブラ宮殿」は、当然弾き、
プログレッシブロックが好きだと、フォーカスというバンドの曲も、
指弾きでこなす友人がいて、「ギターをひこう」のことを話した。
「聖母の御子」なら、ギター教室で習って、楽譜を持っていると、
貸してくれたが、番組で録音したテープや、荘村のレコードとは、
ところどころ、和音が違っていて、友人に言うと、編曲ものでは、
よくあるそうで、実際、「グリーン・スリーブス」などがそうだった。
77年に出た、現代ギターの臨時増刊、「ギター音楽ガイド」の、
「ギター・レパートリー・555」では、作者不詳の欄に分類されて、
「しばしば、リョベート編民謡と思われているが、実際の編者は、
セゴビアらしい。」とあり、荘村のLPには、「セゴビア編」と明記。
同ガイドのLP紹介欄の、イエペス「カタロニア民謡を弾く」でも、
「聖母の御子(セゴビア編)」とあり、他のLPは、編者表記なし、
広告ページの、「ギタルラ社の輸入ギターピース150」の方は、
編曲がフェゲランという人で、こちらは、ほとんど知らない名前。
友人が持っていたのは、おそらくギタルラ社の楽譜だと思うが、
作曲でも編曲でもなく、題名の横に、リョベートと書かれていて、
これも版や出版社が違うものなのか、書誌学的研究でもないが、
いろいろ調べていくと、面白そうで、いずれ取り組みたいと思う。
80年、小原聖子が講師の「ギターをひこう」は、後期テキストに、
「鐘の音」や「聖母の御子」が載って、中級編の最初に出てくる、
「聖母の御子」には、はっきりと、「リョベート編曲」だと書かれて、
荘村のセゴビア編とは、テーマの繰り返しも、和音も違っている。
もともと耳コピが苦手で、まして和音を取るのは、不可能なので、
長年、このリョベート編で練習しているが、その後に入手したもの、
現代ギター社「クラシックギター名曲集・帰ってきたてんこもり」や、
リットー「クラシックギターのしらべ」でも、それぞれに違っている。
自分は持っていないが、81年に、再度、荘村が講師となった際、
後期テキストに、「聖母の御子」が載ったそうだし、つい何年か前、
教育テレビ「趣味悠々」で、やはり荘村のギター講座が始まって、
そのテキストにも載ったそうだが、セゴビア編だったのかは不明。
荘村のセゴビア編と、小原のリョベート編の違いの大きい部分は、
メロディの繰り返しを、Aメロ、Bメロと考えたときに、荘村の場合、
Bメロを繰り返す前に、Aメロの一部を弾き、ジョン・ウィリアムスも、
ゴンザレスも、そう弾くが、小原版は、Bメロを、そのまま繰り返す。
4小節目で、和音が2拍目に弾くか、3拍目か、という違いもあり、
荘村は2拍目、小原は3拍目、さらに和音を構成する音に関して、
荘村、小原どちらも、ソの音に#がついて、E7のコードとなるが、
ギタルラ版だと、ソはナチュラルで、普通のGコードの響きになる。
録音で比べると、荘村清志は、73年「アルハンブラの想い出」や、
92年「カタロニア郷愁」でも、セゴビア編とされる演奏をしていて、
ベスト盤CDのジョン・ウィリアムスも、リョベート編の表記なのに、
一部を単音メロディにした以外は、セゴビア編と、まったく同じに。
ホセ・ルイス・ゴンザレスは、かなり、リズムをはねての演奏だが、
セゴビア編に近いし、菊池真知子は、小原のテキストに出ている、
リョベート編に忠実で、「名曲てんこもり」の毛塚巧一、「しらべ」の、
斉藤松男は、リョベート編の和音を、ところどころ、変更している。
肝心のセゴビアの演奏は、晩年の映像が、YouTubeに出ていて、
メロディの繰り返しは、セゴビア編とされる、荘村と同じなのだが、
和音は、すごくシンプルな響きがするし、細かい部分も違うようで、
セゴビア校訂の楽譜は出ていないから、何が正しいのかは不明。
原曲が、カタロニア民謡というのも、実はガリシア地方の曲だと、
別の説まであり、だから、リョベートは自身が編曲しているのに、
「カタロニア民謡集」に加えなかったと、調べるときりがないほど、
ただし、スペインのクリスマス・キャロルというのは、間違いない。
題名の「聖母の御子」は、LPの邦題によって、「聖母とその子」、
「マリアの子」と異なるが、マリアとキリストのことを指しているし、
幼い頃に覚えた、「きよしこの夜」の歌で、「救いのみこ(御子)は、
みはは(御母)の胸に~」と、あるのと同様に、生誕を祝う歌詞。
自分も、幼稚園に通う前後から、小さなクリスマスツリーを飾って、
「きよしこの夜」や、「ジングル・ベル」のレコードをかけ、歌ったが、
御子とか御母の意味も知らず、ただ、歌詞を覚えて、口ずさんで、
絵本で、ベツレヘムがどうした、こうしたと、地名まで覚えていた。
このあたりは、日本の童謡でも同じことで、文語体や雅語などが、
いりまじっていたり、単語の意味も知らないまま、覚えていったが、
よくよく考えると、別の漢字を充てはめ、意味を取り違えていたり、
いまだに、何のことかわからない歌詞も、たくさんあると、気づく。
スペインの子供たちにとって、「聖母と御子」は、そうした歌だから、
ギター編曲は誰だとか、和音がどうしただのは、余計な話だろうし、
91年のバルセロナ・ギターフェスで、鈴木一郎が、ギター伴奏して、
現地の人が高らかに歌ったように、今後も歌い継がれるのだろう。
自分のクラシックギターの原点、荘村清志の「ギターをひこう」で、
気に入った、クリスマス・キャロルの「聖母の御子」を、同じ番組の、
小原聖子のテキストの、リョベート編曲で、30年以上弾いてきて、
慣れ親しんだものが一番と、クリスマスにちなんで、演奏しました。
毎週、番組の最後に、クラシックギターの名曲を弾いてくれる、
ミニミニ・コンサートや、3月末の最終回、卒業発表会の曲が、
自分にとって、クラシックギターの定番の曲と、なっていった。
前・後期のテキストや、ギターを覚えようと、中1の時に買った、
阿部保夫の「NHKギター教室~教則編」、「~名曲編」を見て、
そうした、ソルやタレガの曲を練習したが、番組のテーマ曲の、
「鐘の音」や、カタロニア民謡「聖母の御子」は、載っていない。
版権のせいだろうか、テーマ曲の楽譜が載らないテキストは、
おそらく、その回だけだろうし、ペルナンブーコの「鐘の音」が、
当時は、ヴィラ・ロボス「ショーロ」として紹介され、このあたり、
荘村本人に、今からでも、語ってほしいことは、たくさんある。
高校に入り、ロックギターのうまい同級生が、たくさんいる中で、
クラシックギターを習っていて、「アランブラ宮殿」は、当然弾き、
プログレッシブロックが好きだと、フォーカスというバンドの曲も、
指弾きでこなす友人がいて、「ギターをひこう」のことを話した。
「聖母の御子」なら、ギター教室で習って、楽譜を持っていると、
貸してくれたが、番組で録音したテープや、荘村のレコードとは、
ところどころ、和音が違っていて、友人に言うと、編曲ものでは、
よくあるそうで、実際、「グリーン・スリーブス」などがそうだった。
77年に出た、現代ギターの臨時増刊、「ギター音楽ガイド」の、
「ギター・レパートリー・555」では、作者不詳の欄に分類されて、
「しばしば、リョベート編民謡と思われているが、実際の編者は、
セゴビアらしい。」とあり、荘村のLPには、「セゴビア編」と明記。
同ガイドのLP紹介欄の、イエペス「カタロニア民謡を弾く」でも、
「聖母の御子(セゴビア編)」とあり、他のLPは、編者表記なし、
広告ページの、「ギタルラ社の輸入ギターピース150」の方は、
編曲がフェゲランという人で、こちらは、ほとんど知らない名前。
友人が持っていたのは、おそらくギタルラ社の楽譜だと思うが、
作曲でも編曲でもなく、題名の横に、リョベートと書かれていて、
これも版や出版社が違うものなのか、書誌学的研究でもないが、
いろいろ調べていくと、面白そうで、いずれ取り組みたいと思う。
80年、小原聖子が講師の「ギターをひこう」は、後期テキストに、
「鐘の音」や「聖母の御子」が載って、中級編の最初に出てくる、
「聖母の御子」には、はっきりと、「リョベート編曲」だと書かれて、
荘村のセゴビア編とは、テーマの繰り返しも、和音も違っている。
もともと耳コピが苦手で、まして和音を取るのは、不可能なので、
長年、このリョベート編で練習しているが、その後に入手したもの、
現代ギター社「クラシックギター名曲集・帰ってきたてんこもり」や、
リットー「クラシックギターのしらべ」でも、それぞれに違っている。
自分は持っていないが、81年に、再度、荘村が講師となった際、
後期テキストに、「聖母の御子」が載ったそうだし、つい何年か前、
教育テレビ「趣味悠々」で、やはり荘村のギター講座が始まって、
そのテキストにも載ったそうだが、セゴビア編だったのかは不明。
荘村のセゴビア編と、小原のリョベート編の違いの大きい部分は、
メロディの繰り返しを、Aメロ、Bメロと考えたときに、荘村の場合、
Bメロを繰り返す前に、Aメロの一部を弾き、ジョン・ウィリアムスも、
ゴンザレスも、そう弾くが、小原版は、Bメロを、そのまま繰り返す。
4小節目で、和音が2拍目に弾くか、3拍目か、という違いもあり、
荘村は2拍目、小原は3拍目、さらに和音を構成する音に関して、
荘村、小原どちらも、ソの音に#がついて、E7のコードとなるが、
ギタルラ版だと、ソはナチュラルで、普通のGコードの響きになる。
録音で比べると、荘村清志は、73年「アルハンブラの想い出」や、
92年「カタロニア郷愁」でも、セゴビア編とされる演奏をしていて、
ベスト盤CDのジョン・ウィリアムスも、リョベート編の表記なのに、
一部を単音メロディにした以外は、セゴビア編と、まったく同じに。
ホセ・ルイス・ゴンザレスは、かなり、リズムをはねての演奏だが、
セゴビア編に近いし、菊池真知子は、小原のテキストに出ている、
リョベート編に忠実で、「名曲てんこもり」の毛塚巧一、「しらべ」の、
斉藤松男は、リョベート編の和音を、ところどころ、変更している。
肝心のセゴビアの演奏は、晩年の映像が、YouTubeに出ていて、
メロディの繰り返しは、セゴビア編とされる、荘村と同じなのだが、
和音は、すごくシンプルな響きがするし、細かい部分も違うようで、
セゴビア校訂の楽譜は出ていないから、何が正しいのかは不明。
原曲が、カタロニア民謡というのも、実はガリシア地方の曲だと、
別の説まであり、だから、リョベートは自身が編曲しているのに、
「カタロニア民謡集」に加えなかったと、調べるときりがないほど、
ただし、スペインのクリスマス・キャロルというのは、間違いない。
題名の「聖母の御子」は、LPの邦題によって、「聖母とその子」、
「マリアの子」と異なるが、マリアとキリストのことを指しているし、
幼い頃に覚えた、「きよしこの夜」の歌で、「救いのみこ(御子)は、
みはは(御母)の胸に~」と、あるのと同様に、生誕を祝う歌詞。
自分も、幼稚園に通う前後から、小さなクリスマスツリーを飾って、
「きよしこの夜」や、「ジングル・ベル」のレコードをかけ、歌ったが、
御子とか御母の意味も知らず、ただ、歌詞を覚えて、口ずさんで、
絵本で、ベツレヘムがどうした、こうしたと、地名まで覚えていた。
このあたりは、日本の童謡でも同じことで、文語体や雅語などが、
いりまじっていたり、単語の意味も知らないまま、覚えていったが、
よくよく考えると、別の漢字を充てはめ、意味を取り違えていたり、
いまだに、何のことかわからない歌詞も、たくさんあると、気づく。
スペインの子供たちにとって、「聖母と御子」は、そうした歌だから、
ギター編曲は誰だとか、和音がどうしただのは、余計な話だろうし、
91年のバルセロナ・ギターフェスで、鈴木一郎が、ギター伴奏して、
現地の人が高らかに歌ったように、今後も歌い継がれるのだろう。
自分のクラシックギターの原点、荘村清志の「ギターをひこう」で、
気に入った、クリスマス・キャロルの「聖母の御子」を、同じ番組の、
小原聖子のテキストの、リョベート編曲で、30年以上弾いてきて、
慣れ親しんだものが一番と、クリスマスにちなんで、演奏しました。

76年3月、中学の卒業前の謝恩会に、ジョージ役と2人きりの、
ビートルズ・コピーバンドで出る際、クラス練習や準備の合間に、
個々の出し物を練習する時間もあったが、体育館や音楽室は、
ピアノやドラムのいるバンドが優先なので、2人で屋上へ出た。
どうせ2人だけだから、マイクもギターアンプも必要なかったし、
「これって、レット・イット・ビーみたいだよな。」と、盛り上がって、
謝恩会の曲なんか、そっちのけで、ビートルズが屋上で弾いた、
「ゲット・バック」や「ドント・レット・ミー・ダウン」とかを、練習した。
当時から、一連の撮影、演奏を、「ゲットバック・セッション」だの、
「ルーフトップ・コンサート」といった風に、呼んでいたのだろうか、
ただ知らないだけだったのかもしれないが、自分たちは、単に、
映画「レット・イット・ビー」の屋上の場面としか、言ってなかった。
そのうち、向かいの校舎から、先輩、先輩と、男子連中の声がし、
振り返ると、剣道部の後輩たちが、教室の窓から手を振っていて、
ちょっとスター気分で嬉しくなるが、ずっと憧れ続けた女子からの、
キャーキャーいう声援は、この時も、謝恩会本番でも、なかった。
「ゲット・バック」は、結果的に、ビートルズとして、最後のライブで、
映画でもラストシーンに演奏していて、LPでも最後の曲になるが、
シングルやLPのテイクは、屋上で3回演奏したものは使われず、
屋上ライブの数日前に、スタジオ録音したものだったと、最近知る。
映画の印象が強いから、あの屋上ライブが、最後の雄姿であって、
その後に解散してしまったと、中学時代には、思い込んでいたが、
「アビーロード」が後の録音だとか、まして、屋上ライブのすぐ翌日、
数曲を地下スタジオで、演奏、撮影していたとは、知るよしもない。
LPの「ゲットバック」は、屋上ライブの話し声を、曲の前後に編集し、
いかにもライブのようにしているので、映画のラストシーンのままと、
思っていたが、映画では、騒音の苦情を受けた警官が、乗り込み、
スタッフがアンプのスイッチを切り、ギターの音が途切れたりする。
映画は、口パクや、後から録音し直すことなく、ライブそのままだが、
レコードになったものは、屋上ライブと、スタジオライブが混在して、
映画のサントラ盤らしく、曲間のしゃべりが入るのも、別のテイクや、
まったく違う曲のときの話し声を挿入したと、これまた最近知った。
ただ、実際に最後のライブ演奏となった、「ゲットバック」の終了後、
楽器を抱えて、戻る直前のジョンの台詞を、LPに入れてくれたのは、
映画のラストシーンだったからだろうが、編集のフィル・スペクターに、
よくぞ残してくれた、最後に入れてくれたと、ジョン派の自分は感謝。
「グループを代表して、お礼申し上げます。僕らはオーディションに、
受かるでしょうか?」などと、ジョンは、得意の冗談をとばしているが、
ポールが、半ば強引にリーダーシップを発揮した、セッションにあり、
リーダーとしてのコメントを発した、ジョンの気概に、拍手を送りたい。
そうは言っても、映画を見る限り、ポールがグループを引っ張ろうと、
必死になって、やりすぎの感じもあるのに比べ、ジョンは、正反対で、
ヨーコと一緒にいれたら、別にどうでもよい、とばかりの、やる気なさ、
ジョージは、しっかりしてよ、ポールに取られちゃうよと、思ったのでは。
そのジョンが「ゲットバック」で、珍しく、リードギターを弾いているが、
解散後の「ビートルズ革命」で、「ポールは、人に親切にしたくなると、
ソロのパートをくれる。」と語って、アレンジもポール主導かよと思うし、
元々のリードギタリストの、ジョージへの配慮は、皆無なのだろうか。
ただ、この曲のサイドに回った、ジョージのカッティングは、格好良く、
テレキャスの、エッジを効かせた音色で、ズンチャ・ズンチャと刻んで、
イントロから、曲を印象付けて、疾走感が抜群だし、歌のバックでは、
拍の頭をミュート気味に弾く、歯切れ良いリズムで、全体を引っ張る。
リンゴのドラムも、ギャロップ風のスネアの叩き方で、あおってくるし、
ジョンが、オブリガードの合間に弾く、ロックの典型的なリフも見事で、
8ビートでガンガン弾く、ポールのベースと、全員一丸で駆け抜けて、
客演したビリー・プレストンのエレピも、ビートルズの曲に合っている。
ポールが、コンサートを再開して、もう一度、デビューした頃のように、
一緒になって演奏しよう、あの頃へと、ゲットバックしようと、したのは、
あながち、間違ってはいなかったと思うほど、この演奏は見事だったし、
次の「アビーロード」を聴いても、なんで解散したのか、不思議なほど。
そんなライブ演奏を、一人で多重録音すると、ドラムのノリが一定で、
全員で盛り上がる、グルーブ感がないなあと、不満に思ってしまうが、
その一定のリズムにさえ、リズムギターが遅れがちの、リズム音痴で、
特にイントロのジョージの微妙なニュアンスは、何度やり直してもダメ。
ジョンのリズムギターも同様で、ビートルズをコピーして、難しいのは、
ジョンやジョージのリズムを刻んだときの、絶妙なタイミングのノリで、
ポールのベースや、リンゴのドラムも同様、前ノリ、後ノリや、ハネとか、
4人それぞれに、見事なくらいのリズム感、ビート感で、真似しにくい。
昨年のポールの奇跡の来日を追った、ブログ仲間の記事に刺激され、
ビートルズを演奏、はては歌うようになって、早くも1年たったところへ、
今年の5月に再来日しながら、急病により中止となった、公演に関し、
ようやく、「来年は日本へ行くよ」と、ポール本人からのコメントが出る。
もう、しばらくの間は、ビートルズのことで、盛り上がってしまいそうで、
演奏を続けようと思ったし、ポール、まさにゲットバックだよ、頼むよと、
何度となく、くらった肩透かしに、慣れっこになりつつ、少なからず期待、
自分は行かないだろうが、武道館公演も実現してほしいと願っている。
映画のラストシーン、ビートルズが人前で演奏した、最後の曲となった、
「ゲットバック」を、ポールのコメントへ便乗し演奏、ジョンが戻ることは、
二度とないのだから、ポールは何度でも戻ってほしいと、祈りをこめて、
リズムギターより何より、ポールの高いボーカルが、一番きついです。
ビートルズ・コピーバンドで出る際、クラス練習や準備の合間に、
個々の出し物を練習する時間もあったが、体育館や音楽室は、
ピアノやドラムのいるバンドが優先なので、2人で屋上へ出た。
どうせ2人だけだから、マイクもギターアンプも必要なかったし、
「これって、レット・イット・ビーみたいだよな。」と、盛り上がって、
謝恩会の曲なんか、そっちのけで、ビートルズが屋上で弾いた、
「ゲット・バック」や「ドント・レット・ミー・ダウン」とかを、練習した。
当時から、一連の撮影、演奏を、「ゲットバック・セッション」だの、
「ルーフトップ・コンサート」といった風に、呼んでいたのだろうか、
ただ知らないだけだったのかもしれないが、自分たちは、単に、
映画「レット・イット・ビー」の屋上の場面としか、言ってなかった。
そのうち、向かいの校舎から、先輩、先輩と、男子連中の声がし、
振り返ると、剣道部の後輩たちが、教室の窓から手を振っていて、
ちょっとスター気分で嬉しくなるが、ずっと憧れ続けた女子からの、
キャーキャーいう声援は、この時も、謝恩会本番でも、なかった。
「ゲット・バック」は、結果的に、ビートルズとして、最後のライブで、
映画でもラストシーンに演奏していて、LPでも最後の曲になるが、
シングルやLPのテイクは、屋上で3回演奏したものは使われず、
屋上ライブの数日前に、スタジオ録音したものだったと、最近知る。
映画の印象が強いから、あの屋上ライブが、最後の雄姿であって、
その後に解散してしまったと、中学時代には、思い込んでいたが、
「アビーロード」が後の録音だとか、まして、屋上ライブのすぐ翌日、
数曲を地下スタジオで、演奏、撮影していたとは、知るよしもない。
LPの「ゲットバック」は、屋上ライブの話し声を、曲の前後に編集し、
いかにもライブのようにしているので、映画のラストシーンのままと、
思っていたが、映画では、騒音の苦情を受けた警官が、乗り込み、
スタッフがアンプのスイッチを切り、ギターの音が途切れたりする。
映画は、口パクや、後から録音し直すことなく、ライブそのままだが、
レコードになったものは、屋上ライブと、スタジオライブが混在して、
映画のサントラ盤らしく、曲間のしゃべりが入るのも、別のテイクや、
まったく違う曲のときの話し声を挿入したと、これまた最近知った。
ただ、実際に最後のライブ演奏となった、「ゲットバック」の終了後、
楽器を抱えて、戻る直前のジョンの台詞を、LPに入れてくれたのは、
映画のラストシーンだったからだろうが、編集のフィル・スペクターに、
よくぞ残してくれた、最後に入れてくれたと、ジョン派の自分は感謝。
「グループを代表して、お礼申し上げます。僕らはオーディションに、
受かるでしょうか?」などと、ジョンは、得意の冗談をとばしているが、
ポールが、半ば強引にリーダーシップを発揮した、セッションにあり、
リーダーとしてのコメントを発した、ジョンの気概に、拍手を送りたい。
そうは言っても、映画を見る限り、ポールがグループを引っ張ろうと、
必死になって、やりすぎの感じもあるのに比べ、ジョンは、正反対で、
ヨーコと一緒にいれたら、別にどうでもよい、とばかりの、やる気なさ、
ジョージは、しっかりしてよ、ポールに取られちゃうよと、思ったのでは。
そのジョンが「ゲットバック」で、珍しく、リードギターを弾いているが、
解散後の「ビートルズ革命」で、「ポールは、人に親切にしたくなると、
ソロのパートをくれる。」と語って、アレンジもポール主導かよと思うし、
元々のリードギタリストの、ジョージへの配慮は、皆無なのだろうか。
ただ、この曲のサイドに回った、ジョージのカッティングは、格好良く、
テレキャスの、エッジを効かせた音色で、ズンチャ・ズンチャと刻んで、
イントロから、曲を印象付けて、疾走感が抜群だし、歌のバックでは、
拍の頭をミュート気味に弾く、歯切れ良いリズムで、全体を引っ張る。
リンゴのドラムも、ギャロップ風のスネアの叩き方で、あおってくるし、
ジョンが、オブリガードの合間に弾く、ロックの典型的なリフも見事で、
8ビートでガンガン弾く、ポールのベースと、全員一丸で駆け抜けて、
客演したビリー・プレストンのエレピも、ビートルズの曲に合っている。
ポールが、コンサートを再開して、もう一度、デビューした頃のように、
一緒になって演奏しよう、あの頃へと、ゲットバックしようと、したのは、
あながち、間違ってはいなかったと思うほど、この演奏は見事だったし、
次の「アビーロード」を聴いても、なんで解散したのか、不思議なほど。
そんなライブ演奏を、一人で多重録音すると、ドラムのノリが一定で、
全員で盛り上がる、グルーブ感がないなあと、不満に思ってしまうが、
その一定のリズムにさえ、リズムギターが遅れがちの、リズム音痴で、
特にイントロのジョージの微妙なニュアンスは、何度やり直してもダメ。
ジョンのリズムギターも同様で、ビートルズをコピーして、難しいのは、
ジョンやジョージのリズムを刻んだときの、絶妙なタイミングのノリで、
ポールのベースや、リンゴのドラムも同様、前ノリ、後ノリや、ハネとか、
4人それぞれに、見事なくらいのリズム感、ビート感で、真似しにくい。
昨年のポールの奇跡の来日を追った、ブログ仲間の記事に刺激され、
ビートルズを演奏、はては歌うようになって、早くも1年たったところへ、
今年の5月に再来日しながら、急病により中止となった、公演に関し、
ようやく、「来年は日本へ行くよ」と、ポール本人からのコメントが出る。
もう、しばらくの間は、ビートルズのことで、盛り上がってしまいそうで、
演奏を続けようと思ったし、ポール、まさにゲットバックだよ、頼むよと、
何度となく、くらった肩透かしに、慣れっこになりつつ、少なからず期待、
自分は行かないだろうが、武道館公演も実現してほしいと願っている。
映画のラストシーン、ビートルズが人前で演奏した、最後の曲となった、
「ゲットバック」を、ポールのコメントへ便乗し演奏、ジョンが戻ることは、
二度とないのだから、ポールは何度でも戻ってほしいと、祈りをこめて、
リズムギターより何より、ポールの高いボーカルが、一番きついです。

フュージョン・ピアニストと呼んで良いのか、ラテンの大御所の、
松岡直也の演奏を初めて聴いたのは、大学に入学の79年春、
渋谷東急プラザのコタニレコードで、目ぼしいLPを探していると、
松岡直也&ウィシングの、ファーストアルバムが店内に流れた。
コタニは、銀座の山野楽器のような試聴コーナーはなかったが、
いつも何かしらの新譜をかけているので、学校の帰りだったり、
週末に寄っては、ロックやジャズのLPを、あれこれと眺めたり、
同じ階の本屋を行き来しつつ、どんな曲がかかると聴いていた。
松岡の曲が始まった時、こんなに綺麗なピアノの音があるのか、
メロディ、和音の響き、音色に、すごく耳を奪われて、聴き入ると、
曲が突然、アップテンポになって、ギター2本のバトルが始まり、
いったい誰のレコードだと、興奮して、レジのところに駆け寄る。
置かれている試聴中のLPジャケットには、松岡直也とあったが、
誰なのか知らなくて、次の曲になると、メロディをギターが弾いて、
ホーンも入るバンド編成なのに、ギターが目立つのにも感動して、
結局、B面まで全部、店内で聴いてから、これに決まりと買った。
二人のギターは、高中正義と大村憲司とわかり、大満足したし、
その高中のアルバムに、松岡が客演していたことも、わかって、
一気にファンとなるが、2枚目のアルバムには、高中は不参加、
FMで数曲録音しただけで、LPをレンタルすることもしなかった。
その後、プリズムの和田アキラが参加したと知って、興奮したし、
そのLPは、最初のものと、ジャケットを変えた、リミックス盤まで、
買ったほどだが、別テイクのアドリブが聴けると、勘違いしていた、
リミックスは不要だったなあと、当時も今も、ちょっと後悔している。
その和田アキラと、マライアのギタリスト、土方隆行を引き連れて、
スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルに出ると、宣伝されて、
FMでも、スタジオライブや、ライブ録音が、壮行会のように流れ、
楽しみにしていたが、結局、和田アキラはモントルーに行かない。
代りに、高中や大村が同行することもなく、ギターは土方が1人、
ギターバトルの曲は、サックスのバトルに変更され、がっかりだし、
レーベルの関係から、クレジットにないだけで、参加したのではと、
モントルーの2枚組ライブ盤を買っても、そんな夢物語などない。
その後は、アルバムを聴いたり、買うこともないまま、CM曲だか、
「九月の風」のヒットも、横目で見ているうちに、ウィシングは解散、
ホーンセクションなしの、少人数の松岡直也グループへとなって、
ギターには、是方博邦が参加と知って、これは大抜擢だと思った。
雑誌ヤングギターで名前は聞いていたが、桑名正博のバンドとか、
高中正義のバックのギタリストで、ほとんど演奏は聴いていなくて、
和田アキラの後任は、自分の方がふさわしいのにと、一社会人が、
自分の実力も考えずに、勝手なことを思って、LPも、聴かずじまい。
是方は、高中のバックにもいたし、レコードこそ出していなかったが、
大村憲司のバンドにも在籍して、かなり、クロスオーバーの周辺で、
活躍していたギタリストだったから、当然の人選だったのかもしれず、
ただ、ギタースタイルは、かなりロック寄りだし、ブルースに近い気も。
是方のフレーズは、ペンタトニック中心で、ギターもサンバーストの、
レスポールだから、レッド・ツェッペリンの、ジミー・ペイジを思わせて、
曲によっては、かなり歪ませたリフも弾いて、バンドの構成もあるが、
結果的に、ウイシングよりも、迫力あるギターが目立つ好演になる。
83年にも、松岡直也はモントルーへ出演して、この時のライブ盤が、
モントルーと六本木ピットインを収録した、2枚組の「ウェルカム」で、
この頃の曲の方が、後に、和田アキラが復帰してからの作品よりも、
ギターがメインで、スタジオ盤より弾きまくる、是方のギターは見事。
その中の1曲、「午後の水平線」は、後半になり、曲が盛り上がると、
ギターがアドリブという、ギタリストの理想とする展開が、格好良くて、
スタジオ盤、ライブ盤、その後の、和田アキラらしき再録バージョンと、
どれもが甲乙つけがたい、ロック魂に火がつきそうなアドリブばかり。
寺田倉庫から戻った楽譜、リットー社「松岡直也ベストセレクション」は、
「ウェルカム」の曲がメインのバンドスコアで、「午後の水平線」もあり、
早速オケを作るが、楽譜は、メロディとコードのみで、アドリブはカット、
リピート記号が多くて、リズム隊は、基本パターンしか、載っていない。
そのうえ、他のバンドスコアでも、よくあることで、ピアノ、シンセが弾く、
左手の部分は省略されて、耳コピが得意な人は、音を取れるだろうし、
鍵盤が専門の人は、それらしい伴奏をつけるだろうが、自分は無理で、
シンセのコード弾きをダビングし、音がスカスカにならないようにした。
ドラム、パーカッションは、MTR内蔵だから、松岡直也に欠かせない、
ティンバレスの音がなくて、リムショットやタム、マラカスで代用したが、
印象的なカウベルの部分は、わりと似たのではと、シンセ類も含めて、
手持ちの機材で、どこまで音作りができるか、やっていて楽しい作業。
YouTubeには、この曲を、モントルーで演奏した映像がアップされて、
パーカッションが迫力抜群、ギターソロになると、ドラムも叩きまくって、
全員が一丸となった熱い演奏に、レスポールを抱えた是方の服装が、
ジミー・ペイジの刺繍柄にも似て、ラテンロック、ハードロックの世界。
ちなみに、85年に出たCDベスト盤、「ワン・ラスト・フェアウェル」では、
「午後の水平線」はリミックスされ、前半のパーカッションの音がカット、
おしゃれ路線を目指すレコード会社には、ラテン・ロックの熱い演奏は、
邪魔なだけで、シャカタクとかに近づけたかったのかと、訝ってしまう。
自分のギターは、最初は、是方のスタジオ盤を、コピーしようとしたが、
ペンタトニック中心と言っても、自分の単純な指癖とは、かなり違って、
おそらく、中指のチョーキングを多用するような、ひねったフレーズで、
音も正確に取れないので、導入部だけは真似て、勝手に弾きまくった。
今年4月、惜しくも亡くなられた松岡直也が、83年に出したアルバム、
「午後の水平線」から、同名のタイトル曲を、当時を懐かしむとともに、
自分は松岡直也バンドに入りたかったよ、いつか共演したかったよと、
これまた、自分の実力を省みずに、熱い思いをこめて、演奏しました。
松岡直也の演奏を初めて聴いたのは、大学に入学の79年春、
渋谷東急プラザのコタニレコードで、目ぼしいLPを探していると、
松岡直也&ウィシングの、ファーストアルバムが店内に流れた。
コタニは、銀座の山野楽器のような試聴コーナーはなかったが、
いつも何かしらの新譜をかけているので、学校の帰りだったり、
週末に寄っては、ロックやジャズのLPを、あれこれと眺めたり、
同じ階の本屋を行き来しつつ、どんな曲がかかると聴いていた。
松岡の曲が始まった時、こんなに綺麗なピアノの音があるのか、
メロディ、和音の響き、音色に、すごく耳を奪われて、聴き入ると、
曲が突然、アップテンポになって、ギター2本のバトルが始まり、
いったい誰のレコードだと、興奮して、レジのところに駆け寄る。
置かれている試聴中のLPジャケットには、松岡直也とあったが、
誰なのか知らなくて、次の曲になると、メロディをギターが弾いて、
ホーンも入るバンド編成なのに、ギターが目立つのにも感動して、
結局、B面まで全部、店内で聴いてから、これに決まりと買った。
二人のギターは、高中正義と大村憲司とわかり、大満足したし、
その高中のアルバムに、松岡が客演していたことも、わかって、
一気にファンとなるが、2枚目のアルバムには、高中は不参加、
FMで数曲録音しただけで、LPをレンタルすることもしなかった。
その後、プリズムの和田アキラが参加したと知って、興奮したし、
そのLPは、最初のものと、ジャケットを変えた、リミックス盤まで、
買ったほどだが、別テイクのアドリブが聴けると、勘違いしていた、
リミックスは不要だったなあと、当時も今も、ちょっと後悔している。
その和田アキラと、マライアのギタリスト、土方隆行を引き連れて、
スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルに出ると、宣伝されて、
FMでも、スタジオライブや、ライブ録音が、壮行会のように流れ、
楽しみにしていたが、結局、和田アキラはモントルーに行かない。
代りに、高中や大村が同行することもなく、ギターは土方が1人、
ギターバトルの曲は、サックスのバトルに変更され、がっかりだし、
レーベルの関係から、クレジットにないだけで、参加したのではと、
モントルーの2枚組ライブ盤を買っても、そんな夢物語などない。
その後は、アルバムを聴いたり、買うこともないまま、CM曲だか、
「九月の風」のヒットも、横目で見ているうちに、ウィシングは解散、
ホーンセクションなしの、少人数の松岡直也グループへとなって、
ギターには、是方博邦が参加と知って、これは大抜擢だと思った。
雑誌ヤングギターで名前は聞いていたが、桑名正博のバンドとか、
高中正義のバックのギタリストで、ほとんど演奏は聴いていなくて、
和田アキラの後任は、自分の方がふさわしいのにと、一社会人が、
自分の実力も考えずに、勝手なことを思って、LPも、聴かずじまい。
是方は、高中のバックにもいたし、レコードこそ出していなかったが、
大村憲司のバンドにも在籍して、かなり、クロスオーバーの周辺で、
活躍していたギタリストだったから、当然の人選だったのかもしれず、
ただ、ギタースタイルは、かなりロック寄りだし、ブルースに近い気も。
是方のフレーズは、ペンタトニック中心で、ギターもサンバーストの、
レスポールだから、レッド・ツェッペリンの、ジミー・ペイジを思わせて、
曲によっては、かなり歪ませたリフも弾いて、バンドの構成もあるが、
結果的に、ウイシングよりも、迫力あるギターが目立つ好演になる。
83年にも、松岡直也はモントルーへ出演して、この時のライブ盤が、
モントルーと六本木ピットインを収録した、2枚組の「ウェルカム」で、
この頃の曲の方が、後に、和田アキラが復帰してからの作品よりも、
ギターがメインで、スタジオ盤より弾きまくる、是方のギターは見事。
その中の1曲、「午後の水平線」は、後半になり、曲が盛り上がると、
ギターがアドリブという、ギタリストの理想とする展開が、格好良くて、
スタジオ盤、ライブ盤、その後の、和田アキラらしき再録バージョンと、
どれもが甲乙つけがたい、ロック魂に火がつきそうなアドリブばかり。
寺田倉庫から戻った楽譜、リットー社「松岡直也ベストセレクション」は、
「ウェルカム」の曲がメインのバンドスコアで、「午後の水平線」もあり、
早速オケを作るが、楽譜は、メロディとコードのみで、アドリブはカット、
リピート記号が多くて、リズム隊は、基本パターンしか、載っていない。
そのうえ、他のバンドスコアでも、よくあることで、ピアノ、シンセが弾く、
左手の部分は省略されて、耳コピが得意な人は、音を取れるだろうし、
鍵盤が専門の人は、それらしい伴奏をつけるだろうが、自分は無理で、
シンセのコード弾きをダビングし、音がスカスカにならないようにした。
ドラム、パーカッションは、MTR内蔵だから、松岡直也に欠かせない、
ティンバレスの音がなくて、リムショットやタム、マラカスで代用したが、
印象的なカウベルの部分は、わりと似たのではと、シンセ類も含めて、
手持ちの機材で、どこまで音作りができるか、やっていて楽しい作業。
YouTubeには、この曲を、モントルーで演奏した映像がアップされて、
パーカッションが迫力抜群、ギターソロになると、ドラムも叩きまくって、
全員が一丸となった熱い演奏に、レスポールを抱えた是方の服装が、
ジミー・ペイジの刺繍柄にも似て、ラテンロック、ハードロックの世界。
ちなみに、85年に出たCDベスト盤、「ワン・ラスト・フェアウェル」では、
「午後の水平線」はリミックスされ、前半のパーカッションの音がカット、
おしゃれ路線を目指すレコード会社には、ラテン・ロックの熱い演奏は、
邪魔なだけで、シャカタクとかに近づけたかったのかと、訝ってしまう。
自分のギターは、最初は、是方のスタジオ盤を、コピーしようとしたが、
ペンタトニック中心と言っても、自分の単純な指癖とは、かなり違って、
おそらく、中指のチョーキングを多用するような、ひねったフレーズで、
音も正確に取れないので、導入部だけは真似て、勝手に弾きまくった。
今年4月、惜しくも亡くなられた松岡直也が、83年に出したアルバム、
「午後の水平線」から、同名のタイトル曲を、当時を懐かしむとともに、
自分は松岡直也バンドに入りたかったよ、いつか共演したかったよと、
これまた、自分の実力を省みずに、熱い思いをこめて、演奏しました。

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