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僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
人前だからか、気の合うところを見せた「ドント・レット・ミー・ダウン」
渋谷の実家は、商売をしていたから、毎日、早朝から晩まで、
渋谷駅の周辺を、父は、軽トラックで、配達して回っていたが、
月に何度か、新宿や目黒、品川方面へも、配達に出かけて、
学校から帰宅していれば、道中の話し相手代りに、同乗した。

配達の手伝いをする事は、ほとんどなく、向こうに着いてから、
集金して回る時などは、本屋とかで待っているように言われて、
首尾よく、お金が入ると、たまに、本やLPを買ってくれるので、
次は何をねだろうかと、下見をして待ち、配達が楽しみだった。

ビートルズの伝記本、ハンター・デイビスによる、ぶ厚い本は、
西小山商店街で買ってもらったし、海賊盤も、新宿のオムでと、
中学生の毎月の小遣いでは、ちょっと買えない額の本やLPは、
たいてい、配達で買ってもらい、ビートルズのグッズが増える。

新宿に新しくできた輸入盤店を見つけて、時間を潰していた時、
店内に、「ドント・レット・ミー・ダウン」が流れ、かなり遅いテンポ、
映画のリハーサルのテープからの音源だと、すぐにわかったが、
海賊盤とは思えないくらいに、クリアな音がして、すごく驚いた。

そのLPのタイトルを確認しようと、レジのところに展示してある、
ジャケットを見に行くと、これまで持っていた、ガリ版刷りの紙を、
白い紙ケースに貼り付けた程度の、安物ジャケットとは大違い、
カラー写真が印刷されて、裏ジャケも写真入りの2枚組の大作。

そうそう、いつでも買ってくれるわけではないし、2枚組なので、
ねだろうにも、高額だったから、その日は、目をつけた程度にし、
月刊誌「音楽専科」の海賊盤特集や、「ミュージック・ライフ」の、
輸入レコード店の広告で、情報を調べて、買うかどうか決める。

そうやって、記事を調べた際、すでに出ていた海賊盤も含めて、
「このLPは、ゲット・バック・セッションのテープからの~」だとは、
書いてなくて、「映画レット・イット・ビーの撮影時の録音~」とか、
「未発売のLP、ゲット・バックのレコーディングで~」という記述。

映画「レット・イット・ビー」のパンフや、昔のビートルズ年表でも、
「ゲット・バック・セッション」の文字はなくて、いったい、いつから、
ゲット・バック・セッションだの、ルーフトップ・コンサートといった、
自分の知らない専門用語(?)が、とびかうようになったのだろう。

そんな自分には、「映画のレット・イット・ビーの未公開の音源」と、
呼んだ方がしっくりくる、2枚組の海賊盤は、だんだん欲しくなり、
配達を待てず、電車に乗って、お年玉の残りで買った気がするが、
あるいは、父に頼んで、軽トラで往復してもらったかもしれない。

その「ドント・レット・ミー・ダウン」は、LP「レット・イット・ビー」には、
未収録のうえに、シングル盤「ゲット・バック」のB面という扱いで、
これが、ジョンの名曲に対する仕打ちかよと、思ってしまうのだが、
青盤に入っていたからか、自分は、よく聴いたり、歌ったりした曲。

それだけに、レコード屋で流れた別テイクに、すぐに反応したし、
自分の好きなジョンの曲の中でも、かなり上位にランクしていて、
ジョンの声を真似ては、弾き語っていたが、高音が出ないから、
ジョージ役と二人のコピーバンドでは、ちゃんと合わせていない。

中学の頃から、自分の地声の高い音は、ギターの1弦3フレット、
ソ、Gの音が限界で、たいてい、ジョンの歌う音域は、G#までで、
それより高いと、ポールに歌わせるか、ファルセットにするのに、
初期のカバーや、この曲では、ラの高さまで、シャウトして出す。

しかも、最後のエレピソロが始まると、ファルセットをしぼり出して、
オクターブ高いミの音で歌うし、おそらくポールが、それより高い、
ソ#の音程、ギターで言えば、1弦の16フレットの高音で歌って、
自分の裏声は、ドの音がやっとで、まったく歌える高さではない。

それと、オケを作って、気づいたのは、「don't let me down」と、
繰り返し歌う箇所は、昔買った譜面でも、全曲バンドスコアでも、
「don't ・ let ・ me」は、2拍3連のリズムで、当然に、ドラムも、
一緒に合わせて、ハイハットや、シンバル、スネアを叩いている。

自分が昔から歌った感じでは、「me」だけ短い方が、しっくりきて、
タンツ・タンツ・タンみたいに、2拍を16分音符で、3・3・2にすれば、
良い気がして、両方のドラムパターンを打ち込み、歌ってみたら、
2拍3連だと、「me」がドラムに遅れて、16分音符だと、歌が先に。

結局、どっちにしても、合わないわけで、リズム感の悪さを実感、
どうせ、ずれるのだから、ここは、譜面どおりのドラムパターンに、
ベース、ギターをダビングしていくが、幸い、楽器の伴奏のほうは、
一緒に、2拍3連で動かず、音を伸ばしているので、ボロが出ない。

いつも、ブログに、リズム音痴と書いているからではないだろうが、
先週の、Amazonからのおすすめ商品メールが、「ギターが下手、
原因の90%はリズム感」という本で、いったい何の購入履歴から、
こういう嫌みのような(?)品が推奨されるのか、がっくりきてしまう。

この曲も、レコードの元になった音源は、「ゲット・バック」と同様に、
屋上ライブではなく、その数日前に地下スタジオで録音したもので、
映画の屋上の場面では、ジョンが歌詞を間違えて、歌っているから、
スタジオ版を採用したらしく、「ネイキッド」だと、ライブから編集した。

映画「レット・イット・ビー」では、リハーサルの際、口論が起きたり、
ジョンがやる気なかったりと、人間関係の悪化が、見て取れるが、
屋上ライブでは一転、ジョンとポールの絶妙のハモリは、もちろん、
ジョージもリンゴも、一致団結で、息の合ったところを見せている。

何だかんだ言っても、人前での演奏となったら、血が騒ぐのだろう、
デビュー前のライブバンドの実力よろしく、リハとは大違いの演奏、
ジョンとポールが、何事もなかったよう、目を合わせ、ハモッったり、
ジョージも脇に下がりつつも、ノリノリで体を揺すって、弾いている。

おそらく、この感触が嬉しかったのだろう、ダビングは、なしとした、
一連の録音なのに、ジョンとポールの2人で、後からコーラスを足し、
ワーだの、ギャーだのと、はしゃいでいて、ジョンが先導する形で、
「なあ、ポール、この曲、もう少し2人で歌おうや。」と、やったかと。

ただ、ひどいことに、ライブでも歌っている、ジョージのコーラスが、
スタジオ版では、聴こえないのは、ジョージの歌のトラックを消して、
ジョンとポールが録音したそうで、せっかく4人で、息が合ったのに、
2人の絆の方が、それにも勝るのか、ちょっとジョージに同情する。

映画「レット・イット・ビー」の屋上ライブでも、息のあった演奏をして、
ジョンとポール2人で、かけ合いのダビングまでした、ジョンの名曲、
「ドント・レット・ミー・ダウン」を、リズムがずれたり、高音が出ないし、
何より、ジョンのシャウトができないままで、無理やりのアップです。







今年も、このブログを訪問いただき、ありがとうございました。
独りよがりの文章や、演奏におつきあいただき、感謝します。
今後も、週末の更新を続けていくので、よろしくお願いします。

みなさま、良いお年をお迎えください。




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「ギターをひこう」で覚えたクリスマス・キャロルの「聖母の御子」
中2の74年、荘村清志が講師の、NHK「ギターをひこう」で、
毎週、番組の最後に、クラシックギターの名曲を弾いてくれる、
ミニミニ・コンサートや、3月末の最終回、卒業発表会の曲が、
自分にとって、クラシックギターの定番の曲と、なっていった。

前・後期のテキストや、ギターを覚えようと、中1の時に買った、
阿部保夫の「NHKギター教室~教則編」、「~名曲編」を見て、
そうした、ソルやタレガの曲を練習したが、番組のテーマ曲の、
「鐘の音」や、カタロニア民謡「聖母の御子」は、載っていない。

版権のせいだろうか、テーマ曲の楽譜が載らないテキストは、
おそらく、その回だけだろうし、ペルナンブーコの「鐘の音」が、
当時は、ヴィラ・ロボス「ショーロ」として紹介され、このあたり、
荘村本人に、今からでも、語ってほしいことは、たくさんある。

高校に入り、ロックギターのうまい同級生が、たくさんいる中で、
クラシックギターを習っていて、「アランブラ宮殿」は、当然弾き、
プログレッシブロックが好きだと、フォーカスというバンドの曲も、
指弾きでこなす友人がいて、「ギターをひこう」のことを話した。

「聖母の御子」なら、ギター教室で習って、楽譜を持っていると、
貸してくれたが、番組で録音したテープや、荘村のレコードとは、
ところどころ、和音が違っていて、友人に言うと、編曲ものでは、
よくあるそうで、実際、「グリーン・スリーブス」などがそうだった。

77年に出た、現代ギターの臨時増刊、「ギター音楽ガイド」の、
「ギター・レパートリー・555」では、作者不詳の欄に分類されて、
「しばしば、リョベート編民謡と思われているが、実際の編者は、
セゴビアらしい。」とあり、荘村のLPには、「セゴビア編」と明記。

同ガイドのLP紹介欄の、イエペス「カタロニア民謡を弾く」でも、
「聖母の御子(セゴビア編)」とあり、他のLPは、編者表記なし、
広告ページの、「ギタルラ社の輸入ギターピース150」の方は、
編曲がフェゲランという人で、こちらは、ほとんど知らない名前。

友人が持っていたのは、おそらくギタルラ社の楽譜だと思うが、
作曲でも編曲でもなく、題名の横に、リョベートと書かれていて、
これも版や出版社が違うものなのか、書誌学的研究でもないが、
いろいろ調べていくと、面白そうで、いずれ取り組みたいと思う。

80年、小原聖子が講師の「ギターをひこう」は、後期テキストに、
「鐘の音」や「聖母の御子」が載って、中級編の最初に出てくる、
「聖母の御子」には、はっきりと、「リョベート編曲」だと書かれて、
荘村のセゴビア編とは、テーマの繰り返しも、和音も違っている。

もともと耳コピが苦手で、まして和音を取るのは、不可能なので、
長年、このリョベート編で練習しているが、その後に入手したもの、
現代ギター社「クラシックギター名曲集・帰ってきたてんこもり」や、
リットー「クラシックギターのしらべ」でも、それぞれに違っている。

自分は持っていないが、81年に、再度、荘村が講師となった際、
後期テキストに、「聖母の御子」が載ったそうだし、つい何年か前、
教育テレビ「趣味悠々」で、やはり荘村のギター講座が始まって、
そのテキストにも載ったそうだが、セゴビア編だったのかは不明。

荘村のセゴビア編と、小原のリョベート編の違いの大きい部分は、
メロディの繰り返しを、Aメロ、Bメロと考えたときに、荘村の場合、
Bメロを繰り返す前に、Aメロの一部を弾き、ジョン・ウィリアムスも、
ゴンザレスも、そう弾くが、小原版は、Bメロを、そのまま繰り返す。

4小節目で、和音が2拍目に弾くか、3拍目か、という違いもあり、
荘村は2拍目、小原は3拍目、さらに和音を構成する音に関して、
荘村、小原どちらも、ソの音に#がついて、E7のコードとなるが、
ギタルラ版だと、ソはナチュラルで、普通のGコードの響きになる。

録音で比べると、荘村清志は、73年「アルハンブラの想い出」や、
92年「カタロニア郷愁」でも、セゴビア編とされる演奏をしていて、
ベスト盤CDのジョン・ウィリアムスも、リョベート編の表記なのに、
一部を単音メロディにした以外は、セゴビア編と、まったく同じに。

ホセ・ルイス・ゴンザレスは、かなり、リズムをはねての演奏だが、
セゴビア編に近いし、菊池真知子は、小原のテキストに出ている、
リョベート編に忠実で、「名曲てんこもり」の毛塚巧一、「しらべ」の、
斉藤松男は、リョベート編の和音を、ところどころ、変更している。

肝心のセゴビアの演奏は、晩年の映像が、YouTubeに出ていて、
メロディの繰り返しは、セゴビア編とされる、荘村と同じなのだが、
和音は、すごくシンプルな響きがするし、細かい部分も違うようで、
セゴビア校訂の楽譜は出ていないから、何が正しいのかは不明。

原曲が、カタロニア民謡というのも、実はガリシア地方の曲だと、
別の説まであり、だから、リョベートは自身が編曲しているのに、
「カタロニア民謡集」に加えなかったと、調べるときりがないほど、
ただし、スペインのクリスマス・キャロルというのは、間違いない。

題名の「聖母の御子」は、LPの邦題によって、「聖母とその子」、
「マリアの子」と異なるが、マリアとキリストのことを指しているし、
幼い頃に覚えた、「きよしこの夜」の歌で、「救いのみこ(御子)は、
みはは(御母)の胸に~」と、あるのと同様に、生誕を祝う歌詞。

自分も、幼稚園に通う前後から、小さなクリスマスツリーを飾って、
「きよしこの夜」や、「ジングル・ベル」のレコードをかけ、歌ったが、
御子とか御母の意味も知らず、ただ、歌詞を覚えて、口ずさんで、
絵本で、ベツレヘムがどうした、こうしたと、地名まで覚えていた。

このあたりは、日本の童謡でも同じことで、文語体や雅語などが、
いりまじっていたり、単語の意味も知らないまま、覚えていったが、
よくよく考えると、別の漢字を充てはめ、意味を取り違えていたり、
いまだに、何のことかわからない歌詞も、たくさんあると、気づく。

スペインの子供たちにとって、「聖母と御子」は、そうした歌だから、
ギター編曲は誰だとか、和音がどうしただのは、余計な話だろうし、
91年のバルセロナ・ギターフェスで、鈴木一郎が、ギター伴奏して、
現地の人が高らかに歌ったように、今後も歌い継がれるのだろう。

自分のクラシックギターの原点、荘村清志の「ギターをひこう」で、
気に入った、クリスマス・キャロルの「聖母の御子」を、同じ番組の、
小原聖子のテキストの、リョベート編曲で、30年以上弾いてきて、
慣れ親しんだものが一番と、クリスマスにちなんで、演奏しました。




ビートルズ最後の雄姿、ロンドンに響き渡った「ゲットバック」
76年3月、中学の卒業前の謝恩会に、ジョージ役と2人きりの、
ビートルズ・コピーバンドで出る際、クラス練習や準備の合間に、
個々の出し物を練習する時間もあったが、体育館や音楽室は、
ピアノやドラムのいるバンドが優先なので、2人で屋上へ出た。

どうせ2人だけだから、マイクもギターアンプも必要なかったし、
「これって、レット・イット・ビーみたいだよな。」と、盛り上がって、
謝恩会の曲なんか、そっちのけで、ビートルズが屋上で弾いた、
「ゲット・バック」や「ドント・レット・ミー・ダウン」とかを、練習した。

当時から、一連の撮影、演奏を、「ゲットバック・セッション」だの、
「ルーフトップ・コンサート」といった風に、呼んでいたのだろうか、
ただ知らないだけだったのかもしれないが、自分たちは、単に、
映画「レット・イット・ビー」の屋上の場面としか、言ってなかった。

そのうち、向かいの校舎から、先輩、先輩と、男子連中の声がし、
振り返ると、剣道部の後輩たちが、教室の窓から手を振っていて、
ちょっとスター気分で嬉しくなるが、ずっと憧れ続けた女子からの、
キャーキャーいう声援は、この時も、謝恩会本番でも、なかった。

「ゲット・バック」は、結果的に、ビートルズとして、最後のライブで、
映画でもラストシーンに演奏していて、LPでも最後の曲になるが、
シングルやLPのテイクは、屋上で3回演奏したものは使われず、
屋上ライブの数日前に、スタジオ録音したものだったと、最近知る。

映画の印象が強いから、あの屋上ライブが、最後の雄姿であって、
その後に解散してしまったと、中学時代には、思い込んでいたが、
「アビーロード」が後の録音だとか、まして、屋上ライブのすぐ翌日、
数曲を地下スタジオで、演奏、撮影していたとは、知るよしもない。

LPの「ゲットバック」は、屋上ライブの話し声を、曲の前後に編集し、
いかにもライブのようにしているので、映画のラストシーンのままと、
思っていたが、映画では、騒音の苦情を受けた警官が、乗り込み、
スタッフがアンプのスイッチを切り、ギターの音が途切れたりする。

映画は、口パクや、後から録音し直すことなく、ライブそのままだが、
レコードになったものは、屋上ライブと、スタジオライブが混在して、
映画のサントラ盤らしく、曲間のしゃべりが入るのも、別のテイクや、
まったく違う曲のときの話し声を挿入したと、これまた最近知った。

ただ、実際に最後のライブ演奏となった、「ゲットバック」の終了後、
楽器を抱えて、戻る直前のジョンの台詞を、LPに入れてくれたのは、
映画のラストシーンだったからだろうが、編集のフィル・スペクターに、
よくぞ残してくれた、最後に入れてくれたと、ジョン派の自分は感謝。

「グループを代表して、お礼申し上げます。僕らはオーディションに、
受かるでしょうか?」などと、ジョンは、得意の冗談をとばしているが、
ポールが、半ば強引にリーダーシップを発揮した、セッションにあり、
リーダーとしてのコメントを発した、ジョンの気概に、拍手を送りたい。

そうは言っても、映画を見る限り、ポールがグループを引っ張ろうと、
必死になって、やりすぎの感じもあるのに比べ、ジョンは、正反対で、
ヨーコと一緒にいれたら、別にどうでもよい、とばかりの、やる気なさ、
ジョージは、しっかりしてよ、ポールに取られちゃうよと、思ったのでは。

そのジョンが「ゲットバック」で、珍しく、リードギターを弾いているが、
解散後の「ビートルズ革命」で、「ポールは、人に親切にしたくなると、
ソロのパートをくれる。」と語って、アレンジもポール主導かよと思うし、
元々のリードギタリストの、ジョージへの配慮は、皆無なのだろうか。

ただ、この曲のサイドに回った、ジョージのカッティングは、格好良く、
テレキャスの、エッジを効かせた音色で、ズンチャ・ズンチャと刻んで、
イントロから、曲を印象付けて、疾走感が抜群だし、歌のバックでは、
拍の頭をミュート気味に弾く、歯切れ良いリズムで、全体を引っ張る。

リンゴのドラムも、ギャロップ風のスネアの叩き方で、あおってくるし、
ジョンが、オブリガードの合間に弾く、ロックの典型的なリフも見事で、
8ビートでガンガン弾く、ポールのベースと、全員一丸で駆け抜けて、
客演したビリー・プレストンのエレピも、ビートルズの曲に合っている。

ポールが、コンサートを再開して、もう一度、デビューした頃のように、
一緒になって演奏しよう、あの頃へと、ゲットバックしようと、したのは、
あながち、間違ってはいなかったと思うほど、この演奏は見事だったし、
次の「アビーロード」を聴いても、なんで解散したのか、不思議なほど。

そんなライブ演奏を、一人で多重録音すると、ドラムのノリが一定で、
全員で盛り上がる、グルーブ感がないなあと、不満に思ってしまうが、
その一定のリズムにさえ、リズムギターが遅れがちの、リズム音痴で、
特にイントロのジョージの微妙なニュアンスは、何度やり直してもダメ。

ジョンのリズムギターも同様で、ビートルズをコピーして、難しいのは、
ジョンやジョージのリズムを刻んだときの、絶妙なタイミングのノリで、
ポールのベースや、リンゴのドラムも同様、前ノリ、後ノリや、ハネとか、
4人それぞれに、見事なくらいのリズム感、ビート感で、真似しにくい。

昨年のポールの奇跡の来日を追った、ブログ仲間の記事に刺激され、
ビートルズを演奏、はては歌うようになって、早くも1年たったところへ、
今年の5月に再来日しながら、急病により中止となった、公演に関し、
ようやく、「来年は日本へ行くよ」と、ポール本人からのコメントが出る。

もう、しばらくの間は、ビートルズのことで、盛り上がってしまいそうで、
演奏を続けようと思ったし、ポール、まさにゲットバックだよ、頼むよと、
何度となく、くらった肩透かしに、慣れっこになりつつ、少なからず期待、
自分は行かないだろうが、武道館公演も実現してほしいと願っている。

映画のラストシーン、ビートルズが人前で演奏した、最後の曲となった、
「ゲットバック」を、ポールのコメントへ便乗し演奏、ジョンが戻ることは、
二度とないのだから、ポールは何度でも戻ってほしいと、祈りをこめて、
リズムギターより何より、ポールの高いボーカルが、一番きついです。





大抜擢の是方のロックギターが活躍、松岡直也「午後の水平線」
フュージョン・ピアニストと呼んで良いのか、ラテンの大御所の、
松岡直也の演奏を初めて聴いたのは、大学に入学の79年春、
渋谷東急プラザのコタニレコードで、目ぼしいLPを探していると、
松岡直也&ウィシングの、ファーストアルバムが店内に流れた。

コタニは、銀座の山野楽器のような試聴コーナーはなかったが、
いつも何かしらの新譜をかけているので、学校の帰りだったり、
週末に寄っては、ロックやジャズのLPを、あれこれと眺めたり、
同じ階の本屋を行き来しつつ、どんな曲がかかると聴いていた。

松岡の曲が始まった時、こんなに綺麗なピアノの音があるのか、
メロディ、和音の響き、音色に、すごく耳を奪われて、聴き入ると、
曲が突然、アップテンポになって、ギター2本のバトルが始まり、
いったい誰のレコードだと、興奮して、レジのところに駆け寄る。

置かれている試聴中のLPジャケットには、松岡直也とあったが、
誰なのか知らなくて、次の曲になると、メロディをギターが弾いて、
ホーンも入るバンド編成なのに、ギターが目立つのにも感動して、
結局、B面まで全部、店内で聴いてから、これに決まりと買った。

二人のギターは、高中正義と大村憲司とわかり、大満足したし、
その高中のアルバムに、松岡が客演していたことも、わかって、
一気にファンとなるが、2枚目のアルバムには、高中は不参加、
FMで数曲録音しただけで、LPをレンタルすることもしなかった。

その後、プリズムの和田アキラが参加したと知って、興奮したし、
そのLPは、最初のものと、ジャケットを変えた、リミックス盤まで、
買ったほどだが、別テイクのアドリブが聴けると、勘違いしていた、
リミックスは不要だったなあと、当時も今も、ちょっと後悔している。

その和田アキラと、マライアのギタリスト、土方隆行を引き連れて、
スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルに出ると、宣伝されて、
FMでも、スタジオライブや、ライブ録音が、壮行会のように流れ、
楽しみにしていたが、結局、和田アキラはモントルーに行かない。

代りに、高中や大村が同行することもなく、ギターは土方が1人、
ギターバトルの曲は、サックスのバトルに変更され、がっかりだし、
レーベルの関係から、クレジットにないだけで、参加したのではと、
モントルーの2枚組ライブ盤を買っても、そんな夢物語などない。

その後は、アルバムを聴いたり、買うこともないまま、CM曲だか、
「九月の風」のヒットも、横目で見ているうちに、ウィシングは解散、
ホーンセクションなしの、少人数の松岡直也グループへとなって、
ギターには、是方博邦が参加と知って、これは大抜擢だと思った。

雑誌ヤングギターで名前は聞いていたが、桑名正博のバンドとか、
高中正義のバックのギタリストで、ほとんど演奏は聴いていなくて、
和田アキラの後任は、自分の方がふさわしいのにと、一社会人が、
自分の実力も考えずに、勝手なことを思って、LPも、聴かずじまい。

是方は、高中のバックにもいたし、レコードこそ出していなかったが、
大村憲司のバンドにも在籍して、かなり、クロスオーバーの周辺で、
活躍していたギタリストだったから、当然の人選だったのかもしれず、
ただ、ギタースタイルは、かなりロック寄りだし、ブルースに近い気も。

是方のフレーズは、ペンタトニック中心で、ギターもサンバーストの、
レスポールだから、レッド・ツェッペリンの、ジミー・ペイジを思わせて、
曲によっては、かなり歪ませたリフも弾いて、バンドの構成もあるが、
結果的に、ウイシングよりも、迫力あるギターが目立つ好演になる。

83年にも、松岡直也はモントルーへ出演して、この時のライブ盤が、
モントルーと六本木ピットインを収録した、2枚組の「ウェルカム」で、
この頃の曲の方が、後に、和田アキラが復帰してからの作品よりも、
ギターがメインで、スタジオ盤より弾きまくる、是方のギターは見事。

その中の1曲、「午後の水平線」は、後半になり、曲が盛り上がると、
ギターがアドリブという、ギタリストの理想とする展開が、格好良くて、
スタジオ盤、ライブ盤、その後の、和田アキラらしき再録バージョンと、
どれもが甲乙つけがたい、ロック魂に火がつきそうなアドリブばかり。

寺田倉庫から戻った楽譜、リットー社「松岡直也ベストセレクション」は、
「ウェルカム」の曲がメインのバンドスコアで、「午後の水平線」もあり、
早速オケを作るが、楽譜は、メロディとコードのみで、アドリブはカット、
リピート記号が多くて、リズム隊は、基本パターンしか、載っていない。

そのうえ、他のバンドスコアでも、よくあることで、ピアノ、シンセが弾く、
左手の部分は省略されて、耳コピが得意な人は、音を取れるだろうし、
鍵盤が専門の人は、それらしい伴奏をつけるだろうが、自分は無理で、
シンセのコード弾きをダビングし、音がスカスカにならないようにした。

ドラム、パーカッションは、MTR内蔵だから、松岡直也に欠かせない、
ティンバレスの音がなくて、リムショットやタム、マラカスで代用したが、
印象的なカウベルの部分は、わりと似たのではと、シンセ類も含めて、
手持ちの機材で、どこまで音作りができるか、やっていて楽しい作業。

YouTubeには、この曲を、モントルーで演奏した映像がアップされて、
パーカッションが迫力抜群、ギターソロになると、ドラムも叩きまくって、
全員が一丸となった熱い演奏に、レスポールを抱えた是方の服装が、
ジミー・ペイジの刺繍柄にも似て、ラテンロック、ハードロックの世界。

ちなみに、85年に出たCDベスト盤、「ワン・ラスト・フェアウェル」では、
「午後の水平線」はリミックスされ、前半のパーカッションの音がカット、
おしゃれ路線を目指すレコード会社には、ラテン・ロックの熱い演奏は、
邪魔なだけで、シャカタクとかに近づけたかったのかと、訝ってしまう。

自分のギターは、最初は、是方のスタジオ盤を、コピーしようとしたが、
ペンタトニック中心と言っても、自分の単純な指癖とは、かなり違って、
おそらく、中指のチョーキングを多用するような、ひねったフレーズで、
音も正確に取れないので、導入部だけは真似て、勝手に弾きまくった。

今年4月、惜しくも亡くなられた松岡直也が、83年に出したアルバム、
「午後の水平線」から、同名のタイトル曲を、当時を懐かしむとともに、
自分は松岡直也バンドに入りたかったよ、いつか共演したかったよと、
これまた、自分の実力を省みずに、熱い思いをこめて、演奏しました。








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