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僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
移り変わる街並みを眺めつつ、口ずさんだのは「イン・マイ・ライフ」
この数年は、家族旅行も行かずに、夏休みや、連休も、
家でゴロゴロしている自分なのだが、お彼岸くらいはと、
墓参りに出かけていて、この3月末には、家族そろって、
実家の母にも声をかけて、渋谷東急プラザで外食した。

渋谷駅周辺は、プラネタリウムや、パンテオンがあった、
東急文化会館が、近代的高層ビル、ヒカリエに変わり、
不二家に小さな書店、ガード下の立ち食いそば屋など、
雑然とした井の頭線の駅ビルは、巨大なマークシティに。

東急東横店も、東横線ホーム地下化に伴い、再開発が、
予定されていて、駅からの眺めは、さらに変わるだろうが、
そんな中、東急プラザは、開店当時に近い佇まいを残し、
どことなく落ち着ける気がして、そこのレストラン階へ行く。

建物こそ、昔ながらの東急プラザだが、レストランを含め、
店の変遷は激しいようで、初めてビフテキを食べた紅花は、
知らぬ間になくなっていて、銀座アスターでランチにしたが、
確か、中華料理も、以前は、別の店が入っていいたはず。

お墓は、渋谷駅から広尾方面へ、20分程歩いた場所で、
そこへ向かう沿道も、雑居ビルや、小さな商店だったのが、
チェーン店の入った、大型テナントビルばかり、立ち並び、
お寺さんへ入る道を、あやうく通り過ぎてしまう変わり様。

帰りは、天気も良かったので、普段しない、運動を兼ねて、
自宅まで、小一時間かけて歩き、代官山を抜けて行ったら、
閑静な住宅に、洒落たカフェの街並みは、いつの間にか、
タワーマンションやショッピングモールへと、別世界のよう。

ジョン・レノンが、故郷リバプールを思い浮かべて、作った、
「イン・マイ・ライフ」の歌詞みたいだなと、自然と口ずさみ、
ちょっとセンチな気分になったが、めったに出かけないから、
急に変わったと感じるわけで、単に取り残されているだけ。

そんな自分の話は別として、この曲は、ものすごい名曲で、
歌詞のジョン、曲のポールと言われがちだが、ジョンだって、
こんな良いメロディを書くと、思っていたところへ、ポールが、
「全部自分が作った」と言ったことを、最近知り、かなり驚く。

ビートルズ解散直後に出た、「ビートルズ革命」で、ジョンは、
自己のベストソングの一つに、「イン・マイ・ライフ」を挙げて、
いくつかの曲について、どちらの作曲かを尋ねられた際に、
この曲と「ノルウェーの森」にも、ポールが関わったと話した。

「真ん中の8小節を、ポールに手伝ってもらった。」と言って、
確かに、そこは二人でハモっているので、メロディそのものを、
ポールに書いてもらったか、あるいは、ハモをつけてもらって、
それに合うよう、少しラインを変えたのを指したと、思っていた。

二人のお約束事に、リードボーカルは、主に作った方が歌い、
サビで交代する曲では、別々に書いたのをつなげていたりと、
わりと、はっきりしていたはずだが、ジョンがメインで歌った、
「イン・マイ・ライフ」を、全部ポールが作曲したと言われても。

ジョンのファンは、死人に口なしとばかり、言いたい放題かよ、
ポールのファンは、ポールの書いた名曲を、ジョンが勝手に、
奪ってしまったのか、何てひどいことを、ああ可哀想なポール、
といった具合に、ファン同士は、ちょっとした論争にもなりそう。

ジョンへの思いが強い自分は、当然、ジョンへ肩入れしたいし、
ポールが作った曲を歌ったとして、それを自己の代表作だと、
他人のふんどしで相撲を取るごとく、ジョンは語るのだろうか、
まして、ポールと不仲に近い、解散直後において、ありえるか。

ただ、ポールが語った本、「メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」は、
97年のものだが、88年発行の「ビートルズ全曲解説」の中に、
「メロディーはポールによるものだ。」と、すでに書かれていて、
ジョン亡き後とはいえ、早いうちから、ポール説もあったようだ。

まあ、この曲に限らず、共作について、どっちもどっちと言うか、
ジョンの方はジョンで、「エリナー・リグビーの歌詞を書いた」と、
言ったそうで、二人の思い違いやら、痴話喧嘩が、入り混じり、
ここは、この世とあの世で、勝手にやってくれよ、という気分。

この曲の間奏は、ジョージ・マーティンによる、ピアノ演奏だが、
これについても、ジョンが、「バッハみたいに」と注文したとか、
「エリザベス朝みたいに」、「バロック風に」と、本によって違い、
意味としては同じだろうが、それだけ記憶は曖昧だということ。

どちらにしても、「イン・マイ・ライフ」で歌った、故郷への郷愁が、
さらに発展した楽曲として、今度こそ、それぞれが書いた作品、
「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」「ペニー・レーン」へ、
結実していくのだから、その前段となる共同作品とみても良い。

この曲を特徴づけている一つ、マーティンによるピアノソロは、
オルガンで演奏したら、雰囲気が合わずに、ピアノでやり直し、
ただ、速く弾けないので、テープを半分の速度にして録音して、
それが功を奏して、チェンバロのような響きが、出せたそうだ。

単純にMTRに録音している自分は、速度変更が無理なので、
普通にギターシンセで演奏しているが、当然ながら、ギターで、
ピアノの両手を同時に弾けないから、別々の演奏のダビング、
チェンバロの音は入っていないから、ピアノの音で代用した。

ビートルズの初来日直前に出た、「ラバー・ソウル」に収録され、
過去と現在を見つめる歌詞が素晴らしい、「イン・マイ・ライフ」、
ポールの作曲であろうと、ジョンの歌声、節回しがあってこそと、
いつも以上になりきりつつ、最後の裏声だけは、出せません。





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入門レベルの集大成になる、カルリの練習曲「ポーコ・アレグレット」
カルカッシやソルの練習曲と並んで、初級向教則本で、
おなじみとなっている曲の中に、カルリの練習曲があり、
「ギターをひこう」のテキストには、あまり載っていないが、
阿部保夫の「ギター教室~教則編」は、前半に多く出る。

通信講座で有名な、東京音楽アカデミーのテキストでも、
初級編に出てくる曲は、ほとんどカルリの曲という感じで、
「魔笛」や「グラン・ソロ」の曲で知られる、ソルとは違って、
カルカッシと同様に、練習曲に親しんできたのが、実感。

その中でも、有名というか、いくつかの教則本で見る曲が、
「まどろみ」という副題だった気がして、あちこちを探したら、
芳志戸幹雄「ギターをひこう」で、この曲と見開きページで、
「まどろみ」という曲が載り、それを、ずっと勘違いしていた。

鈴木巌「クラシック・ギター教室・全3巻」では、1巻の最後、
ある意味、初級前編での集大成となる、曲の位置づけで、
転調した後半部もある、長い曲となり、阿部保夫教則本や、
芳志戸テキストは、どうやら前半だけ、抜粋していたようだ。

鈴木教本では、練習曲にも、作品番号を併記しているが、
この曲には書かれてなく、他にカルカッシや、アグアドでも、
初心者向けの曲は同様、これは、まとまった作品集でなく、
彼らが書いた教則本から、抜粋した曲なのかもしれない。

速度記号として、「ポーコ・アレグレット」との表示があって、
芳志戸のテキストでは、それを曲の題名として扱っていて、
その方が区別しやすいが、そう決められた曲のテンポを、
意識すると、いつもながら、自分が遅く弾いていたと気づく。

鈴木教本では、第2巻から、メトロノームの目盛の数字が、
出てきて、100~140とあったら、140が最適の速度で、
100は最低限の速度、それ以下では、練習にもならない、
という解説が書かれ、クラシックの厳しさが、垣間見える。

昔から、自分の得意な、ゆっくりの速度で弾いていたのを、
クラシックギターの曲でも、初見で、どんどん弾けていると、
いい気になっていた自分に、冷や水を浴びせられた気分、
初級編でも、ためになる解説は、かなり多いと再認識した。

楽譜の初見については、20歳前後に、渋谷河合楽器で、
かなり鍛えられたので、多少ゆっくりなら、ピックで弾けば、
たいていの曲は可能だが、音痴というか、音感がないから、
楽譜の指定した音を、ただ、鳴らすという、機械的な作業。

絶対音感どころか、相対音感さえないから、楽譜を見ても、
その音程は浮かばずに、これは、何フレットを押さえるかと、
無意識に指が、その箇所へ動くだけ、実際の音が出るまで、
どんなメロディかは、頭の中に、まったく鳴っていない状態。

プログラムのキーパンチャーとか、活字を組む職人さんが、
プログラムや本の内容を、いちいち覚えたり、理解はせず、
機械的に進めるのに近いが、入力や印刷物が目的である、
それらの作業と、音楽の演奏とでは、まったく意味が違う。

特にクラシックでは、まず、譜面どおりに弾けるのが当り前、
もちろん、自分の出す音階について、きちんとイメージでき、
ミストーン、ミスタッチは厳禁、作曲家の意図を理解しつつ、
自分なりの表現も出していくという、ものすごく険しい道のり。

ただ、昨年から、クラシックギターに、再度取り組んでいて、
簡単な曲から、やり直し、ギターを弾きながら、口ずさむと、
次第に音程がつかめて、ちょっとした楽譜は、ギターなしで、
音符を追っても、そらでメロディーが鳴るようになってきた。   

50歳を過ぎても、ギターは上達できると、ブログで公言して、
毎週のアップを繰り返し、技術的に少しずつ、ましになったし、
こうして、多少、音程も取れるようになると、いずれは音感も、
ついてくるのではと、険しい道のりにも、光がさしてくる感じ。

まあ、こうして、文章にしていくと、いろいろ理屈っぽくなるが、
要するに、ギターが大好きで、もっともっと、うまくなりたいし、
楽しくやるのが一番で、好きな曲ばかり、目が行ってしまうが、
きちんと練習曲にも取り組もうと、足元を見つめ直した次第。

多くの練習曲で知られる、カルリの「ポーコ・アレグレット」を、
テンポを上げると、、爪の甲が、弾いたばかりの弦に当たる、
左指が開放弦を鳴らしてしまうなど、雑音ばかり目立つので、
多少アレグロを意識したくらいで、遅めの演奏となりました。









ジョンは一番嫌いと言うが、隠れた名曲「イッツ・オンリー・ラヴ」
ビートルズ映画、「ビートルズがやってくる」「ヘルプ」のLPは、
アメリカでは、映画で歌われた曲に、オーケストラ曲も加えて、
文字通りのサントラ盤として発売したが、本国のイギリスでは、
映画の曲はA面にまとめて、B面には新曲を入れて、出した。

イギリスでは、シングル盤を買ったファンが、次にLPを買う時、
同じ曲がダブらないように、配慮したと言われて、基本的には、
シングル盤の曲をLPには入れず、例外的にデビュー作のみ、
入れたのと、あとで、LPからシングル・カットした、数枚がある。

日本も含め、通常、シングルがヒットしたら、それに適当な曲、
下手すれば、捨て曲同然のものを加えて、LPで儲けるのが、
業界の常識だったところを、ビートルズは、レパートリーなら、
いくらでもあるとばかり、B面にまで名曲を、惜しみなく入れた。

中学時代、ビートルズのコピーバンドで、プロを目指したから、
全曲コピーの壮大な計画をたてたが、まずは、ヒット曲でなく、
隠れた名曲を、ものにしようと通ぶって、シングルのB面だの、
LPのB面に、さりげなく入っている佳曲を、目ざとく演奏した。

アルバム「ヘルプ」のB面収録の、「イッツ・オンリー・ラヴ」は、
メロディがマイナー調で、サビでは、シャウト気味に歌うのが、
気に入ったし、何より、弾き語りで成立するような編曲なので、
ジョンとジョージの二人きりの、コピーバンドには、うってつけ。

ジョンは80年のインタビューで、この曲を、「一番嫌いな曲だ、
歌詞が最悪。」と、酷評したらしいが、75年当時の自分たちは、
そんなジョンの思いなど知らずに、これこそ隠れた名曲だぞと、
気に入ってレパートリーにし、けっこう、いい線いっていたかと。

イントロのアコギに、2小節遅れて、高音のアコギが加わるが、
ハイポジションのコードで、最後まで押さえるのは大変だから、
カポタストをつけた方が楽だろうかと、試したら、雰囲気が出て、
ジョージ役の友人と、そっくりな音が出たと、異様に盛り上がる。

今では、情報も多く、高音は、「悲しみをぶっとばせ」でも使った、
12弦ギターで弾き、5フレットにカポタストをつけたと分かるが、
自分らは、普通のアコギに、8フレットカポタストにしていたから、
何となく似た音だった程度で、それでも、完コピした気分だった。

一般に12弦ギターは、3~6弦に、1オクターブ高い弦が加わり、
1~2弦は、同じ弦を2本にしているので、5フレットのカポでは、
一番高い開放弦の音は、3弦のド、これは1弦8フレの音だから、
自分らの耳コピも、まったくの勘違いでは、なかったかなと思う。

この曲は、弾き語りにもできるが、ギターは5~6本が使われて、
コードを弾くアコギに、12弦ギター、エレキギターのカッティング、
単音の裏メロ、イントロやサビのエレキのメロディは、単音弾きと、
コード弾きの2本のようで、けっこう凝ったアレンジになっている。

イントロとか、何度か出てくるエレキのエフェクトは、本によっては、
「アイ・ニード・ユー」でも使った、ワウ・ペダルと書かれているが、
どう聴いても、ワウ・ペダルでなく、そもそも、あの曲で使ったのは、
ボリューム・ペダルだし、この「イッツ~」の音色は、それでもない。

後にジョージが多用する、レズリー・スピーカーも、「ヘルプ」当時、
まだ導入されていなかったし、レズリー特有の音程のうねりもない、
同様に、うねりがないから、フェイザーやフランジャーではないし、
昔のアンプに、よく内蔵されていた、「トレモロ」による音だと思う。

ベンチャーズに代表される、テケテケ・サウンドで、よく使われた、
ギターアンプに内蔵の「トレモロ」、または「ビブラート」の装置で、
音量を一定の周期で上下できるので、細かく音を途切れさせると、
「アルハンブラの思い出」のトレモロ奏法に、近い感じにもできる。

ジョージ役の友人とお揃いで買った、ヤマハのアンプにもあって、
どっちの家で練習するときも、「トレモロ」が使えたから、この曲は、
そうやって弾いたし、フェイザーなどエフェクターが買えないから、
何となくレズリーに近い音も出せると、わりと重宝して使っていた。

ビートルズのLP「ヘルプ」のB面に、映画とは無関係の曲の中に、
埋もれ、ジョンは一番嫌いだと言った、「イッツ・オンリー・ラブ」を、
ジョンに申し訳ないが、自分は昔から好きな曲なので、なりきって、
Aメロは情けなさそうに、サビは声をふりしぼったよう、歌いました。






初級から上級まである、ソル練習曲から、初級「作品60第20番」
中2で見た、荘村清志が講師の教育TV「ギターをひこう」が、
自分のクラシックギターの原点と、何度となく書いているが、
その前、中1の時、最初のギターと一緒に買ってもらたのが、
以前の講師である阿部保夫の「NHKギター教室~教則編」。

その教本も、番組のテキストでも、カルカッシの練習曲から、
ソルの練習曲へと進むから、カルカッシが初級だと思ったし、
荘村のテキストでは、初級編にカルカッシ、中級編にソルと、
分かれていたので、自分の中のイメージが、できあがった。

当然ながら、ソルも初級向けの曲があるし、以前の記事に、
書いたように、カルカッシの「25の練習曲・作品60」なんか、
前半の曲でさえ、今の自分には、全然弾けない難曲ばかり、
中級者の試金石となるレベルで、全然初級どころではない。

現代ギターの88年増刊号、「ソル/エチュードのすべて」に、
約120ある練習曲の難易度が出て、初級から上級と幅広く、
ソル本人も、練習曲集の題名を、難易度や曲の目的などで、
エチュード、エクササイズ、レッスン、ピースと、分けたそうだ。

巨匠セゴビアは、その作品群の中から、20曲を選びだして、
自らの運指をつけ、一部は音程も変えて、出版しているが、
選曲は、上級向けの作品番号6に集中して、晩年のソルが、
初級用に作曲した作品60からは、1曲も採用されていない。

現代ギター「ソル~」の付録楽譜は、29曲が選ばれていて、
作品44からは皆無、作品60から、第25番の1曲があるが、
この29曲は、セゴビアとイエペスが選んだ曲を載せたようで、
単に、イエペス編の「25の練習曲」にあるから、という程度か。

セゴビアのお目にかなった20曲以外は、あまり演奏されず、
それどころか、ソル以外の作曲者による練習曲、アグアドや、
カルリ、コスト、ジュリアーニが、比較的、録音が少ないのを、
セゴビアの功罪とするのは、あまりに神格化しすぎだろうか。

ところで、ソルの練習曲集は、全12曲、全24曲が大半で、
これは西欧の十二進法による、決まった数かと解釈したが、
そのソルや、カルカッシにも、「25の練習曲」があるわけで、
イエペス編のソル練習曲集も25曲で、また勝手な思い込み。

ただ、偶然だろうが、カルカッシ、ソルの「25の練習曲」とも、
どちらも作品番号は、60になっているから、これまた60とは、
60秒、60分に通じていると、勝手に深読みしてしまいそうで、
ちょっとしたことでも、言葉遊び、数字遊びに繋げる悪い癖。

80年前後、渋谷河合楽器で、ジャズギターを習っていた頃、
ジャズのバークリー教本と、合わせて使った、鈴木巌による、
「演奏家を志す人のためのクラシック・ギター教本」全3巻は、
ソルの練習曲が、1巻の最初から、カルカッシと共に出てくる。

上級編と呼べる第3巻も、カルカッシやソルの練習曲があり、
ソルは最後の最後、教本の集大成として、掲載された3作品、
タレガ「アラビア風奇想曲」、ソル「グラン・ソロ」、「魔笛~」の、
直前にまであって、最上の練習曲という、お墨付きの1曲か。

その鈴木教本には、初級向けの作品60からも、5曲載って、
セゴビア、イエペスからは、冷遇されがちな(?)作品60だが、
このあたりから、取り組むのが、自分にはちょうど良いレベル、
特に20番は、ソルの有名な練習曲「月光」を彷彿させる佳曲。

この曲は、二声、対旋律を学ぶ章にあるが、低音と高音とを、
分けて弾くことより、最初の2小節に出てくる、プリング・オフ、
ハンマリング・オンの、リガード奏法がやっかいで、4弦で弾く、
低音を伸ばしたまま、2弦ではリガード奏法で、高音を奏でる。

低音を押さえるから、左指は大きく動かせなくて、ただでさえ、
苦手なリガードの音量は、か細くなる一方で、次の音が突然、
大きく鳴るのは変だから、全体的に、小さい音へとそろえるが、
右手のタッチがコントロールできずに、急に大きい音が出たり。

特に、親指で弾く時に、大音量になったり、逆に小さすぎたり、
もともと、自分の右手親指の、コントロールには問題があって、
関節が硬く、逆反りできないのも原因なのか、トレモロ奏法も、
メロディより、低音部ばかり目立ってしまうのが、悪癖の一つ。

これは、何度もブログに書いては、一向に上達しないままだが、
簡単な練習曲を活用し、完璧な左右のタッチのコントロールを、
身につけないことには、実力を省みないまま、中級以上の曲を、
ごまかしながら演奏できても、まったくの自己満足に過ぎない。

技術的に、初心者向けではあるが、ソルが晩年に書いたゆえ、
音楽的に充実した内容とされる、作品60「25の練習曲」から、
リガード奏法と、対旋律を学べる、中級レベルに近い練習曲、
第20番を、音量のコントロールを気にしつつ、演奏しました。





アルプスをバックに、雪上で4人がはじける、「涙の乗車券」
ビートルズの2作目の映画、「ヘルプ!四人はアイドル」は、
バハマとアルプスの海外ロケがあり、前作がヒットしたので、
ご褒美を兼ね、彼らの行きたいところをロケ地にしたそうで、
ストーリーと関係なしに、唐突に海外になる、ムチャな設定。

アルプスでスキーを楽しみたいという、誰の要望だったのか、
オーストリアのザルツブルクへと出かけるが、映画の中では、
リンゴの指輪を狙って、自宅を襲撃された場面のあと、急に、
「一行はアルプスへ避難した」の字幕だけで、片付けられる。

「涙の乗車券」が流れて、ここはレコーディング場面と違い、
楽器を手に演奏するより、アルプスで、はしゃぎ回っている
4人の姿を追っていて、そりに乗ったり、スキーをしたりと、
好き勝手にさせて撮影し、音楽に合わせて編集したそうだ。

それが、まさにPVの元祖みたいな、素晴らしい映像なので、
監督のリチャード・レスターは、のちのMTV全盛時になって、
「あなたは、MTVの父です」という、表彰状をもらったそうで、
監督は、「DNA鑑定したのかい?」と、ジョークを言ったとか。

雪山の上に置かれた、グランドピアノを囲んで、歌う場面や、
ジョンが手本を示し、向かい合った3人が真似る準備体操に、
雪面を転がったり、ターンに失敗して、後ろ向きに滑降したり、
ゲレンデに座り込んでのランチと、楽しそうに、はしゃいでる。

4人が手をつないで、後ろ向きに、雪面に倒れ込む場面は、
かなり多くの人が、スキー場で、真似したのではと想像でき、
音楽の終わった後も、1台のそりに、4人で重なって乗ったり、
カーリングをしたりと、雪山での遊び方まで、紹介してくれる。

ビートルズも、おそらく初めてなのであろう、スキーを楽しみ、
それが、スクリーンから伝わり、こっちまで嬉しくなってくるし、
本当に、この頃は、4人が仲良かったんだなあ、と感慨深く、
あの「レット・イット・ビー」の、ぎすぎすした雰囲気と、対照的。

今、見返していたら、邦画の「私をスキーに連れてって」での、
「恋人はサンタクロース」の曲が流れる、ゲレンデでの場面は、
この「涙の乗車券」の場面に、かなり影響されているのではと、
何でも、ビートルズに結びつける、自分の悪い癖が出てくる。

この曲のリードギターは、後半に、バハマのビーチで演奏する、
「アナザー・ガール」と共に、ジョージでなく、ポールだったのは、
今では周知の事実だが、いつ頃から、そうした裏話でもないが、
レコーディングの詳細などが、知られるようになったのだろう。

76年頃、渋谷の東急本店で、ビートルズ・フェアーが開催され、
「がむがむ」というフォーク・グループの、生演奏があった時に、
ベース担当の柿沼が、「アンド・ユア・バード・キャン・シング」の、
リードギターはポールだと、ビートルズネタを、曲間で話し出す。

すかさず、ギターの宮城が、「それは、違いますよ。ポールが、
ギターを弾いたのは、タックスマンですよ。」と、訂正していて、
自分も、「ああ、それならば知っているよ。」と、納得したのだが、
タックスマンの件も、今思えば、どこで読んだり、聞いたのだか。

ちなみに、この数年後に、ARBやチューリップにベースとして、
加入する宮城は、この時、ギブソンの、チェリーサンバーストの、
レスポールを弾いて、オリジナル曲では、泣きのフレーズから、
早弾きがすごくて、レコードを買ったが、早弾きの曲はなかった。

今では、チューリップのベーシストとして知られる、この宮城が、
リードギターの名手だったように、ポールは、元々ギタリストで、
この「ヘルプ」のアルバムあたりから、ギターも弾くようになるが、
そのことから、ジョージはポールより下手だと、言われがちに。

ジョージの弁解でもないが、ポールがギターだったアマ時代に、
ギターのうまい後輩がいると、連れてこられたのがジョージだし、
「涙の乗車券」のライブ演奏では、ポールが弾いたフレーズを、
ジョージは、苦もなく完コピで再現し、弾けないわけではない。

映画での「アナザー・ガール」の演奏場面でも、ジョージの指は、
ポールのフレーズに沿うように、あて振りしていて、技術的に、
決してジョージが劣っていたわけではないが、ポールとしては、
自分の思いついたフレーズを、自分で弾きたかったのだと思う。

このあたり、「レット・イット・ビー」の中で、ジョージのフレーズに、
ポールが注文をつけ、口論となり、「じゃあ、言うとおりに弾くよ、
それで満足だろう。」と、目を覆いたくなる場面を、思い出すが、
「ヘルプ」の頃は、それでも、何とか、仲良くやっていけたのに。

「涙の乗車券」は、ジョンがメインボーカルの曲なので、昔から、
歌っていて、今回、歌詞カードを見て歌うと、字余りになったり、
メロディとずれてしまい、耳で覚えた、「ドノ・ワシ・ラン・ソ・ハア、
シャル・トワ、シャル・ドラ・バイ・ミー」の方が、本物らしくなった。
 
ビートルズの映画「ヘルプ!」で、アルプスのスキーで流れる曲、
楽しそうに4人が、はじけている、「涙の乗車券」を歌いましたが、
ポールの高音ハモは、相変わらず、かすれたり、無声音となり、
ジョンの歌は、何とか出てますが、エンディングのは無理でした。












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