僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
大晦日になっての、突然のニュースに、ただただ驚いています。
ラジオでかかる曲を聴いていたら、どれも口ずさめる名曲ばかり、
いてもたってもいられず、コードだけかき鳴らして、録音しました。
ラジオでかかる曲を聴いていたら、どれも口ずさめる名曲ばかり、
いてもたってもいられず、コードだけかき鳴らして、録音しました。
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週末のブログ更新をこころがけ、時に、強引な更新で、
ミスだらけのまま、ギター演奏をアップしてしまったり、
支離滅裂な内容の記事を、ろくに校正もなしに載せて、
もう少し時間をかければと、反省も多かった、この一年。
こんなブログへ、いつも訪問してくださるブログ仲間、
たままた検索に引っかかって、期待はずれだった方、
すべての訪問者の方々へ、感謝をこめて何か1曲と、
これまた、強引すぎる、一年のしめくくりと、なります。
ビートルズは、デビュー作「ラブ・ミー・ドゥ」に比べて、
2枚目のシングル盤、「プリーズ・プリーズ・ミー」が、
ヒットしたので、応援してくれたファンへの感謝を込め、
3枚目となる、「フロム・ミー・トゥ・ユー」を書いたとか。
「たくさん買ってくれて、ありがとう。、ファンのみんな、
次の曲は、愛をこめて、届けるよ。」と、いう意味らしく、
さらに、ラジオ番組が決まると、「ミー」を「アス」にして、
「フロム・アス・トゥ・ユー」を、番組のタイトルにもする。
その感謝の気持ちをこめた歌に、無理やり便乗する形、
あれだけ、歌はNGだ、音痴だと、避けてきたところを、
もう、自分のビートルズ熱は、とまりませんとばかりに、
自分の歌える音域を超え、かすれ声にもめげず録音。
ビートルズの3枚目のシングルA面、本国イギリスでは、
アルバム収録されなかった曲なのに、日本編集盤では、
1枚目「ビートルズ!」収録「フロム・ミー・トゥ・ユー」を、
みなさんへ感謝をこめ、懲りずに、歌入りのアップです。
とにもかくにも、この一年間、拙ブログをご覧いただき、
さらに、励ましやアドバイス、共感のコメントもいただき、
本当、感謝でいっぱいで、みなさんの応援がなければ、
飽きっぽい自分は、とっくにブログをやめたことでしょう。
本当に、この一年間、ありがとうございました。
そして、来年もまた、よろしくお願いいたします。
ミスだらけのまま、ギター演奏をアップしてしまったり、
支離滅裂な内容の記事を、ろくに校正もなしに載せて、
もう少し時間をかければと、反省も多かった、この一年。
こんなブログへ、いつも訪問してくださるブログ仲間、
たままた検索に引っかかって、期待はずれだった方、
すべての訪問者の方々へ、感謝をこめて何か1曲と、
これまた、強引すぎる、一年のしめくくりと、なります。
ビートルズは、デビュー作「ラブ・ミー・ドゥ」に比べて、
2枚目のシングル盤、「プリーズ・プリーズ・ミー」が、
ヒットしたので、応援してくれたファンへの感謝を込め、
3枚目となる、「フロム・ミー・トゥ・ユー」を書いたとか。
「たくさん買ってくれて、ありがとう。、ファンのみんな、
次の曲は、愛をこめて、届けるよ。」と、いう意味らしく、
さらに、ラジオ番組が決まると、「ミー」を「アス」にして、
「フロム・アス・トゥ・ユー」を、番組のタイトルにもする。
その感謝の気持ちをこめた歌に、無理やり便乗する形、
あれだけ、歌はNGだ、音痴だと、避けてきたところを、
もう、自分のビートルズ熱は、とまりませんとばかりに、
自分の歌える音域を超え、かすれ声にもめげず録音。
ビートルズの3枚目のシングルA面、本国イギリスでは、
アルバム収録されなかった曲なのに、日本編集盤では、
1枚目「ビートルズ!」収録「フロム・ミー・トゥ・ユー」を、
みなさんへ感謝をこめ、懲りずに、歌入りのアップです。
とにもかくにも、この一年間、拙ブログをご覧いただき、
さらに、励ましやアドバイス、共感のコメントもいただき、
本当、感謝でいっぱいで、みなさんの応援がなければ、
飽きっぽい自分は、とっくにブログをやめたことでしょう。
本当に、この一年間、ありがとうございました。
そして、来年もまた、よろしくお願いいたします。

「カルカッシ25の練習曲・第2番」は、右手のための練習、
特に、中指と薬指の交互運動に、重点をおいた練習曲で、
基本形は、5・3・2・1弦によるアルペジオに続け、1弦で、
同じ音程のまま、中指、薬指で、二回ずつ繰り返して弾く。
左手の運指は、開放弦を含む、第1ポジションから始まり、
10フレットのセーハまで、パターンごとに変化していくので、
低位置から高位置への移動の際、どの指を起点にするか、
早め早めに、次のポジションを探る、練習にもなっている。
こうした曲は、暗譜の苦手な自分でも、必死で覚えないと、
ポジション移動を気にして、右手の動きがおろそかになる、
逆に右手でとらえる弦を探して、左手の位置がずれたりと、
両手が足を(?)引っ張る形で、まったく演奏にはならない。
練習曲に限らず、無意識に両手が動くよう、暗譜しておき、
左手のポジションの移動や、右手で弾く弦の位置などは、
せいぜい確認程度に、目で追うくらいに、できない限りは、
聴かせる演奏とは呼べないが、今の自分は、まず不可能。
少しくらい暗譜しつつ、譜面で確認しながらの演奏ばかり、
次にどこを押さえるかと、そちらに意識が集中するあまり、
音色を作ったり、フレーズを歌わせるまで、手が回らずに、
さらに雑音が鳴るわ、ミストーンと、良いところはない状態。
それでも、テンポをゆっくりにすると、譜面を見るにしても、
思い出して弾くにしても、余裕が出てくるようで、音色など、
気にかけることができるが、逆に、自分の音が聴けてくると、
雑音にも気づくので、基礎テクニックのなさを痛感する次第。
それを克服するために、練習曲へと立ち返ったつもりだが、
その練習曲にも苦労する始末で、いったい、どこまで戻り、
練習すれば良いのかと、ピックでエレキギターを弾くことに、
なまじ自信があるから、あまりのギャップに落ち込むことも。
そう嘆きつつ、クラシックギターで弾きたい曲が、多いので、
そのためには、基礎から練習しないと、話にならないのだと、
自分に言い聞かせ、しかも、ベンベラベンっと、弾きこなし、
拍手喝采を浴びるのを想像すると、俄然やる気が出てくる。
ギターが好きなこともあるが、基本、楽観的な性格だったり、
すぐに気分転換できたりするので、今まで続けてこれたし、
家族からは、仕事も含めて、お気楽で、おめでたい性格と、
あきれられているが、この歳で、性格が変わるわけもない。
それで、めげずに、カルカッシの第2番に取り組むわけだが、
鈴木巌「クラシックギター教本」で、指定されているテンポ、
1拍が72~108のところ、一番遅い72の速度でも難しくて、
メトロノームに合わせようとしても、どんどん遅れていく一方。
やはり、中指、薬指で交互に弾くときに、ついていけなくて、
トレモロ練習ではないが、開放弦を使って、ひたすら交互に、
右指を動かしてみると、次第に指が、つりそうになってきて、
右手の弱点は、薬指にあると、何かで読んだのを実感する。
渋谷河合楽器のギター教室で、クラシックに詳しい先生から、
ピックで弾いても、良い練習になると、薦められた本の一つに、
ホセ・ルイス・ゴンサレスの「ギター・テクニック・ノート」があり、
スケール、アルペジオ、セーハといった、項目が載っている。
アルペジオの練習を、ピックで弾くのは、かなり難しかったが、
それ以上に、「左手各指の独立練習」は、小指を鍛えられたし、
「左手各指間の拡張」は、手が小さいと、言い訳してた自分に、
この練習を徹底的にやるようにと、先生からアドバイスされた。
そんな教本の冒頭は、「序章 左右両手の基礎練習」となり、
左手は、1本の弦上で、12フレットまで、ドレミの順に押さえ、
右手は、ド・ド、レ・レと、m・aの2連符で弾き、一通り弾くと、
ド・ド・ドと、m・a・mの3連符、さらに、m・a・m・aへと進む形。
文章にすると、わかりにくいが、要は、右手は、中指・薬指と、
交互に繰り返し、その回数を増やすことで、鍛えるのが目的、
右指の組み合わせも、次第に、i・a、i・mや、i・a・i、i・m・aと、
変えていくが、最初に練習するのが、m・aというのがポイント。
クラシックギターを弾く人には、わかるだろうが、初級教本で、
最初に覚えるのは、開放弦を用いて、右指で弾く練習であり、
当然に、人差し指、中指の交互から始まり、拡張するが普通、
m・aから始めたのは、いかに苦手を克服するかの、表れかと。
それで、m・aの交互練習という、機械的な練習をやってから、
カルカッシの第2番へ移るが、そう簡単には、うまくならないし、
アルアイレで弾くと、勢い余って、2弦をひっかけてしまったり、
アポヤンドでは、休めた指を上げるとき、開放弦が小さく鳴る。
右手のコントロールができていないから、早く弾けないうえに、
雑音、ミストーンが多いのだろうが、こうして練習曲を弾いて、
何が自分の欠点か、どこを集中的に、取り組むべきなのかが、
わかるから、練習曲だと馬鹿にできないし、やりがいもある。
もう、来年の話をしても、鬼も笑わないだろうから、書くのだが、
クラシックギターで弾きたい曲の大半が、難易度は高いから、
カルカッシ、ソルの練習曲をアップしつつ、テクニックをつけて、
さらには、その練習曲を弾くために、機械的な練習も続ける。
しばらくは、取り組む予定でいる、「カルカッシの25の練習曲」、
その第2番を、鈴木教本に、「同じ音質、同じ強さになるように」
「はじめは極めてゆっくり」と、演奏のアドバイスにあったものの、
なかなか弾けないままで、いつも以上に、ミスが多い演奏です。
特に、中指と薬指の交互運動に、重点をおいた練習曲で、
基本形は、5・3・2・1弦によるアルペジオに続け、1弦で、
同じ音程のまま、中指、薬指で、二回ずつ繰り返して弾く。
左手の運指は、開放弦を含む、第1ポジションから始まり、
10フレットのセーハまで、パターンごとに変化していくので、
低位置から高位置への移動の際、どの指を起点にするか、
早め早めに、次のポジションを探る、練習にもなっている。
こうした曲は、暗譜の苦手な自分でも、必死で覚えないと、
ポジション移動を気にして、右手の動きがおろそかになる、
逆に右手でとらえる弦を探して、左手の位置がずれたりと、
両手が足を(?)引っ張る形で、まったく演奏にはならない。
練習曲に限らず、無意識に両手が動くよう、暗譜しておき、
左手のポジションの移動や、右手で弾く弦の位置などは、
せいぜい確認程度に、目で追うくらいに、できない限りは、
聴かせる演奏とは呼べないが、今の自分は、まず不可能。
少しくらい暗譜しつつ、譜面で確認しながらの演奏ばかり、
次にどこを押さえるかと、そちらに意識が集中するあまり、
音色を作ったり、フレーズを歌わせるまで、手が回らずに、
さらに雑音が鳴るわ、ミストーンと、良いところはない状態。
それでも、テンポをゆっくりにすると、譜面を見るにしても、
思い出して弾くにしても、余裕が出てくるようで、音色など、
気にかけることができるが、逆に、自分の音が聴けてくると、
雑音にも気づくので、基礎テクニックのなさを痛感する次第。
それを克服するために、練習曲へと立ち返ったつもりだが、
その練習曲にも苦労する始末で、いったい、どこまで戻り、
練習すれば良いのかと、ピックでエレキギターを弾くことに、
なまじ自信があるから、あまりのギャップに落ち込むことも。
そう嘆きつつ、クラシックギターで弾きたい曲が、多いので、
そのためには、基礎から練習しないと、話にならないのだと、
自分に言い聞かせ、しかも、ベンベラベンっと、弾きこなし、
拍手喝采を浴びるのを想像すると、俄然やる気が出てくる。
ギターが好きなこともあるが、基本、楽観的な性格だったり、
すぐに気分転換できたりするので、今まで続けてこれたし、
家族からは、仕事も含めて、お気楽で、おめでたい性格と、
あきれられているが、この歳で、性格が変わるわけもない。
それで、めげずに、カルカッシの第2番に取り組むわけだが、
鈴木巌「クラシックギター教本」で、指定されているテンポ、
1拍が72~108のところ、一番遅い72の速度でも難しくて、
メトロノームに合わせようとしても、どんどん遅れていく一方。
やはり、中指、薬指で交互に弾くときに、ついていけなくて、
トレモロ練習ではないが、開放弦を使って、ひたすら交互に、
右指を動かしてみると、次第に指が、つりそうになってきて、
右手の弱点は、薬指にあると、何かで読んだのを実感する。
渋谷河合楽器のギター教室で、クラシックに詳しい先生から、
ピックで弾いても、良い練習になると、薦められた本の一つに、
ホセ・ルイス・ゴンサレスの「ギター・テクニック・ノート」があり、
スケール、アルペジオ、セーハといった、項目が載っている。
アルペジオの練習を、ピックで弾くのは、かなり難しかったが、
それ以上に、「左手各指の独立練習」は、小指を鍛えられたし、
「左手各指間の拡張」は、手が小さいと、言い訳してた自分に、
この練習を徹底的にやるようにと、先生からアドバイスされた。
そんな教本の冒頭は、「序章 左右両手の基礎練習」となり、
左手は、1本の弦上で、12フレットまで、ドレミの順に押さえ、
右手は、ド・ド、レ・レと、m・aの2連符で弾き、一通り弾くと、
ド・ド・ドと、m・a・mの3連符、さらに、m・a・m・aへと進む形。
文章にすると、わかりにくいが、要は、右手は、中指・薬指と、
交互に繰り返し、その回数を増やすことで、鍛えるのが目的、
右指の組み合わせも、次第に、i・a、i・mや、i・a・i、i・m・aと、
変えていくが、最初に練習するのが、m・aというのがポイント。
クラシックギターを弾く人には、わかるだろうが、初級教本で、
最初に覚えるのは、開放弦を用いて、右指で弾く練習であり、
当然に、人差し指、中指の交互から始まり、拡張するが普通、
m・aから始めたのは、いかに苦手を克服するかの、表れかと。
それで、m・aの交互練習という、機械的な練習をやってから、
カルカッシの第2番へ移るが、そう簡単には、うまくならないし、
アルアイレで弾くと、勢い余って、2弦をひっかけてしまったり、
アポヤンドでは、休めた指を上げるとき、開放弦が小さく鳴る。
右手のコントロールができていないから、早く弾けないうえに、
雑音、ミストーンが多いのだろうが、こうして練習曲を弾いて、
何が自分の欠点か、どこを集中的に、取り組むべきなのかが、
わかるから、練習曲だと馬鹿にできないし、やりがいもある。
もう、来年の話をしても、鬼も笑わないだろうから、書くのだが、
クラシックギターで弾きたい曲の大半が、難易度は高いから、
カルカッシ、ソルの練習曲をアップしつつ、テクニックをつけて、
さらには、その練習曲を弾くために、機械的な練習も続ける。
しばらくは、取り組む予定でいる、「カルカッシの25の練習曲」、
その第2番を、鈴木教本に、「同じ音質、同じ強さになるように」
「はじめは極めてゆっくり」と、演奏のアドバイスにあったものの、
なかなか弾けないままで、いつも以上に、ミスが多い演奏です。

今年のクリスマスには、どんな曲を演奏しようかと思い、
せっかく、クラシックギターを練習し続けているのだから、
名曲「戦場のメリークリスマス」を、佐藤弘和が編曲して、
村治佳織が演奏した楽譜で弾いてみると、難しすぎた。
「戦場のメリークリスマス」というと、映画そのものよりも、
当時聴いてた、「ビートたけしのオールナイトニッポン」の、
ロケ現地からのレポートや、大島監督、坂本龍一らとの、
あること・ないことの、ギャグエピソードの方が、印象的。
「オレたちひょうきん族」の中で、ビートたけし本人が出て、
「戦場のメリーさんの羊」という、パロディをやったのにも、
ゲラゲラ笑っていて、映画本編を見たのは、その数年後、
いろいろ含蓄に富む、難しいストーリーだと、初めて知る。
そして、何よりも、映画そのものよりも、音楽が印象的で、
特にラストシーンに流れる、テーマ曲が、全部さらってく、
たけしの台詞、「メリー・クリスマス、ミスター・ローレンス」、
それと相まって、すべてを総括するごとく、心に残った。
「戦場のメリークリスマス」は、映画の中で流れるのは、
シンセの多重録音だが、作曲者の坂本龍一、本人が、
ピアノソロで演奏し、その編曲の楽譜も出版されていて、
どちらも捨てがたい演奏で、メロディが光っているせいか。
シンセの場合は、風の音が少しずつ、強まってくるよう、
イントロがフェイドインしてくるが、ピアノは、リリカルに、
転がるような和音と、その上で、繰り返すアルペジオが、
水模様が広がったり、花びらが開くような光景が浮かぶ。
このあたり、ピアノの高音のイメージは、教育テレビでの、
理科の番組で、土の中から芽が出たり、雨が降ったりと、
スロー再生する場面で、何かと、ピアノが高い音域を使い、
ティントロ、ティントロと鳴っていたのが、刷り込まれたか。
そのイントロを、佐藤弘和の編曲は、うまく取り入れてて、
ハイポジションでセーハしたり、開放弦を鳴らしたりして、
和音を響かせながら、アルペジオのフレーズを続けるし、
テーマでも、最初は低音、次にオクターブ上げたりする。
ピアノの弾けない自分は、それゆえ、すごくピアノ曲へ、
憧れがあり、何とか、その音をギターで再現できないか、
良い編曲はないかと思うが、この佐藤編曲の「戦メリ」は、
見事で、それだけに難易度も高くて、ほとんど弾けない。
「ジングルベル」や、「サンタが街にやってくる」といった、
定番のクリスマス・ソングを、ソロギターの編曲で弾くか、
「聖母と御子」といった、純粋なクラシックギターの曲で、
クリスマスを思わせる曲にしようか、あれこれ思い悩む。
そうこうするうち、ブロとものマジェさんに、嬉しいことに、
「戦場のメリークリスマス」を、リクエストしていただき、
待ってましたとばかり、ここは、佐藤編曲に挑戦するも、
クラシックの基礎ができていないから、難易度が高すぎ。
クリスマスぎりぎりまではと、練習を続けてみたものの、
すぐに上達するわけもなく、いつものごまかし半分となる、
その程度のレベルにさえ達しなくて、残りが数日となって、
この編曲は無理、昔練習した、南澤大介の編曲にする。
リットー「ソロ・ギターのしらべ」は、2000年から始まり、
10冊以上もの続編が、今も出版される、ベストセラーで、
おそらく、「ソロギ」という呼び方は、この楽譜集のヒットで、
一般的になったというほど、大きな流れを作ったシリーズ。
「メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス」の、原題表記で、
2作目に収録されていて、この後、メジャーデビューする、
押尾コータローによる、タッピング奏法の編曲が出るまで、
ギターで演奏するには、この編曲が一般的だったと思う。
原曲は、キーがD♭となっているのを、半音下げ、Cとして、
後半の行進するような部分を省略していたり、イントロや、
テーマの繰り返しを省略しているが、ソロギ・シリーズは、
楽譜を1ページに収める方針なので、そうなったのだろう。
それでも、すごく原曲の感じ気が出ている、見事な編曲で、
せっかくだから、ギターの1フレットに、カポタストをつけて、
キーは、ピアノ演奏と同じD♭にしたが、そうは言っても、
ギターとピアノでは、基本的に使う音域が、オクターブ違う。
そもそもピアノの方が、低い音域も、高い音域も広いが、
最初に覚える、ドレミファで弾く音域、メロディで使われる、
中心的な音域が、ギターは、ピアノより1オクターブ低くて、
それだけでも、編曲したときに、雰囲気が変わってしまう。
無理やり、高い音で始めると、途中で、高音が出なくなり、
これは、女性コーラスを無理やり、男が歌うようなものか、
それに加えて、ピアノの低音部は、ギターより低く出るから、
こちらは、ギターがオクターブ上にしたりと、編曲は苦労。
自分がギターを弾くから、こうした苦労も含めて、楽しいし、
ピアノやオーケストラの音を、どこまで再現できてる編曲か、
あるいはギター特有の響きへと、見事に料理した編曲かと、
市販の楽譜や、プロの演奏するCDを、買い集めてしまう。
ただ、ギターを弾かない人、ギター音楽に興味ない人には、
原曲のピアノ演奏、オーケストラ演奏で、何が不満なのか、
無理やりギターで弾いて、何がしたいんだと思われがちで、
このあたり、あまりにギタリスト目線でいるのは、反省もの。
「絶対音階」という本には、移調について書かれた箇所で、
音には色彩があるので、キーが変わると、その色も変わる、
なぜ作曲家が、わざわざ、そのキー、音程を指定したのか、
それを考えれば、別の調に変えることは、信じられないと。
それもあって、今回、カポタストをつけることで、坂本龍一が、
シンセでも、ピアノでも、そのキーで弾いた、D♭にするが、
♭が多い調にすることで、不安感が増すとか、言われても、
絶対音感どころか、相対音階もない自分には、わからない。
まあ、こうした理屈みたいなことは、抜きにして、音楽自体、
演奏自体が素晴らしければ、万事良しとすべきであろうし、
これからも、自分はギターを弾き続け、時にピアノなどには、
嫉妬しながら、ギターならではの編曲、演奏を目指していく。
クリスマス向け演奏が、年寄りの長話になってしまったが、
坂本龍一も出演した映画、「戦場のメリークリスマス」から、
クリスマスの定番、癒し系の定番曲ともなった、テーマ曲を、
南澤大介の編曲で、クラシックギター(ガット)の演奏です。
せっかく、クラシックギターを練習し続けているのだから、
名曲「戦場のメリークリスマス」を、佐藤弘和が編曲して、
村治佳織が演奏した楽譜で弾いてみると、難しすぎた。
「戦場のメリークリスマス」というと、映画そのものよりも、
当時聴いてた、「ビートたけしのオールナイトニッポン」の、
ロケ現地からのレポートや、大島監督、坂本龍一らとの、
あること・ないことの、ギャグエピソードの方が、印象的。
「オレたちひょうきん族」の中で、ビートたけし本人が出て、
「戦場のメリーさんの羊」という、パロディをやったのにも、
ゲラゲラ笑っていて、映画本編を見たのは、その数年後、
いろいろ含蓄に富む、難しいストーリーだと、初めて知る。
そして、何よりも、映画そのものよりも、音楽が印象的で、
特にラストシーンに流れる、テーマ曲が、全部さらってく、
たけしの台詞、「メリー・クリスマス、ミスター・ローレンス」、
それと相まって、すべてを総括するごとく、心に残った。
「戦場のメリークリスマス」は、映画の中で流れるのは、
シンセの多重録音だが、作曲者の坂本龍一、本人が、
ピアノソロで演奏し、その編曲の楽譜も出版されていて、
どちらも捨てがたい演奏で、メロディが光っているせいか。
シンセの場合は、風の音が少しずつ、強まってくるよう、
イントロがフェイドインしてくるが、ピアノは、リリカルに、
転がるような和音と、その上で、繰り返すアルペジオが、
水模様が広がったり、花びらが開くような光景が浮かぶ。
このあたり、ピアノの高音のイメージは、教育テレビでの、
理科の番組で、土の中から芽が出たり、雨が降ったりと、
スロー再生する場面で、何かと、ピアノが高い音域を使い、
ティントロ、ティントロと鳴っていたのが、刷り込まれたか。
そのイントロを、佐藤弘和の編曲は、うまく取り入れてて、
ハイポジションでセーハしたり、開放弦を鳴らしたりして、
和音を響かせながら、アルペジオのフレーズを続けるし、
テーマでも、最初は低音、次にオクターブ上げたりする。
ピアノの弾けない自分は、それゆえ、すごくピアノ曲へ、
憧れがあり、何とか、その音をギターで再現できないか、
良い編曲はないかと思うが、この佐藤編曲の「戦メリ」は、
見事で、それだけに難易度も高くて、ほとんど弾けない。
「ジングルベル」や、「サンタが街にやってくる」といった、
定番のクリスマス・ソングを、ソロギターの編曲で弾くか、
「聖母と御子」といった、純粋なクラシックギターの曲で、
クリスマスを思わせる曲にしようか、あれこれ思い悩む。
そうこうするうち、ブロとものマジェさんに、嬉しいことに、
「戦場のメリークリスマス」を、リクエストしていただき、
待ってましたとばかり、ここは、佐藤編曲に挑戦するも、
クラシックの基礎ができていないから、難易度が高すぎ。
クリスマスぎりぎりまではと、練習を続けてみたものの、
すぐに上達するわけもなく、いつものごまかし半分となる、
その程度のレベルにさえ達しなくて、残りが数日となって、
この編曲は無理、昔練習した、南澤大介の編曲にする。
リットー「ソロ・ギターのしらべ」は、2000年から始まり、
10冊以上もの続編が、今も出版される、ベストセラーで、
おそらく、「ソロギ」という呼び方は、この楽譜集のヒットで、
一般的になったというほど、大きな流れを作ったシリーズ。
「メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス」の、原題表記で、
2作目に収録されていて、この後、メジャーデビューする、
押尾コータローによる、タッピング奏法の編曲が出るまで、
ギターで演奏するには、この編曲が一般的だったと思う。
原曲は、キーがD♭となっているのを、半音下げ、Cとして、
後半の行進するような部分を省略していたり、イントロや、
テーマの繰り返しを省略しているが、ソロギ・シリーズは、
楽譜を1ページに収める方針なので、そうなったのだろう。
それでも、すごく原曲の感じ気が出ている、見事な編曲で、
せっかくだから、ギターの1フレットに、カポタストをつけて、
キーは、ピアノ演奏と同じD♭にしたが、そうは言っても、
ギターとピアノでは、基本的に使う音域が、オクターブ違う。
そもそもピアノの方が、低い音域も、高い音域も広いが、
最初に覚える、ドレミファで弾く音域、メロディで使われる、
中心的な音域が、ギターは、ピアノより1オクターブ低くて、
それだけでも、編曲したときに、雰囲気が変わってしまう。
無理やり、高い音で始めると、途中で、高音が出なくなり、
これは、女性コーラスを無理やり、男が歌うようなものか、
それに加えて、ピアノの低音部は、ギターより低く出るから、
こちらは、ギターがオクターブ上にしたりと、編曲は苦労。
自分がギターを弾くから、こうした苦労も含めて、楽しいし、
ピアノやオーケストラの音を、どこまで再現できてる編曲か、
あるいはギター特有の響きへと、見事に料理した編曲かと、
市販の楽譜や、プロの演奏するCDを、買い集めてしまう。
ただ、ギターを弾かない人、ギター音楽に興味ない人には、
原曲のピアノ演奏、オーケストラ演奏で、何が不満なのか、
無理やりギターで弾いて、何がしたいんだと思われがちで、
このあたり、あまりにギタリスト目線でいるのは、反省もの。
「絶対音階」という本には、移調について書かれた箇所で、
音には色彩があるので、キーが変わると、その色も変わる、
なぜ作曲家が、わざわざ、そのキー、音程を指定したのか、
それを考えれば、別の調に変えることは、信じられないと。
それもあって、今回、カポタストをつけることで、坂本龍一が、
シンセでも、ピアノでも、そのキーで弾いた、D♭にするが、
♭が多い調にすることで、不安感が増すとか、言われても、
絶対音感どころか、相対音階もない自分には、わからない。
まあ、こうした理屈みたいなことは、抜きにして、音楽自体、
演奏自体が素晴らしければ、万事良しとすべきであろうし、
これからも、自分はギターを弾き続け、時にピアノなどには、
嫉妬しながら、ギターならではの編曲、演奏を目指していく。
クリスマス向け演奏が、年寄りの長話になってしまったが、
坂本龍一も出演した映画、「戦場のメリークリスマス」から、
クリスマスの定番、癒し系の定番曲ともなった、テーマ曲を、
南澤大介の編曲で、クラシックギター(ガット)の演奏です。

74年、中2の夏に、新宿武蔵野館で、三本立ての映画、
「ビートルズがやってくる」「ヘルプ」「レット・イット・ビー」で、
ビートルズと出会ったが、コメディタッチの前2者とは違い、
「レット・イット・ビー」は、製作現場のドキュメンタリーだった。
スタジオ内の映像が多いせいか、全体に暗い印象がして、
曲を作り上げていく過程も、どこか、ぎくしゃくとして見えて、
何よりも、「ヘルプ」とかで、快活に、はしゃぎ回った若者が、
メガネをかけたり、髭も伸ばして、まったくの別人に思えた。
翌年にも映画館だったり、ビートルズ・シネクラブの大会で、
「レット・イット・ビー」を何度か見て、屋上でのコンサートは、
いわゆるサプライズのゲリラ・ライブに驚く、オフィス街の人、
噂を聞きつけ集まる人など、周囲の反応に、妙に感動した。
それでも、全体的に、暗さだったり、違和感がつきまとって、
ポールとジョージが演奏で口論したり、遊び半分の演奏で、
盛り上がったところへ、ポールが来た途端、急にやめたりと、
こうも雰囲気が悪いのを、なんで、わざわざ上映したのか。
演奏は、圧巻のルーフトップ・コンサートは、言うまでもなく、
スタジオの場面でも、完成された演奏は、聴かれるのだが、
楽屋裏をお見せします、みたいに、曲を作り上げる過程や、
演奏を途中でやめたりは、興味深い反面、ちぐはぐに思う。
口頭で曲のコードを伝えて、ヘッドアレンジしていく場面は、
曲作りの秘密にせまる感じで、すごく貴重な場面で良いが、
今で言うメイキングフィルム、それのみで構成された感じで、
ライブDVDの特典映像を、ロードショー公開したような印象。
もちろん、「レット・イット・ビー」こそ、メイキングの先駆けと、
言えなくもないし、「マジカル・ミステリー・ツアー」が、当時、
マスコミから酷評されたが、今では、MTVの元祖だったと、
再評価されたよう、今の自分の目で、改めて確かめたい。
ビートルズが好きになり、その曲をギターを弾くようになると、
これらの映画は、ギターのコードを、どう押さえているかとか、
ストーリーと別に、演奏場面の、細かい部分も見るようになり、
なかでも、「アクロス・ザ・ユニバース」には、すごく感動した。
曲のイントロを弾き始めた、ジョンの左手が、2フレットから、
10フレットへと、スッとポジション移動するのが、ものすごく、
格好良く見えて、やっぱり、ビートルズは、ギターがうまいな、
自分も練習して、弾けるようになりたいと、ひたすら憧れた。
考えてみれば、「アルハンブラの思い出」でも、転調してから、
2から10フレへと移動する箇所があり、クラシックギターでは、
ごく当たり前の、ポジション移動なのだが、当時の自分には、
ジョンのギターテクニックが、神業に見え、ジョンを目指した。
LP「レット・イット・ビー」での、「アクロス~」のリズムギターは、
フォークギターで、他の3人の楽器の音は、ほとんど聴こえず、
オーケストラや合唱団も入るが、映画の中のリハーサルでは、
ジョンはエレキのカジノを弾き、バンド形式で、ポールもハモる。
こうして曲を固めていき、あの形になったのかと、思ってたら、
実際は、ホワイトアルバム直前に録音し、没になっていたが、
チャリティアルバムに提供され、さらに映画で再演したからと、
そのサントラ盤となる「レット・イット・ビー」にも、収録した模様。
今では、4つのテイクが聴けるが、「アンソロジー」は別として、
同じ音源から編集したそうで、バード・バージョンと呼ばれる、
チャリティアルバム版は、スタジオ前にいたファンがコーラスし、
イントロに、鳥の羽ばたく効果音を加えて、テープ速度を上げ、
音程を半音高くしたもので、今は「パストマスターズ2」に収録。
「レット・イット・ビー」では、逆にテープ速度を下げ、半音低くし、
オーケストラや合唱団を加えた、壮大な編曲へと変貌したが、
本来の演奏に戻すという、コンセプトによる、「ネイキッド」では、
速度は変えず、ほぼジョン一人の、弾き語りに近くなっている。
回転数を変えて、音程を上げ下げしたのは、何が目的なのか、
今でも自分には、よくわからないが、おかげで市販の楽譜は、
E♭や、D♭で書かれることになり、初級レベルの自分には、
押さえにくいコードだらけ、かなり苦労して弾いた記憶がある。
もともとが、ジョンの弾き語りだったからか、ベース、ドラムや、
オケが入らなくても、様になるので、昔から弾き語ってた曲で、
久々に演奏しても、歌詞がスラスラ出るのが、ちょっと嬉しくて、
その反面、最近のJ-POPなどは、口ずさむそばから忘れる。
「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」の時に、書いたが、
ポールが、フィル・スペクターのオーケストラ編曲に、怒ろうと、
「ネイキッド」で、本来の演奏へと近づけようと、自分にとっては、
やはりLP「レット・イット・ビー」が、聴きなれたバージョンとなる。
スコアには、オケ、ハープ、コーラスが、一段ずつ載っていて、
本当は、もっと何段にもなるところを、省略しているのだろうが、
そのままギターシンセで演奏し、時折、バックに聴こえてくる、
ワウワウのギターと、タンブーラを、コードだけ弾いて、重ねる。
昔、渋谷河合楽器の発表会で、ギターが、せっかく良いのに、
歌が始まると、あまりの下手さに、ギャップがひどすぎるから、
やはり歌わないほうが良い、と言われたが、今回の演奏でも、
イントロは、自分でも満足の出来なのに、歌が始まると目まい。
いただいたコメントに、年甲斐もなく、調子づき、歌を続けたが、
自分の歌のひどさは、自分が一番わかっていて、反省しつつも、
みんなに背中を押され、3年前に始めた、毎週のギター演奏で、
目に見えてギターが上達したように、歌も、ましにならないかと。
ビートルズの現役時代、発売順としてのラスト・アルバムとなる、
「レット・イット・ビー」に収録の、「アクロス・ザ・ユニバース」を、
できるだけ、LP版のオーケストラ、合唱入り編曲に近づくように、
多重録音して、最後の歌入れだけが、相変わらずの課題です。
「ビートルズがやってくる」「ヘルプ」「レット・イット・ビー」で、
ビートルズと出会ったが、コメディタッチの前2者とは違い、
「レット・イット・ビー」は、製作現場のドキュメンタリーだった。
スタジオ内の映像が多いせいか、全体に暗い印象がして、
曲を作り上げていく過程も、どこか、ぎくしゃくとして見えて、
何よりも、「ヘルプ」とかで、快活に、はしゃぎ回った若者が、
メガネをかけたり、髭も伸ばして、まったくの別人に思えた。
翌年にも映画館だったり、ビートルズ・シネクラブの大会で、
「レット・イット・ビー」を何度か見て、屋上でのコンサートは、
いわゆるサプライズのゲリラ・ライブに驚く、オフィス街の人、
噂を聞きつけ集まる人など、周囲の反応に、妙に感動した。
それでも、全体的に、暗さだったり、違和感がつきまとって、
ポールとジョージが演奏で口論したり、遊び半分の演奏で、
盛り上がったところへ、ポールが来た途端、急にやめたりと、
こうも雰囲気が悪いのを、なんで、わざわざ上映したのか。
演奏は、圧巻のルーフトップ・コンサートは、言うまでもなく、
スタジオの場面でも、完成された演奏は、聴かれるのだが、
楽屋裏をお見せします、みたいに、曲を作り上げる過程や、
演奏を途中でやめたりは、興味深い反面、ちぐはぐに思う。
口頭で曲のコードを伝えて、ヘッドアレンジしていく場面は、
曲作りの秘密にせまる感じで、すごく貴重な場面で良いが、
今で言うメイキングフィルム、それのみで構成された感じで、
ライブDVDの特典映像を、ロードショー公開したような印象。
もちろん、「レット・イット・ビー」こそ、メイキングの先駆けと、
言えなくもないし、「マジカル・ミステリー・ツアー」が、当時、
マスコミから酷評されたが、今では、MTVの元祖だったと、
再評価されたよう、今の自分の目で、改めて確かめたい。
ビートルズが好きになり、その曲をギターを弾くようになると、
これらの映画は、ギターのコードを、どう押さえているかとか、
ストーリーと別に、演奏場面の、細かい部分も見るようになり、
なかでも、「アクロス・ザ・ユニバース」には、すごく感動した。
曲のイントロを弾き始めた、ジョンの左手が、2フレットから、
10フレットへと、スッとポジション移動するのが、ものすごく、
格好良く見えて、やっぱり、ビートルズは、ギターがうまいな、
自分も練習して、弾けるようになりたいと、ひたすら憧れた。
考えてみれば、「アルハンブラの思い出」でも、転調してから、
2から10フレへと移動する箇所があり、クラシックギターでは、
ごく当たり前の、ポジション移動なのだが、当時の自分には、
ジョンのギターテクニックが、神業に見え、ジョンを目指した。
LP「レット・イット・ビー」での、「アクロス~」のリズムギターは、
フォークギターで、他の3人の楽器の音は、ほとんど聴こえず、
オーケストラや合唱団も入るが、映画の中のリハーサルでは、
ジョンはエレキのカジノを弾き、バンド形式で、ポールもハモる。
こうして曲を固めていき、あの形になったのかと、思ってたら、
実際は、ホワイトアルバム直前に録音し、没になっていたが、
チャリティアルバムに提供され、さらに映画で再演したからと、
そのサントラ盤となる「レット・イット・ビー」にも、収録した模様。
今では、4つのテイクが聴けるが、「アンソロジー」は別として、
同じ音源から編集したそうで、バード・バージョンと呼ばれる、
チャリティアルバム版は、スタジオ前にいたファンがコーラスし、
イントロに、鳥の羽ばたく効果音を加えて、テープ速度を上げ、
音程を半音高くしたもので、今は「パストマスターズ2」に収録。
「レット・イット・ビー」では、逆にテープ速度を下げ、半音低くし、
オーケストラや合唱団を加えた、壮大な編曲へと変貌したが、
本来の演奏に戻すという、コンセプトによる、「ネイキッド」では、
速度は変えず、ほぼジョン一人の、弾き語りに近くなっている。
回転数を変えて、音程を上げ下げしたのは、何が目的なのか、
今でも自分には、よくわからないが、おかげで市販の楽譜は、
E♭や、D♭で書かれることになり、初級レベルの自分には、
押さえにくいコードだらけ、かなり苦労して弾いた記憶がある。
もともとが、ジョンの弾き語りだったからか、ベース、ドラムや、
オケが入らなくても、様になるので、昔から弾き語ってた曲で、
久々に演奏しても、歌詞がスラスラ出るのが、ちょっと嬉しくて、
その反面、最近のJ-POPなどは、口ずさむそばから忘れる。
「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」の時に、書いたが、
ポールが、フィル・スペクターのオーケストラ編曲に、怒ろうと、
「ネイキッド」で、本来の演奏へと近づけようと、自分にとっては、
やはりLP「レット・イット・ビー」が、聴きなれたバージョンとなる。
スコアには、オケ、ハープ、コーラスが、一段ずつ載っていて、
本当は、もっと何段にもなるところを、省略しているのだろうが、
そのままギターシンセで演奏し、時折、バックに聴こえてくる、
ワウワウのギターと、タンブーラを、コードだけ弾いて、重ねる。
昔、渋谷河合楽器の発表会で、ギターが、せっかく良いのに、
歌が始まると、あまりの下手さに、ギャップがひどすぎるから、
やはり歌わないほうが良い、と言われたが、今回の演奏でも、
イントロは、自分でも満足の出来なのに、歌が始まると目まい。
いただいたコメントに、年甲斐もなく、調子づき、歌を続けたが、
自分の歌のひどさは、自分が一番わかっていて、反省しつつも、
みんなに背中を押され、3年前に始めた、毎週のギター演奏で、
目に見えてギターが上達したように、歌も、ましにならないかと。
ビートルズの現役時代、発売順としてのラスト・アルバムとなる、
「レット・イット・ビー」に収録の、「アクロス・ザ・ユニバース」を、
できるだけ、LP版のオーケストラ、合唱入り編曲に近づくように、
多重録音して、最後の歌入れだけが、相変わらずの課題です。
