僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
ディスコブームの映画から、バラード曲「愛はきらめきの中に」
FMジェットストリームを聴き、イージーリスニングの曲が、
気に入ってくると、当然に、ギターで弾きたくなるわけで、
あれこれと、楽譜を買い込んでいたら、渋谷河合楽器で、
先生に勧められたのが、江部賢一による編曲集だった。

日音「華麗なるギター・ソロ・アルバム」は、2冊出たが、
すべて江部の編曲で、原曲をイントロから再現したもの、
ジャズ調にしたもの、カバーの名演を取り入れたものと、
どれもが、ギターならではの響きを生かした編曲だった。

取り上げられた曲の大半は、スタンダードと呼んで良い、
有名な曲ばかりで、およそのメロディーも知っていたから、
教室で習わずとも、一通りは、さわりくらい弾いてみたが、
レパートリーと呼べる程に、仕上げた曲は、ほとんどない。

それでも、もともと好きな曲とか、編曲が気に入った曲は、
クラシックギターのように、じっくりと取り組むことはないが、
ちょっとした時に弾いてみては、少しずつ覚えていくので、
何となく弾けた気になるし、楽しく取り組める、良い傾向。

70年代、熱狂的な、一大ディスコ・ブームを巻き起こした、
映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の、挿入歌でもあった、
「愛はきらめきの中に」は、メロディがきれいなバラードで、
江部の編曲も、すごく良い感じなので、昔から弾いている。

映画「小さな恋のメロディー」の、テーマ曲くらいしか知らず、
フォーク路線と思っていた、ビージーズが、全く正反対の、
ディスコの映画音楽を担当したのは、すごく驚いたのだが、
その前から、路線は変更していて、ヒット曲もあったようだ。
 
ただ、いわゆるソウル・ミュージック、スタイリスティックスや、
アース・ウィンド・アンド・ファイヤーなどに、代表される裏声、
ファルセット・ボーカルは、透明で澄んだ歌声だと思いつつ、
どうも昔から好きになれず、ビージーズの曲でも同じ印象。

それでも、映画の曲は、この「愛はきらめきの中に」を始め、
「ステイン・アライブ」、「恋のナイト・フィーバー」と大ヒットし、
レコードどころか、カセットに録音さえしていない、自分でも、
イントロから口ずさめるほどで、かなり巷に流れていた時代。

映画ブームと前後し、渋谷にも、ディスコはできたのだろうが、
その後のジュリアナブームや、現在のクラブにも関心はなく、
職場旅行で熱海に行った時、ホテルの近くにあるディスコへ、
浴衣姿で行っただけで、華やかさとは無縁の自分を再認識。

映画「サタデー・ナイト・フィーバー」は、テレビの洋画劇場で、
一度見たが、トラボルタの声を、郷ひろみが吹き替えていて、
どういう経緯か、何かのシングル曲や映画とリンクしたのか、
話題性が必要だったか、何にしても、そう違和感はなかった。

派手なディスコシーンばかり、PVで見ていた自分にとっては、
この作品が、青春の挫折を描き、格差社会なども扱っている、
すごくシリアスな内容に驚いたが、それだけに印象が強くて、
今思い出しても、チクチクと心を刺されては、胸が痛くなる。

マンハッタン・ブリッジだったか、友人が転落する場面などは、
ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」が、すごく浮かんだし、
青春映画に共通する、若者達の、やり場のない怒り・叫びは、
自分の青春時代を懐かしむより、今も刃のように向いてくる。

そんな中、「愛はきらめきの中に」は、すごく癒される曲調で、
トラボルタが地下鉄を乗り継ぐPVの場面は、映画本編でも、
ラストシーンだったか、まだまだ悟りを開くのは無理だろうが、
達観するでもなく、何かに気づく彼の姿に、すごく救われる。

ビージーズの演奏は、ドラムは当然に、切れの良いギターの、
カッティングに、ふわっとしたエレピ、重なり合うストリングス、
10CCを彷彿とさせる、湧き上がるようなコーラスまであって、
ギター1本では難しいが、江部の編曲は、かなり近い雰囲気。

今回演奏するにあたり、CDを図書館で借りて聴いてみたら、
思っていたよりテンポが早く、合わせて弾くと、慌しい感じで、
少しテンポを落としてみて、メロディを歌わせるようにしたが、
楽譜にも「ミディアム・スロー」とあるから、まあ良いだろうか。

77年公開の映画、「サタデー・ナイト・フィーバー」の挿入歌、
ビージーズの大ヒット曲でもある、「愛はきらめきの中に」を、
村治佳織が近年録音したのとは別の編曲、昔から弾いてた、
江部賢一のギター編曲で、少しテンポを落とし演奏しました。



スポンサーサイト


コンテストの、もう一つの課題曲「eZ Mega Maga」にも挑戦
ギターマガジン主催のコンテストに、今年も応募しようと、
課題曲の練習を始め、2曲のうち、スローな「Muse」を、
早々と6月初には、譜面に沿って、やや完コピをアップし、
安心していたら、いつのまにか〆切りまで、1ヶ月を切る。

完全コピー部門は、音色からニュアンスから、そっくりに、
見事に演奏する人たちが、毎年わんさかと出てくるので、
とうてい、たちうちできないから、クリエイティブ部門での、
エントリーだが、きちんと作曲はせず、アドリブでの演奏。

そうは言っても、アドリブ一発で、応募などできないから、
MTRに何度も録音しては、聴き直し、音を外してないか、
使えそうなフレーズはないかと、少しずつ固めていって、
ポイントでの決めフレーズくらいを覚えたら、一気に本番。

そんなやり方を、過去2年間続けてきて、入選どころか、
第一次審査さえ通らないのだが、アドリブが悪いのでなく、
演奏そのものが下手なせいで、ミスやノイズが多かったり、
リズムが甘かったりと、技術的な問題がクリアできてない。

中途半端ながらも、毎週ギター演奏をアップしていれば、
いやがうえにも、ギターの練習を、続けることになるから、
今年こそは、実力が上がっているだろうと、うぬぼれても、
録音は正直で、さぼっていた数年前よりは、ましな程度。

いったい、みんな、どれだけ練習を続けているのだろうか、
そもそも才能が違うのかと、落ち込んでみたりするのだが、
1日1~2時間、週末でも数時間程度という、練習量では、
目に見えて、うまくなろうというのが、虫の良すぎる話だ。

それでも、最近、練習を続けているクラシックギターなどは、
少しずつ、右指が動くようになって、苦手なセーハにしても、
以前よりは、びびったり、鳴らない弦が、減ってきたようで、
まあ、やらないよりは、ましなんだと、自分を納得させてる。

アップテンポのうえに、タッピングやら、弦とびフレーズに、
スキッピングまで出てくる、ハイテクギター満載の課題曲、
「eZ Mega Maga」は、どうせ弾けやしないと、避けたが、
アドリブで弾きまくるなら、こっちの方が、やりやすい気も。

気を取り直して、こっちも、楽譜に沿って練習してみたら、
ハイテク以前の問題、イントロのリフから、全然弾けなくて、
以前アップした曲でも、ダウンピッキングが連続するリフで、
そこでつまづいて、苦労したのを思い出し、学習できてない。

ゆっくりから練習して、少しずつ早くしていき、弾けたので、
カラオケに合わせると、ドラムのブレイクで、どんどん走り、
小節の頭でシンバルが鳴るとき、ものすごいずれてしまい、
そこのリズムを合わせるだけでも、100回はやり直した。

テンポが早いせいもあり、ただでさえ苦手なチョーキングが、
正しい音程が取れないまま、次のフレーズにいってしまうし、
ビブラートをかける余裕もなく、意識して、かけたつもりでも
録音を聴くと、ノンビブラートの、ヌペーっとした音が続くだけ。

アコギやクラシックを自分が弾いた時、そこそこ聴けるのは、
生ギターでは当然ながら、ビブラートを多用することがないし、
ましてや、チョーキングは、ほとんど出てこず、苦手な部分が、
少ないから、ボロが出ないだけという、悲しい現実に気づく。

当分は、せっかく取り組んだ、クラシックギターに集中するが、
ピッキング練習も続け、早弾きのレベルは維持したいものの、
弱点で集中すべき、チョーキングやビブラートは、後回しして、
何をおいても、早弾きが好きだから、わかっててもできない。

その得意な早弾きでさえ、今回の課題曲では、テンポが早く、
ラストの6連符が続くところは、ピッキングが追いつかなくて、
思いきり弾きまくっても、録音を聴くと、4連符の感じだから、
こうなると、ピッキング練習に意地になるのが、自分の性分。

コンテストの応募は、課題曲のどちらにするか、迷っているが、
どちらにしても、苦手なハイテクの、タッピングやスイープは、
避けてアドリブするとしても、チョーキングやビブラートだけは、
避けるわけにはいかず、残りの約2週間は、練習していこうと。

ともあれ、もう3度目の挑戦となった、誌上ギターコンテスト、
ギターマガジン・チャンピオンシップの、第7回の課題曲から、
アップテンポの「eZ Mega Maga」を、作曲者・飯塚昌明の、
模範演奏とは、かけ離れつつ、譜面には、沿った演奏です。







ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、昔習った編曲で
真野響子の語りと共に、ドビュッシー「月の光」などが流れ、
敬遠していたクラシック音楽を、気に入るきっかけとなった
NHK-FM「ラブリー・クラシック」では、多くの名曲がかかり、
ラヴェル「亡き王女のためパヴァーヌ」にも、すごく魅かれた。

そのときに聴いたのは、オーケストラによる演奏だったから、
もともとピアノ曲で、後にラヴェル本人が、管弦楽に編曲した、
というのは知らず、小学館のCDブック「クラシック・イン」でも、
収録はオケだったから、ピアノ演奏を聴いたのは、つい最近。

曲が気に入ると、ギターで弾きたくなるのは、昔からの癖で、
通っていた渋谷河合楽器のギター教室で、先生に話したら、
河合の楽譜売り場にはなかったが、宮下公園の前にあった、
ギタルラ社まで、先生が連れて行ってくれ、楽譜を見つける。

河合楽器とは、山手線のガードを挟んで、すぐの場所にある、
ギタルラ社へは、レッスンの合間だったり、夕方の帰り際に、
先生と出かけたが、クラシック専門店だと、どうも敷居が高く、
当時は、一人では入りにくくて、そのうちに移転してしまった。

ギタルラ社で買った、「亡き王女~」のギター編曲の楽譜は、
輸入ピースだが、編曲したリチャード・フランクリンという人は、
なじみがないし、出版元のコロンビア・ミュージック社にしても、
あの有名な、コロンビアなのだろうが、楽譜は、あまり見ない。

その後に購入した、クリストファー・パークニングの編曲集にも、
この曲は載っていたが、先日記事に書いた「月の光」と同様で、
指を広げる運指が難しかったり、和音が複雑だったりするので、
もっぱらフランクリン編曲で練習したし、今回もそうすることに。

オーケストラ版しか聴いてなかったので、ホルンによるテーマ、
続けてのクラリネットやフルートが、伸びやかに歌うところなど、
どうギターで表現すればと悩むと、先生からは、指揮法の本で、
フレージングの解釈などを勉強したほうが良いと、薦められる。

先生が持っていたのは、音楽の友社だったか、ハードカバーで、
何となく学問的、学術研究的な感じがして、その気になりつつ、
それまでに買った和声学や、ジャズ理論書だけでも、手一杯で、
何よりも、早弾きが最大の関心事だったから、指揮法はお預け。

「ギターは小さなオーケストラ」というのは、ベートーベンが言った、
ベルリオーズが言ったと諸説あるし、ピアノなどに比べると音量、
音域ともに劣るギターの、どこがオーケストラなのか不思議だが、
音色の多彩さを言っているそうで、確かに、硬軟の音色は自在。

この曲を弾くのにも、オケ版を意識して、さあ音色の使い分けと、
はりきるものの、例えば、鈴木巌の教本に、ソルの曲を弾く際に、
「音色は変えずに、強弱で表現を」とあり、小胎剛のエッセイには、
「テンポを変えるより、まず強弱」とあり、そこから解釈が始まる。

ただ、今の自分は、完全に暗譜ができていない曲ばかりだから、
楽譜を追うのが精一杯で、逆に、聴き込んだ演奏を思い出しては、
その気になって、テンポを早めたり、遅くしたりと、ムラが出たり、
右手が安定しないせいで、音が硬かったり、柔らかかったりする。

この曲のギター編曲は、古くは、プジョールが二重奏を出したが、
村治佳織や、大萩康司が演奏しているのは、ディアンス編曲で、
山下和仁は、おそらく独自編曲だろうが、ほとんどが原曲どおり、
ト長調、Gのキーなのだが、フランクリン版は、Aに移調している。

音程が上がる分、ギターで押さえるのに、2フレット分移るから、
フレットの間が狭くなり、手の小さい自分でも、押さえやすくなり、
GキーよりもAの方が、和音の伴奏に、開放弦が利用できたり、
ナチュラル・ハーモニクスが活用することで、幅が広がっている。

弾いてみると、所々、音程がおかしくて、譜面を見間違えたのか、
ゆっくりメロディを追うと、臨時記号がもれたり、誤植だったりして、
よくよく譜面を見ると、先生が、鉛筆で修正してくれた跡があって、
さらに、メロディや伴奏を、オクターブ移調するようにと書き込みも。

和音についても、この音は弾かなくてよいとか、消しこんであって、
この曲では、かなり細部まで、教わっていたことを思い出したが、
メロディの間違いはともかく、和音やオクターブの移動については、
とりあえずは、編曲された譜面を尊重して、そのままに演奏した。

演奏アドバイスがないか、ネット検索すると、ラヴェルの逸話として、
若い頃、この自作を貧弱だと否定したが、記憶障害に陥った晩年、
「きれいな曲ですね。誰が作ったのでしょうか?」と、言ったそうで、
一般受けし、気恥ずかしかったが、本音は気に入っていたようだ。

何とも、せつない話だけに、演奏に際して、思い入れも強くなるが、
ただ、曲を聴く際、作曲家の人生、生き様と結びつけてしまうのは、
どうなのか、曲だけで評価すべきなのではと、迷うところがあって、
それは、文学や絵画でも同様で、人と作品をどう扱うべきか難しい。

モーリス・ラヴェルのピアノ曲、「亡き王女のためのパヴァーヌ」を、
オーケストラ演奏を意識して、ゆったりと雄大なイメージにしたが、
あとで聴きなおすと、ちょっと遅すぎて、いずれパークニング編で、
テンポを上げてリベンジと思いつつ、フランクリン編曲の現状です。





「ギターをひこう」で覚えた、タレガ「アラビア風奇想曲」
古典の研究とまではいかないが、温故知新、原点回帰で、
中学時代、最初に出会ったクラシックギターの楽曲たちを、
譜面をじっくりと読んで、再確認しながら、練習してみたり、
いろいろな人の演奏を聴いては、感性を養ったりしている。

自分のクラシックギターの原点と、何度となく書いているが、
教育テレビ「ギターをひこう」、それも荘村清志が講師だった、
74年度のテキストは、当時、持っている楽譜も少ないから、
大半の曲を、さわりくらいは弾いて、2・3曲は暗譜もできた。

カルカッシ、ソルの練習曲とともに、タレガの作品が載った、
後期テキストの最終ページは、「アラビア風奇想曲」であり、
番組が想定した中級レベルの、集大成とみてよいだろうし、
タレガの曲では、「アルハンブラの思い出」に次ぐ人気の曲。

この75年3月に、2週に渡って放送された、卒業演奏会は、
カセットに録音し、何度も聴いたが、「アラビア風奇想曲」は、
入ってなかったはずで、段ボール箱から、テープを探し出し、
聴きなおして確認しようと、巻き戻していたら、切れてしまう。

40年近くたったカセットで、保存も良くないから、仕方ないが、
多くのレコードが、マニアックなものでも、CD化されていく中、
テレビやラジオの生演奏、コンサートの音源は、少ないから、
優に千本は超える、カセットの資産を、何とか出来ないのか。

中学、高校時代は、一番安いカセットテープの120分を使い、
ジャンルもおかまいなし、余りがあれば、1曲でも録音したが、
ペラペラのテープだから、今では劣化がひどくて、切れたり、
ひどいのは、磁性体が溶け落ちて、ただの透明テープと化す。

壊れたレコードプレイヤーを処分してから、LPも聴けないので、
通販で見かける、レコードやカセットを、MP音源に変換できる、
ミニコンポを買おうと思いつつ、各社とも、一長一短ありそうで、
結局は買わずじまいで、カセットテープの劣化は進むばかり。

「アラビア風奇想曲」は、曲を口ずさめるほど、覚えているが、
荘村の演奏は、「NHKテレビコンサート」のテープにもなくて、
2枚買ったLPに入っている演奏を、繰り返し聴いたのだろうか、
このLP自体、これこそクラシックギターだと、印象づけられた。

この曲の楽譜は、NHKテキスト以外でも、鈴木巌の全3巻の、
「クラシックギター教本」、現代ギター「帰ってきたてんこもり」
「クラシックギターのしらべ」、ドレミ出版「タルレガ作品全集」と、
数種類持っているが、それぞれ微妙に運指、弦指定が異なる。

主に、ミの音を1弦開放か、2弦5フレットかで、分かれていて、
他は運指も含めて、そう大差がないので、タレガの譜面を元に、
編著者の解釈により、一部変えた程度だが、鈴木巌のように、
変更箇所を明記してあると、譜面を読み込む際に役立って良い。

その鈴木巌の解説には、「セゴビアのレコードを参考に」とあり、
楽譜にクレッシェンドや、アクセルの指定がある箇所はともかく、
冒頭の16分音符でも、徐々に速度を上げていく歌わせ方など、
まさにセゴビア節で、ほとんどの人の演奏は、これに倣ってる。

ただ、メロディ部に入ったら、リズムをきちんと取って、弾くのか、
テンポを揺らし加減にして、タメをきかせるか、解釈は分かれて、
その速度も、それぞれだから、演奏時間が1分以上は異なり、
自分は、早く弾けないこともあり、ゆったりと聴かせる方が好み。

運指は、昔から弾いている、NHKテキストの方が慣れていて、
この版は、右手についても、かなり細かく指定されているので、
早いフレーズでも、指定どおり弾くと、けっこうスムーズに弾け、
いかに運指が大切か、楽譜に忠実であるべきか、改めて実感。

この曲は、作曲したタレガ本人も、すごく気に入っていたそうで、
葬儀で演奏されたとか、セゴビアが最初に弾いたタレガの曲が、
この曲だったとか、逸話も多いのだが、自分の素朴な疑問として、
何を持って、この曲が「アラビア風」ということになるか、不思議。

タレガの異国情緒への憧れが、曲全体の雰囲気に出ているとか、
メロディの装飾音が、東洋風のイメージだとか、解説されてるが、
どうもピンとこなくて、16分音符のエキゾチックじみたフレーズも、
アラビア音階というよりは、ハーモニックマイナースケールになる。

バッハのフレーズを得意とし、クラシックに詳しいロックギタリスト、
リッチー・ブラックモアで、アラビア音階による中近東フレーズと、
解説された曲も、ミファソ♯ラシドとなる、ハーモニックマイナーで、
使う音階よりも、フレージングや全体の雰囲気が、左右するのか。

有名な「ダッタン人の踊り」にしても、韃靼国がどこか知らないし、
特徴をとらえているのかも不明だが、名曲として親しまれるから、
曲の題名、それも歌詞のない曲は、あまり厳密には考えなくて、
演奏に際して、イメージ作りの助けとなれば、良いかもしれない。

近代ギターの父、タレガによる、「アルハンブラ」に次ぐ代表曲、
「アラビア風奇想曲」を、鈴木巌「ギター教本3」に書かれていた、
「どうぞ、セゴビアになったつもりで」の、お言葉に甘えすぎたか、
浸りきったあまり、タメが長すぎて、演奏時間も長くなりました。







Copyright © 僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ. all rights reserved.