僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
献呈された大萩康司が優しく奏でる、レイ・ゲーラ「そのあくる日」
03年末、新宿で忘年会があった際、早く着いたので、
小田急デパートの本売り場で、時間を潰したのだが、
一般の本屋では、あまり見かけなくなった、月刊誌、
「現代ギター」があり、懐かしさから、つい手にとった。

20年ぶりで見た雑誌の中身は、練習講座も充実し、
特集記事から、広告までも、すごく興味ある内容で、
迷わずに購入したが、次の号も読みたくなってきて、
近所には置いてないからと、年間購読も申し込んだ。

そうして、04年は、クラシックギターに気合が入って、
豊島区にある、現代ギター社ビルまで、何度も行き、
マニアックな楽譜やCDを探して、買い集めたのだが、
それで満足し、弾けるまではいかない、恒例パターン。

それにしても、歳を取るにつれ、出不精となっていき、
ポイントが一番つくからと、仕事帰りに、回り道しては、
CDを買った、銀座の山野楽器さえ、遠のいた自分が、
地下鉄を乗り継ぎ、よく出かけたなと、我ながら感心。

手品や漫画を買いに、新宿、神田、二子玉川、三鷹と、
遠出した中学の頃でも、楽譜を買うのは、近所の本屋、
レコード屋であって、演奏レベルも、興味の対象からも、
中学の自分は、一般的な楽譜で、十分だったのだろう。

高校に入ると、同級生の影響もあってか、興味も広がり、
渋谷のヤマハ、カワイ、石橋楽器らへ、通うようになって、
専門的な楽譜を買ったり、次第に、御茶ノ水や銀座へと、
足を伸ばして、20代は、あちこち出かけて買い集めた。

それに近いくらい、クラシックギターの楽譜を買いたくて、
現代ギター社のGGショップまで行ったが、通販でなく、
店員さんと話すことで、同じ曲でも、出版社による違い、
編曲者の違いなどを、いろいろ教わることも楽しかった。

若手ギタリストの大萩康司が、テレビで特集されたのは、
その頃だったか、記憶があいまいだが、演奏が気に入り、
CDを何枚かレンタルすると、1枚目「11月のある日」や、
2枚目の「そのあくる日」が、何よりも、弾いてみたくなる。

ギタリストのレイ・ゲーラが、大萩康司のために作曲した、
「そのあくる日」は、タイトルといい、曲の雰囲気といい、
大萩のデビュー作のアルバムタイトルであり、彼自身の、
代表曲となった「11月のある日」の、続編と言って良い。

GGショップへ行って、いろいろ楽譜を物色していた時に、
「『そのあくる日』の楽譜って、出てないんですよね?」と、
何気に店員さんに聞くと、「海外でも出版されていないが、
現代ギターには載った」と、バックナンバーを出してくれる。

ゆったりとした曲だが、ジャズのテンションコードのような、
複雑な押さえ方のコードあり、セーハやストレッチもあって、
当然ながら、きちんと音が出せないから、あきらめてしまい、
その後「名曲てんこもり」に載ったときも、練習しなかった。

今回、久しぶりに「そのあくる日」を、練習するにあたって、
Youtubeにある、本人の演奏を見て、運指を確認したが、
かなり左指を立てて、指先にも力をかけ、押さえていたり、
右手は、時にネック寄りにして、音色を作っていると判明。

ピアノの発表会で、チェロの演奏を、目の前で見たときに、
こんなに左指を、垂直に立てるのかと、フォームに驚いて、
渾身の力を入れるように押さえつつ、その指先を支点にし、
ビブラートをかける点も、ギターとは、かなり違うと思った。

ところが、この曲の大萩は、そのチェロの指使いに、近くて、
脱力し、最小限の力で押さえる、余分な音が鳴らないよう、
指を寝かせて消音すべきと、勝手に思い込んでいたのが、
いかに間違いだったか、百聞は一見にしかず、理解できた。

10代の頃、ギター教室の先生から、薦められて買ったのが、
「別冊ギターミュージック・ギター独習者へのアドバイス」で、
「左指は垂直に」「第一関節が伸びた、非音楽的な手」など、
しつこく書いてあったが、何を言ってるんだと無視していた。

中級を自負するエレキで、きれいなフォームのつもりでいた、
指を寝かせる形は、まったくの勘違いで、ロックやジャズの、
演奏動画を見ても、けっこう指を立てていて、ストレッチとか、
消音するときは例外として、基本、第一関節は曲げている。

ギターの構えや、右手の形は、クラシックは独特なのだと、
自分ができていない言い訳にしたが、左手も駄目となると、
いったい40年間、何をやってきたのかと、がっかりもするが、
この歳でも覚えることはあると、逆に練習に気合も入った。

ハバナ国際コンクール2位受賞、中南米の曲を得意とする、
大萩康司が、レイ・ゲーラから贈られ、2nd「シェロ」に収録、
「そのあくる日」を、できるだけ、左指を垂直に立てることで、
開放弦の響きを意識しつつも、逆に雑音が増えた演奏です。


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リョベートが紡いだカタロニア民謡、「アメリアの遺言」「盗賊の歌」
74年、中2で見た、荘村清志の「ギターをひこう」が、
自分のクラシックギターの原点と、何度も書いてるが、
テレビとラジカセを繋ぎ、カセットテープに録音したり、
荘村清志のLPを買ったりし、何度も繰り返し聴いた。

10年ほど前、クラシックギターに気合いが入った時、
懐かしくテープを聴いていて、すごく良い曲があるが、
テレビからの録音で、曲名などは字幕のみだったか、
演奏の前後で曲の紹介はなく、題名も作者も不明。

「NHK TVコンサート 荘村清志と芳志戸幹雄」だけ、
ラベルに書いてあり、最近のDVD、以前のVHS同様、
番組名が書いてあれば、ましな方で、無記入も多くて、
放送月日や曲名までメモすることなど、ほとんどない。

Dメジャー7のアルペジオや、ハーモニクスが美しくて、
これは弾きたいと、手持ち楽譜を片っ端から、めくって、
それらしき曲を見つけると、カタロニア民謡を採集して、
リョベートがギターに編曲した、「盗賊の歌」とわかる。

この曲ならば、荘村清志のレコードにも入っていたし、
小原聖子が講師の時、80年のテキストにも出ていて、
「この曲には歌詞がついている」と、弾き語りしたのを、
おぼろげに思い出したし、81年荘村のテキストにも。

何度となく、耳にしたであろう、「盗賊の歌」のことが、
なぜ聞き流して、印象に残らなかったか、不思議だが、
昔は、弾けもしない難易度Dの曲ばかり、追い求めて、
歳をとるにつけ、ワビサビ、情緒がわかってきたのか。

近代ギターの父・タレガの高弟、ミゲル・リョベートが、
地方に伝わる歌を採集し、ギターならではの編曲で、
「10のカタロニア民謡」を出したが、一番有名なのが、
おそらく「アメリアの遺言」だろうし、次に「盗賊の歌」。

合わせて演奏されることが多い曲、「聖母と御子」は、
出版された10曲に入らず、原曲は民謡ではあるが、
リョベートでなく、セゴビアが編曲した、という説もあり、
荘村清志のLPには、セゴビア編曲と明記されている。

それで10年前に、「盗賊の歌」を練習してみたところ、
まず、曲名がわかったこと、それだけで達成感があり、
6弦をD音に下げて、イントロが同じような響きになると、
もう大満足となり、いつものことだが、それで終わりに。

今回、昔弾いた曲だし、テンポもゆっくりした曲だから、
楽勝だと思うが、間の取り方が難しく、インテンポだと、
無味乾燥だし、リズムに緩急をつけると、必要以上に、
走ったり、ミスして、手を止めたようになり、聞き苦しい。

初心者の場合、まずは正確なテンポで弾き、その次に、
強弱をつけてみる、そのうえで、作曲者の意図を汲み、
テンポを変えて表現すると、80年に買った、小胎剛の
「ギター教室ただいまレッスン」に出ていて、その通り。

今まで、雑音に無頓着すぎたのか、気づかずにいたが、
弦を弾く時に、まず爪だけ当たり、カチャっと音をたてる、
弾いたあと、不用意に指を戻すせいか、鳴っている弦に、
爪の表面が触れて、ギョーンと振動したり、音を止める。

そもそも、右手のフォームや、角度が間違っているのか、
それには、ギターの構えから、やり直さないと駄目かと、
畳や床に座り、右足にギターを載せる、慣れた姿勢から、
椅子に腰掛けて、足台も使う、クラシックギターの構えに。

それでも、雑音は変わらず、ただ腰が痛くなるだけだが、
どこかが痛むのは、正しい姿勢が、できていないそうで、
人類遺産でもないが、長年のクラシックギターの歴史で、
培われたフォームなのだから、焦らずに取り組むことに。

基礎からやり直そうと買った、DVD付入門書、リットーの、
「はじめてのクラシックギター」には、ハーモニクス練習で、
「アメリアの遺言」の後半が出てて、弾いたことはないが、
名曲CDで聴き、メロディは覚えてるから、合わせて練習。

「アメリアの遺言」は、今、手元になく、確認できないが、
東京音楽アカデミーのテキストに、プレゼント演奏で載り、
「アメリアの誓い」の題名だった気もするが、カナ表記が、
違うのではなく、題名が変わることも、クラシックには多い。

ミゲル・リョベートが、歌い継がれた、カタロニア民謡を、
自作曲と言えるほど、見事にギター曲に紡いだ中から、
「アメリアの遺言」と「盗賊の歌」を、雑音を気にしすぎて、
かなり、ゆっくりになってしまった演奏のまま、アップです。







トレモロ奏法の最近の定番曲、バリオス「森に夢見る」
家族に録画を頼まれて、番組の予約をしていたら、
番組表に、「クラシックギター」の文字を見つけて、
NHK教育の「らららクラシック」が、ギター特集で、
テレビ欄のチェックは必要だと、改めて実感した。

ゲストは、若手と言うよりは、もはや中堅となった、
鈴木大介で、ギターの歴史、奏法や名曲について、
演奏を交えつつ解説して、今時のギタリストたちは、
話もうまいなあと感心して、楽しい時間を過ごした。

トレモロ奏法の解説で、ギターは音が減衰するので、
歌、ヴァイオリンのような、長いフレーズを弾くために、
考えられた奏法で、一つの音が持続する中、音量の、
変化もつけられると話し、なるほどなあと、納得した。

トレモロ奏法の曲の、代表と言ったら、何をおいても、
タレガ作曲の、「アランブラ宮殿の思い出」であって、
これこそが完成形というか、トレモロ奏法で弾く場合、
すべての曲が、このパターンを踏襲していると言える。

16分音符にし、4つの音を弾くが、その最初の音は、
親指で低音を弾き、続く3つの音は、同じ音程のまま、
薬指、中指、人差し指と弾いていくが、その低音部は、
アルペジオとなるように、メロディーに沿い動いていく。

マンドリンや、エレキギターのトレモロ奏法は、ピックで、
同一の音を小刻みに弾くが、クラシックギターの場合、
頭で低音部を弾くのが、ある意味、様式化されていて、
ポピュラー曲のアレンジでも、間違いなくこの形となる。

「アランブラ」に次ぐトレモロ曲は、同じタレガの「夢」や、
モッツァーニの「ラリアーネ祭」、RS・デ・ラ・マーサの、
「暁の鐘」などあったが、バリオスの「森に夢見る」や、
「最後のトレモロ」が、最近は、好んで演奏されている。

「森に夢見る」は、村治佳織「カヴァティーナ」に収録され、
「クラシックギターのしらべ」にも、楽譜が出ていたが、
ラジオ「今晩は 吉永小百合です」の、テーマで聴いて、
気に入って、あとから、CDも楽譜も持っていると気づく。

「らららクラシック」には、まだまだ女学生に見える若手、
朴葵姫が出てきて、「アランブラ宮殿」を演奏していたが、
デビューCDでは、「夢」や「森に夢見る」も演奏していて、
さながらトレモロ姫とでもいうべき、卓越したテクニック。

鈴木大介と手を比べると、3分の2くらいの華奢な手で、
ギターを弾く時も、まるでチェロを抱えているかのように、
小柄な体つきで、手が小さい、指が短いと言い訳する、
自分を大いに反省した次第で、ストレッチを心がけよう。

そんなこんなで、トレモロの曲を演奏する気になったが、
「アランブラ」は、2年ほど前に、さわりだけ演奏してて、
その後、あまり進歩もしていないから、目線を変えて、
ほとんど弾いたことがなかった、「森に夢見る」に挑戦。

トレモロ奏法をしていて、昔から、気になっていたのが、
ンタタタ・ンタタタと、いつも高音が、遅れて始まるから、
そこで、メロディがプツプツ途切れ、つっかかったように、
聴こえる点で、練習でテンポを落とすと、さらに気になる。

さらに、親指で弾く低音が、やたら大きい音で鳴り続け、
途切れがちなメロディーが、ますます聴こえづらくなるが、
プロの演奏では、そんなことなく、メロディは歌い続けて、
二重奏のように、親指の伴奏は、全体を支えて聴こえる。

音が途切れて聴こえたり、伴奏の音が大きすぎるのは、
右手のコントロールが、できていないからで、その場合、
アルペジオの初歩から、やり直し、トレモロ奏法の曲を、
そもそも、弾くレベルではないという、厳しい意見もある。

自分は、いつもの開き直りで、そんなことを言っていたら、
いつまでも演奏できないし、とにかく曲を演奏することが、
トレモロの良い練習になるぞとばかり、尺も長い大作の、
「森に夢見る」だけを、このところは、毎日練習し続けた。

この曲は、6弦をD音、5弦をG音へと、一音ずつ下げて、
6弦と4弦、5弦と3弦が、1オクターブ違いの同音となり、
うまく開放弦を利用できるが、チューニングを戻すのが、
面倒だからと、おのずと他の曲は弾けず、かかりきりに。

南米パラグアイの作曲家にして、自作自演のギタリスト、
アグスティン・バリオスによる、トレモロ奏法の新定番曲、
「森に夢見る」を、トレモロが小さくて、低音に消されたり、
セーハがポコポコしたままですが、勢いでアップします。






Youtubeにアップしてから、聴いたら、あまりにひどくて、
後半など、ハイポジの音が、まったく出てないのですが、
記録として削除せず、使用前、使用後と比較できるよう、
いずれリベンジしますと、こんな言い訳も毎度のような…。


復興への思いをこめ 村治佳織「一億の祈り」
ブロとも、エレギ師さんへ





38年前、荘村清志の演奏に圧倒された、「アストゥリアス」
中学生の頃に見た、NHK教育テレビの「ギターをひこう」で、
講師の荘村清志が、最後に演奏する、ミニミニコンサートは、
ほとんど、クラシックギターの曲を、知らなかったこともあって、
それが定番のレパートリーだと、自分の中で固定観念となる。

なかでも、アルベニス「アストゥリアス」は、ギターが何本も、
合奏してるような神業で、フラメンコのラスゲアードのように、
力強く入るストロークといい、中間部のオクターブ奏法での、
歌い上げるフレーズといい、中2の自分は、ただ圧倒された。

この曲は、元来ピアノ曲だが、フラメンコのように聴こえるのも、
当然というか、作曲家のアルベニスは、アンダルシア地方の、
民族的なギターに、着想を得たそうで、スペイン民族楽派の、
御三家と呼ばれる、グラナドスや、ファリャにも共通する特徴。 

アルベニスは、自分のピアノ曲を、タレガがギターで弾いたら、
「これこそが、私の目指した音だ」と叫んだ、という逸話があり、
てっきり、この曲のことだと思っていたら、「グラナダ」らしくて、
「アストゥリアス」のギター編曲も、タレガではなかったようだ。

そもそも、手持ちの「タレガ作品全集」を見ても、「グラナダ」や、
グラナドス「スペイン舞曲第5番」の、ギター編曲はあるのに、
この曲は出てなくて、「標準版ターレガ曲集・編曲作品」にも、
出てないので、一説に言う、セゴビア編曲あたりが、真実か。

この曲は、「アストゥリアス」という題名自体も、いわくつきで、
もともと「前奏曲・レイエンダ」として、書かれた曲だったのを、
アルベニスの没後、出版社が、未完の「スペイン組曲」のうち、
題名だけがついてた数曲に、既存の曲を、当てはめたそうだ。

スペイン南部、アンダルシア地方の、ギターがモチーフなのに、
北部の地名、アストゥリアスとは、おかしな話で、編曲者である、
セゴビアは、「レイエンダ(伝説)」の題名で録音、演奏していて、
自分など、別の曲かと思ったが、セゴビア流のこだわりなのか。

ギター編曲は、ホ短調に移調し、2、3弦の開放弦を使うことで、
同じ音が鳴り続けるようにし、16分音符だけで続けるところも、
3連符で変化をつけ、オリジナルのギター曲かと、思えるほど、
見事な出来で、大半の編曲、演奏は、この形を踏襲している。

例えは変だが、コロッケのやる岩崎宏美の物真似をした場合、
それは、岩崎宏美本人の真似でなく、コロッケの真似であって、
「アストゥリアス」をギターで弾く場合は、多少、変えていても、
「セゴビア編・誰々改編」と明記すべきと、自分は思うのだが。

ただ、セゴビアより先に、ギター編曲した人がいるかもしれず、
たかだか100年も、たっていないのに、不明なことだらけだと、
思いつつ、最近と言うには古いが、あのビートルズにしたって、
逸話や謎がつきもので、それだけに面白くて、自分も調べたり。

荘村清志の演奏に感動して、当時、LPレコードを2枚買ったが、
この「アストゥリアス」や、番組のテーマ曲だった「鐘の響き」は、
収録されてないので、もっぱら、テレビから録音したカセットを、
聴いたのだが、当時は、ちょっと聴いただけでも、曲を覚えた。

「ギターをひこう」のテキストには、この曲の楽譜はなかったが、
初めてギターを買った時、買った「NHKギター教室・名曲編」は、
荘村清志より前に、「ギターをひこう」の講師もした、ベテランの、
阿部保夫の編著で、この曲もあり、その運指に基づき練習した。

練習したと言っても、いつものことで、難しい箇所は、とばしたり、
ミスも気にしないし、10年前は、「クラシックギターのしらべ」が、
TAB付だったので、曲全体をさらうが、ミスが消えるわけもなく、
今回久々に弾いたら、準備不足で、指がもつれる結果となった。

前回、苦手だと書いたセーハが、この曲でも、やたら出てきて、
必死で押さえるものの、やはり2・3弦が、ポコポコなってたり、
右手にしたって、高速アルペジオで空振りしたり、勢いあまって、
トレモロ奏法になり、別の弦まで引っ掛けたりと、苦労だらけ。

イサーク・アルベニスがピアノ曲として作曲し、ギター編曲は、
セゴビアと言われる、「アストゥリアス」(別名・レイエンダ)を、
38年前、教育テレビで見て圧倒された、荘村清志の演奏に、
思いをはせて、今回も練習経過となる、無理やりのアップです。











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