僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。 旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
80年前後、フュージョン全盛期は、かなりの曲が、
TVCMなどで使われていたが、その元祖となると
78年頃の渡辺貞夫や、日野皓正あたりだろうか。
やがて、ギタリストの曲も、CMに使われ始めると、
パイオニアの高中正義に、日立は渡辺香津美で、
その香津美の「ユニコーン」は、おそらく彼の中で、
一番有名な曲だろうし、フュージョンでも代表曲。
何でも、CM用に曲を書き、国内ミュージシャンと、
テーマ部分のみ録音したところ、好評だったので、
次のNY録音のアルバムで、フル演奏したらしい。
渡辺香津美は、2枚ほど、アメリカ録音していたが、
ニューヨーク・オールスターズで、フュージョンの、
ブームを牽引した、マイク・マイニエリらを迎えて、
以前のセッション的と違う、じっくりアレンジした内容。
バックも豪華で、2組のリズムセクションを曲により、
使い分け、ロック的な曲は、GRPオールスターズで、
注目の若手ベーシスト、マーカス・ミラーを起用し、
ドラムは、24丁目バンドの、スティーブ・ジョーダン。
マーカス・ミラーは、マイルス・デイビスに見出される、
1年前だし、来日ツアーで、ジョーダンの代役だった、
オマー・ハキムは、その後ウエザーリポートで活躍と、
海外の若手実力派とも、早い段階で、共演していた。
月刊誌「ジャズ・ライフ」の、アルバム特集記事では、
数曲の楽譜が掲載され、「ユニコーン」は、アドリブも、
採譜されていて、当然ながら、当時は必死になって、
この曲を練習したので、今でも、少し指が覚えていた。
雑誌の表紙では、レスポールスペシャルを弾く姿だが、
記事には、レスポール・アニバーサリーモデルの写真、
どちらにしても、それで以前と音が違うのか、と思うと、
ブログ情報では、愛器アレンビックも使っているらしい。
さらに、TVCMで、香津美はフルアコギターを抱えて、
前述のCM用に録音した時は、このギターかも知れず、
全体に、クランチとディストーションの間くらい歪みで、
ちょっと、ジェフ・ベック風な音にも、感じが似ている。
この微妙な歪ませ方は、難しくて、ペケペケの生音や、
ジャリジャリの歪み過ぎと、うまくコントロールできずに、
仕方なく、トーンをしぼったうえ、かなり歪ませておいて、
フュージョンらしく、コーラスをかけた音で、録音する。
80年、ニューヨークのミュージシャンをバックに従えて、
今でも、渡辺香津美の名盤とされる「TOCHICA」から、
CMにもなった「ユニコーン」を、いつものやや完コピで。
TVCMなどで使われていたが、その元祖となると
78年頃の渡辺貞夫や、日野皓正あたりだろうか。
やがて、ギタリストの曲も、CMに使われ始めると、
パイオニアの高中正義に、日立は渡辺香津美で、
その香津美の「ユニコーン」は、おそらく彼の中で、
一番有名な曲だろうし、フュージョンでも代表曲。
何でも、CM用に曲を書き、国内ミュージシャンと、
テーマ部分のみ録音したところ、好評だったので、
次のNY録音のアルバムで、フル演奏したらしい。
渡辺香津美は、2枚ほど、アメリカ録音していたが、
ニューヨーク・オールスターズで、フュージョンの、
ブームを牽引した、マイク・マイニエリらを迎えて、
以前のセッション的と違う、じっくりアレンジした内容。
バックも豪華で、2組のリズムセクションを曲により、
使い分け、ロック的な曲は、GRPオールスターズで、
注目の若手ベーシスト、マーカス・ミラーを起用し、
ドラムは、24丁目バンドの、スティーブ・ジョーダン。
マーカス・ミラーは、マイルス・デイビスに見出される、
1年前だし、来日ツアーで、ジョーダンの代役だった、
オマー・ハキムは、その後ウエザーリポートで活躍と、
海外の若手実力派とも、早い段階で、共演していた。
月刊誌「ジャズ・ライフ」の、アルバム特集記事では、
数曲の楽譜が掲載され、「ユニコーン」は、アドリブも、
採譜されていて、当然ながら、当時は必死になって、
この曲を練習したので、今でも、少し指が覚えていた。
雑誌の表紙では、レスポールスペシャルを弾く姿だが、
記事には、レスポール・アニバーサリーモデルの写真、
どちらにしても、それで以前と音が違うのか、と思うと、
ブログ情報では、愛器アレンビックも使っているらしい。
さらに、TVCMで、香津美はフルアコギターを抱えて、
前述のCM用に録音した時は、このギターかも知れず、
全体に、クランチとディストーションの間くらい歪みで、
ちょっと、ジェフ・ベック風な音にも、感じが似ている。
この微妙な歪ませ方は、難しくて、ペケペケの生音や、
ジャリジャリの歪み過ぎと、うまくコントロールできずに、
仕方なく、トーンをしぼったうえ、かなり歪ませておいて、
フュージョンらしく、コーラスをかけた音で、録音する。
80年、ニューヨークのミュージシャンをバックに従えて、
今でも、渡辺香津美の名盤とされる「TOCHICA」から、
CMにもなった「ユニコーン」を、いつものやや完コピで。
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78年、高3の時、本物のフェンダー・ストラトを買い、
学校に持ってきた奴がいると、休み時間に友人が、
興奮して戻ってきて、すぐに、ギター好きの数名で、
そのクラスの押しかけて、弾かせてもらったりする。
みんな、すごくうまく、自分は気後れし、見ていたが、
なかでも、ジャズギターの早弾きをこなす奴がいて、
「あいつは、ジョージ・ベンソンの曲を弾いてるから、
うまいんだよなあ。」と、友人達が口々に言っていた。
単純な自分は、すぐに渋谷公園通りの石橋楽器で、
アルバム「ブリージン」の、スコアを買い、その足で、
レコード屋も回って、LPも買ったのだが、実際には、
彼は、ベンソンのファンでも何でもなかったらしい。
ただ、FMで聴いた、「ブリージン」「マスカレード」の、
控え目のギターが、他の曲で、弾きまくっていたので、
LPと楽譜を買ったのは、正解だったし、聴きこんでは
何曲かのテーマ程度が、そこそこ弾けるようにもなる。
「So This is Love(これが愛なの?)」という曲は、
Em7だけ、いわゆる一発コードの、アドリブが続き、
ロックでも使う、ペンタトニックフレーズも出てくるので、
とっつきやすくて、そこの部分だけを、かなり練習した。
ベンソンの特徴のひとつに、通常のオクターブ奏法に、
5度ないし4度の音を加えての、アドリブがあるのだが、
この曲にも出てきて、右手の指弾きのニュアンスやら、
絶妙のシンコペーションは、なかなか再現できない。
この曲の伴奏は、ギターのフィル・アップチャーチが、
フェイザーや、ワウワウを使って、ご機嫌なリズムの、
刻みを聴かせ、ホルヘ・ダルトが弾く、クラビネットの、
跳ねるような、いかしたバッキングも、すごく印象的。
さらに、メロディにかぶってくる、オーケストラの旋律も、
すごく良いのだが、MTRには、6トラックしかないので、
楽譜がコード表記のみの、クラビとギターのパートは、
1個にアレンジしたり、ブラスとムーグは省略しておく。
ピンポン録音(今は、バウンス録音と呼ぶ?)にすれば、
いくらでも音は重ねられるが、あとから音のバランスや、
定位を修正できないので、当面は、このやり方となる。
「ジャズギターは、こもった音だ」という、固定観念が、
昔から自分にあって、それでも、今回のギターの音は、
ちょっと、こもりすぎだが、少しトレブルを上げてみたら、
ベンチャーズの生音みたいになり、その加減が難しい。
ジョージ・ベンソンが、ギタリストから、ボーカリストへと、
華麗な転身を遂げるきっかけで、グラミー賞も受賞した、
76年の「ブリージン」から、ギター弾きまくりのインスト、
「これが愛なの?」の、いつもながらの、やや完コピです。
学校に持ってきた奴がいると、休み時間に友人が、
興奮して戻ってきて、すぐに、ギター好きの数名で、
そのクラスの押しかけて、弾かせてもらったりする。
みんな、すごくうまく、自分は気後れし、見ていたが、
なかでも、ジャズギターの早弾きをこなす奴がいて、
「あいつは、ジョージ・ベンソンの曲を弾いてるから、
うまいんだよなあ。」と、友人達が口々に言っていた。
単純な自分は、すぐに渋谷公園通りの石橋楽器で、
アルバム「ブリージン」の、スコアを買い、その足で、
レコード屋も回って、LPも買ったのだが、実際には、
彼は、ベンソンのファンでも何でもなかったらしい。
ただ、FMで聴いた、「ブリージン」「マスカレード」の、
控え目のギターが、他の曲で、弾きまくっていたので、
LPと楽譜を買ったのは、正解だったし、聴きこんでは
何曲かのテーマ程度が、そこそこ弾けるようにもなる。
「So This is Love(これが愛なの?)」という曲は、
Em7だけ、いわゆる一発コードの、アドリブが続き、
ロックでも使う、ペンタトニックフレーズも出てくるので、
とっつきやすくて、そこの部分だけを、かなり練習した。
ベンソンの特徴のひとつに、通常のオクターブ奏法に、
5度ないし4度の音を加えての、アドリブがあるのだが、
この曲にも出てきて、右手の指弾きのニュアンスやら、
絶妙のシンコペーションは、なかなか再現できない。
この曲の伴奏は、ギターのフィル・アップチャーチが、
フェイザーや、ワウワウを使って、ご機嫌なリズムの、
刻みを聴かせ、ホルヘ・ダルトが弾く、クラビネットの、
跳ねるような、いかしたバッキングも、すごく印象的。
さらに、メロディにかぶってくる、オーケストラの旋律も、
すごく良いのだが、MTRには、6トラックしかないので、
楽譜がコード表記のみの、クラビとギターのパートは、
1個にアレンジしたり、ブラスとムーグは省略しておく。
ピンポン録音(今は、バウンス録音と呼ぶ?)にすれば、
いくらでも音は重ねられるが、あとから音のバランスや、
定位を修正できないので、当面は、このやり方となる。
「ジャズギターは、こもった音だ」という、固定観念が、
昔から自分にあって、それでも、今回のギターの音は、
ちょっと、こもりすぎだが、少しトレブルを上げてみたら、
ベンチャーズの生音みたいになり、その加減が難しい。
ジョージ・ベンソンが、ギタリストから、ボーカリストへと、
華麗な転身を遂げるきっかけで、グラミー賞も受賞した、
76年の「ブリージン」から、ギター弾きまくりのインスト、
「これが愛なの?」の、いつもながらの、やや完コピです。

このところ、プリズムの曲を続けて、記事にしたが、
森園が作曲した、「デイ・ドリーム」は、プリズムの、
LPではなく、「ギター・ワークショップ」バージョンが、
気に入っていたので、演奏も、そのアレンジにした。
そのアルバム、渡辺香津美、森園勝敏、大村憲司に、
山岸潤史が競演した、「ギター・ワークショップ」は、
77年録音で、クロスオーバーがブームになった頃、
と言うより、ブームに先駆けて、いち早く企画された。
手元に残っている、ヤングギター78年1月号には、
参加した4人のギタリストの、対談が掲載されていて、
同じ号に、リー・リトナー、2月はラリー・カールトンの、
特集があり、まさに、クロスオーバーブーム幕開け。
渡辺香津美は、77年当時、ジャズ出身である以上に、
クロスオーバーギタリストの第一人者で、他に参加の、
3人が選ばれた経緯は不明だが、香津美を抜きには、
あのクロスオーバーブームは、なかったかもしれない。
ジャズギターの天才少年として、活躍した香津美が、
77年に、「オリーブス・ステップ」を発表し、雑誌等で、
クロスオーバーの若手と紹介され、カールトンなどを、
聴き始めていた自分は、とびつくようにエアチェックした。
当時聴かなかったが、75年「エンドレス・ウェイ」でも、
ディストーションのギターで、ロックフレーズを弾いて、
日本のクロスオーバーの元祖と言えるが、基本的には、
ジャズギターの、オーソドックスなフレーズが主体だった。
「ジェントル・アフターヌーン」での演奏は、コード進行が、
ビバップと言うよりは、ブルースに近く、ペンタトニックも、
多用するが、クロマチックや、ドミナントモーションという、
お手本のようなフレーズも満載だから、すごく気に入った。
いつ頃に、買ったか不明だが、この曲のカラオケを含む、
「ハイテクニック・プロフェッショナル・シリーズ」が出て、
レコードの曲の、実際のカラオケに、譜面が付いていた。
同じ音源を使い、キーボードや、ベース抜きのカラオケも、
あったはずで、それで譜面は、ドラム以外は載っていたが、
どうせなら、ドラムも入れたバンドスコアにして欲しかった。
当時、本物のカラオケに合わせて、ギター練習したものの、
リズム音痴だから、裏でくったようなノリのテーマが弾けず、
アドリブ部分は、さらに無理で、すぐにあきらめ、押入れに。
プロを目指し、渋谷河合楽器で、ジャズギターを習ったと、
何かにつけて、ブログに書いているが、楽々と弾けるのは、
ロックの指癖フレーズくらいで、ジャズのフレーズとなると、
ミスだらけで、早弾き練習ばかり、やってるからだと反省。
日本を代表するフュージョン・ギタリスト、渡辺香津美が、
78年発売の、「ギター・ワークショップvol.1」で演奏した
「ジェントル・アフターヌーン」を、いつもの、やや完コピで。
森園が作曲した、「デイ・ドリーム」は、プリズムの、
LPではなく、「ギター・ワークショップ」バージョンが、
気に入っていたので、演奏も、そのアレンジにした。
そのアルバム、渡辺香津美、森園勝敏、大村憲司に、
山岸潤史が競演した、「ギター・ワークショップ」は、
77年録音で、クロスオーバーがブームになった頃、
と言うより、ブームに先駆けて、いち早く企画された。
手元に残っている、ヤングギター78年1月号には、
参加した4人のギタリストの、対談が掲載されていて、
同じ号に、リー・リトナー、2月はラリー・カールトンの、
特集があり、まさに、クロスオーバーブーム幕開け。
渡辺香津美は、77年当時、ジャズ出身である以上に、
クロスオーバーギタリストの第一人者で、他に参加の、
3人が選ばれた経緯は不明だが、香津美を抜きには、
あのクロスオーバーブームは、なかったかもしれない。
ジャズギターの天才少年として、活躍した香津美が、
77年に、「オリーブス・ステップ」を発表し、雑誌等で、
クロスオーバーの若手と紹介され、カールトンなどを、
聴き始めていた自分は、とびつくようにエアチェックした。
当時聴かなかったが、75年「エンドレス・ウェイ」でも、
ディストーションのギターで、ロックフレーズを弾いて、
日本のクロスオーバーの元祖と言えるが、基本的には、
ジャズギターの、オーソドックスなフレーズが主体だった。
「ジェントル・アフターヌーン」での演奏は、コード進行が、
ビバップと言うよりは、ブルースに近く、ペンタトニックも、
多用するが、クロマチックや、ドミナントモーションという、
お手本のようなフレーズも満載だから、すごく気に入った。
いつ頃に、買ったか不明だが、この曲のカラオケを含む、
「ハイテクニック・プロフェッショナル・シリーズ」が出て、
レコードの曲の、実際のカラオケに、譜面が付いていた。
同じ音源を使い、キーボードや、ベース抜きのカラオケも、
あったはずで、それで譜面は、ドラム以外は載っていたが、
どうせなら、ドラムも入れたバンドスコアにして欲しかった。
当時、本物のカラオケに合わせて、ギター練習したものの、
リズム音痴だから、裏でくったようなノリのテーマが弾けず、
アドリブ部分は、さらに無理で、すぐにあきらめ、押入れに。
プロを目指し、渋谷河合楽器で、ジャズギターを習ったと、
何かにつけて、ブログに書いているが、楽々と弾けるのは、
ロックの指癖フレーズくらいで、ジャズのフレーズとなると、
ミスだらけで、早弾き練習ばかり、やってるからだと反省。
日本を代表するフュージョン・ギタリスト、渡辺香津美が、
78年発売の、「ギター・ワークショップvol.1」で演奏した
「ジェントル・アフターヌーン」を、いつもの、やや完コピで。

78年に発売された、プリズムの2ndアルバムは、
和田アキラの曲だけだった、デビュー作とは違い、
森園勝敏に加え、ベースの渡辺健、キーボードの、
久米大作の曲もあって、バラエティに富んでいた。
ただ、和田アキラの、早弾きギターが好きになって、
1枚目にとびついた自分には、何だか物足りないし、
メロディも今一歩に感じ、数曲エアチェックはしたが、
CDの時代になるまで、アルバムは買ってなかった。
そのうち、和田アキラの曲、「ビニース・ザ・シー」は、
延々とギターを弾きまくる為、作った曲という感じで、
早いリフの、目まぐるしい展開も、すごく気に入った。
パートⅠ、Ⅱ、Ⅲとなる構成で、このあたり、イエス、
ピンクフロイドなどの、プログレッシブ・ロックの曲に、
よくあるパターンで、プリズムは、ジャズ畑というより、
ロック出身の、フュージョンバンドと言えるのだろう。
ただ、3曲となっているが、冒頭アコギのみの演奏は、
パートⅠに間違いないとして、ⅡとⅢの区別となると、
何度も変化するうちの、どの部分か、よくわからない。
余談だが、サディスティック・ミカ・バンドの「黒船」も、
「6月2日」から「6月4日」と続く組曲となっているが、
ラストの高中正義のギターソロが、「6月4日」として、
どこが2日と3日なのか、いまだに自分はわからない。
「ビニース・ザ・シー」を、ラジオ番組で聴いたときに、
ゲストの和田アキラと森園が、二人で声をそろえて、
曲紹介したことを覚えているが、最初に聴いたのは、
その時だったか、ライブだったか、記憶があいまい。
自分が唯一見た、第一期プリズムは、78年2月に、
渋谷パルコ劇場だったが、LPはもう出ていたのか、
最近発売された、前年の杉野講堂のライブCDでも、
この曲は演奏されていて、時系列が混乱してしまう。
アコギ部は、当時はやったECMの音楽にそっくりで、
ビル・コナーズとかの、元祖ヒーリングミュージックに、
近いものがあって、一歩間違えば、間延びするところ。
実際のところ、その部分、やたらとタメや休符が長く、
数秒の無音が、何箇所もあるが、リミックスというか、
勝手に少しテンポをあげたり、休符も短めにしている。
それでも、全体として13分に及ぶ、延々と続く演奏で、
原曲を聴き込んでいる自分でさえも、通して聴いたら、
だんだんあきてくる、まとまりのない演奏になっていた。
元祖フュージョンバンドのプリズムが78年に発表した、
「プリズムⅡ/セカンド・ソウツ・セカンド・ムーブ」から、
大作組曲「Beneath The Sea」の、やや完コピです。
和田アキラの曲だけだった、デビュー作とは違い、
森園勝敏に加え、ベースの渡辺健、キーボードの、
久米大作の曲もあって、バラエティに富んでいた。
ただ、和田アキラの、早弾きギターが好きになって、
1枚目にとびついた自分には、何だか物足りないし、
メロディも今一歩に感じ、数曲エアチェックはしたが、
CDの時代になるまで、アルバムは買ってなかった。
そのうち、和田アキラの曲、「ビニース・ザ・シー」は、
延々とギターを弾きまくる為、作った曲という感じで、
早いリフの、目まぐるしい展開も、すごく気に入った。
パートⅠ、Ⅱ、Ⅲとなる構成で、このあたり、イエス、
ピンクフロイドなどの、プログレッシブ・ロックの曲に、
よくあるパターンで、プリズムは、ジャズ畑というより、
ロック出身の、フュージョンバンドと言えるのだろう。
ただ、3曲となっているが、冒頭アコギのみの演奏は、
パートⅠに間違いないとして、ⅡとⅢの区別となると、
何度も変化するうちの、どの部分か、よくわからない。
余談だが、サディスティック・ミカ・バンドの「黒船」も、
「6月2日」から「6月4日」と続く組曲となっているが、
ラストの高中正義のギターソロが、「6月4日」として、
どこが2日と3日なのか、いまだに自分はわからない。
「ビニース・ザ・シー」を、ラジオ番組で聴いたときに、
ゲストの和田アキラと森園が、二人で声をそろえて、
曲紹介したことを覚えているが、最初に聴いたのは、
その時だったか、ライブだったか、記憶があいまい。
自分が唯一見た、第一期プリズムは、78年2月に、
渋谷パルコ劇場だったが、LPはもう出ていたのか、
最近発売された、前年の杉野講堂のライブCDでも、
この曲は演奏されていて、時系列が混乱してしまう。
アコギ部は、当時はやったECMの音楽にそっくりで、
ビル・コナーズとかの、元祖ヒーリングミュージックに、
近いものがあって、一歩間違えば、間延びするところ。
実際のところ、その部分、やたらとタメや休符が長く、
数秒の無音が、何箇所もあるが、リミックスというか、
勝手に少しテンポをあげたり、休符も短めにしている。
それでも、全体として13分に及ぶ、延々と続く演奏で、
原曲を聴き込んでいる自分でさえも、通して聴いたら、
だんだんあきてくる、まとまりのない演奏になっていた。
元祖フュージョンバンドのプリズムが78年に発表した、
「プリズムⅡ/セカンド・ソウツ・セカンド・ムーブ」から、
大作組曲「Beneath The Sea」の、やや完コピです。

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