僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
20倍カレーのボルツと、卵カレーのムルギー
当時、激辛なんて、言葉はなかったと思うが、
78年頃に、辛さが20倍もあるカレーだと、
話題になったのが、ボルツのカレーでした。

渋谷店も、東急ハンズの横、井の頭通り側に、
オープンし、少し奥まった入口になっていた。

初めて入ったのは、大学の友人とだったから、
79年になるが、店ができてすぐかは、不明。

テレビの「ぴったしカンカン」でも放送されて、
「20倍カレーを食べた人が、ホニャララが
痛いと言った」という、問題と共に紹介される。

普通に考えると、口や舌ががヒリヒリしたり、
お腹が痛くなるのだが、正解は「耳が痛い」。

実際にそうなのかと、店に乗り込んだような、
記憶なのだが、この辺も、前後しているかも。

とにかく、友人と行って、まずは8倍に挑戦、
出てきたカレーを口にし、「この程度かよ」と、
笑ったのもつかのま、後味が尾を引くというか、
突然、辛さが広がって、首筋からも汗が出る。

水を飲んでも、余計に辛さを感じるようで、
味わうどころでなく、流し込むように食べた。

食後に、ミルクティーが出て、助かったとばかり、
砂糖を大量に入れたが、これが熱々だったから、
とどめをさすかのように、口の中が火を噴いた。

へなちょこの自分は、次からは、ミルクカレーで、
友人も、10倍まで挑戦したが、2倍に格下げ。

店によっては、40倍カレーもあるという噂だが、
自分の周囲では、20倍に挑戦すら、しなかった。

同じ頃に、道玄坂にある、ムルギーカレーにも、
行くようになったが、こちらは老舗のカレー屋で、
ピラミッドのようなライスに、汁だけのカレー。

メニューには、いくつか別の品もあるようだが、
店長がすぐに、「卵入りですか、なしですか」と、
注文を取り、選択の余地もないような雰囲気。

野菜も肉も煮込まれて、ルーだけとなっていて、
適度な辛さのカレーを、自分は気に入った。

もともと自宅でも、じゃがいもはよけて食べ、
なんで、ご飯と芋を一緒に食べるんだよ、
主食同士じゃないかと、屁理屈を言っていた。

ムルギーカレーは、すごく気に入ってしまい、
一時は毎週のように、一人で食べに行った。

その後に、レトルトで、黒カレー赤カレーが、
発売されたとき、黒カレーの味が似ていて、
これも毎週のように、買って食べていたほど。

そうそう、ムルギーカレーのある一角は、
百軒店と呼ばれるが、「ひゃっけんてん」と、
ずっと思っていたが、先日ブログのコメントで、
「ひゃっけんだな」と、初めて知りました。

勘違いしていたり、思い込みの激しいことが、
何かとあるので、みなさんからのコメントで、
補足や訂正できたり、記憶が蘇ったりします。

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初めて食べたカップめんは、「パックヌードル」
72年、友人が、お湯をかけて、
食べられるラーメンがあると言う。

漫画「おばけのQ太郎」の中で、
小池さんが食べるラーメンとも、
違い、容器もついているらしい。

だいたい、小池さんが食べたのが、
チキンラーメンであることも知らず、
インスタントラーメンといえば、
サッポロ一番か、チャルメラだった。

出前一丁りゅうしょう麺もあったが、
チキンラーメンは、なぜだろうか、
食べないどころか、存在も知らなくて、
漫画の中だけの、作り物と思っていた。

「♪りゅうしょうさんのお鼻は、
なぜ赤い」なんて、CMソングの、
りゅうしょう麺は、肉味噌味で、
今で言う坦々麺に、近かったかも。

それで、友人が食べたというのは、
カップヌードル」という新製品で、
すごくおいしかったと、自慢する。

母と一緒に、近所の乾物屋に行くと、
パックヌードル」を出してくれる。

「カップ」と「パック」の名称以上に、
容器が、四角い弁当箱だったりして、
まったくの別物だが、そうと知らずに、
喜んで買って帰り、早速お湯をかける。

この手の食べ物が、初めてだったから、
薬くさいような気がして、完食せず。

コーラや、ドクターペッパーあたりも、
最初に飲んだ時には、薬くさく感じた。

その後、近所に、お湯が出てくる、
カップヌードルの自販機が置かれた。

お湯が出てくるのが、妙に嬉しくて、
中学生の自分は、8時を過ぎると、
夜食代わりに、買ってきて食べた。

もう薬くさいとは、思わなかったが、
逆に中毒のように、食べてばかりで、
ほどほどにできない、悪い癖でした。


スーパージェッターふりかけは、丸々一袋食べたい
幼稚園の頃、ヘルニアの手術で、
広尾日赤病院に、入院しました。

手術台に乗って、テレビで見るような、
ライトのまぶしさと、麻酔の臭い、
今も、鮮烈に思い出す、幼児体験。

でも、ふつうに考えたら、
手術室で、執刀医を前にしてから、
麻酔をかがされたりするだろうか。

ドラマなどの記憶が混在して、
ひとつの場面を作り上げている、
いつもの、思い込みかもしれません。

何日か、小児病棟に入院したが、
食べ物の好き嫌いが激しいので、
せめて、ご飯だけでも食べるよう、
母が、ふりかけを持ってきてくれた。

当時テレビで、流行していたアニメ、
スーパージェッターのふりかけだった。

大部屋だったので、ほかの子供たちも、
当然、「いいなあ」と騒ぎ出す。

「じゃあ、みなさんで」と母が言って、
各ベッドにまわしたら、戻ったとき、
ふりかけは、空になっていた。

肝心の自分が、食べれなくて、
思い切り泣いたのだが、その後、
母が買ってきたかは、記憶にない。

食べれなかったという、悔しさだけ、
覚えているという、いつもの癖。

就職してから、一人暮らしを始めたら、
「全部外食では、金がもたないぞ」と、
伯父が、炊飯器をプレゼントしてくれた。

ご飯だけは、自分で炊いて、
ツナ缶や、レトルトカレーに、
インスタント味噌汁という食生活。

幼い頃のふりかけの件を、思い出し、
「全部一人で、食べたかったんだ」と、
丸々一袋を、どんぶり飯にかけてみる。

これが、すごくおいしくて、気に入り、
一食100円ですむ、贅沢気分だと、
毎日のように、ふりかけご飯にした。

食費の節約にもなり、レコードや、
楽器類に、給料を回せて一石二鳥。

そんな日々をすごしていたら、
職場の健康診断で、ひっかかりました。

それでも、懲りない性格のせいか、
50歳を目前にした、今になっても、
ふりかけの小袋を2から3個かけて、
夜食を食べるのが、プチ喜びなのです。




子供プールで食べた、アメリカンドッグ
正式名称は、何と言ったのだろうか?

70年前後、神南の国立代々木競技場の隣に、
室外プールがありました。

僕らは、「子供プール」と呼んでいて、
小学校のころは、毎夏休み、通いつめた。

中学生になって、出かけた記憶はないので、
利用は、小学生以下に限定されていたのか、
そのころには、もうなくなってしまっていたのか。

子供プールは、小学校のプールと違って、
学年の違う友人も一緒になって、好き勝手に泳げるし、
売店での買い食いも、楽しみの一つでした。

プールで冷えた体に、
ゆでたてのウィンナーは、何ともおいしかった。

家で食べるウインナよりも、倍くらいの長さで、
それも、嬉しかった。

帰りには、代々木公園前に停まっている屋台の車で、
ホットドッグを買って、かぶりついた。

あるとき、プールの売店も、ホットドッグの屋台も、
アメリカンドッグに切り替わってしまう。

何がアメリカンなのかも、わからないまま、
珍しくて、こぞって食べていた。

それも一段落すると、
やはり、ウインナーとホットドッグが忘れられない。

ホットドッグの屋台は、原宿のほうまで脚を伸ばし、
時々食べることができたが、ウインナーはそれっきり。

最近になって、コンビニのおでんのメニューに、
ウィンナーを見つけて、喜んでいるのです。



マックよりも先だった、デイリークイーン
73年ごろだったか、
渋谷道玄坂の緑屋へ、ボーリングに行った時など、
出入り口にある、デイリークイーンに寄ったりした。

スヌーピーなどの海外漫画がブームになり、
ビートルベイリーや、ブロンディと一緒に、
「わんぱくデニス」も買って読んでいたが、
そのキャラクターのアイスクリーム屋さんだった。

東横のお好みアイスや、遊園地のソフトクリーム、
親と出かけたときには、フルーツパフェなど食べていたが、、
チョコレートサンデーは、ちょっとした驚きだった。

アイスクリームが2個も、
しかもコーンでなく、皿に乗っているぞ。

なんだか、すごく贅沢な気分になったのです。

家で出される、玉ねぎの天ぷらなど、大嫌いだったのに、
オニオンリングも、すごくおいしく感じた。

この頃、西武デパート前のマクドナルドは、
すでに開店していただろうか。

自分がマックに通いつめるのは、
この1年後くらいだったはず。

ファーストフード(ファストフード)
という言葉も知らなかった当時のこと。







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