僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
初代ゲームボーイで、行列待ちが、楽しくなる(?)
スペースインベーダー世代と言ってよいか、
高校から大学にかけて、ゲームセンターや、
ゲーム喫茶に、はまっていた時期があった。

いつのまにか、そうしたゲーム熱は冷めて、
就職後に、ファミコンが一大ブームとなって、
ドラクエ現象が起きても、興味がなかった。

89年に、初代ゲームボーイが出たときに、
何がきっかけだったか、パズルゲームの、
テトリス」がやりたくて、本体を探し回って買う。

ゲームボーイと共に、ブームとなっているのが、
テレビで放送でもして、興味がわいたのか、
旅行先の旅館や、遊園地のゲームコーナーで、
アーケードタイプで遊んだか、どちらだったか。

当時は、セット販売が当たり前のように横行し、
ゲームボーイ本体に、テニスなどのソフトが、
いわゆるクソゲー程ひどくはないが、2本と、
バッテリーなどの付属品も、一緒に買わされた。

今さら「テトリス」を、説明するのも不要だろうが、
上から落ちてくるブロックを、フィールドに積み上げ、
横一列がそろうと、消すことができ、得点できる、
単純明快なルールの、落ちものパズルの元祖。

RPGなどが今も苦手で、インベーダーに始まる、
100円入れて、すぐに片がつく類のゲームが、
性に合っている自分は、テトリスは格好のゲーム。

すぐに片がつくゲームに、一度で終わらず、連続で、
コイン投入するように、何度も繰り返しプレイして、
気がつけば、夜中になっていることも多かった。

同年、横浜博覧会に出かけたが、行列に並ぶとき、
持参したゲームボーイで、テトリスをやったら、
待ち時間が、まったく苦にならなくて、それどころか、
いいところで、パビリオンに入れると、損した気に。

昔から行列が嫌いで、70年の大阪万博のときにも、
アメリカ館の月の石は、見ないまま帰ってきたし、
学生時代も、昼食時に、並ばずに、すむ店を探して、
周囲をうろつくうちに、1時となり、食べそびっていた。

そんな自分が、待ち時間が楽しくなってしまい、
行列が嫌で、83年の開園から、一度も行ってない、
ディズニーランドにも、何の苦もなく、出かけました。
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オセロに続く、ボードゲームは何だったか
73年、中1の頃に、ボードゲーム、
オセロが発売され、大ブームとなる。

TVCMで、盤面を白にされた人が、
「オセロー」と白髪になって叫び、
それが面白く、学校で話題になる。

渋谷東急本店の玩具売り場には、
縁台将棋でもないが、テーブルと、
椅子が用意してあり、オセロや、
大型チェスなどで、遊んだりした。

オセロに続け、ということなのか、
やたらとボードゲームが発売。

バックギャモンは、平安時代からの、
由緒ある(?)ゲームとチラシにあり、
簡単なルール解説まで載っていた。

何度か、東急本店でも遊んでみて、
一番安い、紙パッケージを買った。

ダイスを振る革製の筒が入った、
何万円もする製品もあったりして、
高級将棋盤さながらのラインアップ。

夏前に実家の押入れを、あさった時に、
トリップル」というゲームが見つかる。

ボードゲーム「リップル」


矢印の書いてある板を、交互に置いて、
自分が敵陣に進み、相手は後退するよう、
作戦を立てて、セットしていく。

それからは、互いの駒を進めるのだが、
置き方によっては、同じところを、
行ったり来たりして、千日手となる。

遊んだ記憶は、確かにあるのだが、
何のきっかけで買おうと思ったのか、
CMだか、友人が持っていたのか不明。

そもそも、一般の知名度はどうだったか、
少しくらいは、流行したのでしょうか。




スペースインベーダーは、ランチタイムにも襲来
自分たち世代が、ゲームを語る時、
スペースインベーダーを抜きには、
語れないというのは、異論がないはず。

78年、高3の頃に出たようだが、
最初に遊んだのは、立って操作する、
いわゆるゲームセンターのタイプ。

渋谷西武デパートの屋上だったか、
道玄坂緑屋のボーリング場だったか。

それまでの、ゲームコーナーにあった、
ピンポンブロック崩しゲームとは、
明らかに一線を画していた代物でした。

そのうちに、テーブルタイプが登場し、
もともと少なかったゲームセンターは、
インベーダーハウスと名称を変えて、
あちこちに乱立するようになった。

東急本店の前に、ゲーム喫茶ができ、
高3なのに、一人では入れなくて、
何度か、父に一緒に行ってもらった。

センター街のマイアミに入荷すると、
放課後、高校の友人たちと連れ立って、
夕方まで、ゲームをやり続けた。

大学に入っても、その熱は冷めずに、
ゲーム台の置いてある喫茶店を探し、
ランチタイムは、入り浸っていた。

画面の上に、ピラフを置かれて、
ハイスコア寸前で、ゲームオーバー、
むきになり、午後の授業に遅れる、
なんてことも、よくある話でした。

そのうちに、平安京エイリアンや、
ヘッドオンギャラクシアンなど、
喫茶店にも、いろいろな機種が入り、
ゲーム台を選んで、ランチを頼んだ。

東急本店に、海外製の玩具が入荷し、
スペースインベーダーもどきだったが、
1万円以上して、買うことはなかった。

わがまま放題、親にねだってきたが、
さすがに箇体を、買うこともしなかった。

いつのまにか、嘘のようにブームも去り、
自分も、ゲームセンターから遠ざかる。

ファミコンドラクエのブームなどは、
就職後で、給料も自由に使えたのだが、
横目に見ていて、欲しいとも思わず。

ゲームボーイテトリスの出現まで、
まったくTVゲームとも関わらず、
我ながら、それもなんだか、極端な話。

10年程前、旅行先のホテルのロビーで、
スペースインベーダーを見つけた。

あれだけ、夢中でやったゲームなのに、
かつての栄光(?)むなしく、ひどい点数。

UFOは何発目に打てば高得点だったか、
名古屋撃ちって、言葉は覚えているが、
どうするんだっけ、と、隔世の感でした。


お菓子のおまけは、なぞの怪獣たち
机の引き出しから、出てきた
3Dチェンジング怪獣カード

お菓子のおまけの怪獣カード

角度を変えて見ると、別の絵になる、
絵本の表紙にも使われていた方式。

ウルトラマンブームの頃だろうか、
いつ手に入れたかは、記憶にない。

自分が、怪獣に夢中だった頃として、
小学校低学年の、70年前後か。

ロボット怪獣 リモゴン」と、
裏に書いてあり、身長や体重、
特徴まで、説明されています。

ウルトラマンや、ゴジラガメラは、
ライセンス契約などが、必要なので、
とりあえず、怪獣ブームに便乗して、
勝手に作り出した、怪獣なのだろうか。

数種類は、持っていた気がする。

これに影響を受けたわけではないが、
仲間たちで、怪獣図鑑妖怪図鑑を、
思い思いに作っては、見せ合っていた。

自分独自の怪獣や妖怪を考えては、
自慢したり、どっちが強いかの言い合い。

図鑑に書き込んでいる、攻撃能力が、
競うように、高くなったものです。

ノートは、高価だったのだろうか、
駄菓子屋で買った、わら半紙で、
みんな、分厚い図鑑を作っていた。

20世紀少年」のような予言書は、
作らなかったが、図鑑を持ち寄って、
材木置き場を、秘密基地にしていた。

実家の押入れから、出てきたのは、
同じ怪獣のソノシート付きカード

実は、有名な怪獣だったのでしょうか。

なぞの怪獣カード


マイコンの起動で、カップラーメンが食べれた
就職する83年、突然父が、
「これからは、コンピュータのひとつも、
できないと、社会人はつとまらない」と、
言い出し、軍資金をくれました。

NHK特集でも、見たのでしょうが、
これ幸い、ゲームができると、便乗。

まだ、ワープロソフトもなかった頃、
ゲームから入って、BASICなどの、
プログラミングを覚えようと、考える。

当時、パソコンではなく、マイコンと呼び、
MYと、マイクロに引っ掛けていた。

ヒット商品の、NECPC-6001は、
ホビー専用で性能は低いため、最初から、
仕事に使えない機種では、まずい。

上位機種PC-8801は、性能はよいが、
さすがに、値段的に手が届かない。

シャープMZ-731は、テレビにつなげて、
値段的にも、そこそこなので、これにする。

マイコン・MZ-731


クリーン設計といって、内部に言語を持たず、
起動の際に読み込むので、拡張性がある。

そんな宣伝文句にも、魅かれたのですが、
これが、カセットテープからの読み込みで、
いざ、使えるまでには、数分待つことに。

お湯を入れたカップ麺を、3分間待って、
食べ始めても、まだ待つくらいでした。

大学で、プログラムを学んだ友人に、
キーボードには慣れているだろうと、
雑誌掲載のゲームを、入力してもらう。

保存方法がよくわからず、友人が来る度、
1時間入力しては、ゲームを10分遊んだ。

MZは、かなキー配列が、JISでなく、
あいうえお、かきくけこ、と並んでいた。

これで、覚えると、逆に面倒だと、
言い訳して、次第にさわらなくなる。

せめて、英字キーでも覚えておけば、
数年後、職場でワープロを使う時、
もっと、楽だったろうにと反省しました。




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