僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
オバQのソノシートを、大事に出していたクリスマス
幼稚園か、小学校の頃だったか、
オバケのQ太郎」のソノシートで、
クリスマスソング集を買ってもらう。

普通の(?)クリスマスソング集も、
EPで買ったのは、同じ頃だったろうか。

どちらも、「ジングルベル」「きよしこの夜」
「赤鼻のトナカイ」などの曲が、入っていたが、
オバQの方が、お気に入りで、繰り返し聴いた。

初代オバQの吹き替え、曽我町子が歌い、
Qちゃんのナレーションも聞ける代物。

オバQのクリスマスソノシートと、コロムビアレコード


実家は、各部屋の天井の電球の所から、
電源を取れたが、壁側のコンセントは、
1階では、居間のテレビの裏くらいしかない。

そのテレビの横に、高さが1mもない、
小さなクリスマスツリーを飾り付けて、
さらに、卓上のレコードプレイヤー、
電蓄をつないで、狭い場所で、曲を聴いた。

小さい頃は、井の頭線の渋谷駅にあった、
不二家の店頭で、丸ごとチキンを買って、
ケーキは、不二家や、東急本店通りの、
ヒサモトで買ってもらうのが、恒例だった。

クリスマスのディナーなどなかったが、
母、祖母とクリスマスソングを聴きながら、
ケーキを食べるのが、すごく楽しかった。
(父や祖父は、ケーキを食べなかった)

中学になっても、なんだか、儀式のように、
押入れのレコードと、ツリーを出して、
一人、テレビの横で、曲を聴いていた。

クリスマスへの、こだわりはなかったが、
自分の中では、明治神宮の初詣と同様に、
風物詩のようになっていた情景なのです。
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恋文横丁から、109へと様変わりした道玄坂界隈
79年の春、大学に入学するときに、
道玄坂下に、109がオープンした。

恋文横丁と呼ばれていた、あの一角が、
突然、デザインも斬新なビルとなって、
以前の店先などは、もう記憶の彼方に。

アーケード街とは、少し違うのだが、
いくつもの路地に、小さい店が並び、
洋品店、焼き鳥屋などがあったような。

今も覚えているのは、渋谷スポーツで、
巨人の星の影響で、野球をやっていた、
小学生の頃に、何度も親と買い物した。

最初は、渋谷スポーツも109の中に、
テナントで入っていたような気もする。

くじら屋も、一時期まで古い木造のまま、
109の一角を、削り取るように建ち、
再開発と無縁の様相が、漂っていた。

日曜日の歩行者天国になると、店頭で、
イベントなどが催され、ヤマハ楽器の、
行き帰りに、立ち止まって見ていた。

東急プラザの、築地玉寿司に比べて、
お好みで食べても、安い寿司屋だと、
母と出かけたのが、まんまる鮨だった。

カウンターの前に、注文伝票があって、
個数など書くのが、すごく珍しくて、
確かに明朗会計だし、単価も安いと、
何となく安心して、しばらく通った。

ソニープラザは、開業時からあったのか、
地下のレコード売り場の、通りすがりに、
輸入のお菓子などが、並んでいたのだが、
銀座のソニービルとは、感じが違っていた。

ファッション関係は、悲しいかな、昔から、
あまり関心がないせいか、記憶にない…。

109は、当初から「イチ・マル・キュー」と、
呼んではいたが、それが東急のもじりだとは、
最近、友人から聞くまで、思いつかなかった。

まして、若者が、「マル・キュー」と呼ぶのは、
どこか別の店のことで、丸井ではないが、
ロゴが、⑨なんだろうと思っていました。


スイミングスクールから、サマーランドへ急行せよ
小2の頃、二子玉川だったと思うが、、
スイミングスクールに通ってました。

とびうおマークのビート板とか、
背中につける浮き球を使っていた。

夏休みだけ、通ったのだろうが、
ほとんど泳げないままに、最終日。

その日は、サマーランドへ行く
町内会旅行と重なっていた。

波のプール、音の出るプールという、
テレビのCMで、行きたくてたまらず、
スイミングスクールが終わってから、
父の車で、サマーランドへ向かう。

近所の小学生は、ほとんど参加していて、
別の日ではなく、みんなと泳ぎたかった。

そんな、中途半端なスイミングだからか、
つけていた浮き玉の、ロープがほどけて、
深いところで、おぼれてしまった。

すぐに、コーチが気づいてくれたが、
けっこう水を飲んで、こりごり気分。

それでも、友人たちを追いかけて、
サマーランドへ向かったわけで、
よりによって、またプールへ入る。

何をやっていたんだろう、という気分。

それよりも、何でスイミングになんか、
通っていたのか、全然覚えていない。

いくらなんでも、漫画やテレビで人気の、
「金メダルへのターン」に影響されて、
とびうおターンをやりたかったのだろうか。

ただ、時系列をネットで調べてみたら、
「金メダルへのターン」の放送は4年生、
スイミングに通ったのは、2年生だったから、
そこまで、馬鹿じゃなかった、というところ。


雨天のウルトラマン大会は、玩具売り場だった
70年頃だったが、東急本店で、
ウルトラマン大会が、ありました。

もともと、屋上でのイベントだったが、
当日は、あいにくの雨となる。

急遽、玩具売り場の一角で催されることに。

階段前の少し広くなった場所で、
ウルトラマンと怪獣が戦い出した。

レッドキングだったと思うが、
ウルトラマンが負けそうになると、
司会者が、「みんなで助けてあげよう」。

遠巻きに見ていた、子供たちが、
怪獣につかみかかって、横倒しにする。

そのまま、けったり、ぶったり。

気になって、怪獣のそばに行って、
「痛くないですか?」と聞いてみたが、
中に入っているであろう、バイトの人が
返事をしてくれるわけもなかった。

何十年もしてから、自分の子供と、
後楽園のウルトラマン大会へ行く。

ウルトラマンが、ピンチになったとき、
「みんなの応援が、パワーになるよ」と、
子供たちは、客席から、声援を送る形でした。

あのままでは、怪獣も、体が持たなかったのでしょう。




とうもろこしは、船橋ヘルスセンターでなくっちゃ
幼稚園から、小学校低学年の頃、
祖父母に連れられて、
町内会の日帰りバス旅行に、よく出かけました。

自分が、町内会の旅行と思っていただけで、
旅行会社や信用金庫の、催しだったかもしれません。

初詣で七福神めぐり富士急ハイランドでスケート
夏はプールでサマーランドなど、年に数回あった。

その中でも、一番気に入ったのが、
今はなき、船橋ヘルスセンターでした。

岩風呂があり、自分たち、子供連中は、
「ジャングル風呂だ」と、大騒ぎ。

やたらと声が響き、それだけで嬉しくて、
自分が、当時、人気の「狼少年ケン」や、
「ジャングル大帝」の主人公になった気がした。

ステージのある大広間だか、宴会場があったが、
そこで、休んだときに、舞台の左袖にある売店で、
ゆでた、とうもろこしを買ってもらい、食べた。

我が家で、食べるときには、醤油をつけて、
七輪で焼いていたし、お祭りの屋台でも同様。

こっちのほうが、おいしいと、すごく気に入り、
「また ここに来たい、食べたい」となった。

その後も、祖父母にねだっては、何度も来て、
売店で、とうもろこしを買ってもらった。

アイスを入れるような、ワゴンケースに、
とうもろこしは、入っていたと記憶している。

家でも、とうもろこしをゆでてもらえば、よいのに、
そこに、まったく気づかなかった。

テレビのCMで、「海賊船がやってきた」、
「さかさまに綱渡りする怪人登場」など見ると、
とうもろこしが食べたい、と出かけたのです。

大学の友人たちと、海水浴で房総へ行ったとき、
あいにくの雨となり、海岸からは引き返し、
ららぽーとで、昼食にして、解散。

ここで、とうもろこしを食べたのだがと、
感慨にふけっていたら、みんなから、はぐれた。

どっちへ行けば、駅なのかもわからず、
かなりの距離を、うろうろ歩き回りました。




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