僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
ジョンがジョージに贈った「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」

ビートルズのデビューアルバムは、たった1日、約10時間で、
一気に10曲を録音していて、当時のレコーディングの事情や、
新人バンドにスタジオを、そう何日も使わせられないといった、
大人の事情を考えても、かなり無理のある荒わざだと言える。

2枚目のシングル盤、「プリーズ・プリーズ・ミー」が大ヒットして、
人気のあるうちに、アルバムも発売しようというレコード会社の、
戦略があったのに加えて、ビートルズの魅力を伝えるために、
キャバーンのライブ録音も検討した、マーティンの思惑もあった。

彼らの熱気を反映させるには、一発録音が良いだろうと判断し、
そのうえ、ビートルズはツアーのスケジュールも埋まっていて、
そうそう、録音だけのためにロンドンへ戻ることもできないから、
ツアーの合間の1日での一気の録音、奇跡の2月11日となる。

事前にマーティンから、「すぐに録音できる曲は?」と尋ねられ、
ハンブルグ時代からライブで鍛えられたカバー曲を挙げたが、
オリジナルの新曲も準備しておいたようで、昔からやっていた、
「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」に加えて、3曲を録音。

「ミズリー」は、一緒に国内ツアーを回っていた人気歌手である、
ヘロン・シャピロに歌ってもらおうと、ツアーの楽屋で作ったが、
歌詞が暗すぎるとして却下された曲、「ゼアズ・ア・プレイス」は、
ジョンの内省的な歌詞が、この段階から芽生えていたとわかる。

もう1曲は、「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」で、
ジョンの単独作詞作曲だが、ジョージがメインボーカルを担当、
「3つしかコードがないから、ジョージに向いてると思った。」と、
半ばジョージの歌唱力を馬鹿にしたように、ジョンが語ったとか。

アルバムは、マーティンがメンバー紹介を意図したかのように、
1曲目がポール、次はジョンとポールのハモリ、そしてジョン、
さらにジョージ、リンゴとメインボーカルが変わるが、ライブで、
ジョージが数曲は歌っていたので、もう1曲を歌わせることに。

まだ自作曲がないジョージに、もう1曲カバーでも良いだろうが、
ジョンが自分で歌うには、あまり乗り気でなかったオリジナルを、
ジョージに贈ったそうで、贈るというよりは、「くれてやった」という、
ニュアンスに近いらしいし、ジョージはカバーでなく苦労したとか。

カバー曲のように、誰かしらの演奏といった、お手本がないから、
「どうやって歌ったらよいのか、わからなかった。」とジョージが、
こぼしていたそうで、ジョンは、口頭で歌詞とかを伝えたくらいで、
いわゆるデモテープみたいのは、作りはしなかったのだろうか。

却下されたものの「ミズリー」も、他人への楽曲提供を前提にし、
ジョンとポールは、バンドとして失敗しても、作曲活動の方では、
何とか食っていけないかと思ったそうで、早い段階から、他にも、
曲を作り、ビートルズとしては録音していない曲も、かなりある。

ジョンはともかく、ポールは楽譜くらい書けたのかもしれないが、
よくオークションに出てくるのは、もっぱら歌詞のメモばかりで、
他人へ提供する場合は、デモテープにでも弾き語りを録音して、
それを渡すか、第3者が楽譜を起こしていたのはでないかと思う。

ジョンがジョージに歌わせた、もう一つの曲「素敵なダンス」とか、
リンゴへの「グッド・ナイト」に、ジョンの歌ったテープはないのか、
何でも、「ドゥ・ユー・ウォント~」は、エコーが効いて良いからと、
ジョンがトイレで歌って、別のバンドが録音するときに渡したとか。

そのテープは現存するのか、そして、そんな風に録音があっても、
ジョージが、「誰も歌い方を教えてくれなくて、困った。」みたいに、
言うのは、それこそ、ジョンがやっつけに、くれてやった曲とうか、
「ほら、明日の録音の時、これ歌っていいぞ。」みたいだったのか。

ジョージにとって、カバー曲と違い、苦労した新曲だったようだが、
アルバム発売後は、ジョージのリードボーカルの貴重な曲として、
しばらくは、ライブで歌っていて、ジョージのトレードマークとなる、
「ロール・オーバー・ベートーベン」が、やがては、取って代わる。

シンコー「ビートルズ・ライブの時代」には、1957年から66年の、
セットリストが出ていて、63年3月の英国ツアーから、6月までは、
ライブ演奏され、同じくシンコー「全パフォーマンス徹底解剖」には、
TV・ラジオの演奏曲リストがあり、3~5月まで数回演奏している。

この曲は、いくつものビートルズ本で、ジョンが実母ジュリアから、
幼い頃、それも1~2歳の頃に歌ってもらった、白雪姫の挿入歌、
「私の願い(I'm wishing)」が元になっていると、書かれているが、
ウィキペディアに「要出典」とあるくらいで、どこまで真実かは疑問。

何度も、YouTubeで、ディズニーの歌の場面を繰り返し聴いたが、
メロディラインは似ていないし、歌詞も、日経「全曲バイブル」は、
「歌いだしの歌詞も、ほぼ引用している。」というが、何度読んでも、
自分の英語力では、単語一つとっても、同じとは見えないのだが。

「白雪姫」の引用かはともかく、曲はインテンポになる前の部分、
コードをジャラーンと流し、さらにフラメンコ調に、ジャラジャラと、
ギターをかき鳴らして、もったいつけたようなイントロから始まり、
ドラムが入ってからは、スッチャ・スッチャと軽快にコードを刻む。

この曲に限らず、デビューから、セカンドアルバムあたりまでは、
ジョンとジョージのリズムギターが、区別のつかない曲も多くて、
さらに使用楽器も、アコギでアンプにも繋がるギブソンJ160Eか、
2人のトレードマーク、リッケンバッカー、グレッチかも分かりにくい。

この曲は、「ビートルズ楽曲データベース」には、ジョンはJ160E、
ジョージはリッケンバッカー425とあり、日経「全曲バイブル」では、
ジョンがギブソン、ジョージはグレッチで、YouTubeのカバーでは、
2人ともJ160Eとなっているうえ、フレーズの分担も人により違う。

愛用のバンドスコアは、手抜き心が発揮され、せっかくの楽譜が、
ギターが2段に分けてあるのに、セカンドギターは全面、休符のみ、
まあ、ほとんど同じようにコードを弾いているから、かまわないが、
イントロのトレモロ風かき鳴らしと、途中のアルペジオはどっちか。

イントロのジャラーンと伸ばすコードは、明らかにエレキの音色で、
自分のリッケンバッカーのリアピックアップでも、ほとんど同じ音、
その後ろでかき鳴らすのも、エレキのようだが、アコギの感じもし、
次のコードを流すバックでも、さらに細かくジャカジャカと聴こえる。

それなら、どっちが弾くにせよ、2人ともエレキだったのかと思うと、
歌が始まってからの伴奏は、ほとんどはエレキのカッティングだが、
時折、いかにもアコギというコードの音が、はみ出るように鳴って、
やはり、どちらか1台は、ギブソンのアコギだったのかと思えてくる。

歌が始まる前、最後にBの和音を伸ばすところは、バンドスコアは、
7フレットのBコードだが、1弦7フレットのBの音は鳴っていなくて、
Bのコードから外れたG#の音がして、2フレのBコードを押さえて、
4フレを押さえる指が寝てしまって、1弦4フレのG#が鳴ったのか。

ちょっとしたことだが、あえてB6のような、6thの響きにしたのか、
気になって、ジョンの場合は、気分でコードをチョーキングしたり、
押さえていない小指で別の音を鳴らすから、そんな感じだったのか、
ミストーンに聴こえないのが、これまたビートルズマジックの1つ。

歌いだすきっかけのリフは、3連もある単音リフをスムーズに決め、
これは、リードギター担当のジョージだろうが、YouTubeで聴ける、
ステレオミックスは、このリフが左右から鳴っていたり、その音色も、
ミックス具合で、エレキともアコギとも取れて、ただただ悩むばかり。

2番から入るジョンとポールのコーラスは、後からダビングだそうで、
普通に2人とも伴奏しながら歌える、単純なハモリなのに、なぜ、
後からの追加なのか、ジョージのボーカルだけでは、心もとないと、
完成テイク後、マーティンが判断して、その場でダビングしたのか。

サビの部分も、ハモリではなく、リンゴがスティックを叩く音を加え、
これも、歌の不備(?)を補うつもりなのか、結果オーライというか、
ハモリや手拍子とはまた違った感じで、効果的に決まっているし、
逆にハモリは、後からなら、もう少しいろいろやっても良いような。

いまだに、使用楽器や演奏、ダビングの謎も多いビートルズの曲は、
本当演奏するのも、記事を書くのも楽しくて、フュージョン系の曲の、
合間をぬっての、「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」は、
まだまだ完コピというには、解明できない点も多いまま、アップです。









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ピーター・フォンダの呟きからの「シー・セッド・シー・セッド」
何度も書いていることだが、自分がビートルズを聴き始めたのは、
74年、中2の夏からで、すでにビートルズは解散した後追い世代、
すでに赤盤・青盤も発売されていたので、「ペパーズ」から後期で、
サウンドも見た目も一気に変化したという、刷り込みができている。

今日では、「ペパーズ」の前作の「リボルバー」への評価も高くなり、
スタジオ作業による実験的、革新的サウンドに、ブラスセクション、
オーケストラの導入と、レコーディングバンドへ変貌していった作品、
ライブの再現が不可能となり、ツアー中止の一因になったとされる。

このアルバムの最終録音日が66年6月21日で、その3日後には、
ドイツ公演、そして、6月29日に来日し、武道館公演となるわけで、
かなりのハードスケジュールだし、このアルバムを完成させながら、
ライブでは古い曲を、歓声にかき消され、演奏していたことになる。

日本にとって、ちょっと名誉なことが、このアルバムの題名である、
「リボルバー」は、来日時、厳戒態勢ともとれる過剰な警備の中で、
やたらと目にした警官の拳銃から、ポールがタイトルを思いついて、
7月2日イギリスへ電報を打ち、発売に間に合わせたとされること。

ただ、普通に考えれば、日本は確かに4人が身動きできないくらい、
厳重な警備だったが、警官や拳銃はどこの国でも見かけたはずで、
しかも、レコードのタイトルと拳銃とに、どんな因果関係があるのか、
「よし、これだ」と4人が納得するには、あまりに理由づけが弱い気が。

そもそも拳銃を見たら、「あ、リボルバーだ。」という名称が出るのか、
自分がガンマニアでないからか、西部劇ならば二丁拳銃のコルト45、
ルパン三世ならワルサーP38、ダーティー・ハリーは44マグナムと、
いくつか名前はうかんでくるが、リボルバーというのは馴染みがない。

中山泰樹の「ビートルズの謎」には、ジャケットのデザインを担当した、
ハンブルグ時代の友人クラウスに、ジョンがタイトルを伝えていたとか、
逆回転やテープループのサウンドから、「回転」を意味する単語にした、
ウィキは「レコードは回転する」から、タイトルになったとも書いてある。

こういうのが、ビートルズの面白いところで、都市伝説までいかずとも、
いまだに、ちょっとしたことでも、いろいろな説があり、調べて楽しいし、
サウンドの分析も、誰がどの楽器を弾いたか、ダビング作業はどうか、
ハモリは誰が上で誰が下かと、自分の勘違いも含めて、新発見だらけ。

「リボルバー」の録音でも、エピソードは欠かせず、最後に録音した曲、
ジョン作の「シー・セッド・シー・セッド」は、ジョンとポールが口論になり、
ポールが出て行ってしまったが、3日後にはドイツ公演へ出かけるので、
今夜中に仕上げないと間に合わないと、ジョージがベースを弾いたとか。

マーク・ルゥイソーン「レコーディング・セッション」には、特に記述はなく、
ドラム、ベース、ギター2本のベーシックトラックを先に録音して、そこへ、
ボーカルとハモリのダビング、オルガンとリードギターを重ねたとあって、
最初に4人揃って演奏した感じで、ポールが出て行ったとの記述もない。

藤本国彦「213曲全ガイド」には、ポールが「僕は録音に一切参加せず、
ベースはジョージが弾いたと思う。」とコメントし、日経「全曲バイブル」は、
「メンバーで口論が起き、~、ポールが怒ってスタジオから出て行った。」
「ジョージがベースを弾いた可能性が、非常に高くなる。」と推測している。

ベースの録音がすんでから、ポールが出ていき、それでコーラスだけは、
ポールが参加していない、というのが、一番素直な解釈だと思うのだが、
当のポール本人が参加していないと公言しているから、いつ語ったのか、
原典を知らないが、ベースは別人、ジョンよりはジョージが自然な流れか。

来日時、ジョージとリンゴはホテルに缶詰めだったが、ジョンは抜け出し、
骨董品を買いに行き、ポールは、当初の目的地に行く前に見つかって、
皇居周辺を散歩しただけで戻ってきていて、2人が別行動になったのは、
スタジオの口論が多少尾を引いていたのかと、いろいろ想像したくなる。

「リボルバー」セッションの最後の曲となった、「シー・セッド・シーセッド」は、
ジョンがホームパーティーに参加した際、居合わせたピーター・フォンダが、
麻薬でおかしくなり、「自分は死の意味を知っている。」と繰り返し呟いて、
「そんなことは知りたくない、こいつを追い出せ」となった実体験に基づく。

ピーターは、まだ映画「イージー・ライダー」で世に出る前で、多少なりとも、
俳優活動はしていたろうが、飛ぶ鳥を落とす勢いのビートルズに比べると、
単なる二世タレントで、下手したら、貴花田が「うんとねえ、うんとねえ。」と、
得意気にしゃべっていたようなもので、それをジョンは歌詞にするだろうか。

ジョンの場合、辻褄が合うようにとか、みんなが期待する流れになるように、
後付けで理由をつけることがあって、「トゥモロー・ネバー・ノウズ」にしても、
「チベット死者の書」の影響を受けたとか、そんなの読んだこともないだとか、
真逆のことだし、ピーターが有名になったから、とってつけた可能性もある。

この曲では、ジョージらしきリードギターは、ハンマリングを効果的に使って、
ポールに「タックスマン」でお株を奪われた、シタール風のフレーズにして、
ジョンは、まだスリーフィンガーを教わる前だが、コードをアルペジオ風にし、
さらに、リンゴのドラムは、これでもかというくらい、フィルインを叩いている。

ベースはジョージ担当ということだが、フレーズは単純ながら音圧もあるし、
ところどころ、ポールが弾くようにアクセントやミュートも見事に決めていて、
やはり、最初の段階でポールが弾いたのではと思いたくなるが、それならば、
「レイン」でやったように、リンゴのドラムに、もっと食らいつくかもしれない。

アルバムタイトルの「リボルバー」、ピーターフォンダが関わったという歌詞、
ポールが不参加で、ジョージがベースを弾いたと、謎を謎を呼んだような、
「シー・セッド・シー・セッド」は、ジョンの曲なので、高音はハモリも大丈夫で、
そうは言っても、逆にジョンのニュアンスが難しく、なかなかうまくいきません。







ポールの多重録音とマーティンのオケの「マーサ・マイ・ディア」
パソコンを買い替えたら、いつもYouTubeのアップに利用していた、
Windows Movie Makerが入っていないうえ、マイクロソフトからも、
提供中止になっていて、何か動画編集ソフトを入手しないことには、
音声だけのアップさえままならず、先週は演奏のアップは休んだ。

どうせなら、昔から憧れている、分割画面で様々な楽器を演奏する、
いかにも多重録音という凝った映像に、いずれは挑戦できるように、
市販のソフトはないか、Amazon中心に、ネットでいろいろ調べると、
アドビやサイバーリンクなどの数種で、そんなに選択肢はなかった。

最低限のことができて、値段は安いに越したことはないと見ていくと、
サイバーリンク社のパワーディレクターには、スタンダード版という、
4千円の廉価版があり、とりあえず、これにして、もっと高度なことが、
やりたくなれば、新バージョンの際、アップグレードすれば良いだろう。

昨日届いたので、昔アップした素材の静止画と音声ファイルを使って、
YouTube用のファイルを作る練習をするが、マニュアルはついてなく、
市販本も品切れのうえプレミア価格になっていて、買う気もしないと、
イージーモードから試してみるが、ムービーメイカーとは勝手が違う。

ただ、静止画を張り付け音楽を流すだけの、単純なことがしたいのに、
写真をスライドにしたり回転させたり、フレームや背景が加わってくる、
凝ったテンプレートしかなくて、スローモーション再生を選んでみたら、
写真が止まったままで済むが、最初と最後は、黒字にタイトルバック。

いずれ、やり方を覚えていこうと、今日の夜、完成させた音源を使い、
実際にファイルを作ると、まず、勝手に音声がフェイドアウトしていき、
最後まで聴けないので、再度MTRで10秒ほど余白を追加してみて、
最初の黒いスクリーンには、曲のタイトルだけでもと入力しておいた。

編集後ファイルとして書き出すと、以前は10MB前後ですんだのが、
何とびっくり、2分30秒の静止画で800MBという大きいファイルで、
これを毎週やっていたら、新しいPCのハードディスクは持たないうえ、
アップロードも再生も重すぎて、ちょっと真剣にやり方を覚えないと。

写真についても、ちょっとしたトラブルというか、長年使ったデジカメ、
古いソニーのサイバーショットが、電池の接触が悪いと思っていたら、
電池を抑える留め具が割れてきて、電池が浮き上がって、そのうえ、
新PCには、メモリースティックを指す場所がなくて、写真はスマホで。

買い替えたパソコン、スマホ両方とも、かなりストレスの原因になり、
このことだけでも延々と愚痴が書けるが、今日のところは時間不足、
何とか音源をアップしたので、動画編集ソフトの愚痴もあるのだが、
ひとまず、これくらいにして、演奏した曲についても、少し書いておく。

先週アップしそびったビートルズの曲は、「フール・オン・ザ・ヒル」で、
時間がないときは、ギターにせよ、ピアノにせよ、弾き語りに近い曲、
そこに多少のシンセを加えればすむ曲は、すごく重宝なので良いが、
実際やってみると、難しくて、これはこれで、じっくりと後日取り組む。

やはりピアノの曲で、楽譜付きLP「ビートルズ・ピアノ・テクニック」で、
多少ピアノを練習したり、ギターでも弾いた「マーサ・マイ・ディア」は、
バンドスコアに、ストリングス、ホーンセクションとも、きちんと採譜され、
途中のアップテンポのギターやベースも格好よく、やりがいのある曲。

イントロのピアノは、ラグタイムピアノのように、オルタネートベースに、
シンコペーションしたメロディが載り、さすがはポールというところだが、
最初に聴いたとき、これは、ギターのスリーフィンガー奏法にも近くて、
アコースティックブルースや、チェット・アトキンスの曲にもよくある形。

同じホワイトアルバムで、ジョンレノンは、ドノバンから教わったという、
スリーフィンガー奏法を、「ジュリア」や「ディア・プルーデンス」で弾き、
これは、教則本に載せたいくらい、きっちりしたパターンを繰り返すが、
「アンジー」のようなシンコペのパターンを、ポールが真似た気がする。

ポールはピアノだけでなく、リズムギター、ベース、さらにドラムまでも、
多重録音して、マーティンがスコアを書いて、左チャンのストリングス、
右チャンのホーンセクションが、それぞれ6人くらいが演奏したそうで、
外部ミュージシャンが多いのに、ビートルズからはポール1人の構図。

この記事に関しても、動画ファイルの処理にしても、中途半端ですが、
2週続けて、演奏をとばすことのないように、苦肉の策で、このあたり、
ホワイトアルバムで、1人で、あれこれやっていたポールのようでもあり、
その「マーサ・マイ・ディア」はピアノも難しく、これまた高音が辛いです。







ヒットしたお礼を込めてファンに向け歌った「サンキュー・ガール」
ビートルズがデビューした当時は、歌手はあくまでも歌手であり、
プロの作詞家・作曲家が作った曲を、プロに演奏してもらうという、
いわば分業体制のようなものが当たり前だったが、ビートルズは、
自分で曲を作り、自分で歌って演奏までするというスタイルを貫く。

ただ、デビュー曲の「ラブ・ミー・ドゥ」を録音する段階で、どれくらい、
使える曲をストックしていたか、62年1月のデッカ・オーディション、
同年12月のハンブルグ・スタークラブのライブ音源で聴けるのは、
それぞれ3曲と2曲に過ぎず、その後、録音されたのは2曲のみ。

中山康樹「これがビートルズだ」で、「ラブ・ミー・ドゥ」を酷評していて、
「なぜこのような凡曲を望んで、デビュー・シングルに選んだのか」と、
疑問を呈し、さらに「すでにこの時点で、『プリーズ・プリーズ・ミー』や、
『アイ・ソウ・ハー・スタンディング・ゼア』といった傑作はできていた。」

逆に考えると、せいぜい、それらの曲と、前述の音源で聴ける曲くらい、
ものになる曲は、そうそう、なかったのではないか、かなり後になって、
録音される曲、「ワン・アフター・909」、「アイル・フォロー・ザ・サン」、
さらに「ミッシェル」も、さわり程度はできていたが、まだまだ未完成。

デビューシングル、さらに2枚目も、A・B面ともにオリジナル曲となり、
自作曲で勝負したいというメンバーの意向を、マーティンは尊重するが、
デビューアルバムとなると、LP全14曲のため、さすがに曲は不足し、
ライブで鍛えられ、すぐに録音できるカバー曲を、半分近い6曲にした。

そうした中、ツアーを一緒に回っている人気歌手のヘレン・シャピロに、
「ミズリー」を提供しようとして却下され、結局、自分たちでやることにし、
デビューLPに収録したのだが、かわい子ちゃん歌手が歌ってくれれば、
作曲活動に弾みがつく、自分たちの励み、自信にになると思ったらしい。

まだ、自分たちのレパートリーも少ないし、ようやくデビューした段階で、
他人への楽曲提供を考えていたとは驚きだが、これは、才能にあふれ、
いくらでも曲が作れ、余って困るということでなく、バンドとしてダメでも、
職業作家としてやっていけないか、模索していたと、意地悪い見方も。

藤本国彦「213曲全ガイド」に、ポールのコメントで、「B面でもいいから、
録音してもらえれば、僕らの作曲活動にプラスになると思って。」とあり、
この後も、ビートルズとしてはレコーディングされないまま、提供した曲は、
けっこうあって、必ずしも、出来が悪い没の曲を使いまわしただけでない。

デビューして力をつけたという言い方は安直だが、LPの発売前後から、
ジョンとポールの作曲能力は、飛躍的に伸びたというほどの爆発力で、
「プリーズ・プリーズ・ミー」に続いて、「フロム・ミー・トゥ・ユー」を出すと、
「シー・ラブズ・ユー」「抱きしめたい」と、怒涛のヒットシングルを連発する。

「フロム・ミー・トゥ・ユー」は、ファンへの感謝をこめて作ったとされるが、
まだデビューアルバムが発売される前の録音で、2枚のシングル盤を出し、
それらの曲を買ってくれたり、ラジオへリクエストしてくれるファン、さらに、
増えていくファンレターで、自分たちが売れる手応えを感じていたのだろう。

「フロム・ミー・トゥ・ユー」のB面、「サンキュー・ガール」も題名からして、
ファンへの感謝をこめた曲で、もともと、こちらの方が先に作られたそうで、
A面の候補にもなっていたが、さらなる傑作、「フロム~」ができてしまって、
B面に甘んじたようで、よい曲ではあるが、シングルヒットしたかは疑問。

ジョンのハーモニカから始まり、ジョンとポールのユニゾンからハモリへと、
自在に変化するメロディは、初期のビートルズの曲の代表的なパターンで、
こういうのが、リバプールサウンドであり、バブルガムミュージックなのかと、
後追い世代の自分としては、ちょっと分類したくなるが、そう簡単ではない。

今週もオケ作りが遅れがちで、得意のビートルズで、お茶を濁す手に出て、
初期の一発録音に近い曲、それでも、ジョンのハーモニカは翌日ダビング、
テイクの編集もしたそうだが、自分は単純に「サンキュー・ガール」演奏して、
ポールの高音がきつくて、お粗末な歌声で、お聴きいただく方へ感謝です。





キャロル・キングのカバーでコーラスワークが見事な「チェインズ」
今年は日本のフュージョン40周年にあたるそうで、それを記念して、
廉価盤のCDが出ていたと気づき、LPで持ってなかったものから、
LPはあるがCDでも欲しいものを、Amazonの「あとで買う」に入れ、
毎日チェックしては、売り切れそうなると、慌ててカートに戻し購入。

そんなわけで、一人でフュージョンに盛り上がって、ブログの演奏も、
当分はフュージョン漬けだと、はりきって、オケを作り始めたのだが、
ピアノパートが、どうしてもギターシンセでは弾けず、没にしてみたり、
バンドスコアの不備を耳コピできないまま、途中で挫折する曲もある。

今週、松岡直也「サン・スポット・ダンス」のリードギターが弾きたくて、
バンドスコアはメロディ・コード譜程度なのだが、オケを作っていくと、
ピアノ伴奏もベースラインも違うし、パーカッションは基本リズムのみ、
ほぼ全部のパートの耳コピが必要で、金曜の夜になり、あきらめた。

こんな時、さっと仕上げる曲は、ソロギターか、いつのもデパペペか、
さすがに弾き語りをする気はないが、よく考えると、得意のビートルズ、
歌詞とメロディは覚えているし、初期の一発録音に近い曲であれば、
バンドスコアを元にした伴奏作りも、1日あれば十分と気を取り直す。

ビートルズの本国のデビューアルバム、「プリーズ・プリーズ・ミー」は、
中山康樹「これがビートルズだ」によると、1曲目がポールのボーカル、
2曲目がジョンとポール、続けてジョン、ジョージ、リンゴとなっていて、
マーティンが、メンバーを1人ずつ紹介する曲順にしたのではと指摘。

ビートルズのデビューに際し、これまでのポップスで当たり前だった、
リードボーカルとバックバンドという形をとらず、ジョンとポールという、
2人のメインボーカルを残したうえ、ジョージとリンゴのボーカル曲も、
アルバムに入れて、しかも冒頭に並べ、バンドとしての存在を示した。

リンゴはともかく、ジョージも、まだこの段階では自作の曲がないので、
LPでは、ジョンの曲「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」と、
キャロル・キングが作曲し、クッキーズという女性コーラスグループが、
歌った「チェインズ」をカバーして、2曲もリードボーカルを披露している。

70年代、シンガーソングライターとして、一時代を築いたと言ってよい、
キャロル・キングは、当時は、職業作家として、夫のジェリー・ゴフィンと、
ゴフィン&キングの名前で多くの曲を提供していて、ジョンとポールは、
それに倣い、レノン&マッカートニーを名乗ったという説も信憑性が高い。

それが禍したとまでは言えないが、元祖(?)であるキャロル・キングは、
ゴフィンが作詞、キングが作曲と、ほぼ役割分担した共同作業なので、
レノン&マッカートニーも、ジョンが作詞、ポールが作曲担当なのだと、
誤解して伝わったところもあり、年配者にはいまだに根強かったりする。

ゴフィン&キングの曲は、「ロコモーション」をヒットさせたリトル・エヴァの、
「キープ・ユア・ハンズ・オフ・マイ・ベイビー」も、BBCライブでやったが、
その「ロコモーション」のバックコーラスを担当していたのが、クッキーズ、
女性コーラスグループの曲に目をつけたのは、キャロル・キングがらみか。

この曲の発売は、62年11月だそうで、それを翌年2月のLP録音に際し、
「すぐに演奏できる曲」として、ライブのレパートリーから選び出したから、
ほとんど発売と同時に、自分たちの曲としてカバーしていたのか、かつて、
目ぼしいレコードを求め、エプスタインの店にたむろしていたのを思い出す。

アマチュア時代、オリジナル曲もさることながら、ライブで客受けするため、
ヒット曲のカバーも、他のバンドと争うように、我先にとレパートリーにして、
さらに他のバンドに先んじて、目ぼしい曲を探し、後にマネージャーとなる、
エプスタインのレコード屋の常連で、女性グループにまで目をつけていた。

「チェインズ」は、ビートルズにとっては、比較的新しい曲になるはずだが、
他のカバー曲と同様に、自分たちの曲にしてしまうところは、本当見事で、
イントロのハーモニカは、マーティンのアイデアなのか、全然原曲にないし、
ホーンのリフをギターで真似たり、いいとこ取りで、バンドの曲になっている。

YouTubeには、キャロル・キング本人がカバーした演奏がいくつか見られ、
もともと黒人の女性グループが歌った雰囲気で、ゴスペル調にしていたり、
バンド演奏ではモータウン風で、どことなく、シュープリームスのヒット曲、
「恋はあせらず」を、フィル・コリンズがカバーしたのと同じような感じもする。

自分がビートルズのファンで、原曲より先にビートルズ版を聴いているから、
「チェインズ」にしても、「ツイスト&シャウト」に、「ベイビー・イッツ・ユー」や、
「アンナ」など、モータウン系の曲をカバーしても、決してコピーではないうえ、
白人音楽に黒人音楽の要素を加えつつ、自分の音楽にしていると感じる。

「チェインズ」は、ライブでどの程度演奏したのか、シンコーから出たムック、
「ライブの時代」「全パフォーマンス徹底解剖」を見ると、63年のライブでは、
何箇所かでのレパートリーになっているが、ジョージのライブの定番の曲の、
「ロール・オーバ・ーベートーベン」が出てくる前で、模索していた頃といえる。

たった1日、10時間で10曲を録音した、ライブバンドで鍛えたビートルズと、
単に40年以上前の昔から、聴いて歌ったに過ぎない自分が、1日で1曲を、
仕上げるというのは、実力も演奏レベルも比べようもないが、手抜きせずに、
コーラスも何とか仕上げた「チェインズ」は、やはり1日でやった感の出来です。







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