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僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
つまらない大人にはなりたくないと叫んだ佐野元春「ガラスのジェネレーション」
今では、ピーターパン症候群という呼び方でさえも、
古くなっているのかもしれないが、自分が学生の頃、
モラトリアム人間という言葉が流行し、心理学者で、
提唱者の小此木啓吾の書籍がベストセラーになる。

もともとモラトリアムは金融用語で、天災や恐慌で、
預金や保険金が支払い不可能になると、一時的に、
猶予期間とすることだそうで、そこから転じ、若者が、
大人や社会人になることをためらう意味で使われた。

これは、古代エジプトの象形文字だかパピルスにも、
「近頃の若い者は~」と書かれていたとされるように、
はるか昔から、若者はなってないと非難すると同様、
あいつはいつまでたっても子供だと揶揄されてきた。

それが、その時々で、呼び方を変えてきたのだろうし、
モラトリアムとはニュアンスが違うが、ゲーテによる、
「若きウェルテルの悩み」でも、主人公は、ある意味、
大人になりきれないゆえに、恋の悩みに翻弄される。

夏目漱石「それから」の代助も、父の援助で暮らし、
定職に就かず家庭も持たない、気楽な高等遊民で、
文学の世界では、童話のピーターパンはもちろん、
大人になりたくないモラトリアム人間に事欠かない。

文学者と並び、青春病に取りつかれる音楽家でも、
そうした歌詞の作品は数多く、本人は違うとしても、
題材としては格好のネタだろうし、大半の主人公は、
相変わらず髪を伸ばし、ネクタイなしのジーパン姿。

かくいう自分も、来年には60歳になるのに、週末は、
ダンガリーシャツにジーパンで、後頭部が薄いのに、
髪は肩まで伸ばし、一歩間違えば、河童頭のところ、
ギターを弾き、気分だけはティーンエイジャー気取り。

ユーミンが、ブレッド&バターのために書き下ろした、
「あの頃のまま」は、「今でも気まぐれに街をゆく僕は
変わらないよ ああ あの頃のままさ」と歌い、さらに、
「人生のひとふしをまだ卒業したくない僕」とまで言う。

村田和人の「ソー・ロング・ミセス」は、パラシュートや、
AB’sのキーボード奏者、安藤芳彦が作詞した曲で、
「ネクタイが似合わない 髪は今も長いし 学生に
見られるよ 僕は変わらない」と、昔のままだと主張。

佐野元春も、2枚目の「ハートビート」のオープニング、
「ガラスのジェネレーション」で、若者の気持ちを歌い、
最後に「つまらない大人にはなりたくない」と叫んだが、
これは、大人への拒否とは、ちょっと話が違ってくる。

「つまらない大人」とすることで、もし大人というものが、
総じてつまらないものなら、それは御免だとする反面、
そうでなければ、大人になることもいとわないわけで、
では、つまらなくない大人とは何かという命題が残る。

自分は別に、佐野元春を人生の指針にしていないが、
プロギタリストをあきらめきれないまま、就職した際に、
佐野元春を聴いたので、自分はどんな大人になるか、
社会人として何を自分に律すれば良いかと考察した。

家庭、家族を持ち、定年を前にした今も、何が正解か、
見つけあぐねているが、立身出世や富を築くことなど、
まったく縁がないだけに、何か学問を究めれば良いか、
趣味のギターを続ければ良いか、高潔であるべきか。

おそらく、答えの出ないまま、さらに年を取るだろうが、
この曲と出会った時の自分に、「つまらない大人には、
何とかならずにすんだみたいだよ」と言えるだろうか、
そもそも、こんな悩み自体、まだモラトリアムのような。

「ガラスのジェネレーション」のバンドスコアは、その頃、
買った音楽春秋社の「ハート・ビート」にも出ているが、
昨年末に買った、リットーの20周年記念スコアの方が、
採譜が丁寧だし、ピアノも2段譜なので、そちらで演奏。

ただ、スクエアとかで、リットーとシンコーのスコアでは、
互いに一長一短あるように、シンセで弾くコード伴奏や、
最後のハモリなどは、音楽春秋の方にしか出てなくて、
ところどころは、そっちを参考にして、原曲に近づけた。

新型コロナの影響で、週末の自粛要請の呼びかけと、
この歌詞のような「街に出ようぜ ベイビー」といくには、
世間の目も厳しいが、佐野元春が今も歌い続けている、
街・ストリートの風景が日常的に戻ることを祈っている。

80年10月にシングル盤で出て、翌年1月発売となる、
「ハートビート」の冒頭、「ガラスのジェネレーション」は、
若々しく勢いのある佐野の歌声が何とも印象的ですが、
自分は歌唱力不足に声枯れと、いつもの出来でした。








疲弊するサラリーマンへの応援歌のような浜田省吾「J.Boy」
84年、親戚の娘から、高校で浜田省吾が流行っていて、
LPは持っていないかと尋ねられ、聴いたことがないので、
最新アルバムの「ダウン・バイ・ザ・メイン・ストリート」と、
バラード集「サンド・キャッスル」を買って、テープに録音。

その子は、「サンド・キャッスル」の何曲かを知っていたが、
新譜の方は、「何だか、大人の世界って感じね。」と言い、
自分もフォーク歌手だと思っていた浜田が、ロック調だし、
歌詞も挫折や怒りのようなものが多くて、意外に感じた。

数年後、職場の女の子たちが、浜田省吾のライブへ行き、
「格好良かった、すごく格好良かった。」と話題にしていて、
佐野元春マニアの友人は、浜田省吾もファンだったなと、
その話をすると、一緒に行こうと、チケットを取ってくれた。

先の2枚だけでは、ライブは知らない曲だらけになるので、
2枚組の「J.BOY」を買うと、やはりロック調の曲が多く、
会場は最初から総立ちで、ロックコンサートさながらだし、
後半のタイトル曲では、観客全員が拳を振り上げて歌う。

興奮覚めやらない友人と居酒屋へ寄ると、「J.BOYは、
俺たちサラリーマンの気持ちを代弁してくれているんだ、
年に一度は浜省のライブに行き、この曲で一緒に叫び、
日頃のストレスを解消しているんだ。」と熱く語っていた。

自分は、都会で倒れそうになりながらも、故郷の母親へ、
「元気です」と手紙を書く「路地裏の少年」、大学で挫折し、
「違う 違う こんな風に僕は 打ちのめされるために
生きてきた訳じゃない」と呟く「遠くへ」の方に惹かれた。

おそらく学生気分の抜けないままで、就職はしたものの、
まだ、プロギタリストになれないかと、夢見ていた自分と、
若くして家庭を持ち、マンションも購入、仕事に身を入れ、
毎日を送っている友人とは考え方が違っていたのだろう。

今では、この曲の歌詞は自分のことのように身にしみて、
「仕事終わりのベルに とらわれの心と体 取り返す
夕暮れ時」や、「家路たどる人波 俺はネクタイほどき
時に理由もなく叫びたくなる 怒りに」は、日常茶飯事に。

そして、「J.BOY 掲げてた理想も今は遠く J.BOY
守るべき誇りも見失い」というサビは、個人のことでなく、
世の中全体の閉塞感を歌っていて、34年近くも過ぎた、
今でも当てはまるどころか、もっとひどくなっている様相。

Amazonで、たまたま浜田省吾のバンドスコアを見つけ、
シンコー版は絶版だが、KMP版は新品が売れ残っていて、
自分が知らない、この十数年の曲もかなり入っているが、
1曲目が「J.BOY」なので、売り切れる前にと購入した。

この曲は、全体に売れ線ロックの曲調で、ギターも目立ち、
それでいて、Aメロは、シンセがテクノ風なバッキングをし、
ベースもアクセントをずらすようなスライドしたチョッパーで、
途中では、ジャコ・パストリアスのようなベースソロも披露。

間奏とエンディングで延々とギターソロが続くので、これは、
高校時代からのバンド仲間で、愛奴でのデビューも一緒の、
町支に花を持たせたと思ったら、かつてのツアーメンバー、
法田が弾いていて、ギターインスト曲の「滑走路」でも法田。

実力の差で、旧友の町支よりも法田に弾かせたのだろうか、
実際、法田のギターは見事で、売れ始めた頃の徳永英明の、
渋谷公会堂ライブで、ニューミュージックなのにギタリストが、
和田アキラみたいに弾きまくり、誰だろうと思うと法田だった。

トレモロアームまで使って、アラン・ホールズワースのように、
ウネウネフレーズを弾いていて、「滑走路」でも、それらしい、
ギターソロを披露するが、こんなもんじゃなく、すごかったし、
できれば、フュージョンアルバムでも出して欲しいギタリスト。

「J.BOY」のアドリブは、流れるようなレガートフレーズが、
その片鱗を窺わせるが、アームは使わないので、自分は、
ストラトではなく、レスポールにして、フェイドアウトを伸ばし、
ゲイリー・ムーアを意識して、ひたすら早弾きで好き勝手に。

YouTubeには、バンドでカバーしている演奏がかなりあり、
バンドスコアはスタジオテイクなのに、みんな耳コピなのか、
ライブアレンジで演奏していて見事なのだが、ライブでは、
エンディングのギターソロがないから、自分はスタジオ版。

ボーカルは、バンドやカラオケ、弾き語りとみんな上手く、
テレビの物真似番組に出ても通用するくらい似ているが、
「物真似かよ」と小ばかにしたようなコメントも見受けられ、
ファンはそれさえ許せないほど、神格化されているのか。

自分の歌が急に上手くなるわけないので、せめてオケは、
きちんと仕上げようと、突き指の人差し指にテーピングし、
何度もチョッパー奏法をやり直したり、ホーンセクションも、
ギターシンセの音を重ねたり、リズムギターも数テイクに。

時代の閉塞感、サラリーマンの悲哀を見事に歌い上げた、
浜田省吾「J.BOY」の、「頼りなく豊かなこの国」は、今や、
豊かとさえも言えないのではと、かなり歌詞へ入り込んで、
歌いましたが、歌よりはギターの方を聴いていただければ。






疾走するサウンドで颯爽とデビューした佐野元春「アンジェリーナ」
デビュー前の佐野元春は、高校の仲間とバンドを組み、
杉真理も参加していたコンテストに出たり、ピアノ演奏、
楽曲提供で、ソロ歌手の佐藤奈々子と関わっていたが、
そのままプロにはならずに、広告会社に就職してしまう。

友人の誕生祝に、スタジオを借り自作曲を録音すると、
そのスタジオ関係者が、テープをレコード会社へ送って、
プロデビューのオファーが殺到したらしいが、これって、
親戚が応募するジャニーズのパターンみたいに思える。

どんな曲を送ったのか、アマ時代から街を歌っていたと、
佐野は語っているが、デビューアルバムに収録したうち、
昔の曲は、「情けない週末」、「Do What You Like」の、
2曲だけで、あとは、アルバム用に書き下ろしたそうだ。

佐野がデビューした際には、疾走するサウンドにのせて、
街・ストリートの情景を歌っていると、レビューに書かれ、
和製ブルース・スプリングスティーンとまで言われたが、
昔の曲とされる2曲だけを聴くと、そのイメージではない。

デビューシングル「アンジェリーナ」が比較されてしまう、
スプリングスティーンの「明日なき暴走」は75年の曲で、
自分が知るようになる「ボーン・イン・ザ・U.S.A」よりも、
ずっと古い曲だが、その頃から佐野は知っていたのか。

同様に「サムデイ」と比較される「ハングリー・ハート」は、
収録アルバムもシングルも、佐野のデビュー後だから、
デビューの段階で、どの程度、スプリングスティーンが、
一般的に知られていたのかまでは、自分はわからない。

佐野が大ファンだったという話は、あまり出ていないから、
プロデューサーやアレンジャーの意向が大きく反映して、
スプリングスティーンを思わせるサウンドへとなったのか、
このあたりは、古いデモテープなどあったら、興味深いが。

佐野は、初期の1・2枚目は、自分でプロデュースできず、
アレンジにも不満があって、ライブで変更することも多くて、
自分が見に行った渋谷公会堂では、「アンジェリーナ」は、
バラード風のスローテンポで、そのあまりの変化に驚いた。

リズム隊はなしで、シンセがコードを伸ばすだけの伴奏で、
てっきり、途中からドラムが入りアップテンポになると思い、
ずいぶん凝ったアレンジだ、なかなかやるなあと思ったら、
最後までスローのまま曲が終わり、拍子抜けしてしまった。

ファンにとって、こうしたスローバージョンは当たり前らしく、
拍手喝采だったし、「ガラスのジェネレーション」までもが、
スローで演奏した時があったし、そうなると、佐野にとって、
スプリングスティーンのような編曲は、不本意だったのか。

「アンジェリーナ」は、イントロのギターリフをまったく変えて、
演奏するのも、すでに早い頃から定番だったし、ベスト盤に、
スローバージョンとして収録されているのは、打ち込み風の、
サウンドにのせ、2小節ごとに歌を休んで伴奏だけになる。

佐野が、スプリングスティーンの模倣とされることを嫌がり、
執拗にアレンジを変えたのかは、不明だが、それだったら、
「オー、アンジェリーナ、君はバレリーナ」といった歌詞の、
親父ギャグのような駄洒落は、特に気にしてはいないのか。

さらには、「車が来るまで、闇にくるまって~」の部分など、
「布団がふっとんだ」的な言い回しで、笑えてしまうのだが、
マニアックな友人によれば、これは韻を踏んでいるそうで、
駄洒落のわけがないと、こっちが非難されてしまうことに。

この曲の演奏は、例によって、レコードに近づけたいので、
イントロのフランジャーをかけたギター、70年代の頃には、
ジェット・サウンドなんて言われていた音色を再現できれば、
あとは、バンドスコアどおり、サックス、ピアノを重ねるだけ。

もちろん、自分の場合、サックスもピアノもギターシンセで、
生ピアノはリアルな音色が出るが、サックスはシンセっぽく、
ちょっと気に入らないが、現物を吹けるわけもなく妥協して、
ギターは、リズムもリードも2本ずつ重ねて、音を厚くした。

80年3月の佐野のデビューシングル「アンジェリーナ」は、
本人が意図したか不明だが、スプリングスティーンばりの、
疾走するサウンドで、呟きつつも、サビでシャウトするのは、
けっこう難しくて、オケに比べて歌のクオリティが低いです。











佐野元春が代々木公園で新年の雄叫びをあげた「ヤング・ブラッズ」
謹賀新年
あけましておめでとうございます。
今年も、このブログをよろしくお願いいたします。



クリスマスソングと同様に、新年の曲も何を演奏するか、
毎年悩んだすえ、タイトルからのこじつけも多いのだが、
佐野元春が、「この街のニューイヤーズ・デイ」と歌った、
明らかに正月が歌詞に入っている「ヤング・ブラッズ」に。

タイトルは、単語のままに直訳すると「若き血」になって、
慶応の応援歌と同じだが、85年の国際青年年に際し、
そのキャンペーンソングであったから、「青春の血潮」、
「血気溢れる若者たち」といった辞書に載る意味だろう。

キャンペーンソングであったことから、NHKでよく流れ、
早朝の代々木公園で撮影されたという映像は、すごく、
目に焼き付くほど見たし、この曲を含んだアルバムの、
「カフェ・ボヘミア」は、発売されてすぐCDで購入した。

プロモビデオの撮影場所は、代々木公園というよりは、
NHKホールの前を抜けて、公園へ向かう歩道橋の下、
自分の実家は、ここから徒歩10分程で、明治神宮へ、
初詣に行く通り道なので、遭遇できなかったのは残念。

実際、この映像には、着物姿で破魔矢を持った人々が、
映り込んでいるから、正月三が日とかに撮影したのか、
幼い子や散歩中の犬もいるが、10代の若者も多くて、
ファンクラブとかで、多少は観客集めでもしただろうか。

まだ、イカ天ブームもなく、歩行者天国にバンドとかが、
集まってくる前だが、もっと原宿寄りには、竹の子族や、
ローラー族、一世風靡が踊っていた場所があったから、
そっち目的の人が、音を聞きつけて集まった可能性も。

映像用に、口パク・充て振りだったと思うが、最初のうち、
怪訝そうに通り過ぎていた人々が、佐野のマイクなしで、
口パク何のそのとばかり叫びまくる迫力に、だんだんと、
人が集まり出し、手拍子に加わってくるのが見て取れる。

多少は、編集もあるのだろうが、佐野のバックに映り込む、
歩道橋の上から眺める人たちも、最初のうちはまばらで、
最後の頃は、かなりの群衆に膨れていて、こういうところ、
歌の力を感じるのは、佐野ファンゆえの身びいきだろうか。

バンドの演奏は、充て振りでなく、実際に音が出ていたと、
記事に書いている人もいて、基本のテンポさえクリックで、
一定にして演奏すれば、編集で同期させるのは可能だし、
現場では、盛り上がって、アンコールに応えたという説も。

まだ日本では一般的ではなかったラップを取り入れた曲、
「コンプリケーション・シェイク・ダウン」をやったそうで、
この曲をライブで再現すること自体、当時は画期的だし、
世間一般の通りがかった人たちに向けてやることも驚き。

「ヤング・ブラッズ」にしても、ラップの影響もあってか、
佐野の歌い方が、フレーズをスタッカート気味にしたり、
お腹から発声したり、ビブラートを強調するようになって、
昔の曲とは変化しているが、メロディはすごく親しめる。

何よりも、イントロのキャッチーなピアノのフレーズから、
それに呼応するホーンセクションの見事なリフをはじめ、
すごく耳に残る曲で、自分にとっては、ホーンのリフが、
入る曲は、全部この曲の真似と思う程、しみついている。

ただ、この曲自体が、スタイル・カウンシルのパクリだと、
当時から言われていたそうで、「シャウト・ザ・トップ」を、
YouTubeで見つけて聴いてみると、確かに似ているが、
イントロのピアノのリズムパターンが近いという程度。

スタイル・カウンシルは、そのピアノパターンのままで、
曲全体が進行するが、「ヤング~」はイントロだけだし、
メロディは別物だし、ピアノにしたって、昔の佐野の曲、
「グッド・バイブレーション」にも出てくる定番フレーズ。

もう1曲あるパクリ疑惑の「インディビジュアリスト」は、
タイトルからして、「インターナショナリスト」を意識して、
これは、パクリ、オマージュよりもアンサーソングに近く、
その意味では、佐野への影響は大きかったと言える。

こうした指摘を嫌ってか、その後、ライブでの演奏では、
イントロからアレンジを変えているが、この曲に限らず、
佐野はセルフカバーのように、スローテンポにしたりで、
本人の自由とはいえ、自分はレコード通り聴きたい派。

そんなわけで、なるべく原曲どおりにオケを作りたいが、
リットーのバンドスコアは、かなり細かく採譜してくれて、
鍵盤類は譜面の3段を使い、ピアノ、ホーンセクション、
ストリングス&オルガンで、譜面の欄外への書き込みで、
タンバリン、カウベル、クラップ、カバサまで載っている。

自分のMTRは24トラックで、ギター、アコギ、ベースに、
ドラムパートだけで8トラック、ピアノ、シンセ、ホーンで、
10トラックという具合で、トラックのやりくりでは苦労して、
ボーカルは、メイン、ハモリともに1トラックずつがやっと。

オケさえ完成させれば、昔から口ずさんでいる曲なので、
1回歌えば大丈夫と甘く考えていたら、歌詞の勘違いや、
1番と2番とを逆に覚えていたりと、かなりひどい状態で、
何度も歌い直したが、アップ後でも1ヶ所歌詞が違った。

令和最初の正月の曲は、佐野元春が新年を歌った曲で、
実際にその時期に代々木公園でゲリラライブもやった曲、
「ヤング・ブラッズ」は、オケはいい感じですが、歌の方は、
物真似にならないよう意識しつつ、中途半端な有様です。







街にたむろする若者を描いた佐野元春「ダウンタウンボーイ」
もともとが、しゃがれ気味の声で、美声でも何でもないが、
風邪でかすれた声では、小田和正や山下達郎は無理で、
前回のジョンの曲のように、ハスキー声でシャウト気味に、
歌えば、何とかごまかせるかと、今度は佐野元春を選曲。

佐野はデビュー当時、ブルース・スプリングスティーンに、
例えられ、疾走するサウンドに載せて街の風景を歌うと、
レビューに書かれたり、バックバンドにサックスを加えて、
スプリングスティーンのEストリートバンドと同じスタイル。

自分はスプリングスティーンの曲は、彼の一番有名な曲、
「ボーン・イン・ザ・USA」くらいしか知らないので、実際、
スプリングスティーンも街を歌詞にしているのか、また、
サウンドも疾走感に溢れて、似ているのかは分からない。

だから、一部で言われた和製スプリングスティーンとか、
どの曲がどの曲のパクリだとか、その辺には疎いのだが、
少なくとも、佐野が街の風景を書き割りのように切り取り、
ロックのビートの疾走するサウンドで歌うのは間違いない。

初期の3部作を聴けば、ほとんどが、そうした内容であり、
「街を歌うということに関しては、僕がアマチュア時代から、
ずっとやってきたことなんですよ。」と、佐野自身も語って、
「その核だけは、全然変わっていない。」とも付け加えた。

「ファーストアルバムでは、大雑把に街を観察した作品が、
多かったので、2枚目の『ハートビート』では、もうちょっと、
焦点を絞って、その街で生活している僕や僕の友だちの、
心の中まで立ち入って、曲を書いてみたんです。」と語る。

「1枚目は街路に立ち、2枚目はそこを歩いている人達の、
心に入った、そして3枚目はヘリコプターの上から俯瞰で、
見たという感じです。いずれにしても、歌っているのは、
街の出来事なんです。」と本人解説で、反論の余地なし。

2枚目から3枚目の発売日までは、1年3カ月あいたので、
その間にシングル盤は3枚出て、代表曲の「サムデイ」と、
「ダウンタウンボーイ」は、3枚目にも収録されているので、
先行シングルと呼ぶのか、他に「彼女はデリケート」を出す。

実は、今回「ダウンタウンボーイ」を演奏することに決めて、
バンドスコアを見たら、自分の覚えているのと違っていて、
アルバムで単に録音をやり直したのではなく、シングルと、
アレンジも変更していたのだと、今頃になりようやく知った。

「ダウンタンボーイ」は、最初のベスト盤「ノーダメージ」にも、
収録されているが、こちらもアルバムバージョンだったので、
おそらくシングルバージョンは、一度も聴いてなかったはず、
図書館で90年のシングルベストを借りて、ようやく聴けた。

テンポが多少アルバムではゆっくりになっていて、何よりも、
イントロがギターとサックスの違いがありフレーズも異なる、
伴奏にしても、ドラムのパターンはかなり変えて叩いていて、
シンバルや、フィルインの入る箇所も、別物のように違った。

テンポとサックスの違いくらいなら、自分が慣れ親しんでいる、
アルバムバージョンにしようと思ったが、キーボードやシンセ、
ドラムを耳コピするのは無理なので、バンドスコアのとおりに、
シングルバージョンで演奏し、エンディングにサックスを追加。

歌詞は、シングルもアルバムも同じで、本当に見事なくらい、
街にたむろする若者たちの行動や心情を、切り取って示し、
「夜のメリーゴーランド、毎日が迷子のアクロバット」の件は、
どう生きて行くのか、わからない迷いをうまく比喩で表した。

「本当のものより、きれいな嘘に夢を見つけてるあの娘」や、
「すべてをスタートラインに戻してギヤを入れ直している君」、
映画館の前で、「たった一つだけ残された最後のチャンスに
賭けている」ブルーボーイと、佐野は彼らの心に踏み込む。

そして、「ここにもひとり、あそこにもひとり」と眼差しを向け、
自分であり、君であり、あの娘であるダウンタウンボーイへ、
「明日からのこともわからないまま、知りたくないまま」でも、
それでもなお、「But it's alright 」、大丈夫だと言い切る。

とまあ、佐野元春の歌詞について、ふれていくと長くなり、
結局、全部を引用したくなるので、これくらいでやめておき、
風邪で悪化した声でも歌えるだろうと、ちょっとなめていた、
「ダウンタウンボーイ」は、一度きりの録音でも限界でした。










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