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僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
文庫本は、少ないこづかいでも、余裕だった
ちょうど中学生になった頃、
NHKテキスト常設店の意味合いだろうか、
放送センターの交差点に、新しい本屋ができた。

本屋さんというと、薄暗いイメージだったのが、
BGMのかかる、明るい店内に、連日通いつめる。

中学生になったのだから、いつまでも児童書でなく、
活字の小さい文庫本も、読んでみないと。

そう考えて、めぼしい本を探しては、購入した。

当時、児童書が400円前後だったところ、
文庫本は、100~200円が主流。

中学生のこづかいでも、十分、好きな本を買えた。

児童向けの作品で親しんでいた、
星新一のショートショートを、
新潮、角川、講談社、ハヤカワと買いあさった気がする。



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再び、村上春樹ロングインタビューのこと
言葉として、うまくまとまっていないのですが、
季刊誌「考える人」掲載の、村上春樹ロングインタビューは、
読んでいて、いろいろ考えさせられました。

初期の作品や、「ノルウェイの森」「ねじまき鳥クロニクル」などの作品に
言及されると、どんな内容だったか、本棚を行ったりきたり。

短編については、どの短編集だったかと、探してみたり。

また、海外の作家や作品について語られると、
読んだことのないものは、ネットで調べてみたりと。

何かレポートを書くような気分で、参考資料を手元に置いて、
インタビュー記事を読み進めていった。

学生の頃と違って、読書量が減ってしまった自分にとって、
ほとんどの作品を読んだのは、村上春樹くらいかもしれない。

これまでに読んだ作品やエッセイ、対談などが、
めまぐるしく脳裏をかすめていった。

ところで、この「考える人」という雑誌。

初めて読んだのだが、写真などの装丁もきれいで、
他の記事も、上品な、というか落ち着いた内容です。

この十数年、音楽雑誌とPC雑誌くらいしか買っていなかったが、
こうした文芸誌を読むのは、いつ以来だろうか?

なんだか、すごくゆったりとした時間をすごした気になりました。







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季刊誌」「考える人」の村上春樹ロングインタビュー
このブログをたちあげると同時に、村上春樹の本について、書いてみたりして、
いくつかの作品を懐かしく、読み返していた。

最初に読んだ頃は、どう感じていたのか、当時の日記が処分されてしまって、
確かめるすべもないが、今よりも、のめりこんで読んでいたはず。

そんな折、新聞広告に「村上春樹ロングインタビュー」の文字。

当初あまり興味のなかった「1Q84」は、入手困難とのテレビ報道にあおられて、
夜遅くまで開いている本屋を数件回って、何とか初版をゲットした経緯がある。

若い頃は、村上春樹が好きだったもんじゃよ、と年寄りの独白ではないが、
しまっておいた本を出してきたのだが、そこへ、この新聞広告。

「僕と鼠の物語の終わり」や「ノルウェイの森のこと」などの表題につられ、
早速本屋へ出かけて、季刊誌「考える人」を買ってきました。

作者本人による、謎解きなどに興味はないが、そういう話は殆どなく、
執筆当時のエピソードや、幼少の頃、アメリカの出版など、面白く読めた。

一人称の文体についての話は、なぜ使わなくなったかなど、納得のいく内容ずくめ。

欄外エッセイではないが、「着る物について」「昼寝の音楽」などの、
囲み記事(?)でのインタビューも、「村上朝日堂」のエッセイに親しんだ自分には、
ああ村上さんが語っている、と懐かしく読めました。





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村上春樹「蛍」は未完だったのか
84年に出た、村上春樹「蛍・納屋を焼く・その他の短編」に収録の、
表題作「蛍」。

「風の歌を聴け」に始まる「僕」と「鼠」の初期三部作を、
曽野綾子「太郎物語」や、井上ひさし「青葉繁れる」と同様の青春小説と思い、
肩透かしをくらったようになっていた自分。

ここで「蛍」を読み、
これこそ学生の物語、青春小説だと歓喜したのです。

少し変わった学生寮の同居人が出てくるが、
当時NHKで放映された、銀河テレビ小説「青春前後不覚」の中で、
主人公・金田賢一の友人役だった酒井敏也の姿に重ねていた。

描写されている背格好とは、まったく違うのだが、
学生である主人公の友人というだけで、同じに感じたのだから、
テレビなどの映像の刷り込みは、不思議なものです。

この短編は、蛍の描写で、終わるともなく終わっていくのだが、
夏目漱石や川端康成の、純文学の世界に通じる終わり方なのだろうかと、
自分なりの余韻を味わっていたのです。

ところが、数年後に、この作品は「ノルウェイの森」という長編小説の、
冒頭部分に、ほとんど変更ないまま、引用されていく。

またしても自分の勘違い、独りよがりの納得に、猛省した次第。








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村上春樹「1973年のピンボール」で思い出すボーリング場
まだ、インベーダーゲームもなく、ゲームセンターもなかった時代。

70年代初頭、道玄坂のプライムは、緑屋というクレジット店のビルで
そこにはボーリング場が入っていた。

宇田川のビデオスタジオも、当時は新しくできたボーリング場で、
中学生の自分たちは、ボーリングよりも、ピンボール台に群がって、
お互いに、点数を競い合ったものです。

ピンボールという言葉に魅かれて読んだ、村上春樹「1973年のピンボール」。

前作「風の歌を聴け」と同様に、青春小説と思った自分は、
ピンボールの時代を懐かしむように読み始めた。

主人公が渋谷の南平台の事務所に勤めている設定も、身近に感じられた。

就職している「僕」、居場所を探しあぐねている「鼠」の交互の描写は、
サラリーマンになったものの、モラトリアム気分の抜けない自分には、
共感できる独白ばかりで、ある意味、ちくちくと刺される気分でした。

ところが、物語は、双子の存在に端を発し、
どこか日常と離れた、非現実の比重が増してくる。

前作でハートフィールドを実在の作家であると、何の疑問も抱かなかった自分でも、
描かれているピンボールの歴史、機種は本当なのかな?という気がしてきたのです。

最後のピンボール台を探すくだりに至っては、自分が突き放されたような気にもなり、
そうだよ、これは小説なのだ、エッセイではないのだと、自分を納得させたのでした。




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