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僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
自分がおそらく一番好きなギタリストであるプリズムの和田アキラ
布団の中でウトウトして眺めていたヤフーニュース、
エンタメ記事トップに、馴染みのある名前を見つけ、
それが訃報だと分かった途端、一気に目が覚めて、
何をどうしたらよいのか、とりあえず起き上がった。

「PRISM和田アキラさん死去」と淡々とした見出し、
2018年末に予定していたライブが中止となって、
病気療養が告げられてから、まったく情報がなく、
どうなっているのだろうと、つい先日もHPを見た。

いったい何の病気かのアナウンスもまったくなく、
そうとう悪いのだろうか、あるいは怪我が原因で、
ギタリスト生命が終わってしまいかねない状況で、
リハビリに励んでいるのか、あれこれと想像した。

最悪の事態を思っては、そんなことはないだろうと、
いつもの楽観的な自分がいたのだが、ここに至り
和田アキラの訃報に接して、本当に頭が混乱して、
とりあえず気持ちを整理しようと、文章にしている。

いや、整理できるわけないだろう、和田アキラは、
おそらく自分にとっては、一番好きなギタリストで、
アキラのような早弾きがしたいと、ギターを練習し、
ギター教室にも通って、今でも練習し続けている。

この数年、自分が歳をとったせいもあり、何かと、
昔から好きだったミュージシャンの訃報に接して、
その度に、もういい歳なんだから仕方ないんだよ、
そうやって自分をごまかしてきたが、今回は無理。

高校生の頃、雑誌のアマチュア紹介の記事から、
プリズムを知ったが、そのリーダー、ギタリストの、
和田アキラは、和田晃として、ギター講座だとか、
レコード評を書いていて、名前だけは知っていた。

やがて、後楽園でチャー、竹田和夫、森園勝敏、
3人が競演するライブがあり、見に行った友人が、
森園のバックバンドはプリズムで、和田アキラの、
ギターがものすごかったと、興奮して話していた。

そのうちに、レコードデビューが決まり、ラジオに、
和田と森園が出るというので、どんな曲だろうと、
楽しみに聴くと、「僕らは『プ』と呼んでます。」と、
笑いながら、バンド名と同じ「プリズム」をかける。

いきなりの早弾きのスケールの嵐にぶっとんで、
一気にファンとなり、LPを買うことになるのだが、
高校でもギターを弾く友人たちの間で話題沸騰、
その年の文化祭では、早くもプリズムを弾く奴も。

もちろん、アルバムのハードサイドは無理なのか、
ソフトサイドの曲ばかり、バンドを組めないくせに、
何だ、誰も「プリズム」を弾けないのかよ、自分は、
楽譜を買ったから弾けるのにと、自惚れていた。

プリズムがセカンドアルバムを出す頃、パルコで、
プリズム、スペースサーカス、渡辺香津美という、
クロスオーバー・フェスが開催され、ここで初めて、
和田アキラの生演奏に触れて、とにかく興奮した。

日曜の昼のテレビ番組「ロックおもしロック」では、
グレコのCMがあり、和田アキラが早弾きを披露、
これには世間一般、お茶の間もびっくりしたかと、
思うのだが、いかんせん、ローカル番組にすぎず。

こうして思い出を綴ると、本当にきりがなくなって、
やはり何をどうして良いのか、わからないままで、
「RIP 和田アキラ」「和田アキラのご冥福を~」と、
書くのさえ陳腐に思えて、いったん筆を置きます。





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カシオペア・野呂一生と、プリズム・和田アキラのギターバトル
78年、渋谷の西武デパートのディスクポートで、
ギターバトルの曲が流れ、片方は、プリズムの、
和田アキラが弾いていると、すぐにわかった。

もう一人は、誰だろうと思いながら、飾ってある、
LPジャケットを見ると、カシオペア野呂一生で、
ライブハウスなどで、話題になってきたギタリスト。

カシオペアのデビューLPは、翌79年であって、
まだ知る人ぞ知る存在だったが、雑誌にも載り、
クロスオーバー・ファンの間では、注目されていた。

自分も、77年に、ヤマハ主催のコンテストである、
EastWestで、その演奏を聴いて、すごく気に入り、
渋谷ヤマハのライブスポットでも、何度か見ていた。

Tokyo Fusion Night」と、名づけられたLPは、
ドラムの村上秀一、愛称ポンタがリーダーとなった、
セッションで、ギタリストも、数名が参加していた。

アール・クルーや、リー・リトナーの名演で知られる、
キャプテン・カリブ」は、リトナーのアレンジに近いが、
いかしたドラムソロが、かなりフューチャーされていた。

大村憲司と、野呂一生の、ギターソロも聴けるうえに、
松原正樹も、存在感あるリズムギターで参加していて、
かなり豪華な共演で、ギターマニアには納得の演奏。

和田アキラと、野呂一生のギターバトルが聴けるのは、
B面1曲目の、「カム&ダウン」で、当時最速と言われた、
和田アキラの早弾きに、引けをとらない野呂のプレイは、
フレーズもジャズっぽく、新しいスタイルだった。

今回、ブログを書くに当たり、CDで買い直したのだが、
ギターバトルは、16小節を互いに3回プレイする程度で、
もっと延々とやりあったように、自分は勘違いしていた。

きっと、レコードを買ってきて、家で聴きなおした時に、
同じような失望感を抱いたかもしれないが、ほかの曲も、
すごい演奏が聴かれるので、買って損したとは思わない。

渋谷ヤマハで見たときに、野呂は、ジョー・パスのような、
ソロギターから始まり、コードソロでテーマを奏でる、
ジャズ系の演奏をしていて、こうした初期ライブで演奏した、
LP未収録曲の音源は、どこかにないものでしょうか。




ジャズギター教本で知った、モード奏法と「ソー・ホワット」
78年、高3年のとき、クラスに、ジャズピアノの、
得意な友人がいて、昼休みにジャズ理論書や、
ピアノの譜面などを見ていて、すごく影響された。

真似するように、ジャズギターの楽譜を買おうと、
渋谷のヤマハで、あれこれ見て、渡辺香津美の、
ジャズギターインプロビゼイション」を選んだ。

モード奏法を学ぶ例として、ジョージ・ベンソンによる
ソー・ホワット」が掲載されていて、高校の教室で、
ベンソンのフレーズを、演奏していた友人もいたから、
なんとか、この曲を弾けるようにしたいと思った。

マイルス・デイビスが始めた、モード奏法の発端は、
ジャズスタンダードの、演奏に際して、コード進行が、
複雑化するというか、代理コードや、テンションにより、
アドリブが、コードに束縛されたことへの、反動らしい。

コード進行の呪縛から、開放するため、同じコードが、
数小節続き、そのコードに対して、一つのスケールが、
対応することで、より自由な、アドリブが可能となる。
(書いている自分でも、もどかしい表現ですが・・・)

そんな背景をふまえつつ、ジョージ・ベンソンの楽譜を、
弾くと、FMで聴いた、ベンソン版「テイク・ファイブ」の、
早弾き、弾きまくりに近いフレーズで、気合が入る。

収録されたLPを探し、輸入盤「ブルー・ホライズン」を、
公園通りディスクユニオンで買い、早速聴いたのだが、
譜面で考えていたより、早いテンポで演奏していて、
当時の自分には、弾けるようなスピードではなかった。

原曲も聴こうと、マイルス・デイビスが、これを初演した、
カインド・オブ・ブルー」を買ったが、このテイクは、
ゆっくりのテンポで、何だか、拍子抜けした気分だった。

マイルスの演奏は、ライブ盤「フォア&モア」でも聴け、
かなり早いテンポだったが、自分にとってはベンソンの
演奏のほうが、気に入っていて、ギターびいきだろうか。

それから15年近くたってから、フラン・クギャンバレが、
中心となったギターバトル、MVPシリーズの第2弾で、
ファンク調にアレンジされた「ソー・ホワット」が聴ける。

ゆったりとしたテンポだが、チョッパーベースのソロや、
ブレッド・ガーストショーン・レーンの新人二人による、
ものすごい早弾き合戦で、これは、これで気に入った。




学生バンドの青田買いと思った、スクエアの安藤まさひろ
プリズムや、カシオペアスペースサーカスが、
クロスオーバーブームの中、次々と登場した頃に、
学生バンドを母体とした、ザ・スクエアもデビュー。

ブームに便乗しようと、レコード会社が青田買いで、
無理やり、デビューでもさせたのだろうなとど思い、
自分も学生のくせに、上から目線で、スルーしていた。

FMの生放送に出演したときに、お手並み拝見と、
ザ・スクエア(当時はT-スクエアではなかった)の、
演奏を聴くと、アンサンブル重視のサウンドに感じる。

ギターも、コーラスエフェクターをかけたクリーンな、
音色で、サックスやピアノのバッキング主体であり、
長めのギターソロも、なんだかゆったりした印象。

自分の好みとしては、ロック系の歪ませた音色で、
早弾き中心に、弾きまくってほしくて、好きだった、
リー・リトナーでさえ、コーラスの音ばかりになると、
かなり早いフレーズを弾いても、物足りなかった。

雑誌プレイヤーに、スクエアの紹介記事が載ったが、
ギターの安藤まさひろは、セミアコギターを抱えて、
テンションコードを、指をストレッチして押さえていた。

指が短くて、なかなかコードを押さえられない自分は、
安藤の「どや顔」的な表情が、なんだかカチンときて、
ソロが弾けないから、小難しいコードを必死で押さえ、
バッキングに徹した形にしてるんだろうと、ひねくれた。

80年、雑誌ヤングギターに、ドラマ主題歌にもなった、
トゥモローズ・アフェア」の楽譜が、掲載されたのだが、
やたらと細かい音符が並んでいて、フレーズ自体も、
スティーブ・ルカサーに近く、それだけで、LPを買う。

しっとりしたメロディだが、泣きのギターというよりは、
淡々とした演奏に感じて、それでも後半の弾きまくりは、
すごく格好良くて、この1曲で、スクエアのファンとなる。

ベスト盤を買ってくるが、ろくにソロも弾けないのにと、
思っていた初期の曲でさえ、歪ませた音色ではないが、
コンプレッサーを効かせた、伸びのあるギターの音で、
かなり弾きまくっていて、自分の思い込みを反省した。

この後、ユーミンとコラボの「うち水にレインボウ」を経て、
トラベラーズ」などヒット曲満載の「アドベンチャー」、
のちにF1テーマ曲で、お茶の間に浸透する(?)曲、
トゥルース」など、LPからCDの時代、全部買い続けた。

それだけ、気に入ったスクエアで、実力も認めるが、
学生バンドだったのは事実だし、その後のメンバーの、
交代時にも、現役の学生が加入したこともあるので、
ブームにあやかった学生バンドと、思いがちなのです。




渡辺香津美の後輩のようで、似て非なる秋山一将
4人の若手ギタリストの共演で話題となった、
LP「ギター・ワークショップ」の第2弾は、
78年、六本木ピットインでのライブ録音となり、
渡辺香津美に代わり、秋山一将が出演した。

秋山一将は、同年、「ディグ・マイ・スタイル」で、
ソロデビューしていて、渡辺香津美に次ぐ、
若手ジャズギタリストのホープとされていた。

ソロLPの1曲目、「アイ・ビーリブ・イン・ユー」は、
セミアコギターに、軽くコンプを通した音色で、
ビバップフレーズを、見事に弾きまくるスタイルは、
香津美とも、ジョージ・ベンソンとも違っていた。

LPの半分の曲は、秋山のボーカル曲が占めて、
マイケル・フランクスのような、歌い方だが、
ボサノバの、けだるい感じが、妙に合っていて、
歌唱力などと関係なく聴けるのは、戦略勝ちか。

何かの雑誌で、日本のジャズ、クロスオーバーの、
第一人者である、渡辺香津美とのスタイル比較で、
「ロック畑とジャズ畑出身の違いが明白」とあった。

自分から見たら(聴いたら)、どちらもジャズ畑だし、
おそらく、香津美を、ロック畑としているのだろうが、
歪ませた音や、チョーキングなどで、ロックギターの、
奏法とするならば、曲により、秋山もやっていること。

何をもって、ロック、ジャズ出身と区別するのか、
最近では、ますます、その境界がわかりにくいし、
自分は、ビートルズから、ジェフ・ベックへと聴いた
高校時代をさして、ロック畑と言うことにでもなるのか。

ベース奏者、鈴木勲の76年録音、「アコの夢」には、
渡辺香津美と、秋山一将の二人が参加していたが、
二人のスタイルの違いは、特に印象にないまま、
一度聴いただけで、レコード棚に入れたままとなる。

秋山は、2ndアルバムを、withネクストペイジという、
バンド形式にして、ジャコ・パストリアスの研究家で、
フレットレスベースの名手、濱瀬元彦と組んでいた。

この中の曲は、オムニバスで1曲を聴いただけだが、
まるで渡辺貞夫か、増尾好章のようなイントロに続き、
ジャケットどおりなら、レスポールを弾いていたわけで、
「ワークショップ」とも、スタイルが変わったことになる。

その後、日野元彦と、ZOOMというバンドを組み、
NHKFMの「セッション」に出演し、エアチェックするが、
自分の興味が、フュージョンから、イングヴェイなどに、
変わったせいもあり、名前を聞かなくなってしまった。





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