僕らが聴いてきたギター音楽 60~80年代を過ごした渋谷あれこれ
青春時代を渋谷で過ごした中年サラリーマンです。 昔のことを思い出そうとしたブログですが、最近はギター演奏が主体です。          旧タイトル「僕らの過ごした渋谷」
バンド名と逆さまになっている曲名の「クリムゾン・キングの宮殿」
この10年くらいだろうか、自分が中学・高校の頃によく聴いたり、
憧れて夢中になったたミュージシャンの訃報に、次々接していて、
特に、この1~2年はひどいものだが、当然といえば当然のこと、
それだけ自分が年をとったわけで、愛しき70年代からも早40年。

ただ、昨年末のグレッグ・レイク、今年の1月のジョン・ウェットンと、
歴代のキング・クリムゾンのベーシスト兼ボーカリストだった2人が、
たて続けに亡くなったのは本当に驚きで、それもグレッグは69歳、
ウェットンは67歳と、まだまだ現役でも活躍できる年で惜しまれる。

自分は、あまりキング・クリムゾンには詳しくなく、再結成した頃が、
リアルタイムというくらいなので、単純にグレッグが第1期であって、
ウェットンが第2期と思っているが、グレッグは、デビューしてすぐ、
脱退しているから、ウェットンとの間にベースは3人交代している。

クリムゾンは、リーダー兼ギタリストであるロバート・フリップ以外は、
かなりメンバーチェンジが激しかったから、そのラインアップごとに、
細かく分ける人もいて、ビートルズが赤盤と青盤の前期・後期から、
前期・中期・後期となったのよりも、かなり複雑で、どれが正式だか。

そんな自分だから、ファンの人には、申し訳ないが、リアルタイムで、
新譜を聴いたり、初来日の話題に接したディシプリンのクリムゾンは、
別物であって、ウイングスやオノバンドがビートルズを名乗るようだし、
90125イエスの曲は好きでも、本当のイエスでないと思うのと同様。

そのうえ、クリムゾンで好きなアルバムが、デビュー作である「宮殿」と、
解散アルバム「レッド」で、好きな曲は「21世紀」「エピタフ」に加えて、
「スターレス」という、少しかじった程度のファンにありがちなパターン、
それだけに、グレッグとウェットンは、別格ともいってよい存在だった。

ウェットンは、いわばグレッグの後任だから、グレッグ在籍時の曲を、
ライブで歌うことも多かったように思うが、実際には、「21世紀」程度、
それも、「太陽と旋律」以降の新曲ばかりでは、なじみがないだろうと、
1曲くらいは、観客の知っている曲をやることにしたと、何かで読んだ。

逆に、先輩のグレッグが、ウェットンの代役でエイジアの来日公演に、
急遽呼ばれて、一度も演奏したことのないエイジアの曲を歌ったのは、
ドラムのカール・パーマーが、あのELPからのつきあいもあったろうが、
何より、2人の声質が似ていて、あまり違和感なく聴ける点が大きい。

バンドにとって、やはりボーカルの存在は、すごく大きいと思っていて、
ギター中心に聴く自分だから、パープルのギターがリッチーではなく、
トミー・ボーリンやスティーブ・モーズでは、別物だろうと思ってしまうし、
それ以上に、イアン・ギランでないとカバディールでもちょっと違う気が。

レッド・ツェッペリンならロバート・プラント、イエスはジョン・アンダーソン、
例を挙げるときりがないが、逆にボーカルが別のバンドを組んだとして、
そこそこ上手なバックバンドがいれば、何とかなってしまうこともあって、
ギタリストはよほど個性がないと、一般の人には大差ないかもしれない。

厳密には、グレッグとウェットンの声質も、まったく同じではないわけで、
低音でもテナーボイスのグレッグと、ダミ声でドスのきいてるウェットンと、
うまく表現できないが、明らかな違いはあって、当然に聴きわけできるし、
ベースとなると、音色もスタイルも違うのだが、ついつい一緒したくなる。

グレッグは、ELPやソロ活動で、「21世紀」「宮殿」「エピタフ」を歌ったり、
ウェットンもエイジアやソロで、「スターレス」「土曜日の本」を取り上げて、
それぞれの在籍時の曲を演奏するが、ウェットンは、クリムゾン時代に、
演奏していないグレッグの「宮殿」「風に語りて」を、後年ライブで歌った。

元ジェネシスのギタリスト、スティーブ・ハケットがセルフカバーを出して、
その日本公演が実現した際、どういう経緯か、元クリムゾンのメンバー、
イアン・マクドナルドがウェットンと共に参加し、ジェネシスの曲に加えて、
クリムゾンの曲も演奏されて、プログレファンが狂喜するライブとなった。

当然ながら、マクドナルドが参加したのは、クリムゾンのデビュー作のみ、
そこからの選曲となり、「宮殿」と「風に語りて」を、ウェットンが歌ったが、
ウェットンもかつて演奏して、マクドナルドも活躍する「21世紀」のほうを、
演奏しなかったのは、主役をくってしまうから、さすがにやめたのだろう。

YouTubeを見ると、その後もウェットンは、エイジアやソロでのライブでも、
「宮殿」を歌っていて、自身のレパートリーとしたのか、ウェットンにとって、
クリムゾンナンバーは大切な曲、何よりもクリムゾンは大きな存在であり、
再結成にアメリカ人が入ったと愚痴ったのは、呼んで欲しかったのかなと。

何度目の再結成になるのか、あろうことか、コピーバンドのボーカルを、
メンバーに加えて、昔の曲を再現しているフリップであるが、それならば、
まだグレッグやウェットンが健在だったのだから、ゲスト扱いで好いから、
ボーカルをとって欲しかったが、例によって、彼の理屈があるのでしょう。

キング・クリムゾンのデビューアルバムの、「クリムゾン・キングの宮殿」は、
有名なエピソードとして、ビートルズの「アビー・ロード」をチャート1位から、
蹴落としたというのがあるが、自分がビートルズに夢中だった中学時代に、
そんな話は聞いたことがなく、黒歴史としてビートルズ本は載せないのか。

ただ、その頃に知ったところで、同時発売でなければ、売れ行きが落ちて、
他のアルバムに抜かれるのは当然だし、ましてリアルタイムでもないから、
そんなこともあったのかと、記憶に残らなかったか、逆にショックだったら、
いったいどんなバンドだ、どんな曲だと、すぐにも聴いていたかもしれない。

今日では、このアルバムが1位になったのは、売り上げチャートではなく、
音楽雑誌の人気投票のようなもので、あったかもしれないというくらいで、
バンドを売り出すために考えたキャッチコピーだったという説もあるほどで、
実際のところは不明だが、それだけ衝撃的な作品だったのは間違いない。

激しい音と、その後のプログレのテクニック至上主義の路線を作り出した、
「21世紀」は別格として、デビュー作では、メロトロンの導入と叙情性とか、
特徴となっていて、リーダーのフリップより、ピート・シンフィールドの詩と、
マクドナルドの鍵盤から管楽器のマルチ奏者ぶりが、重要だったと思える。

「クリムゾン・キングの宮殿」の曲のタイトルから、バンド名がついたという、
そのこと1つとっても、バンドにとり、シンフィールドの存在は大きいようで、
普通に考えると、歌うことも、楽器を演奏もしないのに、作詞をすることで、
メンバーの一員というのは変な話で、これも、今までのバンドと一線を画す。

これまた、自分が詳しくないせいか、なんで曲名とバンド名とが逆なのか、
アーサー王だったら、King Arthurで、Arthur KIngとはならないわけで、
ライオンキングは、Lion Kingだから、バンド名ではクリムゾン王と名前で、
曲名では紅の王、紅の中の王様という、抽象的な意味をさすのだろうか。

イントロのメロトロンの音は、いわゆるストリングスだろうが、「エピタフ」や、
「スターレス」の悲壮感溢れる、か細い響きと違い、かなり重厚な感じで、
ソリーナやハモンドに近い音色なので、ギターシンセでストリングスの音を、
オルガン系の音とミックスし、さらに別トラックに、オルガンでも弾いておく。

中間のフルートは、基本のフルートの音、プリセットのままででもよい感じ、
フレーズにより、ボックスフルートやトロンフルートの音色を使い分けると、
もっとリアルになるのだろうが、逆にフレーズごとにぶち切れてしまうので、
切り替えずに同じ音色にし、それでも、早いフレーズは追い切れなかった。

アコギは、エピタフでも出てくる独特のアルペジオで、フリップの得意技と、
スコアに解説してあるが、グレッグもELPの曲で、これを多用しているから、
グレッグはベース以外にアコギも弾いているとか、メロディを作っていると、
諸説あるようで、ビートルズに限らず、演奏、録音の謎は、本当つきない。

期せずしてグレッグ、ウェットンと続けての訃報、2人ともに歌っていた曲、
「クリムゾン・キングの宮殿」を自分も歌いましたが、キーが低いわりには、
歌いにくいし、MTRでは、ドラムロールが、マシンガンの音に聴こえたりと、
いつも以上に課題が多くて、2人への追悼が空回りしてしまい反省です。




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2本のギターが呼応しあう伴奏で都会の孤独を歌った「ボクサー」
サイモン&ガーファンクルの曲を初めて聴いたのは、高1の頃、
76年7月に、NHK「世界のワンマンショー」の枠で放送された、
BBCの「ポール・サイモン・ショー」の中で、他の番組になるが、
久々に2人が共演した映像が、回想シーンのように挿入される。

共演の場面をすべて流したのか一部なのかは、わからないが、
アートが拍手喝采の中登場すると、まずは「ボクサー」から始め、
続けて「スカボロー・フェア」を歌ったところで、画面は切り変わり、
BBCでのポールのステージへと戻り、ソロ曲の演奏が再開した。

結果的には、「ボクサー」が、自分にとって初のS&Gの曲であり、
それ以前も、名画名場面特集とかで、「卒業」は見ているけれど、
必ず放送されるラストシーンは覚えていても、音楽まで流れたか、
主題歌の「サウンド・オブ・サイレンス」さえ、まったく記憶にない。

中2か中3で買ってもらった、LP5枚組の映画音楽大全集には、
サントラでなく、イージーリスニングのオーケストラ演奏であるが、
「卒業」は入っていて、曲目は「サウンドオブ・サイレンス」なので、
S&Gとは意識せず、メロディくらい聴いていたのは間違いない。

だが、例えば、「燃えよドラゴン」や「80日間世界一周」のように、
サントラ盤で聴き込んだり、テレビ放送をカセットテープに録音し、
主題歌も繰り返し聴いた「イージーライダー」や「シェーン」と違い、
口ずさみもしなければ、「卒業」と映画音楽は切り離されていた。

ただ、厳密にというか、こだわるというか、こじつけっぽくなるが、
「ポール・サイモン・ショー」では、再結成の場面を紹介する前に、
S&G時代の曲、「早く家に帰りたい」を、ポールが弾き語りして、
これを先に聴いているが、2人のデュオで聴いたのは「ボクサー」。

テレビでは、ポールがスリーフィンガーを中心に伴奏をしていて、
その後の何度かの再結成でも、ポールの演奏は変えていないが、
レコードは、印象的なイントロを始め、ガットギターが入っていて、
楽譜の解説によると、少なくとも4本のギターが多重録音だとか。

バンドスコアには、左チャンのガットに、右のアコギが載っていて、
これが一番正確な感じで、高1の頃買った「グレイテストヒット」の、
全曲ギター譜も、95年のムック本の「アコースティックギター3」も、
2本に分かれてはいるが、アルペジオのパターンが異なっている。

ポール・サイモンは、アコギの半音下げチューニングで、開放弦の、
Cのコード主体で、スリーフィンガーを弾くが、「グレイテスト~」や、
「アコギ3」では、16分音符の繰り返しとなり、バンドスコアの方は、
1・3拍目は、タタタタでなく、タンタタで、おそらくレコードはこっち。

ガットギターのイントロは、昔から2カポにし、クラシックギターでの、
カンパネラ奏法のように、4~6フレットのハイポジションを押さえて、
開放弦を組み合わせ、音を響かせるが、バンドスコアは、4カポで、
確かに、伴奏になってからは、高音を使うことが多くて、4カポが楽。

ただ、バンドスコアのTAB譜のとおりでは、イントロの響きが出ず、
これは、「アコギマガジン創刊号」に載る、4カポで3~7フレットを、
押さえながら、開放弦を組み合わせるのが、かなり近い響きになり、
自分は、4カポにし、これで弾き、伴奏はバンドスコアに沿って弾く。

ガットギターはポールでなく、ナッシュビルのベテランミュージシャン、
フレッド・カーターJrが弾いたそうで、スリーフィンガーで弾きながら、
オブリガードのように、スライドや和音を加えて、変幻自在の伴奏で、
「ライブ1969」でも、レコードに近い見事な演奏を聴かせてくれる。

「グレイテスト」のギター譜では、「4本のギターをミキシングで」とされ、
2本の伴奏に、「ガットのアドリブと12弦のサイドを加えると完璧」と、
注釈になっているが、フレッドが伴奏しながら、アドリブを加えたのを、
あまりにも流麗なので、別々に弾いていると判断したのかもしれない。

所々に入ってくるバスハーモニカも、カントリー音楽のベテラン奏者で、
チャールズ・マッコイという人、アクセントのつけ方もすごく見事なのが、
ギターシンセのハーモニカの音では、アコーデオンのような音になって、
話にならず、バリトンサックスの音色だと、多少ましになって妥協した。

この曲の歌詞は、ニューヨークという大都会にやってきた少年が感じる、
都会の孤独をモノローグのように歌い、真冬の寒さが身に染みてきて、
故郷へ帰ろうかと歌うのだが、最後、唐突に、ボクサーの話へと変わり、
「もうごめんだ」と言いながらも、戦い続けるという歌詞になって終わる。

ここを、映画のラストシーンのように、語り部であった少年の視線から、
最後は、彼が成長し、ボクサーになった姿を映し出すという説もあるが、
それよりは、都会で孤独と闘い続ける少年、さらにそうした人々の姿を、
ボクサーの姿に例えて、誰もやめないと語ったように自分は解釈する。

自分が最初に聴いたと、ちょっとこじつけているS&Gの「ボクサー」は、
ガットがエレガットで今一歩、エコードラムは、ジャングル風呂のようで、
バスハーモニカ、テルミンの音色も、ギターシンセで再現できないまま、
ちょっとオケ作りもまずいまま、歌は相変わらずというハスキー声です。






混乱こそ我が墓碑銘とグレッグが歌うキング・クリムゾン「エピタフ」
ブロとも、エレギ師さんへ









4人で演奏したようでも編集やダビングの謎もある「ヤー・ブルース」
このところ、サイモン&ガーファンクルやイーグルスといった、
新しくバンドスコアを手に入れた曲を、立て続けに演奏したが、
そうなると、原点回帰したくなるのか、ビートルズが恋しくなり、
それも、ジョンがメインボーカルの曲をやりたいと思い始める。

鍵盤や管楽器、ストリングスが入ると、ギターシンセをセットし、
音色作りも面倒になるから、ギター2本、ベース、ドラムという、
4ピースバンドの形態の曲で、ジョンが歌っている曲はどれか、
愛用の全曲バンドスコアのページをめくり、候補の曲を探した。

各人が好き勝手にやり、1人だけで多重録音した曲も数多くて、
ソロアルバムを寄せ集めたような、「ホワイトアルバム」にあって、
「ヤー・ブルース」は、「バースデイ」と同様、ストレートな感じで、
4人が一丸となって演奏した、ライブ感にあふれた数少ない曲。

この曲は、かなり以前から、演奏するつもりで取り組んでいたが、
自分のMTRの内蔵ドラムマシンは、途中でテンポを変えられず、
メインとなる3拍子、ブレイク部の4拍子、間奏のシャッフルとが、
2拍3連などを組み合わせても、うまくいかずに、挫折していた曲。

昨年、「ルーシー・イン・ザ・スカイ~」を録音する時にも悩んだ末、
3拍子から4拍子になり、テンポの変わる部分は、別々に録音し、
子供から、Audacityという編集ソフトのやり方を教わり、つなげて、
何とかうまくいったので、「ヤー・ブルース」も、それで再挑戦する。

このところ、演奏もブログ記事もおせおせになっていて、演奏自体、
更新予定の土曜日の夕方に、やっと仕上げて、ミキシングに入り、
7個に分けた部分の音量や定位を揃えていると、早くも夜の10時、
慌てて、つなげる編集を始めるが、肝心のやり方が思い出せない。

歳のせいか、3ヶ月近くもたつと、何をどうやって編集したか忘れて、
子供がプリントしておいてくれた、いくつかの解説ブログを読んだり、
さらに、ネット検索してみるが、パソコンが不調でフリーズし始めるし、
再度、子供に教わろうにも、向こうは向こうで、部屋でPCの作業中。

11時になっても、いっこうに先が見えないので、もう無理とあきらめ、
残り1時間では、クラシックギターの練習曲とか録音できたとしても、
その曲についてのブログ記事を書くことまでは、間に合うわけもなく、
そんな投げやりの更新をするよりは、1回休んでしまおうと決断した。

いつも訪問してくれるブログ仲間の方々が、具合が悪く伏せている、
どこか旅行にでも行った、いよいよもってブログは放り出したなどと、
何かあったのか案じられても申し訳ないので、演奏が途絶える件は、
簡単な記事とともに更新して、仕切り直しだと、気を取り直すことに。

「ヤー・ブルース」は、ブルースという形式のせいか、初期のような、
ジョンのリズムギター、ジョージのリードギターに、ポールのベース、
リンゴのドラムという基本スタイルで、4人揃った一発録音に近くて、
それも、録音スタジオでなく、テープ保管庫の狭い部屋だったらしい、

YouTubeに、この曲の解説付きがあり、「Ringo says~」として、
スタジオではなく狭い部屋で録音したとか、書いてあるのを見たし、
藤本国彦「213曲全ガイド」には、ポールの弁、「物置のような狭い、
テープの保管庫で、肩をくっつけあいながら演奏した。」と出ている。

マーク・ルウィソーン「レコーディングセッション」に、ジョージの曲で、
歌入れをコントロールルームでやっていると、冗談半分にスタッフが、
「そのうち隣の部屋でやりたいなんて、言い出しかねないね」と笑い、
ジョンが「そいつはいい、次の曲でやろう。」と、その気になったとか。

キャバーンのようなライブハウスを意識したか、ライブハウスなんて、
洒落た言葉でなく、小屋、納戸で、地味に演奏されていたブルース、
そんな雰囲気を出したかったのかもしれず、英国でブルースが流行し、
そうした風潮をからかいたくて、作った曲とジョンは語っていたらしい。

ジョンは、ローリング・ストーンズのTV「ロックンロール・サーカス」で、
この「ヤー・ブルース」を演奏し、リードギターにはエリック・クラプトン、
ベースにストーンズのキース、ドラムにジミ・ヘンドリックスのバンドの、
ミッチ・ミッチェルというスーパーバンドで、どういう経緯だったのだろう。

その際、バンドは「ダーティ・マック」と名乗り、ブルースを皮肉るから、
バンド名も、「フリートウッド・マック」を揶揄したと語ったそうだが、いや、
どう考えても、このバンド名、ポールをからかったしか思えないけれど、
ポールに出演を打診して、断られるかなんかしたんじゃないかと思う。

コンサート活動をやめて、スタジオ作業に専念していたビートルズだが、
ジョンは、このストーンズの番組や、トロントでもライブに出演していて、
ライブ活動への欲求があったのではないかと想像できて、結果的には、
ビートルズとして最後のライブとなる、ルーフトップも嬉しかったのでは。

その点からすると、ゲット・バック・セッションは、下手にカメラを入れて、
ドキュメンタリーを制作なんてことはせず、ライブアルバムを出すことと、
コンサートを再開することを目標にして、リハーサルを続けていったら、
もっと別の形で、アルバムもライブも実現したのではと、想像が膨らむ。

ただ、そんなライブ向きで、一発録音したと思える「ヤー・ブルース」も、
テイク14まで録音して、テイク6を採用、間奏後はテイク14が編集され、
中山康樹「これがビートルズだ」は、「3分16秒前後でテイク6が切断、
テイク14がいささか強引につながれ~、計ったような不自然さ」と言う。

「テープ編集そのものを演奏の一部として、活かそうとしたのでは。」や、
「ジョンのコラージュ的発想がビートルズで試された瞬間」とまで語って、
さすがに、それは深読みではと思うが、テイク14で「ガイドボーカルが、
そのまま残されている。ポイントはここだ。」とあるのは、多少同意できる。

エンディングで歌声が小さく聴こえる部分は、狭い部屋で録音したから、
ドラムマイクが拾ったかと思ったが、それならば、ギターもベースの音は、
もっと拾うし、「全曲バイブル」も、ドラムトラックに回り込んだ音でないと、
断言して、ジョン自身、テレビ演奏で、マイクから離れて歌い続けていた。

コラージュ的、テープ編集はともかく、ジョンは、かすかに聴こえる歌を、
確かに意識して残していて、決して、他のマイクが拾った音ではないし、
まして、仮歌の消し忘れではなく、そうなると、ギターの間奏についても、
左チャンネルから、小さく聴こえるリードギターも、あえて残したと思える。

間奏のリードギターは、テレビ演奏でもわかるよう、ジョンから始まって、
開放弦と3フレットを3連符で鳴らしてから、単音リードに切り替わるが、
テレビでは、ここでクラプトンに交代するが、レコードでは、ジョージへと、
交代したのか、ここもジョンで、左チャンを同時にジョージが弾いたのか。

リードギターをダビングしたというのは、ルウィソーンの著書にもないから、
左のリードがジョージとすると、右のリードは全部、ジョンということになり、
ただ、右のリードも、和音フレーズの前、歌のバックで聴こえる単音リフと、
かぶるように始まり、後半のチョーキングも、かなり不自然にかぶってくる。

自分の想像としては、もともとジョージがリードを弾いて、録音していたが、
あとで、ジョンが自分もリードを弾こうと、リダクションの際にダビングして、
ダビングだから、エフェクトのかかり具合も、前半と後半では異なっていて、
その際に、もとのジョージのリードは、消し忘れでなく、左に移したのでは。

ルウィソーンは、テイク6からテイク15と16を作り、さらにテイク14から、
テイク17を作成して、3分17秒でテイク16とテイク17をつないだと書き、
翌日、ジョンのハモをダビング、6日後に、リンゴのカウントを追加と書いて、
元のテイクがあれば、2本のリードギターは最初からなのか判るのだが。

また、日経「全曲バイブル」は、波形分析をして、イントロとエンディングは、
一致するから、テイク6とテイク14をつないだのでなく、同じテイク14から、
ボーカルをダブルトラックにしたテイク16、ドラム加工したテイク17を作り、
そのテイク16とテイク17をエンディングでつないだと、新たな見解を示す。

自分からすると、そこまで手間をかける意味はあるのか、やはり、ここは、
リードギターをダビングするための編集ではないかと、こだわりたくなるし、
イントロのリンゴのカウントも、後でダビングする意味があるのか、かつて、
「アイ・ソー・ハー~」のポールのカウントを追加したのを、再現したのか。

リードギターのダビングはどうか、今となっては、ジョンにもジョージにも、
確認できないし、ポールに尋ねれば、当時、イントロのカウントの録音を、
終えたジョンとリンゴが、「マザー・ネイチャーズ・サン」の打ち合わせ中に、
顔を出し険悪になった事件を蒸し返し、ダビングは知らないと怒られそう。

この間奏のリードは、ヤマハ「ロックギター完全レコードコピー集」に載り、
中学時代、必死で練習して、1・2弦で開放と3フレットを繰り返して弾くと、
覚えていたら、全曲バンドスコアは、3・4弦の9フレと12フレのTAB譜で、
ジョンの映像を見ても、ヤマハのが正解で、昔の楽譜の方が合っている。

左のリードギターは、今回、記事を書こうと調べてみるまでは気づかず、
ここは、全曲バンドスコアが、きちんと採譜してくれているのがありがたく、
譜面を見ながら忠実に演奏して、本当、こんなリードが鳴っていたなんて、
今もって、ビートルズの曲には、自分にとっての新発見があって楽しい。

この曲の歌詞は、「寂しくて死にたい」と、何とも、物騒な歌詞なのだが、
結局、「お前に会えないくらいなら、死んだほうがましだ。」という内容で、
インドへ修行に行って、ちょうど知り合ったばかりのヨーコと離れてしまい、
その思いだけで作ったという、はっきり言って、バカップル丸出しの歌詞。

それでも、「ディランのミスター・ジョーンズみたいだ」と、かつて自分が、
夢中になったボブ・ディランの曲、アルバム「追憶のハイウェイ61」から、
「やせっぽちのバラッド」に出てくる人物の名前を織り込み、サビ部分も、
けっこう韻を踏んでいて、単なるバカップルでないのは、さすがなところ。

ちなみに、当のヨーコは、ストーンズの番組では、布切れにくるまったり、
訳の判らないパフォーマンスをして、トロントのライブでは、奇声を発して、
こんなヨーコに会えなくたって、かまわないだろうが、何やってるんだよと、
中学時代ほどヨーコを嫌ってはいないが、ジョンの気持ちは理解できない。

各人バラバラになりつつあった「ホワイトアルバム」で、4人が揃った曲の、
「ヤー・ブルース」は、編集の謎もあって、自分だと、さらに編集しているし、
ポールのリッケンベースや、ジョンのカジノの音の再現も難しかったうえ、
何よりジョンのシャウトが厳しくて、仕切り直しの曲なのに、問題ありです。










週末の演奏の更新が、とうとう途絶えます
パソコンの不調と、体調不良が重なり、今夜のうちの更新が、
どうも無理そうで、続けていた週末更新も途絶えることになり、
かなり残念ですが、早いうちに、演奏記事を更新しますので、
今後も、このブログへのご訪問、おつきあいをお願いします。

もともと、週末に更新していたのではなく、不定期だったので、
連続更新の記録というほどでもなく、毎日更新されている方に、
比べれば、数年たっても追いつけるわけでもないから、ここは、
じたばたせず、諦めが肝心と自分に言い聞かせているところ。

演奏が出来ない分、演奏と離れたことを、たまには書こうかと、
期せずして、同時期に新作が出た村上春樹と小沢健二だが、
テレビのニュースで見るだけで、まだどちらも買ってはいなくて、
例によってAmazonで、「あとで買う」に入れて、悩んでいる。

村上春樹は、就職した83年前後、大学の友人に薦められて、
「風の歌を聴け」を読んで、初期の三部作に魅かれたのだが、
そのストーリーが「僕」と「鼠」の話で、大学の友人というのが、
「ねずみ男」のあだ名だったから、自分を「僕」に重ねやすい。

「風の歌」は、大学時代の話で、かなり共感する内容が多くて、
これを青春小説だと自分はとらえていたし、「ピンボール」も、
よくボーリング場でピンボールをやったと、身近に感じながらも、
後半のピンボールマシンと邂逅は、非日常の感じが漂い出す。

「羊をめぐる冒険」は、文庫本が出ていなくて、単行本で買って、
実質的に、ここから、リアルタイムで全作品を買うことになるが、
「ピンボール」で社会人となった「僕」に、やはり就職した自分を、
重ねていたのが、「冒険」は、まったく違う世界の話になっていた。

「鼠」は、誕生日のお祝いと小説を送ってくるんじゃなかったのか、
どこで、こんなSFというか、別世界の話になったのかと、何度も、
読み返して、前の2作と矛盾点がないのか、必死に探ってみるが、
そもそも、「風の歌」から、ハートフィールドの仕掛けもあったほど。

短編集「中国行きのスローボート」や「カンガルー日和」も買って、
これまた、「ねずみ男」に薦められた、わたせせいぞうの作品、
「ハートカクテル」に近い内容だったり、「世にも奇妙な物語」に、
使えそうな非日常だったり、いろいろな話で、それぞれ楽しめた。

「蛍・納屋を焼く~」は、表題作の「蛍」が、学生時代の話なので、
「風の歌」に近いものを感じて、すごく好きだったのだが、のちに、
これをイントロに使うように、「ノルウエーの森」へと書き足されて、
余韻を持った終わり方が気に入っていたのが、壊された気分も。

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」は、「羊」より、
さらなる非日常であり、主人公が「私」となり、もう自分と別世界、
一人称に自分を投影して、物語に入り込む癖のある自分には、
「羊」以上に、おまえは関係ないよと、突き放された気になった。

自分は、決して「ハルキスト」ではないつもりだが、20代の頃は、
次の作品が待ち遠しくて、短編集にエッセイ、さらには翻訳まで、
村上春樹の名がつけば買っていて、ただ、当時は、他の作家も、
かなり読んだし、新書や専門書から積ん読だがあれこれ集めた。

「IQ」あたりから、本の発売自体がイベントのようになっていき、
そのこと自体は、すごく引いてしまうが、どうせなら初版がいいと、
ついつい初日に買ってしまう自分がいて、それでも、今回だけは、
もう、そろそろ、振り回されるは嫌だなと、様子を見ることにした。

小沢健二の新作も、ニュースで取り上げられ、そんなすごいのか、
フルアルバムではなく、シングルの発売でも、こんな騒ぐのかと、
かなり驚いているが、その歌詞が素晴らしいという、評判を聞くと、
詩人の詩集だけでなく、歌詞集も買う自分としては、気になり出す。

小沢健二は、「ラブリー」が流行した頃、「ライフ」を買っただけで、
他のアルバムも、フリッパーズギター時代も聴いていないのだが、
ちょうど、テープのウォークマンから、CDの「ディスクマン」になり、
編集できず、1枚のCDを聴いていた頃なので、自然と聴き込む。

朝早く出勤するときに、暗いうちに駅に着き、電車に乗っていると、
日の出が見えたが、ちょうど、「ぼくらが旅に出る理由」がかかり、
「ぼくらの住むこの世界では、太陽がいつも登り~」の歌詞になり、
早起きして良かったような、何だか得をしたような気で、出社した。

それで、単に聴き流していたのを、歌詞カードを見るようにしたら、
けっこう、歌詞が深かったり、訴えてくるものあり、感動したのだが、
ただ、それで、他の作品を買おうとまではいかず、「ライフ」だけを、
何度も聴き込んで、ニューミュージックの愛聴盤の一つになった。

小沢健二も、村上春樹と同様に(?)、かなりの信者がいるようで、
自分のビートルズ、ジョン・レノンへの思いと比べても、雲泥の差で、
まあ、はたから見たら、自分も、ビートルズの信者かもしれないが、
自分は、あれこれ、よそ見するというか、気が多いところがある。

そんな自分だから、ビートルズ以外も、いろいろ演奏したくなるし、
こうして、小沢健二の新作が、気になって仕方ないし、音楽以外、
本では村上春樹が気になり、ただ、それはテレビばかり見ていて、
左右される単純な性格、世間一般、お茶の間の一員ということか。

この数年の記事は、演奏する曲にまつわることばかり書いたので、
演奏が間に合わなかったのを口実に、思いついたことを書いたが、
たまには、そうした内容を、毎週の演奏と別に書きたい気もするし、
それで、演奏をさぼる癖がつくのもこわいし、悩むところであります。




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